エディンバラ愛憎

なぜエディンバラなのか? 
2002年4月から2003年3月までの1年間の予定で、英国スコットランドの首都エディンバラで在外研究に従事しています。在外研究先としてエディンバラ大学を選んだ最大の理由は、ハリー・ディキンスン教授の指導を受けるためです。ディキンスン教授は、全英歴史学会の現会長で、18世紀イギリス史研究の世界的権威です。恩師の田中秀夫先生が1996年度にエディンバラ大学で在外研究に従事された折り、ディキンスン教授の素晴らしいお人柄に触れ、僕に彼のもとで学ぶことを強くすすめてくださいました。エディンバラ大学の定年は67歳で、ディキンスン教授は1939年生まれ。碩学から直接指導を受けられる最初で最後のチャンスだと思い、エディンバラでの在外研究を決めました。
世界遺産に指定されている
エディンバラ城
同じく世界遺産に指定されている
旧市街
世界屈指の観光都市なのに
ゴミに対する市民の意識はかなり低い
スコットランドの首都エディンバラ
先ほど英国スコットランドの首都エディンバラと書きました。これには少しばかり説明が必要です。英国(イギリス)の正式名称は、「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国(The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland = U.K.)」というとても長いものです。対外的には一つの国家を名乗っているものの、その実体は「グレート・ブリテン島の南半分のイングランド、北半分のスコットランド、西側のウェールズ、そして北アイルランドという4つの国家が(政治的・経済的利害の一致から)同じ君主のもとで連合している」というものであって、今でも国民の多くは自分自身を「英国人」としてよりも「イングランド人」「スコットランド人」として意識して暮らしています。エディンバラは、1707年にイングランドと合邦するまで独立国であったスコットランドの首都で(英国およびイングランドの首都はもちろんロンドンです)で、合邦後もスコットランドの政治・文化の中心(経済の中心はグラスゴー)として発展してきました。スコットランド人は愛国心の強さで有名な民族で、特にイングランドに対するライバル意識には並々ならないものがあります。(ちなみに今年のサッカーのワールド・カップに出場したのは、英国代表ではなく、イングランド代表チームです。スコットランド人の多くは、イングランドよりもアイルランドを応援していました。屈折した民族感情が垣間見えますね。)外国人である僕は、エディンバラの人々からことあるごとに「スコットランドは好きか?」「エディンバラは好きか?」と尋ねられましたし、イングランドおよびロンドンの悪口を聞かされることもたびたびありました。エディンバラ市内のいたる所には、英国国旗のユニオン・ジャックではなく、青地に白の斜め十字のスコットランド国旗が掲げられています。ブレア政権の成立後、地方自治が大幅に拡充され、およそ300年ぶりにエディンバラにスコットランド議会が復活し、U.K.からの再独立も不可能ではなくなりました。エディンバラが名実ともに「スコットランドの首都」として復活する日も、それほど遠い未来ではないかもしれません。また、エディンバラは、世界遺産エディンバラ城に代表される世界屈指の観光都市でもあります。エディンバラ国際フェスティバルが開催されている8月は、世界中から観光客が押し寄せ、40万人余りの人口が倍以上にまでふくれあがります。冬のイベント "Capital Christmas" 目当てにエディンバラを訪れる観光客の数も相当なものです。
Holyrood Park からエディンバラ中心部を見下ろす
スコットランドの天気は悪いことで有名
春から夏はほとんど毎日こんな空でした
英語には苦労しています
2000年の夏、ロンドンで在外研究中の同僚橋本恭之さんを訪ねました。この時が初めてのイギリス体験でした。ヒースロー空港から地下鉄ピカデリー線に乗ったのですが、車内アナウンスが聞き取れません。ドアが閉まるたびに「マダギャ」と聞こえるのですが、意味がわかりません。ひたすら耳に全神経を集中させて、10駅目くらいでやっと何を言っているかがわかりました。「隙間にご注意ください(Mind the gap)」だと。この一件は、今になって振り返れば、(2年後の)エディンバラでの苦闘のすべてを象徴しているように思えます。生の英語は、英会話教材の模範的な英語と比べると、強弱の差(イントネーション)がかなり大きくて、事実上、強い部分しか耳に入ってきません。しかも、エディンバラでは、悪名高いスコットランド訛りまで加わります。短い単語から成っている簡単な表現ほど、実はクセモノです。スーパーのレジでいつも店員さん「ラカバ」と言われました。それが「袋いりますか?(Would you like a bag?)」だと理解するまでに、かなりの日数を要しました。「ヤマン」が「いいですか?(Do you mind?)」だと理解するのに、いったい何ヶ月かかったことでしょう。18世紀イギリス思想を専門としているせいで、本国人も知らない難解な単語が頭に入っているわりには、この程度の簡単な言い回しが聞き取れないなんて、本当に情けない話なのですが、現実なのですから仕方ありません。電話のベルが鳴ると、悲壮な決意で受話器をとったものです。さすがにイギリス生活も9か月となると、悲壮感は薄れましたが、決して聞き取れるようになったわけではなく、聞き取れないことに慣れてしまっただけです。リスニングだけでもこの調子でしたから、スピーキングでの苦闘はそれ以上のものでした。
9月はじめまで住んでいた
Lochrin Buildings
今住んでいる Bruntsfield
ほとんどの建物が築100年以上
憎しみのエディンバラ
