科学の方法


重要事項: 反証可能性、その場しのぎの仮説、モーガンの公準、確証バイアス、バーナム効果、相関の錯覚、見かけの因果関係、統制群をもちいた研究法、統計的検定、心理学研究法の比較


1.信念の方法と科学の方法

「何かものごとを考えるとき、大きく分けて2つの思考方法があると言えます。

 それは、信念の方法と科学の方法です。

 たとえば、信念の方法で「必ず愛は勝つ」と信じている人がいるとします。愛し合っていたAさんとBさんが親の反対で別れてしまったと聞いて、その人はこう思います。

 「2人の愛は、本当の愛ではなかったのだ」

 「一見負けたように見えるが、実はそれは勝利だったのだ」

 信念の方法で思い込んでいる人は、矛盾や不審な点があっても、その都度その都度、再解釈して合理化してしまいます。

 一方、科学の方法ではどう考えるのでしょうか。

 まず「愛」と「勝つこと」の定義をはっきりします。「愛がある」とはこの条件を満たした状態のことであり、「勝つ」とはこの条件を満たした状態のことである……というようにです。

 それから、愛がある場合とない場合を指標で出し、勝った場合と勝たない場合を調べます。そこで、愛があって負けた場合(反例)はないか調べます。もし反例が1つでもあれば、“必ず愛は勝つ”という仮説は間違っていたことになります。

 まとめると、科学の方法とは次のようなものだと言えます。

(1)“愛”“勝ち”の測定方法をはっきり定義して

(2)「こういうケースが起きたら仮説は誤り」とはじめに提示して

(3)大勢の人でチェックする

 「考えが間違っていた」と示されることを、反証されると言います。

 科学の方法では反証される可能性がありますが、信念の方法では反証される可能性がありません。2つの決定的な違いは、そこにあります。

 反証される可能性がある状態で行われるテストに耐えてはじめて、「愛は勝つ」という説が事実によって裏付けられたと言えるのです。」 (http://homepage1.nifty.com/you/ 管理人の意見より)


2.科学の方法の基本的考え方

○科学の方法:人間はだれでも誤りうるという前提にたち、批判と事実による反証により、誤りを排除しつつ、より真実に近い仮説を公共的に選択していく方法。

・反証可能性:肯定的事例だけをいくらたくさんあつめても、仮説は確証されたことにならない。賛同者をいくらつのってもだめである。仮説を信じこむのではなく、反証条件を明示し、より厳しい反証にさらし、反証に耐えるよりよい仮説を探索していくのが科学の方法である。仮説とあわない事実に対して、その場かぎりの仮説をくわえて反証をのがれようとするのは、のぞましくない。

・単純さ:複数の仮説が同様に事実の反証に耐えたとき、複雑でいりくんだ仮説より単純な仮説のほうがのぞましい。動物心理学におけるモルガンの公準。

@反証可能性 ある言明が観察や実験の結果によって否定あるいは反駁(はんばく)される可能性をもつこと。科学哲学者のポパーは反証可能性を言明が科学的である基本条件と見なし,科学と非科学とを分かつ境界設定の基準とした。

Aその場しのぎの仮説  その場しのぎの仮説とは、理論の誤りが明らかとなるような事実に対する言い訳として作られる仮説である。疑似科学者の仕事や超科学によく見られる。たとえば、ESPの研究者は傍観者が超能力に敵対的な考えを持つと、それが無意識のうちに繊細な機械である被験者の読み取りに影響すると言って非難することが知られている。敵対的な波動のせいで、ESPに肯定的な実験結果が再現されるのが不可能になるのだそうだ。超能力の有効性を示すには、実験を再現することが不可欠だ。もちろん、この反論がまともに受け入れられたら、超能力実験はどれひとつ失敗しないだろう。結果がどうであれ、これは既知のあるいは未知の超越的な精神力によるものだと言えてしまうのだ。

Bモーガンの公準  動物心理学者のモーガンは、動物の行動に対し、複数の説明が可能なら、より低次の心理的メカニズムで説明している方を採用して、より高次のメカニズムに説明を求めるべきでないという指針をだした。これをモーガンの公準という。


問1 次の言明は反証可能だろうか。反証不能だとしてら、言明にどんな限定や修正をくわえたら反証可能になるか。反証可能だとしたら、どんなその場しのぎの仮説をくわえたら、反証をまぬがれることができるだろうか。

