本を読もう!映画を観よう!11
(2024.6.23開始、2024.12.30更新)
世の中にはおもしろい本がたくさんあるのに、学生たちの中には「活字嫌い」を標榜して、読もうとしない人がたくさんいます。貴重な時間をアルバイトと遊びですべて費やしてしまっていいのでしょうか。私が読んでおもしろかったと思う本、一言言いたいと思う本を、随時順不同で紹介していきますので、ぜひ読んでみて下さい。(時々、映画など本以外のものも紹介します。)感想・ご意見は、katagiri@kansai-u.ac.jpまでどうぞ。太字は私が特にお薦めするものです。
<社会派小説>
<人間ドラマ>1023.棟田博『拝啓天皇陛下様』光人社NF文庫
<推理サスペンス>1005.米澤穂信『黒牢城』角川文庫
<日本と政治を考える本>1031.井沢元彦『逆説の日本史 1.古代黎明編 封印された[倭]の謎』小学館文庫/1021.原武史『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』岩波新書/1015.永井路子『王朝序曲 誰か言う「千家花ならぬはなし」とーー藤原冬嗣の生涯(上)(下)』朝日文庫
<人物伝>1022.永井路子『山霧 毛利元就の妻(上)(下)』文春文庫/1021.原武史『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』岩波新書/1019.やなせたかし『アンパンマンの遺書』岩波書店/1017.永井路子『この世をば(上)(下)』新潮文庫/1015.永井路子『王朝序曲 誰か言う「千家花ならぬはなし」とーー藤原冬嗣の生涯(上)(下)』朝日文庫/1011.永井路子『美貌の女帝』文春文庫/1007.フランソワーズ・ジルー(幸田礼雅訳)『イェニー・マルクス 「悪魔」を愛した女』新評論/1004.片桐悠自『アルド・ロッシ 記憶の幾何学』鹿島出版会/1002.文芸春秋編『血族が語る昭和巨人伝』文春文庫
<歴史物・時代物>1031.井沢元彦『逆説の日本史 1.古代黎明編 封印された[倭]の謎』小学館文庫/1027.八幡和郎『江戸300藩県別うんちく話』講談社α文庫/1022.永井路子『山霧 毛利元就の妻(上)(下)』文春文庫/1020.永井路子『絵巻』新潮文庫/1017.永井路子『この世をば(上)(下)』新潮文庫/1015.永井路子『王朝序曲 誰か言う「千家花ならぬはなし」とーー藤原冬嗣の生涯(上)(下)』朝日文庫/1013.杉本苑子『穢土荘厳(上)(下)』文春文庫/1011.永井路子『美貌の女帝』文春文庫/1006.藪本勝治『吾妻鏡――鎌倉幕府「正史」の虚実――』中公新書/1005.米澤穂信『黒牢城』角川文庫/1003.神坂次郎『おかしな大名たち』中公文庫
<青春・若者・ユーモア>1009.横田順彌『明治ふしぎ写真館』東京書籍
<純文学的小説>
<映画等>1032.(映画)ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』(2023年・日本)/1029.(映画)是枝裕和監督・坂元裕二脚本『怪物』(2023年・東宝)/1026.(映画)森谷司郎監督『海峡』(1982年・東宝)/1025.(映画)佐藤純彌監督『野性の証明』(1978年・角川)/1024.(映画)深作欣二監督『里見八犬伝』(1983年・角川)/1018.(人形歴史スペクタクル)『平家物語』(1993〜1995年・NHK)/1016.(映画)堤幸彦監督『イニシエーション・ラブ』(2015年・日本)/1014.(映画)入江悠監督『あんのこと』(2024年・日本)/1012.(映画)成瀬巳喜男監督『乱れる』(1964年・東宝)/1010.(映画)チェリン・グラック監督『杉原千畝 スギハラチウネ』(2015年・日本)/1008.(映画)新藤兼人監督『墨東奇譚』(1992年・日本)
<その他>1030.日本経済新聞社編『ジェネレーションY 日本を変える新たな世代』日本経済新聞社/1001. カタログハウス編『大正時代の身の上相談』ちくま文庫
1032.(映画)ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』(2023年・日本)
役所広司がカンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した映画ですが、なるほど、これは役所広司にしかできない役だなと納得しました。最初に見始めた時は、あまりに平凡な日常を淡々と描く作品だなという感じがして、これは最後まで見切れるだろうかと思いましたが、途中から映画に引き込まれ画面から目が離せなくなりました。もともとこの映画は、渋谷区が作ったユニークなトイレをPRするために製作されることになったそうですが、監督のヴィム・ヴェンダースが小津安二郎のファンで、小津映画的な作品として作り上げ、PR映画の枠をはるかに超えた素晴らしい作品に仕上げています。
ストーリーはその渋谷のトイレを毎日掃除する男の日常を描いた作品ですが、その主人公の男を役所広司が演じています。スカイツリーの近くの東京の下町の古いアパートに住む平山という男は、毎日早朝に起き、家の中のルーティンワークをこなし、渋谷まで車で出かけ、担当のトイレを丁寧に掃除します。仕事を終えると銭湯に行き、行きつけの居酒屋で軽く一杯飲み、時には行きつけの古本屋やスナックにも立ち寄ります。趣味と言えるかどうかわかりませんが、文庫本を読み、車の中ではカセットテープで音楽を聴き、フィルムカメラで木漏れ日の写真を撮るのを日課としています。
その平凡な日常に、事件とは言えない小さな出来事が起こり、そこをまた丁寧に描くことで、徐々に観る者の関心を引き付けていきます。迷子になりそうになった男の子の母親探しをしていると、その母親が現れ、お礼も言わず平山からひったくるようにして男の子を抱え、平山と触れていた男の子の手を除菌シートで拭き何も言わずに去っていきます。でも、去り際に男の子が振り返り、小さく手を振り、平山も笑みを浮かべます。
トイレの片隅には、マス埋めゲームのようなものが書いたメモがあり、それを平山が気づき、毎日1マスずつ埋めるという形で平山と名もなきトイレ利用者とのコミュニケーションが生まれます。家出してきた姪と3日ほどともに過ごし、母親である平山の妹が迎えに来たところで、やはりこの平山という人物には、何か深い事情があるんだろうなということも気づかされます。きっともともとはエリートとして働き暮らしていた時期があったんだろうなと思わされます。しかし、この映画のよいところはそれを何も説明しないところです。最後まで平山の淡々たる日常を描き切り、余計な説明は一切しません。にもかかわらず、役所広司という役者が演じることで、その人生は深いものに違いないと思わせることができています。演じているというより、役所広司という役者さん自体の魅力なのかもしれませんが、非常に惹かれます。彼は私と同学年です。いい歳の取り方をしているなあと思います。
いろいろなことを考えさせる映画ですが、最後にもうひとつ。自分に与えられた仕事をきちんとすること、それが如何に社会のためになるかを感じさせてくれる映画でもあります。ぜひ若い人にも見てほしい映画です。こういう映画にちゃんと感慨を覚えるような若い人と付き合いたいなと思います。(2024.12.30)
1031.井沢元彦『逆説の日本史 1.古代黎明編 封印された[倭]の謎』小学館文庫
30年以上前からこの作家がこのタイトルのシリーズ本を出し、かなり売れているのは知っていたのですが、タイトルからどうせあまり知られていない歴史エピソードを紹介した本なんだろうと思って読まずに来ましたが、先日古本屋で安く売っていたので、まあちょっと読んでみるかという軽い気持ちで読み始めましたが、予想外に骨太の歴史書で非常に興味深く一気に読んでしまいました。予想していたちょっとした歴史的エピソードを紹介するというような本ではなく、この作家なりの合理的な思考に基づいた歴史観が示されており、その中には、私もそうなのではないかと常々思っていたものがたくさんあり、かなり説得力があると感じました。
