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Part13

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<目次>

第454号 2012総選挙総括(2012.12.17)

第453 関大生も変ってきたのか?(2012.12.6)

第452号 男子諸君、爽やかにふられよう!(2012.11.10)

第451号 気分一新!(2012.10.1)

第450号 民主主義も絵に描いた餅なのかもしれない(2012.8.30)

第449号 父の日記(2012.8.20)

第448号 親子で初マクド(2012.8.16)

第447号 「マイアミの奇跡」とはまったく違う(2012.7.27)

第446号 レンタル父親?(2012.6.30)

第445号 筋を通す(2012.6.10)

第444号 違和感(2012.6.9)

第443号 第4回AKB48総選挙(2012.6.7)

第442号 離婚式は絶対に普及しない(2012.6.3)

第441号 金環日食(2012.5.2)

第440号 新型うつ(2012.4.30)

第439 ああ、驚いた!(2012.4.25)

第438号 桜にバーベキューは似合わない(2012.4.16)

第437号 ほのぼのを分析すると……(2012.4.10)

第436号 関前ラーメン戦争(2012.4.7)

第435号 ロシアンたこ焼き(2012.4.2)

第434号 終わりの始まり(2012.3.25)

第433号 たばこは嫌いだけれど……(2012.3.20)

第432号 堺を歩く(2012.3.11)

第431号 <戦後日本社会>君の高齢化(2012.3.5)

第430号 大学の秋入学を考える(2012.2.12)

第429号 武道必修化の問題性(2012.2.11)

第428号 ちょっと怖い京都散策(2012.2.10)

第427号 そうかあ、そうだったんだ(2012.2.9)

第426号 ドラマをきっかけに学ぶ――院政――(2011.2.9)

第425号 最近増えてきた光景(2011.1.29)

第424号 関西人になってきたのかな?(2012.1.23)

454号(2012.12.17)2012総選挙総括

 予想通りの自民党大勝という結果が出ました。民主党は私の予想より負けすぎました。多くの比例ブロックで、維新よりも票が取れないなんて驚きです。近畿では維新の方が強いだろうと思っていましたが、北海道と南関東を除いてすべて維新が上回りました。政党支持率の調査などでは、維新が民主の上を行くことはなかったのに選挙ではこうなってしまったのは、前回を10%近く下回り戦後最低となった投票率も影響しているのだと思います。民主党支持者には政治的関心の高い無党派層が多いと思うのですが、今回は民主党に投票したくないし、かと言って他に投票したい政党もないということで投票に行かないという選択をした人も多かったのではないかと思います。維新の議席数が民主党に肉薄するほどになったというのは二大政党制が日本では成立しないことの証明になったように思います。どうせ二大政党制ができないなら、このオセロゲームの様に毎回当選者が大幅に入れ替わる不安定な小選挙区制度を、安定的な中選挙区制度に戻そうという主張がこれから強まってきそうな気がします。2009年の政権交代で、多くの人が期待した「これで日本にも二大政党の時代が来る」という夢が、幻想にすぎなかったということが実感できてしまった33か月でした。中選挙区で問題視された同じ政党の候補者が争わなければならないのはおかしいという批判は、結局小選挙区制度でやっても結局同床異夢の党員だらけの政党を生み出しただけでしたので、もはや中選挙区制度ゆえの問題点だとは言えなくなりました。1票の格差問題もありますし、中選挙区復活の声は高まるだろう思います。安倍政権は何をするのか、双頭の鷲を抱える維新はいつまで分裂せずに持つのか、今後の政治の動きから目が離せなくなりましたが、これらの点についてはまたいずれ書きたいと思います。

453号(2012.12.6)関大生も変ってきたのか?

 学部長職を終えてこの秋から2年ぶりに1回生の少人数クラスの担当に戻りましたが、なんだか2年前までとは学生の質が変ってきたような気がしています。これまでにも学生の教養のなさが嘆かれたり、「ゆとり世代」が入学してきたりするたびに、学生の質の低下が指摘されてきましたが、そのたびに「いやいや、いろいろ言われているけれど、関大社会学部生の潜在力はかなりのものはずだ」と言いつづけ、それなりの成果も引出してきたつもりです。しかし、今年の1回生を担当してみて、理解できないタイプの学生がかなり多くなっていて頭を抱えています。今日はそうしたことを感じさせることが集中的に起きました。1時限目のクラスで「おはよう!」と挨拶しても1人くらいしか挨拶を返してくれません。まあ毎年最初のうちはそんなものなのですが、毎週挨拶しているとだんだんと「この先生は挨拶をするんだ」と理解して、挨拶を返してくれる学生が増えて来たものですが、この12月という段階に来てもほとんどの学生が無視します。さすがにもう一度より大きな声で「おはよう!」と言ったら返す人が増えましたが、そんな風に言われないと気づかない(ふりをする)というのはどういうことなのでしょうか?また、2時限目のクラスでは発表者の5人中4人がマスクをしたまま発表をし、さすがにおかしいのではと思い、「マスクを取って発表してくれないか?」と言ったところ、男子1人がマスクを取りましたが、他の3人が取らないので、またつけてしまいました。おかしくないですか?教師に指摘されても無視するって、一体どういう態度なのでしょうか?もちろん、こちらの言っていることが間違っているなら、そういう反抗もあってもいいでしょう。しかし、発表の時にマスクを取って、ちゃんとみんなに声が聞こえる様に話すのは基本でしょう。なんでマスクを取らないのでしょう。ちなみに、4人とも咳もくしゃみもしていませんでした。就職活動の時もマスクして面接を受けるのかいとまで言ってみたのですが、無反応でした。この2つのケースは基本的なしつけがまったくできていないとしか思えないケースです。入学定員も埋まらないような大学では、こういう学生がかなり出て来ていると聞いていましたが、関大でもこんなレベルの学生たちが集まり始めたのかと思うと、愕然としました。

さらにショックを受けたのはこれだけではありません。レジュメも1頁10行くらいしか入らない大きな文字で印刷して来たり、無駄に写真やイラストを入れて頁数だけ稼ごうとしたり、内容的にぼろぼろだったのでこのままアンケート調査に使わないようにとアドバイスした調査票をそのままぬけぬけと使って発表をしたり、社会学的思考などと難しいことは言わなくても普通に考えたらこれはおかしいだろうと思えるようなことを何の疑問も持たないままそのまま発表してしまいます。もう少し頭を使えばまったく違うものができるはずです。しっかり考えようとせずに、努力をしようとせずに、とりあえず与えられた課題を形式的にこなせばいいだろうと考えているとしか思えません。自分で考える力が弱く、やる気も負けん気も見えない、反省して学習する姿勢も見えない学生がこんなに多いと感じるのは、関大に来てはじめての経験です。今日の1時限目の授業は発表だった2つのグループがともにあまりにひどい内容で早々と授業を打ち切らざるをえませんでした。

しかしそうでない学生たちももちろんいますので、希望は持ちたいと思います。ただし、1度マスクをはずした男子学生がまたマスクをしてしまったように、悪しき態度の人間に巻き込まれる「悪貨が良貨を駆逐する」といったことが起らないように祈るばかりです。久しぶりに、学生にがっかりさせられた1日でした。

452号(2012.11.10)男子諸君、爽やかにふられよう!

 「気分一新」とか言いながらちっとも「つらつら通信」を書かずに1ヶ月以上経ってしまいました。大学での会議はもちろんぐっと減りましたし、精神的にもストレスは溜まっていませんが、研究と教育が非常に忙しく、なかなか「つらつら通信」まで手が回らないという状態です。今も変わらないですが、あまりに書いていなさすぎたので、久しぶりに書いてみます。

最近、神奈川県の逗子で男性が昔付き合っていた女性を殺し、自らも首を吊って死んだという事件が起こりました。いわゆるストーカー殺人(無理心中?)です。その容疑者の写真がワイドショーで紹介されていましたが、結構おしゃれで爽やかそうな男性でした。ストーカーをしているというと、なんか暗そうなタイプを思い浮べやすいですが、写真と経歴(非常勤ですが教師をしていた)を見る限り、全然そんな感じはなく、一人の女性にこだわらなくても、他の女性と恋愛ができるタイプだという印象を持ちました。2人とも死んでしまっているので、詳しい事情はわかりにくいですが、流れている情報では、女性が一方的に結婚の約束を破ったことに腹を立ててストーカー行為に走ったということのようです。どんな別れ方であったのか、どちらに非があったのかはまだよくわかりませんが、とりあえず、私が思ったことは、「どうして爽やかにふられてやらないのだろう」ということでした。実は最近学生たちからも、男性たちがふられることを受けとめられずに、必死でよりを戻そうとするという話をよく聞くようになりました。たぶん、そういうパターンに入りこみやすい男性は自分自身は恋愛を誠実にやってきたと思っているのだと思います。チャラチャラと他の女性にも色目を使ってきたような男性なら、別れたいと言う彼女にそこまで執着はしないでしょう。「自分には非はない。なのにどうして別れなければならないのだ。プライドが許さない」と思い込むと、素直にふられるわけには行かなくなり、よりを戻そうとし、戻らないとなると恨み、場合によってはストーカー的な行為にまで行ってしまうというような構造ではないかと思います。今は恋愛自体が成立しにくくなっているので、特に執着しやすくなっているのかもしれませんが、終りかけの恋に執着してもまずいいことはありません。女性が別れたいと言うなら、男子たるもの、爽やかにふられた方が、長い人生で見たら絶対いいと思いますよ。楽しい恋愛は生活にうるおいをもたらしてくれますが、失恋は成長の糧になります。失敗を上手に乗り越えていくことが、人を成長させるのです。そして、爽やかにきれいに終った恋愛はいい思い出になりますよ。ということで、再度言います。男子諸君、爽やかにふられましょう!

