税制改革のシミュレーション 橋本恭之
目次
@税制改革の影響分析
A消費税の複数税率化
B税制改革の損得勘定
Cライフサイクルの税負担の変化
D大蔵省の「機械的試算」
E税収の将来推計
@税制改革の影響分析
総選挙での自民党の勝利により、来年四月から消費税の税率が五%へ引き上げられるのは確実となった。また、平成九年度からは、現在行われている所得税・住民税の特別減税が打ち切られるため、税負担増加が予想される。しかし、この平成九年度からの増税は、景気対策として平成六年度から所得税・住民税の先行減税が実施されたことによる財源対策としておこなわれるものである。日本の巨額の財政赤字の現状も考えると、減税により財政赤字を拡大させ、負担を先送りしてもよいのであろうか。消費税率の引き上げが将来の高齢化社会における過重な負担を避けることにつながるというのが大蔵省の言いたいことであろう。
このような論理も理解できないわけではないが、国民に消費税率を引き上げを納得させるだけの材料が提供されていないと感じているのは筆者だけであろうか。
大蔵省が本来なすべき仕事は、税制改革については、緻密な計算にもとづいた実現可能な複数の改革案を提示することではないだろうか。今回のケースであれば、現行の所得税・住民税に依存した税体系を維持した場合と所得税・住民税を減税し、消費税を中心とした税体系へ移行した場合について、さまざまな観点から分析をおこない国民がそのいずれかを選択する際の判断材料を提供すべきではなかったのであろうか。
実は、中曽根内閣において「売上税」が廃案となるまでの過程においては、政府税制調査会が所得税・住民税の複数の減税案と大型間接税として複数の課税方式を提案し、それにもとづく家計の税負担の影響等の試算を公表していた。だが、このような試算は、税制改革による家計の利害関係を浮き彫りにすることになる。当時、政府税調の分析に先立ち、税制改革の影響分析をおこなった大阪大学の本間正明教授の「年収六〇〇万円以下の所得階層では減税にならない」という試算は、「売上税」廃案の原因のひとつになったとも言われた。
しかし、税制改革にともなう税負担の変化を計算すること自体は、客観的な情報を提示し、議論の材料とするという重要な意味を持っている。
税制改革によってある程度の利害対立が生じることはやむ得ないことである。現行税制のもとで不当に優遇されている人がいた場合には、これらの人々に負担を課すことが公平な課税につながることになる。既得権を侵される人々が強力に抵抗するのは、当然のことであろう。改革に伴う利害調整は、密室の中ではなく、国民に開かれた場所でおこなうべきである。
そこで、このシリーズでは、村山税制改革に関するシミュレーション分析をいくつか紹介し、税制のあるべき姿について考えていくための材料を提供することにしたい。
A消費税の複数税率化
平成九年四月からの消費税の5%への税率引き上げに際して、社民党は複数税率化を主張してきた。これは低所得層ほど消費税の負担率が高くなるという「消費税の逆進性」を緩和するために、食料品についてゼロ税率ないし軽減税率を適用しようとするものである。
消費税の逆進性は、『家計調査』総務庁のデータを利用すれば簡単に確認できる。表では、平成七年の全世帯の消費支出のデータを利用して年間収入に対する消費税の負担率を計算してみた。消費税五%のときの負担率をみると、第T所得分位の負担率が四.五%であるのに第]所得分位の負担率は、一.七%となっており、低所得層の方が相対的に負担率が高くなっている。社民党の提案は、この消費税の欠陥を是正しようとするものである。
そこで、複数税率が採用され、食料品についてゼロ税率が適用された場合の消費税の負担を計算してみた。ただし、食料品以外の税率は、すべての消費に対して五%で課税する場合よりも高くしなければならない。『家計調査年報』総務庁の分布を利用すれば、この税率は六.五五%となる。
複数税率を採用すれば、第T所得分位の負担率は四.二%に低下し、第]所得分位の負担率は一.八%まで上昇する。複数税率化は逆進性を緩和できることになる。しかし、負担額でみると第T所得分位の消費税負担の軽減額はわずか年間八千円にすぎない。食料品に軽減税率を採用しているヨーロッパの国々において付加価値税の標準税率は、十五%を超える水準に設定されている。現時点での逆進性緩和効果は、小さいという見方もできる。
しかし、日本の財政赤字の現状や将来の高齢化社会での財政需要の増大を考えると大蔵省が消費税率の再引き上げを提案する可能性は高い。消費税の税率を引き上げるならば、複数税率化の必要性は当然高まることになる。現行の消費税の納税方式では、複数税率化された場合、課税品目と軽減税率適用品目を帳簿上で分類する必要がある。複数税率化を採用するならば、ヨーロッパで採用されているインボイス方式(税額票の発行により課税品目と非課税品目の仕訳が可能)の導入をはかるべきだろう。