一番肯定したいと思った姿勢は、歴史学者たちが資料があるかどうかを根拠にしたがるのに対し、資料がなくても合理的な思考に立てばこう解釈するのが妥当なはずだという主張が多くの点でなされているところです。いくつか興味深い指摘をあげておけば、オオクニヌシは大和朝廷以前に大和地域を含めて広く支配地域を持っていた国の王で、大和に居たオオモノヌシと同一人物と考えられ、大和朝廷に滅ぼされ、その祟りを鎮めるために、出雲大社が建てられたこと。卑弥呼は、「日の御子」あるいは「日の巫女」であり、アマテラスに擬せられる人物であり、かつ248年9月5日に起きた皆既日食をきっかけに殺されたこと。宇佐神宮が祀っている比売大神とは卑弥呼であり、大和朝廷の祖にもあたると考えられていたがゆえに、道鏡を皇位につけるかどうかという判断を仰ぎに来させたのだということ。天皇家はもともと朝鮮半島から渡ってきた一族であること.etc.。同意できるものや違うのではと思うところもありますが、全体としては「なるほど。そういう視点もありだな」と思わされるところが多かったです。
しばしば横道に逸れるのですが、その主張もなかなか面白く、この後もすごくたくさん出しているようですが、とりあえず古本屋で2と3は入手したので、もう少し読んでみたいと思います。あと、今、この著者は『真・日本の歴史』という本を出しているようですが、きっとこのシリーズのエッセンスをまとめたよう本なんだろうなと思いますので、手っ取り早く読みたい人にはその本の方がいいかもしれませんが、私はしばらくこのシリーズの方を読んでみます。(2024.12.28)
1030.日本経済新聞社編『ジェネレーションY 日本を変える新たな世代』日本経済新聞社
今「Z世代」という名称は毎日のように聞くのですが、その前にY世代があったことを、みんなすっかり忘れていますし、私自身も「Y世代」ってどの辺の世代のことだったかなと思い出せなくなっていたので、以前読んだ本ですが、探し出して改めて読んでみました。
この本は、2004年5月から2005年3月まで日本経済新聞夕刊に掲載した記事をまとめた本です。その最初の所に、世代名称について説明があります。それによれば、もともとアメリカで特徴がつかめないという意味で、1991年の時点で若者世代だった1960年代以降生まれの世代をX世代と呼ぶ作家が出てきたのが始まりだそうです。その後、1990年代終わりには、X世代と異なる若者世代が出てきたと主張されるようになり、X世代の次だからY世代と言うようになったそうです。Y世代の生まれ年は、1970年代後半以降くらいの世代のようです。
もともとアメリカで作られた世代名称なので、日本の状況にぴったりあてはまるはずもないのですが、アメリカのものは何でも輸入したがる日本人が日本の同じような世代をY世代と呼んだわけです。ちなみに、最初にX世代という言葉を提唱したアメリカの作家は、もともと日本の「新人類」という名称に触発されて、X世代という言葉を作ったそうです。この本では、おおよそ1980年代生まれの若者たちがY世代とみなされています。この世代の若者の活動にフォーカスを当て、インタビューをして新聞記事にしたものがこの本にまとめられているわけです。当然ですが、世間で「今時の若者は、、、」と言われがちだが、彼らにはやる気もコミュニケーション能力もあって、今後の日本社会を背負っていける世代なのだという内容です。
日本経済新聞社が取り上げた若者たちは、1990年代の終わりから2000年代のはじめにかけて若者――特に大学生――をやっていた世代ですが、この世代はバブル崩壊後に大学生活、就職活動をしなければならなかった、いわゆる「氷河期世代」です。思った以上に頑張っている子たちだと紹介されていますが、まさにこの時代は、頑張らないと仕事も得られないという時代でしたから、彼らに話を聞けば、頑張っているなと思ったのは当たり前です。
この本の最後に20年後の2025年の未来予想をするという章があるのですが、ほとんど何も予想できていません。実際に、今やY世代なんて世代名称はすっかり雲散霧消してしまい、この本の副題のように、この世代が日本を変えたとはとうてい思えません。今は、Z世代しか聞こえてきません。しかし、Z世代もきっと10数年経ったらどの世代のことかわからなくなっているだろうと思います。要するに、社会の変化との関わりを考えずに世代名称など作ったって生き残るわけがないのです。
最後に、私は戦後生まれの若者世代に関しては、「団塊世代」→「しらけ世代」→「新人類世代」→「団塊ジュニア世代(氷河期世代)」→「ゆとスマ世代」と捉えています。後ろの3世代が、おおよそX、Y、Z世代と重なると思いますが、アルファベットより社会状況を反映した名称の方がわかりやすいでしょう。私が35年間の大学生調査で調べてきた世代も、ちょうどこの3世代に当たります。この本より、私の本の方がはるかにしっかりした若者世代の分析になっていると自信を持って言いたいと思います。(2024.12.26)
1029.(映画)是枝裕和監督・坂元裕二脚本『怪物』(2023年・東宝)
見応えのある映画です。同じシチュエーションを2度、3度と違う視点から描き、徐々に真実が見えてくるという作りです。映像表現自体は、是枝裕和っぽいなと思いましたが、ストーリーの複雑さはいかにも坂元裕二脚本です。
ストーリーを少し紹介しておきます。安藤サクラ演じる母親と小学校5年生の息子と二人暮らしの家庭の場面から始まります。繊細そうな男の子で、まずは彼の日常でおかしなことが続き、母親が問い詰めると、担任教師にひどいことをされていると告白します。母親は当然のように学校に乗り込み問題解決を求めますが、校長以下問題の担任教師も含めて、学校側はただ頭を下げるだけで本気で解決しようとする姿勢を見せず、母親は全校集会を求め、マスコミも知るようになり、担任教師は解雇されます。しかし、嵐の日に息子が行方不明になってしまうというのが、まず最初に語られるストーリーです。この時点では、担任教師と学校側はなんてひどいのだという印象になります。
次のシーンでは、その担任教師の視点から同じシチュエーションが描かれます。当然そこでは最初のストーリーとは違うストーリーが描かれます。そしてさらにもうワンシーンあって、今度は息子の視点でストーリーが描かれ、そこで真相がわかることになります。非常に複雑ですが、ちゃんと伏線回収がされるのですっきりします。社会的テーマがふんだんに盛り込まれていますので、非常に魅力的な映画です。(2024.12.21)
ちょっとタイトルが大袈裟すぎます。別に「闇」って感じはないです。ただ、「羅生門」「こころ」「舞姫」がほぼすべての高校教科書に採用されているのはなぜかを考えた本です。ただし、私の興味は、それがなぜなのかを知りたかったのではなく、教科書編集、検定というプロセスに興味があったからです。実は、私の父は教科書会社の国語の編集に長く関わってきた人でした。主として小学校の教科書が中心でしたが、この本にも書かれる著者たちとのやりとりや文部省検定、そして営業活動などは、まさに私の父もやっていたなと思い出していました。
この本で指摘されていることですが、教科書って販売部数に限界があり、その限界が子どもの数の減少でどんどん減っていっており、教科書編集から手を引く出版社も少なくないそうです。父の勤めていた出版社も最近はほとんど名前を聞かなくなったので、どうなのでしょうね。かつて父がバリバリの国語編集部のエースだった時代には、全国1位の採択率を誇ったこともあったのですが。
あとこの本を読みながら思ったのは、国語の教科書ってまったく面白くなかったし、どんな小説が掲載されていたかもまったく思い出せないことです。「羅生門」「こころ」「舞姫」がまだ定番になる前に、高校を卒業しているので、この3作も教科書に載っていたかどうか思い出せません。でも、「こころ」「舞姫」などは本を買って読んだ覚えもないのに、一部を読んだような気がするので、教科書に載っていたのかもしれません。
本を読むのも、文章を書くのも好きな方ですが、国語の授業はつまらなかった気がします。妙に登場人物の心理ばかりを問うような作品が多かったからかもしれません。まあでも、社会派小説だとどうしても時代に対する解釈が必要になってくるので、扱うのが難しいのでしょうね。(2024.12.15)
