亀井克之 著 『経営者とリスクテーキング』(関西大学出版部,2005年)

第12章 危機管理とリーダーシップ:

−カルロス・ゴーン流企業危機管理のルーツ−

 

 危機に瀕した組織を立て直す企業危機管理においては,経営者のリーダーシップの発揮が重要となる。その際,リーダーには,研ぎ澄まされたリスク感性と,組織の進むべき方向性をビジョンとして伝えるコミュニケーション能力が必要となる。

 前章で見たように倒産の危機に瀕していた我が国自動車業界第二位の日産自動車は,19993月末に,フランスの自動車メーカーであるルノーとグローバル・アライアンスを締結した。以降,日産は現在に至るまで抜本的な改革を遂行し経営危機からの脱却と企業再生に成功した。これを主導したのが,周知の通り,ルノーから日産に派遣されたフランス人経営者カルロス・ゴーンである。カルロス・ゴーンは,1985年からのブラジル・ミシュランCOO時代にハイパー・インフレ下の経営危機,1989年からのミシュラン北米CEO時代に他社買収後の融合困難による経営危機,1996年からのルノー副社長時代に高コスト体質に伴う低競争力に起因する経営危機,そして1999年からは巨額の負債にあえぐ日産の危機にそれぞれ対処し,いずれも企業危機管理に成果をあげてきた。

 カルロス・ゴーンによる企業危機管理の特徴は,@企業危機の現状を的確に把握し「優先順位」をつけて難局を解決していく合理的思考法,A製造現場,販売現場の状況や声を重視する「現場主義」,Bセクショナリズム(部門ごとの縦割り行政型マネジメント)を排し,異部門間協働によるシナジー効果の発揮することを軸とした「クロス・ファンクショナリティ」の発揮などにある。

 本章では,事例として,このカルロス・ゴーン流危機管理について,そのルーツを取り上げて分析する。特に,カルロス・ゴーンを生んだフランス株式会社の特徴,そして彼のキャリアを育んだフランス社会・フランス自動車業界など,その背景に論及する。

 

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カルロス・ゴーン略歴 1954年ブラジル生まれ。父親はレバノン系ブラジル人。母親はレバノン系フランス人。フランスの超エリート校エコルポリテクニーク(国立理工科学校)とエコルデミーヌ(国立鉱山学校)卒業1978年フランスのタイヤメーカー,ミシュラン入社。1985年ミシュラン・ブラジルCOO。1989年ミシュラン北米CEO。1996年スカウトされ,フランスの自動車メーカー,ルノー上席副社長に着任。大胆なコスト削減を陣頭指揮しルノーの体質改善・競争力向上に力を発揮。19993月のルノー・日産の包括的提携に伴い,同年6月,日産の副社長兼COOとして着任。同年10月に「日産リバイバルプラン」を発表し,経営再建のための大改革を指揮。20006月,社長兼COO。20015月発表の連結決算で当期利益過去最高の3311億円。4年ぶりの黒字で倒産の危機から「V字回復」実現。同年6月より社長兼CEO。20025月に新たな3ヵ年計画「日産180」(目標:販売台数100万台増・売上高に占める営業利益率8%・自動車事業の有利子負債0)を発表。2005年にはルノーのCEOに着任し,日産CEOと兼務。

第1節   背景 −フランス株式会社の特質と現状−

 

1.フランス株式会社の特徴

  フランス企業の伝統的な特徴は,@(国有企業であるか否かを問わず)グラン・ゼコールというフランス特有の超エリート学校出身者によって,政官財のトップ層が占められていることから,官民人的交流を通じた国家主導型企業経営であること,APDG(ペデジェ)と呼ばれる取締役会会長・兼・業務執行責任者に権限が集中していること,B個人主義と科学技術重視が支える独創性の発揮,Cバカンス5週間の制度や2000年の週35時間労働法導入に見るように法制度によって規定される労働者の保護といった点にある。

  フランス大企業のトップは,伝統的に「理工系グラン・ゼコ−ルまたはENA(国立行政学院)卒業→官庁→内閣スタッフ→企業トップ(数社を渡り歩く)」というようなキャリアを経る。相互に社外取締役を務め合うなど,大企業の経営者は一握りのエリート集団で占められている感がある。一方で,ミシュランのように,創業者一族の世襲による家族主義経営の大企業も存在している。(1

 

2.フランス的例外,PDGへの権限集中をめぐって

  フランスでは,第2次世界大戦当時のビシー政権下に制定された法律によって,PDG(ペデジェ)(プレジダン・ディレクトゥール・ジェネラル:Président Directeur Général)への権限集中が規定された。1966年の商法改正により,ドイツの会社にならった「取締役会(ディレクトワール:Directoire)」と「監査役会(コンセイユ・ドゥ・シュルベイアンス:Conseil de Surveillance)」から成る二層制組織を選択することも可能となり,業務執行と監督の分離に道が開かれた。しかし,プジョーなどの例外を除き,二層制組織を採用する企業は少なく,依然として,PDGが支配する「取締役会(コンセイユ・ドゥ・アドミニストラシオン:Conseil d’Administration)」による一層制組織を継続する企業が大半であった。

