田中秀夫先生

田中ゼミに入るまでの悶々とした日々については「落ちこぼれ経済学部生の本棚」のコーナーに記しましたし、田中先生との初対面については「中澤ゼミ1期生卒業論文集」に、田中ゼミの様子については「京大田中ゼミ」に書きました。あと田中先生について書き足すべきなのは、そのお人柄についてだと思うのですが、これが一番難しいですね。学恩が大きすぎるからでしょう。「・・・な人ではない」とは書けるのですが、「・・・な人」と書くと、舌足らずな気がしてならないのです。でも、何とか言葉を尽くしてみます。
田中先生のご専門は、ディヴィッド・ヒューム、アダム・スミス、ジョン・ミラー(スミスの弟子)を中心としたスコットランド啓蒙思想です。かつてはスミス経済学のコンテクスト研究としてのイギリス重商主義研究が盛んだったのですが、スミスが単なる経済学者ではなく倫理学や法学も講じた道徳哲学者であることへの関心が高まるにつれて、スミス道徳哲学のコンテクスト研究としてのスコットランド啓蒙思想研究が盛んになってきたわけです。田中先生は、日本人研究者としては初めて、スコットランド啓蒙を主題とする専門的研究書『スコットランド啓蒙思想史研究――文明社会と国制――』(名古屋大学出版会)を1991年に公刊されました。ちょうど僕が田中ゼミに入った年です。その8年後に公刊された『啓蒙と改革――ジョン・ミラー研究――』(名古屋大学出版会)は、おそらく世界初のジョン・ミラーに関する専門的研究書です。また、ジョン・ポーコックの共和主義思想研究にいち早く注目し、その普及にも努めてこられました。田中先生のHP(→こちらの「研究活動」のコーナーに、研究業績の一覧が掲げられていますが、これまで公刊された論文の数は膨大です。その研究姿勢は「勤勉」かつ「開拓者的」と言えます。
多くの大学生にとって、大学教員の研究者としての力量など、どうでもよいことかもしれません。「研究者として無能でも、教育者として有能なら、それでいいじゃないですか?」という反論が聞こえてきそうです。たしかに、教育そっちのけで研究にエネルギーの大半を注ぎ込む教員もいるでしょう。とはいえ、その逆、「教育者としては一流だが研究者としては三流」というケースは、まずありえないと思うのです。もしその教員の研究者としての力量が低ければ、自分がどこでつまづいているかを自覚できていないために、講義は要領を得ず、個別(論文)指導においても、自分の守備範囲が狭く浅いために、学生の潜在的な問題関心を十分に引き出すことができず、結局、指導という名目での自説の一方的な押し付けか、自由放任という名目での事実上の指導放棄に終わってしまうものです。どうしてこんなことを書くのかと言えば、田中先生の教育者としての力量が研究者としての力量に裏打ちされていたことを、今になって実感するからです。
田中先生の指導スタイルは、「来る者拒まず、去る者追わず」。中庸と自己抑制の美徳を心得た、冷静沈着な指導者だと思います。しかし、これでは抽象的すぎて、何も言っていないに等しいですね。田中先生は、例えてみるなら、名キャッチャーです。どんなボールを投げても、必ず受け止めてくれる。良いボールに対してははっきり「良かったぞ」と、悪いボールに対してははっきり「ダメだぞ」と言いますが、基本的に学生の自主性を最大限に尊重し、投げたいボールを投げさせてくれるので、学生時代の僕のような鼻息の荒いだけのノーコン・ピッチャーでも、自分のピッチングに対する自信を失わずにすんだのです。ただし、ボールを握る気力のないピッチャーに無理やり握らせたりはしません。
田中先生はゼミ生が研究室を訪れるのを、いつも歓迎してくださいました。どんな戯言に対しても、真剣に耳を傾けてくださり、的確なコメントを返してくださいました。研究室の膨大な書籍に囲まれていると、自分が以前より少し偉くなった気がしたものです。ご専門のスコットランド啓蒙以外のジャンルの本の多さに驚かされました。当時僕が強い興味を持っていた環境思想に関しても、相当な冊数が本棚に並んでいました。ゼミ生はこれらの本を自由に借りることができました。「最近・・・にも興味が出てきました」などと口走ろうものなら、すぐさま「そのテーマなら最初にこの本を読まないと始まらないよ」とか「最近こんな本が話題になっているけど、知ってるかな?興味があるなら、持って帰ってくれてかまわないよ」といった具合です。研究室を訪れるたびに、何冊か本を抱えて、下宿へ帰ったものです。ご自身の学生時代の思い出についても、しばしば語ってくださいました。ゼミでの討論に加えて、田中先生とのこうした対話の積み重ねを通じて、僕は自分の関心の本当の所在に気づき、「やりたいこと」と「できること」との距離を縮めることができ、専門的研究者としての最初の一歩を踏み出すことができました。
哲学者の野矢茂樹さんがは、『はじめて考えるときのように』(PHP)という著者の中で、次のように述べておられます。
学校でやらされていた問題などは、問いのかたちがはっきりしていて、きちんとした答えがあることが保証されたものだった。だけど、ぼくらがしばしば出会う問題はぜんぜんそうじゃない。答えがあるのかどうかもはっきりしないし、、だいいち、どういう問題なのか、問いのかたちがはっきりしないのだ。だから、問題に向ったときの最初の声はこういうものになる。
「これはいったい、どういう問題なんだろう」
ぼくたちはまず問いを問わなければいけない。(41ページ)
話し合うことの力はものすごく大きい。第一に、自分が抱えている問題をひとに伝えようとすることは、問いのかたちをはっきりさせるためになにより役に立つ。・・・聞いてもらうだけでもいい。それだけでも、問題のかたちがずいぶんはっきりしてくるだろう。第二に、さまざまな意見に出会うこと、いろいろなものの見方に出会うこと、新しいことば、新しい意味の広がりに出会うこと。そうしてはじめて、ぼくはぼく自身に出会えるわけだし、ぼくが思ってもみなかったところに踏み込むことができる。その意味では、共感よりも違和感や反感の方がだいじだ。(166-7ページ)
これこそまさに僕が田中先生から学んだことなのです。
もちろん、万人受けする教員などいませんから、田中先生の指導スタイルが性分的に合わない学生もいるでしょう。僕にはたまたま田中先生が合っていただけです。しかし、あなたの「やる気」が本物なら、その「やる気」を評価してくれる、相性ぴったりの教員が必ずどこかにいます。すぐには見つからないかもしれないけど、必ずどこかにいるのです。だから、労苦を惜しまず探して欲しいのです。すぐには見つからないからこそ、価値があるとさえ言えるのですから。

(12 December 2002)

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