−起業危機管理−


第7章 起業危機管理:

パソナのケース

 

 起業危機管理の理論に基づいて,本章では,パソナグループの南部靖之代表による講演内容を掲げる。関西大学在学中に,我が国で初めての人材派遣事業を起業した南部氏がいかなるビジョンを持って起業というリスクテーキングに至ったのかが語られている。

 

南部靖之略歴

(株)パソナ代表取締役グループ代表。兵庫県神戸市生まれ。1976年,関西大学・工学部卒業。大学卒業1ヶ月前に「女性の社会進出を応援したい」という思いから「人材派遣事業」を創業。人材派遣業界のリーディングカンパニーとして,様々な雇用インフラを社会に提言している。創業以来,不変の経営理念は「社会の問題を解決する」。

 

 

 

 

 

私はベンチャービジネスというのは,まず,

「志ありき」

だと思っています。何はさておき,志がなくてはならない。そして,その志に向かって,リスクを冒してでも挑戦していくのがベンチャー経営者であると思っています。

 そしてまた,ベンチャーを起こす,起業するには「夢」と「志」を達成するためのしっかりとした「哲学」「理念」「使命感」が絶対に必要です。欲つまり金持ちになる,有名になる,という人間の煩悩が先に立つようでは,いっとき成功したように見えても,長く人々に愛され,支持,尊敬され,社会に必要とされる会社,そして世の中を動かすことのできる会社にはなりえません。

(南部靖之『この指とまれ』70-71頁)


第1節 起業危機管理の理論

 

1.リスクへの挑戦

リスクを十分認識した上でこれを保有するという積極的保有をリスクへの挑戦という。具体的な例として起業危機管理がある。起業リスクは,ゼロから新しく事業をスタートする際の投機的リスクで,挑戦すべきリスクである。事業を組織化していく上でリスクにはさまざまなものがあるが,独立起業家は,これらを十分認識し,計算した上で,自らリスクの中に飛び込んでいく。そして,こうしたリスクへの挑戦をうまくマネジメントし,サバイバルを図り,中堅企業へとうまく脱皮していこうとする。

 

2.起業危機管理

独立起業家がゼロから事業をスタートして,さまざまなリスクに挑戦しながら事業を成長させていく過程で実践していく一連の経営戦略的なリスクマネジメントを起業危機管理(起業リスクマネジメント)という。独立起業家には,まず第1にビジネス上のロマンを持ってリスクに挑戦し独立・成長していくのだという強い意欲,第2にビジネスチャンスに対する先見力と決断力(直観力),第3に資金調達に関する決断,第4に商品・サービス開発に関する決断,第五に自己生産するか委託生産するかの決断など,大きなリスクを伴った意思決定を下す能力,すなわちリスク感性が要求される。起業危機管理においては,まず第1に無知,無駄からくるリスク,第2に運転資金に絶えず悩まされるというリスク,第3にせっかく開発した商品・サービスであっても,売り上げがうまくいかなかったり,それを取り扱ってくれる販売網がなかったりすることによる売り上げ不振,すなわち顧客確保に関わるリスク,第4に従業員確保難というリスクなど,一連のリスクを克服していかなければならない。

 

3.企業家精神

経営者は「事業機会を捉え,新しいアイディアを受け入れて,それを実現するためにリスクに挑戦する」という企業家精神を備えていなければならない。独立起業するベンチャー経営者の場合,これを起業家精神と言う。この企業家精神が欠如していたり,稀薄化することは経営者リスクの増大を意味し,企業衰退の原因となる。企業家精神の欠如は投資や革新への意欲減退を意味する。それは,企業組織の官僚制や保守性がその要因となっている。組織における企業家精神の向上策として,@製品・サービス・工程・技術・販売などの業務について定期的かつ徹底的な見直しを行い,活力を失ったものや古くなったものを組織的に廃棄する方針の確立,A事業機会を見据えること,B組織内におけるイノベーションの努力ついての公正な審査・評価体制の確立,Cイノベーションの受け皿となる組織体制作り,D組織内企業家の支援・育成体制の確立などが考えられる。

 

4.マネジメント・マイオピア

マネジメント・マイオピアとは,経営者の先見力の不足や未来予測の拙劣を意味する。その原因として,@成長しなくてはという脅迫観念,A現在の利益を上げようとするプレッシャー,B細かい問題ばかりに焦点を絞ってきた長い経験,C現在の業績に直結した昇進,D競争に打ち勝つことのみへの没頭,E外見上の株価の期待効果,F断片的なビジネス教育,G努力や意欲がすべての特効薬として強調されること,H多角化への誘惑,I陳腐なアイディアへの依存,J狭いキャリアパスなどが考えられる。こうした事項が原因となって経営者は企業の置かれた経営環境や企業の現状とその問題点について正確に把握できず,企業活動や経営方針に対する長期的な見通しが立てられないというマネジメント・マイオピアという症状に陥ってしまう。マネジメント・マイオピアを克服するためには現状を把握し将来を予測する能力の養成,経営ビジョンの確立,リスク感性の向上が必要である。 

 

4.リスク感性の向上法

リスク感性を向上させる方法として,@決断についての学習,A歴史に見られる危機回避の学習,B知的好奇心の保持,C全く異なる分野,異なる性格の人物との交流,D異文化体験等の方法が列挙できる。特に,過去の有能な経営者や歴史上の人物が,危機に際して,いかなる決断を下したか。それによってどのような危機を回避したかを学習することがリスク感性の向上に有益である。

(1)

 

(1)   本節における起業危機管理に関する記述は,亀井利明著『危機管理とリスクマネジメント −改訂増補版−』(同文舘,2001年)に依拠している。

 

 


第2節 南部靖之氏講演 

 

2002122日(月)

関西大学 高槻キャンパス 総合情報学部 TB107教室 基礎科目「経営学」の授業において

 

(南部靖之) 時がたつのは早いなあと思います。30年ぐらい前、皆さんと同じように学生で、自分の人生、就職するか、あるいは自分でビジネスを起こすか、あるいは海外に行くか、あるいは上へ進むかと、いろいろな選択があったわけですが、自分で自分のビジネスを起こすと決めまして、どこにも就職しないで、大学、学生時代に今の人材派遣という会社を作りました。ちょうど僕が23のときなのです。僕は1年留年していますから、5回生のときなのですよね。

 なぜ、留年したかといいますと、1年間、海外に行こうと。海外に行っていろいろな体験をしてみたい。やはり僕の友人は、勉強するためにアメリカ、イギリス、海外の大学に行くわけですが、僕の場合はそうではなかったのです。海外に行って文化の違いを知ってみたい、友達を作りたいと思いました。そこで選んだ国、選んだ場所はどこかといいますとシルクロードだったのです。それからインド、ネパール、ビルマ、タイ、その方面を自分の足で回ってみたいと思いました。

 学生ですからお金もない。そこで、自動車会社へ電話を入れまして、「ジープを1台無料で分けてほしい。そして自分がシルクロードを走ってみて、その結果を報告します。ですから、レポートを提出するから無料で分けてほしい」、こういうふうに頼みますと、そのころの自動車会社はいい車を作るために一生懸命だったわけです。値段は安いけど、あまりいい車ではなかったわけです。今のようなトヨタだとか、そういういい車はなかったものですから。そして僕は、その1台のジープをもらい受けまして、それをまずシルクロードへ運びました。そして後れて、僕は友達何人かでシルクロードを走ったわけです。

