第9章 独創的新製品開発戦略:

ルノー・エスパスのケース

 

イノヴェーションに基づく独創的な新製品開発には大きなリスクが伴う。本章では,独創的新製品開発戦略とリスクに関する理論的考察を踏まえた上で,1984年の欧州初のミニバン車,ルノー・エスパス開発のケーススタディを取り上げる。

マトラ自動車が提案したミニバン車開発のプロジェクトに対し,フランス2大自動車メーカーのリスクテーキングは正反対の方向を示した。プジョー・シトロエングループは失敗を恐れて提案を拒絶するというリスクの回避を行なった。一方,ルノーは,当時経営再建中であったにも関わらず,ミニバン車市場の可能性を予見し,マトラの提案を受け入れて共同開発に着手するという新製品開発リスクの積極的保有を行った。こうして開発されたエスパスは,欧州におけるミニバン車の代名詞となる大成功を収めた。

時は流れ,第4世代のエスパスからルノーが単独生産するようになった。エスパス生産を失ったマトラは,その代替として,未来的なデザインのアバンタイムというモデルをルノーに供給することとなったが,2003年販売不振により生産停止,ついにはマトラ自動車は操業を停止することとなった。これは独創的な新製品開発をめぐる意思決定(リスクテーキング)によって左右される企業の栄枯盛衰を如実に示している。

 

 

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第1節 独創的新製品開発戦略とリスク

 

1.市場リスク・技術的リスク・戦略的リスク

 

  新製品という場合,他社の新製品を真似たme too商品から,内容が同じで価格・ブランド・パッケージなどを変更しただけの商品,改良品,市場においてリポジショニングを図った商品,そしてイノベーションを基盤とした真の意味での新製品まで,幅広い概念が適用される。 この中で,成功した場合に企業に最も大きな利益をもたらすのが,イノベーションに基づく独創的な新製品開発戦略である。しかし,同時にこれは最もリスクが大きいのも特徴である。イノベーションに付随するリスクの程度は,ランバンの研究によれば,次の2つの要因に依存する。(注1)まず第一にがコンセプトの独創性と複雑性であり,買い手による受容度と,開発企業のマーケティングに要するコストの度合いに影響を与える。第二が,コンセプトを実現するために必要な技術的イノベーションの度合いである。前者に伴うリスクが「市場リスク」であり,後者に伴うリスクが「技術的リスク」である。さらに市場と技術という二つの要素に関して,新製品が,企業自体にとってどれだけ新しいものであるかという程度を考慮しなければならない。すなわち,市場と技術に対する企業の親近度に対応するのが,イノベーションに基づく新製品開発における「戦略的リスク」である。以下の図8−1および図8−2に示すように,あるイノベーションが,市場および技術について,企業にとって新しいものであればある程,その企業の戦略的リスクは大きくなる。

 

(ここに図8−1を入れる)

 

(ここに図8−2を入れる)

 

  イノベーションに関連する企業の戦略的リスクは,以下のように4つの水準に区別される。(注8)さらにこれらをまとめると図8−3のようになる。

@既知の市場に向けられた既知の技術に基づく新製品。企業の独自の技量に基づいているのでリスクは限定されている。

A新市場に向けられた既知の技術に基づく新製品。リスクは本質的に販売に関するものであり,企業の持つマーケティング上のノウハウが問われる。

B既知の市場に向けられた新しい技術に基づく新製品。リスクは技術に関するものであり,技術面でのノウハウが問われる。

C新市場向けで新しい技術に基づく新製品。リスクは累積され,多角化戦略の諸特質が見出される。

 

図8−3 企業にとってのイノベーションの程度とリスク

 

 

企業にとっての製品・技術の新しさの程度

         

       

   企業にとっての市場の新しさの程度    

       

  @集中

   再ポジショニング商品

   既存顧客対象

   モデルチェンジ・改良品

 B技術的リスク

  企業にとって新しい製品

  既存顧客対象

  新製品

       

  A市場リスク

   既存製品の拡張

   新規顧客開拓

   既存製品ラインへの追加

 C多角化

  独創的新製品

  新規顧客開拓

 

Lambin(1998)p.453 ; Lambin(1994)p.343に基づいて作成)

 

2.独創的新製品開発とリスク

 

  独創的な新製品開発は,新市場に向けて新しいコンセプトと技術に基づくもので,企業にとって戦略的リスクが最も大きくなる。これは真の意味での新製品(really new product),すなわちイノベーションに基づく新製品(innovative product)の開発である。

  メルンカの研究では,独創的新製品開発戦略上の留意点として,@独創的新製品に関する情報の普及(la diffusion de l’information / information diffusion),A技術の進展(l’évolution de la technologie / evolution of technology),B市場における価格の低下(la baisse des prix sur le marché / price reduction in the market),C競争者の将来的な市場参入(l’entrée probable de concurrents / probable entry of the competitors)の4点が挙げられている。(注2)独創的な商品についていかに情報を提供するかという@の情報普及の問題については, (a)新製品開発の予告, (b)コミュニケーション,(c)消費者教育という3つのマーケティング戦略上のキーポイントがある。