1027.八幡和郎『江戸300藩県別うんちく話』講談社α文庫
この著者の本は何冊か読んだことがあるのですが、「本を読もう」のコーナーでは1冊しか取り上げていません。ちょっと興味深いテーマ設定をしているのですが、なんか読み物としては今一つという感じがしたからです。歴史家の本でもなく、歴史小説でもない、まさにこの本のタイトルに入っているような「うんちく話」的なものが多かったからです。読み物というより、資料っぽいんですよね。それも、本格的な資料というより、「うんちく」「まめ知識」が語られるという感じです。その手のものはあまり評価しない人間なのですが、この人の本をつい手に取ってしまうのは、その「豆知識」が一応体系的に語られているからです。多くの豆知識本は体系性がなく、ランダムに豆知識が語られますが、この人は一応ある基準を作り、その基準に基づいて知識を披露するので、資料的な価値も多少あるという作りになっています。今回、改めてこの人の経歴を見たら、通産省の元役人で退官後に、こういう歴史書の執筆を始めたようです。なるほどと思いました。歴史好きの元官僚さんが書いた本と思うと、非常にしっくり来ました。
さて、この本ですが、タイトルに示されているように、県別にすべての藩を紹介しています。1868年時点で存在したすべての藩について、すべて紹介しています。文庫本で300藩を紹介するのですから、ほんのわずかずつの紹介の上に、時代も藩によっては室町時代からの話も書いてあったりするので、歴史知識の少ない人だと読みにくいと思います。しかし、歴史好きには結構興味深いところが多々あります。たとえば、江戸300藩と言っても、私でも半分以上は知らない小さな藩がたくさんあったということや、有名な大名家でも分家がたくさんあって、いろいろなところの藩主になっていたのだということなどは勉強になりました。家康の次男で一度は秀吉の養子になっていた結城秀康の子孫は5藩の藩主に、酒井家は7藩の藩主になっていたそうです。今後も、時々引っ張り出して確認したくなる本でした。(2024.12.9)
東宝創立50周年記念の大作です。高倉健主演で、青函トンネルを貫通させるまでの物語です。この手の大建設プロジェクト映画では「黒部の太陽」が有名ですが、この作品も「黒部の太陽」に負けないくらい製作費がかかっただろうなと思わせる映画です。この映画を観て、私が一番思ったことは、仕事に全エネルギーをかける高倉健が格好良く見えてしまうのですが、家庭のことはまったく顧みない仕事人間ですので、今の時代だとまったく評価されないのかもしれないなということでした。なんのかんの言っても、私たち世代は仕事こそ男の生き甲斐といった価値観をかなり身に着けているので、こういう主人公が格好良く見えてしまうのですが、今の若い世代だとまったく格好いいとは思わないのかもしれません。ちなみに、主人公のモデルと言われる方は、実際にはこんな仕事をしていたら家庭は持てないと長く結婚はしなかったそうで、かなり年齢が行ってから結婚し、かつ奥さんは映画と違って夫について行き、一緒に暮らしていたそうです。
よくわからなかったのはヒロイン吉永小百合の位置づけです。昭和30年代のはじめに竜飛岬で自殺しようとしていたところを、高倉健に助けられ、そのまま下北半島に住み、高倉健に思いを寄せながら何も進展しないまま昭和50年代後半を迎え、トンネル開通とともに去っていく高倉健を見送ることになります。高倉健も好意を持っている感じですし、映画の中では妻はずっと離れたところにいるわけですから、不倫関係が成立しても不思議はないのですが、この2人が演じていると、何もなかったのだろうなと思わせます。なんだかこの吉永小百合の役柄は果たしてこの映画で必要だったのか疑問でした。
まあでも、青函トンネルの建設が如何に大変だったかは伝わってきましたし、一度青函トンネルを通る北海道新幹線に乗ってみたいなという気持ちにはなりましたので、見て損はなかったです。(2024.11.30)
1025.(映画)佐藤純彌監督『野性の証明』(1978年・角川)
この作品は、薬師丸ひろ子のデビュー作です。たぶん見てなかったと思うので見てみました。しかし、これは薬師丸ひろ子の映画ではなく、高倉健主演の莫大な製作費を使ったアクション映画です。「里見八犬伝」もそうでしたが、この時代の角川春樹は莫大な製作費を使って大規模ロケを敢行し、メディアミックスで大宣伝をして大ヒット作品を作るというのがうまく回っていました。ストーリーに緻密さはなく、むやみやたら人が殺される映画――それも殺害シーンがたくさんあります――で、あまり好きな種類の映画ではないですが、この時代の角川映画というのはこの時代を代表する映画ですので、一応チェックしておくことに意味はあるだろうと思い、最後まで頑張って見ました。
デビューの薬師丸ひろ子の演技はやはりぎこちないところもありますが、目が印象的な少女だったのでしょうね。この後、角川映画の秘蔵っ子になっていくのもまあそれなりに理解できるなと思いました。(2024.11.27)
1024.(映画)深作欣二監督『里見八犬伝』(1983年・角川)
薬師丸ひろ子主演映画をBSでやっていたので、これまで見ていなかったものをちょっと見ています。先日見た大林宣彦監督作品の「狙われた学園」というのがひどすぎる映画で、やっぱりアイドル時代の薬師丸ひろ子の映画はだめかなと思ったのですが、この「里見八犬伝」はなかなか見られました。監督の力量の差が歴然とあるなとしみじみ思いました。
この映画は薬師丸ひろ子より、千葉真一率いるJACのメンバーが活躍するアクション映画です。まだCGが使えなかった時代に、特撮とロケでここまでの映画を作るのは大変だったろうなと思いました。後で調べたら、製作費は10億円もかかったそうです。(ただし、23億円の興行収入があったので、黒字だそうです。)深作欣二は、薬師丸ひろ子にもアクション俳優並みの演技を要求したらしく、馬に乗りかなりの速度で走らせたり、山の中も駆け回り、刀も振り回しています。また、顔のアップだけですが、濡れ場も演じさせていて、薬師丸ひろ子にとってはチャレンジングな映画だったことでしょう。
先日「SHOGUN」でアカデミー賞を取った真田広之が、この映画では薬師丸ひろ子と恋仲になるハンサムなヒーロー役です。なんだかなつかしい気になりました。まあもう40年以上前の映画ですから、当然と言えば当然ですね。長渕剛と結婚してから引退してしまった志穂美悦子もなつかしかったです。(2024.11.20)
著者が軍隊生活をともにしたユニークな人物である山田正介を主人公にした小説ですが、フィクションではなくノンフィクションなのだろうなという気がします。兵隊を描いたものと言うと、戦争中の悲惨な経験を描いたものを何冊か読んだことがあり、みんなそんなものなのだろうと思っていましたが、この小説は異なります。死を覚悟しなければならないような悲惨な軍隊生活の話はわずかで、1930年頃に彼らの最初の軍隊生活は始まりますが、その頃は戦争に連れて行かれるという意識はまったくなかったそうです。そうなんだとちょっと驚きました。1930年代はもう戦争の足音が近づいていた頃で、十分緊張感が生まれていただろうと思っていたのですが、そうではなかったようです。
一度除隊した後、7年後に2人ともまた召集されるわけですが、その頃には支那事変が本格化し、著者も戦いの中で大怪我をし、除隊することになります。ただし、その後は従軍作家としてインパール戦争の取材にまで行っています。主人公の山田正介は、娑婆の生活が悲惨で、軍隊が楽しくて仕方がないという人物です。ルールをきちっと守るような人間ではなく、先頭で突撃するのも厭わない兵隊だったので、著者は、山田は必ず戦争で死ぬだろうと思っていましたが、実際には戦死せず、戦後の社会も生き延びていきます。まったく女性にモテない男だったのに、結婚してくれるという女性を見つけ、喜んでいた時期に交通事故で死んでしまったというところで、物語は終わります。
軍隊を動かした著名な将軍たちや、5‣15事件や2‣26事件を起こした青年将校でもない、名もなき兵隊の物語というのは、平時の軍隊生活と兵隊たちの意識が知れてなかなか勉強になりました。第2次世界大戦を基準に戦前・戦後の2分法で単純に考えることが多いですが、戦前――それも昭和前期――でも、戦争をそれほど意識していなかった時代があったのだということに改めて気づかされた、よい本でした。(2024.11.18)
