■シネマ◆
■の■■■
■つぶ■■ ◆
■■■やき ■ ■ ◆
=その7=

ゼミのみなさんへ

昨日、久しぶりに「貧乏人のパスタ」ペペロンチーノを作った。
ペペロンチーノはもっとも簡易なパスタであって、かつもっとも作るのがむずか
しいのだ。
ああ、おいしかった。しあわせ。

<業務連絡>
T田くん、昨日「所見」送りました。
試験、がむばるように。

M田さん、「どのように」に照準してがむばるように。
美味しいパスタ喰って、「なんでこんなにおいしいの?」と思うでしょ。
そんときに、「そも、パスタなるものはなんぞや」などと問うのは愚問である。
「どのようにして美味しくなっとるか」と問うべきである。

以上。

8月が終わってもた。
ということはもう9月じゃないか。
ということは、言ってる間に後期が始まるってことじゃないか。

困った困った。

『文学部自己点検・評価報告書』の原稿約80枚も書かなくちゃならないし。

ほんとはおばか映画についてぼやいている時ではない。

とぼやきつつ書くのである。

前回に続き5月に観た映画(の後半)。


『マッド・シティ』MAD CITY
1997年アメリカ
監督:コスタ・ガブラス
出演:ダスティン・ホフマン、ジョン・トラボルタその他のみなさん
【ジャンル:憎むべきアメリカン・ジャーナリズム、もしくはリストラ男怒りの
立て籠もり大爆発】

めずらしくジョン・トラボルタが「強気のヤッピー」ではなく、リストラされた
気弱なブルー・カラー役(博物館の警備員)。

クビになった博物館の女館長に復職を頼むんだけど(ってショットガンとダイナ
マイト持参でお願いにあがるんだけど)、冷たく突き放される。
怒ったトラボルタは威嚇のつもりでショットガンをぶっ放し、それが偶然元同僚
の警備員に当たってしまいます。
やけくそになって女館長と来館していた子供たちを人質に、博物館に立て籠もっ
ちゃう。

そこにたまたま居合わせたTVジャーナリスト役がダスティン・ホフマン。
元々彼は全国キー局のばりばりやり手記者だったんだけど、事件取材のとき犯人
が死んでしまい、それがそのままTVで報道されちゃうっていう問題を起こし、今
は地方局に左遷されとるのね。
鬱々たる地方暮らしなのだが、そこに事件発生。偶然そこに居合わせたのは天の
采配。
ここで独占大スクープで名を挙げて、キー局に復帰することを目論むのだ。

とは言え、人質であると同時に、事件現場を報道するTVマンとしてインタヴュー
したり、犯人の代弁者として警察と交渉したりしとるうちに、だんだんトラボル
タに同情してくるのです。
被害者が犯罪者にだんだん共感を抱いてしまう「ストックホルム症候群」の変奏
だ。

後味悪い映画である。
結局、加熱する報道に追い詰められるようにして、最後にトラボルタはショット
ガンで自殺をはかる。

でも、二度も不発なの。

カチッ。

ちぇ、もいちどだ。

カチッ。

ヤダね、こういうのって。
そんでもって結局ダイナマイトで自爆すんだから。

どかーん。

えげつな。

ダスティン・ホフマンが最後にTVレポーターたちに囲まれて、「彼を殺したのは
われわれジャーナリストなんだ」("We killed him!")って叫ぶ。
これも定型的な社会派ドラマのエンディングである。

サクセス・ストーリーを地でゆくばりばりやり手のジャーナリストだったんだけ
ど、ネット局から地方に左遷されて、そのうえ今度また新たに事件で市井の人の
生き死にに直面して、ようやく目覚める男の話です。

遅いよ。

それからホフマンの助手のジャーナリスト志望の女の子。
最初は「よい娘」ってかんじなのだが、立て籠もり事件を直接報道するために
ネット局からスター・アンカーマンがやって来るにおよんで、このアンカー・マ
ンにすり寄り、彼に協力することでコネを掴んで自分もネット局へ成り上がろ
うって策士に変貌する。

