産業社会学特論V(2005年7月2日授業「まちづくりの現場で社会学に何ができるか」)の感想

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【片桐より:ほとんどの人が私の授業を聞くのが初めての産業社会学専攻の3回生以上の学生さんでしたが、感想を読む限り、鞆という町の抱える問題と社会学という学問の可能性という私が伝えたかった2つのことをしっかり受け止めていただけたようで、嬉しく思います。質問等に答えられる範囲で答えていきたいと思います。】

 

1.田舎であればあるほど地縁関係が強く、よそ者は立ち入れない環境の中で、よく先生はスムーズに街の中に入っていけたと感心した。私も街を盛り上げる組織のヘッドをやっているが、ここ千里山の商店街、住人でさえもひどくこばまれ、そのイベント自体をつぶしにかけられたりした。行政・地元もまったく関係のない第三者のよそ者が街を変える、新しい風をふかすのは難しいのだろうか。そこで先生が鞆の人たちとどう接したのかすごく興味をもった。なにか特別なことをされたのであれば、ぜひおしえていただきたい。

【最初は研究者として入っていったわけですが、最近では第2の故郷に行くような感じで出向いています。結果として、第3者的な研究はしにくくなっていますが、それも運命かなと思ったりしています。】

 

2.今日の話を聞いて、単純に鞆という町に関心が持てた。また、後付けの学問ということだが、後付けだろうが何だろうが社会の事を学ぶことが問題解決に役立たないという事はないと思う。

【こういう内容の授業をやったときには、まずその町に関心を持ってもらえるというのが、一番大事なことだと思っています。社会学の仕事にも前向きに受け止めてもらえたことを嬉しく思います。】

 

3.3000年の歴史があると言われるように、古い町だからこそ、景観を残したいという気持ちはよくわかりました。でも、バイパスをつくろうとか埋め立てようとかいう意見についてはあまり理解できませんでした。海岸がきたないのなら、埋め立て以外にも方法はあると思うからです。山側にバイパスをつくるという話で、山側に住む人々からの反対はないのでしょうか。ウチとソトの問題は、ウチにいる人独自の考え方があるのだろうなと思いました。

【山側バイパス案はまだ現実的なものとされていないので、今のところ特に反対の動きなどはありません。】

 

4.両者の意見の対立がどうのというより、両者がどっちとも変化を望んでいないような気がする。資料にあったように、地元の人たちの参加が少ないのでは、あんまり意味がないなと思います。それとも、両方がお互いの意見が理にかなっているのが分かってて、どっちに転ぶかわからない勝負はしたくないのか。社会学の位置づけについては、自分がまだ何かを深く研究したことがなく、かべに当たったことはないので何とも言いがたいのですが、温故知新で後の先の学問じゃないのかとはばくぜんと思います。同一の対象に利害と目的を別にする上記の両者の話ですが、両者が全力で論議できる場を作るのは不可能なんでしょうか。

【両者が折り合うポイントがあれば話し合いでも解決するのでしょうが、今のところ難しい感じです。】

 

5.確かに社会学とは「後付けの学問」というのはかなりのウェイトを占めていると思う。でも、現実に起こっている問題を解決するには、今まで起こってきたことの傾向・情報が不可欠だし、そこは社会学はとても役立つと私も思う。

【高瀬先生との議論の際に言いましたが、「後付け」に価値がないわけではもちろんありません。きちんとした「後付け」「分類」ができなければ、政策提言もできません。】

 

6.対立の潜在的順機能は私自身初耳であったが私たちの身の周りで起きていることであり、ああなるほどと思える内容であった。この機能は他人の意見に耳を向けない限り習得できない機能だと思った。あと、非常にくだらないことではありますが、地域としての町づくりの一環として祭りがあるとおっしゃいましたが、それは一体対立をする中においてはどういった意味を持つものであるか気になりました。私は旅行が好きなので鞆ノ浦には機会があれば是非足を運んでみたいと思います。

【鞆において祭りは大きな意味を持っていると思います。これだけの対立関係がありつつも、地域のまとまりが保たれているのは、伝統的祭りの存在ゆえだと思います。】

 

7.後付けの学問というのを聞いて、私はあまり好ましい表現ではないなあと感じました。社会学部は確かに後付けの学問ですがそれだけではないというのもわかってほしいです。私は、まだはっきりと「社会学部とはどのような勉強をしているのか?」と聞かれたり、「何の役に立つの?」と聞かれた時、明確な答ができません。社会学(部)は、ほんとに広い範囲のおもしろくて興味がわく勉強だと思います。

