Part13

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<目次>

第441 金環日食(2012.5.2)

第440号 新型うつ(2012.4.30)

第439号 ああ、驚いた!(2012.4.25)

第438号 桜にバーベキューは似合わない(2012.4.16)

第437号 ほのぼのを分析すると……(2012.4.10)

第436号 関前ラーメン戦争(2012.4.7)

第435号 ロシアンたこ焼き(2012.4.2)

第434号 終わりの始まり(2012.3.25)

第433号 たばこは嫌いだけれど……(2012.3.20)

第432号 堺を歩く(2012.3.11)

第431号 <戦後日本社会>君の高齢化(2012.3.5)

第430号 大学の秋入学を考える(2012.2.12)

第429号 武道必修化の問題性(2012.2.11)

第428号 ちょっと怖い京都散策(2012.2.10)

第427号 そうかあ、そうだったんだ(2012.2.9)

第426号 ドラマをきっかけに学ぶ――院政――(2011.2.9)

第425号 最近増えてきた光景(2011.1.29)

第424号 関西人になってきたのかな?(2012.1.23)

441号(2012.5.2)金環日食

 今月21日に日本のかなり広い範囲で、金環日食が見られるということで、盛り上がっているみたいですね。大きな事故のニュースなどがない時に、ちょくちょくTV番組でも取り上げらています。東京で見られるのは173年ぶりで、今回のように日本全国の広範囲で見られるのは次は300年後と聞くと、盛り上がるのは当然だなと社会学者としては理解できます。でも、私は個人的には特に強い興味は湧きません。考えてみると、大規模な流星群が来ると言われても、特に見たいと思ったこともないです。流星を初めて見たのは、2009年秋、つまり54歳の時でした。たまたまゼミ合宿の日だったので、ゼミ生たちに引っ張られて見たのが初体験でした。感想はと言えば、「こんなものなのかあ……」といったテンションの低いものでした。どうも天体ショーに心が浮き立たないタイプみたいです。世の中には、私のように、この世紀の天体ショーにたいして興味がないという人もいますよね?どういうタイプの人が天体ショーでテンションが上がるタイプなのかを分析することの方が、私にとっては興味深いです。まだデータが少なすぎて、どういう人が天体ショーが好きなのか、よくわかりません。どなたか分析できる方にお教えを乞いたいと思います。

440号(2012.4.30)新型うつ

 昨晩放送されていたNHKスペシャルはご覧になりましたか?最近の若者に多い「新型うつ」という「病気」についてでした。これまでの「うつ」と言えば、真面目で責任感の強い人間がある時もうこれ以上はできないと思ってしまい、すべてにやる気が出なくなり、生きることさえつらくなり自殺願望にまでつながりやすくなるというイメージだったと思いますが、「新型うつ」という「病気」は仕事に関してはもうできない、やれない、会社に行きたくないという気持ちになるものの、遊びに行ったりすることは楽しくできてしまうという「症状」なのだそうです。昨日のNHKスペシャルでは実際にあった話を元にドラマ化していましたが、会社でのミスを上司に怒られ、その上司を恨み、眠れない、落ち着かないという症状が出ていると病院で話したところ、「うつ」と診断され、喜んで3ヶ月の休職届を出し、その休職期間中に海外旅行に行ったり、飲み会をしたりして楽しんでいるという若者が描かれていました。ドラマ化されているので、幾分誇張されているかもしれないと思われがちですが、実際の会社の人事部では、今や似たようなケースが頻繁に生じており、「病気欠勤期間中は病気療養に専念しなければならない」と就業規則に新たに書き込んだ会社があったり、病気で休職期間中の従業員の家庭訪問をする会社もあると紹介されていました。見ながら、率直に思ったことは、これは病気なのだろうかということでした。パーソナリティの問題ではないだろうかというのが多くの人が感じたことではないかと思います。長年若者と関わり、そういう研究もしていますので、若者が打たれ弱くなっていること、頑張ったのだから結果がどうあれほめてほしいと思いたがる人が多いこと、つらいことやしんどいことからは逃げたがる人が多いことなどは、私にとって周知の事実です。豊かで優しい社会の中で育った若者たちは、実社会に出た途端、その厳しさに愕然として、不適応を起こします。会社に行きたくないという気持ちにもなるでしょう。でも、お金を稼ぐというのは楽なことではないのだから、こういうことも乗り越えて行かなければならないのだと、多くの人はこれまでの甘すぎた人生はもう望めないのだと覚悟して、自らのパーソナリティをたくましいものに徐々に変えていくものです。これは、何も最近に始まったことではなく、近代教育制度ができ、学校に通っている間は「子ども」でいいのだという価値観が一般化してからは、大なり小なり誰もが通ってきた道でした。それが、最近はその不適応を起こしている段階で「病気」と診断してくれる医者がおり、休職ができてしまうわけです。本当にそれでいいのだろうかと頭を抱えたくなります。日本もグローバリゼーションという大競争世界に巻き込まれているという事実は誰もが認めていることなのに、そこに巻き込まれ戦わざるをえない企業の一員である自分は厳しい競争に晒されるのは嫌ですというのは通らない話です。インターネット回線もすべて断ち切り、鎖国でもして、日本的な過剰な優しさに満ちた「世界一幸せな国」でもめざすなら、日本流の甘い社会も夢見られるのかもしれませんが、誰もそんな方向は望んでいないはずです。であれば、世界は競争に満ちた社会であり、そこで生きていこうとするなら、競争に勝てないまでも負けても生きていける強さを身につけるしかないのです。「うつ」とか診断されて、喜んでいる場合ではありません。

439号(2012.4.25)ああ、驚いた!

