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Part19

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過去の「KSつらつら通信」

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<目次>

第693号 集いは趣味!(2018.11.25)

第692号 ドラマ「東京ラブストーリー」(2018.10.27)

第691号 駅伝という競技の奇妙さ(2018.10.26)

第690号 さとるな、あがけ!(2018.10.13)

第689号 ZOZOのオリジナルブランドは失敗する(2018.10.8)

第688号 大企業の転勤制度こそ究極のブラックだ(2018.9.30)

第687号 「22歳の別れ」と「なごり雪」(2018.8.30)

第686号 どうなっていくのだろうか?(2018.8.23)

第685号 何がどういけないのか(2018.8.20)

第684号 スーパーボランティア・尾畠春夫さん(2018.8.16)

第683号 忖度する安倍内閣(2018.8.10)

第682号 大学はユニバーシティだ(2018.8.7)

第681号 つながり孤独?(2018.7.26)

第680号 パンケーキと生牡蠣(2018.7.24)

第679号 挨拶禁止のマンション?(2018.7.20)

第678号 子育てのゴールはどこなのか?(2018.7.10)

第677号 負の連鎖でなければよいのだが(2018.6.15)

第676号 新入社員(2018.6.13)

第675号 新幹線での無差別殺傷事件に思うこと(2018.6.10)

第674号 就活を10年ごとに振り替える(2018.6.9)

第673号 いろいろまとめてコメントします(2018.5.26)

第672号 SNSを見ているだけというのはおかしいと思う(2018.5.5)

第671号 東播磨の自虐CM(2018.5.3)

第670号 懐かしのメロディーを楽しんでいただけだったのに……(2018.4.30)

第669号 抽象語あいうえお表(2018.4.20)

第668号 「100均」のすごさ(2018.4.14)

第667号 早生まれ(2018.4.3)

第666号 「今朝 たんと 飲めや あやめの 富田酒」(2018.3.15)

第665号 官僚という生き方(2018.3.13)

第664号 90年代も昔になってしまった(2018.3.5)

第663号 また国民栄誉賞?(2018.3.2)

第662号 インフルエンザに関する素朴な疑問(2018.2.3)

第661号 貴乃花親方の矛盾(2018.2.1)[追記(2018.2.2)]

第660号 高槻を歩く(2018.1.30)

第659号 「一億総活躍社会」って何なのだろう?(2018.1.29))[追記(2018.1.30)]

第658号 調べることが容易になり、考えることをしなくなる(2018.1.28)

第657号 相撲界の「#Me Too」はどこまで広がるか?(2018.1.25)

第656号 社会学部のアドミッション・ポリシーに基づく入試にするのなら(2018.1.24)

第655号 佐井寺ラビリンス(2018.1.23)

第654号 日本の夫婦がセックスレスになる理由(2018.1.21)

第653号「おたく」を定義する(2018.1.21)

第652号 稀勢の里は引退した方がいい(2018.1.18)[追記(2018.1.19)]

第651号 日本のハロウィンが嫌い(2018.1.14)

第650号 大学でしたいことはないのかな?(2018.1.13) 

第649号 「おじいさま」(2018.1.5)

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693号(2018.11.25)集いは趣味!

 先日高校の同窓会に参加したのですが、その時に毎回面倒な幹事役をやってくれている人が「僕の趣味は同窓会です。今日の同窓会が始まれば、もう次はいつやろうかなと考えています(笑)」と話していて、なるほど、そういう趣味もありかと納得するとともに、そう言えば、私も「片桐ゼミの集い」を趣味と言ってもいいのかもしれないなと思いました。

 私は本当に無趣味の人間で、「強いて言えば社会学教育が趣味」と言っていましたが、仕事でもあるので、そこにエネルギーをかけるのは当たり前と言えば当たり前で、他の社会学を教える教員でも熱心にされている人なら、みんな同じように言えるので、自分でも趣味と言い切るほど、趣味っぽくないなと思っていました。

 しかし、今回「同窓会は趣味」と言い切る友人の嬉しそうな顔を見ながら、そう言えば、毎年140人以上集まる「片桐ゼミの集い」を主催するのは十分私の趣味と言えるのではないかと思うようになったのです。新ゼミ生を含めると26学年の教え子たちに案内を届け、出欠を確認し、卒業生に関してはA420頁にも及ぶ「卒業生の近況報告」をまとめ印刷し、当日配布するとともに、欠席したけれど近況報告を送ってくれた教え子たちには添付ファイルで送っています。また、集いの場で行う企画を1カ月以上前から幹事学年の3回生ゼミ生たちと準備し、前日には140人分の飲み物を買い出し、持ち込み、当日は進行に気を配りながら、たくさん集まってくれた教え子たちをホスト役としてもてなしています。

これはめちゃくちゃく時間と頭と体を使う作業なのですが、嫌だと思ったことは一度もありません。むしろ楽しく感じます。こういうことをやっていると話すと、同じ立場にある大学の先生からは、「同窓会費はいくら取っているの?誰がその事務作業をやっているの?」と聞かれたこともありますが、同窓会費なんかありませんし、事務作業は、集いの幹事学年である現役3回生に一部手伝ってもらう以外は、すべて私が1人でやっています。そう答えると、信じられないという顔で「よくやるねえ〜」とびっくりされます。私としては、全然苦行ではないので、「そうですか」と笑っていますが、今回、そうか、集いは私の趣味なんだと答えれば、他の人にも理解してもらいやすくなるなと気付きました。

趣味に関わる活動は価値合理的行為で、その価値観を共有しない人からは、「えー、そんなことにそんなエネルギーをかけるの?」と驚かれるような行為です。私は、この価値合理的行為をほとんどしない人間だとずっと思っていたのですが、この集いに関わる私の活動は、他者から見たら十分価値合理的行為と言えるのかもしれません。私としては、これをやることで、来てくれた人の笑顔が見られたり、来られなかった人とも年に1回は連絡を取り合えることでつながっていられるし、新ゼミ生には片桐ゼミの楽しさを数時間で味わってもらえて、その後の教育がやりやすくなるといった目的も果たせるので、目的合理的行為のように位置付けていましたが、ほとんどの方に驚かれるので、多くの人がその目的を達成するためにはその行為は当然だなと思えるようなものが目的合理的行為ですから、その意味からすると、とうてい目的合理的行為とは言えなさそうです。

「集いは趣味!」というのが多くの人に理解してもらいやすい説明だなと思った次第です。ちなみに、最近は、毎年東京でも20数名集めた東京圏在住者の集まりを持っていたり、「片桐ゼミ・パパママ友会」をやったり、オープンキャンパスの際も現役生・卒業生の交流会をやったり、半年に1回の「片桐社会学塾」なんかもありますので、年に56回は「集う」場を作っています。もうこれは完全に趣味ですね(笑)趣味は嫌がられなければずっと続けてもいいのでしょうから、ゼミ生の募集がなくなり、退職しても続けてもいいですよね。元気な間は、趣味として、継続し続けたいと思います。教え子諸君、あきれずにどうぞお付き合いください(笑)

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692号(2018.10.27)ドラマ「東京ラブストーリー」

 今、関西テレビで平日の夕方に再放送されている「東京ラブストーリー」というドラマをご覧になっているでしょうか。19911月〜3月に放映された大ヒットドラマで、小田和正が歌った主題歌「ラブストーリーは突然に」も100万枚を超える大ヒットとなり、「月9」人気を不動にした、時代を象徴するドラマのひとつと言われています。

 しかし、実を言うと、私は当時このドラマを見ておらず、その後再放送されていた時も見ていなかったので、今回が初視聴です。木曜日にたまたまテレビをつけていたらやっていたので、なんかストーリーを知っているような気がするけど、見たことないので、ちょっと見てみるかと思って見ていたら、1990年代初頭のファッション、文化などが非常に興味深く、これはぜひ今どきの若い人たちに見てほしいなと思いました。

 27年前と言えば、今どきの大学生たちのご両親が青春していた時代だと思いますが、それがどんな時代だったかが映像を通して伝わってくると思います。もちろん、ドラマなのでデフォルメはされていますが、当時の若い人たちにとって恋愛が大きな比重を占めていたこと、携帯電話がなかったので、家の電話や公衆電話を使って連絡を取り合うとか、磁気式の切符やテレフォンカードが最新の文化のように紹介されていたり、ロンゲの医学部生が車を乗り回して格好いいと思われていたり、カラオケが曲を冊子から選ぶ方式だったりと、社会学的には見どころ満載です(笑)男女雇用機会均等法が施行されて5年目の頃で、ちょうどこの物語のヒロインはその均等法第一世代くらいの年齢です。今や50代になった均等法第一世代が若い社会人として働いていた時代がどんな時代だったのかもなんとなく伝わると思います。ぜひ録画して見てください。

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691号(2018.10.26)駅伝という競技の奇妙さ

 先日行われた「プリンセス駅伝」で、四つん這いで200mほど進みタスキをつないだ選手が出たことで、賛否両論がたたかわされました。賛成派は、「なんとかタスキをつなぎたいという選手の強い意志を審判団も認めざるをえなかったので、これは美談である」と主張し、反対派は「選手の気持ちはわかるが、選手の将来のことなどを考えれば、すぐにでも棄権させ手当をするべきであった」といった主張をしています。「ルールはどうなっているのか」「審判が自分の判断でやめさせられるのか、選手は自分で棄権を申し出られるのか、チームの代表(監督)が判断しないといけないのか」「すぐ近くに監督がいないのがおかしい」「岩谷産業は新興チームだったうえ、この選手が新人だったことも棄権できなかった理由では?」とかいろいろな意見、感想が聞こえてきました。私は、ちょっと違う視点から、この問題を語ってみたいと思います。

 主張のポイントは、そもそも駅伝という競技が奇妙な競技だから、こういうことが起こるのではないかということです。駅伝というのは日本発祥で、いまだに日本でしか実施されていない競技だそうです。この1点を見ても、この競技は国際的に見たら非常に奇妙な競技であり、自国ではやりたいと思わない競技という評価なのだろうと推測ができます。頻繁に駅伝の大会が行われ、正月の箱根駅伝に至っては、関東の正月の風物詩にまでなっており、駅伝を奇妙な競技と見る日本人はほとんどいないでしょう。しかし、こんな長距離をリレーでつなぐというのは、競技者に異様なプレッシャーを与えます。長距離を走るという競技は本来自分との闘いといった側面が強く、もしも体調不良とかになったら自分で棄権する判断もできる状態にしておかないと危険です。しかし、駅伝の場合は、万一自分が棄権してしまったら、チーム全体として棄権になってしまうという過剰な責任を負わされます。今回の「四つん這い事件」も、こういう駅伝だからこそ起こった事態です。

 陸上のリレー競技は100m×4とか他にもありますが、駅伝のような長時間に渡る異様な精神的プレッシャーを感じることはないでしょう。もちろん、転んだり、バトンを落としたりしたら、その人が戦犯として指摘されるでしょうが、自分が走れなくなったらチーム全体を棄権させてしまうかもしれないという異様な緊張感は生まれないと思います。水泳のリレー、スキージャンプの団体戦、体操の団体戦、柔道の団体戦、フィギュアスケートの団体戦など、本来個人競技として結果を出せばいいものを無理に団体戦しているようなものは他にもありますが、それでも駅伝の選手にかかるようなプレッシャーではないのではないかと思います。

 駅伝のある区間を走る選手にとっては、その区間に関しては何があっても絶対に自分がタスキをつながなければならないという状況に追い込まれているわけです。たぶん駅伝好きの方は「だからこそ面白いんじゃないですか」とおっしゃると思いますが、実はそういう見方で見ている駅伝ファンこそが、今回のような「四つん這い事件」を生み出す誘発要因になっているのだという気がしてなりません。今回のような事件こそ、駅伝ファンが潜在的に期待していた事態ではないかという気がします。

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690号(2018.10.13)さとるな、あがけ!

 「さとり世代」という言葉を初めて聞いたのは、今から8年くらい前だった気がします。詳しい起源は知りませんが、使われ方からすると、「ゆとり」「ゆとり」と否定的なイメージで言われるのを嫌がった若者世代が、「ゆとり」ではなく「さとり」と肯定的なイメージで使い始めたのではないかと思っています。今でも、「『ゆとり世代』と言われるのは嫌だけど、『さとり世代』はイメージが悪くない」と考えている学生が結構いるように思います。しかし、私は自分のことを「さとり世代ですから」と肯定的に言う学生に出会うと、心からがっかりします。18歳から22歳は大きく変化・成長すべき時期です。一体、どこをどう考えたら「さとり世代だ」なんて肯定的に思えるのでしょうか。

 学生たちの「さとり世代」的意識は、「頑張って努力して高い目標にたどり着こうとはせず、無理せずに容易に達成できるような目標設定をする」といったところによく表れていると思いますが、これこそ「ゆとり教育」のもっとも悪しき影響の出ているところです。低めのハードル設定をしてそれを跳べたことで満足しているような生き方では全然進歩はありません。大学に入る前からできていたことをし続けるだけなら、高い授業料を払う意味なんかないじゃないですか。4年分の授業料を一括で払ったら、大卒の肩書が18歳でももらえることにしたら、それを買うのと変わらないじゃないですか。

 ありえないです。もったいなさすぎるし、せっかく成長できる機会をなぜ活かさずに、悟ったふりなんかしているのでしょうか。友人との日常的な付き合いというぬるま湯にぼーーっと浸かっているだけなんてまったく面白くない人生じゃないですか。「さとり世代」とか言ってないで、あがいてください。63歳になった私でも、いまだに何も悟れていません。毎日悩んだり落ち込んだり、それでも頑張ろうとか思いながら生きています。頑張れば、感謝してくれる人、喜んでくれる人もいます。そういう表情が見られたら、自分も幸せになれます。自分の存在が消えても、誰も困らないような人生なんて、生きている甲斐もないじゃないですか。何者かになって、誰かのためになる、そんな人間をめざすのは格好悪いですか?

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689号(2018.10.8)ZOZOのオリジナルブランドは失敗する

 先日テレビ東京系の「ガイアの夜明け」という番組で、「ZOZOの野望」というタイトルの回を見ました。社長の前澤友作という人の人生と今後の計画などを紹介する番組でした。有名女優と恋人関係になっているとか、民間人初の月旅行者に決まったとか、最近しばしばニュースになっていた人なので、どんな人物だろうと思って見てみました。まあ、人物としては、明るくやる気に溢れた人で悪印象はなかったですが、最後に最近始めた事業として、ZOZOのオリジナルブランドのことを紹介していたのを見て、ここに一言書きたくなりました。

 私の感想は、このZOZOのオリジナルブランドは売れずに、大赤字になるだろうということです。ZOZOというのは、ファッションの通販サイトとして成功し、拡大した会社です。いくらファッション関係とは言え、メーカーが作った服を売るだけの企業が、急に作る方に回っても、うまく行くとは思えません。ウリは、着る人にぴったり合ったサイズの服が提供できるということだそうですが、多くの人はそこまで自分の体にぴったりしたものを欲しいとは思っていないものです。同じ人でも、今日はゆったり目のシャツを着たい、今日はぴっちりしたシャツを着たいとか変わるものです。もちろん、ZOZOは顧客の体型データを持っているので、ゆったり目で作ってほしいと言われたら、それも簡単にできるのでしょう。ただ、問題は自分にとって、袖丈や裄丈、胴回りや首回りがどの程度大きければ、ちょうどよいゆったりサイズになるのかを指定するのは面倒なはずで、それくらいなら、既製品で探した方が早いという気になる人が多いのではないかと思います。

 番組で紹介されていたものを見る限り、本格的なデザイナーがいるわけでもなく、なんとなくあちこちにありそうなデザインのシャツやスーツを作っているだけでしたので、ZOZOブランドをぜひ着たいという人は少ないだろと思います。前澤氏は結局この事業で失敗し、この事業からは手を引くことになるだろうと思います。その時に、通販がこれまで通り売れてればいいですが、そうでなければ、彼の月旅行も白紙に戻ってしまうのではないかという気がしています。

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688号(2018.9.30)大企業の転勤制度こそ究極のブラックだ

 先日2人目のお子さんが生まれたという嬉しい連絡を卒業生からもらいましたが、そのメールに、「このタイミングで名古屋への転勤が決まってしまいました。上の子の来年からの幼稚園も決めてあったのに、また1から探さなければなりません。果たして見つかるかどうか」とも書いてあり、しみじみ大変だなと思いました。彼は、名古屋から1年半前に東京に転勤になったばかりなのに、わずか1年半でまた名古屋に戻されるそうです。なんかこの話を聞きながら、前々から思っていた日本の転勤制度というのはきちんと社会問題として取り上げ改善していかなければならないのではないかと憤りにも似た感情が湧いてきました。

 別の教え子で銀行勤務の男性と結婚している人からも辞令が出てから2週間ほどで転勤しなくてはならず、すごく大変だったという話を聞いたことがあります。こんな転勤制度はおかしくないですか。生活を大きく変えさせられる転勤というものが、会社の指令として直前に出されるなんて、あまりにも非人間的で、ワークライフバランスをまったく考えていない制度です。こんな転勤制度を変えていない企業が、ワークライフバランスや働き方改革とか言っているとしたら、笑止千万です。

 一番いいのは転勤制度自体をなくし、働く場所を自分で選べるようにすることですが、それが難しいなら、せめて転勤の辞令を1年前、遅くとも半年前には出すようにすべきです。約1年後に入社となる新人採用システムを行っているのですから、どの部署で、どの程度人が足りなくなるかは、1年前にはほぼわかっているはずです。1年前、せめて半年前なら転勤させられる社員もその家族も様々なことに対処する時間が持てます。なぜ、今のように直前にしか辞令を出さないなのか、まったく理由がわかりません。ただの悪しき慣習ではないかと思うのですが。

 大企業は転勤くらいで社員は辞めることはないだろうと高をくくっていますが、これからはわからないですよ。かつては、女性が専業主婦であることを前提に転勤先へついていくことを前提にしていたと思いますが、今や女性も仕事を持っている人がほとんどです。夫に転勤辞令が出てもついていけないということも多くなっています。かと言って、単身赴任されたら、子どもと仕事の両方を女性がこなさなければならない「ワンオペ」になってしまいます。給料が少し下がってもいいから、無理な転勤は絶対にさせない企業に転職してほしいと妻が望むというような事態も、これからは増えてきそうな気がします。今後、この転勤問題は徐々に大きな社会問題として取り上げられることになるだろうと予測しておきたいと思います。

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687号(2018.8.30)22歳の別れ」と「なごり雪」

 先日久しぶりにカラオケに行き、「22歳の別れ」という歌を歌っていたのですが、ふとこの歌詞で歌われている状況はどういう状況なんだろうかと考え始めました。そう言えば、この曲を作った伊勢正三には、もう1曲「なごり雪」という、同じように男女の別れを歌った名曲があったなと思い、そちらの歌詞も思い出してみたら、なんだかこの2つの曲は同じ男女の別れを歌った歌ではないかと思い始めました。きっとこういうことは他にも思いついている人がいるだろうと思い、ネットで調べてみると、やはりファンの間ではかなりそう思われているようで、いろいろな解釈がされていました。伊勢正三自身はこのことについては何も語っていないそうです。なんだか推理小説の謎解きのような感じで面白そうだったので、私もチャレンジしてみることにしました。年配者しか興味のない話題かもしれませんが、よかったらお読みください。まずは、2つの歌の歌詞を示します。

22歳の別れ>

あなたに さようならって言えるのは 今日だけ 明日になって またあなたの 暖かい手に 触れたら きっと 言えなくなってしまう そんな気がして

私には 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに 私の目の前にあった 幸せに すがりついてしまった

