■シネマ◆
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■■■やき ■ ■ ◆
=その10=
◆
『マーシャル・ロー』THE SIEGE
1998年アメリカ
監督:エドワード・ズウィック
出演:デンゼル・ワシントン、アネット・ベニング、ブルース・ウィリス他のみ
なさん
【カテゴリー:デンゼル・「よい子」・ワシントンの「やっぱ民主主義がええ
わ」映画】
近作の『トレーニング・デイ』で冷徹なワルモノ役に挑戦するまで、ずっと「い
い子」だったデンゼル・ワシントンの主演映画。
PC時代のインテリ白人男性が、お友っちになってもいいと思う黒人ナンバー・ワ
ンでしょう。彼が話すのは「黒人英語」じゃないし。
FBI捜査官の責任者というのが黒人のワシントンで、通訳兼部下はアラビア人、
さらにアジア系の女性部下もいる。
とってもPC的である。
ブルース・ウィルスが演じる将軍は男性白人。ワルモノは「白人」の「男」の家
父長的な権力者つうわけ。
CIA捜査官は白人だけど女性という配役にしているし。(それにしてもブルース
・ウィリスの将軍って、似合わない。)
冒頭、拘束されるイスラム過激派指導者は、どう見てもオサマ・ビン・ラディン
である。2001年9月11日を予測した映画なのだ。
作中、戒厳令下におかれたニューヨークには、ツイン・タワーが「まだ」ある。
街路に軍が展開する光景を見て、わたくしはくらくらとデジャ・ヴュを感じた
ぞ。
そうだ、あれはかつての韓国の風景である。20余年前、韓国は朴正熙軍事独裁政
権でした。1979年に朴正熙暗殺とクーデターが起きて、民主化運動が激化し光州
事件が起きて、現大統領の金大中は捕まって内乱罪で死刑を宣告されたのであ
る。
あのころの韓国は、風景が日本の都会と同じだった。それでいて戦車と兵士が展
開する異様な光景だった。
隔世の感だね。日韓共催ワールドカップを見て、やっぱ平和がええわって思う
よ。
この映画って、権力の暗部や陰謀や策謀と、法と民主主義を主題にしているの
か。それともテロリズムにさらされた現代アメリカ社会を描くことが主眼なの
か。
あるいは市民社会と軍隊の「包囲」という非日常性を描くのが眼目なのか。それ
ともやっぱり、法と民主主義というテーマに隠蔽した、対テロ脅威論の喧伝なの
?
でもデンゼル・「よい子」・ワシントンが主人公だから、落とし所はやっぱり生
真面目な人権派ヒューマニズムである。
最後にワシントンとウィリスが対峙する場面から、それは明らかだ。
"The law states . . . "と言いかけたワシントンに、ブルース・ウィリス「将
軍」はわめき立てる。
"I am the law. Right here, right now, I am the law."
それに対してワシントンは臆することなく叫ぶ。
"You have the right to remain silent. You have the right to a fair
trial. You have the right not to be tortured, not to be murdered.
Rights you took away from Tariq Husseini. You have those rights because
of the men that came before you who wore that uniform. Because of the
men and women who are standing right now, waiting for you to order them
to fire."