  だが,1990年代半ばからコーポレート・ガバナンス論議が高まり,経営の透明性を求める米国の投資家の圧力もあって,二層制組織を採用する大企業が出てきたほか,報酬・指名・監査などの委員会設置が一般化し,2001年には商法が改正された。そこでは,一層制組織において,業務執行の指揮を従来通り取締役会の会長がPDGという肩書きで兼務して行うか,会長とは別の業務執行責任者が行うかを選択することが可能となった。後者を選択した場合,一層制組織においても,監督と執行の分離が実現する。かくしてフランス企業は,トップマネジメント組織として,@監査役会(Conseil de Surveillance)と取締役会(Directoire)の二層制組織,A取締役会(Conseil d’Administration)のみの一層制組織においてPDGが取締役会の会長(Président)と業務執行責任者(Directeur Général)を兼務,B一層制組織において取締役会の会長とは別に業務執行責任者を設置という3つの形態から一つを選択することができるに至っている。(2)ルノーの場合,現在PDGはルイ・シュワイツァーであるが,2005年には同氏が取締役会会長に専念しカルロス・ゴーンが業務執行責任者に就任予定である。

  最新の動きとして,手続きの煩雑さを嫌ってか,あるいは一つの組織内に二つの権力構造というのは無理があるのか,今年に入って,バレオが2年前に採用したばかりの二層制組織から, かつて慣れ親しんだPDGを中心とする一層制組織に戻すことを株主総会で決議した。LVMH,スエズなども二層制組織を廃止し,フランス企業に伝統的なPDG中心の一層制組織に戻している。

  このように,幾多の改革を経た後も,依然して,フランス大企業のPDGは,強大な権限を保持している。さらに,グラン・ゼコール出身者の官民人的交流を軸にして,フランス大企業の経営者たちが形成する超エリート集団のサークル的構造は健在である。それを垣間見る思いがしたのは,昨年それぞれ辞任に追い込まれたビベンディとフランス・テレコムの後継人事の発表時である。これは両社内部で後継者が検討されたというよりは,フランス大企業の経営者たちが構成するサークル内で両社の窮状を救いうる人材が選ばれ転籍派遣されたという感が強かった。

  ところで,少数派であるとは言え,PSAプジョー・シトロエンやアクサのように,二層制組織を採用して効果的に機能させている大企業も存在する。PSAの場合,監査役会の要職を株式の25%を保持するプジョー家が担う。1997年に14年間取締役会長としてグループを率いたジャック・カルベが引退したときには,監査役会のプジョー家が,カルベの意向とは別に,2年前から密かに後継者候補として呼び寄せていたジャン−マルタン・フォルスを実質的に任命した。

 

3.フランス企業の構造改革

  1990年代以降,フランス企業の構造改革が進んだ。フランスの主要企業は,戦後期とミッテラン社会党政権が誕生した1980年代の初期に国有化されたが,1986年のシラク保守内閣の下で民営化が始まった。民営化に伴って国家の株式保有比率が低下し,また市場を通した直接金融へと資金調達がシフトしてアングロサクソン系の年金基金を中心とする海外機関投資家が増加したことなどにより,国家主導的経営色が薄まり,市場・投資家の意向がフランスの企業経営に大きな影響を及ぼすようになった。グラン・ゼコール卒業後,官庁を経ず,民間のみを経験した大企業トップも目立つようになった。

  EUの統合市場の下では国家による国内産業の保護はもはや許されず,ユーロ導入といった経営環境激変時代・グローバル化時代に生き残るため,国内大型M&Aが数多く実現し業容の拡大が図られた。グローバル企業への脱皮を目指して,外国企業に対するMAも活発化した。1997年に誕生したジョスパン社会党政権時代におけるフランス経済の好調にも支えられて,フランス企業はコスト構造改善に基づいて国際競争力を増しグローバル化を推進した。

  具体的には,ユーロ導入条件である財政赤字の縮小化の条件を充たすべくフランス政府が採用したインフレ抑制政策は,フランス企業における生産コストや人件費の抑制につながり,コスト構造を改善したフランス企業は国際的競争力を大幅に増強した。これは,隣国のドイツが,東西統一に伴うコスト増により,インフレを招いてしまったのと対照的である。かつては,低競争力にあえぐフランス企業をフランの切り下げという形で支援することが可能であったが,ユーロ時代にはこうした手法は不可能で,企業は自助努力でコスト構造を改善せざるを得なくなった。こうした構造改革を経たフランス企業が提供する魅力ある商品を前にしての内需の拡大,ユーロ導入当初のユーロ安による国際競争力の向上,IT化の推進などにより, 1997年から2000年にかけて,フランス経済は好調を持続したのである。2001年の米国同時多発テロ以降,先行き不透明感が広がる中,フランス経済は停滞期に入り,フランス企業は投資を控え,消費者の購買意欲は減退気味となった。労働時間週35時間制の導入や,現在進行中の退職制度改革も不安定要因となっている。しかしながら,構造改革により国際競争力を身に付けグローバル化を果したフランス企業にとって,再攻勢の準備は整っており,景気回復後を睨んでいるというのが現状である。