私の誕生日に 22本のローソクをたて ひとつひとつが みんな君の 人生だねって言って 17本目からは いっしょに火をつけたのが 昨日のことのように

今はただ 5年の月日が 永すぎた春といえるだけです あなたの知らないところへ 嫁いで行く 私にとって

ひとつだけ こんな私のわがまま 聞いてくれるなら あなたは あなたのままで 変わらずにいて下さい そのままで……

<なごり雪>

汽車を待つ 君の横で ぼくは 時計を気にしてる 季節はずれの 雪が降ってる

「東京で見る雪はこれが最後ね」と さみしそうに 君がつぶやく 

なごり雪も 降る時を知り ふざけすぎた 季節のあとで 

今 春が来て 君はきれいになった 去年よりずっと きれいになった

動き始めた 汽車の窓に 顔をつけて 君は何か 言おうとしている

君の口びるが 「さようなら」と動くことが こわくて 下を向いてた

時が行けば 幼い君も 大人になると 気づかないまま

今 春が来て 君はきれいになった 去年よりずっと きれいになった

君が去った ホームに残り 落ちてはとける 雪を見ていた

今 春が来て 君はきれいになった 去年よりずっと きれいになった

君が去った ホームに残り 落ちてはとける 雪を見ていた

今 春が来て 君はきれいになった 去年よりずっと きれいになった

 いかがですか。一見状況が浮かびやすい気がするかもしれませんね。でも、意味深なところも多く、この2人の関係を考えてみたくなりませんか。では、私なりの謎解きを始めます。

まずは大前提として、やはりこの二つの歌はセットになっていると思います。というのは、この2曲は、もともと伊勢正三が所属していた(第2期)かぐや姫の4枚目のアルバム『三階建の詩』(19743月リリース)に収録されたものですが、プロの作詞家でもない若いシンガーソングライターになりたての青年――当時伊勢正三はまだ22歳――が、同時期に書いた若い男女の別れを歌った歌が、まったく別の2組のことを想像だけで書いたと考える方が無理な気がするからです。伊勢正三自身が経験した別れを、男性側から描いた歌(=「なごり雪」)と女性側から描いた歌(=「22歳の別れ」)として作ったと考えた方が、納得が行きます。では、この2人の男女はどのような関係にあったのか、2つの歌の歌詞と伊勢正三の経歴をもとに推理してみます。

 伊勢正三は、19511113日生まれで、進学校として名高い大分舞鶴高校出身です。千葉工業大学入学後3カ月で中退していますが、これは大学入学後すぐに南こうせつに誘われて(第2期)かぐや姫メンバーとなって音楽活動を始めたからでしょう。(第2期)かぐや姫の結成は1971年ですし、進学校である大分舞鶴高校から、あまりレベルの高くない千葉工業大学へ現役で進学するとは思えないので、伊勢正三は、1浪の後、19714月に大学に入学し、すぐに音楽活動をはじめ、不本意入学だった大学は中退したのではないかと推測されます。

 さて、問題の2つの歌ですが、もしもこれが推測通り伊勢正三の体験に基づくものなら、彼女は同い年の高校時代の同期生としか考えられません。というのは、この歌を作った時点でまだ伊勢正三が22歳にしかなっていないからです。「なごり雪」の方に、「幼い君も 大人になる」という歌詞があるので、幼い頃から知っている幼馴染と考えるのが妥当ではないかと思います。

 17歳から誕生日祝いを2人でするようになったということは、2人は高校2年の頃から付き合い始めたのでしょう。ただし、幼馴染でもあるし、親しい異性の友人という程度の付き合いだったのではないかと思います。彼女は、19704月に現役で東京の大学へ進学したはずです。でないと、1974年の段階で22歳で東京を離れてはいけませんので。1年間は遠距離だった可能性がありますが、誕生日祝いはしていたということなので、彼女の誕生日は正月明けの冬休み中だった可能性が高いと考えます。

 1971年になり、伊勢正三が大学入学のために上京してきますが、彼はすぐに「かぐや姫」としての音楽活動に入り、大学は中退してしまいます。2人の付き合いは続いていましたが、最後まで深い関係にはなっていないのではないかと推測しています。性的関係は結婚を前提としてと考える人が多かった時代――1973年のNHKの調査では、女性全体の65%が、20歳代前半の女性でも40%以上が結婚まで性的交渉はしてはいけないと答えている時代――ですし、「なごり雪」の中の「ふざけすぎた季節」とか「幼い君も 大人になると気づかないまま」という歌詞が、そういう想像をさせます。

そして、彼女の方は19743月に大学を卒業して郷里に帰るわけですが、ただ帰るだけではなく戻ったらすぐに結婚することもすでに決まってしまったわけです。20代前半で結婚するのが当たり前だった時代です。大学を卒業したら、即結婚というのは、地方の名家のお嬢さんなら十分ありそうです。大学はわがままを聞いて東京まで行かせてやったのだから、卒業したら戻ってきて結婚しなさいと言われたら、逆らえない女性たちはたくさんいたことでしょう。その駅での別れを歌ったのが「なごり雪」ということになります。

 「なごり雪」の歌詞の方はこれで大体説明がつきました。では、より謎の多い「22歳の別れ」の方の状況を推理してみましょう。彼女の22歳の誕生日――19741月頃――までは一緒に祝ったが、その後、1月の終わりから2月頃にでも彼女が「東京には残らず、郷里へ戻って結婚する」と別れを告げる電話をかけたのではないかと推理しています。「明日になって またあなたの 暖かい手に 触れたら きっと 言えなくなってしまう」という歌詞から、会って告げるのでは言えなくなってしまうので、電話で告げたと推測します。1月の終わりから2月頃と推測するのは、彼女の誕生日からそう遠くない時期としないと、付き合った期間は5年とザクっと言えなくなるからです。17歳から22歳まで誕生日を祝ったということなので、17歳の誕生日の少し前から、22歳の誕生日の少し後までの付き合いと考えるのが妥当でしょう。

「鏡に映ったあなたの姿を見つけられず」というのは、自分が映っている鏡の横に伊勢正三がいる姿が想像できないという意味であり、要するに歌の世界で生きるという夢に自分はついていけないという結論を出したと解釈できます。でも、自分はついていけないけれど、あなたは歌で成功するという夢は捨てないで貫徹してくださいという思いが、最後の「あなたは あなたのままで 変わらずにいて下さい そのままで……」という歌詞で表されているのでしょう。このあたりの感情は複雑で、女性に去られる伊勢正三の想像からは生まれにくい言葉だという気がするので、実際に言われた言葉なのではないかと推測しています。

以上が、私が考える、「22歳の別れ」と「なごり雪」という2つの歌の背景にあった物語です。いかがでしょうか。

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686号(2018.8.23)どうなっていくのだろうか?

 昨日、朝日新聞を読んでいて、そんなことを考えている人がいるのかと軽くショックを受けました。最近は、新聞を読んでいない人が多いし、この話題はネットにも上がっていないようなので、ちょっとここで紹介させてもらいます。

 「コンビニ人間」という小説で芥川賞を取った村田沙耶香という作家が「恋愛と生殖」というテーマでインタビューを受けていた記事なのですが、一番大きな見出しには「性交渉 少数派になるかも」となっています。彼女の発言をいくつかそのまま引用させてもらいます。

 「[セックスを]しない自由もあるし、しなくても問題ない。子どもが欲しいだけなら精子バンクを使って産むことも可能ですよね」

 「不妊ではないけれど性的なことはしたくないから人工授精をするというカップルの話を聞きます」

 「未来ではセックスする方が少数派になっているかもしれない。『え?君はセックスしたことがあるんだ、珍しいね!』と。今でも性交渉なしで子どもは作れるし、セックスはマストではない。でも、している。その変さに興味があります」

 「人間から性欲がまったくなくなることはないと思うのですが、性欲の発散が必ずしもセックスじゃなくてもいい。だとしたらあえてセックスをしなくてもいいし、それ以外のほうが体にあっているという人も、潜在的にはいるんじゃないかなと思います」

 「人間が今と同じ体のままで、まったく違う繁殖の仕方をしたら、とよく想像します。たとえば虫の仕方で繁殖を試す人を見てみたい」

 「『ダーウィンが来た!』を好きでよく見るのですが、虫がどんどん増えている様子からは、彼らが恋愛しているようにはあまり見えません。繁殖と恋愛は関係なさそう。でも、淡々と生殖することにはひかれています」

 「恋愛と生殖を切り離すことが、実は私たちにあっているかもしれない」

 そんな馬鹿な、と最初は思いましたが、今の医療技術なら可能だし、恋愛が面倒くさいと考える若者の増加、セックスレス夫婦の増加などを合わせて考えていくと、こういう未来も現実にくるのかもしれないと、だんだん思うようにもなってきました。今年39歳の彼女はインタビューの最後に、「幼い頃から、女の子であること、女性であることにしんどさを感じていました」と述べています。それがこういう発想の原点になっているようですので、女性たちの方が理解できる発想なのかもしれません。

ただ、女性たちが本当にこういう選択をするようになったら、徐々に男性は一部の良質の精子を残せる者以外は存在の必要がなくなっていくでしょう。精子バンクで良質の精子が買えるようになるなら、無理に男性パートナーを選ぶ必要はなくなります。種牛や種馬がほんのわずかしかいないように、人間の精子提供者もほんのわずかな人で十分ということになります。牛や馬なら肉にされたりするのでしょうが、人間のオスで精子を必要とされない者はどうすればいいのでしょうか。放置したら性犯罪を引き起こす可能性が高いので、子どものうちに精巣を取り去るといった処置はなされそうです。でも、人間の性欲は脳がつかさどっている部分が大きいので、もしもかつてセックスが当たり前に行われていた時代があったと知ったら、精巣はなくても性犯罪は起こしそうです。それを防ぐためには、情報が徹底的に管理され、セックスなどという行為については一切の情報を与えないという状況を作る必要があるでしょう。それが完成したら、人間のオスは、働きバチのように、ひたすら働き、経済貢献だけする存在になれるのかもしれません。

子育てはどうするんでしょうね。精子バンクで買った精子で妊娠・出産したら、父親の存在は前提とされないのですから、女性が一人で育てることになるでしょうか。たぶん、それはしんどいので、祖母・母あるいは女性パートナーという女だけの家族で育てるか、政府に養育してもらうかといったことになるでしょうか。自分たちで育てていたら、愛情が湧き、息子の精巣が切り取られることを母親は受け入れにくくなりそうですので、男の子なら生まれてすぐ政府に預けることになりそうです。女の子が生まれたら当たり、男の子が生まれたらはずれと言われそうです。

こうやってシミュレーションしてみると、やはりあってはならない、ひどい未来だという気がしてきました。この作家は、虫のような生殖を理想にしていますが、『ダーウィンが来た!』が好きなら、脊椎動物たちは恋愛とまではいかなくても、異性――主としてメス――に気に入ってもらおうと思って様々な求愛行為を行い、自らの遺伝子を残そうとしているのも見ているはずです。生物は、アメーバーから植物へ、さらには動物へと進化してきたのです。進化の初期段階において遺伝子を残す行為にはなんら感情的要素はなかったでしょうが、進化が進むにつれて、感情的要素が大きくなってきたという歴史をたどっています。その頂点にいて本能的な欲望だけでなく、脳による欲望を肥大化させている人類が、今更、虫の繁殖行動にまで時計を戻すのは無理です。

この作家の発想も、実は肥大化しすぎた脳をもつ人間ゆえの発想です。特に産める性である女性のみが持ちうる発想です。こんな妄想がマジョリティになることはないと信じたいですが、セックスを前提としないパートナーシップはじわじわ増えていきそうで、まったくの絵空事にも思えないのが不安です。父親としての存在を必要とされないのであれば、男性側からは、一夫一婦制度の解体の方が、人類の未来のためにはましだという考えも出てきます。無理に一夫一婦制度を守らなければならないと思うから、愛のないパートナーシップやセックスレス、不倫も生じるのです。一夫一婦制度をなくしたら、異性をめぐるトラブルが多くなり、社会の不安定感は増しますが、活力は出そうな気はします。

セックスなきパートナーシップか、一夫一婦制度の解体か、なんだかどっちもひどい未来です。どうなっていくんでしょうね、日本の家族は。

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685号(2018.8.20)何がどういけないのか

 アジア大会で日本の男子バスケットボールの4選手が不適切な行為を行ったということで、日本選手団からはずされ、日本に帰国し、顔出し、実名で犯罪者のように謝罪会見までさせられていました。テレビのニュースでは当然悪いことをしたのだからしょうがないですよねという感じで報道していましたが、何がここまで非難されるべきなのか、正直言って私にはよくわかりません。

非難されている事実は、「日の丸のついた公式ウェアを着て、飲食し、女性とホテルに入って不適切な行為をした」ということのようですが、不適切な行為とは「買春行為」ということでしょう。確かに、買春行為は褒められた行為ではないでしょうが、強姦などとは違い、相手の女性も商売と割り切って売春をしているわけですから、それ自体は犯罪行為にならないのではないかと思います。

聞いていると、どうも「日の丸のロゴのついた公式ウェアを着ていた」ということが強く批判されているポイントだという気がします。じゃあ、もしも私服だったら、どうだったんでしょうね。実際、他の選手でそういう「不適切な行為」はしていないという保証はないような気がします。そもそもオリンピックでも開催国によっては選手村の各部屋にコンドームが用意されているという話も聞いたことがありますし、国際大会に出た選手がセックスすること自体が批判の対象になるわけではないと思うのですが、、、褒められたことではないですが、果たして選手団から追放するまでのことだったのかどうか疑問です。

アマチュアボクシングの会長だった人も、日の丸のついたジャンパーを着て、あちこちに出かけているのを、テレビ報道ではしばしば取り上げて批判していますが、なんかそんなに「日の丸、日の丸」と言われると、気持ちが悪いです。日の丸をつけていようとつけていまいとすべきでないことはすべきではないでしょうし、日の丸をつけていたからといって罪が重くなるというなら、なんだかおかしい気がします。それをおかしいと報道しないメディア、疑問と感じない国民にもおおいに疑問があります。そのうち、サッカー日本代表の応援で、顔に日の丸をペインティングしたサポーターも厳しい行動規範にさらされるかもしれません。なんだか少しずつ気持ち悪い時代になりつつある気がします。

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684号(2018.8.16)スーパーボランティア・尾畠春夫さん

 周防大島で3日間行方不明になっていた2歳の男の子を発見した尾畠春夫さんという方の生き方があまりにも見事で思わず紹介したくなりました。昨日ニュースで年配の男性ボランティアが発見したと聞いた時は、近くのおじさんが探すのを手伝ってたまたま発見したのかなと思いましたが、その後報道を見ていたら、この男性がまさに「スーパーボランティア」の名前にふさわしいすごい方だということを知りました。これまでにも多くのボランティア活動をしてきており、メディアの映像にもたくさん映っているくらい、知る人ぞ知るという方だったようです。

今日の報道で知ったのですが、東日本大震災の際は500日以上現地にいて、思い出の品を探すという作業にあたり、2014年には東日本大震災を忘れないでというメッセージを送るために、徒歩で日本1周をしたそうです。東北の方かと思われそうですが、九州大分県の方です。当然、熊本地震でもボランティア活動をしていますし、周防大島から今朝帰ってきて、明後日には今度は呉に先日の豪雨災害の復旧のボランティアに行くそうです。そして、現地に一切迷惑をかけないように、自分の車で寝泊まりしているそうです。

話を聞けば聞くほど、この人は本当にすごい人だと思わざるをえませんでした。「中学は4カ月しか行ってない」と言っていましたが、その話ぶりは実にすっきりしたもので、筋も通っています。いくつか、尾畠さんの発言で印象に残った言葉を紹介します。「お美味しいものを食べたいと思わない。体にいいものを食べたい」/「持参する食料は袋のラーメンで、麺を割ってその辺に生えている草と一緒にゆでて食べる」/「穴の空いていない葉は食べない」/「植物図鑑で勉強している」/「座右の銘というほどではないけれど、被災地などでよく言っているのは『朝は必ず来る』という言葉」/「対価はいっさい求めない。心です」

どの言葉も経験から出ている言葉で本物の言葉だという印象を受けました。65歳で仕事をやめ、もうじき79歳になる尾畠さんは、社会への恩返しとしてボランティアが必要とされるところがあればどこにでも出かけていくそうです。尾畠さんのようにはとうてい生きられませんが、お金や地位や名誉といった対価が得られるかどうか、贅沢ができるかどうかだけが人生ではないと改めて思いました。なんだか心が洗われた気がします。

ひとつだけ心配なのは、今回のことで、尾畠さんは一躍ヒーローのように扱われることになるでしょう。メディアの取材は基本的に断らないと言っていましたので、これから露出が増えるでしょう。もちろん、出演料ももらっていないはずですが、インタビューさせてくださいというメディアは山のように登場し、そうした要望に、これまでと同じように尾畠さん断らない姿勢を貫けば、そのうち、「出すぎだ」とか「何様だと思っているんだ」とか、勝手に批判する人も出てくるでしょう。また、一気に顔を知られてしまいましたから、被災地に行っても、サインをせがまれるとかスター扱いが起こりそうです。尾畠さんは、他者を疑い、拒否するという気持ちは一切なさそうな方でしたので、本意ではなくても自分にできることならなんでもしてあげるという対応をしそうです。きっとこんなブームはそのうち納まると思いながら、尾畠さんはボランティアを続けると思いますが、尾畠さんの活動に悪影響が出ないように願うばかりです。

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683号(2018.8.10)忖度する安倍内閣

 世の中では、甲子園だ、ボクシング連盟だ、日大チアのパワハラだと、スポーツ関連のニュースばかり大きく取り上げていますが、もっと注目すべきことは他にあると思います。この時期は、広島と長崎で平和祈念式典が行われていますが、ここで日本政府がどういう姿勢を取っているかについて、もっと国民は関心を持つべきです。安倍首相は広島にも長崎にも行き挨拶をしていますが、昨年国連で採択されたにもかかわらず、唯一の被爆国・日本がいまだに署名をしていない核兵器禁止条約については一切触れず、被爆者や現地の市長との温度差が目立ちました。しかし、なぜ日本は核兵器禁止条約に署名しないのでしょうか。安倍首相は、「核兵器のない世界の実現に向けて努力を重ねる」と言いながら、その目標に向けてのアプローチが違うと言って、署名をしないことを正当化しています。でも実際はそんな理由ではなく、この条約を無視しているアメリカに追従しているだけです。つまり、アメリカ・トランプ大統領に忖度しているのです。

 安倍内閣のアメリカに対する忖度はこれだけではありません。トランプが次々に打ち出す中国に対する高関税政策、イランに対する経済制裁などもめちゃくちゃで、日本経済に対する悪影響も十分考えられるのに、何も言いません。また、北朝鮮との関係も、トランプが過剰なほどに攻撃的だった時にはそれに乗かって北朝鮮に強硬な態度を取っていたのに、米朝会談が開かれてからは、北朝鮮に対する強硬な発言がぴたっとなくなっただけでなく、トランプに命じられて北朝鮮の核施設の撤去費用まで日本が払うことを明言しています。日本は本当に独立国なのかと問いたくなります。

 第2次世界大戦でアメリカにコテンパンにやっつけられてからの戦後日本は、とにかくアメリカに逆らわないことを唯一最大の国家戦略にして生きてきた国ですが、それでもたまには日本の矜持を見せることもありました。しかし、今はまったくだめです。20079月――ちょうど安倍第1次内閣の頃――に、「スネオのような国・日本」(http://www2.itc.kansai-u.ac.jp/~katagiri/tura8.htm#no257)という文章を、この「つらつら通信」に掲載しましたが、日本の「スネ夫」度はより増している気がします。トランプはジャイアンにそっくりですが、安倍首相もスネ夫そっくりに見えてきました。母方の祖父である岸信介が締結させた日米新安保条約を基軸にして日本の国家戦略を立てることを、安倍晋三ほど強く思う総理大臣もいないでしょう。安倍内閣の下では、日本はアメリカの支配下にある属国そのものです。