 そのジープは、走って1か月もしない間にもうエンジンが焼けてしまいまして、レポートもあまり書けなかったわけですが、途中であきらめて、インド、ネパール、ビルマ、タイ、ずっと回ったわけです。そのときの経験が、自分が大学を卒業するときに非常に決め手になったわけです。

 就職するべきか。僕の友達はみんな就職している。一部上場、二部上場、だれもが知っている知名度の高い会社に行く。それで、僕は考えました。インドのあの生活を見て、自分は豊かだと。なんて豊かな学生生活をエンジョイしているのだろう、2本の手と2本の足がある。これだけでも喜ぶべきだと。インドは、その当時,大変な状況だったわけですが、それと比べてみると学生でも非常に豊かだったわけです。ですから、自分は豊かだと。だから、安定を求めてみんな就職活動をするけれども、僕は自分で自分の人生を切り開いてみたいと思ったわけです。そういうインド、あるいはネパール、ビルマ、タイの国々を見て非常に勉強になりました。

 だから僕は、学生のかたがたによく言うのです。時間があったら、まず勉強する。勉強が嫌いなら旅行か海外に行く。海外をこの目で見ると、非常に参考になりますよ。僕の場合は、お金がないけれども海外に行きたいのだと、おやじに相談しました。お金を出してくれなかったのですが、「非常にいいから行っておいで」と。僕はこういうジープをもらって、ヒッチハイクで行きたいと。「体に気をつけや」と。最初は勉強に行くと思ったらしいのですが、僕は「勉強は嫌だ。だから体験としてこういう国々を選びたい」と話をしますと、それは非常にいいと言ってくれました。

 それで僕は1年間、約11か月、海外の今言った国々を回ったわけです。1920歳のときですから、20歳の2回生から3回生に上がるときに、僕は1年間海外に行って、留年しました。

 

ある就職セミナーで2人の学生と話をしました。大学の名前を語り、「浪人をしています」「留年をしています」、こういうふうに話しかけてきたわけです。僕は、何でそんなに卑下するのだろう、何でそんなに恥ずかしいと思うのだろうと、そういう二人の学生を見ながら感じていたわけです。そして、実際はそういう学生はひょっとすれば氷山の一角かもしれないなとも思ったわけです。ひょっとすれば、自分の大学に自信もない、自分の人生に対してあまり自信がない。この二人の学生にはいつまでも暗闇が続くなと思いました。光は差してこない。「おれはできる」と思えば、光は差してきますが、「おれはだめだ」と思い込んでしまったならば、面接に行っても自信がない人が出てくるわけですね。セミナーに来ても、おれはだめだという顔が、すべて出てきますから、どうしてもほかの学生から見ると元気がないように見えてしまう。そういうふうに感じたわけです。

 「この二人の学生には光は差してこんぞ」と。なぜならば、2223年間の学生生活はもう終わった。これから35年間や40年間の社会人生活が始まる。その始まるスタートのとき、このスタートラインで、なんと、もう終わった2223年間の学生生活で、評価点で、自分はだめだと思い込んでしまっている。これからは新しい社会生活が始まるんだよ、みんなスタートラインで、どの子が、これからかけっこで走るんだよ、そういうときに、もう「自分は負ける」と思ってスタートラインに立つのと、「よし、見とれ」と、これから35年間あるいは100メートルを1番になろうと思ってこのスタートラインに立つのとでは、全然気持ちが違う。その気持ちが結果を生むと思うわけです。今の二人の学生は、なぜそういうふうに思ってしまったのだろうな、なぜ最初から自信なげに言うのだろうなと思いました。

 僕が、セミナーの前に立ちながら、先ほど申し上げたように、氷山の一角に違いないな、僕の小学校時代、中学校時代、高校時代、大学時代を振り返ってみて、たくさんの僕の友達は、ほとんどみんなそういうふうに思い込んでいたなと感じたわけです。小学校のときも、勉強できる者に対して先生は委員長あるいは書記だとか、いろいろな役割を与える。中学校に入って初めて生徒会長は人気投票になった。でも、算数で100点を取る者、評価点が高い者は、子供の人格まで素晴らしいというふうに、周りの者もみんな思っていたな。こういうふうに自分の子供のころを振り返って、そして、二人の学生のような自信のなさもいたしかたないかなと思ったわけです。

 ではなぜ、僕の場合そういうように思わなかったか。母親が、いつもこういうふうに言っていました。「100メートルで1番になるのも、算数で100点取るのも、ピアノがうまい、マンガがうまい、絵がうまいのも、同じ才能だよ」。つまり、価値観の多様性ということを、僕にいつも言ってくれていたわけです。ですから、僕があまり成績がよくなくても、みんなから「南部は、いつも元気だ」と言われていたのは、自分なりに、こういうふうに母親の言葉を理解していたからです。確かに、試験の成績はよくないかもしれないけれども、自分は、「優秀なる落ちこぼれ」だ、数学でも算数でも国語でも物理でも負けるかもしれないけども、でも、走ればだれよりも速いぞ、絵を描けば自分なりの好きな絵が描けるぞ。そういうふうに自分なりに自分のことを思っていたわけです。だから自分で、優秀なる落ちこぼれだと思っていたものですから、勉強の分野では負けててもほかの分野では勝つ、こういう自信があったわけです。これは非常に自分に勇気と希望を与えてくれたように思います。

 小学校の3年か4年のころなのですが、算数の試験が非常によかった。家に飛んで帰って、母親は喜んでくれました。おやじが帰ってくるのを玄関で待ちかまえました。夜中の9時か10時か11時か、玄関からおやじが入ってくるなり、飛びついてこう言ったわけです。「算数の試験よかった。何点取った。だれだれちゃんよりも何点勝った。だれだれ君より何点よかった。勝った」。こう言うと、ほめてくれるであろうと思ったおやじが怒りました。

 「ばかもん。よう聞け。おまえをそんな息子に育てた覚えはないぞ。人と比べて、勝った、負けたとか言うな。たとえ80点でも、その前の試験が90点だったならば、10点下がったんだから、もっと勉強せい。たとえ30点でも、その前の試験が20点だったならば、頑張って10点よくなったのだから、もっと勉強せい」と、こう言ったあと、これは僕は非常によく覚えておりますが、「人と比べて、勝ったら勝ったで、てんぐになるぞ。人と比べて、負けたら負けたで、ねたみ、ひがみ、やっかみというものが生まれるぞ。人間にとって、ねたみ、ひがみ、やっかみは、いちばん醜い」。こう言って中に入っていったわけです。

 僕は小学校のころですから、意味が分からなかった。中学校、高校に進むにつれて、それでも意味が分からなかった。でも、怒らないおやじが怒ったわけです。ですから僕は、なぜかなとずっと思ってはいたわけです。小学校のことは僕はあまり覚えていないのですが、その光景ははっきりと覚えています。