【漠然とながらでも、社会学の魅力を感じてくれていることをとても嬉しく思います。】

 

8.私が思ったのは、ほとんどの鞆の人は工事についてはよく思っていないのではないかということだ。やはり歴史があると、それだけ町のシンボルならば、心のどこかではそれをしてほしくないと思っているだろう。ならば、その心を信頼して、工事反対で全会一致に持っていくことも可能なのではないだろうか。私はまず鞆の浦を守るという前提で道路についてもう一度ふり出しから考えていくことが一番の解決の近道なのではないかと思った。市としても、残しておくほうが今後の広島県東部の中核都市としての発展させやすいと思う。なぜならそれこそ顔になるのだから。

【そういう風に福山市も発想を変えてくれるといいのですが。】

 

9.歴史的要素を残す町づくりにするのか、便利な現代風の町づくりをするのか、難しい問題だ。昔の風景を残しつつ便利な町づくりができないだろうか。今と昔を組み合わせることで、その町独自の個性がでてくるのではないだろうか。

【現在の「重要伝統的建造物群保存地区」では、外観だけ古い町並みに合わせれば、中は近代的にしても構わないことになっています。今と昔を組み合わせてというのもおもしろい発想ですが、小さな町なので、両方取り入れるのは少し難しいかもしれません。】

 

10.歴史的資産・景観を守るという問題を社会学的な視点から解決の方法を見つけるという事が大変意外でした。私も、社会学の導くものは漠然としていると感じていたからです。しかし、確かに明確な発見はないかもしれないけれど、自分の環境を客観的に見れるなど、ちがう意味での発見が得られ、それが糸口にもなりうるのではないかと思いました。

 

11.町の歴史を大事にするか、今住んでいる人たちが住みやすい町にするのか、どちらを選ぶのが良いのかはとても難しいと思う。僕個人的には鞆の人たちは「歴史が深い鞆」が好きでそこに住んでいるのであって、その歴史を壊してしまうと鞆の魅力がなくなり、他の港町と変わりがなくなってしまうと思う。だから埋め立てとかせずに、今のままで、もっと良い町づくりをしていくべきだ。

 

12.歴史的に重要なものと住民が必要としているものが対立するという話はよくマスコミにとりあげられます。しかしどちらが正しいのか正しい判断は決められないのだと思います。鞆がどんなに良い所だったとしても、交通の便があまりに悪いと観光はしづらいだろうと思う。観光をメインにしないにしても、地元の若い人をとどめておけるぐらいの魅力を持っていないと、これからの鞆はなり立たない。そのためには、どちらか一つの案だけではなくどちらの良い所も合わせた案が必要だと思う。利害が絡む難しい問題だと思うが住民の皆さんが納得できる解決案がでてほしいと感じた。

【ご指摘通りです。どんな問題を考えるときにも、相反する立場がありえます。最初から片方だけが正しく、片方は間違っているという立場を採ってしまったら、問題は見えにくくなってしまいます。もちろん、だからといって、研究者が最後まで中立の立場を貫けるというわけではありませんが。】

 

13.社会学は後付けの学問という話がありました。たしかにそういう風に感じる方もいるとは思いますが、私も高瀬先生がおっしゃられていたように思います。また、ある限定された地域(鞆)での地域社会問題の根強い伝統のところは、今もそういう場所が残っているんだな、と思いました。かつての日本もこういう風だったように思います(小説等々でしか知りませんが)あと、道が狭くて渋滞するというのはよくわかります。私の家も道が車一台しか通れないところにあるので、地元以外の人が運転すると、どうしようもなくなることがあるのです。これから先、鞆がどうなるかはまだわかりませんが、双方が納得する形で決着がつくといいなと思います。

 

14.今日の講義を聞いて思ったことは、社会学が一般的な問題でどのように役立っているのかということが少しわかったような気がします。社会学は「後づけの学問」と言われていたが、やはり、何の問題を考えるにしても後づけがきちんとできていなければならないように思えた。あと、今回の街の話で感じたことは、もっと話し合って自分たちの住んでいる街なのでみんなが納得することはできないかもしれないが、何らかの方法で皆が納得できるような開発を行なうべきだと思った。また、市や県、国がもっと真剣に考えていくべきではないだろうか。そうすることでこの街は変わっていくように思えた。

 

15.社会学のイメージが変わりました。やはり学問は生かせないと意味がないと思います。片桐先生のおっしゃることに間違いは無いと思います。

 

