エディンバラ大学

ディキンスン教授と。 僕の所属する人文学部歴史学科のある
George Square
エディンバラ大学で学ぶ
エディンバラ大学は、1583年に設立され、ディヴィッド・ヒューム、アダム・ファーガスン、ウィリアム・ロバートソンといったスコットランド啓蒙の巨人たちを輩出した、イギリスでも屈指の名門大学(ただし経済学の父アダム・スミスはグラスゴー大学出身)です。世界的観光都市エディンバラだけあって、世界各国から多くの留学生を集めていますが、地理的にも近いフランス・スペイン・イタリアからの留学生が圧倒的に多いようです。アフリカ系やインド系の学生は、想像していたほど多くはありません。アジア系もまだまだ少ないですが、最近中国人留学生が急増していて、キャンパスのいたる所で中国語が聞こえてきます。ただ、さすが実学(お金儲け)志向の強い国民だけあって、経営か会計(あるいは理系)を専攻しているようですね。教室では僕が唯一のアジア系でした。
エディンバラ大学での僕の身分は客員研究員なので、講義への出席義務はないのですが、本国での研究水準がどれくらいなのかを自分の目で確かめるべく、講義には最初から出席するつもりでした。しかし、春学期(4〜7月)は、ディキンスン教授の講義が開講されていなかったので、2〜3週間に1回くらいのペースでチュートリアル(個人指導)を受けました。ディキンスン教授の強いすすめで、生まれて初めて英語論文を書いたのですが、注のつけ方、参考文献の紹介、英文のチェックなど、完成までのほとんどすべての過程において、懇切丁寧に指導していただきました。手渡した原稿には膨大な量の有益なコメントが付されていました。その原稿は僕の一生の宝です。(論文は8月上旬に完成し、イギリスの専門誌に投稿をすませ、現在審査結果を待っています。)また、もともとディキンスン教授の主著を日本語に翻訳する仕事を抱えて渡英したこともあって、訳出にてこずっている部分について質問し、著者ご自身から回答していただけました。
7月にたまたまECSSS(18世紀スコットランド研究学会)の年次大会がエディンバラ大学で開催され、田中先生が研究報告のために6年ぶりにエディンバラを再訪されました。その時に、田中先生を通じて、ディキンスン教授の同僚のニコラス・フィリップスン教授(ヒュームおよびスミスがご専門)の知遇を得ました。フィリップスン教授は、直接の指導教員でないにもかかわらず、貴重な時間を割いて、僕の英語論文にコメントしてくださいました。その後もフィリップスン教授とは何度か面会し、現在準備中の新論文(マルサス論)についてアドヴァイスをいただくなど、本当に幸運でした。この点でもエディンバラを選んだのは正解でした。
8・9月は大学は夏期休暇です。8月は学生が帰省して閑散となった図書館で史料調査に従事する傍ら、時にはシティ・センターまで足を伸ばして、フェスティバルのムードを楽しみました。9月中旬にはアメリカ東海岸まで調査に出ました。秋学期(10月〜12月)になって、待望のディキンスン教授の授業が始まりました。1・2回生向けの "British History I : 1688-1834" が60分×週3回、3・4回生向けの "Britain and the American Revolution" と "Britain and the French Revolution" がそれぞれ90分×週2回です。最初の授業は、大教室での講義で、出席者は150名くらい。後の2つは、小教室での講義&演習(史料読解→学生による発表)で、出席者はどちらも25名くらい。学部の授業とはいえ、本国ですから、そのレベルは決して低くありません。経済学部出身のため、イギリス史の基本知識がところどころ欠落している僕には、ちょうどよいレベルでした・・・というのは実は強がりで、むしろリスニング力の弱さもあって、消化不良も伴い、かなりきつかったです。しかし、健康に恵まれたおかげで、全50コマ、無遅刻・無欠席で終えることができました。本国の研究水準と自分の学力との相対的位置関係が把握できたことは、大いなる収穫でした。
ディキンスン教授は、研究者としてだけでなく、教育者としても最高でした。懇切丁寧な個別指導については、すでに書きましたが、講義においても、教育に対する強烈な義務感と熱意を感じさせてくれました。イングランド人(ニューカッスル出身)ということもありますが、訛りがなく、なめらかでゆっくりした語り口調。しかも、毎回、詳細なレジュメを配布してくださるので、ノートをとるのがとても楽です。たまにこぼれ出るジョークを聞き逃すと、とても損をした気分になります。自説ははっきり述べられますが、決してそれを押し付けず、対立する学説も平等に紹介し、学生が自分の頭で考えるよう、うまく導いておられます。また、OHPやビデオを多用されるなど、視覚面での工夫も怠っていません。ディキンスン教授の講義は、時間きっかりに始まり、常に5分前に終了します。講義ノートを参照されることはめったになく、まるで古典落語のように、空で言葉が出てきます。まさに職人芸です。文句のつけようのない、パーフェクトな講義でした。