 唯一の被爆国なのですから、核兵器禁止条約に署名するくらいのことはできるはずです。いやしない方がおかしいです。世論調査でもしてみたら、日本人の9割は署名した方がいいと答えるはずです。そして、この条約に署名したからと言って、日米関係が崩壊するなんてこともありえないと思います。なぜこの程度のこともできないのかと、しみじみ嘆かわしくなります。官僚たちに忖度される安倍首相は、トランプに忖度しているわけです。上にこびへつらい、下に偉そうにする。これは、まさに権威主義的パーソナリティそのものです。こんな安倍内閣をいつまでも続かせてよいのか、こんなまっとうな自己主張もできない日本でよいのかと問いたいです。しかし、W杯だ、オリンピックだ、高校野球だと「一億総スポーツ馬鹿」のようになってしまっている日本人は、こうした問題にはまったく興味を示さずにいます。「大丈夫か、日本」と真剣に不安に思う今日この頃です。

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682号(2018.8.7)大学はユニバーシティだ

 昨日朝日新聞を読んで、1人で腹を立ててました。理由は「中教審が描く2040年の大学像 AI時代「最高学府」の岐路」というタイトルの記事です。内容は、6月末に中教審(中央教育審議会=文部科学省内に設置されている日本の教育制度等について提言する審議会)が発表した、2040年の大学のあり方の中間報告の紹介です。そこで描かれている大学の姿は、本来大学がめざすべき方向とまったく逆だという気がして、文科省と中教審は何もわかっていないと腹を立てたのです。具体的には、学部、学科の壁が低くなり、学生が自分で様々な学部の科目を取りに行く「学位プログラム」が中心になっているとか、教員は社会での経験を積んだ「実務家教員」が増えているとか、複数の大学で専任教員となっている「クロスアポイントメント制度」が導入されているとか、こんな方向に進めるべきではないという案がたくさん並んでいました。一見するとよさそうではと思われるかもしれませんが、うまく行くわけはありません。

「学位プログラム」は、学部の壁を超えて有機的なプログラムを組み、学生たちがそれを参考に授業を取っていくというものですが、こういうプログラムを作るのは大きな大学では非常に困難です。学科や専攻を超えたプログラムを作るだけでもかなり困難です。そもそも本来はそういう学びのプログラムとしての意味で学部や学科は創られたはずです。その枠を無視して、横断的なプログラムを作っても、体系的な学びなど望むべくもありません。適当な授業をつまみ食いするのがせいぜいです。2番目の現場を知っている実務家教員から学ぶというのも一見よさそうですが、こういう方々を専任教員として採用してもしばらくしたら現場の変化についていけなくなり知識が古びる可能性は高いです。もしも実務家からの情報を大学教育に常に新鮮なものとして取り入れたいなら、非常勤講師として新鮮な情報を持っている現場の方に教育してもらうことで十分です。3番目の「クロスアポイントメント制度」とかに至ってはどんな仕組みになるのか、よくわかりません。ある大学の専任教員が別の大学の非常勤講師をするのと、どれほど違いがあるのでしょうか。もしも本当に2つの大学に専任教員として同じくらい関わるとしたら、どんな働き方になるのでしょうか。普通に企業に勤めている人でも、2つの会社の正社員になるなんてイメージが湧かないのではないかと思います。本当に、文部科学省(中教審を含む)はろくなことを考えません。

 文科省と中教審のめざすべき方向は、これまでの大学――特に文系学部――のあり方をほぼ否定することから出発しています。確かにそう言いたくなる気持ちもわからなくはないです。理系学部は大学院まで6年間学び、多くの人がその専門知識を生かした企業に就職していますが、文系学部の場合は、大学で学ぶことは企業にまったく期待されていない意味のないものという認識が広くありますので。しかし、この問題点は学部や学科を中心として考えているから起こることではなく、安易に大学の枠を広げることを認めて勉強する気のない大学生をたくさん生み出したことや、訳の分からない新規名称の学部を認めてきた文科省の責任の方が大きいです。本来なら、定員も満たせないような大学や、意味の分からない学部などどんどん潰して、大学入学枠を減らした方がいいのです。そういう思い切ったことはできず、今回打ち出した2040年の大学像などは、今ある大学や学部を潰さないようにして、生き残らせようとするある意味保守的な改革案です。潰すべき大学は潰してしまって、かつ大学に行かなくても様々な道が開かれているという社会に変えていったらいいのです。やりたいことが決まっている人が学ぶ専門学校の価値をもっと上げて、総合的に勉強する気のない人は、大学に行くより専門学校に行った方が人生は幸せになるように制度的にも後押しをすればいいのです。(「大卒」という肩書が必要なら、専門学校をすべて「専門大学」にするとか。)

 そういう改革がなされた時、では大学、特に文系学部の存在価値はどこにあるのかを考えると、広い知識を学び、視野を広げ、社会で生き抜く力を得る場とすることではないかと思います。それは、まさに社会学部の学びです。社会学部こそ、ユニバーシティ(=総合大学)の核になるべき学部です。法律や会計を専門的に学びたいだけなら、司法試験をめざす学校や大原簿記専門学校などを大学にして、そこで専門的に学んだ方がいいでしょう。ユニバーシティたるべき大学で、大学らしい学びをし、社会を生きていく上での知識と能力を高めるためには、社会学を学ぶのが一番です。

 しかし、そういう思いを持って学生が大学――社会学部――に入ってくるようになった時には、教師もそれに対応する力がないといけません。まず、これからの大学教員は教師としての自覚を強く持っていることが必要です。特定の分野のことだけ知っている研究者ですという気持ちの教員では、ユニバーシティとしての大学――特に社会学部――の教員は務まりません。場合によっては、大学院で博士論文を書くためだけの研究をひたすらしてきた人より、社会に出て働いて様々な経験を持っている人の方が、より社会学部の教員に向いているかもしれません。現場の知識を教えてくれる「実務家教員」と言われると、ちょっと違うと思いますが、様々な経験をして、それを学生たちに還元できる「社会人経験者」という意味でなら、おおいにありだと思います。人が好きで、幅広い知識を持ち、論理的思考力と分析力を持つ、そんな人が教員として大学に揃えば、必ず学生たちは、大学で学ぶことの意義を会得できるでしょう。そうなれば、文科省にくだらない指示を受けることもなくなりそうなのですが、、、改めて、「大学よ、ユニバーシティたれ!」と叫びたい気分です。

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681号(2018.7.26)つながり孤独?

 昨晩NHKの「クローズアップ現代+」で、この「つながり孤独」というテーマが放送されていました。若者が友人関係で悩むというのは、様々な言葉で言い表されてきており、これはSNSバージョンと言ったところです。要は、たくさんつながっているのに「いいね!」は少ないとか、友人のリア充な生活を見て落ち込むといったことです。(後者は、孤独ではなく、リア充な友人を準拠集団とした相対的不満だと思いますが、、、)

 番組の切り込み方は甘く、なんか鋭いポイントをまったくつけていなかった気がしましたので、私なりに分析し直すことにします。番組で一切触れられず、残念だったのが「アイデンティティ」の問題です。若者はいつの時代も悩むものです。それは、まだ自らが何者かになれているという自信――アイデンティティの確立――がないからです。そして、なんとかそのアイデンティティを確立しようと考え、学び、鍛え、必死にもがくのが青年時代です。

 ところが、最近はアイデンティティを確立するために、考えたり、学んだり、鍛えたりする若者が激減し、ただ友人数が多いとか、「いいね!」が多いとかで、自分の存在意義の確認をしようとする人が激増しています。しかし、「インスタ映え」する写真を載せて「いいね!」がいっぱいついたとしても、冷静に考えたら、それは自分という人間が評価されたわけではないということに気づくはずです。なんかどうでもいいことで悩んでいるよねと言いたくなります。そんなことをせっせとして、なおかつ「いいね!」がつかなくて「孤独だ」とか言って落ち込むくらいなら、「コミュ障」だと言われても気にせず自分の趣味にのめり込んでいる「おたく」と言われる人の方がよほど充実した人生だと思います。

 「つながり孤独」などというしょうもないことで悩むのではなく、自分は何ができる人間になれるのかで悩んで欲しいものです。社会に出て働いている人でも、この「つながり孤独」で悩んでいる人がインタビューを受けていましたが、自分の仕事に自負は持てないのかなと寂しく思いました。どんなつまらなそうな仕事でも、それが社会に必要とされる限り、意味のある仕事のはずです。その仕事の一翼を担っていると自信は持てないものでしょうか。まあ、そういう風に思うには、社会学的想像力が必要かもしれませんね。

 とりあえず「つながり孤独」で悩んでいるという人は、被災地にボランティアでも行ってみたらどうでしょうか。間違いなく、そこでは、自分の存在意義を確認できると思いますよ。NHKもこのくらいのことは言って欲しかったなと思います。どうもNHKは若者とか女性に対してはこびた甘めの分析になりがちです。

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680号(2018.7.24)パンケーキと生牡蠣

 奇妙なタイトルですが、要は「インスタ映え」について考えてみたいという話です。先日生まれて初めてクリームたっぷりとイチゴが乗ったパンケーキとやらを、妻に誘われて食べたのですが、その写真をフェイスブックにアップしました。正直美味しくなかったのですが、人気店らしく行列までできていたので、「一体、何がいいのだろう?」という問いかけをしてみたくなったのです。

 友達になっている教え子からは、「インスタ映えするので、みんなたいして美味しくなくても食べに行くのだと思います」といったコメントをもらいました。中には、「パンケーキの写真は載せませんが、美味しそうなお造りや生牡蠣の写真なら載せます。これもインスタ映えと同じ心理に基づくものなのでは?」というコメントもありました。そこでふと、パンケーキの写真と生牡蠣の写真は同じような効果を生むのだろうかということが気になってきました。

 パンケーキをはじめ、かわいいスイーツの写真は、「こんなかわいいものが好きな私もかわいいでしょ?」という効果を生みそうですが、生牡蠣の写真ではその効果は出ないはずです。「美食家」とか「通の酒好き」といったイメージは与えそうですが。こういうのも「インスタ映え」というのでしょうか?

 インスタグラムをやっていないのでよくわからなかったので、学生たちに話を聞いてみたところ、かわいいものだけでなく、珍しいもの、面白いものなんかも「インスタ映え」するようで、そういう写真をよくアップする人もいるそうです。となると、美味しそうな「生牡蠣」も、やはり「インスタ映え」すると言えるのかもしれません。

 ただ、学生たちの話を聞いていると、同じ人がかわいいスイーツと「生牡蠣」の写真の両方を載せることはあまりないようで、その人ごとに系統が分かれることが多いそうです。その話を聞きながら、だんだんとわかってきましたが、要はSNSに写真をアップすることで、自分はこういう人間であるという印象操作を意識的、無意識的にやっているということなんですね。かわいい女子と思われたい人は、かわいいものを中心に写真を載せるでしょうし、逆に「女の子」イメージから自分を遠ざけたければ、生牡蠣の写真や変顔の写真なんかをアップしたりするのでしょう。

 かくいう私もフェイスブックでは孫の写真をちょくちょく載せて、「孫をかわいがるやさしい中高年男性」という印象操作をやっているわけです。孫の写真以外の時も、この写真をアップしたら、こんな風に思われるだろうなという計算はいつも無意識のうちにしているなと改めて気づきました。上記のパンケーキの写真も、意外に夫婦仲がいいという印象を与えるだろうという計算が働いていた気がします(笑)

私の場合は、SNSでの写真のアップ以上にこういう文章での自己表現も多いわけですが、文章も写真と同じような効果をもたらすのでしょうか。確かに、文章による印象操作もできるとは思いますが、写真に比べると、印象操作という要素が弱くなり、内面的なパーソナリティの表れという風に捉えられることが多くなる気がします。文章より写真の方が印象操作はより巧みにできそうです。文章はその人自身が出すぎて、印象効果を薄めるように思います。写真を利用して印象操作しようとするなら、アップする際に文章による説明をしすぎない方がよいのでしょう。

「かわいいものの写真→かわいいものが好きな女性→かわいい女性」/ 「変顔顔出し写真→ユーモア精神に富んだ女性→よい仕事仲間になれそう」

 こんな感じでいろいろ分析できそうですが、あまり分析しすぎると、SNSで「友達」から嫌がられそうですので、あとは心の中でこっそりやっておきます(笑)

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679号(2018.7.20)挨拶禁止のマンション?

 先日ゼミで、「挨拶禁止のルールを作ったマンションがあるが、これについてどう思うか?」というニュース討議をしました。当然ながら、ゼミ生に賛成者はいなかったのですが、でも近所の人に挨拶はしていないので、こういうマンションがあってもおかしくないかなという意見もありました。しかし、私はこんなルールを作るマンションはありえないだろうと思っています。

このニュースの元になったのは201611月に『神戸新聞』に掲載された投書で、自分の住むマンションでこんな奇妙なルールができて戸惑っているという56歳男性の投書です。私はこの投書は愉快犯的な人間の仕業なのではないかと推測しています。年齢も詐称ではないかと見ています。熊本地震の時に、ライオンが逃げたといった投稿がSNSになされましたが。世の中にはそういう自分の作り話がまことしやかに広まるを楽しむ輩がいます。確かに近隣関係は薄れてきていて、同じマンションに住んでいても挨拶をしないことが多いという実態は増えていると思いますが、挨拶禁止などというルールを作る必要性はまったくありません。投書では、きっかけとなったのは、自分の子どもには、知らない人から挨拶されたら逃げるように教えているので挨拶を禁止にしてほしいとある母親が訴えたからと書いてありますが、そんな母親がいるとはとうてい思えません。「見知らぬ人にはついていっちゃだめ」というのは、多くの親が子どもに伝えていることでしょうが、挨拶されたら逃げろって、一体どんな教育ですか。いくら何でもそんな教育をする人間がいるとは信じられません。挨拶する人間を全員疑うなんてことをしていたら社会が成り立ちません。

1年半以上前の投書で結構話題になったようなのに、この挨拶禁止を決めたマンションがどこなのかまったく情報が上がってきていません。たぶん都市伝説なのではないかと思います。ただ、こういうありえないような話でもあるのかもと思わせてしまうのが「都市伝説」の怖さです。生徒に順番をつけないように、運動会の徒競走で、ゴール前でみんなを待って手をつないでゴールするようにしている学校があるとか、1人ぼっちでご飯を食べている姿を見られたくないから、トイレの個室でこっそりご飯を食べている人がいるとか、普通に考えたら「嘘でしょ」とツッコミたくなるような様々な話がしばしば広まります。これらも話を盛った「都市伝説」ではないかと思っていますが、信じたくなるような潜在的状況や意識があるということ自体は、社会学的に見て興味深い現象です。マンション挨拶禁止ルールの導入という都市伝説も、都市集合住宅において近隣関係が希薄化しているという事実を反映した社会現象と言えます。こういう話を笑って「ありえない!」と断言できる人が減っているとしたら、それはとても怖いことだと思います。

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678号(2018.7.10)子育てのゴールはどこなのか?

 先日子育てをテーマにしているゼミ生の卒論にアドバイスしながら、そもそも子育てって何だろう、どこにゴールがあり、どうなったら成功したと言えるんだろうかということがきちんと議論されてないのではと思い始めました。

 学生たちに子育てのゴールはどこだと思うと聞いてみたところ、少数の学生が「大学に入ったら」と答えましたが、「就職したら」や「結婚したら」という声も多く、ゴールと考えうる時期は様々でした。また、どうなったら成功と言えるのかという私の問いには、みんな困ったような顔をして、明確な答えを聞かせてくれませんでした。一般的には、よい大学に入ったら成功、名のある大企業に入ったら成功と見えますが、結婚もせずにずっと1人でいたら、親としては子育てが終わった気にならないでしょう。また、一流大学から名のある超有名企業に就職できても、過労死でもされてしまったら、親としてはなんでこんな道を歩ませてしまったのか、一流大学も超有名企業も関係のない平凡な人生を歩ませればよかったと後悔したりすることでしょう。

 子どもが生まれて始まる子育てですが、最初は「健康に育ってくれればそれでいい」と思っていたのが、言葉や文字を教えることから始まって、いつのまにか塾に入れないといけないのではと思い、スポーツのできる子に、いや勉強もできる子に、優秀な高校、大学に行ってほしい、いや潰れないよい企業に就職してもらわないと子育ては終わらない、いやいや就職はしたけど結婚してくれない、孫を作ってくれない、と今や子育てはエンドレスかと思うほど、親は心配し続けたりしています。一体、どこで子育ては終わるのでしょうか?

