「親ばかフランス紀行'94」
(1)  − 「写るんです」と花のポンヌフ −


 西暦1994年6月21日(火)。
 マドリッドから、エ−ルフランス1117機に乗り、14:00過ぎ、パリ・シャルル・ド・ゴ−ル空港到着。
 パリ市内に入るべくタクシ−乗り場へ向かう。
 今回の旅は、4歳1カ月の子供連れ ということで、子供の体調維持が旅の遂行上の絶対必要条件。したがって、他にいろいろ値段的に安い交通手段があるにせよ、子供を最も疲れさせない交通手段であるタクシ−の利用を主とし、その料金・費用をけちらない方針とした。
 さて、タクシ−乗り場へ行くと、いきなり喧嘩に遭遇。タクシ−乗り場の真ん前に人を出迎えるために車を停車したおじさんがいて、その人に対して、一番前のタクシ−の若いアジア系の運転手が怒鳴っていた。そして、怒鳴られたおじさんも、「ちょっとぐらいええやろ。がたがた言な。」てな感じで、やり返していた。
 さあいよいよパリだというときに、この大声の口論に、親子で唾を飲み込んで、呆然と立ち尽くした。若い運転手氏は、迷惑停車のおじさんが去った後も頭から湯気を出していた。その時、タクシ−乗り場にいたのは、われわれだけであったので、当然その若い運転手氏のタクシ−に乗らねばならなかった。こわいなあ−と思いつつ、待ってないふりをしていると、後ろから来た一人の紳士が颯爽と、そのタクシ−に乗り込んだ。かくして、眼鏡をかけた細身の運転手氏のタクシ−に、われわれはおさまった。
 頭から湯気は出ていないけれど、この運転手氏のタクシ−のフロントガラスは下から4分の1位のところに、真横のひび割れが入っていた。
 いよいよパリ。しかしパリ市内は渋滞。親は、渋滞であるがゆえにゆっくりと眺めることのできるパリの街に見入っていたが、子供は退屈。凱旋門が見えてきた。

 親「ほら凱旋門だよ。」
 子「え、どれ? あれ。 ガイセンモンてな−に?」
 親「ほら、ウルトラセブンで、ゴ−ス星人が爆発させちゃったやつだよ。」
 子「ガッツ星人、なんでガイセンモンつぶしちゃうの?」
 親「ゴ−ス星人は悪−い宇宙人だからだよ。」
 子「ふ−ん。 そうか。」

 ちなみに、息子を混乱させてはいけないので、「怪獣総進撃」でキラアク星人に操られたゴロサウルスが地下から出てくる場所だよなどとは説明しなかった。


 さて、それでも続く渋滞。そこで、息子を退屈から救おうと、取り出したのが、一台の「写るんです」。息子にとって「写るんです」のシャッタ−を押すことは、半年来の趣味。こうして、タクシ−の車内から息子が撮影したパリの街並の写真が4枚、現在アルバムに納まっている。その内一枚は、フロントグラスのひび割れが輝いている。
 タクシ−の助手席の背中には、次のようなシ−ルが貼ってある。

SI VOUS AVEZ
UN ITINERAIRE PREFERE
INDIQUEZ-LE AU CHAUFFEUR


 飛行機の中で読んだLIBERATION誌に、6月21日、KENZO が1万鉢以上の花で、ポンヌフを飾っているという記事があったので、上にあるお言葉に甘えて、「ポンヌフ経由でお願いします」などと運転手に告げようかと思ったが、この渋滞では、さすがにそれを躊躇せざるを得なかった。
 そうこうしているうちに、Jacob 通り58番地のHOTEL DU DANUBE に到着した。子供連れということで、ホテルは日本から電話とFAX できちんと予約しておいた。
 ポンヌフまで、歩いて10分程なので、早速、散歩に出かけることにした。排気ガスで空気が悪い。これが、一歩外に出た初印象。まず芸術橋へ。花で飾られたポンヌフの芸術橋から眺めは、とても素晴らしく、写真を撮る人が多い。そんな中に、「写るんです」を構えた身長98cmの小さなカメラマン一名。
 そして、花花花のポンヌフへ。近くで見ると本当に美しい赤、黄、ピンクの花。そして緑の葉。
 ごった返すポンヌフの橋の上。行き交う人々の歩みをしばし止めてしまったのが、美しい花の前にしゃがんだ母親を撮影しようと「写るんです」を構えた小さなカメラマン。小さな子供が母親の写真を撮ろうといているという構図は、人々の微笑を誘っていた。
 シテ島の先端部分が公園になっていて、ポンヌフから降りていける。芝生の上で赤ちゃんを遊ばせている女性がいた。息子は、写真撮影に飽きると、この赤ちゃんにちょっかいを出し始めた。何かの記念の石が置いてあって、その後ろに隠れたり、顔を出したりして、その赤ちゃんを喜ばせている。花のポンヌフの光景に気分がハイになっているようだ。

 この日はFete de la Musiqueで、パリのいたるところで、演奏が行われていた。サン・ジェルマン大通りでは、あちらこちらでロックの演奏。サン・ジェルマン・デ・プレ広場ではフラメンコダンス。酔っぱらいのおじさんが勝手にヴォ−カルの真似をしに飛び入りしたりして、当惑しているバンドもあった。
 サン・ジェルマン・デ・プレ教会の裏の小広場では、クラシックの演奏があった。
 したがって、この日は、真夜中まで、非常に騒々しく、ほとんど眠れなかった。幸い、息子は喧騒の中、ぐうぐうと熟睡していた。
 翌朝、ホテルの真ん前にあるEcole de Medecine の工事によるけたたましい音で、つかのまの睡眠も遮られてしまった。

Katsuyuki Kamei

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