1.地球のどこかに宇宙人が隠れ住んでいる。

2.B型の人はマイペースである。

3.あなたの運命はどこかにあるにちがいない秘密の記録書に書かれている。

4.疑いの気持ちがすこしもない素直で純粋な心の持ち主には精霊が見える。

5.攻撃行動の原因はなんらかの欲求不満である。


3.肯定的信じ込みの罠

“人は否定よりも肯定によって動かされ、かきたてられる。これは人に特有で永続的な誤りである。” フランシス・ベーコン

 科学の方法は、仮説を否定しようと試みて、否定されずに残るものを、とりあえず正しい答としておこうという否定の否定による方法である。可能性のない容疑者を除去していって最後に真犯人を特定しようとする探偵のやりかたににている。これは素直な人間の心のはたらきかたではない。素直な人間の心は、もっと肯定的である。もっぱら仮説にあった事実をさがし、納得してしまう。しかし物事の本当の原因を探求するうえで、この肯定の心性は、人を過らせ、そこから抜け出せなくする。

 肯定的信じ込みの罠には、信念にあった証拠だけに注目し記憶する確証バイアス、曖昧な情報を信念にあったものとして解釈するバーナム効果、集団的同調による信念の強化などがある。

C確証バイアス

 確証バイアスとは、選択的思考の一種である。確証バイアスによって人は信念を獲得し、その信念を確証するものを探そうとする。一方、信念に反することがらを探すのではなく黙殺したり、あるいは低い価値しか与えなかったりもする。たとえば、満月の晩には事故が多発する、と信じている人がいたとしよう。この場合、その人は満月の晩に起きた事故だけに注目してしまい、満月の晩以外の日に起きた事故に注意を払ったりしなくなってしまうだろう。こうしたことが繰り返されると、満月と事故が関係しているという信念は、不当に強化されることになる。

 このように、最初に抱いた先入観や信念を裏付けるデータを重用して、これに反するデータを軽んじようとする傾向は、先入観や信念に根拠が乏しく、ほとんど予断とかわらないような場合に、いっそう顕著になる。信念が確固たる証拠や有効な確証実験によって裏付けられている場合には、信念にかなうデータを重用しようとする傾向があっても、ふつう誤りに迷い込むことはない。もし、本当に仮説を論破するような証拠にたいして眼をつぶるなら、合理性の一線を踏み超えて心を閉じてしまうことになる。

 人は確証的な情報、つまり自説に有利だったり、自説を裏付けるような情報には、過剰な信頼を寄せる。このことは多くの研究で明らかにされている。ギロビッチ(1991)は、“確証的な情報によって過剰に影響されるのは、おそらく認識論的に扱う(不利な情報を無視してしまう)方が楽だからだろう”と述べている。一片のデータだけで、どれだけ自説を裏付けられるかを見るのは、反論に資するデータを挙げて述べるのを見るよりも、ずっと容易である。

○コールド・リーディング(http://plaza.harmonix.ne.jp/~k-miwa/bonnou/coldreading.html)

 よく当たると評判のよい占い師は、例外なく、「黙って座ればぴたりと当たる」と客に感じさせるのがうまい。「コールド・リーディング(cold reading)」がうまい。「コールド・リーディング」というのは、相手に具体的な質問することなく、雑談や、その人の顔や服装といった外観を見るだけで、その人の個人的な情報を引き出すテクニックである。それを拡張して、その人の恋愛や仕事上の悩みなども当ててしまう。実際は「超能力」でも何でもない。タネを明かされたら、あっけないほど簡単なことなのだが、原理を知らないと驚く。