 なんか最近すごい勢いでFacebookが広まっていて、政治的な影響力も持ちそうだと新聞に書いてあったので、現代を見つめる社会学者としてはいい加減ちょっとは覗いておくかと思い、とりあえず登録だけしてみました。登録した時に忙しかったので、プロフィールも何も書かず、メールアドレスと英語表記の名前だけ入れたのですが、数時間経ってパソコンを開いたら、「知り合いかも?」という形で、結構な数の教え子たちのFacebookが一気に届いており、驚きました。どうして知り合いって、わかったのでしょうか?情報としては、上記2つだけだったので、なんらかの形で、上記2つの情報を書き込んだことのある人がピックアップされたということでしょうか?その後、漢字で名前を入れたり、高校、大学、勤務先などのプロフィールも登録したら、当然のようにさらに多くの人が「知り合いかも?」と出てきました。しかし、関西大学を登録している人は山といるであろうに、私のところに届いたのは、非常に高い確率で、うちのゼミ生でした。「片桐ゼミ」などという情報はまったく入れていないし、私の出身高校と大学はゼミ生とは何のつながりもないので、考えられるとしたら、関西大学と私の名前、メールアドレスを何らかの形で結びつける機能があって、そこから割り出されるのでしょうね。仕組みがよくわからず、なんか怖くなってきました。誰か仕組みを教えて下さい。

〔追伸〕もう何人かから「友達リクエスト」をいただいていますが、「友達」になるとどういう事態が起こるのかまだわかっていないので、返事ができずにいます。まさか、こんなことになろうとは……(汗) しばらく時間をください。

〔追記(2012.4.28)〕いろいろ考えた結果、現役学生と「友達」になるのはやめておくことにしました。卒業生、その他の知人からのリクエストであれば、一応「友達」承認をしたいと思います。ただ、私は書きたいことがあったら、このHPに書きますので、Facebookにはたぶんほとんど何も書かないと思いますが……。

438号(2012.4.16)桜にバーベキューは似合わない

 最近、桜の名所でバーベキューをするグループが増えていて、臭い、煙、騒ぎ、後始末などが問題視されつつあるようです。大阪城公園ではバーベキューをしてよい場所を作り、それ以外の場所では禁止としたそうですが、ルールを守らないグループがかなりあり、問題になっているようです。私は、そもそも桜の名所でのバーベキュー自体を禁止すべきだと思っています。花見の風情も何もなく、桜ではなく肉ばかり見ているようなバーベキューは花見とは相容れない行為です。桜を見ながら酒を酌み交わしたいなら、お重に詰めた三段弁当でも持ってきてやってほしいものです。そこまでは無理でも、せめて臭いがせず、煙も出ず、後始末もちゃんとできるような食べ物でやるべきです。日本文化の伝統も何も感じずに、ただバカ騒ぎをしたいだけの人間に桜はもったいないです。

ここ数年迷惑行為に関する規制が緩くなったのか、花見シーズンだけでなく、夏も河原などでバカ騒ぎをし、後始末もちゃんとしないというのもしばしば問題になりますし、極端なケースでは、子どもの運動会にバーベキュー・セットを持ち込んでバーベキューを始める親グループもいたりするそうです。私は、このバーベキューという食習慣にあまり好感を持っていません。せいぜいバーベキュー設備の整ったところで、後始末も自分たちできちんとやる場合だけは目をつぶりますが、基本的にはバーベキューなどなるべくすべきではないと思っています。わからず屋の年寄りみたいな意見だと若い人たちに笑われそうですが、バーベキューという食には、日本的な良さが何もありません。バーベキューや焼き肉ばかりがご馳走でテンションが上がるというような日本人ばかり増えるのは心配です。

437号(2012.4.10)ほのぼのを分析すると……

 まったくたいした話ではありませんが、思わずほのぼのとして微笑んでしまったエピソードをひとつ。大学からの帰りに、近くのスーパーに寄った時の出来事です。スーパーの外に置いてある自動販売機の前で、自転車に乗った小学校4年生くらいの男の子2人の会話が耳に入ってきました。少年A「ジュース、飲まへん?」 少年B「オレ、もう大人やからジュース飲まへんねん」 少年A「そうかあ。大人やなあ」 聞こえてきたのは、たったそれだけの会話ですが、なんか微笑ましく、思わず笑顔になってしまいました。

実はこういう街で出くわすほのぼのとした出来事って、実際には結構あるのだろうと思います。小さな子がニコッと笑って手を振ってくれたとか、仲の良さそうな老夫婦が幸せそうに散歩していたとか。でも、それがすっと目に入ってきたり、耳に入ってきたりするかどうかは、受け止める側の精神状態にかかっているのだと思います。落ち着いた精神状態で、周りに対してやさしい気持ちになっている時だと、こういう会話がすっと入ってくるのでしょう。逆に、イライラしていたりすると、普通は見逃せるような出来事が妙に腹立たしいことに思えたりするものです。今日の私はよい方の精神状態だったのだと思います。新年度の授業が始まって7日目で、ついに自分の子どもより年下の新ゼミ生とのゼミが今日から始まりました。小さな出来事があって、ゼミを説教から始めなければならなかったため、始まる前は実は非常に緊張していました。初っ端に説教をすると、「怖い先生だ」という印象を与え、ゼミ全体の雰囲気が悪くなり、そのままうまく行かなくなってしまうのではないかと心配していました。説教をやめようかとも考えましたが、これまでの代々のゼミ生たちの「先生はそのままのやり方で突き進んでください」という声が聞こえてきて、やっぱりその学生のためにもここはちゃんと注意しようと腹を決めました。でも、どきどきでした。しかし、意外なほど、場の雰囲気は悪くならず、結果的によい形で若い新ゼミ生との1回目のゼミを終えることができました。このことが、私を穏やかな気持ちにさせ、この少年たちの会話を楽しいほのぼのとしたものとして受け止めさせた理由だったのだと思います。大学教師生活30年目ですが、毎年新年度はうまくスタートできるのかどうか緊張します。