表 消費税の逆進性 単位:万円、% | ||||||||||
所得分位 | T | U | V | W | X | Y | Z | [ | \ | ] |
負担額 | ||||||||||
消費税5% | 10.9 | 13.6 | 15.2 | 16.1 | 17.8 | 19.6 | 20.9 | 22.6 | 24.7 | 30.3 |
複数税率 | 10.1 | 13.1 | 14.9 | 15.8 | 17.5 | 19.6 | 20.9 | 22.8 | 25.3 | 31.8 |
負担率 | ||||||||||
消費税5% | 4.5% | 3.7% | 3.4% | 3.1% | 2.9% | 2.8% | 2.6% | 2.5% | 2.2% | 1.7% |
複数税率 | 4.2% | 3.6% | 3.3% | 3.0% | 2.9% | 2.8% | 2.6% | 2.5% | 2.3% | 1.8% |
注)『家計調査年報(平成7年)』総務庁より作成 |
B税制改革の損得勘定
税制改革による負担の変化を見る場合に、比較的簡単に計算できるのが所得階層別の税負担の変化である。これは、いわばある一時点における「税制改革の損得勘定」をみたものである。
表の村山税制改革による税負担の変化は、『家計調査年報(平成七年)』(総務庁)の勤労者世帯、世帯主年間収入階級十分位のデータを利用して、税制改革前後の所得税・住民税・消費税の負担額を求めたものである。この表では、税制改革前の平成五年から先行減税が開始された平成六年以降、消費税率が五%に引き上げられるまでの各所得階層別の税負担額が試算されている。 平成五年と平成六年の所得税・住民税の税負担額をみると、平成六年度に実施された一律二十%の特別減税によって各所得階層の所得税・住民税負担額は二十%だけ減少する。なお、消費税の負担額は、平成五年と平成六年の税率がともに三%であるにもかかわらず、たとえば第U所得分位の世帯では、八.七万円から八.八万円へ、千円だけ増加している。これは、消費税の税率が同じだとしても、所得税・住民税の減税が行われた場合、消費支出が増加し、それが消費税の負担額の増大を生じることを試算では想定しているためである。平成七年、平成八年には、特別減税は一律十五%になるが、税率表の改正と課税最低限の引き上げが加わるために、各世帯の所得税・住民税の負担額は一層低下する。
平成九年には、一律十五%の特別減税が打ち切られ、税率表の改正と課税最低限の引き上げによる制度減税部分のみとなるため、所得税・住民税の負担額は平成七、八年よりも重くなる。
平成五年を税制改革前の基準時点とすると、平成六年から平成九年までの各年の減税額が計算できる。平成六年の減税額と平成七,八年の減税額を比較すると、第]所得分位の世帯を除くと、平成七,八年の方が減税額は大きくなっている。これは、平成六年の特別減税が、高額所得者に有利な形で行われたことが影響している。
平成九年には、消費税率の引き上げがおこなわれるために、給与収入七百五十七.四万円の世帯を除くと各世帯の減税額はマイナス、すなわち増税となる。また、所得階層別にみると、相対的に低所得層の税負担が重くなる。だが、この結果だけで改革の評価を決めるのはまだ早い。
表 村山税制改革による税負担の変化 | |||||||||||
所得分位 | T | U | V | W | X | Y | Z | [ | \ | ] | |
給与収入 | 285.1 | 385.3 | 425.3 | 477.0 | 533.0 | 576.2 | 622.0 | 672.8 | 757.4 | 879.4 | |
平成5年 | 所得税 | 5.4 | 11.7 | 14.3 | 17.4 | 21.5 | 24.7 | 28.3 | 35.2 | 49.4 | 70.9 |
住民税 | 3.3 | 6.5 | 7.8 | 10.8 | 15.0 | 18.2 | 21.8 | 26.1 | 33.2 | 44.0 | |
消費税 | 7.4 | 8.7 | 9.4 | 10.5 | 11.1 | 12.3 | 12.7 | 13.9 | 15.1 | 18.1 | |
平成6年 | 所得税 | 4.3 | 9.4 | 11.4 | 13.9 | 17.2 | 19.8 | 22.7 | 28.2 | 39.5 | 56.7 |
住民税 | 2.7 | 5.2 | 6.2 | 8.6 | 12.0 | 14.5 | 17.5 | 20.9 | 26.6 | 35.2 | |
