大学の外へ学びの場を求めて フィールドワーク編
宗教を探しに街に出よう!(宗教実地調査密着ルポ)
宮本要太郎
1月のとある平日の午前10時、阪急三宮駅東口改札口には、私のほかに、私のゼミを受講している院生6名、聴講生1名、学部生7名(およびその友人1名)の、全部で16名が集まった。これだけ集まるとさすがに他の乗客の人たちに迷惑なので、さっそく駅の外に出た。空はうっすらと雲に覆われてはいるが、雨(雪)の心配はなさそうだ。ときおり風が冷たく感じられることもあるが、季節柄仕方ないだろう。
まず、今日の目的と諸注意を説明する(通りがかりの人にじろじろ見られてもめげずに)。今日の目的は、神戸三宮の街を中心に、複数の宗教施設を訪ねて見学させていただき、できればちゃっかりと質問にも応えてもらおうという算段。諸注意としては、まず第一に、それぞれ信者さんたちにとっては聖なる場所を訪問するわけだから、言動に気をつけること。とりわけ写真撮影は許可を得てから行うこと。人数が多く、かつ過密スケジュールなので勝手な行動は厳禁であること、など。
それではさっそく第一の目標である生田神社へ向かう。三宮駅前から徒歩でわずか数分の東急ハンズのすぐ裏手にその神社はある。鳥居のすぐわきの石碑に官幣中社とあるのが、なかなか由緒を感じさせる。正月にはイチローなどのプロスポーツ選手やヤクザの親分なんかも初詣に来るらしい。交通の便が至極便利だから正月三箇日はきっと賑わったことだろうが、今日は境内に人はまばらである(だから16人でぞろぞろ移動すると目立つ)。
この由緒ある神社のご祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)と申し上げる。文字通り稚い日の女神であり、天照皇大神の御幼名とも伝えられているらしい。もっとも初詣にお参りする人たちのいったいどれくらいが祭神の名前を言えるだろうか。その点、日本人の神道感覚というもののおおらかさ(と言おうか好い加減さと言おうか)がうかがわれる。
さて、この神社に祀られている神様は稚日女尊だけではない。緑豊かな境内には他に、住吉さん、八幡さん、諏訪さん、日吉さん、お稲荷さんなどなど、実に14もの社があり、全部で17柱の神様がおわすのだ。なかにはお酒の神様あり、航海の神様あり、学問の神様あり、商売の神様あり、防災の神様あり、料理の神様あり……。まさに神様のデパートだ。こういった点も日本人の神観念を反映している。
神社を出て北に向かう。神戸の町は分かりやすい。北に向かえば山、南に向かえば海である。わずか数分行くと、街中に異様な建築物が出現。これが今日のメインである神戸ムスリムモスク(写真@)。日本に現在40以上のモスクがあるとされるが、その多くは中東からの出稼ぎ労働者が増えた80年代以降に建てられたもので、1935年に建築され空襲にも大震災にも耐えた神戸モスクは、日本最古のモスクでもある。
(写真@)神戸ムスリムモスク
中に入れてもらうと、それほど広くない。メインフロアでもせいぜい20畳くらいの広さだろうか。1階と2階に分かれていて、礼拝のときは男性が1階、女性は2階と分かれるが、2階は1階を見下ろす回廊のような構造になっているようだ。今回は女子学生たちも1階に入れてもらい(いいのかな?)、エジプト人のイマーム(導師)の説明をチュニジア人の若者が通訳してくれる。モスクの中でイマームのお話を伺うという、めったにない機会に学生たちから質問が相次いだ。最後にお二人とともにみんなで記念写真(写真A)。
(写真A)みんなで記念写真
モスクを出てパールストリート沿いに東へ。数ブロック先にはカトリック神戸中央教会がある。以前は中山手教会という名称だったが、震災で倒壊したいくつかのカトリック教会が統合したそうだ。外観はとても教会らしくない。巨大なサイロのようにも見える(写真B)。中に入ってみて外観とのギャップに驚く。高い天井の中央および壁のステンドグラスからの採光は、堂内の厳粛な雰囲気をかもし出す上で大きく貢献している。高名な建築家の手によるらしい。宗教的センスを建築の各所に感じた。
(写真B)カトリック神戸中央教会
聖堂を出るともう12時。皆さんお待ちかねのランチタイムである。歩いて数分で観光名所の北野坂。坂の途中のカフェBistro de Parisで洒落た昼食を取る。ふだんはあまり話す機会のない院生と学部生が、同じテーブルでランチを取りながら歓談するのはお互いに刺激になっていい。