436号(2012.4.7)関前ラーメン戦争

 最近関前通りから関大前駅にかけてラーメン屋が次々にでき、数えてみたら8軒もありました。ほんの2年くらい前までは、王将と天下一品くらいしかなかったのに、急速な変化です。若い人はラーメン好きが多いので、今までは少なすぎた気もしますが、それにしても今は多くなりすぎた気がします。ラーメンは意外に高く一杯600円くらいは最低でもしますので、松屋やなか卯よりは割高に感じる人も少なくないでしょう。生き残るのは大変なのではないかと思います。関前のお店の盛衰は激しいので、1年後に果たして何軒が残っているでしょうか?

435号(2012.4.2)ロシアンたこ焼き

 先日卒業生と飲んだ時に、お店のメニューに「ロシアンたこ焼き」というのがあり、おもしろがってつい頼んでしまいました。(こういうメニューを私は初めて見たのですが、合コンでは定番なんだそうですね。)最初は9個中3個に辛いのを入れてもらいやってみました。私はちゃんとおいしいたこ焼きだったのですが、はずれを引いた人が尋常ないほど辛がっていたので、おもしろがって、次は「ロシアンチーかま」を10個中4個でやってみました。運の強い私はここでも問題なしのチーかまでしたが、だんだん辛さを味わってみたくなってきました。両方当たってしまった人が「たこ焼きの方が圧倒的に強烈だ」と言うので、3回目は私を含めて選抜メンバー3人で3個中2個辛いという「ロシアンたこ焼き」に挑戦しました。そして、私自身とそこにいた全員の期待に応えて、見事に当たり(?)を引き、辛さを味わいました。確かに辛かったですが、それまでに当たった人たちのリアクションを見ていたために、心の準備はできていたため、辛かったですが、その辛さの度合いを味わえたので当たってよかったなと、その日は笑って過ごしていました。しかし、翌日胃腸の調子が非常に悪くなり、胃が荒れた感じで、ものはあまり食べられず、トイレにも何度も行かなければならないはめになりました。他の「当たり」たこ焼きを食べてしまった人たちも、みな同じような症状になったようです。どうやら強烈な辛さというのは胃腸に来るのですね。もうこれからは、この手のメニューは挑戦しないでおこうと、心に固く誓いました。(とか言いつつ、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で、なんかおもしろそうなものがあったら、またやっていそうな気もしますが……(笑))

434号(2012.3.25)終わりの始まり

 前田敦子がAKB48を卒業することを発表しました。かなりのサプライズです。AKB48の人気っていつまで続くのだろう?どうやって下り坂に入るのだろう?と思っていましたが、これはまさにそのきっかけになりそうです。大島優子に「AKBの顔」とまで言われた「絶対的エース」前田敦子がAKB48を去ることは、多くの人たちがイメージしてきたAKB48ではなくなってしまいます。そしてまた、彼女の判断は他の人気メンバーにも影響を与えざるをえないでしょう。前田敦子とともに2枚看板だった大島優子もこんな形で1枚看板のエースになるのは居心地が悪いでしょうから、彼女また卒業ということを選択する可能性は高いように思います。篠田真理子や小島陽菜といった古手の人気メンバーも前田敦子より年上ですし、やはりこの機会に卒業するという選択をするかもしれません。この事態は、秋元康の戦略ではないだろうと思います。博多、ジャカルタなどに姉妹グループを作り、まだまだAKB48という商品を売っていきたかった秋元康にとって、この前田敦子の選択は計算外だと思います。よく許したなあと、ある意味で感心します。前田敦子の心中を勝手に察すると、何よりも「総選挙」をもうやりたくないという気持ちが強かったのではないかと思います。AKBにいる限り、あの「総選挙」という洗礼に毎年さらされざるをえないわけですが、もともと人との競争があまり好きなタイプではなさそうな前田敦子にとって、今年も「絶対的エース」は1位になれるのかといったプレッシャーに耐えきれなかったのでしょう。AKB人気を劇的に押し上げた「総選挙」というイベントが、繊細なハートをもったエースの忍耐力を超えてしまったのだと思います。前田敦子自身もAKBを離れたら、今ほど注目は浴びなくなることはわかっていると思いますが、芸能人としては売れなくなっても、AKBから卒業することによって、普通に恋をしたり、デートをしたりできるわけですから、人としてはその方が幸せになれるという判断を下したのでしょう。いずれにしろ、前田敦子の卒業は、AKB48の終わりの始まりになることは間違いないと思います。