  なお,後述するように停滞気味の欧州自動車市場の中で躍進を続けるPSAやルノーに代表されるこうした成功事例とは逆に,企業改革の失敗例として,米国流の株式市場を通じた資金調達により多角化・グローバル化を推進した企業の破綻例が表面化している。例えばナポレオン時代の伝統的な水道事業会社から,M&Aを通じてメディア部門に多角化し,一気に世界有数のメディア・グループとなったビベンディ・ユニバーサルや,欧州各国の通信会社に積極的に投資し拡大路線を走ったフランス・テレコムがそれである。両社は共に2001911日以降の経済状況の停滞と株価の大幅下落により,財務状態を悪化して莫大な負債を抱えることとなり,拡大戦略を推進した経営トップ(ビベンディのジャン−マリ・メシエ,フランス・テレコムのミシェル・ボン)は,2002年になって辞任に追い込まれた。(3

 

4.フランス自動車業界の現状 −1997年以降の競争力向上による好調−

  ルノーと共にフランスの総合自動車メーカーの両翼を担うPSAプジョー・シトロエンは伝統的な家族主義的経営色を残す。PSAは,1997年に就任したフォルス会長が打ち出した一連の改革に基づいて大躍進を遂げた。1998年の生産システム改革は,1976年にプジョーがシトロエンを吸収合併した後,20年を経てもなお不十分だった両者間の生産システムの統合したことにあった。その結果,1工場での両ブランド車の混流生産,部品の共通化,プラットフォームを三種類に統合することなどが実現した。マーケティング面での改革としては,両ブランド間でクローンのようなモデルを開発するのは止め,欧州のベストセラー車となった206,屋根が開閉するタイプのカブリオレ車市場を創造した206CC,シトロエン人気を立て直したピカソなど,両ブランド間でタイプの異なる新モデルが開発されるようになった。PSAの中核能力は,ディーゼルエンジン開発にあり,新型高圧直噴ディーゼルエンジンのHDi搭載車は大成功を収めている。PSAは,1978年にクライスラーの欧州子会社を買収した際に融合に苦しみ経営危機に陥った経験から,1990年代後半のM&A大隆盛の時代にあっても,巨大化路線とは一線を画して,自主独立の内的成長路線を貫いた。他社との技術的提携は積極的に行っており,2005年にはトヨタとの合弁事業によりチェコで小型車共同生産を開始する。かくて,PSAは,フォルクスワーゲンに次いで欧州第2位,世界第6位で,2006年に400万台販売を目標に掲げ,現在,世界で最も勢いのある自動車メーカーの一つとなった。

  一方,前章で取り上げたルノーは,第2次大戦中の占領下での対独協力を罪に問われ1945年に国有化され,政府の産業保護育成政策の下,戦後フランスを代表する企業として成長を遂げた。しかし,1980年代初期に,頻発する労働争議や構造的な赤字体質などから,倒産寸前の経営危機に瀕した。人員削減・多角化戦略の破棄・北米市場からの完全撤退などにより危機を脱し,1987年にようやく黒字転換した。1990 年代に入り世界自動車業界でグローバル競争が激化しM&Aが活発化する中,1993年にボルボとの大合併計画に失敗すると1994年より国家保有株式の一般公開を開始し民営化に着手した。しかし,国有企業時代の高コスト体質からの脱却は難しく,1996年に10年ぶりに赤字に転落してしまった。この危機に経営の建て直し役として,ミシュラン北米CEOからルノー上席副社長に抜擢されたのが,カルロス・ゴーンである。1997年にベルギー・ビルボルド工場の閉鎖やフランス国内2700の人員削減を断行するなど,カルロス・ゴーンは国有企業時代の名残りの購買コストや低労働生産性といった高コスト体質を一掃し,ルノーはわずか1年で黒字に復帰した。その後,1997年から大成功を収めた欧州業界初の中型ミニバン車メガーヌ・セニックに代表される独創的なモデル開発力を軸に一気に業績を向上し,日産との提携に代表されるグローバル展開へと至ったのである。(4

 

第2節   カルロス・ゴーンのキャリアと企業危機管理

2.1.カルロス・ゴーンのキャリア

 カルロス・ゴーンのキャリアを表1にまとめる。

 