  具体的な事例としては,199712月にトヨタが世界に先駆けてハイブリッド自動車「プリウス」を発売した際,@同年の3月末段階で既に開発発売を予告し,A開発コストのかさむ環境志向型自動車としては破格の価格設定とガソリンエンジン車からのコンバートではなく独自のデザイン設定とを施すことによって消費者にアピールし,Bさらに消費者の環境指向意識に訴えるような内容の広告や,充電する必要がないことを強調してこの点に関する誤解を解く広告といった効果的なコミュニケーションを実施して情報普及を図った。これらの結果,プリウスは,想定以上の成功を収めている。

  独創的新製品開発は,研究・開発など技術面でのイノベーションが基盤であるのは言うまでもなく,膨大な研究・開発費を投じながら市場において成功を収められないかもしれないという根本的な投機的リスク(戦略上のリスク)の問題として,リスクマネジメントの観点から把握できるが,上記4点についてリスクの観点から検討することが重要である。 すなわち,情報普及については,独創的なコンセプトが市場に理解されないというリスク,技術進展については,当該分野の急激な技術進展により先行開発の優位性が崩れるというリスク,市場価格については,独創的新製品発売当初は研究開発費との関連から高価格設定とならざるを得ず結局市場において高嶺の花となってしまうなど価格設定上のリスク,競争者の市場参入については,追随者の出現により先行優位が脅かされるというリスクなどが考えられる。

 

3.技術の不確実性とリスク処理手段の選択

 

  新製品開発戦略とリスクに関して,ここでは,伊丹敬之教授による技術の不確実性とリスク処理手段の選択に関する研究を取り上げてみよう。まず,伊丹教授は,技術の不確実性の本質を次の様にまとめている。(注3)

「広義の技術開発には,一見たがいに矛盾しそうな二つの本質が同居している。不確実性と論理性である。偶然と必然といってもよいだろう。技術の不確実性とは,開発が成功する前の時点では技術には大きな不確実さがつきものだということを指す。技術が生まれる前には,どんな技術が生まれてくるのか,正確な予測はつきにくい。不確実性が多く,偶然の要素に支配されることも多い。しかし,いったん生まれた技術は,論理的そのものである。その技術が実際機能するということは,論理にかなっているからこそ機能する。」「技術とは,したがって,事前には不可知(つまり不確実)であるという本質と,論理的であるという本質をあわせて持ったものである。一見たがいに矛盾しそうなこの二つの本質も,「事前」の不確実性と「事後」の論理性,というように考えれば,不思議でなくなる。事前には,不確かでリスクの大きいものが,事後的に考えれば論理的であればこそ機能するのである。このような二つの技術の本質に対して,戦略として企業はどのような基本方針で対応すべきか。それが戦略の技術適合である。」

  このような技術に関する不確実性について,伊丹教授は,次のように3分類している。(注4)

@     @技術を自分で生み出すために行う研究開発が,どのような成果をあげるかわからないという不確実性である。この不確実性のゆえに,開発はつねにリスクがつきまとう。

A     市場の不確実性。技術開発が成功しても,それが市場のニーズにあったものかどうかは,わからない。

B     陳腐化のリスク。自社の既存の技術あるいは開発中の技術がいつ陳腐化するかわからないという不確実性である。

こうした技術の不確実性への戦略的対応,すなわちリスクに対する処理手段として,伊丹教授は以下の4つの方法を提示している。(注5)

@     技術の核をもち,深く蓄積する。(陳腐化のリスクを小さくするための技術の深い核づくりである。不確実性の多い技術だからこそ,かえって基本となるコアが,明確でかつ変わらないことが必要とされる。)

A     技術のリスクを組みあわせた並行開発を行う。(技術のリスクを組み合わせて,全体としてのリスクを小さくする方法である。一つの開発目的に対して複数のやり方で並行開発を行うなどはその典型的手段である。そのうちどれが成功するかは事前にはわからないから,いくつかを並行して開発させるという考え方である。) 

B     現場での実験的行動を早目に多目にする。

C     技術のトレンドの上を走る。

 

(1)Jean-Jacques Lambin, Marketing Stratégique, 4e édition, Ediscience, 1998, pp.450-458 ; 三浦信・三浦俊彦訳『戦略的マーケティング』嵯峨野書院,19901986年の初版の翻訳),250-258頁。

(2)Dwight Merunka, « Marketing des Produits durables », Encyclopédie de Gestion, deuxième édition, Economica, p.1933.