 高校の2年のときに、もう1回おやじから言われたのです。怒られたというか注意をされたというか、教えてもらったといってもいいかもしれない。なぜかといいますと、数学の試験が全然できなかった。それで答案用紙を見ながら、僕は思いました。「おれは、こんな問題も解けない。みんな賢いなあ。なぜ、おれはこんな問題ができないんだろう」と思って恥じていたわけです。その姿を見て、またおやじがこう言いました。「靖之、何を恥じているんだ。人に迷惑をかけたときに恥じよ」、こう言ったわけです。僕は「なるほどな」と、これはすぐにピンと来ました。試験ができなかったのは自分が悪いのだ。人に迷惑をかけたならば確かに恥じるべきだけれど、何も人に迷惑をかけたわけでも何でもない。だから、もっと勉強せなかんな、こういうふうにそのとき理解できたわけです。

 このことがあるから、僕が大学に入って3回生を迎えて就職活動をするときに、また参考になったわけです。一つは海外へ1年近く行き、インド、ネパール、ビルマ、タイを見て、文化の違い、自分の豊かさ、2本の手と2本の足があれば、何も安定志向で大会社あるいは知名度の高いところに入らなくても何でも自分でできるぞ、こういうふうに思ったのがまず1点です。

 二つ目に、人と比べてはいかんぞということ。「あいつ、アホやで」と、友達がよく言っていました。勉強できないやつを「アホやで」と。僕は、人と比べてどうこうでない、算数で100点取るのも、100メートルで1番になるのも、同じ才能だと聞いていたものですから、僕は友達がいっぱいできたのです。勉学ができる者は勉強できる者で固まりました。勉強できない者はできない者どうしで、また固まったのです。でも僕は、勉強できる者も勉強できない者もみーんな友達、たくさんできたわけです。それは、「100メートルも、算数1番になるのも同じだよ」というふうに教えられていたものですから、そんなに友達に対して、区別をする必要がなかったわけです。

 そして、今、申し上げたように、今度は人と比べてはいかんぞ、「みんなが就職するから、みんなが一部上場へ行くから、じゃあ、自分も就職しなければならない」というふうには思わなかったわけです。自分の人生は自分で作る。人は一部上場、二部上場へ入ろうが、ほかの友達は安定志向で知名度の高い会社に入ろうが、自分としては何をしたいのか。自分の役割は何だと。大学をこれから卒業する。社会人になるための、自分の役割は何かということを真剣に考えたわけです。

 そして、みんなは確かに就職するけれども、自分のしたいことはそういうものではなかったな。そんなことを考えたりしてはおりました。だから僕は、就職活動も実際はしましたが、就職活動をしながら、ふっと疑問を感じたことがあったわけです。なぜ自分は今、就職活動をしなければならないか。今の皆さんもそうですよね。3年の終わりかあるいは4年の初めに就職活動をするわけです。何で今就職活動するのでしょうね。おかしいと思わないですか。

 なぜならば、3年の終わり、4年の初めに就職が決まって、そして、ああ、自分は金融関係、あるいはIT関係、ここに就職するのだとします。卒業まで1年間あるのですよね。1年の間に、世の中、どう変わるか分からないですよね。合併するかもしれないし、倒産するかもしれないし、大リストラになるかもしれない。にもかかわらず、1年前に就職を決めて、1年後、あるいは卒業の1年前に決めたところに行かざるをえないというのは、僕はおかしいと思うのです。なぜ学生に働くということに関してもっと選択性がないのか。いろいろな雇用インフラ、選択がもっとあってもいいのに、みんな同じように4月から就職する。同じように1年前に就職活動をして決めていく。これは本当に疑問だと思うのです。僕もそのころ思ったのです。

 三つ目は、終身雇用に関する疑問です。僕は、疑問に思ったことを、「じゃあ、自分でビジネスを、これを起こそう」、こういうように思いました。ほんのちょっとした疑問です。ほんのちょっとした疑問が26年たってみて、今振り返ってみると、法律までできました。派遣法。そして今、なんと、小泉政権のいちばんの政策課題が雇用創出なのです。

 この間も、5.5%の失業率という最悪の数字が出ましたが、今、政府は、不良債権処理策をいろいろと進めています。それはなぜか。国民が安定した仕事に就く。収入を得るための経済政策をどんどん打っているわけです。小泉政権のいちばんのセーフティネットを、今,人材派遣ビジネスにいる僕が扱っているわけです。26年前の学生時代に思いもよらなかった、想像もしなかったことが、今現在起こっているわけです。

 学生時代に、人と比べないで、自分で就職活動をしながら、「おかしいぞ」「変だなあ」と思ったときに、僕は就職はしないという結論を出しました。このときに、また普通ならば、両親が大体、「そんな身分不安定なことをしてはいかんよ。大体フリーターになってはいかんよ」と、こう言うはずだと思うのですが、なんと、僕のおやじは、それを言わなかったわけです。母親もそういうふうに言いませんでした。

 それに対して、僕に「そういうふうに思ったならば、それをまず試してごらん」と言った。そして僕に言った言葉を、僕ははっきり覚えています。「かわいい子には旅をさせろ」「艱難辛苦(かんなんしんく)、なんじを玉にする」。「靖之、今、安定志向よりも、思ったことをどんどん自分で試してごらん。その苦労は全部自分に返ってくるよ。若いときに苦労をして、そしていろいろな体験というか経験をしながら学んだほうがいいよ。体で体験したほうがいいよ」と、そう言ってくれたわけです。

 もう一つ、こういう言葉も覚えています。おやじが、僕が独立するときに言ってくれた言葉なのですが、「土薄き石地かな」。土が少ない、岩だらけのところから出るのには時間がかかる。大変だけれども、土が少ない薄き石地の地面から出てきた雑草は、いったん芽を出すと非常に強い。今度は倒れない。こういうふうに僕にそのことを教えてくれたわけです。

 普通は違いますよね。一部上場なり二部上場、あるいは知名度があるところ、一般に言っているように、就職課長さんが言うように、先輩の大学へ押しかけて、先輩と会って、よく聞いて、そして自分の人生をその先輩に委ねなさいということになると思うのです。僕のおやじは、今、言ったように、全く逆だったわけです。「若いからこそ、自分でいろいろなものを学びなさい。若いときにそういう経験をしなさい」と言って、僕は就職活動をやめた。それに関して、賛同もしてくれましたし、会社を作るときに資本金も少し出してくれたわけです。

 僕は学生時代の僕の彼女に相談しました。そうすると、彼女も「それは面白いから手伝うわ」と言った。そう言って応援をしてくれたわけです。大学の先生も、友人も、みんなが支援してくれたものですから、僕は非常にスタートラインに立ちやすかったわけです。そこで僕は自分で「優秀なる落ちこぼれ」で、勉強では負けてもほかでは負けないという自信があったものですから、スタートラインに立つときは、だれよりも自分なりにできると、こう思い込んでいました。だから、それが多分うまくいったのだろうと思うのです。これをもし、「算数で100点取るのも、100メートルで1番になるのも同じ価値観だよ」ということを言ってくれていなかったならば、多分自分に自信がなく、会社に入ってから、いろいろなことを覚えてから、あるいはスタートしはじめても、「おれはやっぱりだめだなあ」と落ち込んでしまっただろうという気がします。ですから僕は、非常に恵まれた協力を受けたなという気がします。