16.今まで思っていたようなこととは違った社会学に触れることができた気がする。現代における様々な問題の根底を解決することができるのではないかと思った。目に見えるものだけでなく目に見えないものを重視していくことが大切だと思った。

 

17.社会学では、後付け・分類は大切なものである。しかし、それだけでは学問として物足りないものがあり、政策への提言をするなどをするからおもしろさがあるとおっしゃっていたのが印象的でした。私自身は経営学をしていますが、実際そういうこと(後付け、役に立つのか?)を少し思うところもあったので非常に興味深かったです。後付け・分類が主ではなく大切な基礎の部分であるということがはっきり分かりよかったです。今日の内容が「信頼」とどうつながるのかがよくつかめませんでした。

【「信頼」というキーワードは事前に聞いていなかったので、授業内容には取り込めませんでした。取り込むとしたら、多くの方が感想に書いているように、話し合いをして双方が信頼関係を構築できれば……という話になるのかなと思います。ただ、4の感想へのコメントにも書きましたが、目標が合致していないこういうケースでは、話し合えばなんとかなると単純に言いにくい面もあります。しかし、他方でこの問題はこの問題として抱えつつも、祭りの盛り上がり等で一定の信頼関係は維持されているという面もあると思います。】

 

18.今回の講義の題材が鞆の浦ということで、親しみを感じながら講義を受けることができた。というのは、私は元は福山市で育った人間だからだ。鞆の浦は歴史的、文化的にも優れた場所であるという事は聞いてはいたが、ただ「漁業が有名だ」としか認識していなかった。今日、初めて具体的な内容が聞けて良かったと思った。私はこの講義で、虫の眼と鳥の眼の使い方を学べそうな思いをした。

 

19.先生が指摘されているように、社会学はふだん私たちがあたりまえと思っていて、取り上げられることなく、そのままにされてしまうことを研究し、追求していく学問だと思います。これからの社会では有形のもの以上に無形のものの持つ働きが最も重視されなければいけないと思います。人と人とのつながり、信頼、協働などが鞆のようなまちづくりで悩みを抱えている自治体の力になるだろうし、問題解決のカギとなるのではないかと思います。行政任せにするのではなく、住民も真剣に取り組み共に活動することも大切だと思います。

 

20.今回の講義をして下さった片桐先生の話は今までやってきた信頼と社会という観点とは違う授業であり少々戸惑った。町の活性化と保存の仕方を社会学の観点から講義してく中で社会学が持つ問題点も浮き彫りになった。とても新鮮な授業であった。

 

21.歴史や文化財を守っていく大切さも考える機会にもなったが、私は社会学の意味について深く考えた。今まで、特にそのようなことは考えたことがなかったので、後付けの学問と言われた時に、そうかもしれないと思い自分たちは何ができるのだろうと思った。後付けの学問も大切なのだとは思うが、事前に提言することや取り組みができるような学習をもっとやらなければならないんだということに気づかされた。とても、新たな発見の多い講義だった。

 

22.今回、社会学からの話が聞けてよかったが、あまり聞いたことがなくて少しとまどった。見えないものを学問として考える社会学は形として表されるのはとても難しいのかなと思った。産社だと、企業と人とか組織と人とかそういった感じの話が多いのでまた違った視点でおもしろいと思った。私は3回生だが今になって社会学部でやることは奥深いなあと思うようになってきました。

 

23.今日は、先生のお話を聞き、「鞆」という町の魅力が少し分かった気がしました。過疎地における問題については興味を持ちました。伝統を残すことと、新しい事を取り入れることは、いつの時は摩擦が起きると思います。これは全国の文化を持っている土地にあてはまると思います。僕も、社会学は非常に難しい学問だと思います。事柄に対しては「後付け」と言われていましたが少し納得してしまいました。でも、片桐先生の、今、ここ、私を位置づけるという説明がとても分かりやすく良かったです。また、機会があれば、お話をうかがいたいです。

 

24.社会学という学問が少し分かったような気がしました。私の故郷も瀬戸内海の小さな町なのでお話がよくわかりました。ただ鞆はやはり、歴史のある町ですばらしいと思いました。その歴史を誇らしいことでアイデンティティのよりどころになっているところは文化の継承がきちんとなされているからでしょうか。学歴とはちがう何か、まつりもひとつの大きな要因でしょうか。社会の方向性として、広域・平準・専門化の方向と学びましたが鞆は鞆としてありつづけて欲しいです。

 