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451号(2012.10.1)気分一新!

 10月になりました。4回生諸君は今日が内定式で、改めて半年後には社会人かと自覚しなおした人がたくさんいたことでしょう。さて、私はついに2年間の学部長職から解放されました。「バンザイ!」という気分です。小なりと言えども、60人の教員と三千数百人の学生、大学院生の組織の長ですから、いつどこで何が起きるかわかりませんし、そして起きた場合は責任を取らなければいけないわけです。これは、なかなか重苦しい気分でした。実際2年間事件はいろいろありました。また、発言にも気を使います。ただの一教員のつもりで発言したいと思っても、学部長としての発言と解釈された時大丈夫だろうかなんてことを、いつも考えていて舌鋒も鈍り、このつらつら通信も抑え気味のトーンで書いていました。これからは、一教員に戻りましたので、以前のように、もっと自由に発言していきたいと思います。最近の若い人たちは出世志向がないと言われ始めてずいぶん経ちますが、私も若い人たちに同感できる方かもしれません。ラインを昇って行くより、スタッフ的ポジションでいた方が間違いなく楽です。ただ、いてもいなくてもいい存在と思われるようではだめですね。自分のやるべきことをやって、存在に意味があると思われるようには生きたいものです。ともかく、気分一新の10月スタートです。

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450号(2012.8.30)民主主義も絵に描いた餅なのかもしれない

 ソ連や東欧の社会主義国家が1990年代に次々に崩壊し、中国が「近代化」の名のもとに資本主義的方針を打ち出し成長を遂げていった時、社会主義は理念は素晴らしくても現実の体制としては崩壊せざるをえないのだということに多くの人が気づいたわけですが、今や民主主義も同じように理念はすばらしいが、理想的な民主主義は現実に維持するのは困難であることを指摘せざるをえなくなっています。長らく自民党の1党支配体制が続き、政権交代が起きないことが日本の民主主義の問題点だと思ってきましたが、民主党が政権を取った後の政治を見ていると、結局こんな政治家たちを当選させてしまっている有権者のあり様が問われなければならないのだと思います。次も橋下徹率いる「維新の会」が、手垢がついていないというだけの理由で、とりあえず勝たせてみようか思っている有権者は多いように思います。もしもそんな事態になったら、今よりひどいことになるでしょう。とりあえず選挙に勝って国会議員になりたいと考えているような輩しかいません。候補者自身の知識も経験も不問なまま、橋本の「維新の会」だから投票するという人がたくさんいそうです。こんな感覚的な投票行動しかできない人間の集まりに、民主主義を持ち込んでも、「ポピュリズム」にしかなりません。民主主義が理想的な形で存続するためには、社会で生じている諸問題に関して識見をもち、感覚的ではなく、自分のためではなく、社会のために働く政治家は誰かを把握する目をもった有権者が必要ですが、そんな条件をクリアできる有権者なんて1%いるでしょうか?日本は先進国の中で特に少ない方だと思いますが、他国にしても、そんな人が2割を超える社会なんてないのではないでしょうか。「すべての社会のメンバーが主権者としての自覚をもって政治にかかわる体制」が民主主義なのですが、こんな理想的条件が満たされることはまずないでしょう。つまり、民主主義も理想的な形では決して実現し得ないものなのではないかという気がしてきています。

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449号(2012.8.20)父の日記

 この夏の最大の収穫は、父親の青春時代の日記を読むことができたことです。以前から、父親の日記が残っていることはわかっていたのですが、母親のOKが出なかったので、見ることができなかったのですが、ここに来て、母親も「いずれ、あなたに引きついでもらうのだから、もういいわ」と言って解禁してくれました。たくさん見つかったのですが、量が多いので、とりあえず昭和22年正月から24年暮れまでの3年間分を読んでみました。いやあ、おもしろい。すばらしくおもしろいです。数々恋愛小説や日記文学を読んできましたが、これほどおもしろいものには出会ったことがないと断言できます。もちろん、自分の父親で登場人物も結婚する前の母親であったり、親戚だったりしますので、顔も浮かぶという要素が大きいことは認めますが、そうしたものを差し引いても、これは世に残すべき戦後青春日記だという気がしています。

私の父親は昭和211月生まれなので、昭和22年正月はまだ19歳で、旧制第五高等学校の2年生でした。読んだ日記の最後である昭和2412月は東京大学文学部英文学科の2年生です。1922歳の日記ですので、ちょうど新制の教育制度で言えば大学1年生の正月から4年生の暮れまでの3年間に当たります。息子が言うのもなんですが、父はすばらしく頭のよい人で、文章も実に巧みな人でした。その片鱗というかそのままの能力がすでにこの日記に表れています。旧制高校生の生活ぶり、昭和23年の東大入試の実態(受験勉強を全然していません)、そして、まだまだ食糧難の東京に出ての下宿暮らし、ストライキばかりで授業が成立していなかった東大の共産党細胞全盛期の学生たちへの見方など、若者研究を重要な研究対象としている私にとって、貴重な資料になる内容です。しかし、なんといっても、この日記のおもしろさは、その内容の根幹をなすのが女性への思いを綴ったものだからです。それも、一人の女性に対する思いを貫きましたという内容ではなく、まあ登場する女性の多いこと、多いこと。ただし、父親の名誉の為に言っておくと、決して次から次へとつき合う女性を変えていたというような浮気者ではありません。初恋に近い一人の女性(ちなみに、この女性は私の母親ではないのですが……)に対する純粋な恋愛感情を持ちつつも、他の女性にもなんとなく惹かれてしまい、またそのことを深く反省したりするのですが、それでもまたふらふらしてしまうという青春恋愛日記なのです。昭和24年の後半には、母が唯一の恋人となり、結婚のことも視野に入れ始めているのがわかります。(ちなみに、父と母は、父が東大を卒業して1年も経たない昭和273月に結婚しています。)こんな日記がおもしろくないわけがありません。このままドラマ化も可能だと思えるほど、戦後直後の一人の若きエリート男性の人生が赤裸々に語られています。この日記を埋もれさせてしまうのは、あまりにももったいないので、なんとかしようと本気で思っています。

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448号(2012.8.16)親子で初マクド

 親子で初めてマクドナルドに行きました。「えっ、今まで行ったこと、なかったんですか?」と疑問をお持ちになると思います。もちろん、私が親としてなら、子供が小さかった時に、何度も行っています。今回、親子でマクドナルド体験が初めてだったのは、私が82歳の母親を連れて行くというパターンの親子関係だったからです。お墓参りの帰途、マクドナルドの看板が見えたので、ふと母親はハンバーガーを食べたことがないのではと思い、聞いてみると、やはりないという答えでしたので、じゃあ一度行ってみようかということになったわけです。ベーコンレタスバーガーにフライドポテト、そしてシェークも頼んでみました。すべて母親は初めて口にするものばかりでしたが、「おいしいわね」と言って食べていました。「まるでお上りさんみたいね」とちょっと恥ずかしそうでしたが、一度きりの人生ですので、こんな体験もいいのではと思った次第です。でも、うちの母親が珍しいわけではなく、80代以上の女性では、マクドナルドに行ったことがないという人は、結構いるのではないでしょうか?

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447号(2012.7.27)「マイアミの奇跡」とはまったく違う

 一昨日の女子に引き続き、昨晩の男子サッカーはスペインに勝ち、いいスタートを切りました。アトランタ・オリンピックのブラジルに勝った「マイアミの奇跡」に模して「グラスゴーの奇跡」とテレビでは言っていましたが、まったく違う試合でした。16年前のブラジル戦は9割方攻められ続けて、たった1回だけあったブラジルのミスにつけこんで取った1点を、川口の神がかかり的セーブで守り切った試合でしたので、まさに勝利は奇跡でした。しかし、昨日の試合は実力で勝ち取った試合です。今の日本選手は世界に通用する力を十分持っています。ボール支配率はスペインの方が上でも、決定的チャンスは日本の方がはるかに作れていて、2-0あるいは3-0で勝っていてもおかしくない試合でした。直前の交流戦であるメキシコ戦で勝ったのも大きかったと思います。しっかり怖がらずに前からボールを取りに行けば、今の日本は十分どのチームとも互角以上にやれると自信を持てたのでしょう。このやり方を続けられるなら、予選突破、メダルも本気で見えてきます。ただ、日本チームは他チームよりも走り回りますので、中2日の日程が続くオリンピック・スケジュールはしんどく、徐々にパフォーマンスは落ちてくる可能性があります。また、ベンチ入りしている18人の力が拮抗しているわけではないので、キーになる選手が怪我などで出られなくなった時には、一気に力が落ちてしまうでしょう。具体的には、清武、酒井宏、吉田、徳永の4人がすべての試合に先発出場し続けられるかどうかが大きなポイントです。この4人の誰かが出られなくなっただけでも、日本チームの力は大きく落ちてしまいます。あと昨日の試合でよかったのは、永井、大津、山口です。永井のスピードは相手チームにとって脅威になるのは間違いありませんが、あのパフォーマンスを全試合で維持できるのかどうか不安です。維持できたら、日本の大きな武器にはなります。大津は今は絶好調なんでしょうね。メキシコ戦、スペイン戦とも見事なボレーシュートでした。これが実力であれば頼もしい限りですが、FWの選手は波もありますので、この2試合のようなパフォーマンスが毎試合期待できるのかどうかはわかりません。ただ、FWは杉本もいるので、万一の場合もそれほど戦力ダウンにならずにやれるのではないかと思います。むしろ、心配なのはボランチで、メキシコ戦では山口も扇原も自信なさげのパフォーマンスだったので心配していたのですが、スペイン戦は2人ともかなりよくなりました。特に、山口は積極的な攻撃参加もしていて、よく機能していたと思います。いずれにしろ、U-23日本男子サッカーに力があるのは間違いなく、このロンドン・オリンピックの大きな楽しみになってきました。

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446号(2012.6.30)レンタル父親?

