ゼミ生の声part10No.451〜500)

ここには、ゼミ生、卒業生から寄せられた意見を掲載します。プライバシーの問題もありますので、メールで送ってくれたものを、チェックして、名前をイニシャルに変えて、掲載したいと思います。どしどしご意見をお寄せ下さい。

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500.(タイトル)明日香村ゼミ合宿 By 11期生SMさん(2004.10.14)

こんばんは。少し遅くなりましたが、ゼミ合宿、お疲れ様でした。ゼミ合宿一日目は、本当に良い天気でしたね。棚田の稲が太陽に照らされて本当にきれいでした。夕陽ももう見られないかもしれないと思いましたが、最後の最後で雲の切れ間から姿を現したので、山を登った甲斐があったなと思いました。二日目は今井町に行き、ここでもまた美しい風景を見ることが出来ました。先生とSちゃんと一緒に音村家住宅を見学し、そこでおもしろい仕掛けを見せていただくことができました。まるで、おもちゃのからくり箱のようでしたが、実用性があって、あれを考えた人は本当にすごいなと思います。

今回のゼミ合宿では、美しい風景を見られたことはもちろん、ゼミの皆とたくさん話すことができ、幹事さんがしおりに書いた「夏休みで薄れつつあった仲をもう一度深め直しませんか?」というのは達成できたんじゃないかと私自身は感じることが出来たゼミ合宿でした。一日目は、本当によく歩き、汗をかき、山を登るころには少し息切れしていたのですが、歩きながら皆と本当によく喋りました。12月の「片桐ゼミの集い」も、このような雰囲気の中で協力してよいものができたらいいなと思っています。

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明日香ゼミ合宿の感想を多くの11期生からいただきましたが、代表してKYさんとSMさんのメールを紹介させてもらいました。これで、「ゼミ生の声」、ついに500号に到達です。(K)

499.(タイトル)合宿お疲れ様でした。 By 11期生KYさん(2004.10.13)

片桐先生へ。昨日、一昨日の合宿お疲れ様でした。今回の合宿は本当にいって良かったと思える合宿でした。1日目の明日香村での棚田の緑と黄緑のコントラストはすごくきれいで心が癒されました。2日目の今井町も春に調べた久宝寺の寺内町とはスケールが違っていて、永遠と続く江戸の町並みに感動しました。久宝寺は規制がないため、保存を意識しているとはいえ、やはりちらほら現代風な建物が目につきましたが、今井町は数えるくらいしか現代風な建物もないし、電線を地下に移す配慮までしていて本当に美しい景観が守られているんだなと感じました。

夜のコンパで先生が言った「人を観察しているだけじゃ成長しない」という言葉を聞き、またその後いろいろな子の話とかも聞いて「もっと自分を押し出してみよう」と思い、次の日のゼミに挑んだのですが、どうでしたか?もっと自分に自信を持って発言できるようになりたいと思います。今回の合宿は、いろいろな人と普段できないような真剣な話もできて、勉強面でも精神面でも得るものが多い2日間でした。本当に行って良かったと思っています。2日間ありがとうございました。

498.(タイトル)大変ご無沙汰しております。 By 2期生H(U)Yさん(2004.10.13)

キンモクセイのいい匂いがしてやっと秋ですね。片桐先生お元気ですか。2期生のUY(現在はHY)です。来月2歳になる娘の子育ての合間に、たまにHPを拝見しています。「ゼミ生の声」のページに2期生の誰かからのメールを楽しみにしつつ…。かくいう私も今までほとんど全く連絡せずごめんなさい。最近のNちゃん(ですよね?)の文章を見つけて嬉しくなってメールした次第です。HPを見ながら、2期生のみんなは今どうしているかな…と思っていました。子供の世話をしながらの毎日はばたばたとしていて、あっというまに過ぎていきます。想像以上の大変さを実感して、自分を育ててくれた両親にも感謝の気持ちを改めて持ちました。「16年目の夢の結実」を読みました。私が娘と一緒にしたい事考えました。娘が作ってくれた料理を一緒に食べること…でしょうか。最近、随分言葉が話せるようになり、おままごとみたいなのもするようになりました。おままごとらしきもので、小さいお皿にのった謎の物体を「ママ、どーぞ〜」と差し出されるだけでも何だかとっても嬉しいのです。(これはまさに親馬鹿ですね!)本物のお料理の時には涙が出てしまうかもしれません…。主人は何がしたいのかなあ…聞いてみたけど残念ながらはっきりと教えてくれませんでした。またメールしたいと思います。

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Uちゃんからは初メールではないかと思います。嬉しいメールでした。また誰か、私をびっくりさせてください。(K)

497.(タイトル)〔熊〕 By 9期生SMさん(2004.10.8)

TTさんの文章読みました。久しぶりの明るい、生き生きとした「声」に、なんだかうれしくなるのと同時にうらやましさもありました。本当にその人を思って言ったことや怒ったことは、すぐには伝わらなくても、いずれ、いつかは、必ず伝わるものですね。ゼミ卒業生として復帰して下さり、嬉しいです!!何より今の仕事にやりがいを持ち、自分の力を出して頑張っておられる姿が目に浮かび、今の私の姿と比べて何だかとても羨ましくなりました。私も頑張って生き生きとした人生を送れるようにしなければ!!学問とは社会に出てこそより極めるべきものですよね?社会に出る前の期間は、人格を形成し、人生の学問の基礎を学ぶべき時。そんな気がします。社会学も社会に出てこそもっと深く追求できるのかも知れません。私も社会人になってこの半年で追究してみたい問題がたくさん出てきました。

話は変わりますが、私は最近「熊」の問題に疑問を感じます。最近熊が各県で頻繁に出没し、射殺するか保護し施設へ・・・のニュースがよく報道されているのを目にします。子供達は作文で「私の一番怖いものはクマです」と読んでいたり、「クマがいなくなればいいのに・・・」と言う子供がいたり。大人は「暴れるので射殺した」というコメント。皆何か大切なこと忘れていないでしょうか。熊は、人間が森林伐採、植林(スギなど)を植え、熊の食料になる実がなる木をなくし、自然破壊し続けた結果、人の住む境界に空腹のあまり出て来ざるを得なくなった「被害者」だと思います。ただひたすら「クマ」=「怖い」という先入観を子供達にうえつけて、「危ないから射殺」して解決するんでしょうか?熊の生存を危うくしたのは人間。もっと共存できる方法を見つけ、「クマ」に対する見方を変えることも大切なんではないでしょうか。人が熊と接触し、死んだり怪我をしているのも事実。なおさら、熊と人間の共存を考えなければ、熊を絶滅に追いやる事も可能です。また朱鷺のように生存数が指折りになってから、あわてて「クマ」=「怖い」を撤回し「射殺」を取り止めるのでしょうか。一つの生態系を壊すことで人間に与える影響は必ずあると思います。また「熊」も人間に振り回されて絶滅の危機へと向かうのでしょうか。一連の報道を見ていて疑問と腹立たしさを感じたのでつい長文を書いてしまいました。

496.(タイトル)横やり横やり By 5期生KK君(2004.10.6)

たまには先生に向けてでなく、縦のつながりのメールがあってもいいのではないかと思い、メールしました。なんせ片桐ゼミは縦のつながりを大切にしますもんね、先生!

TT君並びに現役生諸君へ

先生と不仲になると、意外と後で響くんだよね。わかるわかる。社会に出たりしていろんな局面でふと先生の一言が脳裏をよぎったりする。これが胸に突き刺さるんだよね。たとえ繋がりがなかったとしても、先生の言葉がかすかにでも残っているだけで十分片桐先生の教え子だよ。先生はレスポンス好きだから、今回ちゃんと自分の意思表示しただけでも喜んでるよ。教え子は山ほどいるわけだし、いろんなタイプの学生がいてもいいんじゃないかな?ゼミという組織の中ではむかったことは反省して、今からでも社会学やりなよ。

今思い返すと、ゼミのある3・4回生の時期は自分の人生の方向性を見つけたい時期なんだよね。ゼミとの両立が上手くできない人も出てくる…。ゼミをおろそかにする人も、それはそれで自分に対して一生懸命なんだろうなぁ。俺もその時期留学なんて格好いいことしたいなんて悩んだこともあったかな。結局いかなかったけど…。いずれにしても、人を不愉快にする行動(ゼミをおろそかにする)だけはしない配慮があれば、先生としてもおこったりしなかったんだろうね。社会に出て思うことは二つや三つの両立ができないと、上手くやっていけないなぁ、だから週1のゼミくらいはみんなと顔合わすのもいい刺激になるはず。

自分に一生懸命な人はついついゼミをおろそかにしがちだけど、できることならゼミという枠組みを大切にして欲しいなぁ。最近思うんだけど、無駄や無意味に感じることほど、後々意味を成してくる。例えば、遠くにわざわざ行くゼミ合宿なんかで、夜通しみんなとだらだら話していることも、5年・10年たてば意味があるんだよなぁ。ゼミは一見人生の階段を上るにして、どうしても非生産的な場に見える。でも、TT君は先生の言葉が胸にいつまでも残っていたように、人(先生やゼミ生)から影響受けたり、自分と違う価値観に出会い、意見が食い違うだけでも意味があるんだよ。せっかく入ったゼミだから「一期一会」を大切にしたいね。

ちょっと格好いいこと言ったけど、個人的には先生に怒られたり破門になったほうが、成長できたような気がするわ。だからといって、破門を推進してるんでなく、ぶつかってもそれに柔軟に対応できる大人になる必要があるんだろうね。K桐ちゃんを納得させるだけの人になれば、どの世界でもやっていけるんだろうね。

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さすが片桐ゼミ「第3代同窓会長」を自認するKK君らしい熱いメールです。KK君自身も私やゼミと距離を取りたがっていた時期を経験しているだけに、ひとつひとつの言葉に重みがあります。決して彼はタテマエで書いているわけではないことは私が保障します。ちなみに、KK君を「破門」したことなどありません。本人が距離を取りたがっていただけです。(K)

495.(タイトル)1年と6ヶ月ぶりの社会学・・・・ By 7期生TT君(2004.10.4)

■本題に入る前に・・・

もう既に、「先生」と呼んでくれなくとも結構と思われているかもしれませんし、連絡なんてわざわざよこさなくても結構と思われているかもしれませんが、そんなことをおっしゃらずに、今回も卒業単位を気前よく与えてくれた時なみに、今回も、このならず者を大目に見てください。(笑)確かに、あの時はいろいろありました。私は大学時代はやりたいことを見つけたのならそれに向かって突き進むべきだという考えを海外留学中に学び、その考えに納得できたため、そんなポリシーのもとで日々の生活を送っていました。そのため、ゼミに費やす時間/エネルギーは最小限にとどまり、結果、先生のお怒りを受けてしまいました。大学4回生の「12ヶ月」としてみたら、自分で決めたことをやり遂げることができたので、そして今はそこでの時間が大きく役立っていると思えるので、ゼミというレベルで見たら間違ったことをしたことと思いますし、その時一緒に学んでいた方々に多少なりとも迷惑をかけ、間違ったことをしたと思ってしまいますが、あの時の私がとった行動に後悔はありません。

また、先生が私におこなった説教の内容を忘れているかもしれませんが、あの言葉は私が社会人になって最も役に立ったものの一つであり、実際に同僚や先輩、上司とうまくやっていけている原因になっていると思います。あの時は、内心「うるさいわ!」と思っていましたが、今は心から感謝しています。ありがとうございました。破門組の一員となってしまっているため、今さら更なる教えを乞うわけにはいきませんが、「あんな問題児がいたな」程度で構いませんので、覚えていていただけたらと思います。もし、先生の方に「会ってやってもいい/時間をやってもよい」というお考えがありましたら、また時間ができた時にお話でもさせていただけたらと思います。

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私が社会人になって1年と6ヶ月が経ちました。今、タイにいます。こちらに異動してきて3週目に突入しようとしているところです。その前までは6ヶ月間フィリピンにいました。私は精密機械メーカーに勤務しているわけですが、その生産の現場である東南アジアにある工場で生産管理をしながら、海外からのお客さんの対応を日々行っています。ほぼ毎週、海外からいろいろなお客さんがくるので、飽きることがありません。学生時代から望んでいたことを社会人になって1年目の終わりごろからできるとは思っていなかったため、毎日、充実感であふれています。労働は朝6時15分に会社に行き、夜の12時ごろまで働いていて正直のところ辛いですが、異文化の中でローカルの人達と働いているので好きなことをやれているなという感じのほうが強いです。

タイトルにもあるように、このメールを送ろうと思った理由についてですが、今日、私は友達である、あるタイ人の家に遊びに行きました。そしたら、そこにカセサート大学というかなり優秀とされている大学の学生(従兄弟らしい)がいて、彼は社会学を学んでいるとのことでした。彼と話をしているうちに、久々に社会学に触れてみたいなと思い、寮に戻ってから、ゼミのWeb Pageを訪問し、いろいろ見ているうちにメールしようと思ったのです。私にとっては1年と6ヶ月以上ぶりの社会学に触れる機会だったので、彼と話をしている時、「折角、フィリピン・タイという国での生活を経験できているのだから、大学時代にもう少ししっかり社会学を学んでおけばよかったな」と何度も思いました。もしかしたら、フィリピンやタイの見方が変わっていたかもしれません。話中に実際に彼の口から出てきたのは、デュルケームの自殺論についてとか、○○という人の人口論についてとか、日本の大学事情についてとかでした。大学であまり社会学を勉強していない私にとっては耳の痛くなる話でしたが、楽しそうに話す彼を見ていたら、何となくまた社会学を勉強してみたいなと思うようになりました。余談ですが、実際にタイの自殺率が高いらしいのですが(何%かは知りません)、宗教的な絡みでの自殺が多いらしいです。(「輪廻転生」みたいなことを言っていました)

話は変わりますが、フィリピンとタイで生活をしてきてはや7ヶ月を終えようとしていますが、ローカルの人達は驚くほどに勤勉でした。(もちろん、仕事が終わっていないのに家に帰ろうとする人は沢山いますが・・・)タイの人たちは「てきとうにのんびり行こうぜ!」的な国民性と理解されているようですが、少なくとも私が見てきたフィリピン人やタイ人にはそういう人はあまりいませんでした。みんな自分の責任を全うしようとしていて、実に勤勉です。(今まで、偏見をもった目で東南アジアの方たちを見ていたかもしれません。申し訳ない。)これは私がごく少数のそういう勤勉な人達を見てきたからなのか、それとも会社の教育が上手くできているからなのかわかりませんが、給料何倍ももらっている日本人はもっとがんばらなきゃいけないなと思いました。(明日から、がんばります。)この7ヶ月を振り返って、フィリピンとタイでの生活は本当にショッキングな出来事ばかりでした。印象に強く残っているのは、会社レベルでは以下の2つだけでなく数え切れません。
1. 「この場は私に任せてください。NGをこのラインから出さないようにしっかり指揮します」と言う実際に生産に関わっている、責任感の強いローカルの方に会った時。
2. 日本人の上司に直接「次はこうすべきだ」と主張しているローカルの姿を見た時。