433号(2012.3.20)たばこは嫌いだけれど……

 私はたばこは吸いませんし、列車や飲食店はもちろん禁煙席ですし、ホテルも禁煙ルームを探して宿泊するくらいです。しかし、兵庫県で、公共施設(教育関係施設、医療関係施設、官公庁施設、福祉関係施設の4種類で民間も含む)では分煙も原則不可という厳しい禁煙条例ができたと聞き、そこまで徹底的にやるべきなのか、やや疑問に感じています。もちろん、受動的喫煙の被害を受けないように、分煙室はきちんと作り、喫煙する人にはその場所のみで吸ってもらうのは当然と思いますが、分煙室すら不可ということにしたら、たばこをやめられない人たちは、公共施設を出た路上で喫煙するか、条例違反になることに怯えながら隠れて吸うかのいずれかになってしまうでしょう。兵庫県の条例では、大学に関しては当面既存の喫煙室は認めるということだそうですが、当面ということはいずれは全面禁煙がめざされているのでしょう。関西大学高槻ミューズキャンパスではすでに全面禁煙になっていますが、そこで起きていることはキャンパスを1歩出たところで、たばこを吸い始め、ついでにポイ捨てをしてしまう人が少なからず出ているという実態です。たばこはまだ国の法律で禁止されているわけではないので、吸う習慣を身につけてしまった人たちがたくさんいます。たばこを吸うこと自体を悪とするというところまで、日本人の意識は高まっていないように思います。そういう状況の中で、あまりに厳しい規制を課すと、逸脱行動、迷惑行動が増えるだけだと思います。国が法律で喫煙を禁止しない限りは、迷惑にならないところに分煙室を設置し、喫煙はそこでのみできるということを徹底させる程度に留めるべきだと思います。全面禁煙はやりすぎの気がします。

432号(2012.3.11)堺を歩く

 私は大阪府民になって29年ですが、最初の住居は堺でした。しかし、いつでも行けると思っていたせいか、かつて繁栄した中世都市・堺を訪ねるという散策をしていませんでした。特に何かきっかけがあったわけではありませんが、ふらっと出かけてみたくなって歩いてきました。スタートは南海本線七道駅です。駅を出て東に歩くとすぐに堀が見えます。中世自治都市堺は自衛のために町を堀で囲んでいましたが、その一部です。綺麗に整備し直されているので、昔の堀のイメージは湧きにくいですが、場所はそのままです。堀を越えてちょっと歩いていくと古い家がたくさん残っています。この辺は、空襲を受けていないので、古い建物が残っています。そのひとつに、旧鉄砲鍛冶屋敷があります。ここは非公開ですが、そのすぐ近くに堺の鉄砲について教えてくれる資料館があります。そこで、初期の鉄砲作りについて説明を受けたのですが、筒部分の作り方を聞き、そんな風に作っていたのかと驚きました。今なら、高温でどろどろに溶かした鉄を筒型に鋳造するのはそれほど大変なことではないでしょうが、この時代は炭の中に入れて、ある程度熱くした鉄を刀を作るのと同様に鎚でたたいて徐々に筒型にしていったのだそうです。当然接着箇所は弱く、火薬の爆発に耐えられず暴発した鉄砲は山のようにあったことでしょう。強度を増すために何をしたかというと、薄い鉄板を帯状にしてその筒に巻き付けていったのだそうです。強くするためには、その鉄の帯を2重、3重に巻き付けていくわけです。当然、鉄砲は重たいものになります。そこに昔の鉄砲があり(写真左)、持たせてもらいましたが、約8kgの鉄砲は実に重く、こんなものを使って的に当てるのは至難の業だったろうと実感できました。

 ここから南東方向に進むと紀州街道にぶつかります。今は、阪堺電車が走っています。この紀州街道を横切り、さらに少し進むと山口家住宅という民家があります(写真右)。ここは、約400年前に建てられた住宅で、現存する民家としては日本一古いと言われています。さらに南東に進むと寺院にぶつかり、ここから南に向かって立派な寺院がたくさん残っています。現在阪神高速堺線が走っているあたりが東側の堀があったあたりで、この堀に沿った形で寺院が並んでいることになります。西側は海に近いので、攻められるとしたら、東側からと想定した上で、万一の場合は敷地の広い寺院に立て籠もり、ここから東側に向けて鉄砲を並べて応戦するという考え方で、こういう町割りがなされたそうです。西本願寺の堺別院や樹齢1100年を超えると言われるソテツのある妙国寺など大きな寺院が並びます。ここでいったん西(北)に戻り、紀州街道(大道筋)まで行くと、すぐそばに堺刃物ミュージアムがあります。堺は戦いがなくなり鉄砲が売れなくなった江戸時代以後はむしろ刃物産業で有名になり、現在まで続いています。現在でも、和食料理人の包丁は堺のものが多いそうです。ちなみに、鉄砲の筒作りの技術は、明治以降になってからは、堺を自転車の町にもしました。

 紀州街道を南西に下って行くと、ザビエル公園があります。日本にキリスト教を持ち込んだザビエルも堺に来たことがあります。この公園は、キリスト教の宣教師を多く受け入れた商人の屋敷跡だそうです。さらに、南西に歩くと今度は与謝野晶子の生家跡が出てきます。与謝野晶子は堺の菓子商の家に生まれました。ここにはもう記念碑以外何も残っていませんが、刃物ミュージアムに付設されていた堺物産館で、与謝野晶子の生家の菓子商で学んだ人が起こした和菓子屋のどら焼きがあったので買って食べてみました。いかにも昔のどら焼きという感じで、少しだけ与謝野晶子の生家が偲ばれた気がしました。与謝野晶子の生家跡の近くには、千利休の屋敷跡もあります。千利休も堺の商人(魚商)の子どもです。この屋敷跡も井戸が残っているだけの小さな空き地にすぎませんが、歴史的想像力を馳せると、堺には歴史上の有名人物がたくさんいたんだなと思え、改めて感動しました。

 この散策の終点地は南宗寺です。三好長慶が建立した寺院ですが、大阪夏の陣で消失したため、そのすぐ後に沢庵和尚が再建しました。再建前の南宗寺では利休が禅の修行もしたそうで、利休をはじめ千家一門の墓や供養塔があります。仏殿や山門(写真左)が重要文化財になっています。着いた時間が遅く、仏殿と素晴らしいと評判の枯山水の庭園が見られなかったのは残念でしたが、山門をはじめ、いくつかの建物の外観を見ただけでも、素晴らしい寺院だと思いました。この後、また紀州街道まで戻り、阪堺電車に乗って、のんびりと天王寺まで戻ってこの日の散策は終了しました。

