補章 リスクテーキングの言葉

 

即断即決

「かつて多摩大学の学長であった野田一夫氏が,その開学準備段階で,教授陣を他大学や企業からヘッドハンティングするに際して,「即断できなかった方にはこちらからお断りした」と私に話されたことがある。今から十年以上も前のことだ。

 その翌日から,私はあらゆる仕事の依頼に即答するようになった。相手によく驚かれることがある。現在に至るまで続くことになる毎週の長期連載も,提案がなされた0.1秒後に「いいですよ」と答え,私にとっては未知だったラジオやテレビでのかなり重い負担のレギュラー依頼にも即断してきた。

 ここでタネ明かしをすれば,実に造作ない話である。

 文筆業者である私に,どのような仕事の提案がなされるかは事前に,ほぼ完璧に予想することができる。むしろあらかじめ,そのような構えをしておかないと,全体の整合性を図れず,その日暮らしならざるをえない。せめて十年後のビジョンから推し測って,現時点ではどのような選択肢がありうるかを常に認識しておけば,自滅へと至る取捨を無自覚にすることは避けられる。即断しないと,相手のゆとりある時間を奪うことにもなる。」

(目垣 隆「即断と熟考」社会時評 『東京新聞』2003319日夕刊)

 

リスクの語源―勇気を持って試みる

 「リスクをおかす」とか「リスクを回避する」とか,私たちは日常よくリスクという言葉を口にしますが,その語源はラテン語のrisicare(リジカーレ)といい,意味は「勇気を持って試みる」だそうです。

 日本でリスクというと,ネガティブなニュアンスの言葉として使われていますが,もともとは正反対に,もっとポジティブな意味の言葉だったわけです。(中略)

 と,わけ知り顔で柄にもなくうんちくじみたことを述べましたが,じつは人から聞いた受け売りでして,これらを教えてくれたのは経営学者の野田一夫先生です。

(南部 靖之『この指とまれ』講談社,2001年,53-54頁)

 

「リスク(risk)」という言葉は,イタリア語のrisicare(リジカーレ)という言葉に由来する。こと言葉は「勇気を持って試みる」という意味を持っている。この観点からすると,リスクは運命というよりは選択を意味する。われわれが勇気を持ってとる行動は,われわれがどれほど自由に選択を行えるかに依存しており,それはリスクの物語のすべてでもある。

(ピーター・バーンスタイン著 青山 護 訳『リスク 神々への反逆』日本経済新聞社,1998年,23頁)

 

不確実性とリスク

 明日を築く土台となる構想は,不確実たらざるをえない。それが実現したとき,どのような姿になるかは,だれにもわからない。リスクを伴う。成功するかもしれないが,失敗するかもしれない。もし不確実でもなく,リスクを伴うものでもないならば,そもそも,未来のための構想としては現実的ではない。なぜならば,未来それ自体が不確実であって,リスクを伴うものだからである。

(ピーター F ドラッカー著 上田惇生訳『創造する経営者』ダイアモンド社,1995年,273頁)

 

予測と実績

将来予想ほど難しいものはない。

(中略)

 予測という問題については,私も尋ねられる,というよりも試されることがあるが,私は明日の新聞が読めるようになりたいと思っている。たとえば,明日の新聞が読めれば,今日の競馬の着順がもう既に分かっているのだから,馬券は外れないものが買え,たちまち大金持ちになる。(中略)そうではなく,どんなビジネスでも,明日のニュースを待っていて読むのではなくて,逆に明日のニュースを出版する側に回るのが,唯一明日のニュースを読む方法だと思っている。輪転機を回すまでのニュースはこちらの責任で書くわけであるから責任は重い。どの仕事でも責任を持って進めていくには,中長期のレンジで方向感を見失わないことが非常に大切である。

 方向感を間違わずに決めていくことは,本当に難しいが,私は私なりのスタイルで,これを実行してきたつもりである。例えば十年後の事業予測をする場合は,ただの評論家として喋るのではなく,自分の意志で立てた計画だけを話せばよい。そして,その目標を達成すべく日々努力すれば,必ず何らかの成果は得られる。自分で話した通りに実行するわけであるから,続けることの難しさはあるが,予測が大きく外れることはない。実現する時期に誤差が出るのは許される。時には早く実現することもあった。

(梯郁太郎(かけはし いくたろう)『ライフワークは音楽 電子楽器の開発にかけた夢』音楽之友社,2001年,209-211頁)

 

予測と理念

 貴重なドルを使う以上,経営者はそれに責任を感じ輸出につとめていれば,輸入超過で国際収支が赤字だと騒ぐこともないはずである。今日の不況は経営の理念を失った大会社の経営首脳の責任だと私は言いたい。