『アミスタッド』の終わりの、アンソニー・ホプキンズの演説と語法が似てい
る。「法」と「法社会」を苦労して生み出してきた先人たちの歴史に訴えるとこ
ろが。
軍隊が法を踏みにじって「国家のために」行動したら、テロリズムと何ら変わら
ない。不法に拘束されたアラブ人たちも釈放される。
タリバーンは軍事法廷にかけられるそうである。キューバで拘束されたタリバー
ン兵は、捕虜として扱われることなく、人権も奪われている。
「テロリズムに対する戦争」「ごろつき国家」に対する制裁を唱えるブッシュ大
統領は、この映画観たらどう思うだろう。何も変わらないだろうけど。
でもニューヨーク的都会って、アメリカのほんの一部なんでしょ。『デイアボロ
ス』でもそれがよくわかった。
多くのアメリカ人は「田舎者」なんだから。「たかが」ニューヨークひとつの戒
厳令で、アメリカ全部の法と民主主義の問題を代表しているかのように描くの
は、やっぱ筋違いじゃなかろうか。
◆◆
『武器よさらば』A FAREWELL TO ARMS
1932年アメリカ
監督:フランク・ボーザージ
原作:アーネスト・ヘミングウェイ
出演:ゲイリー・クーパー他の昔のひとたち
【ジャンル:「古典名作映画」ないし戦争恋愛映画ないし文豪原作もの】
昔々、子供のときに観た(はずである)。
確か終わりの方で、病院で出産するキャサリンを待つフレデリックが、レストラ
ンでテーブルの上に角砂糖をひとつひとつ積み上げながら、印象的な内的独白を
おこなう場面があったはず。
ということを授業でしゃべったので、確認しようと思って観た。
画質がひどく、ほとんど真っ黒け。
山場は脱走後の退却シーンだろうけど、悲愴でドラマチックなBGMが流れるなか
延々と壮絶な退却シーンが続く。
普通はあんまりしないのだけれど、退屈だし最後のシーンを確認したいだけなの
で早回しをして観る。
こんなにひどい映像だったかね、変だなと思ったら、A Farewell to Armsの映画
版はこのゲイリー・クーパーの1932年ヴァージョンと、ロック・ハドソンの1957
ヴァージョンがあったことが判明。
昔観たのはどうやらハドソン版の方らしい。
ツタヤにはクラシック映画コレクションとしてクーパー版の方しかない。
確かに、このヴァージョンは、細かなシチュエーションは原作通り(チーズ喰っ
てるとき爆撃されるとか)だが、ストーリーを相当改変して簡略化している。
大きな違いは、キャサリンが先にスイスに行っているって点。
戦場にいるフレデリックと、スイスにいるキャサリンは、どちらも手紙が検閲に
かけられて差し戻され、相手に届かない。それでキャサリンに連絡がつかないフ
レデリックは心配になって文字通り軍から脱走するのだ。
原作では、戦線離脱する意図はなく、とつぜん退却時の混乱から、脱走兵として
処刑されそうになって「単独講和」を結んで逃亡する。
そしてキャサリンと手に手を取ってスイスへ逃避行となるんだけれど、この映画
ではキャサリンが一人先にスイスに行っており、フレデリックに送った手紙が大
量に差し戻されてきたのにショックを受けて流産することになる。
観たかったハドソン・ヴァージョンじゃないけれど、最後にレストランに入って
きて食事をするクーパーの演技は悪くない。取り付かれたように虚空を見つめる
目の演技。
しかし、あの角砂糖を積み上げるシーンはないし、内的独白じゃなくわずかばか
りの「独り言」だけだった。
ハドソンが角砂糖積み上げるとこ、も一度観たいよ。
◆◆◆
『裏切り者』THE YARDS
2000年アメリカ
監督:ジェームズ・グレイ
出演:マーク・ウォールバーグ、ホアキン・フェニックス、シャーリズ・セロ
ン、ジェームズ・カーン、フェイ・ダナウェイ、エレン・バースティン
ハリウッド実力派若手俳優として頭角をあらわしてきたマーク・ウォールバーグ
と、いちおしシャーリズ・セロン主演なので借りた。
おお、『ゴッド・ファーザー』の長兄ジェイムズ・「ソニー」・カーンではない
か。なつかしい。マシンガンで蜂の巣にされてからどこに行っていたんだ。