(3)伊丹敬之『新・経営戦略の論理』日本経済新聞社,1984, 176-177頁。

(4) 前掲書,179-180頁。

(5) 前掲書,180-194頁。

 

第2節 ルノー・エスパスのケース

 

1.ルノー・エスパスのケースの評価

フランス自動車産業の過去20年の栄枯盛衰を如実に示すのが,マトラとルノーの提携によって1984年に発表された独創的なモデルで欧州初の大型ミニバン車「エスパス」開発の事例である。1993年の小型ミニバン車「トゥインゴ」,1997年の中型ミニバン車「メガーヌ・セニック」など,ルノーの一連の独創的な新製品開発戦略の源流にあるのが1982年のマトラとの戦略的提携に基づくエスパスの開発である。(注6)

 ルノーとの提携に基づくマトラ自動車によるエスパス開発のケースは,戦略的提携に基づく市場創造の成功事例として従来語られてきた。しかし,ルノーによる単独生産への移行に伴い,最終的には,マトラ自動車操業停止という結末を迎えるに至った。

具体的には,2003226日,ラガルデール・グループは,自動車部門であるマトラ自動車のロモランタン工場におけるアバンタイムの生産停止を発表した。さらに,この発表から半月後の314日には,航空・軍事・メディア・出版を中心とする同グループを構築した戦後フランスを代表する経営者の一人であるジャン−リュック・ラガルデールが亡くなった。

ラガルデールは1964年にスポーツカー製造を開始して自動車事業に参入した。1983年よりマトラ自動車は,ロモランタン工場で,ルノーとの提携に基づき欧州初のミニバン車であるルノー・エスパスを生産開始した。エスパスは,マトラ独自のプラスチック加工技術を用いて製造された。同モデルはフランスでモノスパースと呼ばれるミニバン車の市場を創造し,1990年代に入るまで,欧州で市場をほぼ独占する大成功を収めた。

ミニバン車市場拡大に伴う需要増を受けて,ルノーがエスパス第4世代の生産を2001 年より同社サンドゥビル工場に移管すると,マトラは未来的なデザインのルノー・アバンタイムの生産を開始した。しかしアバンタイムは市場に受け入れられず,結果的に,ラガルデール・グループは40年に及ぶ自動車事業・マトラ自動車の操業停止を決定することとなった。

 

2.マトラ自動車小史 

ミサイルを中心とする軍事製品の専門メーカーであったマトラの執行責任者ジャン−リュック・ラガルデールは,1964年に,レーシング・カーで著名であったルネ・ボネを傘下に収め,自動車事業への多角化を果した。マトラは,レース事業に注力し,1969年に参戦2年目にして,F1コンストラクターズ・チャンピォンを獲得,1973年から75年まで3年連続して,ル・マン24時間耐久レースを制覇した。しかし,モーター・スポーツでの活躍やスポーツカーの製造は,名声はもたらすものの,それで採算をとるのは難しく,マトラの自動車事業は早くも経営難に陥った。マトラは,1969年から,シムカ(1963年にクライスラーが買収)と提携した。マトラは,スポーツタイプ以外のモデル開発の端緒として,1977年に,個性的なレジャー仕様のマトラ−シムカ・ランチョを発表した。 1978年にPSAが,クライスラー・フランスを(旧シムカ)を買収し,それに伴って,マトラ自動車は資本関係を有するPSAプジョー・シトロエン・グループの一員となった。

 

3.ミニバン車開発の着想と提案

  当時のマトラ自動車事業部の責任者であり,開発責任者でもあったフィリップ・ゲドンは,フランス語で後にモノスパースと呼ばれることになるワンボックス・タイプのミニバン車開発のアイディアを着想した。マトラ・グループのラガルデール会長の承認を得ると,1979年から1982年の半ばにかけて,マトラは,ランチョの流れを組む多目的仕様モデルで,後にエスパスとして結実する独創的なモデル開発プロジェクトをPSAプジョー・シトロエン・グループのプジョー,さらにはシトロエンに持ち込んだ。しかし,PSAグループは,1978年にクライスラー・フランスを含むクライスラーの欧州3子会社(フランス・英国・スペイン)を買収したことによって,クライスラーの負の財産(高コスト・低効率の生産システム,旧クライスラー社員の労働争議)をも受け継ぎ経営状況が悪化していた。1980年以来業績が赤字に転落していたPSAは,マトラの提案を拒絶した。最終的に,マトラは,PSAグループと袂を分かってルノーに接近することとなった。

 

4.マトラとルノーの提携

 当時,ルノーはプジョー以上に経営が悪化していた。公団形態で完全な国有企業であった当時のルノーは,皮肉なことに,1981年に誕生したミッテラン社会党政権がルノーをモデルに国有化政策を推進しはじめたその年に赤字に転落した。ルノーは,民間企業であれば倒産と宣告されても仕方がないような状況に追い込まれていた。にもかかわらず,当時のルノー公団総裁であったベルナール・アロンは,「アメリカ的」と表された感覚の持ち主で,マトラが提案した独創的なタイプの車の開発プロジェクトに理解を示した。最終的に,ルノーは,マトラの自動車部門の株式をPSAから買い取り,マトラとの資本提携に基づいて独創的なモデル開発を決定した。