表1 カルロス・ゴーンのキャリア

1954:0-6歳

ブラジル生まれ。祖父はレバノンからブラジルへの移民。父はレバノン系ブラジル人・母はレバノン系フランス人。

1960-71:6-17歳

レバノンに移住し,フランス系イエスズ会の学校に学ぶ。

1971:17歳

単身渡仏。グラン・ゼコル受験準備学級に通う。

1974:20歳

フランスの理系グラン・ゼコル最高峰のエコル・ポリテクニック(国立理工科大学校)入学。同校卒業後,さらにエコル・デ・ミーヌ(国立高等鉱山学校)に進学。

1978年:24歳

同校卒業。 タイヤメーカーのミシュラン入社。ル・ピュイ工場の製造現場でビジネスマンとしてのキャリアをスタート。 

1981年:27歳

ミシュラン社ル・ピュイ工場長。

1985年:31歳

ミシュラン・ブラジルCOO。 ハイパーインフレ下の経営危機克服。

1989年:35歳

北米ミシュランCEO。 米社の買収に起因する経営危機克服。

1996年:42歳

ルノー上席副社長。 高コスト体質を原因とする経営危機克服。

1999年:45

日産 副社長兼COO。 

有利子負債21,000億円。「日産リバイバル・プラン」(NRP)発表。 村山(東京都)など5工場を閉鎖。

2000年:46歳 

日産 社長兼COO。 日産黒字に転換。

2001年:47

日産 社長兼CEO。 5月に前年度連結決算発表。4年ぶり黒字・当期利益過去最高の3311億円。

2002年:48歳

「日産180」(@「販売台数100万台増」A「営業利益率8%以上」B「有利子負債0=完済」)発表。 ルノーと初の共同開発車・新型「マーチ」発表。

2003年:49歳

5月に前年度連結決算発表。当期利益4951億円で過去最高を更新。「日産180」のAとBを達成。

2004年:50歳

「日産バリューアップ」発表。2007年度末の世界販売420万台を掲げる。

2005年:51歳

ルノー・グループのCEOに就任し,日産のCEOと兼務の予定。

2.ミシュラン・ブラジルでの企業危機管理

 年間1000%に及ぶハイパー・インフレ下で経営危機に直面していたミシュラン・ブラジルで,カルロス・ゴーンが尽力したのは,工場やディーラーなどの現場を回っての現状把握と問題の特定,セクショナリズムに陥った現状の認識とクロス・ファンクショナル(部門間協働的)アプローチの導入,問題解決への優先順位の特定であった。優先順位特定の結果,@事業に直接関係のない資産売却,A価格統制を実施する政府当局との折衝を密にし,月に一度,価格調整を行うこと,Bディーラーに対する製品納入時の支払いや納入前の先払いの要求,C毎月賃金を調整し,労働組合代表と折衝を粘り強く続け労務コストをコントロールすることなどの諸策が提示・遂行された。危機下では,特にリーダーシップが重要となる。カルロス・ゴーンは現場を精力的に回り,自社の現状を的確に伝えて危機感を共有させ,さらにモティベーションを維持・向上させる上でコミュニケーション能力を発揮した。(注5)

 

3.北米ミシュランでの企業危機管理

 1990年,ミシュランはアメリカのタイヤメーカーであるユニロイヤル・グッドリッチを買収した。しかし,北米ミシュランは,製品・技術志向で長期目標に基づくフランス企業と,市場志向で短期的利益を重視するアメリカ企業という二つの異なる文化の融合に苦しむこととなった。この危機に際してカルロス・ゴーンが尽力したのは,ミシュラン・ブラジル時代に既に着想していた「クロスファンクショナリティ」というコンセプトの組織化であった。具体的には,両社からのクロスカルチュラル(異文化間協働的)な人材構成によるクロス・カンパニー・チーム(CCT)と各職能からのクロスファンクショナル(異部門間協働的)な人材構成によるクロス・ファンクショナル・チーム(CFT)が組織された。こうした組織において,複数の視点から自社が直面している問題について検討・分析がなされた。ひとつずつ問題解決策が発案・遂行され,経営改善へと繋がっていった。

 

4.ルノーでの企業危機管理

 1980年代前半の絶望的な経営危機を脱し1987年に黒字転換したルノーは,1990年代に入って世界の自動車業界に合従連衡の波が押し寄せると,国有公団時代の高コスト体質などから競争力を失い,1996年に10年ぶりに赤字に転落してしまった。このときルノーの危急の課題は,@合理化を進め,国内での競争力をつけ,コスト効率を高めることと,A欧州市場が飽和状態に達したことを踏まえて,潜在力を秘めた欧州外市場を開拓することの二点にあった。特に@の合理化・コスト削減の指揮は,官僚主義的なルノーの組織内のしがらみにとらわれた人材ではもはや不可能であり,そこで企業体質改善の指揮者としてミシュランからヘッドハンティングされたのがカルロス・ゴーンであった。

 ルノーにおいてもクロス・ファンクショナリティの欠如を指摘したカルロス・ゴーンはクロス・ファンクショナルなアプローチにより現状把握と問題特定に努め,「コスト200億フラン削減計画」を立案した。この計画では,@余剰生産能力の削減と残る工場での生産性向上,Aコスト削減および新車開発のスピードアップの一環として,プロダクト・エンジニアリング機構の再編,Bグローバル市場でサプライヤーと新しい関係を確立し,既存サプライアーを300社から150社に削減,C主要プラットフォーム数を5つから3つに削減,D製品イノヴェーションの促進という5点が打ち出された。(注6)

 1997年春にベルギーのビルボルト工場閉鎖を断行するなど抜本的なコスト削減策を遂行した結果,ルノーは1年で黒字に復帰し,大幅に財務体質を改善した。これがその後の日産とのアライアンスに見るようにグローバル企業へと脱皮していく契機となった。

 