でも最初の方を観ただけで、冗長なパーティ・シーンにうんざりしてやめる。
ごめんね、気が短くて。
◆◆◆◆
『仁義なき戦い』
1973年日本
監督:深作欣二
出演:菅原文太、松方弘樹、金子信雄、梅宮辰夫、田中邦衛他たくさん顔だけ
知っている役者さんたち
70年代を席巻したやくざ映画シリーズ第一作である。ツタヤで100円レンタル・
サービスとなっていたので借りる。
いきなり原爆の写真、そこによく知られたビブラートをきかせたトランペットの
吹奏(作中でも誰かが殺されるシーンでは必ず響きわたるプラァラララァ〜)で
タイトルバック。
『ゴジラ』もそうだけど、戦後日本のイマジネーションに棘のように突き刺さっ
ているのは原爆のキノコ雲のイメージだ(ゴジラって原爆実験の放射能汚染によ
る突然変異ですよね)。
そして戦後の闇市を中心とした町並みの写真。物語も昭和21年の闇市から始ま
る。
アメリカ兵に追われた女。菅原文太ら「兵隊崩れ」が割ってはいる。
これってどこかで小説でも読んだな。今江祥智の『ぼんぼん』シリーズの元やく
ざじいさんだったか。
やくざって兵隊あがりが多かったのであろう。
西部劇にご登場される南北戦争後の南軍崩れのアウトローと同じく、習い覚えた
が今では使いようのない暴力スキルを持て余している、つうか暴力スキルしか有
効なリソースがなく、失うものを何ももたない。
太平洋戦争終結後の昭和のやくざと、米国は南北戦争後のアウトローというの
は、このような哀れな共通項がある。
最初の片腕切断の血しぶきドバーッのシーンはもちろん、日本刀持って暴れる
「ぶちぎれ鬼畜」の刃傷男、刑務所で腕を切って義兄弟の血の杯、フェイクの腹
切り、指詰めと、刃物のこわさを執拗に描く。ほとんど刃物フェティシズムであ
る。
戦後広島の暗澹たる暴力情景は、中沢啓治の漫画『はだしの元』で描かれていた
のとそのまんま同じなんだ。
わたくしが子供のときに『少年ジャンプ』に連載されていたこの伝説的な漫画
は、「内容に問題あり」とされて誌面から消えてしまった。
その後いろんな雑誌媒体を転々としたと聞く。わたくしは大学生のころに生協の
古本市で全巻手に入れて読んだけど、後半は戦後の闇市に生きる被災少年たちの
生活と、のし上がるやくざの暗澹たる物語だった。
主人公の元が弟のように可愛がっていた子は、やくざを射殺して東京に出奔する
なんて話なんだから。
映画での暗殺シーンには、床屋でバンッ、買い物中に油断しているときドンッて
なのがあったけど、『ゴッド・ファーザー』と同じじゃない。
あれれ、コッポラの方が先だよな。『ゴッド・ファーザー』は1972年だから、1
年先だ。深作くん、観てから作ったの?
ところでこの任侠やくざ映画シリーズは、組織論と師弟関係あるいは親分子分関
係もしくは上下関係論がバックボーンをなしている。
組織は理念だけではいずれ自壊してゆかざるを得ない。組織が発展するというこ
とは、すなわち巨大化、近代化、そして世代間の確執を招来する。
巨大化した組織運営の困難が、菅原文太を通じて執拗に描かれる。やくざの組っ
て中小企業みたいなもんで、ライバル社とマーケット争いをしているんだ。だか
ら経営方針で対立が起きる。
親分に関して、「親が親らしくなくとも、やっぱり親だ」という前近代的な忠義
思想を手放せず、それをもって初めて自己定位し得るような旧い生き方と、「自
由」をキーワードに「ばかであるばかりか卑劣で子を裏切ってばかりいる親」を
捨てて自己実現に向かう近代(戦後)人の思想との、対立の物語でもある。
これはただしく「個人」のイシューであり、戦後日本の歴史を振り返ればそのま
ま当てはまるものであろう。
「組織の生存戦略」のイシューとしてはどうであろうか。
「親が子を思い、子が親を慕う」ことを前提した組織、つまり「上司が無条件に
偉大で部下の面倒をよくみて、部下はきらきらしたお目々で上司を敬して付き従
う」というような関係が成り立っている組織であればよいが、個人主義的近代化