1022.永井路子『山霧 毛利元就の妻(上)(下)』文春文庫
まだ中国地方の戦国大名になる前の毛利元就とその妻を描いた歴史小説です。女性に焦点を当てたいということで描かれた小説かと思いますが、歴史的資料としては妻に関してはあまり詳しいものがないので、夫婦の会話などはほとんどすべてが作者の創作で、その部分がやはり弱く少し残念です。ただ、毛利元就が妻が生きていた間は、妻以外の女性に子を産ませるようなことはなかったようですから、夫婦仲はよかったようです。
ストーリーは、結局50歳近くなってもまだ安芸吉田の国人小領主のままというところで終わってしまうので、この後の毛利の拡大ぶりが気になります。尼子を滅ぼしたとか、大内にとって代わった陶晴賢を厳島で破るとか一応歴史的事実として知っていますが、できたらこの流れで書いてほしかったです。この小説では尼子に押された状態で終わっています。次男の元春が継ぐ吉川家は敵方尼子氏についています。
気になったので調べてみると、まずは吉川や小早川などの内紛につけこんで、自分の息子たちをそれぞれの当主に据えることで、安芸国を実質的に支配し、その後やはり内紛が生じていた大内家や尼子家を権謀術数を駆使して倒し、中国地方の戦国大名となっていったようです。この急速な拡大は、愛妻を失くし息子の隆元に家督を譲った後、50歳を過ぎてからのことでした。戦国時代としては珍しい74歳という長寿だったわけですが、人生の後半3分の1が特に華々しい戦果をあげた時代だったということのようです。(2024.11.10)
1021.原武史『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』岩波新書
1949年から1953年まで初代宮内庁長官を務めた田島道治が昭和天皇との会話を記録した「昭和天皇拝謁記」から昭和天皇の思想や人間評価を明らかにした本ですが、非常に面白かったです。昭和天皇は主権者であった大日本帝国時代の天皇でもあり、戦後の日本国の象徴天皇にもなったわけで、一般的にはまったく違う役割になったはずですが、本人の中ではあまり変わっていなかったことが、この本を読むとよくわかります。平成時代の天皇だった今の上皇や、現在の天皇とは思考がまったく違っていたようです。むしろ、戦前の君主だった時代の意識がそのまま残っており、宮内庁長官相手に政治的発言を頻繁にしているどころか、当時の吉田茂総理にいろいろ意見を伝えており、政治に関与することに躊躇がない感じです。政治的立場としては、反共意識が非常に強いです。ソ連、中国、北朝鮮に対する警戒心が強く、独立したら、すぐにでも憲法を改正して再軍備すべきだと何度も言っていますし、アメリカ軍の基地を日本に置いておく必要性も語っています。退位のことも戦後すぐは考えたようですが、この1948年ころになると、もうその発想はなくなっていたようです。
人間関係も複雑です。母親の節子皇太后に対しては怖れに近い感情を持つくらい関係が遠く、3人の弟宮のことも評価しておらず、妻の良子皇后との関係も、今の上皇豪夫妻のような仲睦まじさではまったくなかったようです。あまり家族には恵まれていなかった人だったようです。戦前の日本の行動に関しても、全面的に間違いだったとはまったく思っていなかったようです。おおよその考えはわかっていましたが、改めてこういう発言をしていたのかと知ると、しみじみ昭和天皇の下では、象徴天皇制は確立しえなかったと思わざるをえませんでした。40歳代以上で、昭和天皇の記憶を持っている人の大部分は、やさしそうなおじいちゃんみたいな感じという印象しかないかもしれませんが、まったくそういう人ではなかったわけです。
日本人は、天皇制度のことをしっかり考えようとせず、なんとなく今のまま続くのがいいのではと思っている人が多いと思いますが、もっと天皇制度や天皇家の人々について知った方がいいとも思います。その意味で、この本もお薦めです。(2024.10.21)
白河法皇時代から後鳥羽上皇時代までの百年ほどの時代の中で、主役ではないけれど京都朝廷の中で興味深い活躍をした人物を5名取り上げ、短編小説に仕上げ、なおかつ全体として源平時代の歴史が動いていくことがわかる巧みな小説になっています。1人目は平家の繁栄の基礎を築いた清盛の父親・平忠盛、2人目は後白河法皇の寵姫として政治的発言力も持った丹後局、3人目は後白河、源義経、源頼家と次々に仕える相手を変えていった平知康、4人目は一時的に摂関家よりも力を持った源通親、5人目は後鳥羽天皇の乳母として力を持った藤原兼子、です。取り上げられた人物に関しては、名前だけ知っていたか、名前も知らなかった人たちでしたが、非常に面白かったです。この時代に関しては、子どもの時から源平物語などを読み、いろいろな人物を知っている気がしていましたが、それは武士たちを中心とした物語で、一方でそれなりに権力を持っていた京都朝廷側の人物についてはほとんど知らなかったので、知識が増えましたし、この時代を考える上では、武士たちのことだけでなく、朝廷側の動きにもしっかり目を向けないといけないなと改めて気づかされました。
ちなみに、「絵巻」というタイトルは、5編の短編の間に、当時を生きていた静賢法印という人の日記(実際にはないそうです)を挟み込み、同じ時代をまた少し違った視点から語るという構成になっているので、著者がその構成を絵巻的と考えたからだそうです。(2024.10.19)
アンパンマンの作者として有名なやなせたかしが76歳頃に出した自叙伝です。長年連れ添った妻を亡くし、自分の人生ももうそうは長くないだろうと思ってまとめられたのでしょうが、結果的にやなせたかしは94歳まで生きました。さて、この本ですが、なかなか面白いです。中年以下の方々にとっては、やなせたかしはアンパンマンの作者というだけのイメージでしょうが、アンパンマンが大人気になってくるのは1980年代以降、特にアニメ放送が始まった1988年以降のことで、その時やなせたかしはもう69歳でした。なので、この本でもアンパンマンが出てくるのは、最後の方だけです。それまで、やなせたかしという人がどういう人生を送ってきたかが興味深いです。
1919年生まれなので徴兵され戦争にも行っています。帰ってきてからは、実にいろいろな仕事をしています。デザイナー、詩人、脚本家、演出家、舞台監督、etc.目指すのは、大人向け漫画家だったそうですが、そちらの仕事では十分生計が立たず、声をかけられる仕事を次々に引き受けてやってきたそうです。その頃の仕事で、一般にも知られているのは、「手のひらを太陽に」という歌の作詞をしたことでしょうか。赤い模様に「mitsukoshi」と書かれた三越百貨店の包装紙のデザインもやなせたかしが深く関わって作ったそうです。文字の部分は、やなせたかしの字だそうです。私個人としては、確かに家にやなせたかしの絵と詩が書かれた飾り皿みたいなものがあったという記憶があります。この本にも出てきますが、そういう仕事もやっていたそうです。あと、昔時々読んでいて投稿もしたことがある『詩とメルヘン』という雑誌も、やなせたかしが作っていたということなので、その雑誌でもやなせたかしの詩や絵は見ていたのではないかと思います。
人柄がいいのか、たいして深い付き合いでない人からもいろいろ仕事を頼まれ、それらの仕事をこなすたびに、守備範囲を広げていったようです。この本の中に、数々の有名人が出てきます。そんなに自慢話っぽく書いているわけではないので、事実なんだろうと思います。愛される人柄だったのでしょう。アンパンマンも善意に満ちた物語ですし、基本的にそういう心根の方なのでしょう。アンパンマンのヒットもまったく想像していなかったそうです。もともと子供向け漫画にはあまり興味のない方だったようですので、まさかという感じだったようです。アンパンマンが大人気になってからは、スポットライトを浴びることが多くなったそうですが、その頃、やなせたかしはもう70歳を過ぎていたそうで、自分で「老新人」と自虐しています。70歳を過ぎてから、新しい扉が開いたようです。