法学部のある Old College 正面の建物は神学部
左の建物は National Gallery of Scotland
エディンバラ大学の学生
最初の印象は、正直なところ、あまり良くなかったですね。図書館の本の扱いの乱暴さ(書き込みだらけ)。喫煙率の信じられないほどの高さ。日本人の基準からすれば、マナーが低いように見えましたし、今やイギリスの大学進学率は50%を越え、日本より高くなっている(※)ので、大学生のレベルも落ちたのかな、と思っていました。ところがどっこい、秋学期になり、同じ教室で学生と身近に接するようになると、それは勝手な思い込みであることがわかりました。
僕は歴史学科の学生しか知りませんが、彼らの気迫と勤勉さには圧倒されるばかりでした。ピンクのモヒカン頭の学生がいました。足を投げ出したり、帽子をかぶっていたり、講義の聞き方も人それぞれでした。しかし、どの学生も必死で講義に耳を傾け、必死にノートをとっています。講義の記録としてよりも、講義と同時進行で考えるための手段として、ノートをとっているという感じです。私語、居眠りなどは皆無でした。携帯電話も鳴りません。数分の遅刻が若干名見られる程度です。トイレのための途中退室すらもなかったですね。小教室の場合、講義中でも講義終了後でも、学生は教員に容赦なく質問を浴びせかけます。演習形式の授業で発言しない学生はまずいません。自分の意見を他人の前で表明することに、躊躇は見られません。しばしば学生同士で白熱の議論になります。予習の量も膨大で、1回の講義に対して、A4のレポート用紙10枚くらいは、当たり前です。教室が学生の気迫で充満しています。
日本の大学生とイギリスの大学生との間に大きな差異が見られることは、否定できない事実です。このような差異がどうして生じたのでしょうか? イギリスの大学では、日本と違って、卒業までに必要な単位数がかなり少なく、そのぶん、少数の科目を徹底的に深く勉強しています。複数の学生(3・4回生)に尋ねてみましたが、どの学生も秋学期に週4コマ(2教科)しか履修していませんでしたが、1週間のほとんどをその2教科の予習・復習に充当していました。それくらい勉強しないと、単位が修得できないようなのです。成績評価は基本的に期末に提出する論文によって行なわれます。論文のテーマは、教員が指定したいくつかのテーマの中から好きなものを選びます。どのテーマについても、かなりの分量の参考文献が指定されており、それらを読みこなさないことには、論文が書けません。しかも、ただ読みこなすだけではダメで、それらに対する意見表明(論評)も求められています。そんな論文が一朝一夕に書けないことを学生は熟知しているので、普段からその準備を怠っていないのです。学期中はアルバイトをする暇などはありません。少しでも高い評価を得るために、寸暇を惜しんで勉強しています。学期ごとに卒論を書いている、と言ってもよいくらいです。学期末の図書館は、論文の仕上げに余念のない学生で溢れかえっており、吐き出された学生は、近くの喫茶店にノート・パソコンを持ち込んで、鬼気迫る形相で論文を書いています。
僕は、イギリスを持ち上げて、「日本のここがダメだ」式の議論をするのは、好きではありません。だから、このホームページでは、イギリスのダメな点をかなり指摘してきました。しかし、悔しいですが、大学教育に関しては、イギリスの圧勝を認めざるをえません。本当に勉強したい者が集まっているからです。とはいえ、こうした日英間の隔絶は単に(単位認定の方法のような)制度だけの問題ではない気もします。列車のダイヤの正確さに象徴されるように、日本の教育においては、独創性を発揮することよりも、与えられたノルマをきちんとこなすことに、高い評価が与えられてきたのではないでしょうか? 自分の意見を勇気を出して表明することが、「和」の空気を乱すものとして、排除されてきたのではないでしょうか? イギリスの教育が与えようとしているもの、すなわち、自分の頭で考えること、「個」を鍛えることが、日本社会においてそもそも求められていないものだとすれば、日本の大学教員は学生にいったい何を伝えればよいのでしょうか? この問いが僕の心の奥底に突き刺さっています。僕が大学教員を続けているかぎり、10年後も、20年後も突き刺さっているでしょう。
附属図書館前にて。 エディンバラ大学のライバルで、
スミスの母校でもあるグラスゴー大学。
設立はなんと1451年!

(12 December 2002)

※ これは僕の記憶違いでしたので訂正します。イギリスの大学進学率は43%(2004/04/10, 日本経済新聞, 朝刊)であるのに対して、日本の大学進学率は44.2%、大学・短期大学進学率は51.5%(2005/08/11, 日本経済新聞, 朝刊)です。

(23 October 2005)

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