 昨今,景気がだいぶ悪化して日本の代表的な大企業までが生産調整をして四苦八苦している。だがいまごろ生産調整なんて言ってるのは間抜け過ぎるというものだ。本田技研は一年以上も前の三十六年(一九六一年)三月には生産調整を断行している。そのとき世間からは何かと非難されたが,私はちゃんとした見通しをもって行った。

(本田宗一郎『本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書』日経ビジネス文庫,98-99)

 

麻雀のはなし

「麻雀から教わったこともある。人生にはどうにもうまくいかない時期があること,そういう時はひたすら耐え忍ぶこと,ツキが巡ってくれば大胆に乗ること,ただし調子に乗り過ぎず,基本を大事にしてツキが少しでも長続きするように努力すること,一瞬の気の緩みが劇的なツキの転換を招くこと等々である。勝とうという気力も大事だ。なかなか出来ないことだが,負け方を見事に潔くすることも大切だ。自然体で平成に負けを受け容れる相手に出会うと,勝負に勝っても人間に負けた感が残り,尊敬の念すら湧く。」

(東京海上火災保険会長 樋口 公啓 「麻雀のはなし」あすへの話題 『日本経済新聞』2003214日夕刊)

 

リスク感性の練磨と麻雀

リスク感性を磨くのに、マージャンというゲームは一番よろしい。将棋は相手が1人です。これはもう定石を知っていて百戦錬磨の人に勝ちようがないです。戦略論を弄することができないのです。マージャンというものは相手が3人です。刻々と変化する状況が出てきまして、パイをつかんだ瞬間、瞬間的に意思決定、つまり決断をしなければなりません。決断というものは、リスクに対する最も迅速で重要な意思決定です。

 ですから、マージャンというものを学生諸君に大いにやってよろしいと言っているのです。そんなことを言う先生は、大学にいないと思います。私はいつも学生諸君にそう言っています。「難しい経営戦略の勉強なんかほどほどにしておけ。マージャンでもしてリスク感性をみがくことも重要だ。」

(亀井利明「危機管理とリーダーシップ」1996911日・関西大学経済政治研究所講演)

 

本田宗一郎『本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書』日経ビジネス文庫,2001年より

 投機的なリスクテーキング

 いずれにせよ,このままでは世界の自由化の波にのまれてしまうことは必至である。世界の進歩から取り残されて自滅するか,危険をおかして新鋭機械を輸入して勝負するか,私は後者を選んだ。ともに危険である以上は,少しでも前進の可能性のある方を選ぶのが経営者として当然の責務であると判断したからである。こうして当時わずか六千万円の資本金しかない会社がストロームという自動旋盤やその他の工作機械をスイス,アメリカ,ドイツなどから四億円も輸入した。

(本田宗一郎『本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書』日経ビジネス文庫,80-81)

 

 合理的リスクテーキング

 世間では本田はアプレだなどというが,外からはあぶなそうに見えてもそこは非常に慎重にやっている。よその会社は工場を先に作ってから品物を作りはじめるが,私は慎重にやっている。これなら売れるという見通しがついたとき一気に資本を投下する。鈴鹿に工場を建てたときも,いま市場に出回っている五十ccのスーパー・カブが完成し,これなら絶対に売れる,二年半か三年でモトがとれるという自信が,各種のデータを検討の結果持てたので踏み切ったのである。

(本田宗一郎『本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書』日経ビジネス文庫,96) 

 

 危機管理における真の労使一体

 昔から言われているように,ヤリの名人は突くより引くときのスピードが大切である。でないと次の敵に対する万全の構えができない。景気調整でもメンツにこだわるから機敏な措置がとりにくいのだ。どんづまりになって方向転換するのではおそすぎる。

 いなかの財産家がつぶれるときのやりかたがちょうどこれに似ている。まず蔵の中の物を人目につかないように売る。次に遠くの田畑を売る。最後の段階になっても家屋敷は人目につくので手放す前にこれを担保にして借金をする。だから生産がともなわない借金の利子を払っていよいよお手上げのときには,家財産はおろか残るものは借金だけというバカなことになる。

 こういう愚劣なことをしている経営者が多いようだ。ふだんは経営者と従業員は一心同体だなどとおだてておいて,困ってくると旧軍隊のように転進とかなんとか言ってごまかし通そうとする。私はつねづね従業員は全部経営者である・だから経営に参加する権利と義務があると言っている。生産調整をしなくてはならぬようなときにも,はっきり実情と今後の対策を明示して全社員がいっしょに困難を克服することにしている。こういう姿が真の労使一体というのではないかと思う。