消費税 | 7.4 | 8.8 | 9.5 | 10.7 | 11.3 | 12.5 | 12.9 | 14.2 | 15.5 | 18.7 | |
平成7年 | 所得税 | 3.7 | 8.7 | 10.9 | 13.5 | 17.0 | 19.7 | 22.6 | 25.9 | 37.0 | 58.4 |
住民税 | 1.1 | 3.7 | 4.8 | 6.1 | 7.9 | 9.9 | 13.1 | 17.0 | 24.1 | 34.8 | |
消費税 | 7.5 | 8.9 | 9.5 | 10.8 | 11.4 | 12.6 | 13.0 | 14.4 | 15.6 | 18.6 | |
平成8年 | 所得税 | 3.7 | 8.7 | 10.9 | 13.5 | 17.0 | 19.7 | 22.6 | 25.9 | 37.0 | 58.4 |
住民税 | 1.1 | 3.7 | 4.8 | 6.1 | 7.9 | 9.9 | 13.1 | 17.0 | 24.1 | 34.8 | |
消費税 | 7.5 | 8.9 | 9.5 | 10.8 | 11.4 | 12.6 | 13.0 | 14.4 | 15.6 | 18.6 | |
平成9年 | 所得税 | 4.3 | 10.3 | 12.8 | 15.9 | 20.0 | 23.2 | 26.6 | 30.4 | 42.0 | 63.4 |
住民税 | 2.9 | 6.0 | 7.2 | 8.8 | 11.8 | 15.0 | 18.4 | 22.3 | 29.4 | 40.1 | |
消費税 | 12.3 | 14.6 | 15.7 | 17.7 | 18.6 | 20.6 | 21.3 | 23.5 | 25.7 | 30.6 | |
減税額 | 平成6年 | 1.7 | 3.5 | 4.3 | 5.5 | 7.1 | 8.4 | 9.8 | 12.0 | 16.1 | 22.4 |
平成7年 | 3.8 | 5.7 | 6.3 | 8.4 | 11.4 | 12.9 | 14.1 | 18.0 | 21.0 | 21.0 | |
平成8年 | 3.8 | 5.7 | 6.3 | 8.4 | 11.4 | 12.9 | 14.1 | 18.0 | 21.0 | 21.0 | |
平成9年 | -3.5 | -3.9 | -4.3 | -3.7 | -2.9 | -3.6 | -3.4 | -1.0 | 0.7 | -1.3 | |
注)『家計調査年報(平成7年)』総務庁より作成 |
Cライフサイクルの税負担の変化
前回みたように、今回の税制改革は相対的に低所得層の税負担増加をもたらす。しかし、低所得世帯の多くは、若年世帯と老人世帯である。現在の若年世帯が生涯にわたってずっと、低所得層に属する可能性は少ない。一時的な損得勘定と生涯を通じたライフサイクルでみた損得勘定は異なるのである。
そこで以下では、より長期的な視野にたって、税制改革が家計のライフサイクルを通じた税負担をどのように変化させるのかを分析しよう。このようなライフサイクルの税負担を計測するためには、コーホート・データと呼ばれる世代別のデータが必要となる。コーホート・データは、総務庁の『家計調査報告』の家計データを加工して作成した。
図において実線で示されている負担率が改正前の制度にもとづく過去と将来の税負担率を、点線が改正後に予想される将来の税負担率を示している。税負担率の分母は給与収入、年金収入、利子収入の合計であり、分子は給与所得税、利子所得税、個人住民税、消費税、消費税以外の間接税の合計である。税制改正後の税負担の試算に際しては、平成六年度については、定率二十%の特別減税が実施され、平成七、八年度については定率十五%の特別減税と税率表の改正による制度減税が実施され、平成九年度以降については、税率表改正による制度減税部分のみが継続するものとした。
ここでとりあげた世代は、一九七〇年生まれの世代である。この世代は、まさに将来の高齢化社会を担う世代でもある。税制改革は、減税先行期間の税負担率を下落させるが、平成九年の消費税率引き上げにより実質増税となる。だが、四〇歳代後半の壮年期になると減税の恩恵を享受できることが予想される。六五歳以降の負担率は改革前の負担率とほとんど変わらない。老後の負担率が変わらないのは、壮年期における減税が貯蓄残高を増加させ老後の利子収入を増大させるためと、年金の物価スライドが消費税増税を相殺するためである。
したがって、今回の税制改革により現在の若者世代の将来の税負担は軽減される。だが、その負担率は、改革によって抑制されるとはいえ、壮年期には約三〇%にも達する。一般的には、重いと論じられる現在の税負担率が二三.一%(平成八年対国民所得比)であることを考えると、一層の税負担軽減の努力が必要であろう。