また、生活レベルでは、3ヶ月ほど前にあったことですが、テロリストがDela Cruz氏をBeheadingするとフィリピンに脅威を与えた時、若干時間がかかったものの、Arroyo首相がイラクから援助軍隊を引き上げる決断をしました。そして、国民の前で「国民の命を救うことが国益である」とスピーチしましたが、そのスピーチには本当に感動しました。いろいろな要因が絡み合っていますが、「小泉総理には絶対にできないだろうな」と思いました。フィリピンはアメリカからの援助なしではやっていけない国です。現在も国際舞台で不安定な立場に立っているようですが、「自国民を守ることが国益だ!」と言い切った首相、それを支持国民はすごいと思いました。そんなフィリピンでのことに加えて、タイの学生の話と、本当に今までのタイ人やフィリピン人に対するイメージを180度変えなくてはいけないような思いで今はいっぱいです。

タラタラ書きたいことを書きましたが、この7ヶ月、上記のようなことに触れながら、生活をしています。先ほど親にメールをし、『基礎社会学』っていう大学時代に使っていた本を送ってくれるよう依頼しました。基本的に、Weekdayは工場と寮の行き来だけなので、寝る前に1時間ばかりでも社会学に触れてみようかなと思った次第です。もしかしたら、また違った視点から東南アジアという国が見られるかもしれません。(ちなみに、私の会社の中国の工場で働くローカルの人達がストライキをしたらしいですが、その工場にも行って働いてみたいです。)それでは失礼いたします。今もなお熱弁をふるっておられるかと思いますが、これからも熱弁をふる先生でいることをタイの地から希望しています。   落第生 TT

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TT君からのメール、嬉しく読みました。毎年20人以上のゼミ生を受け入れていますので、いろいろな学生がいます。ゼミは集団として機能しないと充実した2年間が送れなくなりますので、あまりに身勝手な行動を取る学生が出た場合、私が厳しい態度を取ることもしばしばあります。多くの学生は注意をすれば反省して直してくれますが、いくら注意をしても直らない場合、最後は見捨てるしかなくなります。怒られるのはみんな嫌いでしょうが、怒られるのはまだ希望を持たれているということです。もうこの子は注意しても仕方がないと思ったら、一切注意をしなくなります。T君もそうなってしまった1人でした。1年の留学を経て戻ってきてからは、まったくゼミの行事に参加しない徹底した「個人主義者」になってしまっていました。あまりにもひどい態度だったので、ついに卒業の際に、実質的な「破門宣言」を受けていたわけです。メールを読む限り、まだ相変わらず「自信家」のようで、根本的に変わったわけではなさそうですが、以前よりは謙虚な姿勢が出てきたようですね。社会人として1年半もまれた成果でしょうか。いずれにしろ、こうしてメールを送ってきてくれたことで「破門」は取り消します。3回生の時はもっともゼミに貢献してくれたT君ですから、その復活を心から喜びたいと思います。これ以降、T君も立派な「片桐ゼミ卒業生」です。(K)

494.(タイトル)坂越! By 6期生MM君(2004.9.26)

今日は「坂越」に行って来ました。近いので、次に次に、、、とまわしてなかなか行く機会を失っていたんですが、、、午前中に「播州赤穂」にも行ったのですが、なにより「坂越」の町がよかったです。ほんとに小さな町で、「町歩きだけなら30分もかからない」と例の本(小さな町小さな旅)に書いてあるとおりです。ただ、その町並みが残る通りは「坂越大道」と呼ばれ、千種川の船着場で荷揚げした品物を大八車で坂越浦へと運んだ道なんだぁ、と思うととても感慨深いです。湾の様子は埋め立てにより、当時の面影を偲ぶ程度です。それでも、徒歩20分くらいかけて登った宝珠山からの眺望はメールでもお送りしたとおりです。来月の第二日曜日には、坂越船祭りが行われます。もう300年余りも続く伝統的なお祭りで、12隻の舟が坂越浦を巡回し、秦河勝が祀られる生島へ渡ります。町の人が口々におっしゃってましたが、18時ごろに、還幸の合図の法螺貝が吹かれると、かがり火が一斉に焚かれ、その中を戻ってくる船行列がとても幻想的だそうです。ちょうど予定もないので、見に行こうかと思います。改めて本を手にとって見ていると、兵庫県にも隠れた町がたくさんあるんだなぁ、と思いました。「魚住」なんかも紹介されてて驚きました。また、歩いて報告しますね。

493.(タイトル)こんばんは☆ By 11期生OYさん(2004.9.26)

こんばんは。お久しぶりのメールです。後期が始まって一週間ですね、早いですね…。先生の「夢」のお話について、メールをしようと思っていました。遅くなってしまったので、OGの方に先を超されてしまいました。父が息子に抱く夢は、先生の夢のように一緒にキャッチボールをしたいというようなことをよく聞きますが、父が娘に抱く夢は何なのでしょう?これも先生はもうコメントしてらっしゃいますが、私は父からすると娘なので、ゼミのときに先生の「夢」の話を聞いた時に、「お父さんは私に何か夢を抱いたのかな?」と一人で考えていました。うちもお父さんとお兄ちゃんは一緒にキャッチボールをしていました。私は何でもお兄ちゃんの真似をしたがる子だったので、私も一緒にやったことはありますが、手が痛くてすぐダウンしました…。異性の親子には特に何も抱かないものなのでしょうか。そういえば私も、母とは一緒にお買い物に行きたいとか、お料理がしたいとか思いますが、お父さんには…。昔からお父さんとお買い物には行きたいと思うことはありましたが、そういえば特に「夢」はないですね…。そんなものなのでしょうか。でも、私は昔からお父さんのことは尊敬しているし、好きなので、もし娘に対して何か「夢」を抱いているなら、叶えてあげえたいなというか、応えてあげたいなと思いました。

先生のご家族も、きっとお子さんは先生のことを尊敬してらっしゃるのでしょうね。親子で仲がいいのはとても素敵なことだと思います。私も、先生の娘さんと一緒で、父に反抗したり、「うざい」と思ったことはありませんでした。年頃の女の子はたいがい父親を煙たがるといいますが、友達が父親のことを嫌がっているのも不思議でなりませんでした。私は家族だんらんが大好きです。やっぱり、家族って落ち着きますよね。うちは兄妹も仲が良いし、家族も仲がよいのでとても幸せです。一人暮らしをし始めてから、余計に家族の温かさを感じました。先生のお話を聞いて、そして「つらつら通信」を読んで、とても穏やかな気持ちになりました。家族愛っていいですね。パソコンの画面からひしひしと伝わってきました。一人なので、少し寂しくなりましたが、「私には応援してくれる家族がいる!!」と、、また自分に言い聞かせて、頑張ろうと思いました。

492.(タイトル)〔「16年目の夢の結実」の感想〕 By 10期生AMさん(2004.9.26)

16年目の夢の結実」を昨日読みました。読み終わって素直にバランスの取れた親子関係だと思いました。15歳前後という年齢は男女関係なく世間一般的に、多感で情緒が不安定になる為、親子の関係が疎遠になったり、父親をけむたがったりするものです。また一方で平成生まれの子供達の親は年齢の若い親が多いので、母親と娘の関係は姉妹みたいに思われることが良いということもあるそうですよ。親としての威厳は保つ一方で、スポーツなどの共通の話題や趣味を共有することはいくつになっても本当に素晴らしいことだと思います。先生の嬉しそうな表情が目に浮かぶ、そんなつらつら通信でした。

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本当に、このテーマ、反応が多いですね。ひとつのテーマで、こんなに感想をもらったことはないように思います。みんな「家族話」が好きなのかな?軽く書いた「親馬鹿エピソード」だったのですが……。なんか「理想の親子」のように思われると気恥ずかしいです。そんな立派な親子ではありませんので、どうぞ誤解なく。ところで、下の2期生O(T)Nさんのメールにもありましたが、「父と息子」がキャッチボールなら、「母と娘」は本当になんなんでしょうね。「友だち母娘」か「姉妹のような母娘」なんですかね。なんか私には違和感がありますが……。勝手なイメージで言わせてもらうと、お母さんが娘に料理を教えているなんて、素敵な光景に見えるのですが……。「古い!女性に料理を作る役割を押しつけるつもりか!」なんてフェミニストが怒るかもしれませんが、まあ怒る人がいたら怒らしておきましょう。私は人生の先輩である親が後輩である子に教えるという親子関係を好きなのです。だから、「友だち親子」や「姉妹親子」に違和感があるんだと思います。もちろん「老いたら子に従え」という言葉もありますから、ある時期が来たら、親が教えるという関係ではなくなるのでしょう。ただ、私の場合、私が36歳の時に父親を64歳で亡くしましたが、その時点で父息子関係は逆転していませんでした。なので、息子が父に教えるという関係は経験していません。いつか私が息子に従うようになるのかどうか、今はまだイメージが湧きません。さてさて、どうなることやら。(ああでも、最近時々ゼミの卒業生から教わることは出てきていますので、そんなイメージでよければ湧きますね。ちなみに、この師弟関係の逆転は結構心地よいのですが。)最後に、「父と娘」「母と息子」という異性の親子関係の場合はどうなんでしょうね。私は、娘たちとの関係では、息子ほど単純な夢は持っていなかったし、母との関係ではすでに逆転親子関係になってしまっているように思います。やはり同性の親子関係と異性の親子関係はいろいろと違うように思います。(K)

491.(タイトル)ご無沙汰しております。 By 2期生O(T)Nさん(2004.9.25)

片桐先生。こんにちは。本当にご無沙汰しております。2期生のTです。「16年目の夢の結実」読みました!先生の夢ってなんだったんだろう・・・?とクリックしてみました。先生の本当にうれしそうな笑顔が目に浮かび、先生も普通のお父さんだったんだあ、と私は思わずにっこりしてしまいました。「ゼミの集い」で会場内を走り回ってはしゃいでいた息子さんも自分たちで野球チームを作るくらい成長されているんですね。そんなに月日が経ったんだなあとしみじみ感じています。昨年は周りが出産ラッシュでしたので、私もそろそろ子供が欲しいなあと思い始めるようになりました。父親が息子とキャッチボールが夢ならば、母親は娘が生まれたときにどんな夢を持つんでしょうね。私なら・・・友達のように買い物やお茶をしたいかなあ。なんとも平凡ですね。今度、母に聞いてみようかな。それでは、またメールします。

追伸:2期生のみんなはどうしているんでしょうか。先生、ご存知でしょうか。去年、Mがお母さんになったことぐらいしか私も知らないのです。それと、Oくんの勤務先はうちの会社のクライアントです。Webディレクターとして頑張っているようです。聞くところによると、風貌は今もあやしいらしいです。また、みんなに会いたいですね。

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2年ぶりの2期生の登場です。2年前もNちゃんでした。1番間隔が空いた学年じゃないかな。(まあ、他の学年も現役生以外は、メールをくれる人はほぼ決まってしまっていますが。)Nちゃんも触れていますが、2期生のみんな、本当にどうしているのかな?かつてはもっとも集まりのよい学年と言われていたのにね……。Nちゃんが知らないぐらいでは、横の連絡もちょっと途切れているのかな?たまにはHPを覗いてくれていますか?「集い」の返事はよくくれる2期生なので、年に1度の近況報告は多くの方からいただいていますが、こんな風に予期せずに飛び込んでくるメールはまた格別の喜びがあります。覗いている人は、たまにはメールを送ってみて下さい。HPへの掲載に抵抗があるようでしたら、その旨お伝えいただければ、掲載しませんので、ご安心下さい。現役の時に期待だけされて肩すかしばかり喰わせてくれた「怪しい風貌」のO君あたりが、そろそろ大化けしてくれる頃では思っているのですが……。また肩すかしかな?(K)

490.(タイトル)〔キャッチボール〕 By 6期生MM君(2004.9.23)

つらつら通信、読みましたよ!なんか、こちらも心が温まる内容で、思わず笑顔になりました。いつも言ってましたもんね、子供とキャッチボールをしたいって、、、。いいですねぇ。僕は父親も野球が苦手だったので、キャッチボールへの憧れは、あまりありませんでしたが、酒は、一緒に飲みたかったですね。先生も次は、お酒ですね。やっぱり、息子さんも少しずつ成長されてるんですね。いやぁ、こういう記事もたまにはいいですね。ほんと心温まります。それでは、また。

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息子とのキャッチボールの話題にいろいろ感想をいただき、嬉しく思っています。他にも1期生のI(N)Mさんからも「『息子とキャッチボール』は男親の夢なんですねー。うちのだんなもしょっちゅう言ってます」という感想をいただきました。ありがとう。(K)

489.(タイトル)すばらしい。 By 4期生MN君(2004.9.21)

「16年目の夢の結実」 すばらしい話ですね。職場で昼ごはんを食べながら読んでいて「吹田片桐ケミカルズ」という、あまりに息子さんらしいチーム名で文字通り噴飯してしまいました。しかし、親子の至福の光景を想像すると思わず目頭が熱くなりました。(ほんとに) 僕も父親と娘の夢を考えてみます。16年もたって親ばかできるなんてすばらしい。

488.(タイトル)〔イタリア旅行〕 By 11期生SMさん(2004.9.17)

9月6日から10日間、イタリアに旅行に行ってきました。ローマ、フィレンツェ、ヴェネチア、ミラノをまわったのですが、やはりイタリアを代表する観光地だけあって、どこに行っても観光客がたくさんいました。人ごみはあまり好きではないのですが、世界各地から来ている観光客のなかにいて、その様子を見るのはなかなかおもしろかったです。日本人もたくさんいました。レストランに行くと、従業員が挨拶程度の日本語を話す人が多くいました。それだけ、日本人が多く訪れ、また、お金を落としていく「良い」客だということなのでしょうか。ツアーではなかったので、移動も自分たちだけだったので、その分、緊張と疲れはありましたが、観光客や現地の人と交流(挨拶や道を尋ねる程度ですが・・・)することもでき、良い経験になったと思います。

487.(タイトル)台風、地震、、 By 6期生MM君(2004.9.6)

先生、こんばんは。超大型の台風に、地震と天災の怖さを再認識しております。いかがお過ごしでしょうか。HPが更新されていないところを見ると、お忙しいのでしょうね。さて、木曽路旅行のあと、北信濃の町や村を歩いてきました。さすがに先生のように高気圧を呼ぶことはできず、予報どおりの天気でした。それでも、存分に楽しむことができましたので、簡単に報告をさせていただきます。