 「家事の外部化」というテーマで卒論を進めている学生の発表から、今後どんなものが外部化(市場化)されるだろうかという議論になり、「父役割」も外部化できるのではないかという怖いけれど興味深い議論が出てきました。「あなたの好みの父親()をレンタルします」というのは、うまくシステムを構築したら、商売になるかもしれません。メインターゲットはシングルマザーになりそうですが、夫がいる人でも、様々な理由で子供との時間をあまり持ってくれない、あるいは苦手なことには付き合ってくれないなどの不満があれば、こういうシステムを利用して、こんなお父さんを味あわせたかったという需要は生まれるかもしれません。キャッチボールをしてくれるお父さん、サッカーを一緒にしてくれるお父さん、釣りを教えてくれるお父さん、キャンプをしてくれるお父さん、勉強を教えてくれるお父さん、人生を教えてくれるお父さん、買い物や映画や食事に付き合ってくれるお父さん、父親参観に来てくれるお父さん、かっこいいお父さん、いろいろなタイプの男性を取り揃えておいたら、子供のためにならお金に糸目をつけない母親たちから注文が入るかもしれません。もちろん、あくまでも健全な商売にするためには、子供(小学校低学年まで)関連の活動以外の注文は受けないと厳しいルールと倫理規定を設けておかなければならないでしょう。

 まあこんなことは机上の議論であって実現なんかしない方がいいに決まっていますが、よく考えてみると、「妻役割」はかなり外部化されていて、男たちは自分の好みの妻(役割)を手に入れるために、結構お金を使ってたりするよなあとかまで気づいてしまうと、「レンタル父親」もあながちありえなくはないかもと思い、ここに書いてみた次第です。

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445号(2012.6.10)筋を通す

 学部長になって18ヶ月が経ちましたが、この間一番よく使っていた言葉は「筋を通す」だった気がします。学部長として様々な問題を判断するにあたって筋が通っているかどうかを唯一最大の規準にしてきました。しかし、よく考えてみると、学部長になったから「筋を通す」と言い始めたわけではなく、私の行動と判断の規準は一貫してこの「筋を通す」にあったのだと改めて気づき、私の「座右の銘」にしてもいいかもしれないと思い始めています。では、「筋を通す」とは一体どのようなことでしょうか。まず一般的には規範(規則・慣習)に従うことが筋を通すことになることが多いわけですが、規範の方が時代遅れで現状にあっていなければ、規範を変えることの方が筋を通すことになると思っています。また、規範は原則ではありますが絶対的なものではなく、例外的に処理した方がよい十分な理由があるならば、規範に合わなくても例外的に処理する方が筋を通すことになると思っています。法を楯に杓子定規な解釈をするのが筋を通すことではなく、状況に応じて多くの人が納得のできる柔軟な対応も可能とする姿勢で判断することが、筋を通すことになるのだと思っています。

 この筋を通すという行動原理は自分に課すだけでなく、自分が指導し育てている学生にも求めています。たとえば、ゼミ生がゼミの日にどうしても別のことをしたいということがたまにあった場合、それをどうしてもしたいのでゼミを休ませてほしいと正々堂々と言い、筋を通してくれるなら、私はほぼ100%それを認めてきています。ゼミを休むのは望ましくはありませんが、たまにはどうしてもということはあるでしょう。しかし、認めてもらえないかもしれないと勝手に思いこみ、「体調不良」だの「内定先の集まり」だの虚偽の理由をつけて休むというのは、筋の通らない行動です。いちいち本当か嘘かなんて確認は取りませんので、騙しきれることもあるかもしれませんが、何かの拍子でばれてしまうことだって結構あるものです。そうなると、嘘をついたことのマイナスは、正々堂々と休む理由を伝えた人とはまったく違うものになってしまいます。それでも、嘘がばれた後、きちんと謝り、反省できる人なら、最後にはちゃんと筋を通してくれたと思ってあげられますが、ばれた後に、「他の人だってやっている」と開き直るような人は最悪です。私の規準から言えば、まったく筋の通らない行動をしている人です。人間は不完全な生きものですから、たまには嘘をついてしまったり、単純なミスをしたり、意図せずに人を傷つけたり、いろいろな失敗や間違いをするものです。(自分自身のことを振り返っても、そんなことは幾度となくありました。)失敗や間違いそれ自体は仕方がないことだと思います。問題は、そうしたミスをした時に、きちんと謝罪と反省ができるかです。それができれば、私は最低限の筋は通してくれたと思うことにしています。

 筋を通すこと、これをこれからも私は自らの行動原理とし、筋の通らないことには、首を縦に振らない生き方を続けていきたいと思います。

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444号(2012.6.9)違和感

 フェイスブックに登録して1ヶ月強ですが、いまだに違和感が払拭できません。友達申請を承認した人が書き込んだ、なんということのない日常生活がフェイスブックを開くと自動的に情報として入ってきます。まあ、書いた本人は他者に知って欲しくて書いているのだからそれはそれでいいのでしょうが、それにコメントした人とのやりとりもすべて見えてしまいます。まあみんな見えることが前提で、どうってことのない会話をしているのでしょうが、2人の間のコミュニケーションがすべて見えてしまうことにどうも慣れません。まるで、たまたま喫茶店で隣に座った人たちの会話が丸聞こえになっている感じで、違和感が払拭できません。もうひとつ違和感が強くあるのは、飲み会の写真などがばんばん掲載されていることです。私も教え子のフェイスブックで何度も飲んでいる姿が登場していて、「ええっ、こんな写真、載せないでくれよ」と言いたくなったほどです。先日あった飲み会でも、その場で写真を撮る人がいたので、「絶対にフェイスブックに載せるなよ!」とわざわざクギを刺したほどです。別にどうということのない写真と言えばそうなのですが、リラックスして飲んでいる時の写真が見ず知らずの人たちにも公開されてしまうことに強い違和感があります。こんな状態が続くなら、近い将来一般人の間でも肖像権をめぐる訴訟とかが頻繁に起こる時代がきっと来るでしょう。嫌煙権運動が広まり、最近では宴席でタバコを吸うひとは、周りに「タバコを吸ってもいいですか?」と聞くのが常識になりましたが、今やそれ以上に「今日ここで撮った写真をフェイスブックに載せていいですか?」と問わなければいけないのではないかと思います。嫌写真掲載権運動でも起こしたい気分です。フェイスブック活用者は、一体なんであんなに自分の日常を多くの人に知らしめたがるのですか?社会や政治に対する意見ならば公開する意味もわかりますが、なんということのない日常をさらけだすことの意義が、私にはさっぱりわかりません。そんなにたわいない日常に、「いいね!」って言ってほしいものなのでしょうか?そんな日常のさらけ出しに使うだけなら、フェイスブックの価値はたいしたことがないですね。もっと社会について考えたことなんかを書いて下さい。なるほどと感心したら、私も初「いいね!」ボタンを押してみます。

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443号(2012.6.7)4回AKB48総選挙

 AKB48の総選挙が終わりました。終わってみれば、ガチガチの大本命の大島優子が2位に大差をつけての1位になり、予想外のドラマは生まれず、多くの人が描いたとおりのシナリオ通りに進みました。唯一シナリオと違ったのは、時間が延び延びになって、ドラマのクライマックスとして用意し期待もされていた前田敦子から大島優子へのお祝いの言葉とその後の2人の抱擁という場面がテレビで放送されなかったことでしょう。テレビを見ていたほぼ全員が、「えっ、ここで終わるの?」と思ったのではないでしょうか?あと10分程度の放送時間の延長をしなかったのは、フジテレビとしては大きな判断ミスだったように思います。ついでに、順位発表がされている中で、指原莉乃にばかりインタビューをするのはおかしいということも多くの人が感じたことでしょう。

 個々のメンバーのスピーチには感心するものが結構ありました。大島優子がスピーチがうまいのは周知のことですが、今回の最優秀スピーチ賞は篠田麻里子だというのは衆目の一致するところでしょう。前田敦子の卒業宣言を受けての総選挙で、多くの人が一番気にかかっていたことをしっかり受け止めて、最年長の彼女らしい見事なスピーチをしてみせました。日本人は人前で話すのが下手だと言われますが、AKBの女の子たちのスピーチを聞いていると、スピーチ下手なんてただの経験不足と自信のなさによるものにすぎないんだとよくわかります。