来年の朝ドラは、やなせたかし夫妻を主人公に描くようなので、見てみたいと思いますが、「虎に翼」のように、無理に現代の価値観を入れこまずに、時代に忠実に描いてほしいものです。これだけの人生を歩んできたやなせたかしなので、そのまま事実を描いても必ず面白くなるはずです。期待したいと思います。(2024.10.12)
1018.(人形歴史スペクタクル)『平家物語』(1993〜1995年・NHK)
今週の月曜日まで、毎週20分ものの人形劇が2本ずつ再放送されていたのですが、実に見応えがありました。着物やセット、人形の動きなど、実に素晴らしかったです。たぶん、これは人間が演じるよりはるかにお金がかかったのではないでしょうか。ストーリーは吉川英治の『新・平家物語』をベースにして作られていますが、主役級の人物以外の性格や心理も丁寧に描いていて、非常に面白かったです。源平の物語は大体知っている気でいましたが、改めて吉川英治の『新・平家物語』を読んでみたいなという気になりました。(2024.10.10)
1017.永井路子『この世をば(上)(下)』新潮文庫
藤原道長の生涯を描いた小説ですが、女性作家らしく女性たちの存在が際立ちます。ただし、この時代というのは、実際に女性の存在が重要な役割を果たしていたのは事実なのだと思います。道長は3人の娘を天皇に嫁がせ、孫3人が天皇になったわけで、皇子を生む存在としては広く認識されていますが、それだけでなく自分の生んだ息子が天皇になった後も、かなり大きな影響力を持っていたようです。今放映中の大河ドラマでも、一条天皇の母であり、道長の同母姉である藤原詮子が発言力を持ち、その結果として道長が政権トップに指名されることになっていますが、この小説でもそう書かれており、これはほぼ歴史的事実なのでしょう。
また、これは作家自身の想像によるものでしょうが、この小説では、道長の妻・倫子の存在も非常に大きかったと描かれます。40歳過ぎまで6人の子を産み、平凡人・道長を支えるという役割を果たしています。藤原道長という人物は、この本のタイトルにも使われている「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることもなしと思へば」という歌で印象付けられているように、傲慢な権力者のイメージが広まっていますが、どうやらそうではなかったようです。もともと藤原兼家の三男で、やり手の長兄・道隆、策士の次兄・道兼がいたので、本来なら政権のトップにつける可能性は低かったようです。しかし、兄2人が病に倒れ、甥の伊周と出世争いを、藤原詮子の力で勝ち抜けた幸運な平凡人だったようです。永井路子は、道長の長所としては、平衡感覚の良さをたびたび指摘しています。ライバルだった伊周やその弟・隆家に対しても、何度も救いの手を差し伸べていたりするのは、そういう性格によるものなのだろうと思います。また、正妻・倫子との間に6人の子を作りますが、もう1人の妻・明子との間にも6人の子を作ります。それも片方が妊娠すると、もう1人も妊娠するといったように、こんなことでもバランスを取っていたと思わせます(笑)
飛鳥時代から奈良時代、さらには平安時代の初期までは、敵対勢力を抹殺するということが頻繁に起きていましたが、この平安中期の時代はそういう厳罰はあまり与えられなくなっていたようです。ちょっと現代の政治ドラマを見るようで、興味深かったです。今、大河ドラマ「光る君へ」を見ている人なら、この小説は非常に面白く読めると思います。(2024.10.2)
1016.(映画)堤幸彦監督『イニシエーション・ラブ』(2015年・日本)
「二度読みたくなる小説」という売り文句で、実際小説を読み終わったら読み返してみたくなった記憶のある面白い小説でしたが(209.乾くるみ『イニシエーション・ラブ』文春文庫)、確か読み終わった時に、これは活字の小説だから読者を騙せるので映像にするのは難しいだろうと思った覚えがありました。ただストーリーについては詳しく覚えていなかったので、とりあえず映像化が成功しているかどうか見てみようと思い、見てみました。
見始めても、どんな騙しのトリックだったか全然思い出せず、結局最後までそれなりに関心を持って見てしまい、最後に「ああ、そうだったか」とまたしっかり騙されてしまっていました(笑)。後から考えれば、確かにいくつも伏線は張られていて気づいていてもよかったはずですが、前田敦子のぶりっこぶりに見事に騙されました。この映画は前田敦子が主演です。見る人を巧みに騙せていた点では、見ごたえのある作品だと思いました。(2024.9.20)
1015.永井路子『王朝序曲 誰か言う「千家花ならぬはなし」とーー藤原冬嗣の生涯(上)(下)』朝日文庫
藤原京、平城京、そして平安京へというあたりを順番に読んでいるわけですが、実に面白いです。特に、この本は今までちゃんと理解できていなかった平城京から平安京へという時代の移り変わりのあたりがよくわかりました。
桓武天皇が即位するあたりから話は始まり、その後の平城天皇、嵯峨天皇あたりの時代が描かれます。一応主人公は、藤原北家の中興の祖とも言える藤原冬嗣ですが、ストーリーの中では語り部的な役割です。私の関心も、藤原冬嗣という人がどういう人物であったかというより、この時代がどういう力関係でどう動いていったかという歴史に対する興味で読み進めました。
書きたいことは山のようにありますが、とりあえず一番の発見だったのは、桓武、平城までは天皇が絶対的権力者だったのが、次の嵯峨天皇から現在の象徴天皇制にもつながる形式ができてきたということです。桓武天皇は、長岡京遷都、蝦夷征伐、早良親王の死、平安京遷都と、次々に強引なほどに政策を打ち出します。後を継いだ平城天皇は父親の桓武天皇との関係が悪く、即位後は桓武天皇の方針を次々に変更していきます。桓武が愛し指名した皇太弟・伊予親王を殺害し、その怨霊に怯え退位しますが、奈良に居を移してから、元気になり、愛妾・藤原薬子とともに平城京に都を移すように求め、それを阻止されるという事件(薬子の変)を起こします。
薬子の変を鎮静させるにあたって、藤原冬嗣が活躍するようになり、その後順調に出世していくことになります。冬嗣が薬子への対抗策として必要性から生み出したのが蔵人頭という役職で、この役職はその後摂関政治の中で重要な役職となっていくことになります。嵯峨天皇は政治に興味がない文人肌の天皇だったため、政治に天皇がほとんど口を出さないという慣例ができていったようです。ただ、嵯峨天皇は性には貪欲で次々に子をなしたために、すべての子を親王、内親王とするわけに行かず、源姓を与えて臣籍降下するということも始まったわけです。源氏はここから誕生します。
象徴的存在としての天皇がいつ誕生したのか、早良親王はなぜ死ななければならなかったのか、薬子の変とはどういう政治的事件だったのか、藤原四家の中で北家がなぜ抜け出せたのか、といったきちんとわかっていなかったことが、この小説を読むことでかなり明確に理解できました。歴史小説の魅力を十分感じさせる本でした。(2024.9.18)
1014.(映画)入江悠監督『あんのこと』(2024年・日本)
ついこの間公開されていた映画が、もうアマゾンプライムで見られてしまうのは、昔の人間にとっては不思議ですが、新聞で紹介されていた時から興味があったので、早速見てみました。実話が元になっている話だそうですが、見終わってから調べたら、2020年5月に自殺した25歳の女性のことが朝日新聞の小さな記事として出ていたのがきっかけだったそうです。映画の中で描かれる幼児を育てるところはフィクションとして作られた部分だそうですが、後は大体事実に基づいているようです。
河合優美が演じる主人公の少女は、家庭内暴力を振るう母親と歩けない祖母との暮らしの中で、小学校を途中から行かなくなり、薬物と売春という生活をしていた中で、薬物からの立ち直りを援助する刑事と出会い、徐々に生活を立て直し、目標だった介護福祉士になり、夜間中学にも通い、順調に進むかと思われていたところに、新型コロナが起こり仕事が亡くなり、さらに信頼していた刑事が性加害で逮捕されるという事態になり、相談相手も失ってしまいます。映画では、この後隣の女性から無理やり幼児を預けられ、最初は戸惑うもののだんだん愛情が湧いてきて生き甲斐になっていたところに、母親が現れ、子どもを人質に売春することを求められ、仕方なく指示に従って金を稼いで戻ってくると子どもがいなくなっており、それをきっかけに、もう生きる意味はないと自殺してしまうというストーリーになっています。