カフェを出てすぐの角を折れると神戸バプテスト教会。こちらは一目でキリスト教教会と分かるオーソドックスなスタイル(写真C)。バプテスト教会(浸礼教会ともいう)とは17世紀にイギリスで生まれたプロテスタントの一派。信仰に基づく浸礼(バプテスマ)を重視することで知られる。ご好意でバプテスマを受ける祭壇も特別に見学させてもらえた。
(写真C)神戸バプテスト教会
ふたたび北野坂にもどり、坂を上って行くと次第に急になる。このあたりはオランダ館や萌黄の館などがあり、神戸でも異国情緒がもっとも感じられるところ。その坂の突き当たりからさらに階段を上ってたどり着いたのが北野天満神社。ここは全国に見られる天満宮・神社の一つで、ご祭神はよく知られた菅原道真公。生田神社がデパートとすればこちらは専門店か。時節柄「入試合格祈願」の幟(のぼり)がひときわ目を引く。もとは治承4年(1180年)、平清盛が「福原の都」造営の願いを立てた際、鬼門鎮護の神として京都の北野天満宮から勧請して祀ったのが初めであって北野の地名もここに由来する。
北野天満神社の裏山は立派な梅園なのだが、残念ながら時期が早すぎる。そのかわり境内からの神戸市街の眺めはすばらしく、すぐ下の風見鶏の館を入れてさっそく記念写真。それから石畳を降りながら人数を数えると2人足りない。携帯にかけてみると神社でおみくじを引いていた(オイオイ)。こういう時に携帯は便利ですね。
場所柄、石畳の両隣はほとんどお土産屋さんが占めているのだが、なかに普通の民家兼商店といった風の建物がある。その2階にあげてもらうとそこは別世界。6畳間を埋め尽くすほどの勢いで豪華絢爛な祭壇と護摩壇が設けてある(写真D)。ここは密教の流れを汲む龍玄院の神戸礼拝所。初代貫手は尼さんで最近遷化されたが、スリランカの仏教とも積極的に交流しているなどの話を、関西大学法学部卒業のご住職からうけたまわる。
(写真D)龍玄院 神戸礼拝所
龍玄院を辞して北野通を西に折れるとすぐ、全体が白で統一された建築物が現れる(写真E)。建物のあちらこちらに精巧な装飾を施したその様子はモスクに負けないほど異様だ。ここがジャイナ教寺院(正式な名称はバグワン・マハビールスワミ・ジェイン寺院)。1985年に完成ということだから20年の歴史がある。ジャイナ教は紀元前6世紀ころ、インドの聖者ヴァルダマーナ(通称マハービーラ)が興した宗教。苦行と禁欲、および不殺生(アヒンサー)を中心とした倫理的色彩の強い信仰で知られる(実際、寺院の近くでこの寒さにもかかわらず裸足で寺院に参拝する青年に出会った)。案内してくれた白衣のインド人男性は終始しかめっ面だったが、異文化体験に興奮気味の日本の若者たちを快く迎えてくれた(と思う)。
(写真E)ジャイナ教寺院
そこからさらに数ブロック西には関西ユダヤ教会、つまりシナゴーグの建物がある(写真F)。前もって何度か交渉したのだが、責任者のスケジュールと合わず、残念ながら今回は外からのみの見学。電話でうかがったところによれば、とりわけ9.11のテロ以降、安全に神経を使っているとのこと。ここからわずかしか離れていないモスクの開放感と対照的だった。
(写真F)関西ユダヤ教会
ここから元町の方へ向かう。西へ20分ほど歩いて神戸関帝廟に到着。ジャイナ教の白に対してこちらは赤が基調。典型的な中国風寺院建築である(写真G)。主神の関帝は三国志でも知られる関羽。不遇の死後、民衆から篤く信仰されるようになったところは菅原道真に通ずるものがある。関帝信仰は中国の代表的民間信仰として道教や仏教と習合し、今日でも広く参詣者を集めている(ちなみに神戸の関帝廟は一応仏教寺院である)。
(写真G)神戸関帝廟
関帝廟から南に下ると地下鉄花隈駅前にそびえるモダンなビル(写真H)。これが「モダン寺」として知られる本願寺神戸別院(ただし先代のモダン寺に比べるとエキゾチックな趣きは減退しているらしい)。本堂のお厨子も総金箔の立派なもの。別院のお坊さんからこれまた立派なお説教を拝聴したが、さすがに強行軍がこたえたのか、皆さん眠気に襲われた様子。それでもお説教の後、納骨所に案内していただいた時は、さすがに眠気が吹き飛んだ。
(写真H)本願寺神戸別院
以上で見学は終了。数えてみると十もの宗教施設を巡る大巡礼だった。さらに勇敢な有志はチャイナタウンに繰り出して中華料理の円卓を囲んで反省会。程よく燗した紹興酒とチンタオビールは一日の疲れをやさしく癒してくれるのだった。
<後記> 皆さんは宗教に対して3Kのイメージをもっていませんか?つまり、こわい、気味悪い、金がかかる、の3K。しかし、実際に宗教を訪ねてみると、実に多様な姿を見せてくれます。60億を超える世界の総人口のうち、約85%は何らかの宗教を信じています。異文化を知るためには宗教を知ること。これって常識ですね。