「財政赤字500兆円」で景気は回復するのか                     関西大学経済学部教授 橋本恭之 
 わが国の財政赤字は、近年急速に拡大してきた。1998年度の公債依存度(一般会計歳入に占める国債発行額の比率)は、40.3%、1999年度2次補正後の公債依存度は、43.3%にも達している。1999年度2次補正後公債発行の内訳は、公共事業等の費用を調達するために発行された建設国債が13兆1,660億円、人件費等の経常的な費用を調達するために発行された赤字国債が25兆4,500億円となっている。財政法第4条によると原則として赤字国債の発行は禁止されているので、赤字国債は特例国債とも呼ばれている。この国の借金である国債に加えて、地方団体が発行した地方債を加えた財政赤字は、1999年のGDP(国内総生産)の11%にも達している。これは、EUの通貨統合加入の条件である、財政赤字の対GDP比3%以下という基準(Convergence Criteria)を満たしていない。
 このフローでみた財政赤字の増大に伴い、国と地方の債務残高も急速に膨らんできた。2000年度末には国と地方の債務残高を合計すると500兆円を突破しようとしている。このため、1999年度の当初予算では、国債の利払いや償還に充てる費用である国債費は19兆8,319億円にも達し、対一般会計比の24.2%を占めることになった。この数字は、対一般会計比でみると、社会保障関係費の19.7%をも上回る最大の支出項目となっている。
しかし、この財政赤字の問題は、単に家計の借金と同一視することはできない。国債残高は、一国全体でみれば、国債保有者にとっては資産とみなされるからである。ケインズ派(新正統派)の考え方によれば内国債は、発行時点では国債の自発的な購入者から国への資金移転、償還時点では国から国債の保有者への資金移転がおこなわれるにすぎず、利用可能な資源が変化するわけではない。したがって不況期には積極的に赤字公債を発行して、減税や公共投資による有効需要を創出すべきだとされる。また、財政赤字の累増による財政破綻の心配も、公債発行による積極的な財政政策の成果として利子率を上回る水準まで経済成長率が増加すれば、ドーマーの定理により、財政破綻は生じない。
 一方で、政治経済学的な立場から、ケインズ政策の有効性に疑問を呈したのがブキャナンである。ケインズ的な財政政策は、不況期に減税や公債発行による公共支出の増大を要求し、好況期に増税や公共支出の削減を要求する。ケインズは、このような経済政策が政治的圧力とは無縁の小数の賢人グループによって実行されるものと考えていた。この仮定は、ケインズの住んでいたケンブリッジの通りにちなんで「ハーベイ・ロードの前提」と呼ばれている。しかし、ブキャナンは、現実の民主主義的な政治過程が投票最大化を考えて行動する政治家によっておこなわれているとした。公共サービスの提供や減税は、国民に直接利益をもたらすために人気のある政策となる。特に公債の発行による支出の拡大は、自分は費用を負担しないでも公共サービスを受けることが可能だという財政錯覚を発生させることになる。一方、歳出削減や増税は、政治的には不人気な政策となる。したがって、民主主義的な政治過程のもとでは、常に赤字予算のみが採用されるという政策の非対照性を生じることになる。
 ブキャナンは、ケインズ政策の有効性を認めつつも民主主義のもとでその政策が安易に乱用される危険性を指摘したわけだが、フリードマンに代表されるマネタリストは、マネーサプライの増加を伴わない財政政策は、無効であるとした。つまり公債発行により政府投資を増大させたとしても公債残高の増大は、利子率の上昇をまねき、民間投資を減少させるというクラウディグアウトを生じるというのである。このようなケインジアンとマネタリストの論争から景気対策として財政政策と金融政策を組み合わせるべきだというポリシーミックスの考え方が生まれた。財政政策による利子率の上昇を抑えるために、マネーサプライの増大という金融政策を組み合わせればよいというのである。
 このような従来の議論に加えて、最近のマクロ経済学では、家計や企業などの経済主体がおこなう予想の果たす役割が重視されている。たとえば、合理的期待形成の考え方では、国債の発行が将来の増税をもたらすことを家計が予測するために、その政策の効果は消滅するとされる。さらに、公債による資金調達と租税による資金調達は全く同じ経済効果を持つというリカードの「等価定理」を復活させたバローの中立命題も興味深い。等価定理は、家計が生涯の予算制約をたてて行動すると考えれば、その家計が生存中に公債の発行と償還がおこなわれるならば、たとえば発行時点での減税のメリットは将来の償還時点の増税で相殺されるので、生涯の予算制約は不変となり、家計の行動は変化しないというものである。バローは、親と子供の世代の間での遺産相続に着目して等価定理は、公債の発行が生存中におこなわれない場合でも成立することを示した。つまり、かりに自分が生存中に公債発行による減税のみがおこなわれて、死亡後に公債償還のための増税がおこなわれた場合についても、親が子供の世代の効用に関心を払うならば、子どもの世代における増税を考慮して、遺産額を増大させるので、政府が意図した減税による消費拡大効果は相殺されるというのである。この中立命題が成立するならば、財政政策は短期的にも長期的にみても全く効果がないことになる。この中立命題が成立かするかどうかは、過去の財政政策が消費に影響を与えたかどうかを検証しなければならない。これまでのわが国での実証分析では、最近ではある程度中立命題的な状況がみられると指摘されている。
 以上のように公債発行による財政政策の有効性はさまざまな立場から批判を浴びている。さらにかりにある程度の経済効果があったとしても公債の発行は、公平性の問題を発生させることを忘れてはいけない。最近になって、アメリカの経済学者コトリコフが提唱した世代会計という新たな財政赤字の指標を用いて 世代間の公平性を議論する研究も注目されている。これは、世代ごとに生涯を通じて税・社会保険料などの負担と社会保障給付・公共サービスなどの政府からの受益の収支をあきらかにしようとするものである。これまでの財政赤字の議論が、経済効果や財政を破綻させないような国債管理政策に関心を寄せていたのに対して、世代間の負担の公平性の問題も取り扱っているのである。最近のわが国での実証研究では、受益を上回る純負担は、現在世代よりも将来世代の方がおおきいことが指摘されている。