この、幼児を愛情を持って育てるという事実はなかったわけですが、この設定を入れたのは、彼女ならDVは親から子に受け継がれるということを断ち切れる人になれたのではないかということを監督は入れたかったそうです。主役の河合優美と母親役の女優さん、熱演です。きっと、この作品は日本アカデミー賞の候補作になることでしょう。(2024.9.16)
1011で紹介した永井路子の『美貌の女帝』以来、奈良前期に興味が湧き、この本を読みました。この小説は長屋王の変から始まり、やはり蘇我系女帝vs藤原一族という構図で話が進みます。永井路子の『美貌の女帝』と見方は同じですが、仏教や和歌について、杉本苑子はかなり詳しく紹介もしています。私は仏教思想にはあまり興味がないので、歴史的事実の部分がどのように描かれているかに興味を持ちながら読みました。聖武天皇が平城京を捨て東海から恭仁京、紫香楽京、難波京と転々としたのは、長尾王の祟りとも思えるような藤原四兄弟の天然痘による病死、藤原広嗣の乱などで、平城京は呪われていると思い恐れたため、さらには大仏や国分寺造りも、そうした恐怖から逃れるためだったというのはおおいに納得しました。また、この時代、奴婢がたくさんいてひどい扱いをされていたことも、杉本苑子はかなり詳しく書いていて、そうかあ、日本にも奴隷制度があったんだなと改めて考えさせられました。
この本と先の永井路子の『美貌の女帝』で、飛鳥から奈良にかけての時代というのは、絶対君主的存在だった天皇を中心とした権力闘争のすさまじい歴史だったんだということを強く意識させられました。この辺の時代が、大河ドラマとかでほとんど扱われないのは、扱ったら、天皇家や藤原氏の権力闘争のためにすさまじい戦いをしていたことを描かざるをえなくなるために扱えないのでしょうね。かつて、「大仏開眼」というNHKドラマがほぼこの時代を描いていましたが、ここまでドロドロした歴史は描き切れていなかったです。
この物語では後半の方で、わがまま勝手な内親王として出てくる、聖武天皇の後を継いだ阿部内親王(後の孝謙天皇)のことももっと知りたくなってきました。内親王から孝謙天皇だった時代は、従兄の藤原仲麻呂と愛人関係にあり、称徳天皇として復帰してからは、今度は道鏡と愛人関係になるわけですが、悪しき天皇の代表格のようです。その母親の光明皇后も、教科書とかでは施薬院とかで病人の看病をした立派な人という風に習いますが、この小説を読むとまったく違うイメージになります。聖武天皇にはてっきり男子後継者はいなかったのだと思い込んでいましたが、17歳まで成長した安積親王という男子がいたのですが、彼は、藤原仲麻呂に毒殺されたという事実があるのだということもこの小説で知りました。奈良時代の権力闘争をもっともっと調べたくなってきています。(2024.9.13)
1012.(映画)成瀬巳喜男監督『乱れる』(1964年・東宝)
成瀬巳喜男は、昭和20年代、30年代にその時代の現代劇を撮っているので、当時の街や人々の雰囲気がしっかり伝わってくるので、好きな監督です。最近の映画やドラマでその時代が描かれると、いつも不正確にしか描けないので、そのあたりの時代の本当の雰囲気を味わいたければ、成瀬作品を見るのがお薦めです。あと、成瀬作品がいいのは、女優さんが綺麗なことです。原節子とか高峰秀子という品の良い綺麗な女優さんがいつも主役で、目の保養になります。
で、この作品も高峰秀子が主役なのですが、物語自体もなかなかしっかりしています。脚本は松山善三なので、よくできています。主人公の高峰秀子は戦時中に18歳で嫁にきて半年で夫が戦死しますが、そのまま夫の実家に残り、戦後バラックから始め、それなりに立派な酒屋店にまで立て直します。家には義母(三益愛子)と義弟(加山雄三)がいます。ちょうどこの時期はスーパーマーケットが登場した頃で、スーパーの勢いで小売店が苦境に陥っているという場面も描かれます。嫁に行って家を出た義妹が2人(草笛光子と白川由美)いますが、特に上の義妹(草笛光子)が、小売店を畳んでスーパーマーケットにするという話を持ってきます。跡取りの義弟も乗り気にはなりますが、義姉である高峰秀子の処遇が気になります。その思いの背景には、11歳も年上の義姉を愛しているという気持ちがあります。
義弟である加山雄三に告白されてから高峰秀子の気持ちが乱れます。絶対にその愛情を受け入れてはいけないと考え、実家に帰るという選択をします。清水から山形まで帰るのですが、そこに加山雄三が現れ、実家まで送っていくと、長旅を二人で続けます。もうじき実家の最寄り駅に着くという頃に、高峰秀子が「次の駅で降りよう」と言い、2人は銀山温泉に宿泊することになります。そして、その晩二人は、、、、こんな書き方をしたら多くの人が想定することは一つだと思いますが、私は品の良い女優さんである高峰秀子に、そういうシーンはないだろうなあと思ってました。しかし、まったく想像していなかったような、まさか、まさかの結末でした。まあ誰も見ないとは思いますが、結末は書かずにおきます(笑)
とりあえず、個人的には見て損のない映画でした。女優さんは綺麗だし――浜美枝も出てました――、恋愛心理の微妙さもよく描けていて、しっかりはまって観ることができました。(2024.9.5)
第44代の天皇である元正天皇を主人公にした歴史小説です。元正天皇というのは持統天皇の孫娘で、独身のまま初めて天皇になった女性ですが、公式の記録では情報は非常に少ないようです。本書で、著者は第41代持統天皇の晩年から描きはじめ、元正天皇の弟である第42代文武天皇、その母の第43代元明天皇を経て、天皇の座につき、その後文武天皇の息子である第45代聖武天皇までの時代を描いています。元正天皇自身は、氷高皇女と呼ばれた娘時代から聖武天皇時代に太上天皇として生きた時代までということになります。この時代のことを詳しくわかっていなかったですが、非常に興味深い時代です。飛鳥浄御原から藤原京へ、さらに平城京へ、そして聖武天皇になってからは、恭仁京や紫香楽や難波京と、天皇の所在地が点々としますが、そうした都の移転がなぜ生じたかをこの著者なりに推測しているわけですが、なるほどそういう経緯だったのかもしれないなと思わせてくれます。
全編を通じて、持統、元明、元正という蘇我系の女性たちと藤原一族との対決という視点が貫かれています。この小説を通して、藤原不比等の登場、その息子たち四兄弟の台頭と感染症による急死、藤原氏と対立した長屋王一家の死、など、年表内の歴史的出来事としてのみ知っていたことが立体的に伝わってきて面白かったです。大伴旅人が太宰府に赴任し、戻ってきた時には妻を亡くしていたというのは、鞆の浦で詠んだ歌でよく知っていたのですが、そうか、その話もこの時代のことだったのかと初めてちゃんと理解できました。
あともっと調べてみないといけないなと思ったのは、第33代の推古天皇から第48代の称徳天皇までの16代の天皇うち、女性天皇が6人8代もいるということです。なんとなく女性天皇はつなぎの役割というイメージでしたが、実際には、この時代は母后や皇后も含めて女性の立場が思った以上に強かったのではないかという気がしてきました。ちょうどこの時期に、『古事記』や『日本書記』もできあがるわけですが、アマテラスが女性神とされたのは、持統天皇をイメージしたのだろうと考えていましたが、実際には元明天皇や元正天皇の時代に完成しているので、持統天皇個人だけでなく、こうした女帝時代だったからなのかもしれないなと思い始めています。(2024.8.28)
1010.(映画)チェリン・グラック監督『杉原千畝 スギハラチウネ』(2015年・日本)
