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「レティシア」(映画エッセー集)


「『天井桟敷の人々』考」

〜1944年 フランス マルセル・カルネ監督〜



「いい教材が沢山あり、今のフランス語学習者はとても恵まれている。」まだ、カセットテープのなかった時代にフランス語を学び始められた先輩諸氏の、このような羨望の声をよく耳にいたします。と同時に、「私は、学生時代、フランス映画を見てフランス語を学びました」といった体験談にもよく接します。

 

語学テープに語学講座をよりどりみどりの時代にフランス語を学ぶ釈たちですが、こと「フランス映画」という生きた教材に関しては、午して恵まれているとは言えません。フランス映画がかっての活力を失い、新作が上映されるのも我が街大阪では年に数本どまりで、ましてや、往年の銘策はアリアンス・フランセーズをはじめとするサーク・によって細々と上映されているのが実情です。

 

「天井桟敷の人々」をはじめて見たのも、神戸のある自主上映会でのことでした。この作品のタイトル「天井桟敷の人々」('Les Enfants du Paradis')とは、作中、見事に再現された1830年代のパリタンプル大通り、通称「犯罪大通り」の劇場街における、俳優と観客をい見しています。とくに「天井桟敷」と呼ばれる、最も祖末で舞台から遠く離れた席で、ひしめき合いながらも歓声を送る大衆と、その大衆と心を通わすことに生きがいを感じる俳優との交流が、この作品の主題のひとつになっています。

 

メロドラマの名優となったフレデリックはこういいます。

 

-C'est justement cela qui est beau,qui est è tourdissant:sentir,entendre son coeur et celle du public battre en meme temps!

 

(「自分の心と観客の心のときめきを同時に感じ、耳にすること、これが、まさしく美しく、酔わせてくれるのだよ。」)

 

また、パントマイム役者バチストは言います。

 

-Oui,ils comprennent tout. Pourtant,ce sont de pauvres gens,mais moi,je suis comme eux. Je les aime,je les connais.Leur vie est toute petite,mais ils ont de grands rves.

(「天井桟敷の彼らはすべてを理解してくれる。貧しい人々だけれども、しかし、僕だって彼らと同じなんだ。僕は彼らが大好きだし、彼らのことをよく知ってるんだ。生活はとてもささやかだけど、彼らは大きな夢を持ってるんだ。」)

 

フレデリックは、メロドラマ「アレンの宿屋」を好き勝手に演じ、舞台をだいなしにしながらも、そこから、独自の主人公ロベール・マールを演じ、大喝采を博します。一方、バチストは身ぶりだけで、人を笑わせ、泣かせ、感動させようと努力します。犯罪大通りのこんな創造性に富んだ環境において、主役はあくまで大衆なのです。バチストが言うように、生活はささやかだが、彼らは大きな夢を胸に秘めています。脚本と台詞を書いた大衆詩人ジャック・プレベールの魂が乗り移ったかのように、登場人物はみんな生き生きしています。特に、「私は私(Je suis comme je suis) 」と歌う美女ギャランスは、大衆の自由の象徴のような存在です。

 

このように、自由を満喫し、のびのびと生きる犯罪大通りの人々の姿は、この作品の製作が開始された1943年頃、すなわちナチス占領下のフランスにおいて自由を奪われていた人々の姿とはっきり対照されています。ラストシーン、カルナバルの大群衆の中で、バチストは身動きがとれなくなり、愛するギャランスから引き離されます。この作品は、熱く自由を唱い上げることによって、逆にまた、ラストシーンのバチストの表情に象徴されるような、自由を奪われた人間の苦悩を捕き彫りにしています。

 

パントマイムにかけるバチスト、オセロにかけるフレデリックのように、この作品中演劇に情熱を傾ける人々は、マルセル・カルネ監督・映画に情熱をかけた人々の分身といえましょう。犯罪大通りの時代から丁度40年が経過した今なお、映画「天井桟敷の人々」は、豪華キャストによる登場人物たちを仲介として、そのような情熱を私たちに伝えてくれます。

 

(「アリアンスフランセーズ大阪」 No.2 1986年より)