■シネマ◆
■の■■■
■つぶ■■ ◆
■■■やき ■
■ ◆
=その16=
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2003-02-11
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
約一ヶ月ぶりです。
ちょい忙しく、ぱたぱたしてました。
年明けの最終授業に始まり、実施本部で学年末試験の運営のお手伝い、担当クラスの試験の実施と採点、レポートの採点、それから入試。合間に卒論19本読む。
ようやく入試も終わりました。
わたくしは問題作成に携わり、試験日の朝には「関西大学」の青い腕章を付けて受験生案内のため法文坂で立ち番をし、試験監督をやって、採点に参加し、入試にほとんど「ぜんぶ」に関与しました(望んでしたわけじゃないけど)。
特に立ち番と監督では受験生と直に接するので、「カンダイってとってもいいとこだなぁ」と思っていただくために、「にこにこ仮面」を被ってがむばる。
高い受験料を支払って過酷な試験を受ける受験生たちとその父母のみなさんは、わたくしたちの大事な顧客(候補)であるので、わたくしとしてもユーザ・フレンドリーに徹し、にこにこと天使の微笑みを浮かべつつ、遅刻してきた受験生はカバンをもってあげて試験場に走ってお連れし、うろうろ所在なげな父母のみなさんは待合室にご案内申し上げ、試験監督のおりには咳ひとつせずに業務に専心する。
ね、カンダイってとってもいいとこでしょ?
特にうちの文学部ってとってもフレンドリーでしょ?
とりわけ寒さにめげずにこにこと案内してくれた事務員だか教員だか、はたまた歳くった学生だかよくわかんない怪しげなおじさん、とっても親切だったでしょ?
だから、めでたく合格した曉には、うちにきなさいね。
ね、ね。
ほんと、入試期間中はよく走ったものである。
走りすぎて息が切れたので、『北の国から』についての「だべりんぐ」は今回はやめ。まだ書きたいことが山ほどあるのだが。
<秋元ゼミのみなさんへ業務連絡>
卒論の冊子の件ですが、今年度は人数が少ないので、10数頁にしかならない。
表裏の表紙を付けてもぴらぴらで、北風が吹いたら飛んでいきそうである。
それで「卒論マニュアル」と「べからず集」を余録につけることにしたが、それでもまだ下敷きにもならない。
ということで、埋め草にこの「シネつぶ」vols.1-15を余話として載せて、ページ数かせぎをしようと思います。
みなさんのきわめて真面目な「要旨」と「レヴュー」のあとに、こんなきわめて不真面目でおバカな文体の文章を載せることには、ちょっとわたくしとしてもためらいがある。
そんなことは許さんという向きはどうぞ連絡してください。
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『パンサー 黒豹の銃弾』PANTHER
1995年アメリカ
製作:マリオ・ヴァン・ピープルズ、メルヴィン・ヴァン・ピープルズ
監督:マリオ・ヴァン・ピープルズ
出演:カディーム・ハーディソン、ボキーム・ウッドバイン、ジョー・ドン・ベイカー、コートニー・B・バンス、ボビー・ブラウン
1960年代後半、アメリカ西海岸を拠点とした黒人解放運動で世間を震え上がらせた、泣く子も黙るブラック・パンサー党を描いています。
監督・主演のマリオ・ヴァン・ピープルズくんのパパ、メルヴィン・ヴァン・ピープルズは作家で脚本家で監督で俳優である。
マリオくんはハリウッド映画界でお育ちのよろしい、生え抜きエリートだったんだ。
「路地裏から這い上がった」アキモトせんせとしては、昔っから「業界二世」というのがあんまし好きくない。
社会の流動性・多様性を阻害するし、第一そういう人たちって「インサイダー」なんだから、フェアなゲームができないでしょ。
ちょいずるいのではないか。
でもマリオくんは許す。反骨精神をもった映画作るから。
この映画では、パパのメルヴィン・ヴァン・ピープルズが原作小説を著し、脚本に翻案し、製作に関与し、さらに出演もしております。
製作・監督・主演のマリオくんが演じるのは、かのストークリー・カーマイケル役で出ている。
アメリカの黒人を主題にしたハリウッド映画って、奴隷制の原点を描いた『アミスタッド』から、19世紀の『カラー・パープル』、20世紀キング牧師(の映画あるよな、当然)、マルコムX、それにモハメド・アリまで題材にしてきた。
ひとつ忘れてないか。
という問題意識で、メルヴィンとマリオ父子が作りました。そうです。ブラック・パンサーも(ようやく)映画の対象となったのである。