 こういう話が参考になるかどうか分からないのですが、ここにいる皆さんは、そういう意味で、右か左か、どういう人生をこれから歩んでいくかという、いちばん大切な時期でもあると思うのです。ですから、そういうときに、自分なりに自分が何をしたいか、何のために自分は生まれてきたのだろう、何のために社会人になるのか、こういうことを僕は考えるべきではないかと思います。

 自分の性格や自分の人生は、高校までは親の責任であったり、教育だとか環境によって作られます。でも将来に対する、未来に対するいろいろなこと、あるいは自分の性格は、大学に入ったら自分で変えられるものです。自分で作りかえることができることです。僕はそう思っています。大学に入ったら、自分の将来は自分で築く。自分の性格も自分で変える。そう思って日々努力すれば、僕は非常に先が明るく開けてくると、そう思ってはいます。価値観の多様性ですから、僕はそういうふうに教わった。それでまた自分なりに人と比べてはいかん。これも、おやじから教わった。

 最近僕は、学生と会うチャンスが多いわけです。今、1年間で100ぐらいの大学、けっこう多いと思うのですが、2日にいっぺんぐらい、3日に2日間ぐらい、いろいろな学生と会うチャンスがあるわけです。2年ぐらい前に、自分の仕事は少し横に置いておいて学生と会おう、いろいろな学生と会っていろいろな話をしてみたいと思い、北海道から沖縄までいろいろな学生と一緒に話をしながら、あるいはこういう講演の場を作ってもらったり、もう少し少ない、10人、15人ぐらいのゼミで話をさせてもらってもいます。

 そのときに学生と話をしてみて感じることが多いです。僕の時代と比較してどうこうというわけではないのですが、ここ1年か2年学生と会ってみて、30年前、僕の時代の学生との違いを非常に最近感じます。何かといいますと、三つ感じるわけです。僕の時代と、今の学生、君たちと会ってみて、君たちから僕は感じるのです。5年、10年前と比べてみても若干その傾向はある。20年前と比べてみると明らかに違う。30年前の僕と比べてもそう、はっきりと違いが言える。それぐらい三つの違いがあるのです。

 何か。一つは、これは明らかに違う。みんな体力がない。活力やエネルギーがない。はっきり言える。僕のころはまだそんなに豊かな社会ではなかったですから、その後、いろいろな乗り物だとかエスカレーター、エレベーターという、5階建ての建物でも、アパートでも、エレベーターのついているところはなかったので、みんな走り回っていましたから、当然元気だと思うのです。今はエレベーターにエスカレーターに、歩く歩道まであります。

 この前も、僕が神戸大学に行くときに、六甲道から神戸大学まで歩くわけです。2530分ぐらい歩くわけです。忙しくても、関係なく歩くのです。途中で、女子大がありました。僕が歩いている間に、何十台と列をなしてタクシーが往復しているわけです。おかしいなと思って見てみると、乗客はすべて女子大生だったわけです。後ろに3人、前に1人と4人が乗っているわけです。聞きますと、10分以上歩かない。4人で分けると安いからといってタクシーに乗る、そういうようなことを言っておりました。

 その帰り、ちょうど六甲道から大阪まで電車に乗ったわけですが、僕は子供のころから、親に「電車に乗っても座ってはいけないよ」と言われていたし、自分でも空いていても座らない。なぜかというと、次の駅で、ご年配が乗ってくると嫌だなあと思うときがときどきあるものですから、もう座らないようにしているわけです。僕のちょうど前にアベックの学生が二人座っていました。そこに芦屋からご年配のかたがたが、杖をついたかたがたも含めて団体で7〜8人乗ってこられたわけです。二人の学生の男の学生のほうに僕は言ったわけです。「後ろを見てごらん。後ろにご年配がいるから席、代わってあげて」と言いますと、その学生は僕にこう言ったわけです。「何で。僕も疲れているから」、こう言うわけです。すかさず僕は、その横のガールフレンドに「友達に言ってあげなよ」と言うと、そのガールフレンドは友達の顔をじーっと見たまま、何も言わずに僕の顔を見るわけですね。それで僕も頭に来たから、関西弁で「どきぃ!」と怒ったのです。「立て!」と怒って、そしてその二人は立っておりましたが、本当に疲れた顔をしているのです。見るからにでれーっと、疲れたーという感じでしているのです。多分、ゲームだとか、あるいは分からないけれどもパソコンとか、あるいは塾だとかということで、そういう体を鍛えるという時間があまりなかったのかもしれませんよね。

 僕のころというのは、中学時代に僕は鉄げたを履いていましたから(笑)。ど今現在も1日に3時間は運動します。どんなに忙しくても3時間は運動する。土曜、日曜は大体4時間ぐらい運動しますから、この中で、僕と腕相撲でも走ってもいいのだけど、勝つ人は多分いないと思いますよ。僕だけではなくて、僕の友達もみんなけっこう体力あったと思うのです。

 体力と活力がないということはどういうことかといいますと、将来、日本の国をしょって立つリーダーに欠けてくるのです。リーダーの条件は、先見性だとか、そういうものは何でもないのです。リーダーの条件でいちばん必要なものは何かといったら、活力なのです。小泉総理が国民に呼びかけます。竹中平蔵大臣が不良債権処理をみんなに呼びかけて、例えば国をよくしようと思って、総理大臣としてあるいは大臣として呼びかけられますが、必ず反対者が出ます。その反対者を賛同させる方向に持っていくだけでもエネルギーがいるのです。この中でクラブ活動の部長さんがいたとします。部員が30名、50名いた。その30名、50名をまとめるだけでもエネルギーがいります。会社、パソナならパソナには20003000名の社員がいます。こういう仲間をみんな一つの方向に導くためにもエネルギーがいるのです。

 絶対条件として活力とエネルギーがない人はリーダーになる資格はないと思うぐらい、活力とエネルギーはいるのです。体力と同時に、精神力もいるのです。体力に劣ると、精神力も正義感も生まれてこないです。その二人の学生は、電車で席を譲ろうと思っても、自分が疲れていたならば、体力がなかったならば、しんどいのですとなって、正義感さえ生まれてこないのです。だから、僕はいちばん大切な体力に欠けるということは、日本の将来のリーダー、政治家、あるいは官僚、あるいは会社を動かすリーダーになる人が非常に少なくなってきたなと、そう思っています。

 二つ目に学生に接していて思うこと。近頃といったら怒られるかもしれないけど、個性がない。この間も、パソナに受けにくるのにもかかわらず、茶髪を黒髪に変えてくる。なぜ茶髪がいけないのですか。僕は茶髪が日本を変えると思っています。ただ、社会人生活をするためには、社会人生活としての黒髪も必要かもしれないけど、学生は、これから文化人になるかもしれないし、スポーツマンになるかもしれないし、海外に行くかもしれない。自分を主張するということに対して、もしそれを抑える人がいたら、僕は果敢に戦うべきだと思うのです。