5.日産での企業危機管理

1999年当時の日産の状況について,カルロス・ゴーンは,次のように述懐している。

「日産の根本的な問題は,経営陣が方向を見失い,利益を上げるためになすべきことの優先順位を見失っていたことにある。利益に焦点を合わせることも,利益をあげるために社員を動機づけることも軽視してきた。顧客満足も重視していなかった。クロス・ファンクショナルなチームワークもなければ,海外進出にあたって国民性の違いを調整することもなかった。さらには,会社の将来に対する長期的なビジョンを共有することもなく,本当に意味での切迫した危機感も見られなかったのである。」(注7)「部門と部門,職務と職務のつながりが,見事に断ち切られていた。各部門ごとに社員は,自分たちは目標を達成しているとそれぞれに信じていた。これは日産に限らず,世界中の危機に瀕する企業に共通して見られる問題である。」(注8)

その後,カルロス・ゴーンによる日産再建が成功した要因はまず次の4点にある。(注9)

@危機意識を持つ(Afficher l'etat d'urgence):非常事態であることの意識づけ。危機感の共有。

Aわかりやすい目標設定(Fixer un objectif simple):「日産リバイバル・プラン(NRP)」「日産180」など,具体的な数値によって明示され理解しやすい目標の提示。

B良識に基づくこと(Tabler sur le bon sens):日本とフランスの違いなどといった文化的障壁を口実にしないということ。

C内部での問題解決(Trouver les solutions en Interne):日産の組織内部の構成員自身が現状の問題点を的確に把握し,問題の解決策を案出する。NRPの場合,外部コンサルタントの力を一切借りず日産内部ですべて作成。 

 次に具体的な企業危機管理の手法として,カルロス・ゴーンが重視したのが次の6点である。(注10)

Dクロス・ファンクショナル チーム(Cross−Functional Teams):異文化・異職能のメンバーから構成される問題解決のための発案をする組織。日産では,事業の発展,購買,製造,研究開発,販売マーケティング,一般管理費,財務コスト,車種削減,組織と意思決定プロセスという9つのテーマ毎にクロスファンクショナル・チームが組織された。    

E数値に強くなること(A Strong Sense for Figures and Numbers):組織の現状に関する数量的データを収集・把握し,内外に提示できるようにすること。

F明確なコミュニケーション(Transparent Communication):危機感共有・現状の問題点把握と共通の理解・問題解決策の提示と共通の理解のためのコミュニケーション。

Gアイデンティティの確立(Assured Identity):経営再建の過程にあっても日産らしさを失わないこと。

H責任感(Taking Responsibility):明確な責任系統の確立。コミットメント(必達目標)と責任所在の明示。経営再建の諸策遂行にあたりそれぞれについて誰が実施責任を負うのかを明らかにすること。

I従業員の動機付け(Create Motivated Emplyoees):これには次の4点が重要となる。

(a)  ビジョン(Vision),企業が長期的に進む方向の明示と共有。

(b)  信頼できるプラン(Credible Plan)の提示。

(c)  オーナー意識(Sense of Ownership):自社の再建計画に責任を持って参加しているという意識を共有すること。

(d)  成果の評価(Appraisal of Performance):責任を伴うコミットメント(必達目標)を達成した者に対する公正な評価システムの導入。

 ミシュラン・ブラジル,北米ミシュラン,ルノーそして日産の企業危機管理を実践してきたカルロス・ゴーンであるが,危機に直面した企業における問題解決の要諦を次のようにまとめている。

 「経営トップは責任を持って,優先順位が正しく守られるようにしなければならない。

優先順位を正しく設定し直すためには二つのステップが必要である。第一に,プランニングを中央集権化すること。第二に,実施に際しての明確な責任系統の確立である。社員全員が一点のあいまいさもなく,誰が意思決定し,誰が実施責任を負うのかを分かっていなければならない。」(11)「収益の上がる会社にしたいなら,マネジャーには問題の核心を見抜く能力が不可欠である。これは私が学んだ大切な教訓のひとつである。」(12

 

第3節  カルロス・ゴーン流企業危機管理のルーツ

 

1.「優先順位」に基づく合理的思考法のルーツ −エコル・ポリテクニック−

フランスには,高校・リセ(lycée)最終学年に大学入学資格試験・バカロレア(baccalauréat)合格後に,書類選考で進学できる大学・ユニベルシテ(université)とは別に,グラン・ゼコル(grandes écoles)と呼ばれるフランス独自の超エリート教育を施す機関が存在する。グラン・ゼコルに進学するためには,通常,バカロレア合格後,グラン・ゼコル受験準備学級(classe préparatoire)に入って2年程度受験勉強に専念し,各グラン・ゼコルが実施する選抜試験に合格しなければならない。

代表的なグラン・ゼコルとして,理系最高峰のエコル・ポリテクニック(Ecole Polytechnique:理工科大学校)と高等教育者養成のエコル・ノルマル・シュペリウール(Ecole Normale Supérieure:高等師範学校),高級官僚養成のENA(Ecole Nationale d’Administration:国立行政学院),土木技師養成のポン・エ・ショッセ(Ecole Nationale des Ponts et Chaussé:橋梁大学校),商業系のHEC(Hautes Etudes Commerciales:高等商業学校)などがある。(13