 前田敦子の卒業宣言で「AKB48の終わりが始まった」と思いましたが、今回の総選挙の全投票数は昨年を上回り、予想がはずれた感じもしていましたが、昨日今日のマスコミの取り上げ方は昨年よりずいぶん少なくなった感じがしますので、やはりまだ微妙なところにいるような気がします。これから、東京ドーム公演、前田敦子の卒業、今回の選挙結果を受けての新曲発表と8月はまた盛り上がるでしょうが、その後でしょうね。11月頃に発表する新曲こそAKB48の今後を占う試金石になりそうです。そこで、秋元康が前田敦子という「絶対的エース」なきあと、どういうメンバーを選抜し、誰をセンターに据えるのか、そしてそれをファンがどう受け止めるかによって、その後のAKB48は大きく変わってきそうです。いずれにしろ、しばらくは「世代交代」をキーワードにして、AKB48はまだある程度の注目を浴び続けることにはなるでしょう。終わったばかりですが、来年の総選挙の際に大島優子が出続けるのかどうかが気になります。当然1位になると期待され続けて被選挙者にされるのは、なかなかつらいものがあります。勝って当たり前、負けたらドラマチック、なんて思われて、あの場にいるのはつらいことでしょう。かと言って、今年の前田敦子とまったく同じようなタイミングでの卒業宣言、総選挙参加辞退では二番煎じといった印象を与えるでしょうし。AKB48にとっても、大島優子にとっても難しい選択です。

 それにしても選挙というのは、一番おもしろい人間ドラマであることは間違いないですね。自分がその場に引っ張り出されない限りにおいては、ですが。

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442号(2012.6.3)離婚式は絶対に普及しない

 先日NHKで放映されていた「離婚式」というドラマを見ませんでしたか?実際に離婚式をおこなったカップルの話を元にドラマ化したものだそうですが、見ていて離婚式っておかしいし、絶対に普及はしないだろうと思いました。そのドラマの離婚式は、「新郎・新婦」ならぬ「旧郎・旧婦」がウェディング礼服を着て登場し、「仲人(なこうど)」ならぬ「裂こうど」が挨拶をし、2人の最後の共同作業として結婚指輪を一緒にたたき割り、仲がよかった時代の映像をみんなで見て、最後には旧婦が旧郎にケーキを顔面に投げつけるというパフォーマンスをしていました。当初は出席を嫌がっていた両親・家族も、それが2人が幸せになる道ならと理解を示すという物語でした。正直言って、「ありえない!」というのが、率直な私の感想です。確かに、盛大に披露される結婚と違って、離婚はあまりにひっそりと行われ、かなり親しい人以外は離婚したことすら知らないという実態があり、何らかの形で知人に知らせる機会があった方がいいのかもしれないというのはわからなくもないです。私も、何気なく「最近、奥さん(orダンナさん)は元気にしている?」と聞いて、「実は……」とその場で知らされ、気まずい思いをしたこともあります。しかし、周りの人間がどう対応したらよいかわからないこんな「離婚式」なるものは、本人たちの自己満足以外の何物でもありません。嫌いになりきってしまわないために、この離婚式が必要だったとドラマでは言っていましたが、もともと結婚式を挙げていない2人だったというのが、このケースでは離婚式を必要とさせた特殊な理由だったように思いました。一般的には、離婚式なんて周りの人間にとっては迷惑なだけです。儀式が必要なら、2人で勝手にやってくれればいいのです。披露は必要な人だけにしてくれればいいと思います。万一知らずに聞いて、私のようにちょっときまずい思いをすることがあっても、そんなものはその場だけで終わります。私はそれで結構です。結婚式は喜んで出席しますが、離婚式なんて招待されても絶対に出席しません。

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441号(2012.5.2)金環日食

 今月21日に日本のかなり広い範囲で、金環日食が見られるということで、盛り上がっているみたいですね。大きな事故のニュースなどがない時に、ちょくちょくTV番組でも取り上げらています。東京で見られるのは173年ぶりで、今回のように日本全国の広範囲で見られるのは次は300年後と聞くと、盛り上がるのは当然だなと社会学者としては理解できます。でも、私は個人的には特に強い興味は湧きません。考えてみると、大規模な流星群が来ると言われても、特に見たいと思ったこともないです。流星を初めて見たのは、2009年秋、つまり54歳の時でした。たまたまゼミ合宿の日だったので、ゼミ生たちに引っ張られて見たのが初体験でした。感想はと言えば、「こんなものなのかあ……」といったテンションの低いものでした。どうも天体ショーに心が浮き立たないタイプみたいです。世の中には、私のように、この世紀の天体ショーにたいして興味がないという人もいますよね?どういうタイプの人が天体ショーでテンションが上がるタイプなのかを分析することの方が、私にとっては興味深いです。まだデータが少なすぎて、どういう人が天体ショーが好きなのか、よくわかりません。どなたか分析できる方にお教えを乞いたいと思います。

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440号(2012.4.30)新型うつ

 昨晩放送されていたNHKスペシャルはご覧になりましたか?最近の若者に多い「新型うつ」という「病気」についてでした。これまでの「うつ」と言えば、真面目で責任感の強い人間がある時もうこれ以上はできないと思ってしまい、すべてにやる気が出なくなり、生きることさえつらくなり自殺願望にまでつながりやすくなるというイメージだったと思いますが、「新型うつ」という「病気」は仕事に関してはもうできない、やれない、会社に行きたくないという気持ちになるものの、遊びに行ったりすることは楽しくできてしまうという「症状」なのだそうです。昨日のNHKスペシャルでは実際にあった話を元にドラマ化していましたが、会社でのミスを上司に怒られ、その上司を恨み、眠れない、落ち着かないという症状が出ていると病院で話したところ、「うつ」と診断され、喜んで3ヶ月の休職届を出し、その休職期間中に海外旅行に行ったり、飲み会をしたりして楽しんでいるという若者が描かれていました。ドラマ化されているので、幾分誇張されているかもしれないと思われがちですが、実際の会社の人事部では、今や似たようなケースが頻繁に生じており、「病気欠勤期間中は病気療養に専念しなければならない」と就業規則に新たに書き込んだ会社があったり、病気で休職期間中の従業員の家庭訪問をする会社もあると紹介されていました。見ながら、率直に思ったことは、これは病気なのだろうかということでした。パーソナリティの問題ではないだろうかというのが多くの人が感じたことではないかと思います。長年若者と関わり、そういう研究もしていますので、若者が打たれ弱くなっていること、頑張ったのだから結果がどうあれほめてほしいと思いたがる人が多いこと、つらいことやしんどいことからは逃げたがる人が多いことなどは、私にとって周知の事実です。豊かで優しい社会の中で育った若者たちは、実社会に出た途端、その厳しさに愕然として、不適応を起こします。会社に行きたくないという気持ちにもなるでしょう。でも、お金を稼ぐというのは楽なことではないのだから、こういうことも乗り越えて行かなければならないのだと、多くの人はこれまでの甘すぎた人生はもう望めないのだと覚悟して、自らのパーソナリティをたくましいものに徐々に変えていくものです。これは、何も最近に始まったことではなく、近代教育制度ができ、学校に通っている間は「子ども」でいいのだという価値観が一般化してからは、大なり小なり誰もが通ってきた道でした。それが、最近はその不適応を起こしている段階で「病気」と診断してくれる医者がおり、休職ができてしまうわけです。本当にそれでいいのだろうかと頭を抱えたくなります。日本もグローバリゼーションという大競争世界に巻き込まれているという事実は誰もが認めていることなのに、そこに巻き込まれ戦わざるをえない企業の一員である自分は厳しい競争に晒されるのは嫌ですというのは通らない話です。インターネット回線もすべて断ち切り、鎖国でもして、日本的な過剰な優しさに満ちた「世界一幸せな国」でもめざすなら、日本流の甘い社会も夢見られるのかもしれませんが、誰もそんな方向は望んでいないはずです。であれば、世界は競争に満ちた社会であり、そこで生きていこうとするなら、競争に勝てないまでも負けても生きていける強さを身につけるしかないのです。「うつ」とか診断されて、喜んでいる場合ではありません。

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439号(2012.4.25)ああ、驚いた!

 なんか最近すごい勢いでFacebookが広まっていて、政治的な影響力も持ちそうだと新聞に書いてあったので、現代を見つめる社会学者としてはいい加減ちょっとは覗いておくかと思い、とりあえず登録だけしてみました。登録した時に忙しかったので、プロフィールも何も書かず、メールアドレスと英語表記の名前だけ入れたのですが、数時間経ってパソコンを開いたら、「知り合いかも?」という形で、結構な数の教え子たちのFacebookが一気に届いており、驚きました。どうして知り合いって、わかったのでしょうか?情報としては、上記2つだけだったので、なんらかの形で、上記2つの情報を書き込んだことのある人がピックアップされたということでしょうか?その後、漢字で名前を入れたり、高校、大学、勤務先などのプロフィールも登録したら、当然のようにさらに多くの人が「知り合いかも?」と出てきました。しかし、関西大学を登録している人は山といるであろうに、私のところに届いたのは、非常に高い確率で、うちのゼミ生でした。「片桐ゼミ」などという情報はまったく入れていないし、私の出身高校と大学はゼミ生とは何のつながりもないので、考えられるとしたら、関西大学と私の名前、メールアドレスを何らかの形で結びつける機能があって、そこから割り出されるのでしょうね。仕組みがよくわからず、なんか怖くなってきました。誰か仕組みを教えて下さい。

〔追伸〕もう何人かから「友達リクエスト」をいただいていますが、「友達」になるとどういう事態が起こるのかまだわかっていないので、返事ができずにいます。まさか、こんなことになろうとは……(汗) しばらく時間をください。