まず一日目には、鬼女伝説で有名な「鬼無里村」という小さな田舎の村へ行きました。長野駅からバスで1時間程度かかるのですが、道中も素晴らしい景色を見ることができます。村は、ほんとうに何もない田舎です。そののどかさがなんとも心を和ませてくれます。その村の資料館に、とても立派な彫刻が施された神輿が4体展示されています。話しを聞けば、昔は10数体もあり各地区で所有していたそうです。なぜ、ここまで裕福だったのかなぁ、と疑問に思っていたのですが、この村は、戦前までアサ(大麻)から作る「畳糸」の生産で生計を立てていたんだそうです。村の95%が携わっていたといいます。戦後は、麻薬に関する取締りが強化されたことや、合成繊維の開発により衰退してしまったそうです。長野県自体、アサの生産量は日本有数で、「美麻村」「麻績(オミ)村」という村名が今のところ残っています。アサの歴史というのも面白いかもしれませんね。他にも鬼無里村の話は尽きませんが、このくらいで、、、ちなみに、一句。

鬼女の夢 偲びて歩く すすき道 (2004・9・3)

さて、翌日は「須坂」に行きました。平成8年には、全国町並みゼミ大会も開催されたそうですが、「蔵の町」として売り出していますが、道路がアスファルトで舗装されていて、すこし残念でした。昔は、街中に水路が走り、水車を動かし菜種油の生産が主要な産業だったそうですが、養蚕が盛んになり、製糸業の町へと基幹産業が移行し栄えたそうです。その辺りの歴史をひも解いていくと、須坂の町をより楽しめます。あと、凄いなぁと思ったことに、「祇園祭」があります。長野には、意外と京文化が入っていて、今なおその名残りが至るところにあります。「笠鉾会館」というのがあり、そこには、毎年7月20日に町を巡回する笠鉾と屋台が展示されていて、これまた素晴らしい彫刻や装飾が施されています。一度、見に行ってみたいものです。

次に訪れたのは、「戸隠村」です。山岳信仰の修験場である「戸隠神社」や「戸隠そば」で有名ですが、自然の偉大さや荘厳さを改めて感じました。先に訪ねた木曽路でも、同じ思いを感じましたが、今回も又、それに触れることができました。戸隠神社は、「宝光社」「中社」「奥社」の三社から成っており、なかでも「奥社」は、片道30分もかかる参道を歩きます。途中、随神門という茅葺の赤い門があり、その奥は、うっそうとしげる杉木立が続きます。なんとも神々しい雰囲気があたりをつつみます。また、ここ戸隠は、木曽義仲の家臣として戦列に加わった仁科大助が修行した場所だったそうで、伊賀流忍術を取り入れた、戸隠流忍法を完成させた場所でもあるそうです。そこで、民俗資料館と併設して忍法資料館などがあります。これが、意外と面白いんです。

少し話がそれましたが、今度は天気のいいときに訪ねてみたいと思います。長野(信濃)は、ほんとうに奥の深いところです。小諸、信州中野、飯山あたりを次は攻めるつもりです。また、一緒に旅をしましょう!長くなりましたが、この辺りで失礼します。それでは、また。季節の変わり目で体調を崩しやすいですが、くれぐれもお身体ご自愛ください。最後に一句。

秋雨に 木曽の流れも 濁りたる (2004・9・5)

486.(タイトル)残暑お見舞い申し上げます By 10期生IsYさん(2004.8.23)

残暑お見舞い申し上げます。先生お元気でしょうか?「KSつらつら通信」を拝見しました。先生はご家族で「ディズニーシー」に行かれたんですね。しかも、お盆休みとはかなりの心構えでいかれたのでしょう。実は私も15日は東京にいました。妹の野球の全国大会がディズニーランドの隣の葛西臨海公園であったので、その試合を見に行っていました。もしかしたら先生とご家族ととても近くにいたのかも。私はランドもシーもいかなかったですが、舞浜の駅を出てすぐのイクスピアリには行きました。イクスピアリは私にとって少し奇妙でした。何となくアメリカナイズされた空間に(アメリカでよく見たような感じ)普通の雑貨屋さんや下着屋さんもあり、たまに鳥のような何の動物か分からないおおきな人形に騎士みたいな格好をした人が乗って、歩いていたり、ディズニーランド色ということはあまり感じられず、コンセプトも見失っている感がありました。ショッピングを楽しむことが少なくて、財布のひもが堅めの私には、心から楽しいとは思えませんでした(^_^;)。。確かにお盆まっただ中の割には,人が多い!という印象はあまりありませんでした。しかし,ディズニーシーにはかなり期待を裏切られたようですね…(^_^;)私はディズニーランドに行ったことがありません。めずらしがられます。一度は就職する前に行ってみたいと思っています。テーマパークに行ったときのあの雰囲気と自分のテンションというか祭りと似た非日常さに没頭する感じは好きです。3月に中3以来のテーマパーク,USJにいって久々に味わいました。

妹は高校1年生で、部活では卓球部。そして地域の社会人の軟式野球チームに所属しています。今回はその全国大会でした。試合の前日の電話で「明日はどこを守るん?」と聞いたときには「まだ明日にならないと分からん」といっており、楽しみにしていました。当日にも電話をしてもう一度聞いたらピッチャー!!というではないですか!驚いて、急いで試合会場に行きました。すると会場に着く頃には試合はすでに始まっていて、妹がマウンドに立っていました。私はものすごくドキドキしてみていました。少し痩せてひきしまった妹が、野球のユニフォームをきて、カーブやストレートを使い分けたビックリするほど早い投球をしている姿に、熱くわき上がるものがありました。すごく格好良かったです!!実はピッチャーというのは前日には言われていたのですが、照れくさかったそうです。試合は惜しくも負けてしまいましたが、良い試合でした。来年も全国大会に来てもらって、絶対に見に来ようと強く思いました。

朝夕は少しずづ涼しくなってきましたが、まだお日様が元気な日はまだまだ暑いのでお体にはお気を付け下さい。

485.(タイトル)夏休み By 9期生SMさん(2004.8.11)

お久しぶりです!!今週1週間は、会社の盆休みで、卒業以来の連休を過ごしています。月曜から青春18切符を使って、友人と2泊3日で、福井県に遊びに行ってきました!!福井に行くまでに途中下車して、散策したのが、あの思い出の地、安土城跡!!信長の偉大さを感じながらも、あの山を先生・ゼミ生と登った思い出をかみしめて、暑さの中、時折吹き抜ける風を感じながら、一気に登りました。何度行っても飽きさせないのは、完全に観光地化して、賑やかになってないからだろうと思います。安土城跡も大阪城のように再現されて建て直されたならば、一気に景観は崩れ、信長の時代の華やかさの中にある「はかなさ」や、その時代を想像する力は失われていくだろうと感じました。2日目は、三国や東尋坊に行きました。東尋坊に行くまでにある遊歩道の途中にあるベンチで、横になり、蝉時雨の中聞こえる波の音に耳を傾けながら、長い時間過ごしました。日々の疲れを癒し、日本海の美しさと、自然の偉大さに酔いしれました。帰る日、最後に寄ったのが、柴田神社。柴田勝家の城跡と考えられている場所です。8年前に訪れた時には、少し賑やかな繁華街の中に、緑がたくさんあり、静かに佇んでいる落ち着いた感じの、歴史ある神社で、とてもいい所でした。ところが、今回行って見ると、全て神社も建て直され、地面は明るめのコンクリートで固められ、木はほとんど切り倒されており、ピカピカの資料館までできて、全く歴史的な雰囲気は残されていませんでした。「歴史にタイムスリップ!!」などといったパンフレットなどや、「歴史探訪」といったフレーズで街のあちこちに説明のパネルがあるわりには、歴史的な景観をぶち壊しにする風潮が見られ、なんだかがっかりしました。近頃の日本は何でも「とりあえずやってみよう」って感じの行き当たりばったりの計画とも言えるような動きが、よくある気がしますが、歴史的な景観にしても、国の様々な計画にしても、もっと未来を見据えて、想像力を働かせて、一つ一つ挑むべきではないかと感じます。やってしまってからでは遅いっていうこと、もっと敏感に気付いて欲しいと、近代化された柴田神社を見て、思いました。今回の小旅行で一番は、やはり、日本海をボーっと眺めていた時の、贅沢な時間が一番最高でした!!

484.(タイトル)〔大牧温泉〕 By 10期生AMさん(2004.8.11)

富山県にある大牧温泉に行ってきました。祖母が俳句の題材にしたいということで、かねてから1泊旅をしたいね、とは言っていたのですが、大牧温泉に決まったのは行く直前でした。実際何かあるという訳ではなくて、船でしか行けない秘湯というのが売りになっているようです。大阪から富山県の高岡まで電車で行き、そこからバスで70分、船で30分という長旅なのですが、険しい山肌に立つその旅館の風景は実に素晴らしく、遠くまで来たという甲斐が十分にあります。また渓谷を流れる庄川は暑さを忘れさせ、涼しい風を運んでくれます。近くには世界遺産に登録されている白川郷があり、圧倒的にそちらの方が知名度はありますが、何も無いただ自然に囲まれているだけの環境もまたこの上ない贅沢だと感じました。この大牧温泉はもともと源平合戦に敗れた平家の武将が、源氏の軍勢から逃れるために奥地へ奥地へと隠れ家を求めて見つけてたと言われているようです。今では庄川は関西電力の小牧ダム水力発電所として利用され、秘湯とは言い難いところもありますが、船で庄川の渓谷を渡る景色は本当に美しいものです。最近ニセ温泉が相次いで発覚していますが、客を騙すようなことだけは絶対に止めて欲しいですね。と同時に、気付かないでその気になって満喫している我々も、これからは賢い消費者になっていく必要があると感じました。

483.(タイトル)異常気象? By 6期生MM君(2004.8.7)

先生、こんにちは。このところ、急に台風が発生したり、局地的な豪雨など、今までは異常気象と、それほど意識していませんでしたが、やはりそうなのかなぁ、と意識してしまいます。昨日、職場の人とも話しをしていて、最近、「夕立」ってないよね、と言っていました。「夕涼み」などという言葉も死語になりかねない現状を悲しく思います。少し前に、「俳句歳時記」を読んでいて、日本語の美しさを再発見し、母親とも話をしていました。

さて、この前の日曜日は、1日とういうことで「映画の日」でした。先生は、何か観られましたか?ぼくは、2本も観ました。ひとつは、「69(シックスティ・ナイン)」です。大学生のころに原作を読んだことがあり、前から気にはなっていました。不安要素もありながら、活気あるという時代状況をうまく演出できていたんじゃないかなぁと思いました。若いっていいなぁ、楽しいなぁ、、、という清々しい思いに浸れる作品じゃないかな、とぼくは思いました。

もうひとつは、原作・伊集院静の「機関車先生」です。言葉を失った先生が、瀬戸内の島の小学校へ臨時教員として赴任し、島での生徒との触れ合いや生活が描かれています。個人的には原作の方がよかったです。言葉なしの演技というのは、ほんとうに難しいでしょうね。主役は坂口憲二だったのですが、それなりにはまり役でしたが、少し物足りなさを感じました。

今度は、最年少でカンヌ主演男優賞を受賞した柳楽くんの出ている「誰も知らない」を観に行くつもりです。あと、山口県で大ヒットした「ほたるの星(原作・宗田理)」も観たいなぁ、と思っています。こちらは、原作を読みました。もともと宗田理には、物足りなさを感じていたので、期待はしていませんでしたが、映画はどうなるのか楽しみです。また、報告しますね。

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出張で九州まで行く前日に突然和歌山県の南で台風が発生したので、さすがに今度こそ足止めを喰らうかなと思いましたが、結局傘すら使わずに済んでしまいました。着いた九州はあまりにも天気がよかったので、さすがに九州は違うなと思っていたら、「昨日までは2〜3日雨だったんですよ」とホテルの人に言われました。「ミラクル晴れ男」の行く所、すべて晴れてしまうようです。だんだん自分でも怖くなってきました。

MM君が紹介してくれた映画ですが、原作者が個人的にはみんな評価できない人ばかりなので、どうもいまひとつ見に行く気が起きません。『69』(村上龍原作)なんか、本当にがっかりしました。村上龍があんなに売れていることが私には納得できません。時代、流行を浅薄にさらっと描く今風流行作家にすぎないと思うのですが、みんなどうしてあんな作家にだまされるんでしょうか。「69」の脚本は、一般的には評価の高い宮藤官九郎ですが、実はこの人の脚本も私にはピンときません。若さについていけていないだけなのかもしれませんが……。伊集院静は何冊か読みましたが、雰囲気ばかり作りすぎていてちっともおもしろくありませんでした。ストーリーテラーではないのではないかと思っています。ちなみに「機関車先生」は読んでいないので知らないのですが。宗田理は読んだことはありませんが、なんか軽い小説を書く作家という印象があります。「食わず嫌い」かもしれませんが……。(K)

482.(タイトル)ご無沙汰しています By 10期生ItYさん(2004.8.6)

片桐先生、おはようございます。すっかりご無沙汰してしまって申し訳ありません。何度も何度も先生にメールしようって思っていたのですが、送ろうと思うとなかなか話がまとまらず、つい筆不精になってしまいました。夏の風物詩、花火もPL.淀川と大阪を代表するものは終わってしまいましたね。先生はいかがおすごしですか?