こうして彼女は、報道の非人間性を反省するダスティン・ホフマン役のキャラと
は、正反対の方向に一意邁進してゆくのである。

若い彼女も、これからネット局へとめでたく昇進し、そこでオドロオドロの人間
悲喜劇を目にして、そんでようやく何年かしたらホフマン的な新たな覚知に至る
のであろう。

遅いよ。

◆◆
『ティファニーで朝食を』
BREAKFAST AT TIFFANY'S
1961年アメリカ
監督:ブレーク・エドワーズ
原作:トルーマン・カポーティ
出演:オードリー・ヘプバーンその他たくさん
【ジャンル:アイドル・プロモーション映画】

授業でトルーマン・カポーティの原作を読んだので、昔観たけど、ま、も一度観
てみっかと借りた。
ところがオードリー・ヘップバーンのプロモ映画であることが判明し、あまりの
退屈さに即座に観るのをやめる。

びっくり。
なんじゃこれ。

確か最初に観たのは小学生のころであったが、名作として名高いこの映画はこん
なんだったの?

原作では、語り手の「ぼく」は作家志望の若者なんだよね。
でもこの映画では、なんか歳くってすでに作家になっている「おじさん」なんだ
よ。
おいおい。
一歩間違えたら単なるセクハラおやじじゃん、あんた。

つまんない。

◆◆◆
『麦秋』
1951年日本
監督:小津安二郎
出演:原節子、笠智衆、淡島千景他
【ジャンル:「おづやす」】

はい、また「おづやす」です。

ツタヤの紹介文によれば、「婚期を逸しかけている紀子のところに持ちこまれた
条件のよい縁談。だが紀子はそれを蹴り、苦労を承知で子持ちの男のところへ嫁
ぐ決意をする。充実期の小津演出が冴えわたった、『晩春』『東京物語』と並ぶ
代表作」ってことらしい。

笠智衆と原節子は『晩春』では父娘だったけれど、ここでは間宮家の「兄妹」な
んである。
兄妹であるが、お話はいっしょ。
原節子が「いき遅れ」の妹(間宮紀子)で、そんな妹をなんとかしようと「父親
代わり」を務める兄が笠智衆(間宮康一)なのである。要するに『晩春』と同じ
です。

そんでもって舞台はやっぱり北鎌倉。
笠智衆が帰ってくる家の玄関先の道も、それを映すアングルも、『晩春』とまっ
たく同じ。
なんだかクラッとくるような不思議なトリップ感がある。
朝食のあと、東京に通勤する列車の風景も『晩春』と同じだ。

冒頭、間宮家の朝の食卓から始まる。
日本は戦争が終わってよかったんだな、とやっぱり思わせるごく平和な風景であ
る。
出来事と言えば、次男の勇ちゃんが顔を洗ったのかと問われて、洗面場でタオル
を濡らし、洗った振りをするくらい。
微笑ましい。「微笑ましい平和な家族の図像」をパフォーマティヴに遂行してい
る場面である。鼻白んではいけない。

だが、この映画には戦争の影(傷跡)が底流にある。
この幸せそうな家も、次男の省二が今なお南方戦線から帰ってこない。
兄妹の母、間宮志げおばあさん(『東京物語』のあの太ったお母さん役の東山千
栄子)は、まだ息子が生きて帰ってくるんじゃないかと待っている。

紀子役の原節子は、『晩春』よりもはきはきした28歳のOLで、たぶん銀座にある
会社で翻訳かなんかやっているおしゃれな秘書兼タイピストといった感じ。

おお、この映画にも料亭「多き川」が出てくるぞお。
いったい「オヅヤス」作品のどんくらいにこの料亭が出てくるのであろうか。
康一と紀子らが、「多き川」の座敷で天ぷらをつついてビールをごくごく飲む。
白いごはんがうまそうである。
紀子らに「エチケット知らずねっ」とたしなめられた康一は、戦争が終わって
「エチケット」という言葉を女が濫用していると憤慨する。
戦前はそんな言葉は存在してなかったんだろうね。
「戦後、パンストと女が強くなった」という巷間に流布した戯れ言があった(そ
うだ)が、戦後この「エチケット」という語に代表される「やさしく上品な女性
的なるもの」が欲望され、流通したということがよくわかる。
マッチョな軍国主義に対する、ソフトでディーセントな身振りがね。
そして「やさしく上品な女性的なるもの」を通じて、女性が自己主張する強さを
獲得したということも。