〔追記(2012.4.28)〕いろいろ考えた結果、現役学生と「友達」になるのはやめておくことにしました。卒業生、その他の知人からのリクエストであれば、一応「友達」承認をしたいと思います。ただ、私は書きたいことがあったら、このHPに書きますので、Facebookにはたぶんほとんど何も書かないと思いますが……。

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438号(2012.4.16)桜にバーベキューは似合わない

 最近、桜の名所でバーベキューをするグループが増えていて、臭い、煙、騒ぎ、後始末などが問題視されつつあるようです。大阪城公園ではバーベキューをしてよい場所を作り、それ以外の場所では禁止としたそうですが、ルールを守らないグループがかなりあり、問題になっているようです。私は、そもそも桜の名所でのバーベキュー自体を禁止すべきだと思っています。花見の風情も何もなく、桜ではなく肉ばかり見ているようなバーベキューは花見とは相容れない行為です。桜を見ながら酒を酌み交わしたいなら、お重に詰めた三段弁当でも持ってきてやってほしいものです。そこまでは無理でも、せめて臭いがせず、煙も出ず、後始末もちゃんとできるような食べ物でやるべきです。日本文化の伝統も何も感じずに、ただバカ騒ぎをしたいだけの人間に桜はもったいないです。

ここ数年迷惑行為に関する規制が緩くなったのか、花見シーズンだけでなく、夏も河原などでバカ騒ぎをし、後始末もちゃんとしないというのもしばしば問題になりますし、極端なケースでは、子どもの運動会にバーベキュー・セットを持ち込んでバーベキューを始める親グループもいたりするそうです。私は、このバーベキューという食習慣にあまり好感を持っていません。せいぜいバーベキュー設備の整ったところで、後始末も自分たちできちんとやる場合だけは目をつぶりますが、基本的にはバーベキューなどなるべくすべきではないと思っています。わからず屋の年寄りみたいな意見だと若い人たちに笑われそうですが、バーベキューという食には、日本的な良さが何もありません。バーベキューや焼き肉ばかりがご馳走でテンションが上がるというような日本人ばかり増えるのは心配です。

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437号(2012.4.10)ほのぼのを分析すると……

 まったくたいした話ではありませんが、思わずほのぼのとして微笑んでしまったエピソードをひとつ。大学からの帰りに、近くのスーパーに寄った時の出来事です。スーパーの外に置いてある自動販売機の前で、自転車に乗った小学校4年生くらいの男の子2人の会話が耳に入ってきました。少年A「ジュース、飲まへん?」 少年B「オレ、もう大人やからジュース飲まへんねん」 少年A「そうかあ。大人やなあ」 聞こえてきたのは、たったそれだけの会話ですが、なんか微笑ましく、思わず笑顔になってしまいました。

実はこういう街で出くわすほのぼのとした出来事って、実際には結構あるのだろうと思います。小さな子がニコッと笑って手を振ってくれたとか、仲の良さそうな老夫婦が幸せそうに散歩していたとか。でも、それがすっと目に入ってきたり、耳に入ってきたりするかどうかは、受け止める側の精神状態にかかっているのだと思います。落ち着いた精神状態で、周りに対してやさしい気持ちになっている時だと、こういう会話がすっと入ってくるのでしょう。逆に、イライラしていたりすると、普通は見逃せるような出来事が妙に腹立たしいことに思えたりするものです。今日の私はよい方の精神状態だったのだと思います。新年度の授業が始まって7日目で、ついに自分の子どもより年下の新ゼミ生とのゼミが今日から始まりました。小さな出来事があって、ゼミを説教から始めなければならなかったため、始まる前は実は非常に緊張していました。初っ端に説教をすると、「怖い先生だ」という印象を与え、ゼミ全体の雰囲気が悪くなり、そのままうまく行かなくなってしまうのではないかと心配していました。説教をやめようかとも考えましたが、これまでの代々のゼミ生たちの「先生はそのままのやり方で突き進んでください」という声が聞こえてきて、やっぱりその学生のためにもここはちゃんと注意しようと腹を決めました。でも、どきどきでした。しかし、意外なほど、場の雰囲気は悪くならず、結果的によい形で若い新ゼミ生との1回目のゼミを終えることができました。このことが、私を穏やかな気持ちにさせ、この少年たちの会話を楽しいほのぼのとしたものとして受け止めさせた理由だったのだと思います。大学教師生活30年目ですが、毎年新年度はうまくスタートできるのかどうか緊張します。

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436号(2012.4.7)関前ラーメン戦争

 最近関前通りから関大前駅にかけてラーメン屋が次々にでき、数えてみたら8軒もありました。ほんの2年くらい前までは、王将と天下一品くらいしかなかったのに、急速な変化です。若い人はラーメン好きが多いので、今までは少なすぎた気もしますが、それにしても今は多くなりすぎた気がします。ラーメンは意外に高く一杯600円くらいは最低でもしますので、松屋やなか卯よりは割高に感じる人も少なくないでしょう。生き残るのは大変なのではないかと思います。関前のお店の盛衰は激しいので、1年後に果たして何軒が残っているでしょうか?

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435号(2012.4.2)ロシアンたこ焼き

 先日卒業生と飲んだ時に、お店のメニューに「ロシアンたこ焼き」というのがあり、おもしろがってつい頼んでしまいました。(こういうメニューを私は初めて見たのですが、合コンでは定番なんだそうですね。)最初は9個中3個に辛いのを入れてもらいやってみました。私はちゃんとおいしいたこ焼きだったのですが、はずれを引いた人が尋常ないほど辛がっていたので、おもしろがって、次は「ロシアンチーかま」を10個中4個でやってみました。運の強い私はここでも問題なしのチーかまでしたが、だんだん辛さを味わってみたくなってきました。両方当たってしまった人が「たこ焼きの方が圧倒的に強烈だ」と言うので、3回目は私を含めて選抜メンバー3人で3個中2個辛いという「ロシアンたこ焼き」に挑戦しました。そして、私自身とそこにいた全員の期待に応えて、見事に当たり(?)を引き、辛さを味わいました。確かに辛かったですが、それまでに当たった人たちのリアクションを見ていたために、心の準備はできていたため、辛かったですが、その辛さの度合いを味わえたので当たってよかったなと、その日は笑って過ごしていました。しかし、翌日胃腸の調子が非常に悪くなり、胃が荒れた感じで、ものはあまり食べられず、トイレにも何度も行かなければならないはめになりました。他の「当たり」たこ焼きを食べてしまった人たちも、みな同じような症状になったようです。どうやら強烈な辛さというのは胃腸に来るのですね。もうこれからは、この手のメニューは挑戦しないでおこうと、心に固く誓いました。(とか言いつつ、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で、なんかおもしろそうなものがあったら、またやっていそうな気もしますが……(笑))

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434号(2012.3.25)終わりの始まり

 前田敦子がAKB48を卒業することを発表しました。かなりのサプライズです。AKB48の人気っていつまで続くのだろう?どうやって下り坂に入るのだろう?と思っていましたが、これはまさにそのきっかけになりそうです。大島優子に「AKBの顔」とまで言われた「絶対的エース」前田敦子がAKB48を去ることは、多くの人たちがイメージしてきたAKB48ではなくなってしまいます。そしてまた、彼女の判断は他の人気メンバーにも影響を与えざるをえないでしょう。前田敦子とともに2枚看板だった大島優子もこんな形で1枚看板のエースになるのは居心地が悪いでしょうから、彼女また卒業ということを選択する可能性は高いように思います。篠田真理子や小島陽菜といった古手の人気メンバーも前田敦子より年上ですし、やはりこの機会に卒業するという選択をするかもしれません。この事態は、秋元康の戦略ではないだろうと思います。博多、ジャカルタなどに姉妹グループを作り、まだまだAKB48という商品を売っていきたかった秋元康にとって、この前田敦子の選択は計算外だと思います。よく許したなあと、ある意味で感心します。前田敦子の心中を勝手に察すると、何よりも「総選挙」をもうやりたくないという気持ちが強かったのではないかと思います。AKBにいる限り、あの「総選挙」という洗礼に毎年さらされざるをえないわけですが、もともと人との競争があまり好きなタイプではなさそうな前田敦子にとって、今年も「絶対的エース」は1位になれるのかといったプレッシャーに耐えきれなかったのでしょう。AKB人気を劇的に押し上げた「総選挙」というイベントが、繊細なハートをもったエースの忍耐力を超えてしまったのだと思います。前田敦子自身もAKBを離れたら、今ほど注目は浴びなくなることはわかっていると思いますが、芸能人としては売れなくなっても、AKBから卒業することによって、普通に恋をしたり、デートをしたりできるわけですから、人としてはその方が幸せになれるという判断を下したのでしょう。いずれにしろ、前田敦子の卒業は、AKB48の終わりの始まりになることは間違いないと思います。