気分転換にとプラッと松江に行ってきました。先生とKプロの先輩方と電車を乗り継ぎ乗り継ぎ行った、あの松江です。今回はバスで行きましたが、松江の景色はそのままでした。たしかAちゃんとも、あの旅が出会いだったなあ、夜入った居酒屋の魚おいしかったなあ、なんて、一人宍道湖を眺めながら思いにふけってきました。先生のお陰で、松江は私の青春の一ページに選ばれたみたいです(笑)今回の目的は、浪人時代から行きたかった松江にある「ティファニー美術館」に行くことだったのですが、ほんと良かったですよー!!ご存知かもしれませんが、ティファニーはガラス装飾でも有名で、ステンドグラスやガラススタンド、花瓶、その作品は本当に観ても見飽きない☆心惹かれるものばかりでした。「フランダースの犬」のラストのシーンではありませんが、これらの作品に囲まれて眠れたらどんなに幸せだろう、とすら感じました(笑)今の若者には「指輪のティファニー」みたいな名しか通っていないのが本当に悔しくなってしまいます。と、長々と旅話になってしまいすみません。

だけど、旅はいいですね。旅といってもいろいろだとは思いますが、松江にしても鞆の浦にしても一度きちんと「街」を知る旅をしたら、同じ場所に二度目三度目行く面白さが断然違ってくると思います。「土台」があるかないかということですよね。私は、前に先生たちと松江にきて、歴史や街を少しだけど教えてもらうことが出来たから、今回の一人旅で更なるプラスαの発見が出来たと思っています。そんなことをしみじみ感じた一時でした。卒業まで、時間も経済的にも切羽つまってきてはいますが、、いい旅をいい経験を少しでもたくさんしたいと思います(^^)。今が、これからの私の「土台」になっていくんですよね…、と、とりあえず何事も前向きに頑張っときます(^^;と、卒論も…ですね(><)まだまだ暑い日が続きますが(この頃は台風ですね。。)先生も、くれぐれもお体には気をつけてくださいね☆☆

481.(タイトル)バーレーン戦 By 10期生MoK君(2004.8.3)

ヨルダン戦に続いて、奇跡的な勝利でしたね。いつから日本はこんなに逞しくなったのでしょうか。先生が以前ベストゲームだとおっしゃっていた東アジア選手権の韓国戦と同様に、日本は一人退場して、4バックに変更し、流れをつかみました。この時、ジーコは急いで田中を下げて中田浩二を投入し、後半から福西を小笠原に替えたのですが、僕はジーコが少しミスを犯したのではないかと思っていました。というのも、田中を下げてそのまま小笠原を投入し、福西のワンボランチという形をとっていれば交替枠を節約できたからです。しかし、そうすれば出場することのなかった中田浩二がすぐに同点ゴールを決めてしまったので、ジーコには脱帽するしかありません。しかも、点も取れていない上に、怪我をしている玉田を無理やり先発で使い、途中で本山に替えずに我慢して使い続けた結果が、素晴らしい2ゴールにつながったわけですから、ジーコ自身にも神憑ったものを感じずにはいられません。でも、今日の川口はあまり良くなかったと思います。川口はスーパーセーブを連発するイメージがありますが、実はスーパーセーブに見せるのが得意なのかもしれません。GKはポジションニングというのが大切で、シュートを打つ相手に対して良いポジションを取っていれば、スーパーセーブをしなくても、難なく正面でキャッチできることもあります。楢崎なんかはポジションニングの良い選手ですから、あまりスーパーセーブをするイメージがないのかもしれません。勿論、今日の失点は川口の責任ではありませんが、1点目なんかは防げたかなと思います。しかし、ヨルダン戦の勝利は、間違いなく川口の実力と強運が生んだものです。あんなものを見せられたら、僕が監督でも川口を使おうと思ってしまいそうです。とにかく、今大会低調なサッカーを続けてきた日本が、粘って決勝まで進んできました。もう今大会に関しては、あまり分析的に観ない方が面白いかもしれませんね。ブーイングや暑さ、悪質な芝、不公平なジャッジにも負けず、必死に戦っている選手を見ていると、そんな気がしてきます。理屈を抜きにして、何とか優勝を勝ち取ってもらいたいものです。

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結局、優勝しましたね。なんだか準々決勝と準決勝があまりに壮絶な戦いだったので、決勝戦が物足りなく感じたほどでした。むしろ、関心は中国人サポーターの反日感情の方に向いてしまったようです。日韓関係が改善されてきたのを実感する今日この頃ですが、他方で日中関係が悪化しそうで、残念に思います。歴史は歴史として反省すべきは反省すべきでしょうが、戦後60年近く経っても新たな関係を築けないものでしょうか。完全に歴史にしてしまうには、まだ新しすぎる事実なのでしょうか。憎しみを教え込んでも、いいことは何もないと思うのですが……。(K)

480.(タイトル)こんばんは! By 10期生MKさん(2004.7.30)

写真見ました!!宮古島行かれたんですか??実は私も去年の夏に行ったんです。写真の場所もバッチリ行きましたよ☆すごい綺麗に撮れてますね〜(>_<) 宮古島はいいところですよね!!車道も全然車通らないし、のどかすぎ☆全島回りましたよ。海がめっちゃ綺麗やった〜!4色くらいに分かれてますよね!!感激しました☆完熟マンゴー食べられました??私は旬が終わってて、ジュースしか飲めませんでした(涙) かなり美味しいらしいので、食べてみたいんです☆

でも、去年に宮古島に超大型台風が直撃したことをご存知ですか??(この話していないですよね?)ちょうどその台風にあってしまったんですよね...。帰る日に台風が来て、2泊延泊しました。最初の夜が一番ひどかったので、夜中は本当に死ぬかと思いました(+_+)窓枠外れそうやったし...。全島停電になってしまい、コンビニも懐中電灯で商品探して、店員さんは電卓で!街は壊滅状態でした...。暗くなってからは、蝋燭を頼りにトランプしてました(^_^;)3日目にして運良く飛行機が空いて、帰宅することができました。車はひっくり返ってるわ、レンタカー屋の屋根が落ちてレンタカーが全部ぺしゃんこなってたり、木もなぎ倒されてて、自衛隊も来てました!!後から聞いた話では、私が泊まっていたオーシャンビューのホテルは、海沿いなので風がものすごく、全室の窓ガラスが割れていたそうです...。延泊料金が高かったので、安い民宿に変えて正解でした!(まぁ、その民宿がちゃちいプレハブで、死ぬ思いをしたんですが...)そんな貴重な(!?)体験をした宮古島なので、かなり思入れが強いです。先生の写真を見て、思わず長文のメールを送ってしまいました(^_^;) もし他の写真もあれば見せて頂きたいです!!では、またメールします!!

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更新したHPに反応が来ると、やはり嬉しいものです。特に、夏休み期間中は、毎週のようにゼミ生と顔を会わせることもないので、こういうメールは特に嬉しく思います。現役学生諸君だけでなく、卒業生諸君でも、たまには近況などお寄せ下さい。ところで、宮古島に行ったのは2年ほど前のことです。HPの写真は、昔撮ったものなどを小出しに使っています。次は、どこが出るか、お楽しみに。(K)

479.(タイトル)〔鞆の浦〕 By 10期生TNさん(2004.7.26)

先日ブラ〜っと本屋に行った時に「HaNaKo」という雑誌を立ち読みしました。今回の特集は“夏のスロ−な旅”で、鞆の浦が紹介されていました!!確か・・・紹介文には「初めてなのにどこか懐かしい街角」と書かれていました。(確か52ペ−ジあたりだったと思います)去年、美容院でたまたま読んだ雑誌で今井町が紹介されているのを見つけた時と同じ気持ちになりました。鞆の浦へは残念ながら行っていませんが、ホ−ムペ−ジ上でゼミ生の感想を読ませてもらったり、Mちゃんに写真を見せてもらったりして想像を膨らませていました。知っている土地、中でも自分が気に入っている土地が雑誌に載るということは、嬉しいような・・・しかしあんまり知られたくないような・・・そんな複雑な気持ちになります。この時期本屋さんで一番目に付く位置は旅行に関する雑誌ばかりです。そんな雑誌を読んでばかりいると、改めて学生のうちに色々なところへ行ってみたいなぁという気持ちになります。就職活動も終わり、クラブも引退したので・・・夏休みはバイトに励んでお金をためたいと思います。あっ、もちろん卒論もしっかり取り組みます。毎日暑い日が続いていますが、お体に気をつけて、素敵な夏休みをお過ごしください☆☆

478.(タイトル)『僕らの音楽』 By 4期生MN君(2004.7.18)

『僕らの音楽』見ました。関大は関係者に有名人が少ないので、テレビに露出する人が増えてくるとうれしいです。最近子育て関連の本をよく目にするのですが、その中に教育資金の特集で大学に行くことの費用対効果というようなことが書かれていました。大学4年間に払った学費(約500万)のリターンはおよそ生涯年収で10倍(大卒は5000万円多い)になるのでそれなりに効果はあるのですが、それまでの教育費がかかったわりに、うまく就職できず、あまりリターンがない場合も多いそうです。しかし、母校がメディアで取り上げられればうれしいですし、ゼミのつながりなんて、どこかのカード会社のCMではありませんが、pricelessな財産なので、大学に行くことの価値はお金では計れない部分がたくさんあるということを嫁さんと話し合って、早速教育資金を貯めることにした、気の早い親ばかです。それではまた。

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『僕らの音楽』は、土曜日の午後11時半から関西TV系で放映している番組です。関西大学社会学部教授でもある鳥越俊太郎氏が進行役を務める音楽番組です。7月17日放送の回には、関西大学文学部出身の矢井田瞳さんが出演し、番組のロケを関大のキャンパス内で行っていました。全体的にはなかなかきれいなキャンパスに映っていてよかったのですが、ヤイコさん、彼女が卒業してから建てられた法科大学院の建物を、「あれが私の学んでいた学舎です」って言っていました。大学が言わせたのかな?自分が学んでいた学舎を間違えるはずはないですからね。それを聞いて「なかなか素敵な建物ですね」って言っている社会学部教授もいかがなものかと思いましたが……。まあでも、関大としてはよい宣伝になったと思います。(K)

477.(タイトル)シンポジウムの感想 By 10期生KK君(2004.7.17)

昨日は一高説明会お疲れ様でした。そういえば、4年近く前にどの学部にしようかなぁと悩みながら色々な情報をかき集めていたなぁとしみじみ思い出しました。4年前の自分達はこういうように見えていたのかなぁと思い、大学生活で少しでも成長した自分をしみじみ振り返っていました。

説明会はよかったですね!僕としても、このように4専攻すべてが一堂に会して、シンポジウムを行うなんていう場は経験したことが無かったので大変貴重な時間を過ごすことが出来ました。昨日の一高生もやはり社会学部志望生は選りすぐりだと思いますよ!他学部への対抗というわけではありませんが、僕達の学年の時でも商学部や経済学部の志望生はどこかドライというか、昨日質問会に残ってくれた学生のような熱さはなかったように思います。社会学専攻が3人というのは少し寂しかったですけどね。でもこれから社会学専攻が増えてきますよ!僕もそうでしたから。僕が高校生の頃は一高生の評判が悪いと耳にタコが出来るほど聞かされていたので、無意識に構えていたところがありましたが、実際に現役学生側から見てみると逆に良い雰囲気を持っている高校生だという気がしました。僕が入学してすぐ基礎研究の授業で、S先生が「このクラスには一高出身の人はいないのかな?」と聞いてきて僕が手を挙げると「あ、そう…」と寂しそうに小さな声でおっしゃていたので、「やっぱり一高生がいると不安なのか…?」と勝手に不安になり、一高生のイメージ刷新を図ろうとしていたことを思い出しました。

このような貴重な機会に呼んでいただいてありがとうございました!来年の社会学専攻の志望者が増えることと、来年からもこのようなシンポジウムが続けて行われることを祈っています。ありがとうございました!

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7月16日に社会学部進学を考える関大一高生のための説明会をソシオAVホールで開催しました。「フリーター」をめぐって各専攻から出てきた教員がそれぞれの専攻の特徴を生かした分析をしてみせた上で討論し、さらには会場からの質問等にも答えるシンポジウム形式で行いました。私も壇上に上がっていた一人なので、自画自賛になってしまうのですが、率直に言ってこれまでに行われたどんな説明会よりも魅力的なものになっていたと思います。K君は関一の先輩として後輩たちのアドバイス役として参加してもらっていたのですが、他の現役学生たちにもぜひ聞いてほしい企画でした。ビデオを撮らなかったことを入試部が非常に悔いていました。ちなみに、各専攻の報告タイトルを載せておきます。(K)

1.産業心理学専攻(川崎友嗣先生):「フリーターの心理――動機・理由と悩み」/2.社会システムデザイン専攻(森田雅也先生):「フリーターという働き方で誰が得をするのか」/3.マスコミュニケーション学専攻(山口誠先生):「メディアにおけるフリーター言説の誕生と政治性」/4.社会学専攻(片桐新自):「フリーターの社会学的考察――豊かな社会とパラサイトシングル時代の申し子たち」

476.(タイトル)遅くなりましたが…… By 11期生KM君(2004.7.16)

メール遅くなってすいません(^^;)なにか疲れをひきずったままテストに突入してしまって、なかなか機会を見つけられず、遅くなって失礼しました(^^;)先生はその後疲れとかは大丈夫でしたか?僕もかなり疲れは溜まっていたのですが、あの旅行は本当に中身の濃いものとなりました。特にお手火祭りの刺激なんかは衝撃でしたー!神様も降りてた気がしますし(笑)次の日の町並散策も興味深かったです。想像以上に趣深い、歴史的な町でした。先生が研究対象にしているというのも納得でした。ガイドもお疲れの中、していただいて本当にありがとうございました。(^^)やっぱ先生の解説が適当にまとめられていてわかりやすくてよかったですー。現地の人の話はかなり長かったですしねー(笑)本当にいろいろお世話になりました。またもし次に行くことになれば、安国寺にも行ってみたいですね。お手火祭りも、短時間なら担いでみたいと思ったりするのですが。

あ、まったく関係ない話ですが、先生のHP見てシルミド見に行ってきました。号泣できる素晴らしい作品でした。友達はブラザーフッドも最高だったと言っていましたし、もはや韓国の文化レベルというものが日本のレベルを凌駕しているということを肌身で感じました。

475.(タイトル)鞆の浦合宿ありがとうございました By 10期生IJ君(2004.7.15)

先生こんばんは。まずは先日の鞆の浦合宿、大変貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございました。鞆については社会学の講義や、『歴史的環境の社会学』の本を読みその土地の持つ魅力や、問題について以前から少しは知っていたつもりでしたが、やはり現地を訪れるのと訪れないのでは、かなり大きな認識の違いがあることを思い知らされました。なによりも鞆の持つ景観は、写真で見たものよりもはるかに美しいものでした。対潮楼からの眺望も、写真という切り取られた媒体を通して見るよりもその他の空間との繋がりや地理的な関係性をも含めて、実際にこの目で確認した方がリアリティがあり(当然ですが)、それだけ感動も大きいものになりました。その他の場所についても、鞆の地図の上に有名な歴史的ポイントを配置したものを眺めるより、何気のない民家や路地、また住民の方々の実生活をも含めて自分の目で見て、体感することで、初めて鞆の全体像が見えてくるような気がしました。その結果として、僕は鞆の町並みや景観に魅了されましたし、あらためてこれらはこれからも守られていくべきものだという考えを持ちましたが、同時に問題となっている埋立・架橋計画問題について、計画推進派と呼ばれる方々の意見も簡単に否定できるものではないとも考えたのでした。歴史的環境を破壊しかねないこれらの計画について、今回初めて現地を訪れるまで、僕にとって計画推進派の理屈というものは全く理解に苦しむものでした。しかし実際鞆の狭い路地を歩いてみて、大人の僕ですら身の危険を感じてしまうような道路事情を体験したことで、僕の考えは大きく修正させられました。