「原節子的なるもの」の流行もそうであったろう。
長身で、バタくさい、知的で、おしゃれで、楚々とした、非・戦前的なるもの。

明るく健全で希望に満ちた「戦後民主主義」の時代です。
『青い山脈』のすっと屹立した原節子のイコンとはまさしくこれである。

この料亭「多き川」のシーンでだったろうか、紀子の会社の専務も別の座敷でひ
とりメシ喰って酒飲んでいる。
紀子に、「あ、なんだ来てたのか」と言って、自分の杯を渡すと一杯ついであげ
る。
紀子は杯を干すと、「はい」っと返杯する。
専務も杯を干す。
自然である。
こんな、なかなかよい風習がかつてあったのか。

専務は紀子に、自分の友人の真鍋という人物を紹介し、こいつと結婚しろよと言
う。
原節子がちょっと照れて歩くさま、小走りになるさまを筆頭に、それぞれの人の
身体のさばき方が実によい。
旧き良きニッポンの風情だ。

料亭「多き川」は純日本風だが、モダンなカフェのシーンもある。
紀子と同じく「いき遅れ」の友達、それから結婚してはいるが旦那とケンカ中の
友達という、女学校時代の女友達三人でおしゃべりするシーンである。
この三人、まるで女学生みたいにきゃんきゃんしゃべって、「そ〜よね〜え?」
と賛同の唱和をあげる。
わたくしが密かに「女子高生会話」と呼んでいるコミュニケーションである。
排他的な幻想の共同体を形成し、そのインナー・サークルで強制的共感を求める
徹底した付和雷同のコミュニケーション・パターン。
それは「わたしたちは同じ共同幻想を生きている」ということを追認するためだ
けのものである。
もっと言えば、「わたしたち」というものの立ち上げと遂行だけを目的としてい
るコミュニケーションである。

なんかこのシーンが印象に残るんだよね、この映画は何度観ても。

『晩春』では能楽の舞台鑑賞があったが、この映画でも観劇シーンがある。
ここでは歌舞伎。
『晩春』のお能と同じく、別に意味もなく延々と観劇シーンが続く。
こういうところが、「オヅヤス」映画が海外でうける理由のひとつなのだろう。

別にメタシアター的な自己言及話型なんかじゃない。
敢えて言えば、オヅヤス映画の定型的美というものは、日本伝統の能や歌舞伎と
同じ形式美だというメッセージを発信していると言えるかもしれない。

康一、紀子のところに遊びに来ている伯父の間宮茂吉(「まほろばじゃ」と言う
大和のおじいちゃん)の台詞がいい。
歌舞伎を観終わったあと、家のちゃぶ台でお茶をすすりながら、すっごいゆっく
りの台詞回しで、「よかったネェ、今日の芝居は。若いモンが、なかなかようや
りよる。どーして、どーして、えらいモンじゃ!」と感想を述べる。
そして、康一、紀子と同居している老父、間宮周吉に、「いつまでも若いモンの
じゃましていることない」と言って、隠居して大和の田舎に来いと諭す。

そうそう、大和のおじいちゃんの理ある発言に一票!

雪印も日本ハムも東電も、じい様たちは揃って引退し、若い人に権力と権限を委
譲するように。
(後日記。これを書いたのは2年前だけれど、なるほど日本社会というのは進歩
と無縁のようである。引退を勧奨し権力の委譲を求めたい方々のリストは長くな
る一方である。読売新聞でしょ、三菱ふそうでしょ、UFJでしょ、ダイエーで
しょ、西武でしょ・・・。わたくしが引退勧告せんでも、ぱたぱたとお辞めにな
られましたが。)

女学校時代の友達が結婚し、その結婚式のあと、未婚の二人対既婚の二人の女学
校時代の友達四人が、銀座の店でお茶を飲みながらする結婚談義がいい。

コミカルな笠智衆の振る舞いがよい。
スーッとふすまをあけて登場する場面、子供を追い払うためにしか目面をして
ちゃぶ台から立ち上がり、ずんずんと迫ってきてくるりと戻る。
オヅヤスせんせい、だいぶ遊んでますね。
笠智衆も愉しそうである。
笠ちゃん、よかったね。