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433号(2012.3.20)たばこは嫌いだけれど……

 私はたばこは吸いませんし、列車や飲食店はもちろん禁煙席ですし、ホテルも禁煙ルームを探して宿泊するくらいです。しかし、兵庫県で、公共施設(教育関係施設、医療関係施設、官公庁施設、福祉関係施設の4種類で民間も含む)では分煙も原則不可という厳しい禁煙条例ができたと聞き、そこまで徹底的にやるべきなのか、やや疑問に感じています。もちろん、受動的喫煙の被害を受けないように、分煙室はきちんと作り、喫煙する人にはその場所のみで吸ってもらうのは当然と思いますが、分煙室すら不可ということにしたら、たばこをやめられない人たちは、公共施設を出た路上で喫煙するか、条例違反になることに怯えながら隠れて吸うかのいずれかになってしまうでしょう。兵庫県の条例では、大学に関しては当面既存の喫煙室は認めるということだそうですが、当面ということはいずれは全面禁煙がめざされているのでしょう。関西大学高槻ミューズキャンパスではすでに全面禁煙になっていますが、そこで起きていることはキャンパスを1歩出たところで、たばこを吸い始め、ついでにポイ捨てをしてしまう人が少なからず出ているという実態です。たばこはまだ国の法律で禁止されているわけではないので、吸う習慣を身につけてしまった人たちがたくさんいます。たばこを吸うこと自体を悪とするというところまで、日本人の意識は高まっていないように思います。そういう状況の中で、あまりに厳しい規制を課すと、逸脱行動、迷惑行動が増えるだけだと思います。国が法律で喫煙を禁止しない限りは、迷惑にならないところに分煙室を設置し、喫煙はそこでのみできるということを徹底させる程度に留めるべきだと思います。全面禁煙はやりすぎの気がします。

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432号(2012.3.11)堺を歩く

 私は大阪府民になって29年ですが、最初の住居は堺でした。しかし、いつでも行けると思っていたせいか、かつて繁栄した中世都市・堺を訪ねるという散策をしていませんでした。特に何かきっかけがあったわけではありませんが、ふらっと出かけてみたくなって歩いてきました。スタートは南海本線七道駅です。駅を出て東に歩くとすぐに堀が見えます。中世自治都市堺は自衛のために町を堀で囲んでいましたが、その一部です。綺麗に整備し直されているので、昔の堀の説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: P3100519イメージは湧きにくいですが、場所はそのままです。堀を越えてちょっと歩いていくと古い家がたくさん残っています。この辺は、空襲を受けていないので、古い建物が残っています。そのひとつに、旧鉄砲鍛冶屋敷があります。ここは非公開ですが、そのすぐ近くに堺の鉄砲について教えてくれる資料館があります。そこで、初期の鉄砲作りについて説明を受けたのですが、筒部分の作り方を聞き、そんな風に作っていたのかと驚きました。今なら、高温でどろどろに溶かした鉄を筒型に鋳造するのはそれほど大変なことではないでしょうが、この時代は炭の中に入れて、ある程度熱くした鉄を刀を作るのと同様に鎚でたたいて徐々に筒型にしていったのだそうです。当然接着箇所は弱く、火薬の爆発に耐えられず暴発した鉄砲は山のようにあったことでしょう。強度を増すために何をしたかというと、薄い鉄板を帯状にしてその筒に巻き付けていったのだそうです。強くするためには、その鉄の帯を2重、3重に巻き付けていくわけです。当然、鉄砲は重たいものになります。そこに昔の鉄砲があり(写真左)、持たせてもらいましたが、約8kgの鉄砲は実に重く、こんなものを使って的に当てるのは至難の業だったろうと実感できました。

 ここから南東方向に進むと紀州街道にぶつかります。今は、阪堺電車が走っています。この紀州街道を横切り、さらに少し進むと山口家住宅という民家があります(写真右)。ここは、約400年前に建てられた住宅で、現存する民家としては日本一古いと言われています。さらに南東に進むと寺院にぶつかり、ここから南に向かって立派な寺院がたくさん残っています。現在阪神高速堺線が走っているあたりが東側の堀があったあたりで、この堀に沿った形で寺院が並んでいることになります。西側は海に近いので、攻められるとしたら、東側からと想定した上で、万一の場合は敷地の広い寺院に立て籠もり、ここから東側に向けて鉄砲を並べて応戦するという考え方で、こういう町割りがなされたそうです。西本願寺の堺別院や樹齢1100年を超えると言われるソテツのある妙国寺など大きな寺院が並びます。ここでいったん西(北)に戻り、紀州街道(大道筋)まで行くと、すぐそばに堺刃物ミュージアムがあります。堺は戦いがなくなり鉄砲が売れなくなった江戸時代以後はむしろ刃物産業で有名になり、現在まで続いています。現在でも、和食料理人の包丁は堺のものが多いそうです。ちなみに、鉄砲の筒作りの技術は、明治以降になってからは、堺を自転車の町にもしました。

 紀州街道を南西に下って行くと、ザビエル公園があります。日本にキリスト教を持ち込んだザビエルも堺に来たことがあります。この公園は、キリスト教の宣教師を多く受け入れた商人の屋敷跡だそうです。さらに、南西に歩くと今度は与謝野晶子の生家跡が出てきます。与謝野晶子は堺の菓子商の家に生まれました。ここにはもう記念碑以外何も残っていませんが、刃物ミュージアムに付設されていた堺物産館で、与謝野晶子の生家の菓子商で学んだ人が起こした和説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: P3100541菓子屋のどら焼きがあったので買って食べてみました。いかにも昔のどら焼きという感じで、少しだけ与謝野晶子の生家が偲ばれた気がしました。与謝野晶子の生家跡の近くには、千利休の屋敷跡もあります。千利休も堺の商人(魚商)の子どもです。この屋敷跡も井戸が残っているだけの小さな空き地にすぎませんが、歴史的想像力を馳せると、堺には歴史上の有名人物がたくさんいたんだなと思え、改めて感動しました。

 この散策の終点地は南宗寺です。三好長慶が建立した寺院ですが、大阪夏の陣で消失したため、そのすぐ後に沢庵和尚が再建しました。再建前の南宗寺では利休が禅の修行もしたそうで、利休をはじめ千家一門の墓や供養塔があります。仏殿や山門(写真左)が重要文化財になっています。着いた時間が遅く、仏殿と素晴らしいと評判の枯山水の庭園が見られなかったのは残念でしたが、山門をはじめ、いくつかの建物の外観を見ただけでも、素晴らしい寺院だと思いました。この後、また紀州街道まで戻り、阪堺電車に乗って、のんびりと天王寺まで戻ってこの日の散策は終了しました。

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431号(2012.3.5)<戦後日本社会>君の高齢化

 報道ステーションで、首都高速道路がかなり古びてきており、その補修をどうするかということが大きな問題になりつつあるというニュースをやっていました。首都高速道路が最初にできたのは1962年だそうで50年経っています。そんな一番古いものばかりでなく、30年以上使われてきた道路はかなり痛んできているそうで、補修すべき箇所は9万箇所以上あるそうです。万一地震等が起きた場合は、崩壊の危険もあるということでした。首都の大動脈ですから長く通行禁止にして補修することも難しいでしょうし、そもそも土台等が弱くなってきている場合には、補修で根本的な対策になるわけではないようで、莫大な費用がかかりますが、掛け替えとかトンネルを新たに掘ることなども考えられているそうです。そのニュースを見ながら、高速道路だけでなく、高度成長期に造られた様々な構造物がそろそろ耐用年数を超え始めてきているのだなと気づかされました。19458月にアメリカという父と天皇(制)という母を両親に誕生した新生<戦後日本社会>君は、今年67歳になる老齢期にさしかかっています。社会は人間よりはるかに長く生きるはずだと思っていましたが、インフラなどの構造物の寿命を考えると、ある体制の社会は人間と同じ程度で一度衰亡期を迎え、新たな再生を必要とするのかもしれないなと思い始めています。1960年から1973年まで続く高度成長期は<戦後日本社会>君にとっては15歳から28歳という青春期にあたる時代で、まさにどんどん成長していく時代でした。1986年から1991年のバブル期は41歳から46歳にあたりますが、ここが<戦後日本社会>君のもっとも華やかな絶頂期だったということになります。今、60歳代半ばを過ぎた<戦後日本社会>君は、青春時代に基礎作りをしたものがさすがにもう使えなくなってきて、どうしたらいいだろうかと悩み始めているということになります。この歳になって、簡単な治療(補修)で根本的な若返りが図れるかと言えば、やはり無理なのだろうなという気がします。明治維新という再生を経て誕生した<大日本帝国社会>君は78歳で寿命が尽きました。<戦後日本社会>君はあと何年生きられるでしょうか?東日本大震災と原発事故は、もしかしたら<戦後日本社会>君の致命傷になっているのかもしれません。このままぼろぼろになりながら100歳、120歳まで生き続けることになるのでしょうか。その場合は、やはり高齢化の進展として活力のない社会になりそうな気がしますが、衰亡そして再生の道筋がどうつくのかが、今は私にもまったく見えません。名前は「維新の会」でも、橋下徹氏のやり方ではないはずですが……。強いて言えば、TPPをきっかけに完全開国をして新日本人による言語も英語を国語とするような<New Japan Society>君にしたら、再生にはなるでしょうね。それがいいことかどうかはわかりませんが、一定の体制の下で成立する社会に寿命があるならば、そういう未来もあながちありえなくはない気がします。