もちろん基本的な考えは以前のままですが、先にも述べたように「でも、推進派の意見も理解できる」と思うようになったのです。それまで僕は、「この計画には近年問題視されている、ムダな公共事業を中心とした利権や、その他のなんらかの政治的意図が介在している」という非常にネガティブなイメージを勝手に抱いていました。もちろん、実際にそういうものは少なからず裏には存在するのでしょうが、それ以上にこの計画は、これからも鞆で生活していくにはどうしても解決しなければならない問題の解決策として提案されたものであり、鞆に住む人の未来を考えているからこそのものなのだという認識を持ちました。福禅寺のおばあさんが、「鞆は道が狭いから…」としみじみと呟いたのを忘れることができません。その時、先生の『歴史的環境の社会学』の4章の“対立の潜在的順機能”に書かれてあったことが、いまさらながらにリアルな問題としてまざまざと思い起こされたのです。このような経験をしてしまうと情けないですが正直な話、僕にはこの問題をどのように解決したらよいのかという結論は出せません。ただ先生のおっしゃるように、賛成派・反対派ともに冷静に充分な議論を重ねていくことが鞆の未来にとって最善のことであるというのはあらためて実感しました。(決してひとごとのように言っているわけではありません)お粗末な意見ですが、これが今回の合宿で最も強く感じたことです。

最後になんと言ってもお手火祭りです!もともと僕は「祭り」などは近所の神社ぐらいしか行ったことのない人間で、祭りに関する興味も強くなかったのですが、お手火祭りのすごさといったら!!!なるほど、近所の神社の祭りとは迫力も熱気もケタ違いでした!「本当にすごい」としか言い表すことのできない自分の語彙力の乏しさに情けなくなります。荒々しいけれど、決して暴力的ではない。痛みを嫌う典型的な現代人の僕にはとてもマネはできませんが、それでも各人が男をあげるため(と僕は感じたのですが…)猛火に耐えるその姿に本当に感動しました。本来の祭りの目的や意味はさておき、(かなり勝手な解釈ですが)そこには自分の名誉のためなら喜んで痛みを受け入れるという、良い意味での前近代的な精神性が今もなお残っているように感じました。近年ハレの日であることを言い訳に無茶苦茶するそこらへんの祭りとは一線を画したものではないでしょうか。以前、「フィールドワークとはカルチャーショックを通して異文化を学んでいく作業」ということを聞きましたが、このお手火祭りはまさにその言葉通りのものでした。

長くなりましたが、今回の合宿は本当に得るものの多かった合宿だったと思います。繰り返しになりますが、このような貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございました。これから夏休みに入り、ゼミもしばらく中断になりますが、先生もお体にお気をつけて、楽しい夏をお過ごしください。では、今日はこのへんで失礼いたします。

474.(タイトル)お手火祭り By 10期生MoK君(2004.7.15)

先日の鞆の浦フィールドワークお疲れ様でした。以前訪れた際に、すっかり鞆の浦を満喫した気分になっていたのですが、今回は鞆の浦の新しい顔を見ることができました。前回は静かで、穏やかで、風情漂う町並みや港の景観に魅せられ、これこそが鞆の浦という町の顔だと思っていました。それはたしかにそうなのですが、歴史があって、人間がいるかぎり、町は表情を様々に変えるということを忘れかけていました。一日目の昼に鞆に降り立った時には、やはり前回見たような「静」の顔をしていて、対潮楼からの眺めに再会し、とても穏やかな気分になっていました。そんないつもの鞆の顔からは、この後に祭りが待っているとはとても思えませんでした。しかし、いざ夜になって、神社に足を運んでみると、そこはまさに火の海でした。町の一点に過ぎない神社が燃え上がると、まるで止まっていた町全体が一斉に動き出したかのように感じました。それはやはり歴史と人間の力なのだと思います。どう考えても危険で無謀な祭りという出来事が、人々の誇りとなり、見る人の心だけでなく、町全体を動かすのは、長い間、日常的に町が面としての広がりを持って静かに人々を支えてきたからだと思います。「誇り」と言葉で言うのは簡単ですが、涙を流しながら大手火をかつぐ人々は、まさにそれを体現していて、形のない言葉が、その時ははっきりと目に見えるものとなって、あらわれていたような気がします。町づくりを社会学的に考えるには、有形のものよりも無形のものに目を向けることが大切だと先生はおっしゃっていますが、今回はその無形のものを、まるで形あるもののように見ることができました。やはり、美しく、穏やかな町並みや港の景観だけでは社会について考えることはできません。交通の問題だけでなく、人間の生々しい姿や感情、歴史や伝統が一気にあらわれる「祭り」を目の当たりにすることで、あらためてそのことを強く感じました。景観や町並み保存の背景には、こうした祭りを受け継いでいこうとする人々の意識や活動が必要不可欠なものとして存在するのであり、だからこそ町はいつも止まったままではなく、時に激しく揺れ動くことが必要なのだと思います。今回のフィールドワークもとても良い勉強になりました。ありがとうございました。 

473.(タイトル)お手火の香り By 10期生IsYさん(2004.7.15)

今回は鞆の浦フィールドワークお疲れさまでした。途中参加で、スケジュール編成にもご迷惑をかけてすみませんでした。先生の鞆暦の長さを、支配人との会話ですごく感じました。イロイロな方をご存知で、田舎の近所づきあい以上ですね。鞆の町は想像していた以上に家々の間をぬう小道や町並みがステキでした。2日目に太田家住宅へ行きましたが、とても面白かったです。昔の家には、住宅・木に関する生きている知恵とそこの場所・天候・生活が映し出されていて、「すごいナァ」と思います。元の主人が茶道をたしなんでいたというのも家のいろんなところに表れていて、茶道をしてい私にとってはいつもより興味深く感じました。茶室の釜と部屋の間取りが、左利き用のデザインのお部屋はとても印象深かったです。

とはいえ、一番感激したのは、お手火祭りですね!びっくりしました!!お手火に火をつけているとき、私たちはかなり主役さんたちと同じお手火に近い場所にいて、実際に担ぐ男の方(話をした人は同い年くらいの印象の若い人でした)と話しましたが、「担ぐよ、暑いし、そりゃ火傷するね。楽しみっちゃ。怖くは無いねぇ。俺はこの日のために働いてるけぇの!よく見とってや!!やってやるから!」とたばこをくわえながらワクワクドキドキしている、強い顔が印象的でしたし、最近ではあまり感じること無いですが、「かっこいい・・・」と思いました☆ 火の勢いと、担ぐ人の顔、声、あの雰囲気、圧倒されると同時に、キレイな美術品を見るような見入る感じでした。3時間ずっっと、見ていましたから。人間には『非日常:ハレ』って必要なんだ、と思いました。最後のお手火を立てかける時の男集の顔が印象的です。

海沿いに橋を架けるということについてですが、あんなに道が狭くては本当に不便だと思います。太田家のあたりの狭い路地も普通に車がとおるのに、驚きました。というか、そういうところは地域の乗用車はあまり入ってこないと思っているからですね。だから、まだ生活がそれほど混在しているということなのでしょうね。対潮楼での住職のお話は、足の感覚とひきかえにまじめに聞いていました(;^^)『自然』。ここ(下宿)ではあまり感じることがないなぁと。昔の人は自然と暮らすのが本当に上手ですね。鞆について、海が見えて「うわぁ」と思いました。やはり、うまれ山口。。

何度も同じようにゼミ生をつれて暑い中、フィールドワークをされているのに関わらず、どうもありがとうございました。では、暑さに気をつけて素敵な夏休みを送ってください。どうもありがとうございました。

472.(タイトル)鞆の浦の感想 By 10期生KK君(2004.7.14)

お疲れ様です。鞆の浦ですが、やはり「百聞は一見にしかず」ということでその場に身を置くと色々な想いがめぐりました。今現在、鞆の浦のような素晴らしい景観が残っている場所は決して多いとは言えないでしょう。あまり旅に行ったことのない僕ですが、自然とそういった感覚を持てた2日間でした。絵葉書やガイドブックにのっているような景観は少なくともその場所が持っている雰囲気の一側面を伝える役目を果たしているのかもしれませんが、やはり実際にその場に行かないと本当の良さは伝わらない。(先生のHPにもお手火祭りの写真が掲載されていましたが、実際にその場を体験した後と前では同じ写真でも感慨深さが違います。)しかし、あまりにも多くの人が訪れることになれば、必然的に街は観光地としての要素を含まざるを得ないという葛藤が想像できました。国立市へフィールドワークへ行った際、副会長さんがおっしゃっていましたが、「観光客からお金を国立市に落としてもらいたいという気持ちはあるけれども、お金を落としてもらうほど観光化が進めば、そこは国立市ではなくなる」と言っていたことが頭をよぎりました。その点、鞆の浦で二日目に船に乗って渡った島は海水浴場のような場所もあり、そこは歴史的趣というよりも観光地としての風景だった印象を受け、現時点の鞆の浦は観光地としての鞆と歴史的街並みとしての鞆の線引きをうまくしているというところなのですかね。

僕は初めて鞆の浦に行きましたが、1日目にお話をお伺いしたAさんが実際のお手火の時に僕達ゼミ生を見つけて声をかけてきてくださったことや、行く先々の方々が初めての僕達を快く迎えてくださったこと、祭りに参加されている方が温かみのある接し方をしてくださったこと。普段の日常生活の場ではなかなか感じることのできないような触れ合いがあったように思います。人の関わりがあるからこその街づくり・景観。それを実感できたように思います。社会学が街作りの現場で何が出来るかということでしたが、こういった人と人との関わりがある以上、人を対象にした社会学が一石投じることの出来ることはたくさんあると思います。あまり多くのフィールドワークをしたことがないため、一番近い国立が対象になって申し訳ないのですが、国立に比べ鞆の浦の方がはるかに人という面に関して開かれている印象を受けました。それもひとえに鞆の方の感性によって支えられているものだと思います。春の時は参加できませんでしたが、今回鞆の浦に連れて行っていただける機会を与えていただけたことを本当に嬉しく思います。本当にありがとうございました!

471.(タイトル)こんばんは! By 10期生MKさん(2004.7.14)

お久しぶりです!遅くなりましたが、前期ゼミお疲れ様でした☆あまりしっかり参加できなかったので、後期は全出席を目指したいと思います。さて、本日はまた本ネタです。「壬生義士伝」を読んだんです!!号泣でした!!父から薦められたのですが、こんなに泣けるとは(;_;)私の中でかなり上位にランキングされました!読み終わったあとは、頭の中が南部訛りで一杯に...(^_^;)最後の、末の息子が盛岡に帰ってくるシーンで、貫一郎が死ぬ時の言葉と同じことを言うところがかなり感動でした。(なんてうめえ風...って)あと、長男が両親に語りかけるところとか、千秋と手酌の水をかわすところとか、感動どころをあげるとキリがないです!盛岡に行ってみたくなりました。先生は映画はご覧にになりましたか?映画は斉藤一との話がメインらしいです。斉藤一の愛人が中谷美紀とか...。不細工の設定やったのに。でも、機会があれば見てみようと思います。

周りに読書仲間は一人しかいないので、読んだ本について話せるのは、あと先生と父だけです。。。また何か読んだらメールしますね!「壬生義士伝」の次は「火車」を読み直しました。やっぱりうまいなぁ、と感心。次は「人形館の殺人」を読んでみようかな?K先生ですよね...??モデルを想像して読むなんて楽しそう。今、社会学部HPの教員紹介を見たのですが、K先生の写真にびっくり!その下の先生の爽やかさにもびっくり☆この写真でゼミ志望人数3割り増しですね。上との対比もありつつ...(^_^;)では、またメールします。長々と失礼しましたm(_ _)m

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映画は見ましたよ。でも、私のお薦めは、渡辺謙主演のTVドラマ版の方です。迫力ありますよ、渡辺謙は。(K)

470.(タイトル)〔前期ゼミ終了!〕 By 11期生MMさん(2004.7.6)

今日でゼミの4分の1が終わったんですね。みんなに馴染むところから始まって、ここまであっという間だった気がします。今日までのゼミで思った事は、ゼミ中に心の底から笑えるようになったなということです。最初の頃はやっぱり周りに合わせて笑顔を作っていたりしたんですけど、今は、みんなのキャラとかも含めて、本気で笑えます。自分の中で、ゼミの位置づけが変わりました。長い夏休みを挟み、みんな変わると思うけど、それも楽しみにして新学期を待ちたいと思います。

469.(タイトル)Mです。 By 6期生MM君(2004.7.1)

先生、こんばんは。さて、この前、飯田・駒ヶ根散策をする中で、「旅行」「旅」「観光」ということについて、少し考えました。帰宅後も調べている中で、「グリーン・ツーリズム」「エコ・ツーリズム」というキーワードを見つけ、いま、関連書を読んでいます。前に飯田市でのワーキングホリデーに参加しようという話をしていましたが、あの取り組みも「グリーン・ツーリズム」の一種なんですね。もしかしたら、そのときにも先生からそういう話を聞いていたかもしれませんが、、、現代社会の「旅」や「観光」といったテーマを読み解く、ひとつのカギになるのかなぁ、と漠然と考えています。

さて、駒ヶ根・飯田旅行ですが、駒ヶ根は本当にいい町です。飯田は、運悪くというのか美術博物館が臨時休館で、おいしい蕎麦を食べたのみでした。名物となっている「りんご並木」も、花の咲くころならともかく、ちょっと人工的な感じがして、残念でした。また、蔵なども点としては残っているものの、少し風情に欠けていて「すごい!」というほどでもありませんでした。滞在時間も短かったので、発見しきれなかった部分もあると思います。

翌日、訪れた千畳敷は、とてもよかったです。ロープウェイで標高2600メートルまで登るのですが、着いた地点が千畳敷。あとひと月後にくれば、高山植物が花をつけ、とても綺麗とのことでした。天気がよければ、富士山を望むこともできるそうです。あいにく、僕が行ったときは、徐々に晴れはしたもののガスがかかっていて、残念ながら富士山を望むことはできませんでした。次回のお楽しみです。この千畳敷から2時間弱で、駒ケ岳山頂まで行くことができます。次はチャレンジしようと考えています。

千畳敷にあるホテルで昼食をとり、ロープウェイで麓へ降り、駒ヶ根駅まで向かう途中にある「早太郎温泉」へ行きました。そのあと、駒ヶ根民芸村資料館という私設の資料館へ行ったのですが、展示品は個人が集めたんだなぁ、、、という品々。ただ、そこの館長(社長)が、とてもユニークな方で、色々なお話を聞かせていただきました。その資料館は、いわゆる昔の民家を再建しているのですが、宿泊もできるんですよ。囲炉裏を囲って、夜鍋などいいでしょ。そういうこともしているそうです。時間があれば、天竜川ライン下りもしたかったのですが、これも次へ、、、長野には、何度も行っていますが、魅力多い県です。次の予定は、8月末の馬込峠越えです。そして、9月には、戸隠、鬼無里へ行こうかなぁと考えています。先生も一緒にどうですか?馬込峠ごえ、、、そそるでしょ?少し長くなってしまいましたね。それでは、また。

468.(タイトル)こんばんは By 9期生SMさん(2004.6.29)

社会学HP見ました!!卒論のページに想像していたゼミ生と違うメンバーが載っていてちょっと驚きと同時に面白かったです。日曜休みでなかったので今日火曜に休みをもらい、第2の仕事家庭教師をしてその後またのんびりと過ごしました。折角の休みなのに、ゴロゴロしているのがもったいなくてたまらなかったのですが、疲れがたまっていたようで、暑さと共にへたっていました。先生のHP見ていて思い出しましたが、もうすぐゼミ生と鞆の浦いくんですよねぇ。いいなぁ。穏やかな瀬戸内海とお手火祭りの写真を見ていて旅心に駆られました。土曜に休みをもらってこっそりついて行っちゃおうかしらの気分です。あっという間に1つ歳をとり、気付けば夏休みになってるんでしょうね。あぁ〜、休暇どこへ行こう・・・!!最近は暇さえあれば、毎月送られてくる阪急トラピックスの旅情報雑誌見て、目で旅行しています。

467.(タイトル)Sです。 By 3期生Z(I)Sさん(2004.6.25)

片桐先生へ。こんにちわ。ご無沙汰しています。なかなかメールも出来なくて・・・。今回の滞在は2ヶ月もあったにもかかわらず、結局友達ともあまり再会することが出来ずに終わってしまいました。先生のゼミにもお邪魔させていただきたかったのですが、それも実現しそうにありません。とても残念です。日本に帰ってきてしばらくは、生活になかなか慣れなかったのか、夜もあまり寝てくれず、離乳食も進まず、母と2人で頭を抱える毎日でした。生れてからずっと母乳のみの育児だったため、哺乳瓶から一切飲んでくれず、3時間おきに授乳という感じでした。暑くなって、ようやく最近では哺乳瓶からお茶や果汁などを取り込むようになり、離乳食も進んできたので、ようやく母に預けて昼間の1、2時間出かけられるようになったという感じです。

日本に帰ってきて思ったことは、子供を連れて行ける場所が限られているということです。歩道も狭いし、エレベーターの設備も整っていないし、電車やバスは混むし、人も子連れのお母さんにあまり寛容ではありませんよね。オムツを換えたり、授乳をしたり、ちょっと抱っこして休憩ってなことをできる場所が全くないですよね・・・・そんなこんなで、なれてきた頃には帰らなければならないという悲しい結果です。現在息子は生後8ヶ月で、すっかりお互いの存在になれてきたものの、それでも毎日が戦争のようです。先生のところなんか、年子さんのうえに双子・・・・。いったいどうやって子育てなさったんですか?