(本田宗一郎『本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書』日経ビジネス文庫,100-101) 

 

 失敗と成功

 私はずいぶん無鉄砲な生き方をしてきたが,私がやった仕事で本当に成功したものは,全体のわずか一%にすぎないということも言っておきたい。九九%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ一%の成功が現在の私である。その失敗の陰に迷惑をかけた人たちのことを,私は決して忘却しないだろう。

(本田宗一郎『本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書』日経ビジネス文庫,104) 

 

小倉昌男『経営はロマンだ! 私の履歴書』日経ビジネス文庫より

宅急便という新事業創造のリスクテーキング

 私自身,何年後に採算にのるか,確固とした見通しはなかった。しかし,企業を相手にした商業貨物輸送を続けていたのでは,大和運輸に勝ち目がないことは明白だった。もはや負け犬になっていたのである。新しい業態に転換し,新しい市場を開拓するほかに道はない。違う市場,別の土俵で勝負するしかないのだ。起死回生の一手に賭けるしかなかった。

(小倉昌男『経営はロマンだ! 私の履歴書』日経ビジネス文庫,116-117頁)

 

官僚との闘いというリスクテーキング@

 一九八六年八月,橋本龍太郎運輸相を相手取り,東京地裁に「不作為の違法確認の訴え」を起こした。監督官庁に対する前代未聞の行政訴訟である。運輸省は裁判で勝つ自信がなかったのだろう。十月には運輸審議会の公聴会が開かれ,十二月に免許が出た。

 争点が消えたので裁判も幻に終わったが,負けることはないと思っていた。道路運送法には「免許は輸送の需給を勘案して付与する」と書いてあった。だが,輸送需給に関する資料など運輸省にあるはずはない。

(小倉昌男『経営はロマンだ! 私の履歴書』日経ビジネス文庫,136頁)

 

官僚との闘いというリスクテーキングA

  私が完全に会社を離れた一九九九年,ヤマト運輸は郵政相を独占禁止法違反の被疑者として校正取引委員会に申告した。郵政省が信書とは何かを恣意的に解釈し,当のユーザーから選択の機会を奪うのは不当な妨害行為であるという理由だ。

(小倉昌男『経営はロマンだ! 私の履歴書』日経ビジネス文庫,152頁)

 

 

マイケル・デル『デルの革命』より

(國 領二郎 監訳・吉川 明希 訳,日本経済新聞社,1999年)

新たな成長のチャンスには,必ずそれに見合った大きさのリスクが伴う。

(マイケル・デル『デルの革命』58頁)

失敗に学ぶマネジメント

もちろん高校の授業では,新しく会社を作って経営する方法なんて少しも教えてはくれなかった。だから,私がさまざまなことを学ばなければならないのは当然だった。そう,私はもっぱら実際に経験と多くの失敗を通じて,それを学んでいった。最初の頃学んだことの一つは,大失敗と学習とのあいだには相関関係があるということだった。失敗すればするほど,早く身につく。ご想像のとおり,私はとても「効率的な」人間なのだ。

 私は周囲に優れたアドバイザーを揃え,同じ失敗を二度としないように心がけた。

(マイケル・デル『デルの革命』33頁)

誰かが以前,デルと他の企業との違いをこんなふうに言っていた。「どんな企業でも間違いは犯すが,デルは同じ失敗を二度と繰り返さない」と。私たちは常に,失敗は学習のチャンスだと考えてきた。大切なのは,失敗からよく学んで,その失敗を繰り返さないことだ。私たちにとっての学習は,何らかの歴然たる失敗(私たちはよく冗談で「大きな学習機会」と呼んでいるのだが)をきっかけとして進められてきた。

(マイケル・デル『デルの革命』85-86頁)

学習機会を生み出すという意味で,失敗を許容する――現状維持はリスクもないが,利益も生まれない。

(マイケル・デル『デルの革命』193頁)

 

文化の壁をこえて

最初の頃の「常識とは違う考え方をする」「『そんなことは不可能だ』という人の意見は聞かない」という企業哲学から考えると,その後十年のあいだに進出したほぼすべての国で,多くの人から「ダイレクト・モデルは失敗する」と言われたのは実に興味深い。(中略)「ダイレクト・モデルは文化の壁を超えて通用すると思っている。リスクを背負うのは望むところだ」。

 (マイケル・デル『デルの革命』49頁)