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430号(2012.2.12)大学の秋入学を考える

 東京大学が秋入学を本格的に行う姿勢を示したことで、他の国立大学や有力私大にも同調する動きが出てきています。現行の初等・中等教育のスタートと企業の新卒採用を4月からのままにしておくと、高校卒業後と大学卒業後に各半年の空白期間ができます。これについては、ボランティア活動をやってもらったり、長期旅行をするなどすれば、有効に活かせるだろうという考えのようです。確かに、東京大学に行くような人材であれば、時間の無駄は嫌いでしょうから、何か自分なりに有効に使うことを考えるでしょうが、この秋入学が一般化して多くの私立大学にまで広がった場合、この2回の半年の猶予期間を無為に過ごす人もたくさん出てくることでしょう。早く働いて自立してほしいと思っている親にとっても、給料を稼ぐのが1年遅くなるのは痛いと思う人も少なくないでしょう。本来、大学の秋入学・秋卒業が機能するためには、初等・中等教育も官庁・企業もすべての年間スケジュールが秋始まり、秋終わりになっているべきなのです。大学だけが1人走ることは、マイナス面の方が多いと思います。東大の論理は、世界(欧米)の大学基準に合わせ、優秀な人材が海外から入ってくることも、出て行くこともしやすくするためということのようですが、これを突き詰めていくと、東大の公用語は英語にするという考え方も出てきそうです。「国際化」というのが、今やありとあらゆるところで「錦の御旗」のように使われていますので、誰もその方向性に関しては文句は言えないような空気になっています。しかし、単純に国際化を進めることが、日本にとってプラスになるのかどうか、一度しっかり考えた方がいいのではないかと思います。本気でやるなら、日本全体の公用語を英語にして、国民全体から英語コンプレックスをなくさないとだめでしょう。中途半端な「開国」はマイナスになる可能性の方が大きい気がします。日常言語として英語を使っている外国人が、その普通の言語能力によって、日本社会の中で地位を獲得しやすくなり、能力は高いが英語が苦手というだけで、日本人の優秀な人間が排除されるということが起きたら、本末転倒でしょう。英語公用化まで考えないとしても、欧米や中国の基準に合わせて、大学や大学院を開くことで、海外からハングリー精神をもった人々がたくさん来て、企業もそうした外国人を積極的に採用し始めたら、今でさえ就職難の日本の大学生はさらに就職難に陥ることでしょう。4月入学・卒業・就職という制度が、日本にとって適度な人材流入の「関税」のような機能を果たしてきたのに、その点について、議論を深めないまま、秋入学を進めてしまうことは、言ってみれば、何の議論もしないまま、大学に関してはTPP参加に舵を切るようものです。日本人がもう「日本」とか「日本人」にこだわらないという覚悟ができているのなら、それもよいでしょう。日本に暮らしたい人はどんどん日本に来てもらい、なりたい人はどんどん日本人になってもらう。そういう行き方こそが、これからの日本の進むべき方向だと、多くの人が考えているなら、聖域なき開国をすべきでしょう。そうではなく、これまで創りあげてきた日本という社会の伝統に基づいた存続を考えるなら、「国際化」の名の下に盲目的に欧米基準に合わせていくことに対しては警鐘を鳴らすべきではないかと思います。

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429号(2012.2.11)武道必修化の問題性

 今年の4月から中学校の体育で武道とダンスが必修化されます。保守を自認する安倍晋三内閣の時に成立した教育基本法の改正(悪?)がついに実施されるわけです。ダンスは武道とのバランスで入れただけで、狙いは日本人精神を植え付けるための武道必修化であったことは一目瞭然です。最近になってマスコミでも柔道の危険性が指摘されるようになってきていますが、朝令暮改を恥とする官僚は土壇場での見直しなどするつもりはないようで、このまま必修化が始まるようです。武道をやったら、日本人精神が身に付くというのは本当でしょうか?正直言って疑問です。確かに、日本文化について無知すぎる人が増えてきていますから、ある程度学ばせる必要はあるのかもしれません。しかし、それなら、茶道や華道、和歌、俳句など文科系のものも学ばせるべきではないでしょうか?「わび・さび」といった日本文化特有の精神は武道からは学べないでしょう。おそらく数年も経たないうちに、必修の授業の柔道で脳に損傷をきたしたといった生徒たちが出てきて、その時点で武道必修化の見直しの声が高まってきて、ようやく改善されるといったことになりそうですが、本当は犠牲者が出る前に悪法は直すべきなのです。4月以降が心配です。

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428号(2012.2.10)ちょっと怖い京都散策

 最近座ってばかりいて腰がだるかったのでちょっと歩きたいと思い、京都に行くことにしました。とりあえずの目的地は高台寺と霊山護国神社です。ともにいつでも行けるからと思って結局行きそびれていたところでしたので、この機会に行っておこうと思いました。阪急河原町駅から東に向かい、八坂神社を抜けて高台寺に向かいます。高台寺は、豊臣秀吉の妻ねねが晩年を過ごしたお寺です。小堀遠州作の庭園を見ながら、重要文化財の霊屋にたどりつきます。ここには秀吉とねねの木像がありますが、ねねに関しては木像だけでなく、実際にこの下に甕棺に座った状態で埋葬されているそうです。そうかあ、ここにはねねの遺体があるわけかあと気づいたのが、ちょっと怖い京都散策の始まりでした。霊屋の上には、やはり重文の傘亭と時雨亭がありますが、ねねは大阪夏の陣の時には、この時雨亭の2階から赤く染まる大坂方面を見ていたそうです。

 高台寺を少し南に下り東山に向かう坂を上ると、霊山護国神社があります。ここは、東京の靖国神社と同じ意味をもつ神社で幕末以降の天皇のため、国のために死んだ人々が祀られています。靖国神社と違うのは神社なのに墓域があり、そこに1300人以上の幕末の志士たちの墓があることです。もっとも有名なのは坂本龍馬の墓でしょう。河原町蛸薬師の近江屋で暗殺された坂本龍馬と中尾慎太郎はここに埋葬されています。他にも、著名な志士たちの墓石がありましたが、実際にここに埋葬されているかどうかはわかりません。ただ、一番上には木戸孝允(=桂小五郎)夫妻の大きな墓がありますが、これは本物でしょう。この大きな墓を見た後、足場の悪い石段を慎重に下りてきたのですが、最後の2段で靴がひっかかり派手に転んでしました。脛の外側を思い切り石段にぶつけてしまい、ひどく腫れてしまいました。それまでの散策は気持ちいいなと思いながら歩いていましたが、ここからはつらい散策になりました。

 足を引きずりながら、二年坂を上り、八坂の塔を見て東大路通りを渡り、安井金比羅神社の参道に入ります。この神社の御祭神は、日本史上最大の祟り神とも言われる崇徳上皇で、悪縁を絶つのに御利益があるそうです。こういう神社の絵馬は非常に興味深いのでついつい見てしまいます。病気との縁が切れますようにというまっとうな願いもたくさん書いてありましたが、社会学的に興味深いのは、もっとどろどろした縁を絶ちきりたいという願いが書いてあるものです。見る前の私の予想としては、三角関係に悩んでいるような人が、自分の好きな人とライバルの縁が切れるようにと願う絵馬が多いのではと思っていましたが、それ以上に目についたのは、親が子どものために縁切りを願っている絵馬でした。今つき合っている相手と別れて、もっといい相手との縁に恵まれて欲しいと願うものであったり、たぶんクラスでいじめにでもあっているのか、固有名詞が何人か書かれ、その子たちとは同じクラスにならないようにと願っているものもありました。一番「うーーん、こんなのもあるのかあ」と驚いたのは、「おとうさんとおかあさんが早くわかれられますように」と子どもの字で書いてあったものです。様々な家庭がありますので、子どもでも縁切り神社に絵馬を奉納したくなることもあるんでしょうが、軽くショックでした。

安井金比羅神社を北に抜けるとすぐに崇徳天皇御廟があります。第426号でも少し紹介した崇徳天皇ですが、院政の最大の犠牲者と言ってもよい天皇です。本人にはなんの罪もない出生の問題ゆえに白河法皇がなくなった後は、鳥羽法皇に疎まれ、ついに保元の乱で讃岐に流され、そのまま都に戻れず、「死んだ後は天皇家を祟ってやる」と言って憤死した人です。その崇徳上皇の遺髪がここにあるそうです。神も仏も信じない私ですが、さすがにここでは手を合わせ、「崇徳上皇、あなたは何も悪くないと思います」と、思わず心の中で語りかけていました。その後、足の痛みが少し薄れたような気がしました。たぶん気のせいでしょうが……。ちなみに、天皇・上皇・摂関家を中心とした政治が終わり、武家政権が誕生したのも崇徳上皇の祟りが効果を発揮したせいだと解釈する人もあったようです。以上、「恨み」や「無念」という言葉があちこちから聞こえてきそうな、ちょっと怖い京都散策でした。

追伸:第389号に書いた「崇と祟」ですが、やはり関連がありそうです。「崇」の字が使われている天皇は、どうも恨みをもって死んだ天皇(あるいは実際には天皇になれなかった親王)が多いようです。たとえば、第32代の崇峻天皇は蘇我氏に暗殺されたと言われていますし、実際には天皇になっていませんが、その祟りのすさまじさ故に桓武天皇が長岡京を放棄せざるをえなくなった早良親王には「崇道天皇」という諡が、また南北朝時代の北朝の天皇であった崇光天皇は南朝方につかまり3年あまりの幽閉生活を送った上に、自分の子は天皇になれないという不遇な一生を送っています。やはり、祟りを恐れた人々が、よく似た漢字で意味の良い「崇」の字を、諡としてつけて祟らないように願ったということで間違いないのではないかと思います。