杉原千畝に関しては、ユダヤ人にビザをたくさん発行して、ユダヤ人をナチスの手から救った人というだけの知識で、どういう人物かよく知らなかったので、この映画がTVで放映されていたので、知識を得たくて見てみました。映画なので、多少フィクションの部分もあるのだと思いますが、おおよそのところはわかりました。杉原千畝は、第2次世界大戦が始まる前から、ロシア関係を中心に情報集めをしていた外交官でした。リトアニアにいた時にドイツとソ連に分割されてしまったポーランドから逃げてきたユダヤ人のために、外務省の許可なく、日本に入国できるビザを多数発行し、ユダヤ人を救ったという経緯でした。ユダヤ人にビザを発行したことしか知らなかったので、その前後にどのような活動をしていたのかについての情報も多少得られました。
第2次世界大戦後はわずかしか描かれていませんが、違法にビザを発行したということで、杉原は外務省には居られなくなり、外務省では存在していたことすら無視をしていたようです。しかし、その後、リトアニアやイスラエルで杉原千畝を顕彰する動きが出てくる中で、日本でもようやく2000年になって、杉原の名誉が回復されたそうです。杉原本人は1986年まで生きていたそうですが、その頃まではまだ杉原千畝が日本のメディアで取り上げられることはほとんどなかったのではないかと思います。
今、イスラエルとハマスの争いで、イスラエルがやり過ぎではないかという声も大きくなってきている時代なので、今だったら作りにくい映画だろうなと思いました。でもきっと、イスラエルでは杉原千畝は、もっとも有名な日本人なのではないでしょうか。(2024.8.26)
ものすごくつまらない本でした。研究室の書棚の片隅で見つけ、表紙写真に、梅ヶ谷、常陸山、太刀山の3横綱が映っている写真があったので、もしかして相撲関連の面白い本かもしれないと思い、読み始めたのですが、あまりのくだらなさに一刻でも早く放り出したくなりました。軽い、軽すぎる文体で、調べもいい加減、そもそも明治の写真はほんのわずかしかなく、イラストや挿絵の紹介ばかり、相撲関連は表紙の写真以外に、力士が野球をやっていたという写真だけ。なんで、こんな本が単行本として出せたのだろうと首を傾げるばかりでした。内容はほぼ紹介に値しないレベルの本ですが、間違えてまた読んでしまわないように、記録として書いておきます。
ちなみに、著者は「はちゃめちゃSF小説」などを得意としていた作家だそうです。全く知りませんでしたが、確かにある時期の雑誌には、こんな軽佻浮薄な感じの文章が流行っていた時代もあったなと、ちょっと思い出しました。(2024.8.21)
1008.(映画)新藤兼人監督『墨東奇譚』(1992年・日本)
永井荷風の「断腸亭日記」を原作として、50歳代以降の永井荷風の女性との関係、特に娼婦ユキとの恋を描いた作品ですが、なかなかよい作品に仕上がっていました。永井荷風の作品はまったく読んだことがないのですが、ちょっと読んでみたいなと思えました。
映画の方ですが、やはりヒロインのユキ役を演じた墨田ユキ(この映画に出て、物語の舞台となった場所と役柄からこの名に変えたそうです)が魅力的でした。最初は、セリフが棒読みだと感じたのですが、それが段々と娼婦なのに素人っぽい雰囲気として受け取れるようになり、可愛い女に見えてきました。まあ、この辺は見る人間が男性か女性で評価が分かれるかもしれませんが。
主役の永井荷風を演じた津川雅彦と、娼婦宿のおかみを演じた乙羽信子も非常に良い味を出しています。津川雅彦は性に貪欲な部分と人間として様々に悩む部分を持った永井荷風という人物をうまく表現していました。戦後のよぼよぼになってからの荷風の演じ方も秀逸でした。彼の演じ方が上手かったので、永井荷風についてもっと知りたくなりました。乙羽信子も人情味のあるおかみを魅力的に演じていました。乙羽信子は監督の新藤兼人と長い不倫関係の後、妻になったという女優さんですが、進藤作品にはほとんど出ているようです。この映画の前に『愛妻物語』(1951年公開)という新藤兼人の初監督作品を見たのですが、そこでは若くして死んでしまう可愛い新妻役で、ここで新藤兼人とは恋仲になり、そこからずっと関係が続いたそうです。乙羽信子は1994年に亡くなってしまいますので、この作品ももう最晩年の作品です。「午後の遺言状」という作品が遺作のようなので、いずれそれも見てみたいと思います。
見る価値のある映画でしたが、しいてクレームをつけるなら、時代と物語の展開が少し合っていない気がしました。たぶん、乙羽信子のような人物は「断腸亭日記」には出てこず、新藤兼人がこの映画のために作り出した人物ではないかと思いますが、彼女とその息子の話などが時代と合っていないところが多々見受けられました。息子が大学4年生だと紹介されますが、この時代は大学は4年までのはずですし、繰り上げ卒業で出征させられるという話の後に学徒出陣の場面になるし、最後は特攻で死んだような紹介になりますが、一体息子は何年に出征して何年に死んだのか、細かいところを詰めていないのではないかと思います。また、おかみもユキも3月10日の東京大空襲で死ぬのかなと思ったら、戦後も生きていて、米兵相手にまだ商売をしているところとかは、ちょっと安易に感じました。私が監督なら、東京大空襲で亡くなったという設定にします。もう病気を患っていただろう乙羽信子が死ぬという設定に新藤兼人はしたくなかったのかもしれません。ただ、途中で息子が死んだら生きている甲斐もないと言っていた母親が、戦後けばけばしい雰囲気で生きているのは、ちょっと受け入れがたい感じでした。たぶん、この作品の魅力的な部分は、永井荷風自身が実際書き残した事実についての部分で、新藤兼人がオリジナルに付け加えたであろう脚本部分は浅いのだろうなと推測しています。(2024.8.20)
1007.フランソワーズ・ジルー(幸田礼雅訳)『イェニー・マルクス 「悪魔」を愛した女』新評論
カール・マルクスの妻であるイェニー・マルクスについて書かれた伝記本ですが、マルクスの私生活が述べられた本として読むことができます。マルクスについては、その思想や影響力についてはいろいろ学んできましたが、私生活には今まであまり興味を持っていませんでした。たまたま研究室を片付けていたら、この本が出てきて、昔読んだ覚えもなかったので、今回読んでみたのですが、なかなか面白かったです。
マルクスの妻であるイェニーは4歳上の幼馴染で貴族の美しい娘でした。そんなことも全然知りませんでした。マルクスの思想や運動には全面的に協力をしていますが、彼ら自身、その育ちからそれなりの上流の生活を求めますが、現実には収入は入らず借金と貧困に苦しみます。時々遺産が手に入ったりということはおきますが、それで生活が安定することもなく、また経済的苦境に陥ります。そういう状態でもなんとか暮らしていけたのは、エンゲルスがお金を渡していたからです。思想史的に、マルクス、エンゲルスと並べて語りますが、この本を読んでいると、エンゲルスはマルクスのスポンサーに近い存在だったように思われます。しかし、2人の仲は非常に良かったようで、その関係性の近さからイェニーはエンゲルスを嫌っていたそうです。
書名にも表れているように、著者にマルクスを崇拝する気がまったくないので、マルクスのだらしないところ、よくないところがたくさん描かれます。自分自身がユダヤ人なのに、ユダヤ人に対する侮蔑的な言動をしたり、ライバルたちを口汚く罵ったり、そして妻のイェニーの負担を一切考慮せずに、次々と妊娠させてしまいます。イェニーは11年間で6人も子供を産みます。ほぼ始終妊娠出産をしているような状態です。生活も苦しかったこともあり、そのうち3人は早く亡くしてしまい、マルクスの子供は娘3人だけが成長します。さらに、この本によれば、マルクスはイェニーが留守の際に、家政婦にも手を出し、妊娠させ、子を作っています。ちなみに、それでもイェニーがマルクスを嫌いになったというようなエピソードは描かれず、死ぬまで2人の間に愛はあったようです。
19世紀の男なんて、どんなに名声高い知識人であろうとも、今の価値観に照らしてみたら、ひどい人間になってしまうのは多少仕方がないのかもしれませんが、男にとって「幸せな」時代だったなと改めて思いました。したい仕事をして、欲望のままに妻を抱き、後の時代に素晴らしい仕事を残したと言われる、そんな代表格がカール・マルクスという男だったわけです。この本を読んで、私の中でもともと高くなかったマルクスの評価は一段と低下しました。むしろ、エンゲルスがバランスが取れていて高評価に値する人物に思えてきました。(2024.8.13)