D大蔵省の「機械的試算」
税制改革による家計への影響分析に比べると地味だが大切な作業に将来の税収予測がある。村山税制改革の過程において、大蔵省は、平成六年五月二十七日に「税制改革に関する機械的試算」を公表した。この試算にもとづき、当初大蔵省は、消費税の税率を五%ではなく、七%まで引き上げようとしていた。
この試算を左右していたのは、「名目成長率」「税収弾性値」「自然増収」の3つのキーワードである。長期的な税収の収支を予測するには、将来の「名目成長率」がどのくらいの水準になるかが重要な意味を持ってくる。経済が成長すれば、当然課税ベースも増加するため税収も増大することになる。さらに、わが国の税体系は累進構造を持つ所得税を中心とすることもあり、経済が成長し名目所得が増大すると、より高い税率区分に押し上げられるという「ブラケット・クリープ」と呼ばれる現象も生じることになる。これにより一般に税収の伸び率は、名目経済成長率を上回ることになる。「税収弾性値」とは、名目成長率が上昇したときにどの程度税収が増大するかを示したものである。税収弾性値が一を超えるときは、名目成長率の上昇を税収の増加率が上回ることになる。「自然増収」とは、このようなプロセスにより当初の税収よりも増大した税収部分である
大蔵省の機械的試算では、名目成長率を五%、税収の弾性値を一.一と仮定している。この大蔵省の機械的試算については、いくつかの改善すべき点が指摘できる。
第一の問題点は、税制改革による経済効果については全く考慮されていない点である。景気対策として所得税減税を行えば経済成長率を押し上げる効果を持ち、逆に将来の消費税率の引き上げは成長率を引き下げる効果を持つ。このようなマクロ経済に与える効果も考慮するためには、民間の研究機関や経済企画庁などの景気予測のためのマクロモデルの推計結果を利用すべきだろう。
第二の問題点は、税収の弾性値一.一という数字が、過去の税収と成長率のデータを参考にして、設定されている点である。統計データを遡れば、過去の税収と成長率の変化率から税収の弾性値は簡単に計算できる。しかし、その弾性値はあくまでも過去の制度改正を反映した値となる。今回の税制改革のように、所得税の税率表の改正をともなう場合には、過去の税収の弾性値が将来の予測に役立たない。
これらの問題点のうち前者については、本格的なマクロモデルを構築する必要があるのに対して、後者の問題点は比較的簡単に克服することができる。そこで次回は、税制改正後の将来の税収の弾性値を推計し、独自に税収の将来推計を試みよう。
E税収の将来推計
前回指摘したように、税制改革を伴う場合には、過去の弾性値を用いた将来の税収予測の信頼性は低下する。そこで、改革後税制のもとでの税収の弾性値を推計してみよう。
税収の弾性値を求める場合、最も注意する必要があるのが所得税の税収弾性値である。というのは、所得税は累進構造を持つので税負担の増加率が所得の増加率を上回ることになり、弾性値が一を超えることになるからである。一方、法人税と消費税は比例税であるので、将来成長率が安定的に推移し、かつ法人税と消費税の課税ベースが成長率と同じ比率で増加すると仮定した場合には、弾性値はほぼ一と考えてよい。そこで、以下では所得税以外の弾性値は一と仮定し、所得税の弾性値のみを推計しよう。
所得税の弾性値は、現実の所得分布に平成九年の所得税法を適用し、税額を算出することで推計可能である。以下では、日本生活組合連合会による『家計調査(平成六年)』の個表データを利用した。このデータでは、夫と妻の収入、扶養家族の年齢などが掲載されているため、総務庁の『家計調査年報』の集計データよりも正確に各世帯の税額を算出できる。この個表データからは、所得税の弾性値を求めると、平成五年税制については二.六一、平成九年税制については二.四七という値が得られた。税制表の改正により、弾性値が低下することになる。
この弾性値を利用して、国税総額の将来予測をおこなった。将来の名目成長率については3%と5%の2つのケースを想定した。また、平成7年4月からは消費税の税率が3%から5%に引き上げられるものとした。図では、1995年までが過去の税収、それ以降が予測を示している。この図をみるとわかるように将来の税収予測については、成長率の違いにより大きく差が生じており、税収予測の難しさを示しているとも言えよう。
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Last Updated 99/09/09 21:07:23