25.鞆において、計画推進派と反対派が議論する場を持っているのでしょうか。もしもそのような場があれば、社会学がそこで果たす力は大きいのではないかと思います。今回の授業で、どのような考えがあるのかや、どのような解決策があるのかを知ることができたように、学者や文化人を交え住民同士がそのような場を持つことで、考え方に変化が生まれたり、問題解決に向けて進展したりするのではないかと考えます。

 

26.都市計画にこういったジレンマはつきものだと思う。住民の方にとっての問題はやはり外部には100%理解し適切な方向へ導くのは困難で、一提案を提供するのがせめてもの策だと思う。ただそれに社会学が向いてると感じた。個人間、集団間、個人と集団間のケースは様々で、ケースによっては経済的、文学的、歴史的なつながりが存在し、これらを柔軟に包括しているのは社会学だと感じた。「後づけの学問」と論じる人もいるそうだが先見をふまえた現状分析もできる社会学は、これからの都市再生や新構築に重要な役目をになえると思う。

 

27.鞆のお話とても面白かったです。「古き良き地域共同体としての機能を残しつつ、適度な観光の町にもなる」ための3つの政策がありましたが、どれも資金がなければ難しいものであり、資金源である市は「埋め立て地+橋」のプランを押し進めているので、国に言ってもらうのはかなり難しいので、そこで政策がつまっている状態ですか。この「資金」問題の解決策はあるのでしょうか?

【長期的な戦略のように感じられますが、結局、鞆という町の価値をもっと広く日本人に知ってもらうことが、資金を調達する上でも、遠そうに見えて近道なのかなとも思います。】

 

28.地域の復活・町おこし等かなり以前から取り組まれ続けているが、やはり多くの対立が起きてしまうのだと感じた。それは地域という組織の利益が、人それぞれどう考えるかにあるかという点が原因だと思いました。社会学の「後付けの学問」について・・・。元々学問とは後付けの事が多いので、それが予防につながらないという事はないと思いました。

 

29.私は、富岡製糸場で有名な群馬県富岡市で生まれ育ったので、今日のお話はとても感慨深いものがありました。富岡市で今問題になっているのは、富岡製糸場を中心とした、市街地や商店街の衰退問題です。せっかく歴史ある建造物があるのだから、それを生かした街づくりをするべきだと思うし、ただ新しいだけの、つまらない街にはしてほしくないと思っています。歴史の奥深さを感じさせるような、富岡市だけにしかない再開発をしてほしいと思います。

 

30.鞆という町がとても不思議に思えました。行政がやると決めたことで反対・賛成はもちろんありますが、数十年にもわたり住民投票もすることなく、時がたっているということはめずらしいのではないでしょうか。ダムを作るにも道路をつくるのでも最終的にはどちらかが折れるという形で決着がつくことが多いと思います。これは町民が鞆という町が本当に大好きだからこうなるのだと私は考えます。このような状況下でもみんなで祭を楽しめる鞆という町に一度行ってみたいです。

 

31.鞆の話を聞いて、私の住む町と少し似ているような気がしました。特に「ウチ」と「ソト」のような関係が私の町でもあるように思われます。私の祖母は、近所の奥さんの態度がちょっと素っ気なかっただけで、「あの人は町から来たからすましている」と言います。これは町の「ソト」から来た人間と昔からこの町に住む「ウチ」の人間とを区別しているということがうかがえます。そして、私から見ると年寄りに見える人でも、「若い者」として扱い、鞆の町の年配者中心主義と私の町にも浸透していると思いました。田舎はどこでも同じなのでしょうか。

 

32.まず、久しぶりに大学の授業を受けていて刺激をもらいました。最後の高瀬先生との質問のやりとりのような授業が一番授業形態として良いのではないかと実感できました。僕自身もこの講義を聞いていて、一番引っかかったのが「後付けの学問」という言葉でした。学問はすべて後付けであると思うし、その言葉に僕は刺激を受けません。しかし、片桐先生のように、社会学に、自分のしていることに自負をもっているからこそ、引っかかった言葉なのだと思いました。この授業を聞いて僕の思考はどんどん広がり、絶望感を抱き、まだまだ考え続けなければいけないという風に帰着しました。自分の思っていることを正確に相手に伝えるということや論理性、矛盾をつく視点、説明責任。自分という人間の感覚をどう外していくのか、学問にどこまでできるのか、美しさに対することなど考えるべきことが浮き彫りにされたよい授業でした。

【学生さんたちに何かを伝えたい、何かを考えるきっかけにしてほしいと思っている私のようなタイプの教師からすると、とても嬉しい感想です。】

 