両親も今回の滞在をとても喜んでくれました。父親も今までに見せたことのない笑顔を孫には見せる毎日でした。ちょっとは親孝行したかな??次回はお正月くらいにもう一度帰国を考えています。その時こそは、先生やゼミ生にお会いできたらいいですね。これからますます暑くなります。お体に気をつけて下さい。夏ばてなどされないように!

466.(タイトル)こんばんは☆ By 11期生OYさん(2004.6.23)

こんばんは。昨日のゼミ遠足、とても楽しかったです!先生は昨日の疲れは残っていませんか?私は、久々の体を動かす遊びで筋肉痛になるかなと思っていましたが、大丈夫でした。ドッヂや大縄なんて何年ぶりでしょう…、懐かしい遊びでしかも体を動かすのも久々で、何か新鮮でした。とてもいい天気で絶好の遠足日和になってよかったですね。前日の台風が嘘みたいですね。これでまたみんなと仲良くなれたような気がします。万博記念公園は初めてで、一度太陽の塔を見に行きたいと思っていたので、行けてよかったです。みんなで行くとさらに楽しいし。あんなに緑が綺麗で自然いっぱいな所なんですね。すごく気持ちよかったです。オリエンテーリングでたくさん歩いたし、いい汗をいっぱいかきました。飲み会も疲れが見えながらもみんな楽しそうに盛り上がっていたし、とても充実した一日でした。また機会があればみんなでどこか行きたいです。

465.(タイトル)ぐだぐだ通信 By 5期生KK君(2004.6.12)

先生こんにちわ。 最近ブロードバンドに入って、生活の一部としてネットが定着してまいりました。先生のHPにも自ずと足繁く通うようになりました。今日はぐだぐだと先生に話しかけます。この前のメールではいろいろ異論反論してもらってありがとうございました。僕の中でも「この意見は先生必ずなんか言ってくるなぁ」とか、「この表現は絶対なんか言ってくるなぁ」とも思いつつメールしてました。最近は先生がどんなところで反応してくるか予想がつきます。だから、返信もこう言うだろうというのが、予想してました。こんな風に書くと、「俺のことわかったふりして」と思われるかもしれませんが、先生はHP上で片桐新自をさらけ出してくれているので、先生の出方もわかるようになってきたと思います。HPを覗く人は、どこかで「片桐社会学」をやっているのでしょうね(解説:「片桐社会学」とは、片桐先生と社会学について深く勉強するのでなく、片桐新自という人物の思考や行動に迫る学問です)。僕はこれを楽しみにしてHPを見てます。僕は一流の社会学者にはなれないですし、冴えた社会学的発想もできないので、せめて片桐新自だけでも解剖してます。先生の返信内容も要チェックの対象です。先生は必ず返信くれますね。だから打ちがいがあります。どんなこと言われようとも、先生からの跳ね返りは、楽しみです。このような感じで、先生と友達感覚でメールできておりますが、やはり僕も年をとったからでしょう。やはり学生のうちでは、先生との関係において、どうしても師弟関係があったと思います。今そんな呪縛から解き放たれて、先生に言いたいことを言えるようになれたことが嬉しいです。昔からどこかで先生と同じ席に座って「しんちゃん、しんちゃん」と言いながら、話したいと思っていたと思います。ゼミ生全員とはいきませんが、卒業生が先生とそんな関係になれたらいいですね。

今日はT大生についてお話します。T大生とは、T大学の学生です。僕が一番驚いたことは、みんな荒んでないのです。心があまりにもピュアなのです。これにはホント驚きました。私を例に取ると、編入で5歳上の人が入ってくるとなると、普通どこかでみんな身構えてしまうのに、快く受け入れてくれたことには感謝しました。人に対して優しく、思いやりがある子ばかりなのです。そして人に対してものすごく興味を持っております。それは医学部に限らず、他の学部でも言えます。田舎の大学とは言え、半数以上は関西圏を中心に都市部からやってきた学生なのですが、不思議とみんな温かい奴らばかりです。学生生活一年を見たら、ことあるごとに飲み会です。やたらに人との交流があります。飲み会の種類を言いますと、クラス・グループ・部活・大阪人会・先生と・などなど数えたらきりがないほど飲み会があります。よくTV番組で芸能人が田舎にやってきて温かいおもてなしを受けますが、あれは本当の話だと思います。もともと都会人でも田舎に来ると、何もすることないし、人にばかり興味が行くのかもしれません。田舎は人とのつながりを非常に大切にするのでしょう。話はT大生を飛び越えてしまいましたが、田舎という環境は人に対して優しく慣れるのではないのでしょうか。結局のところ、僕は田舎が好きになったかもしれません。しかし、あえて批判を言うと、田舎の暮らしには匿名性がなく、町(Y市:なんだかんだで結構デカイ町のはずですが…)を歩いていると、絶対に誰か知り合いに会ってしまいます。僕の中では「匿名性が隠れた売り」でもあるはずのコンビニでも、店員と知り合いになってしまうのです。匿名性がないのには、たまにストレス感じます。他にも、田舎人は野心がなく、慢心と安心ばかりである傾向があります。やはり地方には競争がないのでこうした傾向が表れるのではないでしょうか。以上「ぐだぐだ通信」でした。

464.(タイトル)長崎小6事件に関して By 11期生OK君(2004.6.3)

片桐先生、おはようございます。Oです。長崎ですごい事件が起こってしまいましたね。小学生が同じ小学生、しかも同級生を殺してしまうなんて僕には考えられないような事件です。でも、よく考えて見ればこうして事件が起こる可能性はここ数年で増加したように思います。今回の事件は「チャット」という電脳上の会話のやり取りが原因らしいです。パソコンの普及率を考えるとこれに似た事件がこれからも増えていくように思います。パソコンの普及が直接の原因かどうかわかりませんが、先生がよくおっしゃる「対面型コミュニケーション」が減少傾向にあるのは悲しいことです。僕自身の意見としては人と会話することでその人から受ける何らかのパワーみたいなのを感じ取り、それを繰り返すことで自分という存在が出来上がっていくのではないかなと思うのでこの形のコミュニケーションを苦手とする人が増えることは非常に残念です。こんな偉そうなことを言いながら僕もあまり対面型コミュニケーションはあまり得意な方ではありません。まったくの他人と話す時は誰でもそうかもしれませんが緊張して自分で何を言っているのか分からなくなるときが多々あります。しかし、そういう経験を積み重ねることで自分が成長すると感じれるので必死になっている自分がいます。

今回の事件に戻って、この事件では文字の与える印象について考えてしまいました。文字は自分で読むので人から直接聞くのとは違った印象を受けます。その反面、文字はその人なりの解釈が生まれてしまうので書き手と読み手で異なった理解がされてしまい誤解を招いてしまうこともあると思いました。携帯のメールにも同じことが言えるのではないでしょうか。当たり前のことを書いてるようですが僕はこの事件からこの当たり前のことを再認識したように思います。将来、公式な手紙を書く場面に出くわした時、果たして今の自分に正しい手紙を書けるのだろうか。そんなことを考えた六月三日の朝でした。

463.(タイトル)◇片桐先生へ◇ By 11期生OYさん(2004.5.29)

こんにちは。ホームページ見ました。少しずつ変わっていってますね。先生の顔写真が無くなったときは寂しいなぁと思いましたが、開くのが重いからでしょうか、それなら仕方ないですね。結構頻繁にホームページは開いて見ているのですが、本当に先生はマメですよね。人間性が現れているように思います。私、実は更新がされるたび楽しみにしているんですよ!更新がされていないと、「あっ、まだかな??先生お忙しいのかな??」なんて思ってみたりしています。ゼミでは同期の人たちとしか絡みがありませんが、ホームページを見ると、先生と上回生の人たちとのやり取りも覗けて、同期だけの狭い繋がりだけでなく、広く片桐ゼミに繋がっているような感じがするので楽しいです。

さて、今回メールをしたのは戦争のことについてです。ホームページに載せられているK君のメールを見て、暫く考えていました。 20、21世紀は戦争の時代と言われていますが、正直いまいちピンときません。毎日ニュースで争いごとは目にし、耳にしますが、テレビの向こう側、あまりリアルに感じられないのはなぜでしょうか。同じ時代に同じ時間に生きていて、ただ居る場所が違うだけなのに身近に感じることができません。もっと真剣に考えなければならないことなのに。分かっているのですが、どうも…。K君の「思考停止している」というのは、私自身は違うと思います。考えてはいるけど、うまく答えが出せないんです。「戦争」は避けたいことです。考えているけど、と言いましたが、正直考えたくないことです。あんな悲惨な、むごい姿…二度と繰り返してはいけないと本当に思います。原爆ドームで見た写真が頭から離れません。「戦争」と聞くと、その写真が鮮明に浮かび上がるんです。とても恐いです。中学生でしたが、まともに見れませんでした。なんでこんなことを…と戦争が起こった経緯は置いておいて、どうして戦争をしなければいけないんだ!と考えはそこに至ります。小学生が言うレベルの発言かと思いますが、なぜ戦争をするのか?なんの意味があるのか?そんなことを考えてしまいます。考えのレベルが幼稚になります。50年程前の、あの悲惨な経験があるから今こうしていられるのに、あれを無意味にしてはいけない、と思います。どんどん時が流れるにつれ、語り継がれなくなり、遠い昔のことの話となっていくのでしょうか。そしてまた戦争が繰り返されてしまうのでしょうか。もしそうなるならその点をとると、人間は愚かな生き物ですよね。

ゼミでの討論の場で、私は争いは嫌、と言いました。それが本音です。嫌です。こちらから戦争を起こすことは絶対にしたくないです。でも相手側から攻められると、それは戦うしかないと思います。そこで言いなりにはなりたくありません。でも、攻められる前にどうにか話し合いなどで戦争にならないような手段はないものかと、考える方向が変わってしまいます。「戦争」というものを考えたくない、できればずっと関係ないという状態でいたいという思いがあるから思考の邪魔をするのでしょうか。それではK君の言う通り、「思考停止」していますね。討論の場で、「戦うか、逃げるか?」とありましたが、「戦争」するか、逃げるかというより、「戦争」について考えることからでさえ逃げているように思います。幼稚な考えに留まらないように、「戦争」の本質を知り、考えていかなければならないなと思いました。大学3回生にもなって、幼稚な考えしか浮かんでいない自分が恥ずかしかったです。そして未だにきちんとした答えが出せない自分も…。すみません。また長くなってしまいました。そのわりに答えも出せていないし、何が言いたかったのか?となりますね。難しい問題です…。

462.(タイトル)〔戦争について考えたこと〕 By 11期生TCさん(2004.5.27)

戦争は国家間で起こった問題を解決する手段の一つです。ですから何もわざわざリスクを犯して戦争をしなくても「交渉」という手段もあります。でも交渉でどうにもならなかった場合その国家は戦争もしくはその問題を未解決のまま放置するという手段のどちらかをとるわけで、戦争が起こるとはつまり問題解決のため、そして攻撃を始める国が相手に勝てるという勝算がある上でのことではないでしょうか。日本は先進国の中で「戦争が起こっても戦わない」という若者の率が高いそうです。ほとんどの先進国にとって日本は確実に勝算の取れる国でしょうね。アメリカが守ってくれるという安心感に今の日本は浸りすぎのようにも思います。でもどこよりも戦争を恐れているのは日本ではないでしょうか。私はもし戦争が起こったら自分と自分にとって大切なもののために戦うと思います。でもそれは日本という国のためではありません。でも自分や自分にとって大切な人々は日本という国がなければ存在しないし、日本の見慣れた美しい景色を失うのもつらいです。そういうことを考えると自分にも愛国心があるのかなあとも思います。今は自分の考えをこれぐらいまでにしかまとめることができません。このテーマを考えることは頭をつかいますね。いかに自分がこういうことを考えてこなかったがわかります。

話は少しそれますがそもそも私は小学生の頃夏が大嫌いでした。自分の誕生日もプールも夏休みの旅行もある夏が私は泣いて逃げ出したいほど嫌でした。なぜなら8月6日の全校登校日、戦争集会が行われるからです。暗幕で真っ暗にされた体育館。映し出される戦争のフィルム。リアルな火傷写真や死体がやま積みにされる映像。ただただ恐怖で耳を塞ぎ、目を閉じて時間が過ぎるのを待った記憶があります。その後教室で感想文を書かされるわけですが、その時の私にはただ恐ろしいという気持ちだけで戦争がなぜ起こるのかなどという根本的なところにまで思考がたどり着きませんでした。つまり「思考停止」の状態です。ですから毎年8月6日が近づくと学校に行かなくてすむ方法を必死に考えたものです。思えばこの頃から私は戦争について考えることから逃げ続けずっと「思考停止」していたように思います。だから大学生になった今も私は戦争についてきちんと理解をしないまま、ただ戦争はあってはならないと反戦の立場をとり続けてきました。思えばそれは小学生レベルから前進していなかったんですね。