 こうして,マトラの新製品開発コンセプトをめぐる投機的なリスク(独創的な新製品が成功するか失敗するかどうかわからないという不確実性)をめぐって,フランス2大自動車メーカーのリスクテーキング(意思決定)は,正反対の方向を示すこととなった。その結果,両者は明暗を分けることとなった。

 

5.マトラ独自のプラスチック加工技術の意義

  マトラは,独自のプラスチック加工技術を保有していた。プラスチックを用いてボディーを生産するシステムを構築する場合,鉄を用いたボディー生産システムを構築する場合に比べて,初期投資が3分の1程度で済む。したがって,初期投資が少ないので,結局,少量生産でも採算をとることが可能となったわけである。すなわち,ワンボックス型ミニバン車という当時としてはまったく珍しいタイプのモデル開発であるから,やはり最初はニッチ市場ということで少量生産であった。少量生産の場合,採算をとることが困難であるという理由で,他のメーカーは同様のアイデアを有しながらも,こうした市場には参入しえないでいたわけである。一方,ルノーはマトラと組むことにより,マトラのプラスチック加工技術によるボディー生産によって,少量生産でも採算がとれるというシステムが構築でき,エスパスの開発ができたというわけである。マトラが独自のプラスチック加工技術に基づいて製造するボディに,ルノー供給のエンジンを中心とするメカニックを搭載する形でマトラのロモランタン工場(ロワール・エ・シェール県)で製造されるエスパスは,ルノーのブランドで,ルノーの販売店を通じ1984年に発売された。

 なお,デトリーらの研究者は,「エスパス生産は,プラスティック加工による低コストにより,ニッチ戦略に要求される少量生産にもかかわらず,採算性を確保している」と分析した。(注7)

 

6.エスパス発売とモノスパース車市場の創造

 発売当時,ミニバン車は欧州市場には存在しなかったため,エスパスは消費者に全く理解されなかった。発売した月に売れたのはわずか9台であった。しかし,2列目と3列目のシートが自由に取り外し可能であることや家族で旅行するのに適していることなどが徐々に理解され始めた。こうして,エスパスは,モノスパースと呼ばれるワンボックス型ミニバン車の先駆として,フランスのみならず欧州全体で大成功を収めた。エスパスは,1990年代に入るまで欧州におけるモノスパース型レジャー・ビークルの市場をほぼ独占し続けた。欧州市場にライバル車が全く存在しなかったので,モノスパース車(ミニバン車)の市場・イコール・「ルノー・エスパス」の市場という時代が1990年代に入るまで続いた。

 エスパスにより大型モノスパース市場のパイオニア・ブランドとして大成功を収めたルノーは,次に小型モノスパース車の開発に着手した。こうして1993年に発売されたトゥインゴも,それまで欧州にはなかったタイプの独創的なスタイルの小型車として成功を収めた。調査の結果,トゥインゴ購入者の約3分の2が,それ以前はルノーの顧客ではなかったことが判明した。つまり,トゥインゴは,革新的な新モデルとして,エスパスと同じように,ルノーに新しい顧客をもたらしたのである。

ルノーは,さらに多くの消費者にモノスパース車を提供することを目的に,欧州で初めて中型モノスパース車を開発した。こうして1997年に発売されたメガーヌ・セニックは,モノスパース車が欲しくても大型のエスパスには価格的に手の届かなかった顧客層に受け入れられ,欧州におけるベストセラー車となった。

エスパス,トゥインゴ,メガーヌ・セニックのいずれも,それ以前の欧州には存在しなかったタイプの車であった。一連の革新的な新製品開発戦略によって,ルノーは,世界の自動車メーカーで初めて本格的なモノスパース車のフルライン化に成功した。すなわち,大型エスパス,中型メガーヌ・セニック,小型トゥインゴという構成である。

これは,それまで自動車市場に存在しなかったような独創的新製品を開発して,それを消費者に提案する。そして,革新的新製品が受け入れられるかどうかわからないというパイオニア・メーカー固有のリスクを積極的に保有するというアプローチであった。ルノーにおいては,エスパスという新製品開発のリスクを保有したことが,その後の一連の独創的新製品開発戦略推進と成功の契機となった。

 