33.実地検分?というものが私も好きで歴史も大好きです。坂本龍馬など有名な人たちが、この鞆に寄っていると聞き、私も純粋に行ってみたいなあと思いました。社会学部にいるにも(所属している)かかわらず、社会学とは何たるものぞや。と考えたこともなかった私ば自分が情けなく感じました。卒論に煮詰まっていましたが、少し、違う視点から考えることでこの状態を脱することができそうです。ありがとうございました。

【「実地検分」は、社会学ではフィールドワークと言います。】

 

34.社会学は予防的であり、一見すると後付けの学問であり、現場でアドバイスを求める人達らに対して、何も答えることができない学問のようになりかねない危険性を持っていることがわかった。事実はそうでないにしても、客観的に、そのように見られていることは、少し、さみしい気がした。

 

35.今日初めて鞆という町を知りました。写真などを見て歴史的な景観などがきれいに残っていたので観光地として有名になっていても不思議じゃないのですがなぜなんでしょう?ただ私が知らなかっただけですか?社会学について。私も以前考えたことがあるんですけど、社会にでて仕事するようになるうえでは実用的ではない学問のように思える。社会学を勉強したからといってなれる仕事があるわけではない。私なりに幅広い視野をつけられるからいいんだと思うようにしました。

【東に倉敷、西に尾道があり、少し埋没しやすい地理的位置かもしれません。でも、昔から知る人は知るという場所であったので、観光戦略が上手でなかっただけかもしれません。】

 

36.福山市は実家にも近く、友達もいっぱいいるので興味を持ちました。町おこしに歴史がある町というのはとても強いと思いました。社会学を後付けの学問と考えたことがなかったのでびっくりしました。社会学が見出そうとしているものが有形ではなく無形であるということもとても納得できました。でも私はだから社会学はおもしろく、そしてやりがいのあるものではないかと思いました。

 

37.社会学はどんな学問かと問われた時、私ははっきり答えられない。私と就職で沖縄に行きたいと思っているが、沖縄は毎年1万人近くの人が本土から移住していると聞いた。やはり、他の地域から人を呼び寄せるには沖縄のように全国的に有名でないとむずかしいだろうなと思った。鞆という地域はこの講義で初めて聞いたが写真を見たらすごくウケが良さそうというか古い町並みが好きな人にはツボにはまる景観だと思った。

 

38.社会学は「後付けの学問」ではないかという弱点をつく発言に対して、鞆を例にあげ、その社会学の弱点を弱点としない発想で反論されている片桐先生の論文に感銘しました。 社会学は多くのデータをもとに他の事柄を考えることのできる学問であると私も思います。先生は本当に鞆の事が好きなのですね。学問上だけでの興味ではないように感じました。機会があれば行ってみたいと思います。ありがとうございました。

【鞆は大好きです。1の感想へのコメントにも書いたように、半分故郷っぽく感じています。】

 

39.どこかで聞いたことのある地名だと思ったらやはり坂本龍馬ゆかりの地だった。いろは丸引き揚げプロジェクトなんて、その当時に大学生だったなら絶対に鞆に乗り込んでいたと思う。一度訪れてみたいと思います。そのうち・・・

 

40.2回時に専門演習【1回時の基礎研究の間違いだと思います】で片桐先生に指導していただいた時に「まちづくり」の話に興味があったのですが、聞けなかったので今日は仕事が終わっていつも急いでも遅刻してしまうのでタクシーを職場からとばしてきましたがおもしろい話がきけたので良かったです。住民投票に関してきいてみたかったのですが、先に答えて下さったので何も質問できませんでしたが、住民投票はそこの住民だけなので片桐先生の言うソトモノもウチモノ(同じ日本人)なら、住民投票でなく、国民投票にすべきだと思います。ただ投票の場合、マイノリティはどうすべきか、いろんな立場の人々の妥協点(?)をどうみつけていくのか・・・社会学でそれはみつかるのでしょうか?無形のものを求めるのはなかなかこたえの見つからないつらいもののようにも思います。だからおもしろいのでしょうけど。一度機会があれば鞆にも行ってみたいです。

【そこまでのコストを払ってまで聞きに来てくれたとは感激です。】

 

41.まず鞆の町がなぜ発展したのかの理由が波の関係というのがとても理にかなっていると思い面白かったです。私は町はある程度残すのが一番だと思います。すべてを残してもすべてを破壊しても不満が残ると思います。後付けの文学(原文のまま)というのはなるほどと思いました。