 コールドリーティングに関しては、海外では体系化されたテクニックがあり、専門書も色々と出ている。しかし、いくら体系化されたテクニックとはいえ、さりげない会話の中から微妙な情報を引き出すのは、ある種の才能は必要である。評判のよい占い師は、例外なく、このコールド・リーディングの達人である。ただし、日本ではこの言葉自体ほとんど知られていないし、日本で営業している占い師も、これを体系的に勉強した人はほとんどいないだろう。勉強したことはなくても、経験でほぼ同じようなことをマスターしている。インドの「アガステアの葉」なども、実際に行ってみると数百におよぶ質問をされるそうだ。これだけ質問すれば、個人のどんな情報でも引き出せる。「黙って座ればぴたりと当たる」と思わせるテクニック、実際にはいくつか質問しているのだが、それを感じさせない人がうまい占い師なのだ。「○○の母」と呼ばれている女性占い師がいる。東京の某所で店を出しており、何度も雑誌やテレビなどで取り上げられているようで、そのスジではよく知られている人のようだ。この人が、実際に仕事をしている場面をテレビで見たことがある。客として来ていた女性の手相を見ながら、さりげなく雑談をしている。顔の角度は手のひらのほうを向いているのだが、視線は上目づかいで、何度も客の顔に行っている。ちょっとした質問をしながら、客の顔がどう変化するか、微妙な変化を見逃さない。表情のちょっとした変化から情報を引っぱり出してくる。2,3分も喋れば、相当なことがわかる。

 コールドリーディングに対して、「ホット・リーディング」というのもある。これは占い師より、海外の職業霊媒師などが行っている。コールド・リーディングが何の準備もないのに対して、こちらは周到に準備をする。たとえば、あなたがある霊媒師のところへ行ったとしよう。その霊媒師とはまったくの初対面である。霊媒師にとっては、前日にでも予約があれば都合よいのだが、予約なしで、いきなり行ったとしよう。そこで、あなたのおじいさんの名前を言ったら、その霊媒師はおじいさんの霊を呼び出す儀式を行い、おじいさんの亡くなった正確な日付をあなたに告げたらどうだろう。「おじいさんは、1985年11月27日に亡くなったのですね」と言われ、それがズバリ当たっていたら、イヤでもその霊媒師の力を信じてしまうだろう。このようなものをホットリーディングという。 必ずしも、客の全部に対してこのようなことをするわけではない。実際には数人に一人の割でも、この種の話は口コミですぐに広がる。あの霊媒師はスゴイということになる。タネを明かせば、これも簡単なことなのだ。この霊媒師は、普段から自分の住んでいる町や、近隣の町の墓をまわり、墓石に刻まれている氏名と亡くなった日をメモしたデーターベースを作っている。訪問客が来たとき、雑談の中で、その人が昔からこの町に住んでいることがわかったら、その人の家族で、すでに亡くなっている人の墓がある可能性が高い。隣の部屋にあるデーターベースから、それを探し、見つかればこっそりメモをしてきて、それを告げる。

Dバーナム効果

 「人間の誤りやすさ」2.参照。

○集団的同調による信念の強化については、「人間の誤りやすさ」3.参照。


4.本当の原因は何か

○人間はいつも物事の原因を考えている。たとえば、試験に失敗したとする。失敗の原因が自分の能力にあると考えればしかたないとあきらめる。目標をさげるかもしれない。努力不足だと考えれば、おそらく次はもっとがんばるだろう。試験問題が適当でないとか、採点者が公平でないと考えれば、怒り、場合によっては苦情を申し立てるかもしれない。このように物事の原因をどう考えるかは、人間の行動を左右する。しかし、物事の本当の原因を知ることはやさしいことではない。人間は、容易に見かけの原因を信じこんでしまう。

○因果関係があるというためには、つぎの三条件がすべて成り立つ必要がある。

・共変関係 出来事Xが出来事Yの原因なら、出来事Xと出来事Yは共に変化しなければ(相関をしめさなければ)ならない。(共変関係だけでは因果関係を意味しない。相関関係の錯覚に注意。)

・時間的順序 もしXがYの原因なら、XはYより時間的に先に起こっていなければならない。(例えば、喫煙と肺ガンの関係なら、肺ガンが喫煙に先行して生ずることはありえない。しかし、親子関係と子供の性格の場合、両方向の因果関係がありうる。この場合はどちらかの変数を操作して(同じ親の別の子供の場合を調べる。同じ子供で別の親の場合を調べる。など。)因果関係の主要な方向を確定する必要がでてくる。)・もっともらしい他の原因の排除 出来事Xが出来事Yの原因というためには、X以外にはYを合理的に説明できるものが存在しないことの確認が必要である。 (第三変数の介入に注意。)

○種々の見かけの因果関係

・同時発生の原因/自然な原因 ある出来事Xと同時に発生している他の出来事Zが、Yの真の原因である場合。(例 新カリキュラム導入の効果)

・平均方向への回帰 偶然がかさなった極端な結果のあとは、より平均的な結果になる確率が高い。(例 スポーツ・イラストレイテッドのジンクス)