 私の親世代は、たぶん大学に行ってくれたら一応子育ては一段落と思っていた人が多いのではないかと思います。大学に入れば、どこかには就職ができて、結婚も半分義務みたいなものでしたから、結婚しないだろうなんて心配はほとんどしていなかったと思います。つまり、「教育ママ」として、子どもに勉強をする癖をしっかりつけさせることこそ、子育ての方針で、そこをちゃんとやっておけば、後は自ずとうまく行くという考え方で済んでいたわけです。

 しかし、今や大学に入ったら、子育ては終了と思える人は少ないと思います。そこそこよい大学に行ったとしても、就職は容易ではなく、さらに結婚するかしないかも個人の自由だという雰囲気のある中で、結婚をして戸籍から独立してくれる日が来るのかどうかも不安で心配している親は多いでしょう。親たちによる子どものための婚活パーティーなどがおおいに需要のある時代となっています。

 結婚が子育てのゴールのようにも見えますが、結婚してからも口を出す親も多いです。そういう親の場合は、まだ子育てが続いている気持ちなのでしょう。親が元気で子どもの方に親を頼りにする気持ちが残っていれば、ずっと子育ては続いてしまうのかもしれません。

 ずるずると行かないためにも、現在子育て中という人は、短期的視野でのハードルのクリアだけを目標とするのではなく、どこかに自分なりの子育てのゴールを定めた方がよいと思います。できたら、そのゴールに到達するための子育ての基本方針を作って、その基本方針に基づいて、子育て計画を進めて行くのがよいでしょう。

でも、正直言って個人として明確な子育てのゴールを設定するのはかなり難しいですよね。ただし、個人レベルではなく、社会レベルで考えるなら、子育てのゴールは明確です。次の時代へ、社会を安定的に継続してくれる、まっとうな社会成員を作ることが子育ての目標であってもらわねばなりません。まっとうな社会成員とは何かと言えば、社会のルールを守り、働き、税金を納め、結婚し、子を持ち、子育てをする人ということになるでしょうか。しかし、こういう人になることを全員が目指すべきだというと、価値観の押し付けだと非難されることになりかねません。なので、それは私もしませんが、多くの人にとっては、やはりこういう人間を育てることができれば、自分も幸せになれ、自分の子育てはそれなりに成功したと思えるだろうと思います。

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677号(2018.6.15)負の連鎖でなければよいのだが…

 ちょっと気になっていることがあります。先日の新幹線殺傷事件が起きたのは69日でしたが、10年前の200868日に秋葉原無差別殺傷事件が起こり、17年前の200168日に大阪教育大学池田小学校乱入殺傷事件が起きています。いずれも、生きる気持ちを失った人間が死ぬ前に関係ない人を巻き込んで、その存在感を示そうとした悪質な心理が引き起こした無差別殺傷事件です。今年も68日に、10年前と17年前の事件のことが報道されていました。この報道が、今回の新幹線殺傷事件の犯人に影響を与えなかったかが気になっています。事件を風化させないために、報道はあった方がいいのでしょうが、その報道がなされることにより、「そういうやり方もあるか」と学ぶ人間が出て、同じような無差別殺傷事件が繰り返されるという負の連鎖が生じるという可能性が捨てきれない気がします。

 実はもうひとつ、もしかするとつながっているかもと疑われているのが、「少年A世代」です。19976月に、後に「少年A」として有名になる「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る14歳の少年が神戸で児童殺傷事件を起こし逮捕されましたが、この「少年A」と同学年である17歳の少年が、「少年A」に憧れ引き起こした事件が、20005月に起きた「佐賀バスジャック事件」です。この事件でも、たまたま乗り合わせた60代の女性が殺されています。またこの事件の数日前に、愛知県で同い年の17歳の少年が「人を殺す体験をしてみたかった」と見ず知らずの60歳代の女性をやはり殺しています。そして、上にのべた秋葉原無差別殺傷事件を起こした犯人も、この「少年A」と同学年の当時25歳の青年でした。

 たまたまかもしれません。実際、探したら、同じ日の殺人事件も同じ世代の殺人犯も見つかるだろうとは思います。しかし、関連がないと言い切ることもできないような気がします。来年以降、68日、9日あたりは、見知らぬ人の行動が気になってしまいそうです。

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676号(2018.6.13)新入社員

 先日、某銀行へちょっと面倒な手続きをしに行った時のことです。爽やかな若手男性行員が対応してくれました。非常にメリハリのきいた話しぶりで、できそうな行員さんだなと思ったのですが、ちょっと質問をすると、「すみません。ちょっと調べてきます」と奥に消えたり、近くにいる女性行員に尋ねたりをしばしばするので、これはまだ慣れていない人なんだろうなと思い、「何年目?」と聞いたら、「すみません。1年目です。配属されたばかりなんです」という答えでした。そうかあ、1年目でもこうやってもう窓口対応をするんだなと、当たり前のことですが、興味深く思いました。OJTとか言うのだったでしょうか。仕事をしながら、学んでいくというやり方なんでしょうね。

私の手続きはちょっとだけ面倒なものだったので、たぶん新人の彼にとっては初体験だったことでしょう。いかにも慣れていない感じで時間も予想以上にかかりましたが、手間取って、あせりながらも、爽やかさを失わない彼の態度は好感が持て、最後は「頑張ってね」と元気づけてその場を去りました。通常効率よく対応してくれないと、いらいらする私ですが、この時はなんか親心のようなものが湧いてきて、笑顔で彼の仕事ぶりを眺めていました。標準語を使っていたので関東の人かと思いましたが、関西の人でした。ふと、そう言えば今年卒業したゼミ生たちもあちこちで、今こんな経験をしているんだろうなとちょっとなつかしく思い出しました。3カ月前まで大学生だった人が、顧客からは1人前の社員として見られる仕事をしなければならないのですから、大変でしょうね。思わず、「みんな、頑張れ!」と言いたくなり、ここにも書いてみた次第です。

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675号(2018.6.10)新幹線での無差別殺傷事件に思うこと

 新幹線に刃物を持った男が乗り込み、3人の乗客が死傷しました。私もよく新幹線を利用するので、もしもこんな人間と同乗してしまったらと考えると本気で怖いなと思います。新幹線の通路を歩く人間をいちいちチェックしていないので、無差別殺人をするつもりで、通路側に座っている乗客の首でも切りつけるような人間がいたら、簡単に成功してしまうでしょう。しみじみ怖いと思います。この事件で、「新幹線も飛行機に乗るときのように手荷物検査をしたらいいのでは」という声が出てくると思いますが、のぞみだけでも10分ごとに走らせており、ひかりやこだまを入れたら、5分おきくらいに運行している新幹線で手荷物検査をするのは無理があると思いますし、JRもそのつもりはないでしょう。ということは、どんな危険物も持ち込める状況は続きます。今回の事件の記憶が薄れるまで、同じ車両に奇妙な人はいないか気になりそうです。

 しかし、考えてみると、飛行機に乗る時や極少数のイベント以外では、手荷物検査はめったにないですよね。通勤電車に乗る時も、都会の人気スポットに行く時も、手荷物検査などされませんから、どんな危険物でも持ち込めるし、やろうと思ったら無差別殺人もできるわけです。いや、危険物などなくても、ホームや階段から人を突き落とすような行動をする人間がいたら、簡単に死傷事件は起きてしまいます。ヨーロッパでしばしば起きている自爆テロなど、日本で企画したら、簡単にできてしまいそうです。

 こういうことを考え始めると、ありとあらゆるところに危険が潜んでいて、家から出たくなくなりそうですが、もちろんそういうわけにはいきません。じゃあどうしたらいいかと言えば、そういうことはめったに起きないと信じて生きるしかないように思います。都会を歩いていて、ビルの屋上から飛び降り自殺をした人が自分の上に落ちてくることに怯えて、上を見ながら歩いている人がいないように、新幹線でも通勤電車でも都会の人混みでも、刃物を振り回す人に出会うことはほぼないと思って生きるしかないと思います。どんな社会でも、無差別殺人をしようとするような人間が0になることはないですが、出会う確率は限りなく0に近いと思いながら生きないと、人は社会で生きられません。

 こうやって考えてくると、なぜ空港だけはあんなに手荷物検査が厳しいのかもちょっと疑問に思えてきます。飛行機に乗る人には危ない人がいる確率が他の乗り物よりも高いとは言えないでしょうから、空港だけあんなに厳しくしているのはなぜなのでしょうか。危険物を使って飛行機を乗っ取るようなハイジャック事件がこれまでに数多くあったかと言えば、それほど多かったとも思えません。むしろ、飛行機という乗り物が万一落ちた場合にはほぼ全員死亡してしまう大惨事になるという印象が強く、そうならないようにするために、少しでも危険なものの持ち込みは減らそうということなのかもしれません。しかし、やろうと思ったら、危険物とみなされないようなものでも加害行為には及べるでしょうし、どれほどあの手荷物検査が効果的なのかはよくわからない気がします。みんな、なんとなく飛行機に乗るときはそういうものと思っていますが、案外なくても危険度は変わらないのかもしれません。社会をともに形成している他者を信じて生きるしかないという観点から見たら、空港の手荷物検査は不要なほど厳しいと言えるかもしれません。

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674号(2018.6.9)就活を10年ごとに振り替える

 6月に入り、公式の選考開始日が過ぎ、学生たちの就活も佳境に入ったかと思われそうですが、今年はもうすっかり終盤戦という印象です。5月までに多くの学生が内定をもらっていて、実質的に6月を待たずに就活を終えていた人も多かったようです。久しぶりの「超売り手市場」になっていました。労働市場は人手が足りないという声ばかりで、いかにして外国人労働者を使えるようにするかという議論も頻繁になされるくらいで、まるでバブル期を思い起こさせるような状況です。それにしても、大学生の就職状況は、その時々の経済状況に大きく影響されます。学生にとっては、自分ではどうしようもないような状況で、当たり年の学年、そうでない学年が出てしまいます。私はもう35年以上大学教師をやっていますので、そうした学生たちの一喜一憂をすぐ近くで見てきました。ここで、ちょっとこの就活というものを時代とともに振り返ってみたいと思います。すべて振り返るのは大変なので、10年おきに振り返ってみたいと思います。カッコ内はその年に就活をしていた片桐ゼミの学年を表します。

 2018年(24期生):超売り手市場。水面下で内々定がどんどん出てしまうため、31説明会開始、61日選考開始を、2014年までの121日説明会開始、41日選考開始に戻そうという空気が高まりつつあります。(ちなみに、私はもともとその方がいいと思っていましたし、きっとそう遠くないうちに戻るだろう思います。)しかし、就活がいいからと言って、日本の経済が本当によい状態なのかはかなり疑問です。

 2008年(14期生):この年は夏までは売り手市場でした。2004年、2005年くらいから、団塊の世代の退職にそなえて、企業が新人の採用に積極的になり、ようやく就職氷河期が終わったという印象を与えていました。しかし、9月にリーマンショックが起き、状況は一変します。この後、超円高に進んだこともあり、2012年くらいまでは、就職の厳しい時代が続きました。

 1998年(6期生):就職氷河期の真っ只中の頃で、学生たちは苦労していました。前年の1997年に北海道拓殖銀行と山一証券という大手金融機関が倒産し、すべての国民が1980年代後半から1990年代初頭の好景気は、バブルだったのだということに気づかされた頃でした。4回生にならないと企業も人員採用のための活動をしてはいけないということを定めていた「就職協定」がなくなったのも、1997年のことでした。当時まだその変化に十分気づいていなかった私は、就職活動でゼミのレポート発表の準備をできなかった学生を強く叱責したりもしていました。そう言えば、この頃はまだ「就活」という言い方は誰もしていなくて、学生たちも普通に「就職活動」と言っていました。

 1988年(桃大5期生):バブル経済の真っ最中で、超売り手市場の時代でした。まだ私は若い教師で学生の観察も十分ではなかったのですが、学生たちが就職活動で疲弊しているようにまったく思いませんでしたので、やはり楽な就職の時代だったのだろうと思います。「就職戦線異状なし」という、バブル期の大学生たちの冗談のような楽すぎる就職状況を描いた映画が公開されたのは、1991年のことでした。また、男女雇用機会均等法が施行されて3年目で、女子学生たちにとっても就職の門戸の開かれたよい時期でした。

 こうやって見てくると、本当にその時々の状況で就活は違ったのだなということがわかると思います。今は、学生たちもしばらく就活は楽だろうと思っている雰囲気がありますが、社会情勢が大きく変わる何かが起これば、あっという間に就活状況も変わります。しかし、どんな時代でも、社会が求める人材はほぼ同じなので、そういう魅力的な人間に自分がなっていれば、どんな社会状況になろうともしっかり自分の人生を切り開いていけますので、ぜひそういう人間になってもらいたいものだと思います。

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673号(2018.5.26)いろいろまとめてコメントします

 次々に新たなニュースが生まれてきて、ちょっと更新せずにいたら、あっという間にコメントしたくなるテーマが溜まってしまいました、なので、ここで、ある程度一気に片づけることにします。

(1)  米朝首脳会談について:昨日トランプ大統領が会談中止と言い、今日になって、南北首脳会談が電撃的に開催され、まだ調整がなされているといった情報が流れています。私は、米朝会談は開催されると一貫して思っています。というのは、二人の首脳がともに、この会談をやりたいと思っているからです。金正恩はこの会談を実施して、北朝鮮を少しでも普通の国家に思われるようにしていきたいと考えていますし、トランプはこの会談をやって自分の名を歴史に残し、ノーベル平和賞を欲しいと思っているからです。トランプは、国際社会にとって本当はどうしたらいいかなんてことにはほとんど興味がない人間です。ただ、自分の利益のみ考えている人間です。なので、名が上がる大きなチャンスである、米朝会談を中止するはずはありません。

(2)  西城秀樹逝く:私と同学年の有名人がまた1人亡くなりました。63歳という年齢は若い人から見たら、それなりに生きてきた人という印象かもしれませんが、同じ年齢を生きてきた人間としては非常に早く感じます。私の同学年は結構有名人が多く、その分ここ数年、早々と亡くなってしまう人も結構います。中村勘三郎、坂東三津五郎、千代の富士、などが亡くなってしまった同学年の有名人です。もちろん、まだまだ元気な同学年も多く、西城秀樹とともに新御三家と呼ばれた郷ひろみや野口五郎は今回広く認識されたでしょうが、他に、明石家さんま、桑田佳祐、役所広司、上沼恵美子、江川卓、掛布雅之、などたくさんいます。「しらけ世代」と言われた世代ですが、内に秘めたエネルギーはたくさんあって、前の世代のように大学紛争などに使うこともなく、後の世代のように遊びにも使わず、自分なりの道を必死に探した世代だったのかもしれません。同じ時代を生きてきた有名人が亡くなるといろいろなことを考えてしまいます。

(3)  イニエスタは活躍するか:今は、一時的にイニエスタ・ブームのようになっていますが、私はW杯後、イニエスタが本格的にJリーグに参加し始めて半年も経ったら、イニエスタ人気は消えていると予測しています。MFは基本的によいFWとのコンビで初めてその技量が輝きます。バルセロナには、メッシをはじめとする素晴らしいFWがいましたが、ヴィッセル神戸にはそれほどのFWがいるのでしょうか。ポドルスキは名前が通っていますが、イニエスタとのコンビでどこまでできるでしょうか。それなりにはできるかもしれませんが、メッシのようにはいかないでしょう。MFもジーコのような強い指導力まで持っていたらチームを変えることができるかもしれませんが、イニエスタは見た感じ職人肌でそんな強いリーダーシップは取らなさそうな気がします。33億円もらって選手生活の晩年を、治安がよく食事も美味しい日本で家族と過ごせればいいという本音は確実に持っている気がします。まじめそうな選手ですから、それなりに頑張ろうとするかもしれませんが、彼1人の存在で、ヴィッセル神戸が一気に優勝候補になるほど、サッカーは簡単ではないと思います。あと、2枚目ではないので、ミーハーのサッカー女子が食いつきそうもないのもイニエスタ人気が去りやすいと予測する理由のひとつです。

(4)  日大問題:アメフトの試合における悪質タックルの問題は、今や日大の組織問題、体質問題になっています。理事長が出てきて謝罪し、内田前監督を常務理事解任にでもしない限り、この問題は収まりません。まあ、この問題はマスメディアで毎日詳しく報道していますので、あまり詳しく触れなくてもいいでしょう。唯一触れておきたいのは、日大に限らず大学が名を上げるためにスポーツに力を入れるのを当たり前と考える最近の風潮です。スポーツは好きですし、ある程度大学がスポーツに力を入れることも否定するものではないですが、スポーツだけやってきたような人間が権力の頂点に立つのは、学問の府としてはもう少し懐疑的であってもいいのではないかと思います。

(5)  森友問題:財務省の交渉記録廃棄、それをないと強弁してきたという官僚としてのあるまじき行為を軽く頭を下げただけで、誰も責任を取らないというのは本当に信じられません。普通なら、財務大臣が責任を取ってやめるはずです。しかし、内閣支持率が極端に落ちないことをいいことに、安倍首相は麻生財務大臣をやめさせようとしません。あと、安倍昭恵氏のあきれかえるほどのハートの強さに驚きます。自分の存在がこの問題で重要な役割を果たしたことを絶対認識しているはずですが、なんで、あんなに普通にニコニコと外遊に行けるのでしょうか。普通の人間なら、精神的に参って入院とかになりそうなものですが、、、

(6)  加計問題:加計学園も、安倍首相も、柳瀬総理秘書官も、日大元監督以上の大嘘つきです。会ってない、聞いてない、話してない、なんてありえません。本当は、友だちだから、会ったし、聞いたし、話したけれど、だからと言って、それで加計学園に獣医学部増設を認めたわけではないと言えば済んだ話だったのに、これだけ嘘をつかなければならないというのは、そうではなかったということなんでしょうね。森友問題以上に、安倍首相が直接的に影響を及ぼした要素が強い問題です。しかし、なんとなく安倍首相でいいんじゃないという世論の空気が変わらない限り、いずれこの問題も消えていくことになるのでしょうね。

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672号(2018.5.5)SNSを見ているだけというのはおかしいと思う

 SNS全盛時代で、多くの人がいくつものSNSをやっていると思います。私もフェイスブックだけですが、もう56年やっています。最初のうちは、あまり投稿もせず、見るのもたまにという感じでしたが、最近は孫が生まれたこともあり、プライベートな情報を中心にかなり頻繁に投稿しています。自分が投稿するようになったら、コメントや「いいね!」もいただくので、こちらもコメントや「いいね!」をよくつけるようになりました。私の方針は、誰とでも友達になるわけではなく、プライベートな情報を見てもらっても構わないと思える教え子を中心に限定した数の人だけしか友達にならず、投稿情報はそのハードルを超えられた友達限定公開です。あまりよく知らない人がメッセージもなく友達申請をしてきても承認しませんし、現役のゼミ生が申請してきても、学会関係者が申請してきても基本的には断っています。

 こういうかなり高いハードルをかけているので、私が友達になっている人は、たまにはコメントをくれたり、「いいね!」をつけてくれたり、自分自身が興味深い投稿をしてくれたりする人がほとんどですが、それでも中には何の反応もない人もいます。若い人は、フェイスブックよりインスタグラムやツイッターが中心でしょうから、見てないという人もいる気がしますが、見ているのに一切反応しない人もいます。たまに、「私は見るだけですから」と堂々と言う人もいますが、それはおかしいのではないかと思います。それって、言ってみたら、他人の生活を気づかれないように、そっと覗き見しているようなものではないでしょうか。自分自身の意見や考え、生活ぶりは一切隠して、他人の意見や考え、生活はこっそり覗きますなんて、まっとうな関係が築けません。私は、そういう行動を取る人なんだなと思ったら、友達からはずさせてもらっています。

 コメントを書くと「友達の友達」にまでそのコメント内容が通知されるのが嫌だからと言う人がいますが、「いいね!」をつけるだけなら、それはないはずですし、そもそもそこまで自分の考えや意見を知られたくないというなら、他人の考えや意見にも興味をもたず、SNSをやらなければいいのです。どうも日本人は「沈黙は金」とか「余計なことは言わないのが一番」といったくだらない考えの持ち主が多く、意見表明をしない方がいいと思っている人が多すぎます。ゼミだったら、一切喋らず、うなずきもせずに、無表情で他人の話を聞いているだけの学生なんて、魅力ゼロです。就活のグループ面接で、そんな態度を示したら、即刻落ちます。SNSという人間関係においても同じではないでしょうか。何も反応しないことにまったく心の痛みを感じないような人とは私は付き合えません。投稿がなくても、コメントがなくてもいいです。「いいね!」くらいは、興味を持って読ませてもらっていますという意思表示のために、たまにはつけるくらいのことはすべきです。それすらしたくない人は、SNSをやめた方がいいです。

 「インスタ映え」ばかり狙ってしょうもない情報を流す人がよく非難されますが、何も反応を示さず、そっと他人の生活を覗いている人の方が気持ち悪いです。ちなみに、何でも書けばいいのだと言っているわけではありません。読む人を想定して、その人たちになるべく不快感を与えないような情報の提示の仕方は考えるべきでしょう。もちろん、孫の写真でも、孫や子どもを欲しいと思っている人には辛い情報になるかもしれませんが、その辺は許されるべき範囲だと思います。個別にそう思っている人にそういう写真を送りつけるのであれば許されないと思いますが、様々な立場の友達が読むSNS上では許されると思います。「全面的に公開」なのか、「友達限定」か、さらにはカスタマイズして「選んだ数人だけの友達限定」なのか、「たった1人相手」なのか、そうした違いも意識しながら、異なるコミュニケーションを取ることができないといけないのは、SNS上のことだけでなく、通常の人間関係においても一緒でしょう。わずかな情報も知られるのが嫌だから、一切反応せずに読むだけにしていますなんて人は、通常の人間関係もうまくできないと思います。

まあ、SNSの場合、多くの人は私と違って、「友達申請」されたら断れず、「友達」の範囲が広がりすぎてしまっているというのも、反応できなくなっている一因だと思います。しかし、これもそもそもたいして親しくない人とも「友達」になってしまうからだめなのです。断ることができないなら、少し時間が経ってから「友達」からはずしてしまえばいいのです。「そんなことをしたら角が立つからできません」と思うなら、最初からSNSをやらない方がいいと思います。対面的な人間関係においても、いったん友達になった人と、いつのまにかただの知り合い、さらには連絡も取り合わない関係になったなんてことは日常茶飯事のはずです。SNSで一度「友達」になった人を、そうでない関係にしたとしても、それほど問題行動ではないでしょう。SNSという新しいメディアを利用した人間関係であっても、基本は通常の人間関係の運用方針と一緒だと私は思っています。