加藤幹郎が『映画ジャンル論』で、新しいギャング映画として大絶賛しているマリオくんの『ニュー・ジャック・シティ』を観ようと思って、ついでに彼の他の作品もと借りてきた。
60年代の神話的な物語を神話に還元せずに、かつドラマ性とエンターテイメント性をもたせたよい映画である。
高く掲げた握り拳、肩に担いだ散弾銃、黒革の制服、黒ベレー帽、そしてサングラスというブラック・パンサーの「神話的な図像」の向こうに、これまで覆い隠された「人間群像」を可視化する試みです。
そして、ブルジョワ白人社会に対し、"Black is
beautiful!"という思想と銃弾でもって徹底対峙・抗戦した恐そうな「黒豹さんたち」の「党」が、実はそもそもみずからの「自衛」のために組織されたという事実もよくわかった。
ブラック・パンサー壊滅のために、FBIがさんざ悪さする。フーバー長官らワシントンからの指令がしばしば引用されるが、これは本当に機密書類の公開によるものなのだろうか。
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『リプレイスメント』THE REPLACEMENTS 2000年 アメリカ
監督:ハワード・ドイッチ
出演:キアヌ・リーブス、ジーン・ハックマン、ブルック・ラングドン、ジョン・ファブロー、リス・エヴァンス、ブレット・カレン
前に観たフットボールもの『エニー・ギブン・サンデー』『タイタンズを忘れない』が、二つともとてもよかったので、おお、スポーツ・ジャンルでもアメフト映画ってよいものだと思って借りた。
オリヴァー・ストーン監督の『エニー・ギブン・サンデー』は、アル・パチーノがだみ声で叫びまくるコーチ役で、臨場感溢れる試合シーン(編集が実に優れている)が「売り」だった。
黒人選手をめぐる人種問題を扱うと同時に、かつての祝祭的なアメリカン・スポーツがテレビを中心としたコマーシャリズムとジャーナリズムに蚕食されて堕落しているというのもよく分かりました。
新旧世代の対立と、「旧き良き」時代のスポーツ精神と今日のコマーシャリズムとの対立という、きわめて図式的なドラマでとっても分かりやすい。
初老の白人で名コーチのトニー(アル・パチーノ)と、すでに体がぼろぼろで引退間近のスター選手ジャック(デニス・クエイド)が旧世代です。
頭角を表してきた若手の黒人天才プレイヤーのウィリー(ジャミー・フォックス)は、コマーシャリズムに乗っかって成り上がってゆく。
それと、元々チーム・オーナーだった亡き父の跡を継いだお嬢さんオーナーのクリスティーナ(キャメロン・ディアズ)。彼女は、父とは違ってコマーシャリズムに迎合したチームの再編による「近代化」をはかる。
こっちが新世代です。
対立図式は単純だけれども、さすがはオリヴァー・ストーン監督。
特に試合のシーン、スロー・モーションとカットを多用した編集はど迫力で、それだけでも観るに値する。
もうひとつのフットボールもの、デンゼル・「とってもよい子」・ワシントン主演の『タイタンズを忘れない』は、人種差別批判を直裁に描いた美しくもよい映画だった。
けど今度の『リプレイスメント』はハズレでした。キアヌ・リーブスのアメフト選手じゃね。
野球映画のケヴィン・コスナー(『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』『フィールド・オブ・ドリームス』『さよならゲーム』)の真似して、「アメフトのキアヌ」って呼ばれるべく「スポーツ・ヒューマン・はらはらどきどきどんでん返し」ドラマを目指したたんだろうけど、真似ッ子はだめである。
それにニッポン人の元相撲取りのアメフト選手というのが出てくるけど(Ace Shigeo Yonamine
という名の俳優さん)、めちゃくちゃインチキである。
いったい、あれはなに?
ハリウッドにおける日本人男性の類型って、かつてのメガネに出っ歯で首にカメラぶら下げた奴、サムライとかショーグン、団体さんの観光客、宇宙の法則は円とドルで算定できると言わんばかりのソーゴーショーシャマンのビジネスマンであったが、それに加うるに「デブのちょんまげ相撲取り」などというものしか想像力しか及ばないのであろうか。
しかし、事実は小説より奇なり。この映画は2000年製作である。で、若之花が引退したのも2000年。その後、唐突に若乃花はNFLに挑戦すべく渡米しました。
そうか。わかった。
事実はつねに虚構を模倣する。
若之花がなりたかったのはアメフト選手じゃなくって、キアヌ・リーブスだったんだ。
次は誰だろう。ケヴィンくんの真似ッ子したキアヌくんを真似ッ子した若ちゃんを真似ッ子する人って?
