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=その34=
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2004-02-11
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煉獄の入試期間もようやく終了。
 
へとへとになって自宅に帰り着き、9時間余り寝りこける。ぐう。
 
翌日、昼飯喰ってからスティーヴン・ソダーバーグ版『ソラリス』を観る。
すごい。よい映画である。
でも観ているうちにまた睡魔に襲われ、2時間半の昼寝。ぐうぐう。
 
がばちょと起き出して夕方まで続きを観る。
 
よい映画である。今年観た映画のなかで一番である(ってまだいくつも観てないけど)。
 
であるからして、いつもとは趣を異にするけれど、今回は観たばっかの『ソラリス』について(卒論14本読まにゃならんのにこんなことしててよいのであろうか)。
 


『ソラリス』SOLARIS
2003年アメリカ
製作:ジェームズ・キャメロン
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
脚本:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:ジョージ・クルーニー、ナターシャ マイケルホーン、ジェレミー・ディヴィス
 
すごい。
ジェームズ・『ターミネーター』『エイリアン2』『タイタニック』・キャメロンと、スティーヴン・『セックスと嘘とビデオテープ』『エリン・ブロコビッチ』『オーシャンズ11』・ソダーバーグが手を組んでいる。
 
そしてジョージ・一押し『スリー・キングス』・クルーニーが、SF史上に残る主人公クリスを演じる。
 
原作は「かの」スタニスワフ・レム(『ソラリスの陽のもとに』)で、かつて「かの」アンドレイ・タルコフスキーが映像化している(『惑星ソラリス』)。
 
巨匠たちによる伝説の作品の「リメイク」であるが、キャメロン×ソダーバーグもその名に恥じぬ作品に仕上げた。
あんまり話題にならなかったようであるが、不思議である。とってもよい映画なのに。
 
『2001年宇宙の旅』や『惑星ソラリス』に代表される、こういう「フィロソフィカル」SFというものは忌避されるのだろうか。わたくしは大好きなのだが。
 
宇宙そしてSFは冒険と戦争のアクションの場ではなく、本来、静かな哲学的思考の場であるはずだ。
19世紀の植民地主義時代と「戦争の世紀」たる20世紀に育まれたSFは、ハリウッドのバックグラウンドであるアメリカ「開拓者精神」に駆動されて、「冒険と戦争」のアクションものの代名詞になってしまった観があるが、その方向性は大いなる過誤であると言わねばならない。
 
惑星ソラリスは「超・ガイア仮説」のごとく、一個の知的生命体であるか、あるいはある種の超越的存在である。
 
ソラリスの軌道上に浮かぶ宇宙ステーションで、人々は「幻影」を見る。
そこにいるはずのない、身近な人間が実体化して寄り添ってくるのだ。
 
彼らは「ヴィジター」と呼ばれる。
 
ヴィジターは個々の人間の記憶や夢、心理のあやと感情が「物質化」して、眼前に形象化された実在なのである。
宇宙ステーションにいるわけがない今は亡き弟、地球に残してきた幼い息子、自殺した妻が実体化する。
 
しかし、それは超越者による、か弱き人間へのイジメなどでは決してないし、人間の心理を操作するためでもない。
ソラリスの「目的」というのは、人間の想像を超えているのである。
 
肝心なのは人の一番「柔らかい」ところが実体化するという点である。そしてそれこそ、一番「人間的」な部分である。
 
一人ひとりがそれと向き合い、罪悪感と郷愁と哀切感に投げ込まれる。そこから目を背けるか、逃げ出すか、戦うか、狂気にいたるか、自殺するか、選ぶのは一人ひとりの人間であって、そのことにソラリスは一切関知しない。
 
クリスの死んだ妻レイアは、実体化しつつも、みずからの存在への疑義に苦しむ。
"I don't understand what's happening.  And if I do understand what's happening, then I don't think I can handle it.  I'm not the person I remember.  Or at least I'm not sure I am."
 
「わたし」の記憶はわたしのものだろうか、「わたし」とは記憶が形成する擬制なのではないか、という『ブレード・ランナー』モチーフである。
 
レイアの内省的で静謐さをたたえた声もよい。
 
タルコフスキー版では間違いなく主人公はクリスであったが、この映画ではクリスではなくレイアが中心人物と見るべきだろう。
 
美しいレイアは、元来ボーダーライン上にあった女性として描かれる。
幼少時には壁紙の裏側に住むイマジナティヴな男の子と遊び、精神病を病む母に育てられる。自身にも神経症が垣間見られる(3ヶ月以上ひとつの仕事が続かない)。
 