戦争について考える時私はいつも全校集会で見た恐ろしい映像がフラッシュバックします。でもただ恐ろしいと思うだけでそれ以上考えることをしませんでした。戦争について考えること自体がとても恐ろしいことのように思えていたのです。でも前回のゼミでみんなの意見を聞いて私も一度ちゃんと考えてみないといけないなあと思いました。授業時間内には自分の考えが整理できませんでしたが、これがじっくり考えてみた結果です。長々と書いてしまいましたが(自分の中の考えを出しつつ打ったのでわかりにくい文章かもしれません。)今回の議論で私が考えたことはこんな感じです。

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TCさんが戦争についてしっかり考えようとしてくれたことを本当に嬉しく思っています。ゼミをやっている甲斐を感じます。小学校での「悲惨な戦争教育」、私は非常に問題だと思います。そんな教育されたら、誰でも目をつぶって、耳をふさぎますよね。戦争は確かに悲惨な結果を生み出します。でも、その部分しか知らないのであれば、戦争についてほんの表面的なことしか知らないことになります。その教育が、戦争について本当のことは何も知らず、何も考えない日本人だらけにしてきている大きな原因でしょう。戦争は賞賛すべきものではありませんが、冷静に知るべきものです。でなければ、いつかまた日本は失敗を繰り返すでしょう。それから、愛するものを守るためなら戦うが国のためには戦えないという意見もよくある意見です。「国」とは何なのかをさらに考える必要があるでしょうね。私も小泉純一郎や自民党・公明党政府やあるいは天皇のためにだって戦う気はありません。ちなみに、誤解されないように付け加えておけば、他のどの政党が政権を取ったとしても、その政権の維持のために戦う気はありません。「国」という言葉はおそらく、「国家」と「社会」を合わせて言う場合に使われている曖昧な日常用語です。そして、「国家」と「社会」は、社会学ではまったく異なる概念として使い分けています。詳しくは、「社会学を考える」の第18章「社会と国家――あるいは「幸福論」――」を読んでいただきたいのですが、「国家」は機能的な組織のひとつにすぎず解体することもあります(例えば、ソビエト連邦という国家は消滅しました)が、「社会」は基本的には基礎的な集団で、その社会のメンバーが全滅しない限り消えてなくならないものなのです。「国家」を愛さなくても構いませんが、自分が属する「社会」は愛さない方が変です。この社会が嫌いなら、別の社会に行って生きるべきです。この社会で生きていたいと思うなら、この社会を愛し、この社会のために少しでも貢献することは、むしろ当然のことと考えるべきだと思います。そういう意味での「愛国心」は、何ら右翼的でも政治的でもないものとして存在しうるのです。「社会」という茫漠としたものがつかめない多くの人も、自分にとって大切な人、身近な人を守るためなら戦えると言います。スタートはそれでいいのだろうと思います。ただ、自分にとって身近な人を狭く狭く捉えてしまうと、社会はぎくしゃくします。同じ電車に乗って困っている人がいても、名前も知らない人だから、知らん顔をしてしまう。そんな人々ばかりになってしまっては、誇りの持てる社会にはなりません。空間を共有しているだけという弱いつながりでも、その人々のことも考えることが自然にできる社会であれば、うまく社会は機能すると私は信じています。最後に恥ずかしげもなく、ずうずうしく言ってしまえば、私は家族だけでなく、ゼミ生を守るためにも戦えると思っています。(K)

461.(タイトル)ご無沙汰しています By 5期生KK君(2004.5.27)

先日は、アドレスのみの挨拶で失礼いたしました。今日はゆっくり先生にお話しようと思います。現在5年生を迎え、臨床実習(病棟にて基本的な問診をしたり、患者さんの治療計画をシュミレーションしています)をやっております。あと、二年で社会人として再度自立できるので、嬉しい限りであります。但し、国家試験に受からなければならないですが…。

さて、編入して3年目を迎え、医学部について感じたことですが、人間として生きる基礎の社会学なんかの教育がしっかり施されていないのです。医学部は現在日を追って医療が高度化する中で、溢れんばかりの知識や技術を詰め込むのに必死であります。6年間の教育は「人の命を救う」という尊い目標を持っておりますが、事実上医師免許を取得する予備校と化しています。必ずしも全員が、予備校に通う人間ばかりで冷たい人間になってるわけではありません。やはりもとをただせば、志が高い人間が集まってきているので、学生の良心が詰め込み型教育の弊害を食い止めていると思います。医学部の教育制度が知識詰め込み型にならざるを得なく、そこで人生で大事な青春時代を6年過ごすとなると、どこかで悪い方向に人格形成されるような気がします。こんな忙しさ120%の医学部でありますが、社会学的思考なるものを養う授業をしてもいいと思います。例えば、「つらつら」にも先生が書かれていましたが、全頭検査や嫌咳権なんて面白い話題になるんじゃないでしょうか。全頭検査だって、費用対効果や統計学の点からも必要性に疑問を感じます。こんな感じで、ある物事に対して、一面的じゃなく、あらゆる角度から見る目を持つのは、重要です。社会学を医学部だけでなくいろんな学部でやってもいいんじゃないでしょうか。医療過誤が最近続発してますが、どこの病院もそれに対する対策は個人個人に任せています。個人に任せているからミスが起きるのに、なぜもっと深く対策を練らないのか不安です。医療のお上は厚労省ですが、全頭検査だって医療過誤だって、医療や健康についての政策決定をするのは、もちろん医学部卒の医系技官であります。どこか不安を感じます。医療の世界にも、社会学の風が一吹きする必要があるのではないかと感じる今日この頃です。

最近あこがれを感じる、否それ以上、僕の信念にもなっていることがあります。それは「継続」です。今まで人生で出会ってきた人の中で、すごいなと感じる人は、何かの物事に情熱を注ぎ続けている人です。仕事でも、研究でも、スポーツでも、結婚生活(?)でも、長いこと続けている人には、尊敬の念を抱きます。わたしは現在、学生という立場ですが、学生の枠組みの中でも継続することを実践しています。前にも言いましたが、スキーのクロカンでちょっとした大会では表彰状をもらうくらいに上達しました。こつこつと努力して、根性を前面に押し出し、物事を継続すれば、結果は必ず出るのですね。継続することはいいことですね。しかし何かを継続するにしても、「職人気質」の継続には嫌悪感を抱きます。なぜなら、職人気質の継続は、ルーティーンにしかすぎないんで、自分がその立場なら退屈で仕方ありません。例えば、片桐先生の仕事にしても冷めた目で見れば、なんとなく毎年学生を受け入れていれば、それはそれで成り立つと思います。しかし、先生自身毎年出会う学生と新しい発見をする姿があり、先生は学生からも毎年何かを学んでいるのではないでしょうか?そんな姿がHP上にも反映され、僕自身もいまだにゼミを楽しませてもらっています。えらく先生を誉めすぎましたが、正直なところ学生と接するの飽きないのですか?ちょっと疑問に思います…なんてね。

こうやってメールを書いていると、片桐ゼミを思い出し、今のゼミ生に会ってみたくなりましたね。20前後は悩みばかりで、みんなもがいているんでしょうね。とは言っても、20代後半になっても悩みは尽きません。僕の周りでも、仲がいい友達は半分以上転職してます。終身雇用なんてどこいったんでしょうかね。一時先生が、「片桐ゼミはすぐ仕事辞めてしまう」と嘆いておられましたが、安心してください。今や世間の常識です。

今年の夏は1月ほど大阪近辺にいるつもりです。関西の病院を見学や実習してまわり、就職活動してまいります。暇なときができれば、関大図書館に行こうと思いますので、その時は立ち寄ります。会えば会ったで悪態をつかれ、当分は先生と会うのはいいやと思ってしまうんですが、2年も会ってないと悪態をつかれに行きたいなぁと思うんですね♪生で話すと、授業料なしで社会学の講義受けれますからね。よく考えると、先生の講義一回しか出てないような。まあでも卒業してからも集いなんか呼んでもらっているので、十分元を取っているような気がします。それではまたお会いしましょう!

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久しぶりの片桐ゼミ同窓会長KK君の登場です。歳も重ねてきているので当たり前と言えば当たり前ですが、本当に成長を感じます。しっかり頭を使って生きているって感じがして嬉しく思います。関西大学社会学部片桐ゼミ出身のお医者さんが誕生するまで後2年ですね。楽しみです。KK君が指摘してくれたように、社会学的思考法は医療の分野でも必要のはずです。彼が実践してくれるのが楽しみです。ところで、「また先生は文句つけるんですね」と言われそうですが、いくつかKK君の意見に異論を提示したいと思います。ひとつは、「職人気質」についてですが、私は高く評価しています。決して、職人仕事は単なるルーティンワークではないと思います。私は、「プロ大学教師」たることを目指していますが、それは言い換えれば、大学教師という職人になることと言ってもいいと思っています。第2に、学生と接するのは飽きないかとのご質問ですが、まったく飽きません。毎年毎年新鮮で、楽しいですよ。3番目に、「片桐ゼミはすぐ仕事辞めてしまう」というかつての私の発言ですが、以前KK君自身も含め、それなりに名のある会社に勤めていて、ちゃんとやっていけそうなタイプの卒業生が続けざまに辞めた時期があったので、こういう発言が出てしまったのだと思います。でも、後から聞くと、みんな嫌で辞めたというより、夢を見つけてその道を目指すために、またより自分に合った生き方をするために、会社を辞めたようですので、「なんとなく転職組」ではないと思っています。統計的な比較をしたことはありませんが、片桐ゼミ卒業生は平均的若者よりはみんなねばり強いのではないでしょうか。KK君が指摘したように、まさに「継続」の大切さをわかっている人が多いのだと思っています。最後に、「悪態をつく」という表現はいかがなものでしょうか?一般的には、年少者に対して使う表現ですよ。「説教される」とか「毒舌を吐かれる」ぐらいにしてもらえませんかね。「成長した」と誉めて始まった返事も、最後はやっぱり「説教」になってしまいました。(K)

460.(タイトル)〔戦争について考えるということ〕 By 11期生TCさん(2004.5.27)

先生こんにちは。ゼミのHPのKMくんの書き込みを見て、私は正直すごいなあと思いました。なぜなら私は、戦争が起こったら戦うべきか否かとか、戦争とは何かとか、今も自分の中で考えがまとまっていないからです。私はゼミで戦争の議論中、一度も発言できませんでした。もやもやしたものはあるのですが、それが自分の考えとして言葉にはなりませんでした。戦うっていったいどういうことですか?攻撃することだけではなく、思想的にも戦争を受け入れ、殺しあうことを受け入れ、日本という国を守るために戦うといくことですか?私にとって戦争とは未経験の、そして自分とは遠い世界のものです。(実際はそう遠い世界のことではないように最近感じてきましたが。)小学生の頃から戦争について教育を受け、TVでは毎日のように内紛のニュースが流れています。しかしリアルに感じることができません。だから今までも戦争について、戦争はいけない、あってはならないと思いつつも、自分の生活とはつながっていないものだという意識がありました。だからゼミで戦争についての話題が出ても発言ができませんでした。でもみんなの意見や考えを聞いていて、みんな自分なりに戦争について考えていることを知り、わたしもいつまでも戦争を他人事としてかんがえていてはいけないと思いました。すぐには答えは出ないと思うけど、一度じっくり考えてみようと思います。

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「戦うっていったいどういうことですか?攻撃することだけではなく、思想的にも戦争を受け入れ、殺しあうことを受け入れ、日本という国を守るために戦うといくことですか?」この辺でしょうね。こういう風に思ってしまうから、戦争について冷静に考えようとすること自体もいけないことなのではないかと思ってしまうのでしょうね。戦争について考えることは、戦争という手段を是認することとは違うことです。戦争という手段についてよく知ってはじめて、反戦も語れるのではないでしょうか。よく知らないことには本来説得的な反対の意見も主張できないのではないでしょうか。「見ざる、聞かざる、言わざる」では、戦争は防げないでしょう。それと、「戦う」ということですが、殺し合いがない戦いなら、受け入れますか?それとも、どんな形でも「戦い」はよくないですか?前者だとすると、戦争が嫌なのは、「人が人を殺すことが正当化されているから」ということになるでしょうね。となると、死刑もだめでしょうか?それとも死刑は悪いことをしていた人が殺されるのだから受け入れますか?戦争は一般市民を巻き込むからいけないのでしょうか?一般市民が巻き込まれない形で行われるなら、受け入れやすくなるでしょうか?自分の家族や恋人が襲われそうになっているとき、力づくで守ろうとすることは認められますか?それとも、そういう時でも、暴力は振るってはいけませんか?難しいですよね。でも、たまにはそういう極限状態に置かれた時、どうしたらいいのか考えておくことも必要なのではないでしょうか。(K)

459.(タイトル)〔戦争について考えるということ〕 By 11期生KM君(2004.5.25)

今日はとても有意義な3時間でした。でも、先生の「戦争が不可避な状態になったとき、戦うか否か?」という提示のあとの、皆の反応は意外でした。戦うか、反戦かといった議論以前に、僕にはあのときみんなが思考停止してしまっていたように見えたんですが、先生の目にはどう映ってましたか?僕は、なんだかんだと言ったって、我々は日本社会からそれなりの恩恵は受けていると思うんです。だから僕は戦うという方に挙手しました。人それぞれ考え方に違いはあって当然と思います。だから「反戦」というのがあっても大いに結構だと思うんですが、ろくに日本社会のことも考えないでの「反戦」というのは少し問題なんじゃないかなぁ、と思いました。

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11期生ゼミでの話ですが、7〜9期生の3回生ゼミでは小林よしのりの『戦争論』を全員が読んで議論をしましたし、10期生ともこういう議論はしましたので、2000年度以降は各期一度くらいはこの議論をしています。そして、どの期においても、「思考停止」のまま「戦争は何が何でも嫌!」と言う学生や「自分は戦わず逃げる」と答える学生はたくさんいました。こういう議論をしているときにでも、「戦争とはなんなのか?」「なぜ、戦争が生じてしまうのか?」「もしも戦争に巻き込まれた時に、どうしたらいいのか?」を真剣に考える学生はむしろ少数派のようです。確か昨年も戦争について自分の考え方を熱心に語っていた(決して戦争はすばらしいとか大賛成だと言っていたわけではありません)男子学生に、「○○君って、右翼なの?」と尋ねた女子学生がいました。戦争について考えたり語ったりすることを「右翼」と見なすような考え方は、まさに「思考停止」の産物です。戦争について恐ろしさと悲惨さしか教えてこなかった日本の教育の問題性を感じます。(小林よしのりのように、戦争を「血湧き、肉踊る」高揚感を得られるもののように表現するのもおおいに問題ですが。)別に日々戦争について考えなくてもいいと思いますが、こういう機会に恵まれた時には、「戦争は怖い」「戦争は人が死ぬから嫌」「戦争は悪いこと」という幼児のような発想に思考を留めず、とことんまで考えてみてほしいと思います。KM君が指摘するように、きちんと考えた上での反戦でなければ、実際に危機的状況になったときに戦争を止めることなどできないでしょう。「平和」は空気のように自然にあるものではなく、努力しないと維持できないものです。「平和」を守るためにも、「戦争」とは何か、なぜ生じるのかを冷静に考えなければいけないはずです。耳をふさいで「戦争が起きたら、なんて怖ろしい仮定の話をしないでください」なんて言っている国民は、危機が生じたらあっという間に戦争に巻き込まれてしまうことでしょう。戦争も間違いなく社会現象なのですから感情的にならずに社会学的分析対象とすべきなのです。そういう冷徹な分析をしっかりしておいた方が、戦争を回避できる可能性も高くなると思いませんか。今回の「戦争について考えるということ」に、様々な意見が寄せられることを楽しみにしています。(K)