ぜったい出てくるぜ。現実とは模倣の模倣の模倣の模倣……というエンドレス・テープなんだから。
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『ニュー・ジャック・シティ』NEW JACK CITY
1991年アメリカ
監督:マリオ・ヴァン・ピープルズ
出演:ウェズリー・スナイプス、アイス-T、マリオ・ヴァン・ピープルズ他たくさんの黒人俳優さん
アメリカン・ドリームのお話です(加藤幹郎先生が『映画ジャンル論』で書いている通り)。
ギャングスター映画というのは、ひたすら出世を目指す「アメリカの夢」実現の話型だったのだ。
ニーノ・ブラウンくんは、80年代に頭角を現した新興の黒人ギャングスターである。
それゆえ「法」も「無法」も敵に回さなければならない。
急速にのし上がるマフィアだから法を破るのは当然。
先行するイタリアン・マフィアがテリトリーにしている地域に新規参入するのだから、マフィアの仁義、すなわち「無法のルール」も破る。
テレビでアル・パチーノ主演のマフィア映画を映しているシーンがちょこっとあります(イタリア系ギャングスターのお話『スカーフェイス』であろう)。
ニーノ・ブラウンくんは、イタリア系マフィアに上納金を納めていたチンピラ・グループのリーダーにすぎなかったのだけれど、独自の悪の王国を建国して王様にのし上がってゆく。
『ゴッドファーザー』の恐い方々に挑戦し敵対し駆逐し「自己実現」をなし遂げるわけです。
ただしく「アメリカン・ドリーム」なのである。
新しいドラッグ王国CBMを作ったニーノ・ブラウンは宣言する。
"This is the fruit of our hard work. The
belief in the enrepreneurial spirit. The New American Dream."
この映画は実話に基づくらしい。
"the American way"でいこうぜっていう台詞もあった。
裁判で勝ったニーノ・ブラウンの台詞は、"I think the American justice system is the greatest in
the world. I'm proud to be an American."というものです。
いずれの台詞も、米国大統領の演説と差異を見出すのが困難でしょ。
ギャング映画とは由緒正しきアメリカン・ドリームのお話であるという「加藤」説が、とても得心のゆく映画でした。
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『ミラーズ・クロッシング』MILLER'S CROSSING
1990年アメリカ
製作:イーサン・コーエン
監督:ジョエル・コーエン
脚本:ジョエル・コーエン、イーサン コーエン
出演:ガブリエル・バーン、マルシア ゲイ
ハーデン、ジョン・タトゥーロ、ジョン・ポリトー、J・E・フリーマン、アルバート・フィニー、スティーブ・ブシェミ
『ユージュアル・サスペクツ』のガブリエル・バーンの主演デビュー作ということで借りた。
コーエン兄弟だし。
なんだ、観たことある映画だった。忘れてたよ。
一押しの「ブッキー顔」スティーブ・ブシェミも出ておる。
加藤幹郎先生が「韜晦したノワールなギャング映画」「退廃的なマニエリスム作品」「アイロニカルで退廃的」という具合にちょんと切って捨てた映画です。
しかし、マフィアが裏切り者を処刑する森の十字路(ミラーズ・クロッシング)から、森の奥深くに主人公が引っ立てられ、いよいよ殺害されるかという場面の緊張感はけっこうよろしい。
一匹狼が組織の裏をかき、組織のボスに気に入られてインサイダーになって内部から組織の解体に向けて奸計をはかり、組織やボスやボスの右腕に「裏の裏」をかかれ、陰謀と腹のさぐり合いと複雑なプロットにより謎と伏線を散りばめ……という「ただしい」ノワールの雰囲気が横溢しています。
「韜晦」であれ「退廃」であれ「マニエリスム」であれ、懐かしい感じで好きですね。
またノワールの原点であるダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーを読みたくなった。
◆◆◆◆◆
『サザン・コンフォート―ブラボー小隊 恐怖の脱出―』SOUTHERN COMFORT
1981年アメリカ
監督:ウォルター・ヒル
出演:キース・キャラダイン、パワーズ・ブース、フレッド・ウォード、ピーター・コヨーテ、ブライオン・ジェームス
ツタヤの惹句によると、「『ラストマン・スタンディング』のウォルター・ヒル監督によるサスペンス・アクション。湿地帯での訓練中に現地民に襲われ、統制を失った小隊に降りかかる恐怖を描く」のだそうです。
悪くないまとめ方である。「湿地帯」「訓練中」「現地民」「統制を失った小隊」というのがちょっと不気味で期待させますね。