7.PSAプジョー・シトロエンの対応

 一方,マトラが提案したプロジェクトを拒否したばかりに,PSAプジョー・シトロエンは,ルノーがその後エスパスによってどのような成功を収めたかを目の当たりにすることとなった。PSAは伝統的な鉄のボディ加工技術による生産では,総需要台数の少ないニッチ市場において,採算をとることは困難と判断し,開発に踏み出せずにいた。結果的に,イタリアのフィアット・グループとの提携に基づいてセベル・ノールというジョイント・ベンチャーを設立し,エスパスに対抗するモデルを開発することとなった。これは,鉄のボディ加工技術に基づく生産システムによっても採算がとれるようになる日産500台のペースで生産しても,両グループ合わせれば,各ブランドの販売網において,生産した台数を販売していくことが可能になるという発想に基づいていた。こうして, 1994年になって,PSAグループは,プジョー「806」,シトロエン「エヴァジオン」,というミニバン・モデルを発表することができた。

1982年にマトラが提案したモノスパース車開発プロジェクトを拒否したPSAプジョー・シトロエンは,この戦略的意思決定のミスにより,1984年のルノー・エスパスの発売から実に10年の遅れをとることになったのである。このように,独創的新製品開発のリスクを回避したことが,PSAに大きな代償を払わせることとなった。

 

8.市場拡大によるエスパス第4世代生産移転とアバンタイム開発

 さらに,エスパスの成功を受けて,PSA同様に追随するグループが次々と登場した。フォードはフォルクスワーゲンと提携してミニバン車を開発し,クライスラーは米国でヒットしていたボイジャーを欧州市場に輸出し,日本のメーカーも同様に国内で開発していたミニバン車を輸出し始めた。このように他社が本格的にエスパス追随を始めると,最初はニッチ市場であったミニバン車市場も1990年代に入ってその規模を大幅に拡大し始めた。ミニバン車は,もはや少量生産ではなくても,すなわち鉄のボディ生産システムによる日産500台以上という大量生産によっても十分採算がとれる時代に入ったわけである。逆に,鉄でボディーを作る場合に比べて,10倍の時間を必要とするプラスチックによるボディ生産システムは,日産450台が限界であり,競走上不利な条件となったのである。マトラのロモランタン工場の場合,日産350台が限界であり,エスパス生産台数は1999年に69,500台,2000年には68,000台で日産320台であった。

  結果として,ルノーとマトラの提携は見直しの時期を迎えた。ルノーは,2002年発売予定のエスパスの第4世代モデルについては,ルノー独自に開発し,自社工場の鉄のボディー生産システムにより製造することを1996年に発表した。こうして2001年に,エスパスは,第4世代から,ルノーのサンドゥビル工場にその生産が移管された。エスパスはラグナIIと後述するベル・サティスとプラットフォームを共有することとなった。

一方,マトラは,エスパスに代わって,クーペとモノスパースを融合した未来的なスタイルの「アバンタイム」というモデルを開発することとなった。エスパス第3世代までと同様に,アバンタイムは,マトラ独自のプラスチック加工技術を用いてボディを製造し,ルノーのブランドと販売網で発売されることとなった。こうして,マトラとルノーの戦略的提携はエスパスからアバンタイムの時代に入った。なお,マトラはさらに小型自動車「P83」と若者向きの「M72」の開発プロジェクトも推進していた。

 

9.ルノー高級車開発戦略の展開

  ルノーでは,これまで発表してきた高級車モデルである「25」と「サフラン」が共に,ドイツ車と比較して競争力がなく販売不振であった。1990年代における最高級モデルのサフランは製造中止が囁かれるほどであった。こうした現状を打破すべくルノーは積極的な高級車開発戦略を打ち出した。具体的にはサフラン一つしかなかった高級車セグメントを一気に拡大し,3モデルを展開することとした。まず第1に,前述したクーペとモノスパースを融合による独創的なデザインの「アバンタイム」,第2にサフランの後継モデルとして,同じく独創的デザインのセダンである「ベル・サティス」,第3にルノーが独自生産する第4世代「エスパス」である。アバンタイム開発は既述の通りマトラとの提携の新展開である。エスパスについては,デザインを革新して高級車セグメントに新たに位置付けられることとなった。これは,大型・高級車セグメントで優位に立つベンツやBMWなどのドイツ車に対して,3モデルの斬新なデザイン面での差別化によって対抗する戦略である。

 

第3節 ルノー・エスパスのケース その後の展開 −マトラ自動車の操業停止−

 

1.「金のなる木」エスパス生産の移転

 既に述べたように,ルノーはエスパス第4世代の生産を自社サンドゥビル工場に移管した。かつて,マトラ自動車は1984年の第1世代から第3世代までのエスパス生産により総計6億ユーロに上る純益をあげた。自動車業界において類例なき高収益率を誇ったエスパス生産は,マトラにとってもルノーにとってもまさしく金のなる木(vache à lait)であった。マトラは,200210月にはエスパス第3世代の受注分をすべて生産し終えた。このエスパス生産を失うことになったマトラは,エスパス生産の全盛時代に3,000人に上ったロモランタン工場の人員を2002年に2,500人から1,000人にまで削減した。