458.(タイトル)〔教育実習〕 By 10期生IMさん(2004.5.19)

こんばんは。先日の誕生祝いは素晴らしいものとなったようですね。私は、旗だけの参加となってしまい、とても残念でした。今週は、母校で教育実習を行っています。実習は今日で三日目が終了したところです。中学校での実習だから、また、現在、二週間後に控えた運動会の練習の真っ最中だから、ということもあると思うのですが、一日が終わると体力を使い果たしているような状況で、他のことにはとても手がまわりません。教師、というのは、ほとんどが自分より年の若い人たちが相手の職業ですので、体力がないと勤まらないな、と改めて感じています。また、自分が中学校に通っていた頃と、現在の様子を比べ思うところもたくさんあります。その時は、仮の教師としてではなく、OGとしての目線で見ているので、あまり良くないのではないかとも思うのですが。いずれにせよ、中学生という、多感な時期の生徒を指導していくことは、やはり非常に難しいと感じます。自分自身のことを振り返り、当時の先生方もいろいろと思案されていたことだろうと、今になって感謝の気持ちも湧いてきました。まだ、これからいろいろな経験をしていくことになると思います。実習は実習で、精一杯頑張って、良い経験と知識を得たいな、と考えています。それでは、実習終了後にお会いできるのを楽しみにしています。

457.(タイトル)〔お誕生日会〕 By 10期生TNさん(2004.5.19)

片桐先生!!お誕生日会、喜んで頂けて本当に嬉しいです☆☆4回生になってバタバタと過ごしてきて、ゼミのみんなとワイワイ過ごせたのは久し振りの事でした。準備もたくさん集まって本当に楽しんで進めてたんですよ!!やっぱり10期、いいですね♪もっともっとみんなと過ごせる時間がたくさんあればいいのになぁ‥と思える一日になりました☆    ちなみに‥今年の秘かなテーマは『去年以上』だったんですよ(^0^)

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本当にありがとう。あまりに大きく立派なケーキに本当にびっくりするとともに、どうやって用意できたんだろうと不思議に思うほどでした。昨年も素晴らしい企画で楽しませていただきましたが、今年も去年に勝るとも劣らない記憶に残るパーティをしていただいて幸せでした。また、11期生諸君にも誕生祝いをしていただき、こちらもとても感謝しています。みんな、ありがとう!本当に幸せな教師です。(K)

456.(タイトル)☆先生へ☆ By 11期生HCさん(2004.5.18)

Cです☆今日のゼミ終わりに先生と話したかったのに、先生Mちゃんとずっ→としゃべってたからぁ(∪o∪)なんで携帯からの初メールです(#^.^#)♪今日のゼミいつもより雰囲気重かったですよね。。。でね、『うちらが発言しいひんからやんなぁ』ってMくんと話してたんですよ。二人とも普段はしゃべりやのに、肝心な時に役立たない二人で‥(- -;)だから次回こそがんばろ!!って事になりました☆☆☆大丈夫かな(*^_^*)??あと今日のレポート発表。終わったぁ!って思ったら先生に『適当なコメント書いたらこういう事になる』とか『レポート力がない』とか言われてぇ↓↓↓確かにうちの担当だけ、やたら短かったし、簡略化しすぎかなぁとは思ってましたけど‥笑ん?あれ?何が言いたかったのか分からなくなりました(・・?)?とにかく!早く胃痛なおして元気になって下さいね〜(☆^−’)

455.(タイトル)着ぐるみ体験記 By 9期生SMさん(2004.5.9)

着ぐるみ着ました!!今人気のヤマハのキャラクターぷっぷるちゃんです。 前の日に、チーフから「Sさんって背小さいからお願いがあるんだけど・・・」と言われ、何だろ?と思いきや着ぐるみ!!一度営業さんが着ていたのを見たことがありますが、並々ならぬ脱水症状起こすくらいの汗をかき暑くて重い大きな着ぐるみ・・・。「しんどくなったら言ってね」とやる前に言ってもらうと同時に「ぷっぷるは声出したらだめだからね」とも言われどないやねーん!!て感じでしたが・・・。人形の口あたりから少し外が見えるだけであとは暗闇の世界でチーフに手を引っ張って誘導してもらい、朝から炎天下の中駅前で頑張りました。子供達に握手に頭なでてもらったり、抱きつかれたり叩かれたりしながら、踊ったり手を振ったりお辞儀をしたり精一杯ぷっぷるを演じきりました。汗が全身から噴出し、目にも入り涙がとまらずすごかったですが、大勢の人(多分・・・)に囲まれて子供達に好かれ、写真撮影までするお母さんもおり、人気者だったので少しうれしく、「たまには」こんな仕事もいいかなぁと思いました。真夏は多分1分で倒れると思います。「入っているの誰?女の人よね?すごいなあ」「新入社員は大変やなあ」などと話している声がかすかに私を囲むギャラリーから聞こえてきたりして、なんだか余計に「ぷっぷる」になりきってました。きっとディズニーランドのミッキーなど着ぐるみを着ている人もかなり大変なんだろうなあ。アンケートなど収穫がけっこうあったらしく、先輩社員は満足そうで、私も着ぐるみ初体験ができ、暑さに打ち勝ち、楽しかったので、朝だけは1日の体力は使い果たしましたがいい経験ができました。

454.(タイトル)立山黒部アルペンルート By 6期生MM君(2004.5.9)

立山黒部アルペンルート、最高でした!1日目は、曇り空のもとのスタートとなりましたが、宇奈月駅から黒部峡谷のトロッコ列車に乗車し、釣鐘まで行きました。ガスがかかった山は、水墨画の世界が広がっているようで、趣がありました。その日は、金沢に宿泊したのですが、一人で夜の町に繰り出し、たまたま見つけた雰囲気のよい居酒屋で、ちょっと飲みすぎてしまいました。そして、翌日は今回の旅行のメイン・立山黒部アルペンルート。前日の天候とはうってかわっての快晴。立山駅からケーブルカーに乗り、美女平へ。そこから高原バスで室堂へ。道中、車窓からは富山平野ごしに薄っすらと能登半島がのぞめ、素晴らしい眺望に言葉を失いました。バスの運転手さんも、「こんな快晴は珍しいですよ!」とおっしゃられてました。少し余談ですが、このバスの運転手さんがとてもユニークな方で、色々と解説をしてくださって路線バスではなく、観光バスかと疑ってしまうくらいでした。

室堂は、「雪の大谷」が有名なのですが、雪深い立山の中でも雪の吹き溜まりとなり、数十メートルの積雪がある所となっているそうです。僕が訪れた5月6日の積雪は、14メートル。積雪もさることながら、空の青さに思わず声をあげてしまいました。携帯のカメラで撮影したものなので、分かりにくいかもしれませんが、、、ほんとに空が近いと感じました。ちなみに標高は、約2400メートル。

 昼過ぎに室堂を後にし、トロリーバスで大観峰へ下り、眼下に黒部ダムを見、日本で唯一の地下ケーブルカーでさらに下山し、黒部湖駅へ。黒部ダムの堰堤からの眺めも壮大です。堰堤を渡りきったところから、200段余りの階段を上ると展望台に、そこからの景色も素晴らしかったです。しかし、黒部ダムを間近に見たときは、こんなに大きなものをしかもこんな山奥によくも造ったなぁ、と改めて感じました。以前、NHKのプロジェクトXでやっていましたが、ほんとうに、とてつもないドラマが繰り広げられたんでしょうね。いま、『黒部の太陽』という小説を読んでいます。黒部ダムを後にし、関電トロリーバスで扇沢へ向かいました。今回はツアー旅行ということもあり、足早に約5時間強でとおり抜けましたが、また時間をかけて行きたいです。秋の紅葉も素晴らしいと言っていましたので、今度はその時期に足を運びたいと考えています。また、お会いしたときに、ゆっくりとお話しさせていただきます。とりあえず、旅報告メールでした。それでは、また。

453.(タイトル)鞆の浦! By 10期生AMさん(2004.5.6)

私はGWに鞆の浦へ本当に行ってきました!時刻表を片手に鈍行で揺られながら行く旅にすっかり味をしめてしまい、地図を見るのが楽しくて仕方ないです。ただ私には「土地を見る目」が乏しいので、先生のようになる為にはまだまだ時間がかかりそうです。GW中の鞆の浦はやはり混んでました。おまけに雨で足元が悪かったので、勢い良く行動するのが難しかったのですが、それなりに収穫もありました。保命酒蔵の太田家へ訪れ、再びじっくりガイドして頂きました!そしたらあの近くで元木造船を作っていたお爺さんがいらっしゃって、今は木造船の模型を作っていると伺ったので、早速連れて行ってもらいました。小さな小さな小屋の中で5・6船の模型が所狭しと並んでいましたが、私が行った時は既に3人の観光客で賑わっていました。今は需要がないので木造船を作ることはないそうですが、懐かしそうに昔の話を語っていただきました。(ただ本当に立派な模型なので、最近は観光客による盗難が多いと嘆いていらっしゃました。)そしてやはり高台から見下ろすあの港町は美しく酔いしれますね。あのお寺を登るまでに割と急な坂道が続きますが、その苦労が吹っ飛ぶ程、見事な景色です。今度は「お手火祭りに又是非来させて頂きます!」と告げてお別れしました。っとまぁ嬉しくなって先生にメールをさせてもらいました!

452.(タイトル)〔大塚美術館〕 By 9期生SMさん(2004.5.5)

GWは休養・・・と思っていたんですが、結局5月4日に徳島の大塚美術館に行ってきました。たまたま、友達と雨だけど小旅行したいなあと言っていたことから、友達が「大塚美術館は?」と提案してきたので、きっと大阪にあるのだろうと思いネットで調べたら、なんと徳島!!一瞬固まりましたが、旅行好きの私は即高速バスの予約をとり、日帰りで行ってきました。行きのバスはGWで臨時も何台か出していたため、なぜか私達の乗る2号車は誰もいず貸しきり状態!!44席あるバスを私達5人で占領!!強風のため明石海峡大橋は揺れまくりましたが、ドアははずれなくてよかったです、、、。 そして、なかなかすごかったですよ。大塚国際美術館。世界各地にある古代遺跡や教会などの壁画をそのまま再現し、バーチャル体験ができたり、ピカソやルノワールの絵を同じ大きさに再現していたり。海外に行った気分になりました。あそこに置いている全ての作品をゆっくり鑑賞しようと思ったら丸1日かかりそうです。ウィーンで見た(本物)ブリューゲルの「バベルの塔」などもあり、また本場で本物の絵を見たい気分にもなりました。

451.(タイトル)駒ヶ根・伊那・高遠 By 6期生MM君(2004.4.29)

僕は先週末の土日に1泊で駒ヶ根・伊那・高遠を巡ってきました。駒ヶ根は市内を3時間ほど散策しただけでしたが、落ち着いたいい町で、光善寺というお寺の枝垂桜がたいへんきれいでした。時間があれば、駒ヶ岳ロープウェイに乗り、千畳敷まで足を伸ばしたかったのですが、今回はパス。先生、近いうちに一緒に行きませんか!花畑遊歩道というのがあり、そこを歩くだけなら1時間程度で普通の服装でも十分に歩けるそうです。散策後、伊那市へ電車で移動し一泊。せっかく来たのだし、市街の居酒屋へ一人ふらふら出かけたのですが、お目当ての居酒屋が発見できず、とりあえず通りすがりの雰囲気のよさそうなお店に、、、ここがいいお店で、地酒の品揃えが抜群で美味しいお酒をいただきました。先生の携帯にメールをしようとしたのですが、うまく送信できずじまいでした。すみません。また、たまたま隣り合わせたお客さんとも意気投合し、お酒をご馳走になってしまったり、店員さんもいい感じの人で、いろいろとサービスしていただきました。旅に出て、何が楽しさを増す要因かといえば、やはり人との出会いですよね。

翌日は、7時ごろに起床し、桜の名所・高遠に向かいました。ただ、高遠城址公園の桜(タカトオコヒガンザクラ)は散り終えて、葉桜だったのですが、城址公園から20分ほど歩いたところ(坂道を登るので結構しんどかったのですが…)に、「花の丘公園」というのがあるんです。そこは遅咲きの八重桜や関山といった異種の桜が数百本程度植えられており、高遠第2の桜の名所となっています。それ以上に、ここからの眺望が素晴らしいんです。高遠市街だけでなく、伊那市街まで見渡せ、さらに中央アルプスの山々を望むことができます。たとえるなら医王寺から鞆の町を眺めているような感じですかね。ここからがドラマの始まりです。たまたま三脚を持って写真を撮りに来られていた方が、地元の方で、高遠の町について色々とお話しを聞かせていただき、その方の車で、お寺など数箇所案内していただいたんです。しかも、レアな場所まで連れて行っていただいて…そのあと、そのおじさんの行きつけの喫茶店に行き、またそこでマスターやママさんからも高遠の町について、話をうかがうことができました。ほんとに親切というか、人の温かさを痛感しました。そのあとは、そこで聞いた名所を少し回り、伊那市へ戻りました。高遠という町もほんとうに素晴らしい町ですよ。先生もきっと気に入られると思います。さながら、信州版・鞆の浦といった感じです。

伊那市内に戻った後、「鍋焼城」というお店で伊那名物・ローメンというのを食しました。ラーメンのようで焼きそばのようで、、、なんとも変わった食べ方をするんですが、意外と美味しく気に入りました。ここの店のご主人もかなり高齢なのですが、ユニークで健康食へのこだわりなど教えていただきました。腹ごしらえの後、伊那宿跡をとおり春日城址(春日公園)へ向かいました。ここも坂がきつく、途中であきらめかけたのですが、訪れて正解でした。今度は、高遠とは逆で南アルプスを眺望することができました。伊那という地域も本当に自然の豊かな場所で、心癒される旅行になりました。