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671号(2018.5.3)東播磨の自虐CM

 FBを見ていたら、「兵庫県東播磨県民局」が東播磨(明石市、加古川市、高砂市、稲美町、播磨町からなる地域)の宣伝のために、自虐的な動画CMhttps://kobe-journal.com/archives/6810547133.html)を作成したところ、それに明石市がクレームをつけ、動画配信停止になり、その後また復活するという興味深いニュースが配信されていました。結構ゼミ生にもこのあたり出身の人がいるので、思わずどんなものだろうと思って見てみました。CMはアイドルグループ「HYOGO」のメンバーとして、「神戸ちゃん」「東播磨ちゃん」「姫路ちゃん」の3人がいるという設定になっていて、「東播磨ちゃん」は3人の中でどうしても地味だよねと言われています。ウリはなんだと言われ、東播磨の名物がいろいろ紹介されるという動画です。見た率直な感想としては、クレームをつけるほどのものではなく、それなりにちゃんと東播磨を知ってもらうCMになっているのではと思いました。「東播磨ちゃん」は地味とは言われても、人気の「神戸ちゃん」と「姫路ちゃん」を差し置いてセンターを張っているわけですし。(まあ、地理的位置がそうなっているからなのでしょうが。)

 ここでこのCMをわざわざ取り上げてみようと思ったのは、実はこのCMが潜在的逆機能をもたらしているのではないかと思ったからです。「東播磨」にとっては、ちゃんと顕在的順機能を果たしているCMだと思いますが、その陰で、チーム「HYOGO」に入れてもらえなかったたくさんの兵庫県の各地域があり、それらの地域にとってこそ、このCMは潜在的逆機能を果たしており、クレームをつけてもいいのではと思ったからです。昔、一時的に流行した「アホバカ日本地図」という本の中で、「兵庫県」は「神戸県」と思われているというのがありましたが、このCMはそこまでひどくはないものの、東播磨の東側には神戸しかない――西宮も宝塚も芦屋も伊丹も尼崎もあるのに――ことになっているし、西側は姫路しかない――赤穂も相生もたつのもあるのに――ことになっています。ましてや北播磨、丹波、但馬、そして淡路は緑色で塗られただけの、まるで前人未到の空白地帯のようになっています。まあ神戸より東の自治体はそれぞれ独自の存在感を持っているので、「チーム・HYOGO」に入れてもらえなくても気にしないかもしれませんが、姫路以外の西播磨の自治体や、北播磨(という言い方があるかどうかわかりませんが)、丹波、但馬の自治体にとっては、「チーム・HYOGO」に入れてもらえないのはなかなか痛手ではないでしょうか。16人グループくらいにしてもらったら、もっと選抜されたのでしょうが(笑)

でも、兵庫県は広いので、16人でもなかなか激戦でしょうね。絶対的エースの「神戸ちゃん」と対抗馬の「姫路ちゃん」。周りを摂津の人気メンバー「西宮ちゃん」「宝塚ちゃん」やお嬢様アイドル「芦屋ちゃん」が囲み、色物アイドル「尼崎ちゃん」や歴女アイドル「赤穂ちゃん」などがその後ろに控えるという感じでしょうか。北播磨、丹波、但馬の自治体アイドルたちは、やはり地味でなかなか選抜されなさそうです。なんか、これ本気で面白くできそうです(笑)兵庫県観光局さん、どうです、「兵庫県総選挙」、本気で考えてみませんか?

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670号(2018.4.30)懐かしのメロディーを楽しんでいただけだったのに……

 もうかなりの歳になった歌手たちが昔のヒット曲を歌う「懐かしのメロディー」といった歌番組は、昔はこんな番組何が面白いんだろうと思っていましたが、やはり60歳も過ぎてくると、青春時代の歌を流してくれる番組があるとつい見てしまったりします。10代後半から20代前半くらいの歌が一番懐かしく感じます。まあ、この感覚はみんな一緒なんでしょうね。個人的に好きなのは、現在の老いた姿で歌うのではなく、昔の映像で見せてくれる番組です。今日、TBS系列で放送していた「あなたが聴きたい歌の4時間スペシャル」は、割と昔の映像が多く、途中でかけたのですが、妻と二人で懐かしいねと言いながら見ていました。余談ですが、過去に一度もしたことがない、カラオケに2人で行ってみようかなんて話までしました(笑)。

 で、途中までそんな感じで単純に楽しく見ていたのですが、司会の安住紳一郎アナウンサーのある曲の紹介から、自分の中の妙なスイッチがはいってしまい、それ以降は純粋に歌番組として楽しめなくなってしまいました。その曲とは、ばんばひろふみの「『いちご白書』をもう一度」だったのですが、この曲紹介で、安住アナウンサーが、「安保闘争で揺れる70年代。……(中略)……1975年のヒット曲です」と紹介したのです。思わず、「ちょっと待った!」と言いたくなりました。1970年代は、もう安保闘争で揺れたりしていません。映画「いちご白書」は、1968年に起きたコロンビア大学での学園紛争を映画化したもので、1970年に日本で公開されています。この歌の作詞作曲は、当時まだ荒井由実という名だった松任谷由実です。当然、ユーミンは日本の60年代末の大学紛争時代の学生をイメージして、この曲を作っています。1960年代後半から1970年代初めにかけて、アメリカも日本も大学紛争が激しさを増しました。そして、1970年代半ばにはその空気がほぼ静まっていました。まさに、その時代の変化を、ユーミンは「『いちご白書』をもう一度」という歌詞でよく表しています。

 この曲紹介は、安住アナウンサーが自分で考えたものか、台本かわかりませんが、少なくとも、この間違った曲紹介をチェックできる人が1人もいなかったのだろうかとちょっと嘆かわしくなりました。正確には、「学園紛争に揺れた60年代。そして、その波の去っていった70年代。……(中略)……1975年のヒット曲です」という紹介なら正しかったのですが。ちなみに、しばしば混同されますが、1960年代の大学紛争の最大のテーマは、学費値上げや大学の自治や管理体制の問題であり、安保問題ではありません。安保で揺れたと言える時期は1950年代末から1960年です。1960年に締結された安保条約が10年の期限付き条約で、その後は1年前に予告すれば破棄できるという内容だったため、1970年も日米安保をめぐって反対運動が盛り上がったと思っている人が多いのかもしれませんが、安保問題をめぐっては大きな盛り上がりはありませんでした。1960年の反安保の運動に参加した少なくない知識人が、1960年代末の大学紛争では批判されるべき権威者たちとされています。つまり、1960年までの運動と、1960年代末の運動はかなり質を異にするのです。このあたりの変化をちゃんと理解できているテレビ局の人間が減っているのでしょう。まあ政治部あたりの人ならわかっていると思いますが、歌番組ですからね。チェックが甘かったのかもしれませんが。

 この変なスイッチの入った状態で、今度は武田鉄矢の「母に捧げるバラード」を聴いていたら、これは今の時代なら批判されヒットすることのなかった曲だなと、妙な感想を持ってしまいました。小学校4年からタバコを吸っていたとか、父親が酔って帰ってきて自分に手を出したからおまえが生まれたといった部分は今日は全部カットして歌っていましたが、残して歌っていた部分も、今の時代ならアウトです。それはどんな歌詞かというと、「ぼくに人生を教えてくれた/やさしいおふくろ/(中略)/行ってこい!どこへでも行ってきなさい、テツヤ/(中略)/死ぬ気で働いてみろ、テツヤ/働いて、働いて、働きぬいて/遊びたいとか、休みたいとか、そんなことおまえ、いっぺんでも思うてみろ/そん時きゃ、そん時きゃ、テツヤ、死ね!/それが、それが人間ぞ。それが男ぞ。」これが武田鉄矢の母親が教えてくれた人生です。1973年に発売され、大ヒットするわけですが、この頃は、みんなこういう歌詞をあまり疑問を持たずに、心に染みるいい歌だと思って聴いていたわけですが、今もしこういうことを言う母親がいて、疲れ切っても休まずに本当に死ぬことになったら、その母親は世間から批判されるんだろうなと思ってしまいました。いや、この歌自身が昔の歌であっても、働きすぎを是とする歌だと批判され、お蔵入りになる日も近いのではないかとすら思ってしまいました。

 懐かしのメロディーを妻と楽しんでいただけのはずだったのですが、途中から社会学的な番組チェックになってしまいました(笑)。

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669号(2018.4.20)抽象語あいうえお表

 孫にひらがなを教えながら、「あ」は「あひる」、「い」は「いぬ」といったように、確かに最初は具象的なものと関連付けながら言葉って覚えるものだよなと素直に感じていたのですが、毎日のように、そうしたひらがな表を見ているうちに、具象的に表せない言葉によるひらがな表を作ってみたくなりました。それが下記の「抽象語あいうえお表」です。どの言葉を選ぶか、音のリズムなどかなり悩みました。なるべく絵に描けない言葉にしたかったのですが、なかなか完璧にはいっていませんが、とりあえず公開してみます。もっと他の言葉に変えた方がいいというご意見もあるかと思いますので、適宜改善をしていきたいと思います。

こういう抽象語は何歳くらいから知る言葉になっていたでしょうか。案外誰もちゃんと教えてくれないので、意外に大学生でも正確な意味がわかっていないという人もいそうですね。でも、社会学を考えていく上では、大事な言葉も多いです。ということは、人が生きていく上ではこういう抽象語が重要な役割を果たしているということです。中学生になったら、こういう抽象語あいうえお表で言葉を覚えるというのもありかもしれませんね。

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668号(2018.4.14)100均」のすごさ

 何を今更という感じかもしれませんが、日本の「100円ショップ」というのはすごいですね。質やブランドにこだわらず使用価値だけを求めるなら、日用品はほぼ何でも「100円+消費税」で買えます。私は、「記号消費」にほとんど価値を置いていない人間で、「使えればいい」という「使用価値重視」の人間なので、100均は非常にありがたいです。ただ、そうは言っても、自分では実際には100均でものを買うことはそれほどなく、いつも買っているのは、大きくて書き込みのしやすいカレンダーくらいで、あとはあまり買っていませんでした。でも、「ゼミの集い」などで、何か必要なものがあると、ほぼそれらは100均にあると学生たちが言い、実際買ってきてくれるので、その品揃えの豊富さに感嘆していました。たまに自分で覗いた時には、「へえー、こんなものも100円で売っているのか」と驚くことが多かったくらいです。

 今回改めてこのテーマで書いてみようと思ったのは、今、孫がうちにいて、その孫のために使えそうなものは何かないかなと思ったら、まさに100均にたくさんのいい物があり、中には、昔だったら、これは当時の価格でも1000円くらいはしたのではと思うものが100円で売っていて驚いたからです。この半月ほどの間に、私が買ったのは、小さなプラレールのようなおもちゃ、お風呂に貼る「ひらがなシート」、水鉄砲などです。プラレールのようなおもちゃは、まっすぐなレールが8本と湾曲したレールが8本入っていて、ゼンマイのついた先頭車両1両と車だけの客車2両がついています。レールは16本を使っていろいろな形にでき、その上をちゃんと電車が走ります。100円だからうまく動かなかったりするかもしれないなと疑っていましたが、どうしてどうして十分な機能を持っています。「これが100円かあ。昭和30年代なら1000円するなあ」と感心したのが、このおもちゃです。ひらがなシートもカラフルな絵のついた大判のもので、水につけただけで簡単に壁に貼れ、簡単にはがせます。これも1000円くらいでも買ってやろうと思っていたものでしたが、「これも100円かあ」と驚いたものです。数字と九九のシート、アルファベットのシート、地図のシートなどもあり、いずれ少しずつ買っていくことになりそうです。水鉄砲は昔も安かったとは思いますが、100円で3丁も入っているんですよ。昭和30年代なら、1100円くらいしたんじゃないかなあ。なんでもびっくりするほど安いです。そうそう、ルービックキューブも100円で売っていたので、思わず孫のためかどうかわかりませんが、思わず買ってしまいました(笑)

 私の子ども時代はもちろん、80年代の終わりから90年代前半にかけて、私が子育てに深く関わっていた頃は、まだ100円ショップはこれほどたくさん存在していませんでした。90年代後半くらいから一気に普及していったように思います。この普及の最大の要因は、円高です。19859月の「プラザ合意」まで1ドルは250円前後でした。それが、プラザ合意以後一気に円の価値が倍くらいになり、輸入品は一気に安くなりました。また、グローバリゼーションの進行もそのあたりから急速に進んでいきますが、人件費の高い日本国内で生産せず、人件費の安い海外で生産し、それを日本に逆輸入するということが一般化していったことが、第2の重要な要因です。そして、そうした海外生産を可能としたコンピューターの発展が第3の要因として挙げられます。昔は、日本のち密な職人仕事があって初めてできていた製品が、コンピューターのプログラムで誰でもできるようになって、海外での生産も可能になったわけです。こうした条件が1990年台後半に整ってきて、現在の100円ショップが当たり前の時代がくるわけです。

このように、われわれが今普通に享受していることが、少し前まではそうではなかったという事実を知るのは、社会学を考える第一歩になります。ぜひ、みなさんも感性を研ぎ澄ませて、そうした興味深いものを見つけてみてください。

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667号(2018.4.3)早生まれ

 新年度が始まりましたね。今年ほど、早く新年度――というか42日――になってくれと思っていた年はなかったかもしれません。というのは、第2子出産のために里帰りをしてきている娘が、かなりの早産になってしまう可能性があるのではと、ハラハラしていたからです。お医者さんには入院を勧められたのですが、家で安静にすることを条件に断ってしまったのです。しかし、14か月の子もいるし、性格的にもおとなしく寝ているということが苦手なタイプのため、ちっとも安静にしてくれません。予定日は511日なので、4月下旬くらいまではもたせないといけないのですが、無理なのではと本気で心配していました。(今でも、ですが。)どんなに早まっても、早生まれの最終日である41日は超えて、早生まれになるのだけは避けてほしいと強く願っていたため、42日が早く来てくれと思っていたわけです。

 なぜ早生まれを避けたかったのかを改めて考えてみると、やはり同じ学年の子たちと下手をすると1年違う状態で様々なことをスタートさせなければならないのは不利になると思ったからです。小学校入学で考えると、4月、5月生まれの子ならすぐに7歳になるわけですが、3月生まれ(41日まで含む)の子だと6歳になったばかりで入学ということになります。7歳に近い子と、6歳になったばかりの子では、当然ながら成長度合いがかなり異なります。昔、私が小学生だったころは、知能テストというものを全員受けさせられ、その結果が教室に棒グラフで貼りだされました。今では信じられないような教育ですよね(笑)そしてその頃は、生まれ順別出席番号でしたので、出席番号順に棒グラフが右下がりになっていることが多かったのです。私は5月生まれで、あまりそのことを意識していませんでしたが、3月生まれの友人は強く印象に残っていると、成長してからもずっと言っていました。中学入学の頃までには、1年の差は大分小さな差になると思いますが、小さい時から「できる子だ」と言われるかどうかは、本人のやる気に大きな影響を与えることが多いです。(もちろん、そうならないケースも山のようにありますが。)血縁の関係者としては、なるべく不利にならないように人生を始めさせたいと考えたため、私の「早生まれだけにはならないでくれ」という思いになったわけです。

 しかし、教え子にはたくさんの早生まれの人もいますし、こんなことばかり言っていては申し訳ないので、早生まれにはこんないいこともありますよねと書いてみたいと思ったのですが、ちょっとだけ若く思われるという以外に、早生まれのメリットがあまり浮かんでこないのです。年度でスタートが決まっていることもありますが、他方で満年齢で決まっていることも多いです。投票権はすでに18歳になりましたし、成人年齢もじきに18歳になります。参議院は毎回夏に選挙が行われますので、その時点で高校3年生の人は、早生まれだと投票権を得られませんが、4月から6月までに生まれた人なら高校時代に選挙に行けます。飲酒も20歳から可ですので、早生まれだとほぼ大学2年生の間は飲んだら違法になってしまいます。また、年金は満年齢で支給されますが、仕事は年度終わりで退職になるという制度になっているところも多いです。なので、たとえば4月生まれの人なら6011カ月まで給料をもらい、その後65歳の誕生日まで41ヶ月頑張れば年金が支給されることになりますが、3月生まれの人だと601カ月までしか給料はもらえず、年金支給までは411ヶ月も頑張らないといけないことになります。なんか早生まれはすごく損な気がするのですが……。

 いやいや、そんな不利な面ばかりではない。実は早生まれはこんな有利な面があるということがあったら、ぜひ教えてください。認識を改めますので。

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666号(2018.3.15)「今朝 たんと 飲めや あやめの 富田酒」

 高槻市の富田という所は、名前もありふれているし、お米のよく取れる田がたくさんあった所なんだろうくらいの意識で、長年まったく関心を持ってきませんでしたが、少し調べてみたら、なかなか面白そうな所のようだったので、歩いてみました。

まず、タイトルに使ったのは、松尾芭蕉の高弟・宝井其角(1661年〜1707年)が詠んだ回文俳句です。江戸時代前期の江戸に住んでいた俳諧師に詠まれるくらい富田の酒は有名だったようで、江戸初期の頃は、伊丹、池田と並ぶ三大名産地とも言われ、1600年代半ばには24軒もの造酒屋があったそうです。しかし、その後、西宮や灘といった海運のよいところの酒が樽廻船で、どんどん江戸に下るようになると、富田の造酒屋は衰退せざるをえなくなったそうです。今現在残る酒屋は2軒だけとなっていますが、いずれも昔ながらの建物を残しているので、風情があります。

 そしてお寺も多く、町に落ち着きを与えています。特に、普門寺というお寺に関しては、その歴史を知り驚きました。もともとは、室町時代に、現在本照寺があるところに建てられたそうですが、1561年に今の場所に堂宇が建てられました。これは、三好長慶に実権を奪われた最後の管領・細川晴元をここに幽閉するために造られたもののようで、結局晴元はこの寺で生涯を終えています。その後、足利14代将軍義栄が織田信長に四国に追われるまで2年間ここに滞在したそうです。また、羽柴秀吉は、山崎の合戦の前にここで軍議を開き、明智光秀との戦いに臨んだそうです。

 さらに、江戸時代に入ってからは、明から来た高僧で、日本で黄檗宗の開祖となった隠元(インゲン豆の名前の由来ともなった人物)が、宇治に万福寺を開くまで、ここに6年間もいたそうです。その頃まではものすごく広大な寺領を持っていたようですが、その後、長らく檀家も住職もいない寺となってどんどん衰退したようです。ようやく戦後になって住職も常在するようになり、堂宇も1980年代に解体修理され、今は重要文化財になっています。隠元の書と言われる衝立や、狩野永徳の筆と言われる襖絵などが間近で見られますが、ともに保管状態がかなり悪いのが心配です。

 せっかくここまで来たら、総持寺までも歩けそうだったので、総持寺に向かいました。途中、静かで落ち着ける慶瑞寺にもちょっと立ち寄り、総持寺に着きました。到着して驚いたのは、ここは大きな寺院で、また参拝者も非常にたくさんいたことです。西国三十三ケ寺のひとつになっていますので、そういうツアーのお客さんが団体で来ていました。八十八ケ寺とか、百名山とか言われると、すべて行ってみたいと思う人は多いのでしょうね。それにしても、総持寺も名前だけは駅名としてずっと認識していましたが、こんなに立派だったんだと初めて知りました。