クリスの友人の科学者たちとのパーティで、レイアは生物のなかでmortalityを意識するのはどうして人間だけなのかと問いかける。
シニカルな科学者たちは、人間の存在も偶然の所産にすぎないと答える。
 
超越的な存在の有無を問うレイアに対して科学者たちは、きみの言っている神様というのは「白いヒゲの老人」かというクリシェで応じてレイアを笑いぐさにする。
 
幼きころより想像力が過剰で、「狂気の遺伝気質」を抱えた神経症の女性であり、死すべき存在としての人間とその自意識や、人間存在を超えたものの実在に思いをめぐらすレイアは、「境界」に位置する人であり、ソラリスが顕現する媒体として格好の存在であろう。
 
かつて、神経を病むレイアはクリスの子を堕胎し、クリスはそれを責めて出て行く。その直後にレイアは自殺する。
 
ソラリス軌道上のステーションで、クリスの前に「ヴィジター」として実体化したレイアは、クリス自身の手によって船外に投棄される。
 
レイアは二度にわたりクリスに捨てられるのである(かわいそう)。
 
再度実体化したレイアはその事実を知り、同時にかつて(地球上で)自分が自殺したことを「思い出し」て絶望し、自殺を図る。
だが、もはやmortalな存在ではないレイアは死ぬこともできない。
 
クリスにとってレイアは愛と罪悪感の形象化である。
かつての自分の過ちを償いたいと言って、「再生」したレイアとともに生きることを願望するようになるが、絶望したレイアは最終消滅機械による自分の存在の完全消去を願う。
 
深層心理の鏡、記憶の実体化というクリスのモチーフよりも、「わたしはダレ」というレイアのモチーフの方が軽重においてまさっている。
 
だからレイアが主人公なの。
 
ステーションにはクリスの他に二人の乗組員がいる。
 
モーガン博士(原作にもタルコフスキー版にもいなかった黒人の女性で、今日的なキャスティングである)と、チック的で挙動不審の「ちょっとアタマがおかしいのじゃないのか、キミ」的なアブナサを抱えたスノー(こいつはアヤシイぞアブナイぞと観客に思わせるわけだね、でもとってもイイヤツなの)。
 
さらに、実体化した「ヴィジター」たちがいる。
モーガン博士は自分のヴィジターを自室に隔離してひた隠しにする。そのヴィジターが何者なのかは最後まで明らかにされない。
スノーの前には死んだ弟が訪れるが、「最近は見かけない」という。
そして、クリスの友人で、ステーションで自殺を遂げた科学者ジバリアンの幼い息子が船内に出没する。
 
すでに自殺してしまったジバリアンの「息子」が走り回り、逆にスノーの「弟」は最近見かけないというのがひとつの伏線になってますね。
 
やがて、スノー本人の死体が発見されるわけです。
目の前にいる「スノー」は実は本物ではなく、スノーの「弟」のヴィジターだったんですね。
 
ヴィジターは「ヒッグス場」により物質が安定化して存在しているという仮説に基づき、モーガン博士は「反ヒッグス粒子」を照射して「反ヒッグス場」を形成し、ヴィジターを完全に消滅させる機械を作る。
 
それによってモーガン博士のヴィジターと、おそらくジバリアンの「幼い息子」も消去される。
 
レイアもその機械によって自己消滅を望むが、クリスは許さない。
だが、クリスが眠っているあいだに、レイアは「遺書」となるヴィデオを残して消滅する。
かつて(地球上で)自殺したレイアは、「死せども愛は死なず」というトマスの詩篇を「デス・ノート」として残した。このヴィデオはレイアの「二度目」のデス・ノートとなる。
 
ヴィデオのなかでレイアは、クリスの荷物の中からかつての「自分の遺書」を見つけたと言い、"And I realized.  I'm not her.  I'm not Rheya.  I know you loved me, though.  I know that, I felt that.  And I love you."と語る。
これも『ブレード・ランナー』モチーフである。
 
ここで繰り返される「一人称」が重要であろう。
「わたしはわたしではない」という痛切な認識がある。
そして(デカルトではないが)「わたしはわたしではない」と考える「わたし」がいる。
このメタ的な「わたし」こそ、いかなる宇宙の力も消滅させ得ない代替不可能な実存ではないか。
そして人は皆ひとしなみに、この脆い「わたし」を生きている。人間の投影たるヴィジターも同じだ。
 
かくして、宇宙ステーションからヴィジターは一掃される(実はスノーもヴィジターだったんだけど)。
 
そして反ヒッグス・フィールド生成機により、ヴィジターが次々と消滅させられていることに「気付いた」ソラリスは、「質量を増し」てゆく。
 
どういうことか分かる?
 