カルロス・ゴーンが進学したのは,ナポレオンの時代に創設され200年の伝統を持つ名門校エコル・ポリテクニック(通称「X」イクス)である。  エコル・ポリテクニック志望者は,まずバカロレアで非常に優秀な成績を収めなければならない。バカロレアの成績優秀者のみが受験準備学級への進級を許可され,2年間,数学・物理・化学を中心に猛烈な受験勉強に励む。エコル・ポリテクニックの入試の一次試験は各3時間に及ぶ数学・物理・化学などの筆記試験で,二次試験は口頭諮問である。三次試験は,「知力・体力共に優れた者こそがエリートである」という学校の方針の下,スポーツ・テストである。こうした難関を突破して入学した学生は,ナポレオン以来の伝統で,まず1年間軍事教練を受ける。その後2年間,パリ南部の全寮制キャンパスで教育を受ける。

エコル・ポリテニックの卒業生は,原子力,宇宙・航空,新幹線・TGVなど,フランスが誇る科学技術の分野で活躍している。国家の基盤を支えていると言っても過言ではない。また,世界最大の保険グループであるアクサを一代で築き上げたクロード・ベベアール,高級ブランドのLVMHグループ会長のベルナール・アルノー,PSAプジョー・シトロエングループ会長のジャン=マルタン・フォルスら,現代フランスを代表する企業経営者が卒業生として名を連ねている。

企業危機の現状を的確に把握し「優先順位」をつけて問題を解決していくカルロス・ゴーンの合理的な思考・行動法のルーツは,このエコル・ポリテクニックならびにエコル・デ・ミーヌで受けた理数を中心とする徹底したエリート教育にあると考えられる。

 

2.「現場主義」のルーツ −ミシュラン社ル・ピュイ工場−

エコル・ポリテクニックなどの有力グラン・ゼコル卒業生は,一般に企業や官庁に幹部候補生として採用され,エリート・コースを歩むことが保証されている。カルロス・ゴーンの場合,同校卒業後,さらに高級技術者養成校であるエコル・デ・ミーヌ(Ecole Nationale Supérieure des Mines:国立高等鉱山学校)に進学した。

エコル・デ・ミーヌ卒業時,カルロス・ゴーンはポルトガル語が話せるフランス人エンジニアを探していたミシュランから採用の勧誘を受けた。このとき,ミシュランは研修後にRDテクニカルセンターに配属する旨の提案をした。しかし,カルロス・ゴーンはあえて製造現場での勤務を希望し,ル・ピュイ工場の製造現場でビジネスマンとしてのキャリアをスタートした。経営危機の現状を把握する際に現場の声を重視するカルロス・ゴーンのスタイルのルーツはこの時の現場体験にあると考えられる。

 実際,カルロス・ゴーンは,ル・ピュイ工場において「現場の人たちが働く様子を観察したこと,彼らから仕事や将来の抱負を聞いたことが,身をもって体験したマネジメントについての最初の教訓だった」(14)とし,現場を理解することの重要性について次のように述懐している。

「当時の体験を振り返ってみると,管理者が現場の状況を把握していないとどうなるかがよく分かる。生産現場についてのマネジメント側の認識は現場の実状とはほど遠く,私は管理者の役割について疑問を感じないわけにはいかなかった。従業員たちは自分が何の仕事をしているのかも,なぜしているのかも分からないまま,ただ割り当てられた仕事を黙々とこなしているようだった。上からの指導や訓練もほとんどなければ,意欲的に取り組める仕事もなかった。」(15)「この経験から従業員たちが知識や教育を心から渇望していることに気づいた。従業員が出世の道を拓き会社にもっと貢献できるような訓練をどれだけ切実に求めているか,このときに限らず私は何度も痛感した。」(16)「私は生産現場とマネジメント側の認識とのギャップが,沈滞した労働環境を作り出していると感じた。スーパーバイザーやマネージャーが従業員とともに現場を作っていかなければ,マネジメント側は会社で何が起こっているかが分からなくなる。現場の潜在的な生産力を正確に把握することはできず,会社の競争力を高める適切な手段を現場に導入することもできない。」(17

 

3.「クロス・ファンクショナリティ」のルーツ −生い立ちとキャリア−

  @レバノン系ブラジル人として生まれブラジルとレバノンで幼少期を過ごした後にフランスで高等教育を受けた異文化共有性と国際性,A家族主義経営のミシュランと官僚主導型のルノーというフランス企業の両典型を経験したこと,B実に様々な企業危機を体験しそれを克服してきたことなど,カルロス・ゴーンの生い立ちとキャリアはマルチ・カルチャー(複数文化の共存)を体現している。こうした歩みそのものに,彼が主唱するクロス・ファンクショナリティ(異部門間協働による現状把握と問題解決策案出)の源流があると考える。(18

 