・欠落したケース 処置前と後を比較するとき、グループのメンバーに欠落があるとすれば、測定結果に偏りが生じている可能性が高い。(例 ダイエット効果)

○因果関係の推定法

・一致法+差異法 出来事Xが出来事Yの原因なら、Xが存在すればYが存在し、Xが存在しなければYは存在しないはず。→実験群と統制群をもちいた研究。盲検法/二重盲検法。

E相関の錯覚

 実際には無関係で相関していない二つの出来事が共変しているように見えてしまったり、両者の間に実際よりも強い相関があるように見えてしまう現象。このような関係性の誤認を相関の錯覚とよぶ。人間はランダムな事象にも容易に関係を誤って読みとる。たとえば、ドライアイスの空中散布の実験のデータの解釈の実験がある。被験者は、ドライアイス散布の有無と降雨の50日間のデータが提示されて、ドライアイス散布と降雨の関係を判定するようにもとめられた。データは架空のもので、ドライアイス散布と降雨には関係がないように作られていた。しかし被験者には、散布によって降雨が多くなるという相関関係を読みとる傾向がみられた。またバスケットボールの``ホットハンド''を題材とした古典的研究がある。バスケットボールの選手やコーチ、ファンは一般に、選手に``ホットな乗り (cold streaks)''と``醒めた乗り (hot streaks)''があると信じている。フィラデルフィア・セブンティナイナーズで1980年のシーズンにシュートを決めた選手について詳細に調査がおこなわれた。選手はシュートを連続して決めたり外したりするが、それは確率的に期待される以上のものではなかった。また、ボストン・セルティックスのシュートについても2シーズン以上にわたって調べてみたところ、最初のシュートを決めた選手は次のシュートを75%の確率で決めており、また最初のシュートを外した選手は75%の確率で次のシュートを外している。バスケットボールの選手はシュートを連続して決めるが、それは偶然の範囲内にある。選手が`乗っている'とか`醒めている'とかいうのは錯覚にすぎない。もっとも、``ホットハンド''のビリーバーはこの証拠を見せても拒絶する場合が多い。経験のおかげで``もっと良くわかってる''と言うのだ。

F見かけの因果関係 

 出来事Xと出来事Yの間に真の相関関係があっても、それだけでは、出来事Xが出来事Yの原因だとは判断はできない。まず出来事Xは出来事Yに先行している必要がある。錯覚ではない相関があって、出来事Xが出来事Yに先行していて、相関が見かけの因果関係によって説明されないことをしめして、はじめて、出来事Xが出来事Yの原因だと言えることになる。見かけの因果関係は、出来事Xと出来事Y以外の要因Zの介入によって生ずる。まず要因Zが出来事Xと出来事Y双方の共通の原因である場合がある。例えば、喫煙と肺ガンの因果関係に疑問を呈するために、両者の共通の原因としてストレスが指摘されたことがあるが、共通の原因による相関の可能性の指摘である。出来事Xと同時に生起した要因Zが出来事Yの原因となる場合もある。頭痛薬を服用したら(出来事X)、頭痛がおさまった(出来事Y)とする。このとき、頭痛薬の服用(出来事X)と同時に治療したという心理効果(要因Z)も生じている。この心理効果を偽薬効果(プラシーボ効果)という。プラシーボ効果でなく薬が本当に効いたことを示すためには、要因Zのコントロールもおこなって結果をだす必要がある。出来事Yのサンプリングの偏りが要因Zとして見かけの因果関係を生ずることもある。例えば、あるダイエットプラン(出来事X)が減量(出来事Y)の原因になったかを判断するときに、脱落者が多すぎると、減量しなかった人が脱落したことが考えられるので、最後まで残った人だけの減量は、ダイエットプラン(出来事X)によるより、減量しなかった調査者の脱落(要因Z)によっている可能性が生ずる。要因Zをコントロールしてダイエットプランそのものの減量効果を調べたかったら、複数のダイエットプランを比較したり、脱落者を減らして調べる必要がある。スポーツの成績など出来事Yが時間的な変動をしめす場合、そこには多くの原因が関係していて、出来事Yが非常に高い値を示したときには複数の原因がたまたまプラスになったため、複数の原因の変動につれ、次には成績が下降に向かう可能性が高い。スポーツ・イラストレイテッドのジンクスは、こうした状況での見せかけの因果関係である。スポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾ること(出来事X)ではなく、時間による複数の要因の変動(要因Z)が、成績下降(出来事Y)と考えられる。この仮説をチェックするためには、出来事Yが非常に高い値を示したケースにつき、スポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾った場合と、飾らなかった場合のその後の成績を比較すればよい。