1006.藪本勝治『吾妻鏡――鎌倉幕府「正史」の虚実――』中公新書
鎌倉幕府の成立から元寇の前あたりまでの歴史の原本となっている「吾妻鏡」の内容を検討している本です。終章に著者自身が指摘していますが、歴史は記録されるにあたっては、常にある立場からの記録になり、違う立場からの記録ならまた違ったものになるというものです。「吾妻鏡」の場合は、源頼朝の鎌倉幕府設立の正当性と、それを北条得宗家が引き継ぐ正当性を語る歴史書になっており、その観点から読み直してみるなら、現実にはなかったであろうことが書かれていたり、本来もっと大きく扱われるべきだったことがさらりと書かれていたり、欠落していたりという所が多数見られるようです。
源平の闘いから鎌倉幕府の成立あたりまでは、子どもの頃から関心があったのですが、幕府成立後のことは割と最近まで強い関心は持っていませんでした。一昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が面白く、かつ鎌倉幕府成立期の御家人たちのイメージがしっかり伝わってきたので、こういう本も興味を持って読めるようになりました。改めて、あのドラマ、吾妻鏡を含め、最新の解釈なども踏まえながらよくできたドラマだったなと評価し直しました。
この著者はてっきり大学勤めの歴史学者だろうと思いながら読んでいたのですが、最後に中高で国語を教えていると書いていたので、「えっ、すごいなあ」と思って、著者略歴を見たら、灘中高の国語の先生でした。なるほど、超一流校では、こんな教員が国語の授業を教えているんだと感心しました。(2024.8.8)
荒木村重の謀反とその翻意説得のために出向き、有岡城に捕らわれの身となった黒田官兵衛の有名な歴史上の事件を背景として、籠城中の有岡城で様々な事件が起きたことにして、それを黒田官兵衛の頭脳を借りながら、荒木村重が解いていくというミステリー仕立ての歴史小説です。はじめのうちは、なんか無理矢理ミステリー仕立てにするために、奇妙な事件を作りすぎていてなんだかなあと思っていましたが、徐々にそうした出来事も含めて、籠城する家臣たちの仲違いや主君・荒木村重からの気持ちの離反などがうまく描かれており、確かにいくつも賞を受賞するだけのことはあるなと思わされました。
城内の出来事は著者のフィクションでしょうが、有岡城をめぐる状況は史実に沿っています。荒木村重は1人尼崎城に抜け出すのですが、なんで抜け出したのかということがあまり深く描かれたものはなかったので、なるほどこういう心理から抜け出したという解釈はありかもしれないと思わされました。ただし、毛利の助けを求めるために抜け出したということなら、その後どうしたのかまで書いてほしかったと思います。抜け出して尼崎城に行ったというところで終わるのはちょっと物足りなかったです。
でも、この小説はこのあたりの歴史に詳しくない人の方が面白く読めるのだろうと思います。史実を知っている人間としては、著者が最後に持ってきた場面などはまったく感動しないのですが、史実を知らない人なら、そうだったんだと感動するのかもしれません。この著者の本は、現代ドラマとして描かれたミステリーを読んだことがあり、力のある作家だと思いましたし、この作品も悪くはないですが、無理に歴史を題材にしなくてもいいのではという印象を持ちました。(2024.7.29)
1004.片桐悠自『アルド・ロッシ 記憶の幾何学』鹿島出版会
アルド・ロッシは、1931年に生まれ1997年に亡くなったイタリアの建築家です。建築界のノーベル賞とも言われるプリッカー賞を1990年に受賞していますし、日本にもいくつか彼の設計した建物があるのですが、日本では一般にはほとんど知られていません。立方体を中心としたシンプルな幾何学的な建造物を意図的に造ってきたゆえに、建物として注目されにくいのが原因だと思います。
本書はそのアルド・ロッシの建築理論、思想を、時代背景や彼自身が歩んできた人生から丁寧に明らかにした本です。専門ではないので知識が不足しており、完全には理解できないところも多いのですが、目配りの行き届いた骨太の研究書になっていると思います。ロッシについて今後研究する人は、必ず参考にすべき基本文献となるでしょう。
この本を読みながら、建築家というのは芸術家なんだということを改めて感じました。もちろん、もっと合理的に建築設計などを考えることもできるのでしょうし、そうしている人たちもたくさんいるのでしょうが、一方で思想の反映として建築を考える人もおり、ロッシはそういう建築家の代表格だったと言えるでしょう。それゆえ、この本も、芸術家アルド・ロッシについて語る芸術思想の本になっています。建築に限らず、20世紀の思想に詳しくないと少し難しく感じるかもしれませんが、興味があったら、手に取ってみてください。(2024.7.28)
軽いタイトル、軽い表紙の短編集で、どうせある程度ある程度知られたエピソードが書かれている程度の本だろうと思って読み始めたのですが、意外に知らない人物やエピソードばかりで、「へえー、こんな大名や武士もいたのか」とちょっと新鮮さがありました。一番最後の短編で紹介されていた水野忠央もまったく存在知りませんでしたが、35000石も持つ紀州藩の江戸詰め家老で、自分の姉妹3人も大奥に送り込み、井伊直弼と手を組んで第14代将軍・家茂を実現させただけでなく、西洋式蒸気汽船を日本で初めて造ったり、ミニエー銃を導入したりと先見の明にも優れた人物だったようです。慶応元年に52歳で死んでしまっていますが、生きていたらさらに面白いことをなしたのではと思える人物です。幕末に関しては小説、映画、ドラマといろいろ読み見てきましたが、この人物についてはまったく知りませんでした。まだまだ知らない興味深い人物がいるんだなと勉強になりました。(2024.7.12)
昭和が終わった段階で、昭和の有名人60人について家族が語るという企画で作られた本です。数頁ずつで語られているので、それほど深みはないのですが、軽く「へえー、そういう人だったんだ」と思った個所は何か所かありました。一番驚いたのは、プロ野球の監督だった三原修が子どもたちに大学や高校に行ったら「社会学を学びなさい」と言っていたという部分でした。この文章を書いた(あるいは喋った)娘さんの解釈では、「社会勉強をしなさい」という意味だということですが、そうだとしても社会学をこんなところで推奨してくれてたんだとちょっと嬉しくなりました(笑)他には、金田一京助の妻や子どもたちが、ひたすら金田一に甘えてくる石川啄木を嫌っていたことや、ヤミ米を食べずに餓死した山口判事が病床ではヤミ米も食べていたという息子さんの話とかも興味深かったです。
あと読み終わって、やはり昭和世代の男たちは働き過ぎだし、それを妻が支えていたというパターンばかりで、改めてそういう時代だったなということも思わされました。家庭では何もしなかった、あるいはわがままだったという男性が多く、そういう生き方でも世に残る仕事を残しさえすれば、立派な人だったと言ってもらえる男たちにとっていい時代だったなと改めて思いました。(2024.7.1)
1001. カタログハウス編『大正時代の身の上相談』ちくま文庫
999で紹介した『裁かれる大正の女たち <風俗潰乱>という名の弾圧』の流れで、この本も読んでみました。『読売新聞』に大正時代に掲載された「身の上相談」とそれに対する記者の回答をピックアップして掲載した本です。同じ大正時代を扱った本なので、基本的な印象は『裁かれる大正の女たち』と似たようなものですが、少し違うのは、こちらは男性からの相談も載っていて、男性も結構生きづらそうだなという印象を持ちました。ほぼ相談者は若い人が多いので、若い人の悩みということですが、結婚などは男性も自分で自由にできたわけではなく、親の言うことを聞かなければならず、本当に望んだ人と結婚できていないというケースも多々あったようです。この本は悩んでいる人ばかりが登場するわけですから、悩んでいない人もたくさんいたのかもしれません。しかし、基本的には制約が多い社会だったんだろうなとは思います。それでも、この後やってくる昭和戦争期に比べたら、こういう悩みを持てただけ良い時代だったとも言えるのかもしれません。(2024.6.23)