 個性がないということは、挑戦する力に欠けるということです。もっと言えば、自分を表現する能力に欠けるのです。なぜか。それは家のおやじの力がなくなったからかもしれない。あるいは自分の家の文化がなくなったのかもしれない。同じような生活をして、同じようなところに住んで、同じように教育を受ける。教育もそうですよね。昔は寒いところには寒いところの教育がありました。暖かいところには暖かいところの教育があった。今は一律に同じ教育、教科書、これを1年間でこなす。こなさなければならない。そのカリキュラムに従って生徒を教えていきますから、寒いところも暑いところも同じ教育をします。文化の違い、あるいは民謡もこれからは生まれてこないのではないかと思うぐらい、同じようなものです。家でも、みそ汁の味、母親のみそ汁、友達の家で食べるみそ汁は、違ったのです。たくあんの味も違いました。同じように、おやじの考えが息子に伝わるのです。それが伝わらない環境になったのかもしれない。核家族で、あるいは大学でおやじと離れて、家族と離れて暮らしているからかもしれない。だんだん伝わるそういう家の文化というものを伝授しなかったわけです。

 先ほど、僕はおやじのこと、おふくろのことを言いました。これがたまたま一つの事例なのですが、NHKの教育フォーラムに僕は出たわけです。その教育フォーラムで、僕以外の全員、4人が大学の教授だったのです。それで1時間の番組の最後に、アナウンサーがこう言ったのです。「最近はいじめが非常に多い。それについてどう思われますか」。それで学長から順番に聞かれて、僕が最後に回ってきたわけです。僕の前まではこういう結論でした。「いじめは、非常に問題だ。だから、規制、ルール、あるいは法的に取り締まるべきだ」。最近、非常に悪質ないじめが増えてきた。だから、いじめを取り締まるべきだと、これが僕の前までだったわけです。

 僕のところにマイクが回ってきました。それで僕はこう言ったのです。「いじめのどこが悪いのですか。いじめがなぜ悪いのですか」。社会人生活をすると、社会人生活はすべていじめの社会ですよ。もし、いじめをなくした教育を受けた子供たちが大学を卒業して社会人生活をすると、いじめに耐えられませんよ。日本中、じゃあみんないじめがなくなればいい。では今度、世界と戦うために、世界からのいじめもありますよ。もうこの世の中全体にして、今この年でもいじめられるのです。だれにいじめられるか。官僚の労働省からいじめられるのです。いろいろなクレームつけてこられるわけです。

 まだ2526歳のころなのですが、僕が仕事をし始めてすぐのころ、新規事業を発表しました。はがき1枚、労働省から届きました。「先ほど南部さんが発表したあの新聞記事について質問したい。よって、何月何日の何時に労働省の何階に来ていただきたい」。こういうはがきが届いたわけです。僕は、その1枚を見て、こう思いました。最高学府の勉強を受けた、高等教育を受けた人の書く文書かと。人に物を頼む場合に、こういう文章を送ってくるそのものが問題だと思いまして、僕は、赤ペンで添削をしてあげたわけです。「何月何日の何時、何月何日の何時、何月何日の何時からお選びください。ついては先ほどの新聞の記事について、質問、お聞きしたいことがありますので、お伺いさせていただきます」、こういうふうに添削をして、それを労働省に送り返したのです。なんと返事が返ってこない。普通、手紙をもらったら必ず返事を書きますよね。そういうふうに僕は思うのですが、高等教育、最高学府を修めた労働省の役人の文書であるまじき行為、それを僕はおかしいなと思ったわけです。そして、労働省と戦ったり、いろいろとしているわけです。

 これはなぜかといいますと、簡単なのです。戦うということに関して、僕はおやじから引き継いだわけです。どういうことかといいますと、これも小学校のころなのですが、僕の友達がいじめにあった。そして、そのことを家に帰って、家族団らんの食事のときに、おやじに報告しました。子供ですから、いちいち何があったということを自分の見たまま報告しました。おやじに「今日、僕の友達がいじめにあった。かわいそうだった」、こう言いますと、おやじが一言「靖之、そのとき、おまえは何をした」と言うわけです。僕は「隠れていた」と言うと、「ひきょう者」。僕が「え?」と言うと、「なぜ、戦わなかったか」。僕は言いました。「相手、強いもん。負けるもん」。こう答えると、またおやじが「それならば、1対1で負けるならば、5人友達を連れてこい。5対1で負けるならば10人連れてきて、10対1で、なぜ戦わなかった」と、こういうふうに僕に言ったわけです。「10対1で、なぜ10人で戦わなかったか。今、ここで飯を食いながらかわいそうと言うならば、それでなぜ戦わなかったか。ひきょう者」。こういうふうに僕のおやじは僕に言ったわけです。で、僕は、なるほどなと思いました。

 そして、その次、また僕の知っている人が僕の友達をいじめているわけです。教室へ入ると、僕は今度は考えました。そして走って、友達を誘ったわけです。「僕の友達がいじめられているから、みんな助けようよ」、こう言って、5〜10人友達を集めまして、いじめているその男をトイレの裏まで連れていって負かしました(笑)。それで僕、思いました。「なるほどなあ、頭を出せば、知恵を使えば勝てるのだ」、こういうことを教わったわけです。そのとき、もしおやじが戦えと言わずに、「そや、逃げててよかったな。そんなとき負けとかんとあかんのや。おまえまで泣かされるで。」と言われたならば、僕は、友達を誘って、そして10人呼んできて戦うことをしなかっただろうなと思うのですよね。そういう場面が常にあったわけです。だから僕は、大学を卒業してから自分でビジネスをし始めると、いろいろないじめ、官僚関係だけではなくいろいろな問題に出くわすわけです。そのたびごとに戦うのです。その問題を解決してやろう、こう思ってチャレンジをしているわけです。

 おやじの考えが僕に伝わったわけです。だから、僕の息子にも今それを言っています。僕の息子にも「まず時間があったら、体力、体を鍛えろ」と。そして、「正義感を持つためには、体力がないとだめだよ。自分の個性を埋没させたらいけないよ」。それから、「勝て。戦え。挑戦しろ」ということを、僕もまた子供に伝えているわけです。多分、おやじはその上から伝わっていたと思うのです。そういう家の文化で、そういうものを築きながら個性というものが生まれてくるのです。そこに、あまり個性を感じないということは、そういうチャンスがないのか、おやじの力がなくなったのか、そういうコミュニケーションに欠けているのか、何かが問題があるのではないかなという気がします。二つ目はそういうことです。

 三つ目は、非常に最近思うのですが、無関心の学生が多い。社会のこと、あるいは政治、経済のことに対して無関心。勉強の単位を取るためには一生懸命頑張る。損得で得をすることはやるけれども、損をすることはやらない。そういう感じがするわけです。

 僕の場合は、先ほど言ったように、就職するときに、何をしたいのか。それを安定志向という就職課長の言葉に逆らったわけではないのですが、自分で「よし」と思って、このビジネスをし始めたわけです。多分、損得といえば、わかりにくいかもしれないけれども、安定志向を取る、それは自分にプラスになるのなら、それを僕も取ったと思うのです。「土薄き石地かな」「艱難辛苦、なんじを玉にする」という言葉とは逆の方向に自分を置こうという教育を受けたのかもしれない、そういう気がするわけです。

