「親ばかフランス紀行'94」
 (8)  − チュイルリ公園から閉め出しを食う。 −  


 Y氏の車でJacob通りのHotel du Danubeまで送ってもらい、「もうもうの公園」で息子が一緒に遊んだ3歳のJ君と別れる。

 さて、次はフランス人の友人、R夫妻との待ち合わせだ。

   約束の時刻の6時にロビ−に降りて行く。
   2人を待っている間、Hotel du Danubeのレセプションの青年と話す。 この好青年は、とても上手に日本語を話す。 週2回、日本人の先生から、3対1で、90分のレッスンを受け始めて1年になるという。 1年で、かなり自然なアクセントで話すのには、感心した。
 ちなみに、息子は、このホテルに滞在中、この青年のことが気に入って、レセプションの前を通る度に、レセプションの仕切りの板の下から中にもぐり込んでは、彼に愛嬌をふりまいていた。

 R夫妻より電話。 パリ市内の地理に不案内で遅れるという。 R夫妻はパリ郊外のRoissy-en-Brie在住だ。Jacob通りもわかりにくいということで、カフェ・ドウ・マゴの前、つまりサンジェルマン・デ・プレ教会の前に待ち合わせ場所を変更する。

 2人が来るまでにはまだ間があったので、Buci通りの界隈で、食べるものを調達する。

   R夫妻と5年ぶりの再会。 最初、18:00の待ち合わせであったが、結局19:30を回ってしまった。  ちょっとおかしな時間だけれど、買い出しもしてしまったことだし、いざ、ピクニックに出発!!  カル−ゼル橋を渡り、ル−ブルのピラミッド広場を横目に、チュイルリ公園へ。

 緑色の椅子を寄せて、その上に食べ物を並べ、ざっくばらんにスタ−ト。
   話に花が咲いた。 R夫妻は共に日本に強い関心を持っている。 話題になったのは、やはり、「オタク」のドキュメンタリ−のことだ。私は、このとき初めて、このドキュメンタリ−番組が話題を呼んだことを知った。
 Monsieur Rは言う。「日本人と言えば、みんなとにかく真面目に仕事ばかりしてるのかと思ったら、あんなことに熱中している人たちもいるんだねえ。認識を新たにしたよ。」 
  

   R夫妻には、3歳のお嬢さん、コリ−ヌちゃんがいる。」

 今回の旅行のことを息子に最初に話したとき、息子は乗り気ではなかった。 「いやだよ。 そんなとこ行きたくないよ−だ。」
 そこで、私は、R夫妻との手紙のやりとりの中で、送ってもらっていたコリ−ヌちゃんの写真を息子に見せた。
 「ほら、これが、コリ−ヌちゃんだよ。 フランスに行ったら、コリ−ヌちゃんに会えるよ。 コリ−ヌちゃんもまだ指吸いしてるなあ。 同じやなあ。」 
 すると、息子は、写真を手に取って、「コリ−ヌちゃんかあ...」そして、ひとこと。 「うん、コリ−ヌちゃんに会いに行くう。」
 それから、出発の日まで、息子は、何やらわけのわからない象形文字で、コリ−ヌちゃん宛に手紙をせっせと書いては、私を連れて駅のポストに投函しに通い始めた。

 夜寝るときは、「早くコリ−ヌちゃんに会いたいなあ」とつぶやいていた。

      さて、パリに滞在中に、パリ郊外に住むR夫妻に会えば、そのときにコリ−ヌちゃんに会えるだろうと思っていたのだが、期待が外れた。 Madame Rが、最近仕事を始めた関係で、託児施設が見つかるまでの間、コリ−ヌちゃんは、田舎に預けられることにてなっていたのだ。  Madame Rの両親が住むその田舎とは、フランス西部ニオ−ルのそばのアルセ村だ。
 コリ−ヌちゃんに会うこと。 それが、息子にとっては、この旅行の目的でもあるわけで、是非、実現してやりたい。 そこで、明日からの、ロワ−ル川のアゼ・ル・リド村での3泊4日の滞在中の一日を使って、アルセ村を訪れることに決めた。

 木陰での会食、歓談に花が咲いている真っ盛りのときに、先刻より、公園のあちらこちらで聞こえていたピピピピピーというホイッスルの音が、突然、近くで響いた。
  

 ピピピピピ−。

 胸にオレンジ色のチョッキをつけたガ−ドマン・スタイルの女性が、怖い顔をして、こちらに向かって笛を吹いている。
   時刻は9時を回っている。 なるほど、9時でチュイルリ公園は閉鎖するから、出ていきなさいというわけか。
   Monsieur Rは、こういう公園は、夜、ある特定の趣味を持った人達の密会の場所と化していたので、そういうのを防ぐために厳しく追い出しをやっているのだろうと推測していた。

 チュイルリ公園から閉め出しを食った私達は、仕方なくピクニックの続きをピラミッド広場で行ったのであった。

        Katsuyuki Kamei


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