観光客としてイギリスを訪れた場合、英語が必要とされる場面の大半は、買い物でしょう。買い物で必要とされる英語表現は、もともと数も限られていますし、こちらはお客様なわけですから、こちらの意向さえ伝えられれば(あらかじめメモにでも書いておけば)、たいがいの用は足せます。2年前もそれほど苦労した記憶はありません。しかし、生活するとなると、いろいろな場面で「交渉」することを要求されます。イギリスの会社の多くは、日本人の基準からすれば、仕事がきわめてルーズです。「引継ぎ」という観念が希薄で、とにかくミスが多いのです。だから、こちらの言い分を会社側に伝えて、善処してもらわねばならないのですが、これが至難の業です。なかなか自分たちの非を認めようとしません。あの手この手で言い逃れをしてきますし、開き直りや責任転嫁(「法は犯していない」とか「担当じゃないのでわからない」とか)は日常茶飯事です。こちらが外国人である弱味につけこんで、早口でまくしたて、諦めさせようという魂胆も見え隠れします。しかし、ここで大人しく引き下がっては、貧乏くじを引かされます。自分が正しいと思ったら、とことん(時には脅し口調で)会社側の非を追及しなければなりません。海外生活の経験がなかった僕には、そういう厳しさがもともと欠けていたうえに、英語力も足りなかったので、かなり貧乏くじを引かされた気がします。契約期間満了前にアパートの立ち退きを要求されたり、電話工事の約束をすっぽかされたり、身に覚えのない法外なガス料金を請求されたり・・・。特に、アパートの立ち退きの件は泥沼でした。聞き間違いがあってはいけないと思って、はじめのうちは e-mail で不動産屋とやり取りしていたのですが、事情説明を求めても、都合の悪い質問(金銭保証の有無等)には返事してこないし、「代わりの物件を探しますのでしばらくお待ちください」という返事が来たので、旅行の予定をキャンセルしてバカ正直に連絡を待っていたら、担当者は黙って夏期休暇に入っており、待ちぼうけを食わされたり。おまけに、代わりの担当者は事情をまったく飲みこんでいませんでした。さすがにこの時は怒り沸騰でしたね。天気が悪いとか、物価が高いとか、食事がおいしくないというのは、前もってわかっていたことなので、心の準備があったのですが(と言っても、実態は想像以上でしたが)、人を信用できないというのは、かなり大きな精神的ダメージでした。
市内のあちこちに
巨大な芝生公園が広がっている
冬のエディンバラもなかなか魅力的だ
Edinburgh's Winter Festival
"Capital Christmas"
社会主義国イギリス?
僕が利用している某地元銀行は、お金の計算ミスをしょっちゅうやらかすので、油断ならないのですが、僕がミスに気づいて指摘しても、行員は一度も "Sorry" と言ってくれたことがありません。「この機械ってバカなんだよね」と自分のミスを機械のせいにして、開き直られたこともありました。こういう慇懃無礼な態度は日本の銀行ではまず考えられません。概して、ビジネス現場におけるイギリス人は鉄面皮で、自分に非があっても "Sorry" と言わない傾向がきわめて強いように見受けられます(この点については林信吾『イギリス・シンドローム』KKベストセラーズ、第1章が参考になります)。ところが、プライベートな場面でのイギリス人には、この種のふてぶてしさは微塵も見られません。肩が軽く触れただけでも "Sorry" と必ず言ってきますし、自分の後の人のためにドアを開けて待ってあげる気配りを誰もが見せてくれます。他者への細かい配慮にあふれているのです。チャリティーも盛んです。このギャップの大きさは、僕には大きな驚きです。ビジネス現場では、うかつに "Sorry" と言ってしまうと、補償問題などで不利になるからかもしれませんが、それにしても極端すぎるように思います。さながらソ連時代のロシア人を彷彿とさせますが(僕は1990年にソ連時代のロシアを訪れたことがあります)、実際、僕の目に映るイギリス社会は、(悪い意味での)社会主義的な要素がきわめて濃厚です。いたる所で目につく長蛇の行列。店員の要領の悪さに文句も言わず、ひたすら辛抱強く自分の順番を待つ客。客を追い出してでも閉店時間きっかりにシャッターを下ろそうとする商店。時刻表どおりに動くことを期待できない列車。故障だらけの公衆電話。創意工夫の足りない安っぽいテレビ番組。バリアフリーの取り組みへの大幅な立ち遅れ。「歩き食い」=「ゴミのポイ捨て」文化。その結果、慢性的にゴミだらけの街路。他にもたくさん。ここは本当に産業革命発祥の国なんでしょうか? ジェントルマンの国なんでしょうか?
スコットランドと言えば
キルトとバグパイプ
希望の髪型を英語で説明するのは
本当に難しい・・・
経済学の祖アダム・スミス
エディンバラ北方の町
カーコーディーに生まれ育った
それでも愛しいエディンバラ
エディンバラは街全体が巨大な歴史博物館と言ってもよいくらいです。中世の街並みを今に伝える旧市街。荘厳なエディンバラ城。市内を一望できる Holyrood Park 。本当に素晴らしい。ディヴィッド・ヒュームやアダム・スミスの目に映った景色と、ほとんど同じ景色を自分が見ているなんて、小さな奇跡だと思います。市内のあちこちに巨大な芝生公園が広がり、入場無料の美術館や博物館も多数あります。日本とは違う「豊かさ」が、ここにはたしかにあります。この街に暮らしていると、日本人は何を手に入れ、それと引き換えに何を失ったのか、いろいろと考えさせられます。
お気に入りの street musician ネッシーで有名なネス湖は
スコットランド北部にある
イギリスでもっともメジャーな動物=ヒツジ 王立植物園のリス
「餌をくれ」と言っています

(12 December 2002)

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