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427号(2012.2.9)そうかあ、そうだったんだ

 もうひとつドラマをきっかけに調べてわかったことを書かせてもらいます。『運命の人』というドラマがやっています。1972年に起きた毎日新聞のN記者事件として知られる事件を題材にして、山崎豊子が書いた小説を基にしたドラマです。登場人物は誰がモデルかすぐにわかる役名になっています。さて、このドラマの基になった事件ですが、私は当時高校2年生で詳しいことはわからないまま、新聞記者が男女の関係になった外務省女性事務官から沖縄返還に関わる機密情報を受け取った事件という程度の認識でした。で、今回ドラマを観ながら、「あっそうか、佐藤栄作の奇妙な首相退陣会見はこことつながっているのか」ということに、ようやく気づきました。この事件が裁判過程にあった1972年の6月に佐藤総理は7年以上の長期にわたった総理の立場を引くことを発表し、その記者会見をしたのですが、その際に「偏向報道をする新聞記者は出て行ってくれ」と言い、新聞記者達が腹を立てて全員会見場を退出し、TVカメラのみが回る無人の記者会見場で1人喋り続けるという奇妙な光景が、私の印象にも強烈に残っています。新聞記者が書きすぎたり、適当な編集の仕方をしたりしてひどい記事を書く事なんて、日常茶飯事のはずなのに、なんでこんなに怒るんだろうと、ちょっと不思議に思っていたのですが、実はこのN記者事件で、佐藤総理は完全にキレてしまっていたんですね。佐藤総理からしたら、沖縄返還という大目標のためには、アメリカからの要求に応じてアメリカの肩代わりをして現状復帰のためのお金を出すくらいのことはたいした問題ではなかったでしょう。しかし、公にはアメリカが出さなければならないことになっているので、国民に対しては、「アメリカがちゃんと出している」と言わざるを得ず、肩代わりを約束した文書はマル秘文書にせざるをえなかったわけです。それを新聞記者が「不正な」手段によって情報を得て公開し、沖縄返還という総理としての自分のすばらしい業績に難癖をつけたということで怒りまくっていたわけです。今から思えば(当時もすでに大学生以上であった世代にとっては)わかりやすい論理ですが、高校生の私はそこまでつなげて考えることができていませんでした。あれから40年経って、あの時の総理大臣の大人気ない記者会見の謎がようやく解けました。ちなみに、私が大学に入学した頃は、佐藤政権の後を襲った田中角栄内閣の時代でしたが、その頃大学で撒かれていたビラに「田中内閣の国家機密法と小選挙区改悪を断固阻止する」といったものがあったのをよく覚えているのですが、この時期に「国家機密保持法」が国会の議論に乗っていたのも、このN記者事件が影響しているのだと思います。高校生の時までは政治に対する深い関心が弱く、大学生になってからの政治とつながっていないことが多々あるということに、改めて気づかされました。

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426号(2012.2.9)ドラマをきっかけに学ぶ――院政――

 昔からNHK大河ドラマを見ては歴史書を読むということをよくしてきましたが、最近は知識が増えたせいか、戦国や幕末を扱ったドラマだと改めて歴史書を読みたくなることが少なくなってきていました。しかし、今回の「平清盛」は久しぶりに歴史を調べたくなりました。どこを知らべたくなったかというと、院政についてです。歴史の教科書にも必ず出てくる院政ですが、天皇を退いた立場にある上皇が政治運営の実権を握っていた政治体制という程度の説明で、その実態は詳しくは語られません。しかし、今回の「平清盛」を見ていたら、男女関係がどろどろすぎて、一体歴史的事実はどうなっているのだろうと調べたくなりました。 調べてみたら予想以上におもしろく、院政って確かに学校で教えにくいのは当然だけれど、そこを知らないと武家政権の誕生もわからないくらい重要な意味をもつものだということを知りました。

院政とは、1086年に白河上皇が始め、後白河法皇の死(1191年)と鎌倉幕府の成立(1192年)をもって終わる約100年続いた政治体制です。その間上記の2人の間に鳥羽上皇が入るだけで、実質3人しか院政を敷けていません。院政のあまりに恣意的な悪政治があったからこそ武士が力を伸ばし、ついには政権を鎌倉に作るという事態を導いたと言えるのです。すべては、白河上皇というたったひとりの人間の勝手気儘さから始まったと言ってもよいようです。33歳という若さでわずか7歳の息子の堀川に天皇の地位を譲った白河上皇は、その後孫の鳥羽(即位時4歳)、ひ孫の崇徳(即位時4歳)の343年間にわたって「治天の君」として君臨します。系図的にはひ孫の崇徳は、実は孫である鳥羽の中宮であった藤原璋子(待賢門院)と白河の間にできた子だと言われています。さらには、平清盛も白河が白拍子に産ませた子と言われています。もうこれだけ読んだだけで、院政がなぜ学校では詳しく教えられないのか理解できるだろうと思います。白河法皇(出家後は法皇を名乗る)の死後、鳥羽が院政を敷きますが、実子ではない崇徳を嫌い、鳥羽は寵愛していた藤原得子(美福門院)が生んだ近衛に天皇の地位を譲らせます。ここで生まれた対立関係が、近衛天皇、鳥羽法皇の死後、保元の乱、そしてその後の平治の乱となって現れます。結局、漁夫の利を得る形で天皇になっていた、能天気な歌詠みの後白河がその後上皇、法皇となり、院政を敷くことになります。後白河による院政は、清盛がすでに大きな力を持つようになっていたため、白河や鳥羽の時ほどの力はなく、何度も実質的な権力を奪われたりもしていますが、信念のない人間の特徴を活かして源平の間を巧みに泳ぎ切って、天寿を全うしています。

こうした院政の腐りきった政治が武士による政権、それも京都から離れた鎌倉での設立につながったわけです。実に歴史の必然と言える流れです。ちなみに、院政以前は摂関政治になるわけですが、なぜ白河以前の天皇は院政をできなかったと言えば、摂関家の誰かが母方の祖父にあたり、藤原系の天皇・上皇であったために、摂関家の言うことを聞かざるをえなかったからです。ところが、白河の場合は父の後三条も、自分自身も摂関家の娘を母に持っていなかったため、摂関政治から独立できたのです。言ってみれば、摂関政治は母方の祖父が力を持つ政治で、院政は父あるいは父方の祖父が力を持つ政治ということになるでしょう。いずれにしろ、大河ドラマ「平清盛」をきっかけによい勉強ができました。

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425号(2012.1.29)最近増えてきた光景

 最近有名な待ち合わせ場所に通りかかると、白髪や髪の薄くなったおじさんたちがラフな格好で数人集まり、他の仲間がやってくるのを待っているという場面をしばしば見かけるようになりました。この待ち合わせおじさんたちのパターンには2種類あります。ひとつは、午前中に見かける光景で、リュックを背負っていて、これから町歩き、山歩きに出かけようとしているのだろうなと推測できるパターンです。もうひとつは夕方早めの時間帯(午後5時台)に、駅などで待ち合わせしているおじさんたちで、こちらはほとんど手ぶらというくらい、荷物を持っておらず、行き先はきっと居酒屋なんだろうなと推測されます。どのおじさんも髪は白くなったり薄くなったりしていますが、血色は良さそうで、足腰もしっかりしていて、とても元気そうです。おそらく、団塊世代なのだと思います。団塊世代とは194749年に生まれた世代のことを言うのはみなさんご存じの通りですが、今この世代のおじさんたちは全員60歳代前半となり、定年退職となり、時間を持てあましているわけです。まだまだ体も元気で、お金もそれなりにあるおじさんたちは、これまで仕事をしていたときにはできなかったような楽しみを実践しつつあるのです。団塊世代は、人口の非常に多い世代ですから、この世代がある年齢期に入るたびに、新しい現象が生まれてきました。週刊少年マンガ誌が誕生したのは、1959年で、彼らが1012歳になる年でした。青年コミック誌(週刊漫画アクションとビッグコミック)が登場した1968年には団塊世代は1921歳でした。そして、大学紛争が一番激しくなったのもちょうどこの頃でした。結婚をしはじめた団塊世代の作る家族は、「亭主関白&内助の功」とは違う、友だちのような「ニューファミリー」と言われたものでした。そして今、リタイアしたばかりでまだまだエネルギーに満ちた団塊世代は、「ニュー60代」として、また新たな歴史を作り出すような気がします。私のような団塊世代より少し下の「しらけ世代」は、永遠に団塊世代が生みだす事象を是々非々で受け止めながら生きていく運命にあります。「ニュー60代」が何を生みだすのか、すぐ下の世代の人間としても、また社会学者としても注視していきたいと思います。

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424号(2012.1.23)関西人になってきたのかな?

 先日、東京に行った時のことです。電車の中やファーストフード店での会話が自然に耳に入ってきたのですが、なんかその会話が妙によそよそしく演技っぽく感じてしまいました。話していたご本人達は楽しそうに喋っていましたので、決してよそよそしい会話ではなかったはずなのですが、私はそういう風に感じてしまったのです。昔からよく学生たちが、東京の人の言葉ってよそよそしく感じると言っていたのですが、以前は私自身は特にそういう印象を持っておらず、「へえ〜、そんなものかなあ」と他人事のように聞いていました。しかし、どうやら関西生活30年目を前に、私の感覚もついに関西人の感覚に近づいてきたようです。新幹線から降りて、乗り換えた京都線の車内で、「やん」「やない?」「そうなん」「やねん」といった言葉が飛び交っている会話が聞こえてきたら、急にホームに帰ってきた気がしました。いまだに関西弁を使いこなせず、関西人意識の弱い私ですが、どうやら環境文化に対する感覚はかなり関西人感覚になってきたようです。考えてみると、大阪が人生で一番長く住んでいる場所になっているんですから、当然と言えば当然なんでしょうね。

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