なるほど恐い映画である。どきどき。
『ウォリアーズ』『ザ・ドライバー』『48時間』『ロング・ライダーズ』『ジェロニモ』『ジョニー・ハンサム』etc.のウォルター・ヒル監督です(『ラストマン・スタンディング』だけじゃないよ、ツタヤさん)。
ウォルター・ヒル映画にハズレなしなのだ。
主演はキース・キャラダイン。
あの細面のギョロ目のぶっきー顔、誰かと思ったら同じくウォルター・ヒル監督の西部劇『ロング・ライダーズ』のジム・ヤンガーズだった。
わたくしとしては「ヘンナカオ系」のスティーブ・ブシェミくんと似ているので、一押しである。
ブシェミくんよりも「社会性がありそうな」顔だけど。
1981年の作である。よい映画かともかく、昔のアメリカン・ニュー・シネマの流れを感じさせる懐かしい肌触りがある。
リアルだし。
オリヴァー・ストーン監督は『プラトーン』を製作するときに、絶対にこの映画の影響を受けていると見た。
そう言えば『プラトーン』のウィレム・デフォーが演じるサージェント・エイリアス役のキャラも、どっかキース・キャラダインに似ている。
そう言えば、なんとなく顔も似ている。
と、言うことは。ウィレム・デフォー、スティーブ・ブシェミ、キース・キャラダインは、揃って一押しの「ブッキー顔」三兄弟であることにアキモトせんせは決めた。
反対はゆるさん。
この映画の恐いところは、未知の他者と遭遇し、何がなんだかわかんないうちに不条理性に巻き込まれ、人間がだんだん壊れていくところです。
この地域には「なに考えてんだかわかんない」人々(フランス系移民のケイジャンね)が、異文化圏を形成している。
「われわれの」文明のすぐとなりにあるのに、トンデモなことが次々と発生し、みなさん「そんなバカな」思っているうちにじわじわと迫るプレッシャーによってだんだん壊れていきます。
じわりじわり迫り来るのは『プレデター』で襲ってくる怪物宇宙人の追撃の不安感とよく似ている。
そう言えば、胸に赤い十字を描いてケイジャンの小屋を破壊する人、あれもプレデターに最後の闘いを挑むネイティヴ・アメリカン系の人が継承している。
それから『エイリアン』と同じく、最初に「頼るべき男のリーダー」が死ぬところもよい。
「家父長」の退場は、「父権主義的秩序」と文化の文法が消滅し、不条理性に満ちた異界に放り込まれることを意味する。
足下じゃぶじゃぶの沼沢地にマングローブの森という「異境」もよい。「ぶあぁむっ」と響きわたる猟銃の発射音もよい。
片腕のブッキーなケイジャンは、なんか似てるなーと思ったら、やっぱり『ブレード・ランナー』でレプリカントやってたブライアン・ジェイムズでした。昔っからちょっとアブナイ人の役だったんだ。
びちょびちょした南部の湿地帯に、乾いたライ・クーダーのギターがジャラ〜ンと鳴り響く。
うう、いいっす。好みです。
ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』で、乾燥したテキサスの大地に響きわたっていた弦鳴りのスライド・ギターも感涙ものだった。
彼のギターは湿地帯にもよく合うことがわかった。
ライ・クーダーの音楽って、『ラストマン・スタンディング』も『ジェロニモ』も『ロング・ライダーズ』も『48時間』も『ジョニー・ハンサム』もそうである。
あれ、ウォルター・ヒル映画のほとんどじゃないか。
ウォルター・ヒルとライ・クーダーってお友っちなの?
◆◆◆◆◆◆
『ホワイトハウスの陰謀』MURDER AT 1600
1997年アメリカ
監督:ドワイト・H・リトル
出演:ウェズリー・スナイプス、ダイアン・レイン、ダニエル ベンザリ、デニス・ミラー、アラン・アルダ、ロニー・コックス
これまたツタヤの惹句によると、「ホワイトハウスを舞台に黒く滑巻く国家的陰謀に立ち向かう刑事と女性シークレット・サービスの活躍を描く。美術スタッフがホワイトハウスに通って研究しただけあって、ディティールはかなりの凝りよう。緊張感あふれる超一級サスペンスアクションを一層ひき立てている」だそうである。
映画の冒頭、通りのど真ん中でピストルぶっ放す自殺未遂男が出てきて、ウェズリー・スナイプスがクールに対処するシーンがある。
ハリー・キャラハン+エディ・マーフィですね。
ウェズリー・スナイプスは『ブレイド』(@「シネつぶ」その14)のときと比べて小柄に見える(なぜだろう)。
この映画でも中途からマッチョ化するけど、知的な役をやる方が似合うと思うよ。
ダイアン・レイン、よい女優になった。
1979年の『リトル・ロマンス』を知っているおじさんとしては、よくぞここまで大化けしたと誉めてあげたい。
03-02-11
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