したやくざが主張するように、この前段部分の条件が崩壊したらどうなるか。
「親が親らしく振る舞わない」場合、「子も子らしく振る舞うのをやめる」こと
に逢着し、組織は当然ながら自壊する。
だから菅原文太主義の「親が親らしくなくとも、やっぱり親だ」というのは、組
織のリスク・マネジメントとしてはただしいのである。
むろん、馬鹿親を頭に据えていると、子は名誉なき犬死にに瀕する確率がたいへ
ん高くなる。
優秀な子がばたばたと無駄死にした挙げ句、馬鹿親が経営戦略を誤れば、やっぱ
り組織は壊滅するであろう。
そして馬鹿親が経営戦略を誤るのは必定であり(だってそれが馬鹿であるゆえん
なんだから)、結局は菅原文太主義によっても組織の救済はかなわないのであ
る。
「シネつぶ」(その7)でご案内のとおり、雪印も日本ハムも東電も、ついでに
読売新聞も三菱ふそうもUFJもダイエーも西武も、新たにエグゼクティヴの地位
に就かれた方々は、まず最初に『仁義なき戦い』をご覧になることを強くお勧め
したい。
◆◆◆◆◆
『最終絶叫映画』SCARY MOVIE
2000年アメリカ
ばか。くだらんので5分でやめ。
◆◆◆◆◆◆
『アメリカン・ナイトメア』THE AMERICAN NIGHTMARE
2000年アメリカ/イギリス
監督:アダム・サイモン
脚本:アダム・サイモン
出演:ウェス・クレイブン、ジョージ・A・ロメロ、トビー・フーパー、ジョン
・カーペンター、デビッド・クローネンバーグ
【ジャンル:ドキュメンタリー】
なるほど。60年代終わりから突如興隆を遂げた新たなホラー・ジャンルって、大
体同じ世代の監督たちが担っていたんだ。
ジョージ・ロメロ、ジョン・カーペンター、デイヴィッド・クローネンバーグ
等々。
彼らは一様に、50年代の子供時代にフランケンシュタインや吸血鬼や狼男のホ
ラー旧作を観て育つ。
すべての子供がそうであるように、彼らもまた成長過程のある日突然、「死」と
いうものを幻視し、死の恐怖へと覚醒する経験を経ている。
ただ、彼らの世代には、冷戦、ヴェトナム、そして社会騒乱の60年代経験があ
る。
普遍的な幼い「死への覚醒」と、旧ホラー映画体験と、60年代体験、この三つが
新しいホラー映画ブームの苗床をなしたのだ。
冷戦時代は、世界の終焉のイメージを具体的かつリアルに、この世代に与えた。
ある監督は子供時代を振り返って、いつ何どき空から「死が降ってくる」かもし
れないと思っていたと証言している。
共産主義と核戦争の恐怖に加えて、国内も不安を高めていった。
人種差別、ケント州立大学の学生デモへの軍隊の発砲、反戦・反体制運動、性革
命。ヴェトナムへの従軍体験。
インタヴューに応えるホラーの特種メイクの巨匠は、戦場で死体をつぶさに観察
し、破壊された肉体の「生物学的構造」を学習して技術を磨きつつ、死の圧倒的
な恐怖に直に接する経験をしたという。この時代は「黙示録」の時代だったと呼
んでいるが、まことにそれはただしい。
50年代に子供時代を過ごし、60年代に成人した世代。歴史は、彼らの世代をまる
ごと、系統的にホラー映画の生産者・受容者にするべく育んだようなものだと言
わなければならない。
すでに「知っていた」ことを、このドキュメンタリーを観て「わかった」。
こういうのがよいのだである。
誰も知らないことを提出するのじゃなく、誰しも何となく思っているけれどうま
く表現を与えられないと感じていることを、クリアに定式化して描くものが。
よいドキュメンタリーである。
2002-10-03
Copyright c.2002 by Mew's Pap Co.Ltd.
All rights reserved.
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秋元秀紀
Hideki Akimoto
akimoto@ipcku.kansai-u.ac.jp
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