G統制群をもちいた研究法

  統制群をもちいた研究法とは、ある現象について、その仮説を検証する際に、処理を加える実験群と比較するための統制群(コントロール群)というものを用いる実験法である。統制群と実験群は、原因と目される処理を実験群に施すということ以外は、まったく同一でなければならない。もし原因と目される処理が本当にその現象の原因なら、論理的に統制群と実験群の間には現象の発生割合に有意な差が生じるはずである。たとえば、もし'C(要因)'が'E(結果)' の原因となるなら、実験群に'C'を処理して統制群には処理をせずにおく。この場合、実験群では統制群に比べて有意に高い割合で'E'が生じるはずである。有意差(significance)は確率的に算出される:もしある出来事が偶然では説明できなければ、その出来事は有意となる。

  二重盲検法とは統制群に関する検証で、試験者と被験者の双方とも、どれが統制群なのかわからなくしておくものである。無作為化法とは、実験群と統制群それぞれに属する個体をランダムにわりふるものである。

  統制、二重盲検法、それに無作為化法の目的は、誤りと自己欺瞞と偏見を軽減することである

  統制群をもちいた研究の多くは、要因となる処理を施したかどうかを被験者に悟られないように、統制群にはプラシーボを処理する。たとえば新薬の効果を検証する研究では、統制群と実験群の両方に、見た目には区別がつかない錠剤を与える。薬効成分は実験群に与えた錠剤にのみ含まれており、統制群に与えたものはプラシーボなのだ。二重盲検法では、どの被験者にプラシーボを与えたかは、結果を評価する人間にも結果をとりおわるまでわからないようにする。これは審査員の偏見が観察や測定に影響を与えないようにするためだ。


問2.次にあげる出来事のペアの間にはそれぞれ相関関係がある。

@ある都市での月別アイスクリームの販売総量と犯罪発生率

A学生の総勉強時間と彼らの成績の平均点

B都道府県ごとの牛の総頭数と、その県で博士号をもつ人の数

ロこれら三つの共変(相関)関係の性質を自分で解釈してみなさい。たとえば、一方の値が増える時、他方の値は、増えるのだろうか、それとも減るのだろうか。

ワ相関関係が因果関係を示すものでないという原則をよく表しているのはどの出来事のペアか。


問3.幸運のペンダント、幸運の財布、雨ごいを、予言などは、相関の錯覚として説明できるだろうか。


問4.ある心理学の研究によると、テレビで暴力シーンを見る時間が長い子どもは、生活の上で攻撃的な行動をとりやすい傾向があることが実際に確かめられている。この研究結果の1つの解釈としては、子どもが暴力的な番組を見て、それを模倣した結果、攻撃的・暴力的な性格になってしまったと考えることができる。しかし、出来事の時間順序と因果関係がこの解釈とは異なっている解釈はないか。また、口べたで社交性がない人には友達ができにくいという説についても、別の解釈はないだろうか。


問5.つぎの一見奇妙な相関関係を、第三変数の介在によって、解釈してみよう。

@一般に、人の体重とその人のボキャブラリーの豊富さの間に相関がある。

A車をもっている学生が起こした交通事故・違反の回数と、その学生の全科目成績の平均点の間には相関がある。

B小学校高学年においては、国語の学力テストの得点と、生徒の髪の毛の長さの間には相関がある。


問6. 次の実験における、仮説、被験者、実験群、統制群、独立変数、従属変数、実験結果、一般的結論は何か。

「マリファナが記憶力をそこなうか否か調べるために、大学生の被験者をランダムに2群にわける。まず被験者はクッキーを食べる。Group1のクッキーには体重1kgあたり20mgのTHC(マリファナの主要活性成分)が含まれる。Group2のクッキーにはTHCは含まれない。被験者は互いに関連のない単語のリストを記憶するように求められる。1週間後、被験者は、単語のリストを思い出すように求められる。正しく思い出せた単語の数は、Group1のほうが、Group 2より有意にすくなかった。マリファナは記憶力をそこなうと結論できる。」


5.統計的検定(H)