431号(2012.3.5)<戦後日本社会>君の高齢化

 報道ステーションで、首都高速道路がかなり古びてきており、その補修をどうするかということが大きな問題になりつつあるというニュースをやっていました。首都高速道路が最初にできたのは1962年だそうで50年経っています。そんな一番古いものばかりでなく、30年以上使われてきた道路はかなり痛んできているそうで、補修すべき箇所は9万箇所以上あるそうです。万一地震等が起きた場合は、崩壊の危険もあるということでした。首都の大動脈ですから長く通行禁止にして補修することも難しいでしょうし、そもそも土台等が弱くなってきている場合には、補修で根本的な対策になるわけではないようで、莫大な費用がかかりますが、掛け替えとかトンネルを新たに掘ることなども考えられているそうです。そのニュースを見ながら、高速道路だけでなく、高度成長期に造られた様々な構造物がそろそろ耐用年数を超え始めてきているのだなと気づかされました。19458月にアメリカという父と天皇(制)という母を両親に誕生した新生<戦後日本社会>君は、今年67歳になる老齢期にさしかかっています。社会は人間よりはるかに長く生きるはずだと思っていましたが、インフラなどの構造物の寿命を考えると、ある体制の社会は人間と同じ程度で一度衰亡期を迎え、新たな再生を必要とするのかもしれないなと思い始めています。1960年から1973年まで続く高度成長期は<戦後日本社会>君にとっては15歳から28歳という青春期にあたる時代で、まさにどんどん成長していく時代でした。1986年から1991年のバブル期は41歳から46歳にあたりますが、ここが<戦後日本社会>君のもっとも華やかな絶頂期だったということになります。今、60歳代半ばを過ぎた<戦後日本社会>君は、青春時代に基礎作りをしたものがさすがにもう使えなくなってきて、どうしたらいいだろうかと悩み始めているということになります。この歳になって、簡単な治療(補修)で根本的な若返りが図れるかと言えば、やはり無理なのだろうなという気がします。明治維新という再生を経て誕生した<大日本帝国社会>君は78歳で寿命が尽きました。<戦後日本社会>君はあと何年生きられるでしょうか?東日本大震災と原発事故は、もしかしたら<戦後日本社会>君の致命傷になっているのかもしれません。このままぼろぼろになりながら100歳、120歳まで生き続けることになるのでしょうか。その場合は、やはり高齢化の進展として活力のない社会になりそうな気がしますが、衰亡そして再生の道筋がどうつくのかが、今は私にもまったく見えません。名前は「維新の会」でも、橋下徹氏のやり方ではないはずですが……。強いて言えば、TPPをきっかけに完全開国をして新日本人による言語も英語を国語とするような<New Japan Society>君にしたら、再生にはなるでしょうね。それがいいことかどうかはわかりませんが、一定の体制の下で成立する社会に寿命があるならば、そういう未来もあながちありえなくはない気がします。

430号(2012.2.12)大学の秋入学を考える

 東京大学が秋入学を本格的に行う姿勢を示したことで、他の国立大学や有力私大にも同調する動きが出てきています。現行の初等・中等教育のスタートと企業の新卒採用を4月からのままにしておくと、高校卒業後と大学卒業後に各半年の空白期間ができます。これについては、ボランティア活動をやってもらったり、長期旅行をするなどすれば、有効に活かせるだろうという考えのようです。確かに、東京大学に行くような人材であれば、時間の無駄は嫌いでしょうから、何か自分なりに有効に使うことを考えるでしょうが、この秋入学が一般化して多くの私立大学にまで広がった場合、この2回の半年の猶予期間を無為に過ごす人もたくさん出てくることでしょう。早く働いて自立してほしいと思っている親にとっても、給料を稼ぐのが1年遅くなるのは痛いと思う人も少なくないでしょう。本来、大学の秋入学・秋卒業が機能するためには、初等・中等教育も官庁・企業もすべての年間スケジュールが秋始まり、秋終わりになっているべきなのです。大学だけが1人走ることは、マイナス面の方が多いと思います。東大の論理は、世界(欧米)の大学基準に合わせ、優秀な人材が海外から入ってくることも、出て行くこともしやすくするためということのようですが、これを突き詰めていくと、東大の公用語は英語にするという考え方も出てきそうです。「国際化」というのが、今やありとあらゆるところで「錦の御旗」のように使われていますので、誰もその方向性に関しては文句は言えないような空気になっています。しかし、単純に国際化を進めることが、日本にとってプラスになるのかどうか、一度しっかり考えた方がいいのではないかと思います。本気でやるなら、日本全体の公用語を英語にして、国民全体から英語コンプレックスをなくさないとだめでしょう。中途半端な「開国」はマイナスになる可能性の方が大きい気がします。日常言語として英語を使っている外国人が、その普通の言語能力によって、日本社会の中で地位を獲得しやすくなり、能力は高いが英語が苦手というだけで、日本人の優秀な人間が排除されるということが起きたら、本末転倒でしょう。英語公用化まで考えないとしても、欧米や中国の基準に合わせて、大学や大学院を開くことで、海外からハングリー精神をもった人々がたくさん来て、企業もそうした外国人を積極的に採用し始めたら、今でさえ就職難の日本の大学生はさらに就職難に陥ることでしょう。4月入学・卒業・就職という制度が、日本にとって適度な人材流入の「関税」のような機能を果たしてきたのに、その点について、議論を深めないまま、秋入学を進めてしまうことは、言ってみれば、何の議論もしないまま、大学に関してはTPP参加に舵を切るようものです。日本人がもう「日本」とか「日本人」にこだわらないという覚悟ができているのなら、それもよいでしょう。日本に暮らしたい人はどんどん日本に来てもらい、なりたい人はどんどん日本人になってもらう。そういう行き方こそが、これからの日本の進むべき方向だと、多くの人が考えているなら、聖域なき開国をすべきでしょう。そうではなく、これまで創りあげてきた日本という社会の伝統に基づいた存続を考えるなら、「国際化」の名の下に盲目的に欧米基準に合わせていくことに対しては警鐘を鳴らすべきではないかと思います。