 もうこの辺で大分疲れていましたが、せっかくなら、もうひとつ足を伸ばしてみるかと思い、茨木の「川端康成文学館」にも行ってきました。川端康成は大阪市内で生まれますが、小さい時に両親を亡くし、父方の祖父母に引き取られて茨木に住みます。そして、中学は茨木中学(現在の茨木高校)に進学し、その後は一高、東大というコースを歩みます。若い時に、茨木にいたということで、茨木市がこの文学館を作っています。スペースは大きくはないですが、結構中身は充実したよい資料館だと思いました。

 その後、阪急茨木市駅に向かいましたが、途中で、「片桐町」という地名に出会いました。ここ茨木にはかつて城があり、その城の城主として、豊臣家の重臣だった片桐且元が入っていたがゆえに、片桐という地名が残されています、ちなみに、私と片桐且元にはまったくつながりはありません。でも、なんとなく自分の名前と同じ地名の場所というのは気になりますよね。思わず写真を撮ってしまいました(笑)

 以上、富田から総持寺、そして茨木へという散策コースの紹介でした。

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665号(2018.3.13)官僚という生き方

 国税庁長官を辞任した佐川宣寿氏が、麻生財務大臣から「佐川が、佐川が、」と全責任を押し付けられそうになっています。「佐川」と言えば、かつてはパリ人肉事件の「佐川君」がもっとも有名な人物でしたが、今はこの元理財局長で前国税庁長官の「佐川氏」がもっとも有名人となってしまいました。今、彼の心境はどんなものでしょうね。昨年は、なんとか国会を乗り切って、国税庁長官という理財局長からの王道出世コースに乗せてもらえたので、ほっとしていたところに、またこの問題が再燃して、辞任せざるをえなくなった上に、直属の大臣からは「佐川が嘘をついたので、それに合わせて公文書を書き変えなければならなくなった」と、すべての間違いは佐川氏にあったと言われるのを、一体どういう気持ちで受けとめているでしょうか。

ここで泥をかぶって、その後報われることがあるなら、我慢もできるでしょうが、これだけマイナス・イメージのついた佐川氏を天下りで受け入れる組織はあるのでしょうか。まああるのかもしれませんね。財務省としては、組織のために泥をかぶった人間をそのまま見捨てたら、今後のキャリア官僚の士気に関わるでしょうから、どんな立場に追い込まれても見捨てないというところを見せる必要はあるでしょう。どこかの行政法人のそれなりのポジションにつけるのでしょうね、きっと。しかし、偽証罪や公文書偽造という犯罪の責任者ともなれば、それも難しくなるでしょう。そうなったら、佐川氏もすべてを赤裸々に語り始めるかもしれません。(たぶん改ざんに関しては、事務次官を統べる菅官房長官の指示があったのではないかと私は推測します。さらに、安倍総理、麻生財務大臣も知っていた可能性も高いような気がします。)ただし、喋ったとしても、加計問題での前川喜平前文科省事務次官の発言が事態を根本的に変えるに至らなかったように、佐川氏が本当のことを言っても、せいぜい麻生大臣1人くらいのクビを取れたらいい方かもしれません。

そもそも佐川氏ばかり、こんなに悪者にされるのはおかしいのです。確かに、昨年の国会での彼の答弁は木で鼻をくくったような高慢ちきな嫌な官僚像そのままでしたが、この森友学園問題は2013年頃から交渉が始まっており、佐川氏が20166月に理財局長になる前に、林信光(20133月〜20147月)、中原広(20147月〜20157月)、迫田英典20157月〜20166月)という3名の理財局長がいます。間違いなく、この3名もこの森友問題の対応に関わったはずです。というか、森友学園との契約は2016614日なので、その時の理財局長は迫田英典氏です。実は、佐川氏は、この森友契約には直接関わってはいないのです。にもかかわらず、この問題がメディアで取り上げられるようなった2017年に理財局長であったがゆえに対応せざるをえなくなっただけなのです。そんな貧乏くじを引いただけの局長が、大悪人に仕立てあげられそうになっているというのが今の状況です。

どうするんですかねえ、佐川氏は。一昔前までのように、総理大臣もころころ変わる時代なら、総理、官房長官に媚びない生き方も可能だったでしょうが、今は安倍総理、菅官房長官の力が強すぎますからね。睨まれたら、天下り先も与えられなくなりそうですので、安倍、菅コンビに都合の悪いことは一切言わずに、人々の関心がこの問題から去るのを待って、どこかの行政法人に滑り込むという可能性が高いのでしょう。この読みとは違う事態が起こってほしいですが、官僚も生活がありますからね。58歳くらいで、収入なしの生活になるのは佐川氏もまったく考えていない人生でしょう。

波風が立たないところでずっと過ごせれば、官僚という生き方はなかなかおいしい生き方だと思いますが、たまたま貧乏くじを引いてしまうと、本音の言えない辛い生き方になります。現在、改ざん問題で野党の追及を受けている富山一成理財局次長も、貧乏くじを引かされたなあと思っていることでしょう。

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664号(2018.3.5)90年代も昔になってしまった

 最近土曜日にBSジャパンで放送されている映画「フーテンの寅さん」を毎週見ています。山田洋次の演出があまりにパターン化されていて鼻につくので、これまでほとんど見ていなかったのですが、古い町並みが毎回出るのでちょっと見てみようかなと気まぐれで1月ほど前に録画して見てみました。演出は「やっぱりな」という感じでしたが、その後も録画してみようという気になったのは、古い町並みが紹介されているということ以上に、80年代の終わりから90年代の町の風景や風俗が今とはかなり違っていて興味深いと思ったからでした。

198912月公開の「ぼくの伯父さん」という作品から先週放映された199312月公開の「寅次郎の縁談」という作品まで5本見ましたが、90年代は今とはずいぶん違う時代だったんだということを改めて認識しました。今の大学生にとってはまだ生まれていない時代で、今と違うのは当たり前じゃないですかと言われそうですが、60歳代ともなると20数年前はついこないだで、そんなに大きな変化をしていないような気がするものです。70年代くらいまで遡れば、自分自身も青春時代でまったく違う時代だったよなと思えるのですが、90年代というと、もう大学教師になり、結婚もし、子どももいて、基本生活は今と同じだったような気がして、主観的にはそんなに変化していないのではと思ってしまっていました。しかし、改めてその時代の風俗・生活が描かれている作品を見ると、「あれっ、まだこんなんだったんだ」ということに気づかされます。

携帯電話を誰も使っていないのはわかっていたことですが、東京の景色が違います。この映画では寅さんや甥の満男が毎回のように遠くに出かけるので、しばしば東京駅が映り、東京駅を出発してしばらくの間の車窓風景が映ります。その景色が今と全然違って低いビルばかりなのです。今は、高層ビルだらけなので、この映画の中の東京駅周辺は地方中核都市程度に見えます。そして、何よりそうだったかと驚いたのが、19923月まではまだ新幹線の「のぞみ号」がなかったことです。「ひかり号」で名古屋に向かうシーンがあるのですが、「名古屋まで2時間か」というセリフがあり、そう言えば昔はそうだったなと思い出しましたが、もう少し早くその時代は終わったと思い込んでいました。山下達郎の「クリスマス・イブ」で有名な「シンデレラ・エクスプレス」のCMの時の新幹線は「ひかり号」だったんですね。私も新婚当初2年間近く(19851987年)大阪と東京の別居結婚だったので、せっせと新幹線に乗って通っていましたが、あれも「ひかり号」だったんだと忘れていた事実を思い起させられました。

 80年代終わりから90年代はじめはまさにバル経済の時代ですが、今から見たら、まだまだ東京は発展途上の年だったわけです。大体20年くらい時間が経つと、大分昔のことになったなあと人は振り返るものようです。あと10年もしたら、今度は2000年代をこんな気分で見るようになるのでしょうね。来年で平成が終わることが決まっていますので、1980年代終わり――平成元年は1989年――から最近までの平成を映像で振り返るという番組企画がどんどん増えてくるはずです。若い方たちもぜひこの機会に、そういう番組をしっかり見て、近過去について知識を持ってほしいものだと思います。

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663号(2018.3.2)また国民栄誉賞?

 どうやら、フィギュアスケートの羽生結弦選手に国民栄誉賞が与えられるようです。こないだ、将棋の羽生永世7冠と囲碁の井山裕太棋聖に授与されたばかりです。ロンドン・オリンピックでは伊調馨に、その前には長嶋茂雄と松井秀喜にも授与されています。亡くなった後授与された大鵬も含めて、第2次安倍内閣以降7人目です。政権が長期になっていることもありますが、こんなに1人の総理が国民栄誉賞を出したのは初めてです。

 いろいろなところで指摘されていることですが、この国民栄誉賞というのは、その時々の政府の人気取り政策以外の何物でもなく、国民が決めてもいないのに、勝手に国民栄誉賞などという名前を使うなと思います。賞を出したいなら、「総理大臣栄誉賞」とでもして、総理大臣が自分の給料を割いて1000万円くらい賞金を与えればいいのです。

 政治利用の結果でしょうが、選ばれる基準に一貫性がないのが非常に疑問です。なぜ吉田沙保里は3大会連続金メダルでもらえて、伊調馨は4大会でないともらえなかったのか。柔道で3大会連続金メダルという大記録をもつ野村忠弘はなぜ国民栄誉賞をもらえないのか。高橋尚子はもらえて、野口みずきはなぜもらえないのか。不人気な女子サッカーW杯で優勝したなでしこジャパンはもらえて、日本女子スポーツ界初の1大会2金メダルを取ったスピードスケートの高木菜那は国民栄誉賞はもらえないのか。セクハラ男として有名だった森繫久彌はもらえて、清潔感のあるまさに国民的俳優だった高倉健はなぜもらえないのか。挙げだしたらきりがないほどです。

 正直こんな賞はやめてしまえと思います。打診されて断った福本豊(そんなもんもらったら立ちション便もできなくなる)、古関裕而のご遺族(死後の授与になんの意味があるのか)、イチロー(ありがたいが、いただくなら現役を引退した時に)が格好良く思えます。授与された人もどの程度嬉しいのでしょうね。くれるというものは「要りません」というのも角が立つからもらうのでしょうが、大会で金メダルを取ったり、優勝したりというのに比べたら、喜びは何百分の一というところではないでしょうか。

 今日日本アカデミー賞の発表がありました。あれもかなり偏りがあるのではと言われることも多いですが、まだ映画関係者が選んでいるので、選ばれた人は素直に嬉しいでしょう。国民栄誉賞もその名前で続けたいなら、毎年年末にでも国民投票をやって、「今年の国民栄誉賞」でも決めることにしたらよいのではないかと思います。今のままの、総理大臣がその時々の情勢を見て適当に授与するという方式の「国民?」栄誉賞はもうやめにしてほしいものです。

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662号(2018.2.3)インフルエンザに関する素朴な疑問

 またインフルエンザが大流行していて、受験シーズンなので、受験生はもちろん学校側もその対策に苦慮しているというニュースが毎日のように流されています。私はインフルエンザの予防接種も受けたことがないし、かかったこともない――そう診断されたことがない――人なので、最近毎年のように流される「インフルエンザ大流行」のニュースを不思議な思いで見ています。

 最近というか、ここ10年くらい前からでしょうか、こんなにインフルエンザ罹患者が増えたのは。理由としては、豚インフルエンザとか鳥インフルエンザといった新型インフルエンザが流行し、直接死に至るといったイメージが広まり、インフルエンザ診断がすぐにできる検出キットが普及してからではないかと思います。しかし、実態はどうなのでしょうか。過去もインフルエンザ罹患者はたくさんいたのに診断に時間がかかったので、インフルエンザと診断されなかっただけなのか、それとも実態としても罹患者は増えているのか、どちらなのでしょうか。

インフルエンザ診断が容易になって重症になる人や死者が減っているのならいいのですが、果たしてそうなっているのでしょうか。統計データを探してみたら、インフルエンザによる死者数は、1950年代から1970年代半ばくらいまでが多く、その後1990年代までは少なく、その後はまた少し増えているという厚労省のグラフが出てきました。ただし、死因をインフルエンザから肺炎を起こして死亡となった場合に、死因をインフルエンザとするか肺炎とするかは医師の判断次第だそうで、インフルエンザによる死者数の数え方は難しいのだそうです。しかし、それでも、今ほどインフルエンザ罹患診断が乱発されていなかった1970年代後半から1990年代あたりがその前の時代や診断が容易になった最近より少ないのを見ると、必ずしもインフルエンザ診断が容易になったことで、事態が改善されたようには思えません。

むしろ、たいした症状でもない――あまり高い熱も出なかったという話もよく聞きます――のに、社会的に行動を規制されて困っている人が増えたという潜在的逆機能の方が大きい気がします。受験生も試験前日にインフルエンザと診断されたら、自動的に「受験は不可」ということになるのでしょうか。1年かけて準備してきて、本命校の受験を前にインフルエンザにかかったら悔やんでも悔やみきれないでしょうね。予防接種をしてもかかったという話はよく聞きますし、100%かからない方法はなさそうです。マスクなんかでは完璧に感染を遮断できないでしょうから、そのうち冬になったら防毒マスクみたいなものをかぶる人も出てこないとはかぎりません。

 清潔志向が極端に強まっている時代ですので、インフルエンザの診断を緩めにしてあまり行動規制のかかる人を出さないようにした方がいいなんて方針を出したら、非難を浴びるだけでしょうが、なんか儲かっているのは医師――診察と投薬はもちろんですが、診断書が高すぎます。なんで文字書いて印鑑押すだけで、2000円とか3000円を取るのでしょうか。安易な診断書利用を防ぐためなのだと思いますが、医師は儲かりますよね――と製薬会社だけではないかという見方はうがち過ぎでしょうか?

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661号(2018.2.1)貴乃花親方の矛盾

 明日の理事選挙を前に、妙にニコニコする貴乃花親方の映像がたくさん流されています。当選には最低9票が必要だと言われる今回の理事選挙に、基礎票11票の「貴乃花一門」から2人立候補していますが、私は2人とも当選するのではないかと予想しています。そうなりそうな理由としては、建前では、貴乃花親方がめざす相撲協会の改革を支持する人たちがかなりいるのではということになっていますが、私は単に相撲界の世代交代を進めたい比較的若手の親方、あるいはこれまで冷や飯食いだった親方が、素人受けする貴乃花親方を御輿に乗せて権力を取ろうという計算をしているからにすぎないと思っています。今、101名の親方の中で45歳以下が30数名いると言っていました。そのメンバーは、普通にやっていたら、一生理事になれないとか、あるいはあと10年以上かかるという人だらけです。しかし、現在の相撲協会の執行部に反旗を掲げる貴乃花親方に乗っかれば、うまく行けば、いますぐにでも、あるいは一生届かない夢だった理事や重職につけるかもしれないという夢を見る中堅・若手の親方が、貴乃花親方に票を投じ、恩を売ろうとする人がかなり出ると予想できるからです。元相撲取りと言えども、引退したら、考えることは他の社会と変わりません。いかにして権力を得られるかを考えています。

 貴乃花親方は、自分がしたいのは新たな改革ではなく、伝統をちゃんと引き継ぐことだというようなことをブログに書いていますが、その発言と自分の行動が矛盾していることに気付かないなんとも幸福な人です。その矛盾はたくさん指摘できますが、とりあえず明日の選挙がらみでひとつ言っておけば、「一門」という伝統的な考え方をぶち壊したのが貴乃花親方だということです。本来「一門」とはもともと同じ釜の飯を食べた兄弟弟子が引退して部屋を起こしたことによって親族のように出来上がってきたものです。決して政党の派閥のように、理念や利害でできているものではありません。しかし、貴乃花親方は、自分が理事になりたいと思った段階で、二所ノ関一門から飛び出し、貴乃花グループを作ったのですが、最近は「貴乃花一門」とか言い始めていて、そこには出世を求めて他の一門を飛び出した親方たちが集まってきていて、それで一門と呼ばれていますが、本来そんな一門の伝統は相撲界にはなく、貴乃花親方によって新たに勝手に作られたものです。そのくせ、他方で親方と弟子の関係は親子も同然とぬけぬけと主張していますが、今の貴乃花親方のやり方を踏襲するなら、いつか貴乃花部屋の力士が引退して親方になった時に、貴乃花親方を裏切ってもいいということになります。このように、自分の行動が伝統をぶち壊しているのだということにまったく気づかず、自分は正しいと言い続けられる貴乃花親方を支持する素人コメンテーターの無知さにあきれる毎日です。「貴乃花一門」なんて本当は存在しません。権力奪取をめざす伝統無視の貴乃花派が存在するだけです。

[追記(2018.2.2)]選挙結果が出ました。貴乃花親方はたった2票で落選となりました。予想ははずれましたが、好ましい結果です。しかし、きっとまたワイドショーでは素人コメンテーターが「こんな結果はおかしい」と叫ぶことでしょう。いい加減「貴乃花=正義の人」という見方を世の中は捨ててくれないものでしょうか。この数カ月彼が取ってきた行動を冷静に見れば、おかしいことがわかるはずなのに、現役時代――それも若い時――の爽やかなイメージだけで、「貴乃花=正義の人」という見方をしています。(ちなみに、現役時代も晩年は「洗脳騒動」などがあり、決してさわやかではなかったのですが、、、)最近にわかに相撲に興味を持った人が貴乃花の支持に回って、「一般社会では、、、」と主張するのを聞くと、本当にげんなりします。

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660号(2018.1.30)高槻を歩く

 高槻の町を歩いてきました。高槻なんて何か見どころがあるのかなと思う人が多そうですが、自分でも思っていた以上に充実した町歩きになりました。出発地は、JR高槻駅です。駅から西へ向かい芥川商店街を抜けると、西国街道にぶつかります。そこには、ここの辻で仇討ちが見事に成就したという説明書きがあり、そのすぐ南に芥川一里塚の碑があります。ここから西に200mほどが芥川宿のあったところです。もう宿場町の面影は薄れていますが、それでも微妙に曲がった道と所々に残る古いい家屋が、「ああ、やっぱりここは街道筋だな」と思わせてくれます。芥川橋を渡り、川沿いを北上します。しばらくして道なりに西進すると、島上郡衙跡が出てきます。一応史跡公園となっていて、フェンスで囲まれていますが、「さすがにこれはちょっとなあ」と思わされるような殺風景ぶりでした。さらに西にある素戔嗚尊神社に寄ったのち、西国街道に戻り、芥川一里塚を越え、今度は東進します。しばらく歩くと、左手に上宮天満宮の大きな鳥居が見えてきます。上宮天満宮は、北野天満宮より古くから菅原道真を祀った神社ということで、「上宮」という文字が入っているそうです。現在の参道は、急な階段と坂道でできていますが、非常に趣があります。ちなみに、ここは野見宿禰も祀っていて、この辺は菅原道真の先祖にあたる野見一族が居住していたところだそうです。ちなみに、今回の町歩きのための調べで、菅原道真が野見一族の末裔と言われていること初めて知りました。相撲の神様の野見宿禰と学問の神様の菅原道真が同じ一族というのもなんだか不思議な感じです。

 参道の階段を下りると左折する急な上り坂があります。これは昼神車塚古墳を見られるように作られた歩道です。登りきるとすぐに下りです。そして、そこでふと目線を上げると、東の方向に「KANSAI UNIVERSITY」の文字が掲げられた建物が見えます。そうです。ここが社会安全学部や高等部、中等部、小学部のある高槻ミューズキャンパスです。初めて来たので、せっかくだからキャンパス内を見せてもらおうと思ったら、「職員証」の提示を求められました。マスクをして帽子も被っていたので怪しまれたのかなと思いましたが、その後見ていたら、すべての出入り口に守衛さんが立っていて、キャンパスに入ろうとする人は、学生たちもみんな学生証を見せて入っていました。オープンな千里山キャンパスとはまったく異なる厳重さでした。小学生もいるので、仕方ないかもしれませんね。職員証はちゃんと持っていたので、無事に入れてもらいました。オフィスに知り合いの職員さんがいないかなと思い、ちょっと覗いてみましたが、知らない人ばかりでした。オフィスの前のフロアは、防災関連のグッズや資料、現物提示などがなされており、「ほう、やはり社会安全学部だ」と思いました。立派なエレベータが6基もあり、羨ましくも思いました。

 ミューズキャンパスを出て南に向かうと阪急高槻駅です。ここを越え、さらに南に向かいます。途中、昔の大きな家(料亭?)を再利用した贔屓屋が良さそうでしたが、まだ開店前なので素通りし、さらに南に向かうと、右手に高槻カトリック教会が現れます。ここは、高山右近記念聖堂とも呼ばれ、入口すぐのところに、高山右近像があります。そして、そのすぐ先には野見神社があり、さらに南進すると、高槻城跡に着きます。まあ昔の城の範囲はもっと広いので、ここは本丸跡です。石垣の石は、鉄道敷設の際に敷石に使われてしまったため、ほんのわずかしか残っていないので、城跡感がかなり弱いのが残念です。しかし、近くにある「高槻しろあと歴史館」は無料で、それなりのものを見せてくれるので満足はいきます。

 さて、これで主たる町歩きは終了です。でも、町歩きは足が疲れるし、のどが渇くものです。で、なんと都合のいいことに、高槻市駅1分の町のど真ん中に、「天然温泉・天神の湯」なるものがあったりします。行くしかないでしょということで、温泉に行ってきました。源泉かけ流しの露天風呂が、この高槻のど真ん中のビルの屋上に作ってあったりします。本当に源泉かけ流しなのか幾分の疑いは持ちつつも、いくつもの風呂を楽しみました。で、こうなると最後はビールですよね。ということで、町歩きの最中に見つけた上記の贔屓屋に行きました。なかなかよい雰囲気でゆっくりさせてもらいました。

 帰って歩数計を見たら22000歩近くいってました。でも、充実した町歩きでした。

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659号(2018.1.29)「一億総活躍社会」って何なのだろう?