結論的には,マトラ自動車が操業停止に至った要因は,ルノーが将来的にマトラとの契約を延長せずエスパス生産を自社工場に移管することを1996年の段階で明言していたにもかかわらず,エスパス生産に傾斜しすぎていた結果,「エスパス以後」の戦略展開に活路を見出せなかった点にある。(注8)

 

2.アバンタイム生産の理想と現実

 アバンタイムは,2ドア・クーペとモノスパースを融合した「クーペスパース」という高級車カテゴリーを創造して,マトラ自動車の「エスパス以後」を担うべく開発された独創的かつ未来的なスタイルのモデルである。アバンタイムは,マトラのプラスチック加工技術とエスパス第3世代のプラットフォームを活用して生産され,ルノーのブランドでルノーの販売網を通じて販売されることとなった。なお,アバンタイムに続く「エスパス以後」の新モデルとして小型自動車「P83」と若者向きの「M72」の開発計画も発表された。

 アバンタイムの価格は31,500ユーロから41,000ユーロの間に設定された。当初,マトラ幹部は,5-6年間で6万台から8万台を損益分岐点と想定し,それがために1日当たりの生産台数80-100台を目標とした。しかし,2002年の販売台数は4,660台にすぎず,2003年初頭における1日当たり生産台数はわずか15-25台に留まっていた。

 

3.アバンタイム発売の延期と失敗

 アバンタイムは,試作車が品質面での最終的な仕上がりや防水性に問題が残る段階にありながら,19992月にパリや,同年9月のフランクフルト自動車サロンで時期尚早に発表されてしまった。独創的なデザインが話題を呼んだが,試作車で発見された技術的問題を解決するのに想定していた以上の時間がかかってしまった。その結果,当初2000年半ばの生産開始予定であったのが,結局,生産開始は200110月に延期されてしまった。生産ライン整備には,マトラと部品業者による13000万ユーロの投資が必要となった。

こうして,2001年の秋にやっとアバンタイムは発売にこぎつけた。しかしながら,生産が延期されている間に,ルノー・ブランドの高級車に関心を持っていた消費者の興味は,同じく独創的ではあるがアバンタイムより保守的なスタイルで5ドアセダンであるベル・サティスの方に移ってしまっていた。

マトラ自動車による自動車生産台数(2001-2003)

 

エスパス(第3世代)

アバンタイム

2001

58,863

2,067

2002

32,373

5,097

2003(予想)

6,614

(Source : Les Echos, le 27 février 2003)

 

4.操業停止発表

 生産開始延期に伴う発売延期が続いたことや,「クーペスパース」というカテゴリーを創造すべく考案された未来的なデザインが保守的な高級車ユーザー層に受け入れられなかったことから,アバンタイムの発売後の売れ行きは予想を大幅に下回った。その結果,ロモランタン工場における1日の生産台数は30台を下回った。2002年末には1日の生産台数はわずか16台となった。2003年に入って,プロモーション強化により注文が若干増加したもののもはや焼け石に水の状況にあった。マトラ自動車は1日当たり100万ユーロの損失を出す状態に陥った。組合の試算では,500人の体制で,1日当たり30台のペースで生産を維持しない限り,マトラは1台当たり1,500ユーロの損失を出す状況であった。

 2001年末より自動車事業の売却を検討していたラガルデール・グループは,アバンタイムの売れ行き不振が決定的になると,2003年を迎えて大きな動きを見せた。まず,ラガルデール・グループのジャン−リュック・ラガルデールがルノーの取締役会を辞任し,ラガルデール・グループが1.26%資本参加していたルノーの株式の売却を決定した。製品開発面では,「P83」と「M72」の開発計画の中止が発表された。

 ラガルデール・グループがマトラ自動車のルノー離れを加速した背景には次の二つの点があった。まず,アバンタイムのロモランタン工場からの出荷価格の引き上げをルノーに求めたが,ルノーは拒否した。またルノーがアバンタイムの生産を自社工場で継承することにも期待が寄せられたが,独創的スタイルゆえの規格外モデル生産はコスト高となることからルノーはこれも拒否していた。

 最後の期待を寄せて,ラガルデール・グループは,ドイツの自動車部品メーカーAlbert Weberと,自動車事業の売却について交渉を進めた。しかし,これに失敗すると,2003226日のマトラ自動車の企業中央委員会(CCE, Comité Centrale d’Entreprise)において同社のArmand Carlier会長(PDG)がロモランタン工場におけるアバンタイムの生産停止を発表した。これは,ロモランタン工場を閉鎖して同工場勤務者1,047人中950人の人員削減を実施し,既存ユーザー向けのアフターサービスと交換部品製造のためのティレー工場(イブリーヌ県)を約200人体制で維持するという計画であった。