429号(2012.2.11)武道必修化の問題性

 今年の4月から中学校の体育で武道とダンスが必修化されます。保守を自認する安倍晋三内閣の時に成立した教育基本法の改正(悪?)がついに実施されるわけです。ダンスは武道とのバランスで入れただけで、狙いは日本人精神を植え付けるための武道必修化であったことは一目瞭然です。最近になってマスコミでも柔道の危険性が指摘されるようになってきていますが、朝令暮改を恥とする官僚は土壇場での見直しなどするつもりはないようで、このまま必修化が始まるようです。武道をやったら、日本人精神が身に付くというのは本当でしょうか?正直言って疑問です。確かに、日本文化について無知すぎる人が増えてきていますから、ある程度学ばせる必要はあるのかもしれません。しかし、それなら、茶道や華道、和歌、俳句など文科系のものも学ばせるべきではないでしょうか?「わび・さび」といった日本文化特有の精神は武道からは学べないでしょう。おそらく数年も経たないうちに、必修の授業の柔道で脳に損傷をきたしたといった生徒たちが出てきて、その時点で武道必修化の見直しの声が高まってきて、ようやく改善されるといったことになりそうですが、本当は犠牲者が出る前に悪法は直すべきなのです。4月以降が心配です。

428号(2012.2.10)ちょっと怖い京都散策

 最近座ってばかりいて腰がだるかったのでちょっと歩きたいと思い、京都に行くことにしました。とりあえずの目的地は高台寺と霊山護国神社です。ともにいつでも行けるからと思って結局行きそびれていたところでしたので、この機会に行っておこうと思いました。阪急河原町駅から東に向かい、八坂神社を抜けて高台寺に向かいます。高台寺は、豊臣秀吉の妻ねねが晩年を過ごしたお寺です。小堀遠州作の庭園を見ながら、重要文化財の霊屋にたどりつきます。ここには秀吉とねねの木像がありますが、ねねに関しては木像だけでなく、実際にこの下に甕棺に座った状態で埋葬されているそうです。そうかあ、ここにはねねの遺体があるわけかあと気づいたのが、ちょっと怖い京都散策の始まりでした。霊屋の上には、やはり重文の傘亭と時雨亭がありますが、ねねは大阪夏の陣の時には、この時雨亭の2階から赤く染まる大坂方面を見ていたそうです。

 高台寺を少し南に下り東山に向かう坂を上ると、霊山護国神社があります。ここは、東京の靖国神社と同じ意味をもつ神社で幕末以降の天皇のため、国のために死んだ人々が祀られています。靖国神社と違うのは神社なのに墓域があり、そこに1300人以上の幕末の志士たちの墓があることです。もっとも有名なのは坂本龍馬の墓でしょう。河原町蛸薬師の近江屋で暗殺された坂本龍馬と中尾慎太郎はここに埋葬されています。他にも、著名な志士たちの墓石がありましたが、実際にここに埋葬されているかどうかはわかりません。ただ、一番上には木戸孝允(=桂小五郎)夫妻の大きな墓がありますが、これは本物でしょう。この大きな墓を見た後、足場の悪い石段を慎重に下りてきたのですが、最後の2段で靴がひっかかり派手に転んでしました。脛の外側を思い切り石段にぶつけてしまい、ひどく腫れてしまいました。それまでの散策は気持ちいいなと思いながら歩いていましたが、ここからはつらい散策になりました。

 足を引きずりながら、二年坂を上り、八坂の塔を見て東大路通りを渡り、安井金比羅神社の参道に入ります。この神社の御祭神は、日本史上最大の祟り神とも言われる崇徳上皇で、悪縁を絶つのに御利益があるそうです。こういう神社の絵馬は非常に興味深いのでついつい見てしまいます。病気との縁が切れますようにというまっとうな願いもたくさん書いてありましたが、社会学的に興味深いのは、もっとどろどろした縁を絶ちきりたいという願いが書いてあるものです。見る前の私の予想としては、三角関係に悩んでいるような人が、自分の好きな人とライバルの縁が切れるようにと願う絵馬が多いのではと思っていましたが、それ以上に目についたのは、親が子どものために縁切りを願っている絵馬でした。今つき合っている相手と別れて、もっといい相手との縁に恵まれて欲しいと願うものであったり、たぶんクラスでいじめにでもあっているのか、固有名詞が何人か書かれ、その子たちとは同じクラスにならないようにと願っているものもありました。一番「うーーん、こんなのもあるのかあ」と驚いたのは、「おとうさんとおかあさんが早くわかれられますように」と子どもの字で書いてあったものです。様々な家庭がありますので、子どもでも縁切り神社に絵馬を奉納したくなることもあるんでしょうが、軽くショックでした。