成長へのリスクテーキング

今のままの規模にとどまって来るべき運命をまちうけるか,それとも一気の成長を狙うかを決めねばならない。(中略)もし当時のままの規模にとどまるなら,開発コストをカバーできるだけの販売量を得られず,コスト構造は過重なものになるだろう。すると,競争力を失うリスクを犯すことになり,あっというまにつぶれてしまうかもしれない。

 私たちには,新たなゲームプランが必要だった――それも,大至急。

 もちろん,私たちは大きな飛躍による成長を選んだ。

(マイケル・デル『デルの革命』80頁)

コミュニケーション

失敗から立ち直るうえで最も大切な手段の一つが,「コミュニケーション」である。相手がデザイナーであれ顧客であれ,あるいは会社のCEOであれ,「問題はこういうことだったのです。原因はこれですから,こうすれば解決できます」と伝えれば,未知なものへの恐怖感を紛らわし,解決に集中できるようになる。私たちは,問題解決のためのプランを顧客や株主に対し,ストレートに分かりやすく提示していたから,彼らの信頼を失わずにすんだのである。

(マイケル・デル『デルの革命』80頁)

わたしたちが成功した秘訣は,二人が即座にスムーズで一貫性のあるコミュニケーションを確立したことだ。

(マイケル・デル『デルの革命』99頁)

感性と理性

リーダーシップという点では直観も大切だが,だからといって事実を犠牲にしてはならない。苦しい時期に,正しいデータによる裏付けもなしに感情に頼った判断をしていては,会社がいっそう大きな危険に晒されるのは避けられない。

(マイケル・デル『デルの革命』90頁)

プランニング

知性と同じくらい経験がモノを言う分野の一つが,プランニングである。(中略)

正しいプランにたどり着いたかどうかは,ずっと後になって,そのプランが成功もしくは失敗したときにしか分からない。「正しいプラン」とはそもそも何だろうか。まず,成功を確保するには何をやる必要があるのかを確認する際に役に立たなければならない。また,少数の共通目標に向けて社員を結集させ,その目標を達成しようというやる気を出させるものでなければならない。そして,正しいプランとは,顧客のめざす目標やサプライヤーの目標を取り込み,それを一つの統一された視点に集約するものなのだ。

(マイケル・デル『デルの革命』99-102頁)

撤退と集中の意思決定

同じ年の後半,私たちは小売チャネル経由での販売から撤退することを発表した。(中略)真のメリットは,撤退によって,社員が100%ダイレクト・モデルに集中せざるをえなくなったという点である。こういう意思統一は,強い団結力を生む。

(マイケル・デル『デルの革命』114頁)

チャレンジ精神

従来の常識に囚われなければ,自分にできることは驚くほど大きいものだ。従来とは違う認識をもとに成功した経験があれば,社員はそういう新たな認識を探そうという気になる。社員が会社のオーナーとしての意識をもって考え,常に,他とは違う新しいアイディアをたえず生み出していくような環境を育てていけば,社員はリスクを引き受ける自由と勇気を与えられるのである。

 社員にもっと革新的になってもらうためには,彼らが安心して失敗できるようにする必要がある。技術革新を期待し奨励しておきながら,社員を「ヘマするんじゃないぞ」と脅しつけている企業はたくさんある。だが,一口に失敗と言っても,その定義はさまざまである。

 あるチームが何かにチャレンジし,「これが現実だ。これはうまくいかない。その原因はここにある」と言う場合,それを失敗とは呼ばない。それは学習体験であり,通常,成功するための重要な一里塚なのだ。

(マイケル・デル『デルの革命』179頁)

リスクテーキングとチャレンジ精神

意思決定におけるチャレンジ精神も大事にする必要がある。ときには,データがすべて揃うのを待たずに決定を下さなければならない場合もある。自分の体験や直観,手許にあるデータ,リスク評価をもとに,できるだけ最善の決断を下さなければならない。どんなビジネスにも必ずリスク要因はある。だから,チャレンジはしかたない。ただし賢明な試みでなければならない。

(マイケル・デル『デルの革命』180頁)

 

慢心というリスク

また,自分たちの成功に慢心しすぎないようにも気をつけている。一部の分野では,すでに私たちが成功の基準になっているという人もいるかもしれない。だが,私としては,私たちがやっていることについても常に改善の道があると考えたい。自分が何かを完成させたと考えはじめた瞬間から,私たちは誰か別の者に追い抜かれる運命に陥ってしまうのである。

(マイケル・デル『デルの革命』181-182頁)

 

   コラムCにはLVMHモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン グループのベルナール・アルノー社長のリスクテーキングの言葉を掲載している。

   コラムDには日産のカルロス・ゴーン社長のリスクテーキングの言葉を掲載している。