4.危機管理とリーダーシップ −リスク感性とコミュニケーション−

 カルロス・ゴーンは,次のような人材募集に最適の人材であると,自らを評している。

「問題を抱える日本の自動車メーカーの再生を請け負う社長を募集。要,多文化環境でのマネジメント経験。成果主義マネジメント志向が強く,会社が直面する問題を分析的かつ明確に説明する能力がある人。問題解決にあたって部門横断的なアプローチを導入でき,自分の下した決断には進んで責任を持つ人。長期的な目標を視野に入れつつ短期的目標に照準を絞ることができ,危機を脱した状況でも組織に緊張感を維持できる人。ユーモアのセンスがあれば尚可。」(19)

  さて,ビジネス・リスクマネジメントならびに企業危機管理においては,組織がリスクに直面したときに,いかなるリスク処理手段を選択するかの意思決定が最も重要であり,その優劣を分けるのが,意思決定者のリーダーシップとリスク感性である。リスク感性とは,将来のリスク動向を把握する能力であり,豊富な実務経験に基づいた意思決定者のリスクに対する直感である。(20)リスク感性を向上させる方法として,@決断についての学習,A歴史に見られる危機回避の学習,B知的好奇心の保持,C全く異なる分野,異なる性格の人物との交流などの方法があげられる。(21) したがって,上記に引用した人材像を体現しているカルロス・ゴーンに,リスク感性の豊かなリーダーシップの典型を見ることが可能であろう。

 カルロス・ゴーンは,経営危機に瀕した企業のマネジャーを歴任し,それぞれ経営再建に尽力してきた。彼は特に企業危機管理における渦中対策を担ってきたということになる。一般に企業危機管理の導入・事前対策ではリスク・インフォメーションとリスク・アセスメント,渦中対策ではリスク・コミュニケーションが基本となるが,いずれの場合も中心は調査,直観,決断,リーダーシップであり,そこに一貫して流れているのがリスク感性であると考えられる。(22) したがって,企業危機管理の枠組みに当てはめると,カルロス・ゴーンは@「現場」の意見に耳を傾け,企業危機の本質に関する情報収集(リスク・インフォメーション)→A「部門横断的なアプローチ」による問題点の洗い出しと解決策の案出(リスク・アセスメント)→B「優先順位」をつけて問題解決策・企業リスク処理手段を決定・遂行(リスク・トリートメント)という流れを指揮してきた。いずれの段階においても,特に渦中対策において重要となるリスク・コミュニケーション能力に優れていたということが指摘できる。すなわち,「現場」を回っての聴き取り,「部門横断的な」意見交換,「優先順位」をつけた問題解決策をわかりやすい数値による必達目標と責任所在を示して伝達することによって,企業危機克服に向けた価値観を組織構成員と共有するのに成功したと言える。

なお,危機管理,リスクマネジメントにおいては,コミュニケーションと並んで,問題解決のための組織内におけるコーディネーション(調整)能力も非常に重要である。カルロス・ゴーンが重視するクロス・ファンクショナリティ(異部門間協働による問題解決)は,縦割り行政的な組織の弊害を排除するための,コーディネーション能力の発揮ととらえることができよう。(23)

   

(1) 亀井克之「ルノー、プジョーに見る「変化と不変」の企業改革とは何か」『週間エコノミスト』2003527日,毎日新聞社。

(2)鳥山恭一「コーポレート・ガヴァナンスとフランス会社法(上)(下)」『監査役』No.4592002.5.25No.4602002.6.25;エレーヌ・ブロワ「ヨーロッパにおけるコーポレート・ガバナンス」『監査役』No.4612002.7.25

(3)亀井克之,前掲論文。

(4)亀井克之『新版フランス企業の経営戦略とリスクマネジメント』法律文化社,2001年,第5章「フランス自動車産業における成長戦略の展開とリスクテーキング」,第9章「フランス企業の日本進出戦略」。

(5)カルロス・ゴーン『ルネッサンス』ダイヤモンド社,2001年,55-62頁。

(6) 前掲書,107-127頁。

(7) 前掲書,162頁。

(8)前掲書,164頁。

(9) ˝ Comment Renault a redressé Nissan.  Nissan l’effet Ghosn˝  Management, février 2001. 2001 ; ˝ Carlos Ghosn, Stratège de l’année 2002˝  La Tribune, 28 mars 2003 ;

(10) ˝ Learning through change˝(カルロス・ゴーンに学ぶリーダーシップ)English Zone, #003, 2003, CHUKEI ;デビット・マギー著,福嶋俊造訳『ターンアラウンド ゴーンは,いかにして日産を救ったのか?』東洋経済新報社,2003年。

(11)カルロス・ゴーン,前掲書,167頁。

(12)  前掲書,6頁。

(13)草場安子『現代フランス情報辞典 改訂版』大修館書店,2003年,100頁;「祖国・科学・栄光−理工科大学校のエリートたち−」NHK日曜スペシャル,1994年放送。