安井金比羅神社を北に抜けるとすぐに崇徳天皇御廟があります。第426号でも少し紹介した崇徳天皇ですが、院政の最大の犠牲者と言ってもよい天皇です。本人にはなんの罪もない出生の問題ゆえに白河法皇がなくなった後は、鳥羽法皇に疎まれ、ついに保元の乱で讃岐に流され、そのまま都に戻れず、「死んだ後は天皇家を祟ってやる」と言って憤死した人です。その崇徳上皇の遺髪がここにあるそうです。神も仏も信じない私ですが、さすがにここでは手を合わせ、「崇徳上皇、あなたは何も悪くないと思います」と、思わず心の中で語りかけていました。その後、足の痛みが少し薄れたような気がしました。たぶん気のせいでしょうが……。ちなみに、天皇・上皇・摂関家を中心とした政治が終わり、武家政権が誕生したのも崇徳上皇の祟りが効果を発揮したせいだと解釈する人もあったようです。以上、「恨み」や「無念」という言葉があちこちから聞こえてきそうな、ちょっと怖い京都散策でした。

追伸:第389号に書いた「崇と祟」ですが、やはり関連がありそうです。「崇」の字が使われている天皇は、どうも恨みをもって死んだ天皇(あるいは実際には天皇になれなかった親王)が多いようです。たとえば、第32代の崇峻天皇は蘇我氏に暗殺されたと言われていますし、実際には天皇になっていませんが、その祟りのすさまじさ故に桓武天皇が長岡京を放棄せざるをえなくなった早良親王には「崇道天皇」という諡が、また南北朝時代の北朝の天皇であった崇光天皇は南朝方につかまり3年あまりの幽閉生活を送った上に、自分の子は天皇になれないという不遇な一生を送っています。やはり、祟りを恐れた人々が、よく似た漢字で意味の良い「崇」の字を、諡としてつけて祟らないように願ったということで間違いないのではないかと思います。

427号(2012.2.9)そうかあ、そうだったんだ

 もうひとつドラマをきっかけに調べてわかったことを書かせてもらいます。『運命の人』というドラマがやっています。1972年に起きた毎日新聞のN記者事件として知られる事件を題材にして、山崎豊子が書いた小説を基にしたドラマです。登場人物は誰がモデルかすぐにわかる役名になっています。さて、このドラマの基になった事件ですが、私は当時高校2年生で詳しいことはわからないまま、新聞記者が男女の関係になった外務省女性事務官から沖縄返還に関わる機密情報を受け取った事件という程度の認識でした。で、今回ドラマを観ながら、「あっそうか、佐藤栄作の奇妙な首相退陣会見はこことつながっているのか」ということに、ようやく気づきました。この事件が裁判過程にあった1972年の6月に佐藤総理は7年以上の長期にわたった総理の立場を引くことを発表し、その記者会見をしたのですが、その際に「偏向報道をする新聞記者は出て行ってくれ」と言い、新聞記者達が腹を立てて全員会見場を退出し、TVカメラのみが回る無人の記者会見場で1人喋り続けるという奇妙な光景が、私の印象にも強烈に残っています。新聞記者が書きすぎたり、適当な編集の仕方をしたりしてひどい記事を書く事なんて、日常茶飯事のはずなのに、なんでこんなに怒るんだろうと、ちょっと不思議に思っていたのですが、実はこのN記者事件で、佐藤総理は完全にキレてしまっていたんですね。佐藤総理からしたら、沖縄返還という大目標のためには、アメリカからの要求に応じてアメリカの肩代わりをして現状復帰のためのお金を出すくらいのことはたいした問題ではなかったでしょう。しかし、公にはアメリカが出さなければならないことになっているので、国民に対しては、「アメリカがちゃんと出している」と言わざるを得ず、肩代わりを約束した文書はマル秘文書にせざるをえなかったわけです。それを新聞記者が「不正な」手段によって情報を得て公開し、沖縄返還という総理としての自分のすばらしい業績に難癖をつけたということで怒りまくっていたわけです。今から思えば(当時もすでに大学生以上であった世代にとっては)わかりやすい論理ですが、高校生の私はそこまでつなげて考えることができていませんでした。あれから40年経って、あの時の総理大臣の大人気ない記者会見の謎がようやく解けました。ちなみに、私が大学に入学した頃は、佐藤政権の後を襲った田中角栄内閣の時代でしたが、その頃大学で撒かれていたビラに「田中内閣の国家機密法と小選挙区改悪を断固阻止する」といったものがあったのをよく覚えているのですが、この時期に「国家機密保持法」が国会の議論に乗っていたのも、このN記者事件が影響しているのだと思います。高校生の時までは政治に対する深い関心が弱く、大学生になってからの政治とつながっていないことが多々あるということに、改めて気づかされました。

426号(2012.2.9)ドラマをきっかけに学ぶ――院政――

 昔からNHK大河ドラマを見ては歴史書を読むということをよくしてきましたが、最近は知識が増えたせいか、戦国や幕末を扱ったドラマだと改めて歴史書を読みたくなることが少なくなってきていました。しかし、今回の「平清盛」は久しぶりに歴史を調べたくなりました。どこを知らべたくなったかというと、院政についてです。歴史の教科書にも必ず出てくる院政ですが、天皇を退いた立場にある上皇が政治運営の実権を握っていた政治体制という程度の説明で、その実態は詳しくは語られません。しかし、今回の「平清盛」を見ていたら、男女関係がどろどろすぎて、一体歴史的事実はどうなっているのだろうと調べたくなりました。 調べてみたら予想以上におもしろく、院政って確かに学校で教えにくいのは当然だけれど、そこを知らないと武家政権の誕生もわからないくらい重要な意味をもつものだということを知りました。