康一の子どもたちの幼い兄弟が、おもちゃの鉄道レールを買ってくれない父に反
発し、買ってきたパンを足蹴にして叱られ、家出をするプロットがある。ああ、
なつかしい(『お早う』のパターン)。

亡き省二の友人である矢部謙吉が、戦地へ赴く省二が送ってきた手紙を紀子に渡
す。
紀子は彼と結婚するんだね、最後には。
大どんでん返し(にしか見えないが)で、矢部謙吉の母(杉村春子)が「言って
みるモンだ」と感涙することになる。
秋田の病院の内科部長として赴任する矢部謙吉の後妻になり、会社の専務が勧め
てくれてみんなも「いいひと」だと評していた真鍋をふってしまう。

アプレゲール時代における、「元」女子高生たちの「その後」のお話。
長い戦後と、延長された女子校時代と、長い「娘さん」時代の終わりに向けて、
「高い銀座のショートケーキ」を楽しむ月日の終わりが訪れる。

最後に、家族みんなで記念撮影をする。
おじいちゃんが、「いまがいちばんいいときなのかもしれないね。みんがそろっ
ていて」とおばあちゃんに向かってつぶやく場面がある。
おじいちゃんとおばあちゃんは大和へ。
みんな別れ別れ。初めて「よよよ」と泣く紀子。
ここで暮らした「みんな」の「16年」が終わる。

おじいちゃん役の間宮周吉(菅井一郎)の声が実にいい。
大和の田舎の藁葺き家で、いろりをはさんで老夫婦がお茶を飲む。
おばあちゃんがしみじみ言う。「いろいろあって、ながいこと。でもホントにし
あわせでしたわ」。
二人の虚脱したような顔。
一面の麦畑でエンディング。

そうか。『麦秋』の主人公は紀子じゃなくて、この老夫婦なんだ。最後になって
わかった。

食べるシーンが多いな。原節子が食べる食べる。オープニングの朝食、ケーキ、
夕食、お菓子、一人のお茶漬け。「多き川」での食事。

ところで、紀子の勤め先の専務の台詞で「その件はペンディングだ」というのが
ある。
「ペンディング」っていうカタカナ英語、このころからもう使われていたんだ。

それから「きっと」という副詞の使い方が今と違う。
康一が紀子に、「きっと後悔しないんだな?」と言うとき、「絶対に」「決し
て」の謂いなんである。
今では「きっと」という語法は、「たぶん」「おそらく」の謂いで使うだろう。

◆◆◆◆
『コン・エアー』CON AIR
1997年アメリカ
監督:サイモン・ウェスト
出演:ニコラス・ケイジ、ジョン・キューザック、ジョン・マルコヴィッチ、ス
ティーブ・ブシェミ他
【ジャンル:飛行機乗っ取り+アクション】

タイトルの"Con"は囚人(convict)のこと。
だから『コン・エアー』は『囚人航空』ってとこだろうか。

ニコラス・ケイジは全然似合っていないところがよい長髪に筋肉マンで登場。
軍人さん+囚人さん+「ランボー怒りの大爆発的マッチョ」ばりばり。
「女と仲間は決して見捨てないで戦う男」だって自分で解説する、あんまり説得
力と動機付けのないキャラである。

彼は軍人さんで、奥さんを守るために暴漢を殺してしまって囚人となります。
ようやく刑期を終えて家族の元へと帰れるかと思いきや、乗り合わせた囚人輸送
の飛行機が極悪囚人たちに乗っ取られてしまう。

それから連邦保安官役がジョン・「いい人」・キューザック。

そんで極悪囚人のリーダーがジョン・マルコヴィッチ。
彼は凶悪犯罪者+天才+キレたら怖いぞキャラだけど、こういう映画はこの犯罪
者を主人公にしないとぜったいにフェアでなくなる。
どうしても「善玉」のニコラス・ケイジとジョン・キューザックの有利になるよ
うに、偶然が積み重なって行くプロットとなるから。

犯罪者のマルコヴィッチくん、あんなに頭が切れるのにどうしてこのときはこん
なにバカなの?ってなってしまう。
あんたってバカじゃないの?
「犯罪者に不利な状況設定」が見えてきちゃうと、フェアじゃないなと思う。
だから、『羊たちの沈黙』『ハンニバル』のレクター博士や『セブン』のよう
に、天才的に計略を謀れば犯罪者側に「怖いくらいちゃんと」物事が有利に運
び、出来事と偶然が展開するって映画が登場してくることになる。