(14) カルロス・ゴーン,前掲書,41頁。

(15)  前掲書,40頁。

(16)  前掲書,40-41頁。

(17)  前掲書,41頁。

(18) 亀井克之「超エリート教育 カルロス・ゴーン流のルーツ」『週間エコノミスト』2003527日号,毎日新聞社,91頁。

(19)カルロス・ゴーン,前掲書,6頁。

(20)亀井利明『危機管理とリスクマネジメント 改定増補版』同文舘,2001年,73頁。 

(21) 前掲書,75頁。

(22)亀井利明『リスクマネジメント総論』同文舘,2004年,82-85頁。

(23)亀井克之「カルロス・ゴーン流 企業危機管理の源流」『危険と管理』第35号,日本リスクマネジメント学会,2004年。

 

 

 

 


コラムD カルロス・ゴーン著『ルネッサンス』に見るリスクテーキングの言葉

 

 第13章で取り上げたカルロス・ゴーン日産自動車社長兼CEOは,その卓越した経営手腕と,その個性的な容貌から,おそらく現在の日本で最も知名度の高い外国人経営者となった。一般日本人がその名前と顔を最も記憶している企業経営者,あるいは日本で最も知られている外国人といっても過言ではないだろう。

 2001年に発表された著書『ルネッサンス』(ダイヤモンド社)には,これまでの歩みと独自の経営哲学がまとめられている。この本が発売された時,いくつかの大型書店において,サイン会が開催されたが,現役経営者の著作としては異例の関心を呼び,非常に多くの人たちが集まった。

 第11章で,ルノーと日産が戦略的提携に至るまでのリスクテーキング(意思決定)について分析したが,ここでは,『ルネッサンス』から,リスクテーキングに関する記述を拾ってまとめてみた。(  )内の記述と下線は本書筆者による。なお本書の補章においても,何人かの経営者の著作から筆者が選んだリスクテーキングに関する言葉を収録している。

 

 ミシュラン勤務時の1996年にルノーからのヘッドハンティング

(ルノーCEOの)シュヴァイツァーは二度会っただけで,私を雇うというリスクを引き受けたのである。彼の判断を疑問視する声も多かったに違いない。しかし彼には,私がルノーにふさわしいと考えるに足る十分な見通しがあったのだろう。彼はルノーのナンバー・ツーとして私の名前を発表した時点で大きな賭けに出たのである。(カルロス・ゴーン『ルネッサンス』111頁)

 

ルノーの経営改革案を提案して −経営者とリスクテーキング−

シュヴァイツァーはクロス・ファンクショナリティというコンセプトと200億フランのコスト削減計画を支持してくれた。時には懸念を表明したり,疑問点を問いただしたりしたが,この二つを実行に移す決断は彼が下した。「とにかく,やってみよう。これまでと違う方法で取り組まなければならないことは,はっきりしているのだから」

彼はリスクを恐れなかった。過去にさまざまな失敗をしてきたにもかかわらず,新しいことに挑戦した。リスクを取るということは,しばしば昔ながらの快適な仕事のやり方を捨て去ることを意味するが,会社を経営するという仕事には必ずついて回る決断だ。その際,トップは社内に漂う懐疑的な見方にも打ち勝たなければならない。CEOたる者,自分の決断は予期した通りの結果をもたらすという強い信念を持つべきである。(125) 

 

日産への投資というリスクテーキング

ルノーにとっての日産への投資はとてつもないギャンブルだった。しかし,(ルノーのように)小さき者はスターを夢見る。石橋を叩いて渡る余裕などない。大きなリスクを引き受けなければならないのである。誰もが道は険しいと思っていた。ルノーはシュヴァイツァーが言ったように「あり金すべてを注ぎ込んだ」のである。一家の主がチャンス到来と見るや,つましい老後の蓄えと家屋敷を根こそぎ注ぎ込むようなものだった。(134)

 

日産との提携を進言

「どんな困難が待ち受けていようと,こんな機会はルノー史上二度と訪れないでしょう。困難やリスクがどれだけあろうとかまいません。ルノーは日産と提携すべきです。成功する確率がたとえ二〇パーセントだとしてもやってみるべきです。」(135)

 

日産との提携を決断

ルノーでは誰もがアライアンスの必然性を痛感していた。しかし,ダイムラー・クライスラーが日産との交渉を打ち切ったとき,日産とのアライアンスについて再考の余地ありと考える人がいたのも事実である。

最終的にルノーは日産との提携を決断した。もちろんリスクは承知のうえだった。リスクはあったがそれを上回るチャンスがあると踏んだのである。

景気後退と市場変動のさなかでも,収益を上げられる会社とそうでない会社があるのは,前者の経営手腕が優れているからだと考えてまず間違いないだろう。(162)

 

企業危機管理と経営者の能力

収益の上がる会社にしたいなら,マネジャーには問題の核心を見抜く能力が不可欠である。これは私が学んだ大切な教訓である。(6)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(東京神田三省堂書店にて)

「ボンジュール。(以下フランス語)『ルネッサンス』はとても興味深かったです。勤務する大学のゼミでこの本を早速使わせてもらいました。フランス企業の経営戦略について書いた私の本をさしあげます。ルノー・日産のことも書いています。」
「メルシー・ボークー」

「読ませてもらいますよ。ところでもちろんフランス語で書いてあるんでしょうね。」
「ノン。日本語で書いているんです。。。」