院政とは、1086年に白河上皇が始め、後白河法皇の死(1191年)と鎌倉幕府の成立(1192年)をもって終わる約100年続いた政治体制です。その間上記の2人の間に鳥羽上皇が入るだけで、実質3人しか院政を敷けていません。院政のあまりに恣意的な悪政治があったからこそ武士が力を伸ばし、ついには政権を鎌倉に作るという事態を導いたと言えるのです。すべては、白河上皇というたったひとりの人間の勝手気儘さから始まったと言ってもよいようです。33歳という若さでわずか7歳の息子の堀川に天皇の地位を譲った白河上皇は、その後孫の鳥羽(即位時4歳)、ひ孫の崇徳(即位時4歳)の343年間にわたって「治天の君」として君臨します。系図的にはひ孫の崇徳は、実は孫である鳥羽の中宮であった藤原璋子(待賢門院)と白河の間にできた子だと言われています。さらには、平清盛も白河が白拍子に産ませた子と言われています。もうこれだけ読んだだけで、院政がなぜ学校では詳しく教えられないのか理解できるだろうと思います。白河法皇(出家後は法皇を名乗る)の死後、鳥羽が院政を敷きますが、実子ではない崇徳を嫌い、鳥羽は寵愛していた藤原得子(美福門院)が生んだ近衛に天皇の地位を譲らせます。ここで生まれた対立関係が、近衛天皇、鳥羽法皇の死後、保元の乱、そしてその後の平治の乱となって現れます。結局、漁夫の利を得る形で天皇になっていた、能天気な歌詠みの後白河がその後上皇、法皇となり、院政を敷くことになります。後白河による院政は、清盛がすでに大きな力を持つようになっていたため、白河や鳥羽の時ほどの力はなく、何度も実質的な権力を奪われたりもしていますが、信念のない人間の特徴を活かして源平の間を巧みに泳ぎ切って、天寿を全うしています。

こうした院政の腐りきった政治が武士による政権、それも京都から離れた鎌倉での設立につながったわけです。実に歴史の必然と言える流れです。ちなみに、院政以前は摂関政治になるわけですが、なぜ白河以前の天皇は院政をできなかったと言えば、摂関家の誰かが母方の祖父にあたり、藤原系の天皇・上皇であったために、摂関家の言うことを聞かざるをえなかったからです。ところが、白河の場合は父の後三条も、自分自身も摂関家の娘を母に持っていなかったため、摂関政治から独立できたのです。言ってみれば、摂関政治は母方の祖父が力を持つ政治で、院政は父あるいは父方の祖父が力を持つ政治ということになるでしょう。いずれにしろ、大河ドラマ「平清盛」をきっかけによい勉強ができました。

425号(2012.1.29)最近増えてきた光景

 最近有名な待ち合わせ場所に通りかかると、白髪や髪の薄くなったおじさんたちがラフな格好で数人集まり、他の仲間がやってくるのを待っているという場面をしばしば見かけるようになりました。この待ち合わせおじさんたちのパターンには2種類あります。ひとつは、午前中に見かける光景で、リュックを背負っていて、これから町歩き、山歩きに出かけようとしているのだろうなと推測できるパターンです。もうひとつは夕方早めの時間帯(午後5時台)に、駅などで待ち合わせしているおじさんたちで、こちらはほとんど手ぶらというくらい、荷物を持っておらず、行き先はきっと居酒屋なんだろうなと推測されます。どのおじさんも髪は白くなったり薄くなったりしていますが、血色は良さそうで、足腰もしっかりしていて、とても元気そうです。おそらく、団塊世代なのだと思います。団塊世代とは194749年に生まれた世代のことを言うのはみなさんご存じの通りですが、今この世代のおじさんたちは全員60歳代前半となり、定年退職となり、時間を持てあましているわけです。まだまだ体も元気で、お金もそれなりにあるおじさんたちは、これまで仕事をしていたときにはできなかったような楽しみを実践しつつあるのです。団塊世代は、人口の非常に多い世代ですから、この世代がある年齢期に入るたびに、新しい現象が生まれてきました。週刊少年マンガ誌が誕生したのは、1959年で、彼らが1012歳になる年でした。青年コミック誌(週刊漫画アクションとビッグコミック)が登場した1968年には団塊世代は1921歳でした。そして、大学紛争が一番激しくなったのもちょうどこの頃でした。結婚をしはじめた団塊世代の作る家族は、「亭主関白&内助の功」とは違う、友だちのような「ニューファミリー」と言われたものでした。そして今、リタイアしたばかりでまだまだエネルギーに満ちた団塊世代は、「ニュー60代」として、また新たな歴史を作り出すような気がします。私のような団塊世代より少し下の「しらけ世代」は、永遠に団塊世代が生みだす事象を是々非々で受け止めながら生きていく運命にあります。「ニュー60代」が何を生みだすのか、すぐ下の世代の人間としても、また社会学者としても注視していきたいと思います。

424号(2012.1.23)関西人になってきたのかな?

 先日、東京に行った時のことです。電車の中やファーストフード店での会話が自然に耳に入ってきたのですが、なんかその会話が妙によそよそしく演技っぽく感じてしまいました。話していたご本人達は楽しそうに喋っていましたので、決してよそよそしい会話ではなかったはずなのですが、私はそういう風に感じてしまったのです。昔からよく学生たちが、東京の人の言葉ってよそよそしく感じると言っていたのですが、以前は私自身は特にそういう印象を持っておらず、「へえ〜、そんなものかなあ」と他人事のように聞いていました。しかし、どうやら関西生活30年目を前に、私の感覚もついに関西人の感覚に近づいてきたようです。新幹線から降りて、乗り換えた京都線の車内で、「やん」「やない?」「そうなん」「やねん」といった言葉が飛び交っている会話が聞こえてきたら、急にホームに帰ってきた気がしました。いまだに関西弁を使いこなせず、関西人意識の弱い私ですが、どうやら環境文化に対する感覚はかなり関西人感覚になってきたようです。考えてみると、大阪が人生で一番長く住んでいる場所になっているんですから、当然と言えば当然なんでしょうね。