 こうして,レーシング・カーのメーカーであるルネ・ボネを1964年に買収して以来40年に及ぶラガルデール・グループの自動車事業・マトラ自動車は実質的な生産活動の幕を閉じることとなった。アバンタイムは,生産開始および発売後わずか1年半で生産停止となり,新製品開発についての自動車産業史上に残る失敗事例となった。 そして,今世紀に入ってルノーが打ち出した大型・高級車市場での独創的デザインの3モデルによる戦略展開は,早くも3モデル中のひとつを失ってしまう形となった。

 

5.生産活動停止以降の展開

マトラ自動車のロモランタン工場におけるアバンタイム生産停止の発表後,ルノーは,職を失うマトラ従業員について,ルノーの各製造拠点にて雇用する用意があると発表した。マトラ自動車とプラスチック製造Venture Peguform France(VPF)50%折半出資による自動車部品メーカーであるMatra Venture Composites (MVC)は4月に倒産し9月にイタリアのRanger Plastへの売却が決定した。また同月,ラガルデール・グループはマトラ自動車の研究開発部門売却についてイタリアPininfarinaと合意に達した。(下表参照)

Matra Automobile

 

Romorantin(Loir-et-Cher)工場

Avantime生産停止

1,047人中95人が残って既存ユーザー向け部品製造

Trappes(Yvelines)本社

研究開発部門 Pininfarinaに売却

400人中250人のみ継承。(130人早期退職に合意)

子会社MVC

Theillay(Loir-et-Cher)工場

Ranger Plastに売却

330人中16%人員削減。

 

(6)エスパスのケーススタディとして以下参照。Pierre Dussauge and Bernard Garrette, Cooperative Strategy, Willey, 1999, pp.192-193 ; Bernard Garrette et Pierre Dussauge, Les Stratégies d’Alliance, Les Editions d’Organisation, 1995, pp.249-250.; 亀井克之『新版 フランス企業の経営戦略とリスクマネジメント』法律文化社, 2001, 77-85, 90-95頁;在日フランス大使館広報部「誰にでも手が届くルノーの「モノスパース」車」『フランスだより』82, 1997 10-11頁.”Les secrets du futur Espace” l’auto-journal, 4 mai 2000, pp.20-24”Interview Jean-Louis Caussin. La Stratégie de Matra pour remplacer l’Espace” auto live, 10, 2000, pp.84-85.

(7)Jean-Pierre Détrie et al., Strategor , 3e édition, Dunod, 1997, pp.218-228.

(8)エスパスのケーススタディのその後の展開としてマトラ自動車の操業停止については以下参照。亀井克之「マトラ自動車生産停止とラガルデール・グループ」『日仏経営学会誌』第21号,日仏経営学会創立二十周年記念号,2004年,57-69頁。


セオリーC 独創的新製品開発に関する予告戦略

 

  独創的新製品開発において効果的に活用されるのが開発・発売に関する予告である。

予告戦略については,1997年にJournal of Marketing Research誌の「新製品開発研究特集号」の中でラオが,独創的新製品開発における重要項目の一つとして指摘していたが,具体的な研究に乏しかった。フランスでは,HEC(高等商業学院)のマンソーが,新製品開発予告戦略についての博士論文を発表し,この分野の研究における第一人者となっている。

新製品開発予告戦略の具体的な事例を挙げてみよう。我が国におけるパソコンブームを火をつけたマイクロソフト社による画期的なオペレーティングシステムであるウィンドウズ’95発売は,予告が効果的に実施され,発売開始時刻に向けてカウントダウンが行われるなど,大きな話題を呼んだ。199712月にトヨタが「プリウス」を発売し,世界初のハイブリッドカーの量産・市販を実現したが,トヨタは既にこの年の3月25日にハイブリッドシステムを搭載した新型車の年内発売を予告していた。現在,世界の自動車業界においては,各メーカーが燃料電池自動車の開発にしのぎを削っているが,目標とする開発時期を明らかにした予告が盛んに行われてきた。フランスでは,世界で初めて画家の名前をモデル名に採用したシトロエンの中型ミニバン車のピカソについて,発売に15ヶ月先立つ予告発表が実施された。

  マンソーの研究によれば,予告戦略は,@製品イメージを確立し広告を活性化できる,A発売前から消費者に製品採用プロセスを開始させることができる,B市場浸透を促進できる,C予約受付により潜在顧客を囲いこめる,D製品の特徴に対応する形で消費者の選択基準を事前にコントロールできる,E標的市場やポジショニングを自由に選定できる,F企業にパイオニアのイメージを付与するなどの利点をもたらす。

一方で,マンソーは,予告戦略には,@製品について普及した情報をコントロールできない,A消費者の期待を過剰評価してしまう,B発売そのものに対する関心を減少させる,C製造能力以上の初期需要を生じさせる,D製品の特徴や発売条件に関する企業の柔軟性を減少させる,E企業の既存製品との共食いを惹起する,F発売時までの企業の販売を減少させ,収益を制限する可能性があるなどのリスクが伴うことを指摘している。


参考文献

Delphine MANCEAU, « Les Effets des Annonces Préalables de Nouveaux Produits sur le Marché : état des connaissances et propositions théoriques », Recherche et Applications en Marketing, Volume11, No3, 1996, pp.39-56.