わたくしがマルコヴィッチくんを初めて観たのは、『キリング・フィールド』で
脇役だけど重要な役どころのジャーナリストだった。
ああいうトリックスター役がマルちゃんのはまりどころだと思うのだが。

ジョン・キューザックは、前にやっていたNHKの朝ドラ『あすか』の子供時代の
「博士」に似ている。
西部劇の『ジャック・ブル』では若々しさをうまく消して渋いおじさん役をやっ
ていた(ちょっと「悲劇っぽく」しすぎだったけど、あの映画は)。

◆◆◆◆◆
『デッドロック』RACE AGAINST TIME
2000年アメリカ(TV)
監督:ジョフ・マーフィー
出演:エリック・ロバーツ 、ケイリー エルウィズ 、サラ・ウィンター 、クリ
ス・サランドン
【ジャンル:近未来SF】

なんか作りがチープだなーと思って、あとでIMDbで調べたらTV用ドラマだった。
それならば、むしろよくできていると言ってあげよう。

IMDbで"Deadlock"っていう映画を検索したら、ぞろぞろ出てくる。
そんで、この映画の原題は、実は"Race against Time"なのであった。
どうも邦題ってパクりが多いんじゃないか。
怒怒。

さて、2018年を舞台とした近未来SFバンバンボンボコ映画です。
高層ビル群や、ビルの側面に投影される巨大広告なんかあって、『ブレードラン
ナー』風の近未来を作りたかったんであろう。
びちょびちょ雨も降るシーンもあったし。

それと『ダイ・ハード』を加味している。

カンフーのスパイスもちょっと足して。

できあがり。

『ブレードランナー』+『ダイ・ハード』かける低予算+「ブルース・リー、
ジャッキー・チェン、ジェット・リー」のふりかけ=『デッド・ロック』という
公式が完成っす。

バスター・キートンの昔からある、高所恐怖に特化した映画である。元々、高層
ビルの建築労働者が主人公だし。

でもたちが悪いぜ、そういうのって。
そもそも高所恐怖症の男を描いたヒッチコックの『めまい』なんかなら許せる
が、この映画みたいな「あざとい」怖がらせ方はイヤだね。
最後の最後になって、"I'm afraid of falling."はないだろ。
彼女とできちゃって、高層ビルの屋上で"falling in love"でっか。
勝手にしなさい。

バート・ランカスターみたいなワイルド顔でマッチョなエリック・ロバーツって
人が主演。
『ダーク・レルム』シリーズにも出ていたとIMDbにはあった。

『理由』にも出ていた、何とも言えん「奥歯から声を出す」いい声俳優の紳士風
おじさんクリス・サランドンがワルモノの筆頭。
最後、『ダイ・ハード』と同じようにビルの屋上から主人公の手をつかんで「道
連れだ」と言うけど、やっぱり一人で落ちました。
ワーッ、どてっ。

マーシャル・アーツの使い手兼恋人となるサラ・ウインターは、ウィノナ・ライ
ダー主演の『ロスト・ソウルス』(悪魔が男の人に乗り移るカトリック・『エク
ソシスト』系でそっから説得性のみ排除した映画)にも出ていたそうだが、記憶
になし。

ワルモノ軍団のなかで、戦闘要員グループのリーダーは「ぶっきーいっちゃって
る」系の役を演じたケイリー・エルウィズって人。
『ツイスター』とか『グローリー』に出ていたとのこと。そうですか。

時間の無駄でした。ははは。


どうも5月の後半はハズレだったようである。
「オヅヤス」は別格だけど。10年たったらまた観よっと。

『コン・エアー』は主演級の人を3人も並べたんだから、もう少し脚本なんとか
なんない?
もっとおもしろくなるのに。
やっぱ映画は脚本である。
どんなむちゃくちゃ「トンデモ」なお話でも、天才脚本家たるタランティーノが
作ると、それゆえ説得力があるんだけどな。

2002-09-03
Copyright c.2002 by Mew's Pap Co.Ltd.
All rights reserved.

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秋元秀紀
Hideki Akimoto
akimoto@ipcku.kansai-u.ac.jp
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