 2015年に安倍内閣が打ち出した「一億総活躍社会」という言葉が1人歩きしていますが、女子学生の話などを聞いていると、女性が子どもを持っても働ける社会のことと位置づけているような気がします。確かに、打ち出される目立った政策を見ているとそんな気になりますよね。だけど、それじゃ、「一億総活躍」にはならないですよね。「一億総活躍」というのは、すべての日本人が活躍できるという意味でしょうから、子どもも専業主婦も定年退職した高齢者も、ハンディキャップを持った人も、みんな活躍できないと、まったくキャッチフレーズに合ってないですよね。

様々な働き方、様々な地域貢献の仕方、子育ての様々な関与の仕方を可能にするような仕組みが必要なのに、政府の対策を見ていると、小さな子を持った母親も生活のために働かなければならないという1本道に追い込もうとしているように見えます。働き方改革で残業代に上限を設けるって、夫婦分業で夫が頑張って稼いで妻が家庭をしっかりやろうという分業制を成立させなくなります。家庭中心にやってきたいと思っている女性も働かなかなければならなくさせます。政府がやるべきことは残業時間の制限ではなく、残業代をちゃんと払うようにしろということでしょう。まあ、仕事能率が遅く無駄に残業している人もいるでしょうから、適度な成果主義を導入するのはいいと思いますが。

高齢者やハンディキャップを持った人などを活躍させる政策は何か出しているのでしょうかね?私はほとんど知りませんが。団塊の世代がたくさんいるのだから、彼らが活躍する場を作り出すことなどはより重要だと思います。70前後で元気な人々は金銭よりやりがいを求めているはずです。そこをもっと考えてほしいと思います。私が以前から提案しているのは、保育・児童の預かり業務に素人高齢者や専業主婦も参加させたらいいというアイデアです。自分の家で3人くらいまでの子どもの面倒なら見られるでしょう。預かり料500円くらいでも十分やりたいという人はいるでしょう。小学校入学前の子だけでなく、小学生も引き受けられるとしたらいいのです。学校が終わったら、あるいは学童が終わったら、預かりを頼まれている家に行き、親が帰ってくるまで預かれるとしたらいいのです。こういう手立てを可能とすれば、地域のつながりも復活するし、子育て中の女性も働きやすくなるでしょう。もちろん、他人の子どもを預かるなんてしたくないという人もいるでしょうが、別に強制するわけではなく、したい人がすればいいのです。言ってみれば、日帰りホームステイです。誰でもまったく自由にどうぞというわけにはいかないので、許可を出すにあたっては、最初は行政が介在して許可を出すとした方がいいとは思いますが。一億総活躍社会に近づけるために、できることはもっともっとあるはずなのに、なんか方向が間違っている気がします。

[追記(2018.1.30)]上で述べたような制度は、「ファミリー・サポート・センター事業」として2005年度から導入されていました。2015年度の実績では、809の市区町村が基本事業を実施しているようです。吹田市の場合、平日午前8時から午後8時までは1時間あたり700円、上記の時間帯以外は800円、土日祝日は終日800円だそうです。原則として、午後7時から午後10時までで、病気の時は預けられないなど、ちゃんと制度ができていました。すみません、勉強不足でした。ただ、全国で、依頼会員(子どもを預けたい人)が52万人、提供会員(子どもの面倒をみる人)が13万人というのは、ずいぶん少ない気がします。この事業が広く知られていないのか、あるいは責任を伴う仕事であるので、私が思っているほど手を挙げる人は多くないのかもしれません。もっと詳しく調べてみる必要がありそうです。

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658号(2018.1.28)調べることが容易になり、考えることをしなくなる

 最近の大学生のレポートを見ていると、データを探してくるのは本当に容易になっているなと感じます。昔だったら、こんなデータを集めるのは大変な手間だったろうなという資料をネットで簡単に探し出し、コピペで簡単に作成して提出してきます。しかし、そのデータを使って分析する段階にくると、どうしたらいいかわからなくて、ぴたっと止まってしまいます。止まる学生はまだ考えようとして悩んでいる分だけましです。とりあえず、データをコピペしただけで研究レポートとしてぬけぬけと提出する学生も山のようにいます。そういう人はデータを集めただけで研究した気になっているわけですが、データを集めただけでは研究にはなりません。関係のありそうなデータを探し、そのデータを使って何が言えるのかを考え、データが足りなければまた探し、また考えるということの繰り返しで研究は進みます。

データを収集するのは社会学にとって不可欠な作業ですが、それを思考に結び付けていかなければ意味はありません。昔は、データ収集が容易ではなかったので、よく考えて必要なデータを集め、また考えて足りなければ、またデータを探すという繰り返し作業を当たり前のように、学生たちもしていたものですが、今はネットで簡単にデータが入手できるので、よく考えもせずに、なんとなくこのデータは関連があるんじゃないか思えば、それをコピペしただけでレポート完成と思っていたりします。

これは統計的データだけの話ではありません。歴史を調べるのも、分析には関係ない大昔の歴史を調べて長々と書いていたりします。社会学は「いま」を相対化するために、歴史を調べる必要はありますが、それはあくまでも分析しようと思っている現代の現象を相対化するための歴史調べであり、ただただ遡ればいいわけではありません。いつ頃まで遡るべきなのかも考えた上で、調べないといけないのです。

今や、調べることが容易になりすぎて考えることをますますしなくなっています。しかし、この傾向は大学生の研究姿勢のことだけでなく、大衆の生き方・考え方にも共通しているように思います。ネットが便利になればなるほど大衆は考える力が弱くなっていきます。自分で現状分析をできない考える力の弱い大衆は、感覚的に信頼できそうなリーダーがいれば、その人に盲従することになるのではないかと心配です。若い時から「耳にタコ」ができるほど聞かされてきた「健全な批判精神」の重要さを、今声を大にして伝えていかなければならないと最近しみじみ感じています。

「無思考主義の蔓延」(http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~katagiri/turatura.html#no10)という文章を、この「つらつら通信」に掲載したのは、今から18年以上前の、199912月のことでした。その時は、まだ社会にかんする無思考主義が広まりつつあるという危惧でしたが、今や個々人の生き方や考え方も無思考になりつつあるような人が増えている気がします。何も考えなくて見られるユーチューバーの作る動画などを見て過ごしているなんて、本当に時間の浪費以外何物でもありません。日頃頭を使って考えることに疲れている人なら、たまにはそういう頭を使わずに見られる動画で癒されるのもありでしょうが、日頃から頭を使っていない人が、さらに頭を使わない動画を見て時間を過ごしていると聞くと、大丈夫か、この社会はという気になってきます。

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657号(2018.1.25)相撲界の「#Me Too」はどこまで広がるか?

昨年11月に明らかになった日馬富士暴行問題以来、次々に相撲界の不祥事が明らかになってきています。立行司のセクハラ、大砂嵐の無免許運転と、そんなことまで起きるかということが次々に生じていますが、今日はついに、春日野部屋での弟弟子に対する暴行事件という一番ありそうな問題が報道されました。この事件は20149月に起きたもので、入門1年程度の若手力士が後輩力士を殴り、顎骨を骨折させ、2016年に有罪判決を受けたそうです。加害者も被害者もすでに相撲界を離れているそうですが、この事件が相撲協会によって公表されていなかったことをメディアはここに来て急に問題視しています。

ワイドショーは、ここぞとばかり相撲界の体質問題として取り上げていましたが、どうなんでしょうね。横綱や名のある力士がしたことなら大問題にもなるでしょうが、まだ人間力も磨かれていない若者が起こした事件と見れば、どこでもしばしば生じるような事件で、相撲界固有の問題ではない気もします。まあ、ワイドショーも攻めるところはそこではないとわかっていて、春日野親方や相撲協会の対応がきちんとしていなかったのではないかと批判しています。ちょうど今、春日野親方は相撲協会の広報部長をやっていて、八角理事長の右腕ともいえるような人物なので、貴乃花親方支持派のコメンテーターは鬼の首でも取ったように嬉々として批判しています。しかし、春日野親方は事件が起きてすぐに協会には報告したと言っており、その時の理事長は北の湖親方で、危機管理部長は貴乃花親方でした。ですので、この問題で協会の対応が問題だと主張すると、一番苦しい立場に追い込まれるのは、貴乃花親方なのですが、、、まあ貴乃花親方のことですから、自分は公表しようと言ったが、他の理事から止められたとか証言しそうですが、、、

しかし、これだけいろいろ不祥事が起きると、まとめてトップが責任を取るべきという空気には確実になりつつあるので、2月の理事長選挙での八角理事長の再選はなくなった気はします。かと言って、貴乃花親方を理事長にと思っている親方は多数はいないはずですので、さすがにそれはないでしょう。たぶん、人格円満で八角理事長を支えてきた尾車親方あたりが理事長になるというのが落としどころになりそうです。

今日報道された問題は、それほど大問題とは言えないと思いますが、これがきっかけになって、この後、過去の相撲界での暴力事件が次々に明るみに出てくるのではないかと心配しています。ちょうど、セクハラの「#Me Too」と同様、相撲界のパワハラの「#Me Tooが始まるような気がします。過去を穿り出し始めたら、相撲界の暴力事件など、数限りなくあります。今は亡き「小さな大横綱」千代の富士など、そういう噂話はたくさんありました。「無理偏に拳骨(むりへんにげんこつ)」と書いて兄弟子と読ませるとか、「かわいがり」という身体的なしんどさを経験させて技量と根性を身につけさせることを当たり前にしてきた過去の相撲界に、現代の「パワハラ」基準を持ち込んだら容疑者だらけになってしまいます。どこまでやるんですかねえ。大衆が飽きたと思うまで続けるのでしょうか。不倫騒動に大衆が大分飽きてきていたので、相撲界の不祥事が新鮮だったということでしょうか。年が明けたら、もう落ち着くかなと思いましたが、まだまだ週刊誌は穿るつもりのようです。大衆はもう少し犠牲者を求めているみたいですね。嫌な社会です。

しかし、このまるで相撲界版「Me Tooが広がりはじめると、他の業界も戦々恐々になるでしょう。今の基準では、100%パワハラに該当するであろう「指導」は、どの世界でも山のようにあったはずです。私が知っている大学の世界でも、今なら確実にパワハラに当たるだろうという「指導」を、私もこの目で幾度も見てきました。こういう「指導」の被害者たちが「#Me Too」と声を上げ始めたら、社会的地位のある人たちが加害者として次々に断罪されていくことになるでしょう。

「#Me Too」はあくまでもセクハラだけで止まるのか、もっと様々なハラスメントまで拡大するのか、今微妙な段階に来ているように思います。

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656号(2018.1.24)社会学部のアドミッション・ポリシーに基づく入試にするのなら

 3年後の大学入学共通テストに移行するのに合わせて、関西大学も浮足立ってきて、入試改革(改悪?)を進めようとしています。いろいろ言いたいことがあるのですが、ここでは詳細は触れられないので、代わりに私が考える本来社会学部の入試はこういう風に変えたらいいのにという案を提示してみます。

 現在の関西大学の一般入試は、英語、国語、選択科目(地理、世界史、日本史、政経、数学から1科目選択)が基本となっています。しかし、これらの試験科目で、本当に社会学部が育てたい人物が取れるかというと、おおいに疑問です。英語はいいとしても、国語なんて古文が大問として必ず入っていますが、社会学部の学びをする上で、古文など基本的には必要ありません。また、現代文の問題も細かい解釈の違いを問うような問題ばかりで、試験監督の時に解いてみながら、「どうでもいいよ、こんな問い」と思うことがしばしばあります。漢字は知っていた方がいいですが、マークシート方式で答えさせるために、書けなくても、なんとかなるような問題になっていて、漢字力も十分問えていると思えません。こんな国語の試験は必要ないと思います。そして、選択科目に至っては、1科目選べばいいだけですので、選んだ科目しか勉強して来ないので、大学生になってから、こんな基本的な歴史知識も地理知識もないのかと驚くことが多く、教えにくくて仕方ありません。また、社会学部受験者で数学を選ぶ人は少ないのですが、社会学部の学びには数字はつきものです。「数字は見るのも嫌いです」とぬけぬけと言う社会学部生にしばしば出会いますが、冗談じゃないよと思います。

 社会学部での学びに合う学生を取るためには、私は以下のような入試科目に変えるべきだと思っています。それは、英語と数学と地歴総合の3科目です。英語力は、文献を読むうえでも、グローバル化した現代社会を生きていく上でも高ければ高いほどいいです。数学は、論理的思考がもっとも必要な学問である上に、統計は社会学部の学びにとって基礎となるものです。数字を見るのが嫌いだなんて学生は、社会学部にはまったく不向きです。そして、選択科目なんていう無責任な方式はやめ、地理、日本史、世界史の3つを総合した入試科目を作るべきです。その科目では、重箱の隅をつつくような細かすぎる問題は出さず、高校の授業でもっとも重要だと誰もが思うようなオーソドックスな問題を出すようにします。今や、大学生の歴史知識や地理知識は本当にひどいものです。関ヶ原の戦いの話をしても、誰と誰が総大将だったかも知らない学生がごろごろいますし、関東から北の方の県はどこにどの県があるのかもわからないし、日本が第2次世界大戦で戦った相手国も知らなかったりします。高校どころか、それは小学校で習ったはずだろうと思うこともしばしばです。こんな無知状態の学生では、分析力も創造力も健全な批判精神も身に着けさせることは困難です。

 社会学部が「こういう学生に来てほしい」と本気で思うなら、上記のような入試改革が効果的なはずです。ただし、こういう改革をしたら、負担が重いと考える受験生が増え、志願者は大幅に減ることにはなるでしょう。経営のことも考えなければならない私立大学では、受験生負担が軽くなり、たくさん受験してもらうように入試制度改革(改悪)をしてきましたので、この私のアイデアが採用されることはとうていないでしょうが、日々大学生を教え、その悲惨な実態を知っている教員は、経営の視点とは異なる立場から声をあげるべきではないかと思い、書いてみました。ちなみに、センター試験を廃止して、大学入学共通テストを導入するのも改悪だと思っていますが、それについては、「第519号 また改悪するのか?(2014.10.25)」に書きましたので、そちらをご覧ください。

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655号(2018.1.23)佐井寺ラビリンス

 佐井寺という寺院とその周辺は、自宅のすぐ近くなのですが、特に行くほどの魅力もないかなと思い、これまで出向いていませんでした。しかし、先日ある本を読んでいたら、「千里」の名前の由来は、佐井寺の北にあった小山が千里山(ちさとやま)と呼ばれていたことにあり、そこから1889年に片山村と佐井寺村が合併して千里村(ちさとむら)ができたことにあると知り、これはちゃんと佐井寺探訪をせねばと思い立ち、その本を読んだ日にもう夕方だったのですが、出向いてみました。ところが、寺院のある、この佐井寺1丁目、2丁目地区の複雑さは尋常でなく、道は細く曲がりくねっていてアップダウンも激しく、さらにアンテナがあまり立っていないのか、グーグルマップでの自分の位置も明確に確認できず、寺院が見つからないどころか、だんだん暗くなってきたこともあって、途中からこの地区から自分自身が抜け出せなくなるのではという不安感すら覚えました。住んでいる方に教えてもらってなんとか知っている道に出て帰りつけましたが、あまりの複雑さに「ここは佐井寺ラビリンスだ!」と本気で思いました。

 しかし、このままラビリンスを克服できないのは悔しいので、今日はもう少し明るいうちから歩きに行きました。前回見つけられなかった佐井寺も今回は見つけられました。ただ、道に関しては明るい時間で確認するとよりその複雑さが認識できました。車は軽自動車しか通れない――それもすれ違えない――道しかないし、車が通れない歩く人だけの道がまるで蛇のように複雑に入り組んで存在することもわかりました。一体この道はどこにつながっているんだろうと不安に思いながら歩いて行ってみると、意外なところに出て、「えっ、こことつながっていたのか」と驚くばかりでした。全国各地いろいろな古い町を数えきれないほど歩いてきていますが、これほど道が複雑に入り組んだ地区はあまり出会ったことがありません。なぜこんな複雑な町割りになっているのか、そもそもなぜこんな急斜面の不便な場所に人が住み始めたのだろうかとさらに疑問がたくさん浮かんできました。佐井寺という寺院は677年創建という非常に古い寺院で、鎌倉時代の『拾芥抄』では、延暦寺、清水寺、東寺などと並ぶ寺格の高い21寺に列せられている上に、このあたりは戦災を受けていないので、古い昔からの立派な民家がかなり残っており、歴史的環境としても価値のある地区ですが、まだまだ私にとっては謎の多い地区です。「千里丘陵」「千里ニュータウン」「千里山」の名前の由来になったこのあたりの地区には、もっと注目が集まってもいいように思います。

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654号(2018.1.21)日本の夫婦がセックスレスになる理由

 「セックスレス夫婦」について研究してきた4回生の卒論の結論部分が、夫の妻に対する理解力の無さみたいな形で終わっていて、なんか納得がいかないので、私なりに考えてみました。(ちなみに、卒論執筆中にアドバイスをしておけばよかったじゃないですかと言われそうですが、彼女は卒論草稿を提出しないまま公式提出をしてしまったので、彼女の結論部分を読めたのは、つい最近でした。)

 夫婦間の意識のずれみたいなものですべて説明してしまうのは、社会学的には残念な結論です。もっと社会のあり様、個人の意識を超えた社会の価値観などと結びつけないと、社会学の研究としては不十分です。まず「セックスレス夫婦」を生み出す構造的誘発条件を考えてみましょう。@女性の方が男性より性欲が弱いこと。A日本の家族(夫婦)が子ども中心であること。B日本ではセックスを楽しむことを否定的に見る価値観が強いこと(特に女性において)。次に、最近急速に「セックスレス夫婦」が増大してきている構造的緊張条件を考えてみます。C女性の地位の向上により、夫婦間における妻の力が増したこと。Dストーカー、セクハラ、DVなど、男性の性欲を犯罪と結びつける見方が広まったこと。E風俗産業、アダルト映像などを含め、男性の性欲を夫婦間以外で処理する産業が充実してきたこと。