Vithala R RAO, « Resources for Research and Pedagogy on New Product Development Processes, Journal of Marketing Research, Vol.XXXIV, 1997, pp.185-192.

 


セオリーD 独創的新製品に対する知覚リスクとコミュニケーション

 

  欧州にミニバン車が存在しなかった1980年代半ば時点におけるルノー・エスパスのような独創的な新製品開発においては,その製品に関与度の高い(こだわりのある)消費者に対しては,その製品の独創的な魅力を伝えること,さらに,独創的な製品に対して不安(知覚リスク)を抱く消費者に対しては不安を軽減することを念頭にしたマーケティング戦略およびコミュニケーションが効果的となる。 

  知覚リスクの概念は,Bauer1960年に発表した「リスク敢行としての消費者行動」(Consumer Behavior as Risk Taking)によって提起された。この論文の中で,Bauerは,「知覚リスクとは,一連の購買行動に伴う不確実性および購買の結果に関する購買者の主観的評価に関するリスクである」と定義している。知覚リスクには,2つの次元が存在する。 Bauer論文において,知覚リスクは「不確実性とそれに伴った結果の深刻さ」と規定されたが,この区分はその後の研究者にも継承された。論者によって表現は微妙に異なるが,知覚リスクの2つの構成要素として,@商品選択に関する「不確実性,失敗する可能性(確率)」と,A商品選択が不満足に終わった場合に「その結果がもたらす重大性(深刻度)」とに分割することが一般化している。

  一般的な知覚リスクの分類をあげれば,下表の通りとなる。

  マーケティング研究における知覚リスク概念の分類

機能的リスク(performance risk)

当該商品が購買者の期待通りに機能するか否か,という点に関する不確実性が存在するために生じる知覚リスク。

物理的リスク(physical risk)

当該商品は使用に際し安全か,身体上の損害を与えないか,使用が環境汚染や破壊につながらないか,などに関する不確実性が存在するために生じる知覚リスク。

経済的リスク(financial risk)

当該商品のもたらす便益が,購買に要したコストに見合うものかどうかに関する不確実性の存在から生じる知覚リスク。

社会的リスク(social risk)

当該商品に関し,購買者が他者から下される評価に不確実性が存在することから生じる知覚リスク。

心理的リスク(psychological risk)

当該商品が購買者の自尊心を満足させることができるかどうかについての不確実性が存在することから生じる知覚リスク。

次に,消費者行動研究における代表的な知覚リスク測定尺度を下表に示す。

知覚リスク測定尺度

リスク(重要性)

選択に失敗すると損失が大きい。

リスク(結果)

購入後に自分の選択が満足いくものではなかったことが判ると,非常に気が滅入る。

リスク(失敗の可能性・不安)

購入の際,選択に失敗する可能性が大きい。

  ここで関与(ある製品に対するこだわり)と知覚リスク(商品購入時の不安や懸念)に関する消費者の典型像を示せば,下表の通りとなる。

  表14−6  関与と知覚リスクに関する消費者の典型像 

関与

知覚リスク

「私はこの製品が好きだ。」

「私は商品選択に失敗するのが恐い。」

  筆者の調査によれば,ある製品に対して,こだわりのある人ほど日常的に情報収集に熱心で,購入の際にリスクを感じない。逆にリスクを感じている消費者ほど製品に関する情報収集に熱心ではなく,ブランド名に頼る傾向にある。

 

参考文献

Raymond A. BAUER "Consumer Behavior as Risk Taking", in R. S. Hancock, ed., Dynamic Marketing for a Changing World, American Marketing Association, 1960.

上田和勇(1986)21世紀に向けた企業経営とリスク・マネジメント  −商品・サービス購買時の消費者の知覚危険」『危険と管理』日本リスクマネジメント学会,第14, 1986.

Alain STRAZZIERI "Mesurer l'implication durable vis-à-vis d'un produit indépendamment du risque perçu", Recherche et Applications en Marketing, Volume 9 numéro 1,1994.

Katsuyuki KAMEI “Validité Prédictive de l’Echelle de Mesure d’Implication Durable PIA  – Le cas du micro-ordinateur au Japon –“, Mémoire du DEA, Université d’Aix-Marseile III, IAE d’Aix-en-Provence , 1998.

亀井克之「知覚リスクと永続的関与に関する基礎的研究」『情報研究』,関西大学総合情報学部,第10号,1997