 無関心の学生が多い。そんな気がします。今日の日経新聞を見ながら、今日の出来事あるいは今のセーフガードの問題をはじめ、今の政権の問題、何が問題だろう、今の国会がどういうふうに運営されているのだろう、そういうのにあまり関心がないだろうと思うのです。

 僕の学生時代というと、また語弊があって怒られるかもしれないけど、僕は工学部の応用科学で、工学部全体の校舎の研究所のところに壁がありました。その壁一面に、僕は毎週、自分の思うこと、感じること、政治経済に対して、壁新聞を書いていたわけです。それに関して、僕の友達がまた書きます。そして月にいっぺんか2か月にいっぺん先生がやってきて、それに対してみんなで話し合うわけです。安保の問題もそうです。ストの問題も、みんなでどうするかという問題を話し合いました。工学部の応用科学の学生が、政治経済あるいはそれ以外のいろいろなことに関して、壁新聞で思っていることを言っていたわけです。社会学部からも経済学部からも文学部からも、その壁新聞を見に来ておりました。僕だけではない、壁一面に書いていたわけです。毎週月曜日に自分の感想を書くのが僕の仕事だったわけです。そういうようなことをやっていました。今、非常に校舎はきれいです。きれいでも、そういう動きが見受けられない。

価値観の多様性というもの、それから、もう一つ、自分をいかに個性を表すかということ、それによって今進路を決める立場にあると思いますから、あまり惑わされず、こだわらず、とらわれずに、何のために自分はここにいるかという自分の役割を考えながら将来を決められてはいかがでしょう。そう思って、お話をさせていただきました。

 

(亀井)どうもありがとうございました。それではどんどん質問やコメントを。

(南部) 「それはおかしい」っていうことでもいいですし。

(質問者1:亀井ゼミ・久保田剛史) 4回生の者ですが、素晴らしい話、ありがとうございます。だいぶ今日、ここで、影響されたことがあると思います。

 大学生のときに南部さんは、就職活動に対して、どのように思われていたのか。もう一つ、終身雇用の問題に疑問点を感じたとおっしゃっていたのですが、この終身雇用のどういうところに疑問を感じておられるか。

(南部) 僕は就職活動をしながら、なかなか採用が決まらなかったのです。「優」が少ないし。僕の友達はどんどん決まっていったのだけれどもね。僕は就職活動をしながら、担当の課長さんに質問をしました。「なぜ採用してくれないのですか」と聞きますと、「君を雇うと、一生面倒を見なければならないし、何億円もかかるのだ」と。僕が会ってくださいといっても、「今、忙しいから会えない」。不採用でなく、今忙しくて会えない。この時期が終わったら会ってあげようと言ってくれるのです。そういうことはおかしいなと思っていろいろ調べてみると、なるほど、人事部は採用シーズンだけ忙しい。国際ディレクションは夜間だけ忙しい。海外でも通信がありますから。電話交換は朝と晩が忙しい。経理は決算期だけ忙しい。こういうことが分かったわけです。にもかかわらず、社員を採用するときは一生面倒を見るという終身雇用しかない。僕は、忙しい時期だけ、その専門の、例えば国際関係の電話交換とか、そういう人を雇えばいいのではないかと思ったわけです。それが今の人材派遣のいちばん最初のしくみなのです。

 今までは働く者が選択できなかったわけです。本当の自分は学生結婚をして、あるいは2年後に結婚生活に入って、あるいは本当は3年後にアメリカに留学したい。いや、おれは本当はNPOでこういう活動をしたい、その資金を集めるために働けたら2年間だけ働きたいと思ったが、働けなかった。ここにいる人たちは、選択性がなかったわけです。大学院に行くか、アメリカに留学するか、居残るか、留年するか、就職するかしかなったわけです。今はフリーターという言葉がありますが、そのころはなかったでしょう。だから就職といったら、全員が終身雇用しかなかったわけです。それでみんなを見てみて、自分は違う。では自分なりに、そういう雇用インフラを作ってやろうと思ったわけです。それが終身雇用に対する僕の疑問です。単純な疑問。でもそれが、先ほど申し上げたように、今、セーフティネットとなっているわけでしょう。すごいですわね。

 何でもけっこうですよ。何でもいいですよ。こういう点を聞いておきたいなど、何でもけっこうですので。

 この間も、学生が「フリーターについて、どう思いますか」と、僕に聞くのです。ちょうどNHKでフリーターの番組があったときだと思うのです。僕は、「結論はどうでした。NHKのその番組はどう言っていましたか」と聞くと、学生は「フリーターはよくない。たしか社会悪だという結論でした」と言うわけです。僕は驚いたわけね。何で、フリーターが身分不安定で社会悪なのか、全然分からない。なぜか僕には全然分からない。いちばん問題なのは、みんな平等に与えられた時間、将来に対して、自分で決めたかどうかであって、そのフリーターという立場、それが僕は問題ではないなと思うのです。

 君たち、学生でしょう。この中には、一度しかない人生なのだから、山の中へ入って木こりをして頑張ろうという人もいるかもしれないし、自分は文化的な才能があるから、2〜3年フリーターになって、それからもう一度音楽へチャレンジするという人もいるかもしれないし、自分はNPOで海外協力隊で海外に行って頑張りたい、ボランティアをやりたい人もいるかもしれないし、いろいろな人がいると思うのです。そのために、いろいろな立場も増えたのであって、そして自分の夢を成し遂げるというのは、僕は素晴らしいことだと思います。

 ところが、僕はこう思うのだけど、自分の意思でもってそういう道を選んでいるフリーターは素晴らしいと思う。だからフリーターになるのも、大会社の社長になるのも、ベンチャーの経営者になるのも大差はない。問題なのは、自分の意思でフリーターになる、自分の意思でベンチャーを起こして歴史を変えたい、自分の意思で大会社に入ってその大会社を使って世の中に呼びかけたい、そういうことならば、すべて素晴らしいと思うのだけれども、何となく気がついてみたら仕事がなくってフリーターになっていた。ふっと気がついたら就職できずにフリーターになっていた。ふっと気がついたらたまたま頭がよくて、東大に入って、あるいは親から譲り受けた才能でもっていい会社へ入って、ふっと気がついたら課長になって、50歳になってリストラになっていた。これは僕は問題だと思うのです。

 自分の意思で、大学院に入るかベンチャーを起こすか、フリーターになる。これは素晴らしいけれども、同じように、何となく大会社に入る、何となく就職できなかったからフリーターになった。それでは問題ではないかなと思います。僕はフリーターそのものは問題ではないと思います。

 

(質問者2) 1回生です。先ほど、一人いじめられていたのをみんなで負かした、仲間を集めて、負かしたという話がありました。では、もしですが、仲間が集まらなかったらどうするつもりでしたか。

(南部) 分からないけれど、集まるまで集めているだろうね。子供なりに。集まって、それに1時間かかって、帰ってみたらもういなかったりするかもしれないけどね。あまりそういうことを考えなかったからね。ただ、僕が声をかけると、すぐにみんな集ったからね。何か声をかけようという人もいなかったから。だから僕は戦うということを教えられていたから言えたのだけどね。