 より詳しく説明していきます。まず、@の男女間における性欲の差ですが、これは世界共通で男性の方が強く女性の方が弱いです。これは当たり前のことで、男性は放出するだけの性で自分に対する悪影響はほとんどありませんが、女性は安易な性交をしたりすれば、妊娠という大きな負荷を得てしまうかもしれないのですから、安易にセックスはしたくないと思うのは当然です。しかし、女性の性欲が相対的に男性より低いのは万国共通ながらも、日本の夫婦がダントツでセックスレスになっているのには、日本特有の構造的誘発条件も考えなければなりません。それが、AとBです。日本の家族は、かつてのイエ制度の時代から、子どもをなし、その子をちゃんと育て上げるところに価値が置かれ、夫婦として互いに向き合うというところに重きを置いてきていませんでした。「良妻賢母」「内助の功」といった妻を褒める言葉も、妻の役割は子どもをちゃんと育て、夫が仕事をしやすいようにしてあげることといったイメージで、決して「艶っぽい妻」「色気のある妻」でいなさいという言葉ではありません。イエ制度はほぼ崩壊した現在では、イエのためではなく、自分でお腹を痛めて生んだ子をかわいがり、育てあげることは、既婚女性の最大の喜びとなっています。それに対して、夫を性的に満足させることなどは優先順位の下、というかランク外でしょう。そもそも「夫を性的に満足させる」などと他者本位に言わざるをえない価値観を女性たちが形成していることも、日本でセックスレスが極端に多い理由です。これがBの条件ですが、日本では女性たちは性的喜びを感じるとかセックスを楽しむということは恥ずかしいことだという意識が強くあります。本来は、セックスは両性とも気持ちが良くなるような体の仕組みになっているので、それを楽しむ気持ちになってもいいはずですが、江戸期以降の儒教精神に基づく武士文化が明治に引き継がれ、女性がセックスに意欲的になることは不道徳なことであるかのような空気が作られ、これがそのまま維持されてきました。バブルの時代に、一時独身女性たちの間でややセックスに対してオープンになり楽しみ始めたように見えた時代もありましたが、その時代でも、既婚女性になれば、もうセックスを楽しむなんてことはできないし、してはいけないという雰囲気でした。

 こうした構造的誘発性がもともとあったにも関わらず、30年くらい前までは、それほど日本の夫婦はセックスレスだと言われていませんでした。それが、ここ20年くらいまえから、セックスレス夫婦が話題になるようになり、最近ではあまりに増えすぎて、話題にすらならなくなった気がします。この最近の変化の原因として考えられるのが、C、D、Eです。かつては男性優位が当たり前で、妻は嫌でも夫の性的要求に応えてセックスをしている夫婦が多かったわけですが、1980年代以降の女性たちの社会的地位の向上の流れの中で、夫婦関係においても妻の力が増してきています。「亭主関白」なんて夫婦はもう極少数で、セックスをするかどうかに関しても妻の意向が圧倒的に強い夫婦がほとんどになっているはずです。そして、妻である女性たちは、先の構造的誘発条件から、そんなにセックスはしたくないと思うようになっていますので、当然セックスレスが増えるわけです。さらに、Dであげたような、男性の性欲がしばしば犯罪と結びつけて語られる言葉が人口に膾炙したのも大きく影響を与えていると思います。強姦や痴漢ならもちろん非難されて当然ですが、ストーカー、セクハラ、DVなどは受け止める側の意識に大きく作用され、男性としては健全な恋心や性欲すら抑制せざるをえない気持ちにさせられています。好きだという思いを熱く伝えるだけでも、相手が受け入れるつもりがなければ、「ストーカー」にされてしまいますし、一般論として性的な話題を出しただけでもその場にいた女性が不快だと思えば「セクハラ」と言われかねません。そして、夫婦間でのセックスを情熱的に求めたりしたら、「夫婦間DV」として訴えられることも起きうるわけです。こういう状況ですから、当然男性陣は自らを守るためにも性欲を生身の女性(妻を含む)に向けるのはやめた方がいいという考えになります。そして、そうしたむなしい男性たちのために、日本では性産業が行き届くように出来上がっています。様々な年齢の生身の女性と経済行為として触れ合える性風俗産業が様々な形で存在しています。それは少しハードルが高いと思う男性たちのためには、アダルト映像が無料でいくらでも見られるようになっています。かつて結婚して夫婦にでもならないと知ることができなかったような女性の肉体を、簡単にとっかえひっかえ見られるようになっているのです。妻よりもはるかに綺麗で可愛い女性の肉体を楽しめ、性欲を解消できるのですから、頭を下げて妻とセックスをする必要はないとなるのも当然でしょう。

 今回の分析は、スメルサーの集合行動の枠組み(価値付加の論理)を応用しているので、最後にその枠組みでもうひとつ重要な「きっかけ要因」をセックスレス夫婦について指摘しておけば、明らかに妊娠、出産です。「構造的誘発条件」「構造的緊張条件」があっても、なんとか続いていた夫婦間セックスをなくしてしまう直接的なきっかけになるのは、圧倒的に「妊娠、出産」です。これを契機に、セックスレスになったというカップルが非常に多いはずです。2人目が欲しいという夫婦は、そのためにセックスはするでしょうが、もうこれ以上子どもは要らないとなったときに、セックスレス夫婦にならずに済んでいる夫婦は、今は非常に少ないのではないかと思います。この状況を改善するのは容易なことではありません。というか、無理かもしれません。若い時から、セックスを楽しむのは、男も女も人間として自然なことですという性教育でもしない限り、日本のセックスレス夫婦は増えるばかりでしょう。そして、婚外性交(いわゆる不倫)のさらなる広まりと性産業のさらなる発達が結果として生じることでしょう。

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653号(2018.1.21)「おたく」を定義する

 「おたく」について研究したいという学生はしばしば現れるのですが、いつもそもそも「おたく」とはどういう人のことを言うのかというところで、すっきりした答えが出ないまま、結局研究をあきらめてしまったり、進めてもすっきりしないまま終わってしまったりします。一般的に「おたく」と自称する人、周りから「おたく」とみられる人がはまっているものは、「マンガ、アニメ、ゲーム」ということになっているようですが、「ジャニオタ」や「鉄道オタク」という風に言われることもありますし、他にもディズニーにはまっている人も宝塚にはまっている人も、韓流好きな人も、どの趣味でもずっぽりはまっている人は、似たような行動パターンを取っているように見え、誰が「おたく」なんだろうとわからなくなってきます。

 これまでの定義だと、2次元や2.5次元を好み、その趣味については滔々と語れるが、それ以外のこととなると途端にコミュニケーション下手になるという特徴を持つというのが多かったように思いますが、最近のおたくはおしゃれにも興味があったり、彼女や彼氏もいるという普通の人に近づいているという指摘もあります。で、何かよい定義はないかと考えていたのですが、「世間から大人と見られる年齢になっても、本来子どもを楽しませるために作られたものから卒業せず、時間とお金を使い続ける人」というのはどうでしょうか。この定義で行けば、マンガ、アニメ、ゲーム、ジャニーズ、ディズニーランドなどにはまっている大人は、「おたく」と位置付けられますが、宝塚にはまっている主婦や骨董にはまっている人、競馬好きもパチンコ好きも鉄道好きも、もともと大人の楽しむ趣味にはまっているだけなので、「おたく」とは言えないということになります。

 「おたく」に対する世間の見方の潜在的な冷たさは、子ども趣味からいつまでも抜け出していないことにあると見ることができるのではないかと思います。ただし、最近の日本社会の流れは、「大人になんかならなくてもいい」という雰囲気ですので、いつの日か「一億総おたく時代」が来てしまうかもしれません。そうなった時は、もう「おたく」は少数派ではなくなるので、「おたく」というマイナス・ラベルを貼られることもなくなるのでしょう。そんな時代が来るのは個人的には非常に嫌ですが。

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652号(2018.1.18)稀勢の里は引退した方がいい

 日馬富士暴行事件以来、モンゴル出身力士への風当たりばかり強いですが、今一番問題なのは、稀勢の里です。今日も負け、3連敗で14敗です。負け方もすべて完敗です。もう稀勢の里は復活できないでしょう。横綱として実力を示せなくなった力士は引退しかありません。久しぶりに横綱になった日本人力士だからなのでしょうが、やめさせたくないと思う人が多く、稀勢の里引退論が出てきませんが、昨年5月場所からまともな相撲を取れていません。思い切って2場所くらい全休して完全に休んで出てくればまた違ったのでしょうが、なぜか出場し、ぼろぼろの姿を見せています。これだけぼろぼろの姿を見せた横綱は、60年近く相撲を見てきた私の記憶にはありません。日本出身横綱だからと言って特別扱いはおかしいです。もうみっともない姿は見せるべきではありません。たぶん今場所はそのうち休場するでしょうが、私は引退の方がいいと思います。もう稀勢の里は無理です。惜しまれつつやめる方が相撲界の美学には合うはずです。

[追記(2018.1.19)]結局やはり今日から休場になりましたね。稀勢の里の場合、今の田子ノ浦親方――もともと兄弟子にあたる力士ですが、成績的にはこれといったものを残していない――との信頼関係がきちんと成立していません。たぶん、親方は最初から休場を薦めていたのでしょうが、本人が自分で出ると言ったのでしょう。そして、どんなボロボロの成績になろうとも本人は15日間取り続けるつもりだったろうと思います。しかし、あまりに無様な負け方が続いたので、親方だけでなく、日本人横綱を守りたいという関係者からの様々な圧力がかかり、今日からの休場となったのでしょう。この判断力の悪さも、稀勢の里の問題点です。次に出場する場所が、進退がかかる場所となるという声がさすがに起きてくるでしょう。もう稀勢の里も31歳です。あのふらつく足腰では、もう一度力が戻ることはないでしょう。そう遠くないうちに稀勢の里は引退ということになるでしょう。

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651号(2018.1.14)日本のハロウィンが嫌い

 時季外れですが、若者の嗜好性を考えていたら、このテーマを書きたくなりました。日本のハロウィンを私が評価できないのは、あまりに刹那的なイベントで、後に何も残らないからです。まさに「今さえ楽しければいい」というイベントです。10年以上前から、「花火大会亡国論」や「イルミネーション・イベントが大好きって、若者は『飛んで火に入る冬の虫』か!」とか暴論を吐いてきましたが、こういう言辞を吐きたくなったのも根は同じところから出ています。それでも、花火大会やイルミネーション・イベントなら、これをデートに利用しようとか、家族間コミュニケーションに使おうとする人もいるでしょうから、先につながる可能性も多少はありまだましだという気がしてきていますが、日本のハロウィンは、ただ仲間とコスプレをするだけの日になっており、まったく評価できません。同じお化けの格好をして仲間との一体感が増しましたなどという人もいるかもしれませんが、ただ同じ格好をして作られる一体感なんて、その場だけのもので、後にはつながりません。

 結局、私が最近の若者――特に大学生――に不満なのは、先を見据えた行動や思考をする人がどんどん減ってきているということなのだと思います。今さえ楽しければいいという価値観がどんどん広まっていくのが残念でなりません。右のグラフに表れている私の大学生調査でも、ついに「その日その日を自由に楽しく過ごす」が「身近な人たちとなごやかな毎日を送る」を抜いて1位になってしまいました。バブルが崩壊して以降の大学生たちの「小さな夢」だった「いずれ結婚して子どもも持ち、すごく豊かでなくても小さな幸せを得る」という目標すら薄れつつあるのではないかと危機感を持ちます。

 かつて大学生たちは、「人はなぜ生まれてきたのか?」とか「人はいかに生きるべきか?」といった問いを自らに課し、自分なりの答えを見つけようとしたものでした。今どきの大学生で、この問いを自らにぶつけた人は一体何%くらいいるでしょうか?吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』という本がマンガ版になり売れていると聞いていますが、大学生で読んでいる人はどのくらいいるのでしょうか?読んだという人がいたら、ぜひ感想を聞かせてください。

 「なぜ生きるか」という哲学的な問いは難しすぎると思われる時代に入ってからも、家庭を作るという小さな夢を実現するためには、ちゃんと就職する、そのためには自らの能力を高める、そのためには何をしたらよいか、ということをちゃんと考えようとしていた時代もありました。大学は今や「就職予備校」と化していますので、就職のために何をするべきかについては、今でも大学生たちは考えているとは思いますが、それも非常に表面的な対策になっているように思います。本当に必要な力は、総合的な人間力のアップなのですが、そんな抽象的なものはよくわからないので、エクステンションリードセンターなどにせっせと通って、公務員試験や資格試験の勉強をするとか、就活が始まる直前くらいから、急にSPIの勉強を始めるといったことで乗り切ろうとしています。

しかし、そんな勉強で、本当の人間力は伸びたりしません。大学生活4年間を使って、知識を増し、将来につながる様々な経験をすることで、人間力はアップするのです。目先の楽しいことだけをやっているだけでは伸びません。大学生がどんどん刹那主義的になっていくのが残念でなりません。こんなところに、こんな文章を書いても、事態を大きく変えることはできないのはわかっていますが、何人かでもこれを読んで刺激を受けてくれたらと思い、書いてみました。

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650号(2018.1.13) 大学でしたいことはないのかな?

「今どきの大学生は、、、」などという嘆き節は、指導力のない大学教員の常套句にすぎず、自分では絶対使わないぞと思いながら、35年大学教師をやってきていますが、思わずつぶやきたくなる状況も生まれつつあります。

  

この2つのグラフは、30年継続してきている私の大学生調査の結果の一部で、大学への入学目的を学生に尋ねたものです。

2007年あたりから、「大学生活で〇〇したい」という意欲(学びたいだけでなく、遊びたいも、友だちを作りたいも、考えたいも)をもつ学生が目に見えて減り続け、「就職(=就職を有利にするため)」「肩書(=大卒の肩書が欲しかったら)」が増え続けています。「当然のコース(=大学に行くのは当然だと思っていたから)」も含めて、目的意識を持たずに大学に来て、そのまま4年間、これといった何かをつかみ取らないまま卒業する学生が増えています。

「学問(=学びたいことがあった)」だけでなく、「遊び(=遊びたかったから)」も「友人(=友だちを作りたかったから)」も「モラトリアム(=社会に出る前にもう少し時間が欲しかった)」も減っています。貴重な大学生活を有効に使おうという意識の弱い学生たちを叱咤激励して育てるのは、間違いなく昔より大変になっています。

私のゼミは、厳しいという評判が立っていて、「それでもいい。それがいい」と思うようなやる気のある学生が多めに応募してきてくれているはずですが、それでも「あれっ?どうして?」と、こちらの期待をはずすような行動をする学生が増えてきている気がします。3回生の時は、ゼミ・イベントも多く一体感も増していき、毎年割とうまく行きますが、4回生、それも秋学期になって個人的に卒論を進めていく作業が中心になると、この「大学で○○したいことがない」学生の問題性が露骨に出てきます。

かつては、卒論の相談に来ているはずなのに、お喋りばかりしていて、「ちょっとは卒論を考えろよな」と私が苦言を呈することもあったものですが、最近はせっかくゼミに来ても喋りもせず、黙々と卒論をやっていて、逆に「せっかく集まっているんだから、少しはお喋りもしたら?」とかこちらが言いたくなり、「最近のあのニュース、どう思う?」なんて、私がお喋りしようよという空気を作ったりしています。そんなに卒論ばかりこつこつ頑張っているなら、よい卒論が期日通り出てくるかというと、そんなことはなく、今年は草稿を私に未提出のまま、公式提出をしてしまう学生が複数出てしまう有様です。卒論を進めているように見せながら、たいしてやっていなかったんでしょうね。

一番お喋りだった学年は、最終ゼミ飲み会では、場所だけ借りて、鍋や具材を持ち込んでの鍋パーティを実施したり、卒論発表会の後もUSJに行ったり、エスニック料理を食べに行ったりして遊びましたし、他の学年でも、卒業旅行の話なんかではよく盛り上がっていました。ある学年は、卒業旅行の行き先を私には内緒にする「ミステリーツアー」を企画してくれるとかもありましたし、私が知らなかった素晴らしい温泉地に連れて行ってくれた学年もありました。ゼミ教室で、クリスマス・パーティ(もちろんノンアルコールで)を企画・実施した学年もありましたし、誕生日祝いやゼミ合宿での企画なども、私の想像を超えるようなことをやってくれる学年もあり、「大学生はやっぱりおもしろいなあ」としばしば思わせてくれたものだったのですが、、、

まだあきらめるつもりはありませんが、学生自身の自覚も求めたいと思います。大学生活4年間を有意義に使い、成長できた人と、そうでない人の差は思った以上に大きいものですよ。ちなみに、大学生活で成長しようと思ったら、社会学は最高の学問です。これまで考えてこなかったようなことを考えさせられる学問で、視野が広がり、ものの見方が変わり、生きる力が増します。しかし、なんとなく自分になじみのあることをちょっと聞きかじって楽に大卒の資格を取れればいいやと思う大学進学者が増えるなら、社会学のような一見よくわからない学問は避けられることになります。上記の大学入学目的の変化と、社会学人気の衰退は、間違いなく関連性があります。非常に残念ですが、こういう時代の中で、社会学人気を復活させるのは至難の作業だという気がしています。

(注)右のグラフの1987年の「モラトリアム」と2002年の「当然のコース」の比率が極端に低いのは、それぞれこの年の調査では、この理由が選択肢に入っておらず、「その他」を選択して、こういう内容を書いた人の比率だからです。その次の調査からは、選択肢にそれぞれ入れています。

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649号(2018.1.5)「おじいさま」

 正月に孫が来てくれたので、記念に家族写真を撮ろうということになって写真館に行ったのですが、カメラマンから「おじいさま、もう少し右の方へ」とか「おじいさま、もう少し笑顔で」と、普通に指示をされました。孫がいて、その親がいるのですから、こちらの名前を知らないカメラマンとしては当然の呼びかけですが、自分の中の違和感が半端なかったです。

すでに、自分でも「おじいちゃんになった」と言い、教え子たちからも「先生もおじいちゃんなんですね」と何度も言われてきましたが、なんかそういう形で言われる「おじいちゃん」と、こういう場面で言われる「おじいさま」には大きな差がある感じがします。教え子たちに「おじいちゃん」と言われても、私という人間の中身を知っている人たちなので、彼らから新たなニックネームをつけられたような感じしかせず、素直に受け止められるのですが、この写真館でのカメラマンさんは、私を「おじいさま」という存在としてしか見ていないのだということに対する違和感だったのだと思います。「おとうさま」と言われるようになった時には、こんな違和感は持たなかったのですが、、、単に関係性を表すだけの呼称のはずですが、やはり社会におけるイメージが「おじいさま」と「おとうさま」では大きく異なり、そのイメージを私が内面化しているからでしょうね。

 昔から、テレビなどを見ていて、レポーターなどが町で人に声をかけるときに、実際の年齢なんか知らないまま、ある程度年配に見えると、「おじいちゃん、何しているんですか?」とか「おばあちゃん、どこへ行くの?」とか呼びかけているのを聞き、好ましい呼びかけ方ではないなと思っていましたが、そのうち、私も孫がいない時でも「おじいちゃん」とか「おじいさん」と普通に呼びかけられる日が来るのでしょうか。そして、それを違和感なしで受け止められるようになるのでしょうか。嫌だなあ。抵抗したいなあ。

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