 統制群をもちいた研究法では、問題とする出来事Xと出来事Yの関係を調べるために、 XとY以外の要因を実験群と統制群でできるだけ同じにして、出来事Xと出来事Yの関係を見ようとする。それでも生物や心理、社会のような領域の複雑な現象では、物理学のように単なる測定誤差にとどまらず、複数の要因の影響による値のランダムな変動は避けられない。例えば、問6では、1週間後の記憶の成績は、摂取したマリファナだけではなく、被験者の記憶力、1週間の間の出来事や体調など複数の要因が影響しうる。統制群をもちいた研究法は、これらの要因に大きな偏りがないように、何人もの被験者をランダムに2群にわけるなどの処置をとる。それでも、摂取したマリファナ以外のランダムな効果がたまたま偏ってでて、結果に差が出ることがありうる。被験者の数をいくらふやしても、ランダムな効果がたまたま偏ってでてしまう可能性はゼロにはできない。統計的検定は、こういった事態で、ランダムな効果による誤った結論のでる可能性を計量しつつ判断する方法である。

 科学の方法は、仮説を否定しようと試みて、否定されずに残るものを、とりあえず正しい答としておこうという否定の否定による方法である。統計的検定では、否定しようとする仮説が帰無仮説である。問6では、帰無仮説は母集団(実際に実験データをえた集団を標本集団、標本集団をとりだした全体の集団(たとえば健常な成人など)を母集団という)ではマリファナに効果がなくGroup1とGroup 2の記憶成績が等しいとなる(単に差があるでは分布が導けないので、帰無仮説は差がないという形になる。)。Group1とGroup 2から得られたデータのばらつきにより、帰無仮説のもとでの、Group1とGroup 2の記憶成績の差の分布が導かれる。この分布と実際に得られたデータを比較し、帰無仮説が正しかった場合、偶然に得られたデータ以上の差が見られるのはどのくらいの確率かを計算する。この確率が危険率より小さければ、帰無仮説は棄却され、マリファナによって記憶に統計的に有意な差がみられたと結論できる。この確率が危険率より大きければ、帰無仮説は棄却できず、マリファナによって記憶には統計的に有意な差がみられなかったと結論できる。(ここで、危険率は、5パーセントに設定されるのが慣例である。これは、20回のうち1回までの誤りは許容して結論を下そうという程度の目安である。)

  別の例をあげる。例えば、喫煙者と非喫煙者の胃がん発生率を比較したところ、喫煙者の発生率は非喫煙者の2倍、つまり相対危険度は2だったとする。もしもこの2という相対危険度に「統計的有意差」がなければ、実際には(母集団では)喫煙と胃がんに関係がないにもかかわらず、研究の対象者数が少なくデータが不安定なために、見かけ上2という相対危険度を観察した可能性を否定できない。それに対して、もしも相対危険度に「統計的有意差」があれば、対象者が少なくデータが不安定なためにこの結果を観察した可能性は低く、実際にも(母集団でも)喫煙と胃がんに何らかの関係がありそうだと解釈する。


6.心理学研究法の比較(I)

 統制群と実験群をもちいて独立変数を設定した実験的研究が、因果関係を確認するためには、もっとも確かな方法となるが、心理学では問題と目的に応じて様々な研究方法が用いられる。例えば、因果関係を言うためには、個人の性格や能力などの特性の測定が必要になるが、ある個人の特性を測定するためにはテストをもちいることが多い。また、独立変数と従属変数の関係の実験的検証ではなく、調査によって被験者の集団における従属変数間の関連をみる場合もある。個人の長期にわたる行動の記録や、日常場面での観察も、問題とする行動や心理現象に関連する要因を選び出し、仮説を形成する上で重要である。下の表にこれらの研究方法の特徴を簡単にまとめた。今日の心理学では、これらの方法を組み合わせたものや、新しい装置を使ったもの、シミュレーションメタ分析など新しい研究手法もおこなわれている。これらの研究方法の実際については、具体的な研究を紹介するところで解説する。




参考文献

The Skeptic's Dictionary日本語版  

http://web.archive.org/web/20010413122328/www.geocities.co.jp/Technopolis/5298/homepage.htm 

ギロビッチ 1991「人間この信じやすきもの」 新曜社

ゼックミスタ・ジョンソン 1996 「クリティカルシンキング:入門編」北大路書房