 今もほとんどの会社だって、みんな同じですよ。みんな会社へ入るでしょう。いろいろな会社へ入る。入ったって、戦う会社は少ないからね。「自分の会社だけよくなればいい」と、損得勘定で動くわけです。損得勘定が動くから、社会に無関心なのです。自分のところで作った会社の廃液が川を流れて、山を越えて、隣の村へ流れていって水俣病になったとか。今の食品関係もそうでしょう。いっぱい出ているではないですか。賞味期限を変えてみたり、産地を変えてみたり。自分の利益、損得でしか動かないわけでしょう。

 では、昔はどうだったかといわれると、社会現象というのは、学生だけでなく、すべての層に現れるのです。だからもしかすると、今の世の中全体がそうなっているのは、そういうふうに教わっていなかったのかもしれない。ただ、その点僕の場合は、おやじからそういうふうに聞いて、そしてみんなに声をかけたわけです。

 だから、今でも僕はみんなに声をかけているのです。パソナという会社を超えて、みんなでこういう問題を何とか解決しよう、あるいは官僚に対してものを申すべきだとか、そんなことを働きかけています。そのときに、「もし集まらなかったら」とは、僕はあまり考えなかったです。確かにね。今も、もし僕が動かなければ、あるいは声をかけたけどみんなが集まらなければどうなるんだろうと考えていないから。

 あさって、日本雇用創出機構という、大きな雇用創出のためのインフラを発表します。みんな集まって僕がそこでぶち上げます。どんどんやりますけれど、みんな集まらなかったならばということは考えていないです。必ず今、僕がやっていることで世の中が変わると思っていますから。雇用のインフラが新しく生まれる。その日が12月4日と。僕は歴史的な日を作る、こう思っていますから。常に「できない」ということはあまり考えないです。

(質問者3:亀井ゼミ・安井未紀) 亀井ゼミ3回生の安井です。今日は、素晴らしいお話をありがとうございました。これから就職活動をするに当たって、特に参考になったと思います。

 先ほど、南部さんが、今の学生と昔の学生とは三つの点で違いを感じるというふうにお話しされたのですが、新卒者への対応の際に、このパソナという会社において、どういう新卒、特に面接など試験の際に、どういう点を求められるのか。どういう人材を求められていますか。

 

(南部) そういうことはよく聞かれるのだけど、僕は今のパソナを受けたい、パソナに入りたいという人は、僕は毎年全員に会います。今年も多分、何千名、1万近いかたがたに僕は会うと思うのです。これから来年の1月から4月まで、5月ごろまでなのだけれど、特に僕の時間の7割は学生との面談です。それで、そのときに僕は何を見るかといったら、あまり履歴書を見るだとか、あるいは健康診断書を見るだとか、見たこともないですし、そういうことを聞きもしないです。ただ、将来何をしたいのかということを聞いてみたり、「今、どういうことを考えて、毎日過ごしているの」ということを漠然と皆さんに聞くだけなのです。つまり、自分というものに対して非常に意識をしているかどうか。悪い意味ではなく、自意識とかそういう意味ではなくて、自分の立場をどう考えているか。だから、「人材派遣会社は面白いから」「人材派遣会社の中で、いちばん大きいからだ」とか、そういう学生には僕は全然興味がないのです。それよりも、「自分はこうこうしてみたい」ということをはっきり言えるかどうか、そういう項目を必ず質問に出すのです。そういうのはあまり関係ないですよね。

 学生でも、あるいは大人になってからでも、しっかりした自分の役割を認識せずに大人になった人はいっぱいいますからね。この間、うちの社員というか仲間なのだけども、大企業の社長を見て、ぺこぺこするわけね。僕は怒ったのです。「こら! 何ぺこぺこしてんのや。コーヒー1杯でもおごってもろたんか」と。ご飯でもおごってもらうか、お茶でもおごってもらったら、ぺこぺこしてもいいけども、「そんなにぺこぺこするならドコモにしなさい」と言ってね(笑)。でも、みんなそういうふうになってしまうのですよね。

 政治家の先生は偉いと思うでしょう。何で先生が偉いのですか。分からないではないですか。大体「先公」と呼ばれる人から物を学ばないでしょう。先生の自覚のない人からは、物を学べないですよね。尊敬できる人、この先生は尊敬できる、この先生についていこうと思ったら、いろいろなものを知識として吸収できるではないですか。僕はそういうふうに思っています。ところがみんなは、先生はすべてこうだとか、大臣は全部こうだとか、大会社の社長はすべてすごいとか、こういうふうに仮定して頭では考えるでしょう。僕は、学生であろうが、大人であろうが、関係ないと思う。自分の意思をはっきり言える人。言えない人は60になってもだめだと僕は思うけれどもね。

 僕の友達で、50になったって何を考えているのか全然分からない人はいっぱいいる。「みんなで合コンしよか」「いや、おれ、もう帰るだけや。おれもリストラに遭うからなあ」とかね。学生時代はすごく優秀で、国立大学に入っていた僕の友達、神戸大学、大阪大学、京大、東大などいっぱい入った友達が、みんな今リストラに遭っているのです。この間も同窓会があったのです。僕が「ベンチャーを起こそうよ」と言ったら、「いや、起こす金もないし、今更こんな時代に何考えてんねん。南部とは別なんやから」と。こういう人、いっぱいいるのですよ。学歴でいったら素晴らしい高等教育の最高学府のところまで行きながら、「もうだめや」と思い込んでいる人がいっぱいいるわけでしょう。寂しいよね。

(安井) ありがとうございました。

(質問者4:亀井ゼミ・盧寿龍) 4回生の盧と申します。南部さんのお話の中でリーダーの条件として活力、エネルギーがあるというのを、すごい共感したのですが、僕もいつか将来経営者になりたいということを頭の片隅に置いているのです。もしよろしければ、元気や活力以外にリーダーの条件というのがあれば教えてください。

(南部) 教えてあげよう。一に活力、二に活力、三に活力、四に活力、まず活力(笑)。ここができなければ、あとの条件はいらない。東大を出て、どんなに優秀で、どんなに知識豊富で、お金持ちであったとしても、なくするのは早いからね。お金があるから嫌だと言えないでしょう。お金というのは、確かに不幸からは救ってくれるけれども、必ずしもお金が幸せに通ずるかどうか分からないでしょう。

 活力は自分に勇気を与えるよ。元気ならばね。活力は「気」だからね。気の元というのは、元気でしょう。気が病むと病気でしょう。気が向いたとき、気が向くというでしょう。すべて気でしょう。だから活力というのは気だから。気がなくなるということは、ちょっと僕は寂しいと思うよね。すべての状況は気、活力だと僕は思います。

 またこれは平等に与えられていないのですよね。才能もそうでしょう。子供のころは非常に頭がよかった。そういう人が大人になると何をやっているか分からない。才能も平等に与えられているのではない。また才能も、磨かなければ削られていくんだよね。活力は、けっこうみんな平等に最初は与えられている。気だから。みんな最初は元気から始まるから。それで悩んだり、病気すると、気がなくなってくるのです。常に元気なように、気を取り戻すことで乗り切りましょう。