質量が増えると重力が増しますね。
 
重力が増すと、軌道上を周回していた宇宙ステーションはソラリスに墜落します。
 
ステーションは急激に落下してゆくのです。
 
どうやって「質量が増す」かって?
 
知らん。
 
いわゆる「人知を超えた」ものなんだから。
でも不在から存在を生成する「神のごとき」ソラリスにはそのぐらい簡単でしょう。
 
『2001年宇宙の旅』の続編『2010年宇宙の旅』では、石版モノリスが木星上に「大量発生」して質量を急激に増し、爆縮してノヴァ化しましたね。あれのオマージュじゃないかね。
 
とにかく、宇宙ステーションはソラリスに「惹き寄せられる」ように落下してゆく。
 
スノーもヴィジターであったことが判明し、唯一の生存者ゴードン博士とクリスはポッドでの脱出を試みる。
 
だが、最後の瞬間にクリスは落下する宇宙ステーション留まることを選ぶ。
 
ソラリスへと墜落してゆくステーションのなかで、クリスの目の前に、消滅したはずの子どものヴィジター(ジバリアンの幼い息子)が現れて手を差し延べる。クリスはゆっくりと腕を伸ばして、その子の手を握る。
 
美しいシーンである。
 
この最後の瞬間に臨んで、このおさな子はソラリスのエージェントとしての役割を果たしているのであろう。
そしてクリスに向けて手を差し延べ、人間を許し受け容れる。
 
人間とソラリスとの、初めてのコミュニケーションである(ちょっと『E.T.』の「指タッチ」入ってるけど)。
 
実はヴィジターであったスノーも、墜落してゆくステーションのなかで、思わず天を仰ぐ。
そしてそのまなざしが何かを捉えたことが暗示される。
スノーの表情は畏怖から、うち震える歓喜へと変わる。彼は自身の創造者を見たのであろう。
スノーのまなざしは自分の存在の謎への答えを見た者のそれであり、その表情には恐怖や畏怖ではなく歓喜が浮かぶ。
 
ここでもソラリスと「人間」は和解する。
 
そして場面は唐突に映画の「最初のシーン」に戻ってそれを反復する。
雨の夜、クリスが自室で目を覚まし、料理を始めるシーンである。
冷蔵庫を開けて、野菜を取り出し、ナイフでカットしているときに指を切ってしまう。クリスは傷口の血を水道の水で洗い流す。
 
クリスは宇宙から帰還し、地球上での日常へと戻ったのだと「思う」。
しかし、それは「現実」ではない。
レイアが自己の完全な消滅を選んだとき言ったように、「自分たちが一緒に生きられる場は地球でもないしステーションでもない」のである。
 
それは超越的なソラリスの懐のうち以外にあり得ない。
 
この最後の場面がよく分からずちんぷんかんぷんだと映画評で書いている人がいたが、自明ではないか。
 
ソラリスは宇宙ステーションを破壊し、人間を殺害するために落下させたのではないのですよ。
落下するステーションはソラリスに「受け容れられた」のですよ。
『2001年宇宙の旅』のエンディングも謎の多い静謐な場面であったが、『ソラリス』のエンディングはまさしく『2001年』の「スター・チャイルド」誕生に至る「白い部屋」の場面を思い出させるものである。
 
最後に反復されるシーンは、映画冒頭のそれとはわずかなズレを見せる。
 
冷蔵庫のドアには、最初のシーンにはなかったレイアの写真がある(生前レイアは冷蔵庫に写真も貼っていないクリスの部屋は変わっていると言っていた)。
冷蔵庫から取り出す野菜も異なる。
 
ナイフで切ったはずのクリスの指の傷はなぜかすぐに癒えて消えている。
そしてふと目を上げると、そこに「いるはずのない」レイアがいる。
 
わずかなズレを織り込んで反復されるシークエンスというのは、観客の無意識に訴える力がある。
 
クリスの眼前に現れたレイアは、「すべては許されたのだ」と言う("Everything we've done is forgiven.  Everything.")。
「人間が人間であること」への許しが告げられる場面である。そして「わたしがわたしであること」へも。
 
ということで『ソラリス』は「今年観た一押し」映画である。
ニュー・エイジ風のBGMもよい。静かな映画に相応しい。
 
ところでソラリス惑星上の光の渦は、脳内シナプスを経由する電気信号のメタファーですよね(星野之宣も『2001夜物語』のなかの一編で描いていた)。
 
雨の街並みも『ブレード・ランナー』を彷彿させてよい。
 

さて、卒論読むぞ。
 
2004-02-11
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秋元秀紀
Hideki Akimoto
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