(質問者5) 僕は現在、3回生で就職活動をしているのですが、目標を持っているのです。その目標が、今学生時代に持っている目標じゃないですか。南部さんに質問したいのですが、南部さんも、もちろん学生時代に目標を何か持っていたと思っていたのですが、その目標が、今変わっているかどうかということを教えてもらいたいのです。

(南部) 26年前の僕の目標と今と、全く変わっていないです。あのときの僕は、大きな会社を作ろうだとか、金持ちになろうだとか、上場させて豪邸を建てたいとは全然思わなかった。僕の目標は、働きたい人たちが働けない、家庭に入った奥様がたが子育てを終えてそれから働こうと思っても働けない、そういう状況を学生ながらに目の前で見て、そして自分も学生ながらにおかしいと思って、そのことに対してチャレンジをしようと思って自分で企業を起こしたわけです。ただ、それが今の規模になっていっただけです。

 50になった今の僕は、政府は100万人雇用をうたったわけです。僕は200万人雇用を、今から4年ぐらい前にうたったのです。それを実行するために、僕はパソナの社長もやめて、それに向かって努力をしているわけです。だから目標は全然変わっていない。新しい雇用リーダーを作る。4年前に立てた200万人雇用の大きな骨格が、12月4日、あさって発表されるのですよ。だから変わっていないですよ。

 だから、もし活力の次をいうならば、「ずれない、ぶれない理念・志」を持ちつづける力があるかどうかだと思うね。ずれない、ぶれない理念、志を持ちつづけるかどうか。

 それから、もし言うならば、戦略、戦術。ビジネスプラン。マーケティングのいろいろなプランかもしれない。そのように僕は思いますね。

 この活力がなくなると、そして、すべてに規範がなくなると、成功しても批判を受けるでしょう。だから僕は、ビジネスというのはベストセラーよりもロングセラー。1兆円の会社であっても、なくなったら意味がない。ロングセラーで勝ち抜かなければならない。100万部売れてもだめ。女優、俳優、急に名前が消える人っているではないですか。ずっと勝ち抜くためにはロングセラーで、やるための条件ですかね。

(亀井) それでは、私のほうからも。バイタリティあふれる南部さんがずっとビジネスをされてこられて、ビジネスやお仕事のどういったところに面白みを常に感じておられるのか。仕事のどういったところが面白いとご自身は思っておられるかということと、それと、これは逆なのですが、それだけ活力があられても、時には壁にぶち当たったりされることもあるかもしれないということで、現状として、どういったところに問題点を感じておられるかということです。

(南部) 今もそうなんだけれども、今日の新聞をいろいろ見るわけです。高度成長時期というのは、僕は全然興味がなかったから、今から16年前、バブルがはじける前に、実は僕は家族を連れて、日本を脱出したのです。今の日本に僕は用はないと、家族を連れてアメリカに移りました。

 8年たって、日本に帰ってきた。その理由は、生まれ故郷の神戸が大地震になったわけです。で、「よし、神戸。これを何とかしよう」と思って、逆単身で戻ってきました。そうこうしているうちに、日本経済が大地震になったわけです。それで、僕は自分で思ったのです。”This is my playing time to go”自分が今、ここで活躍する番だ。だから僕は、ビジネスが面白いだとか、あるいは前に壁があって大変だということよりも、壁があって、今、大変な状況に出くわすとむらむらとするのです。だから今、雇用を作りかえる、これができるのはほかにだれもいない。僕は、雇用のことばかり二十数年間やってきたのだから。

 だから僕は、自分が風邪引けば日本経済が肺炎を起こす、僕がくしゃみをすれば日本経済は風邪引くと、こう思って、僕は社員のみんなに「今、立ち上がろう。今、2倍、3倍働いて、そして雇用のインフラを作ろう」と呼びかけているのです。だから、僕はあまり壁というものもないし、面白みということをもし言うならば、大変な状況になろうと、自分の出番が来たという意味では面白いですね。

(亀井) ありがとうございます。最後にお聞きしたいのは、南部さんの本『この指とまれ』を読ませていただきますと,さきほどおっしゃっていたように毎日かなりスポーツをされていて、毎日2時間はテニスをされているというお話でした。今日もお忙しいスケジュールの中、ここに来ていただきましてた。どのように時間の管理と申しますか、タイムマネジメントをなさっているのかお聞かせいただけますでしょうか。

 

(南部) 僕は時間に自分を刻まれたくない。「あ、気がついたら、もう4回生や。おれも大学、終わるわ。学生生活、何してたんやろ」、こういうの嫌でしょう。僕も、気がついたら40やとか50やと言いたくない。60になったら大きな声で「わっはっは」と笑ってやろうと思っていますから、そのためには、僕が時間を切り刻む、こういうふうに思っているのです。

 だから、1日を4等分しています。6時間はぐっすり眠る。その次の6時間はインプットで、いろいろなところに自ら営業に行って、いろいろなものを仕入れる。そうして4分の1の6時間、アウトプットで今日ここに来ているわけです。社員のみんなにも、こういう場所でも話をします。1日6時間あるのです。

 その次の4分の1の6時間、これは自分で「ドゥ・タンク」といっているのです。シンクタンクではないのです。「ドゥ・タンク」ですから、アクティブです。その6時間の間にテニスをやる、陶芸をする、パーティをやる、自分の好きなことをやっているのです。これをずーっと創業時からやっているのです。だから、時間の使い方がいいかどうかはともかくも、振り回されて、あれができなかった、これができなかったということは、まずないです。だから、やりたいことは全部やっています。この本『この指とまれ』の中にも書いてあります。なぜ「この指とまれ」と言ったかといいますと、これは母親が僕に言ってくれていた言葉なのです。「この指とまれ」、僕が母親の誕生日にプレゼントするときに、僕に言ってくれた言葉なのです。今でも僕は陶芸をやっているのです。年にいくつかのオブジェを作ったり、花瓶を作ったりするのです。今でも絵を書いているのですよ。この間も100号の絵を速攻で描くとか、旅行や出張に行くと、必ず僕は自分でスケッチをします。

 最後にこれ、30秒だけなのですが、僕がなぜ4分の1の6時間を、このように運動したりいろいろするかということなのですが、その結果がここに書いてあるのです。「プロローグ。毎年、母親の誕生日に、私は感謝の気持ちを込めて、1年かけて作った陶芸をプレゼントして渡しています。そして母親に手渡すときに決まって聞かされる言葉があります。それは『靖之、座りなさい。靖之が一人で始めた夢に、一人二人と賛同した人たちが集まってきて、100人になり、1000人になっていった。この指とまれ、で集まってくれた。この人たちのおかげで靖之の夢がここまで来たということを忘れてはだめですよ。いちばん大切なのはそういう仲間ですよ』」と。

 豊かさというものは、一部上場、二部上場、売り上げ、利益ではない。真の豊かさ、もっと真の豊かさというのがあるんだよ。それは仲間だよ。私生活なら結婚する相手かもしれない。会社ならば、一緒に仕事をする仲間がいちばん大切だよ。それをみんな何を誤解しているのか分からないのだけれど、一部上場、二部上場、知名度、それをみんな求めてしまうと僕は思うのです。そういうことを母親がいつも言ってくれていたわけです。

 

参考文献:南部靖之『この指とまれ』講談社,2001年。

 

パソナ本社にて