認知革命の展開---多様な分野とアプローチの概観--


重要事項  アフォーダンス、エージェント、心の理論、感情の認知的評価理論、ABC図式、利己的遺伝子、美の平均仮説

重要人物  ギブソン、エリス、ダーウィン、ヴィゴツキー


(1)生態学的アプローチと身体性認知科学

特徴:情報処理心理学の基本モデルは、入力された情報を内的に段階的に処理し、最終的に認知的判断がなされるとするものだった。人間が身体をもち環境と相互作用するという事実はおろそかにされた。知覚心理学者のギブソンは、生態光学の立場からこれを批判し、環境にある豊富な情報を、移動する観察者がピックアップするという説を唱えた。ギブソンの生態光学は、運動する行為者の認知を環境の刺激の分析によって解明しようとする生態学的アプローチに継承され、アフォーダンス概念はインタフェース研究やデザインの領域にも適用された。一方、ロボット工学では、ブルックスがすべてを内的な表象として処理するという古い人工知能の考えを批判し、内的な表象に過度に依存せずに環境との身体的相互作用を通じて学習しながら適応的行動を習得するアプローチを提唱した。ファイファー・シャイアー(1999)は、人工知能にもとづく情報処理心理学にかわって、ロボット工学にもとづく身体性認知科学を提唱している。


○アフォーダンス:afford(〜を与える・産出する)という語を元にするギブソンによる造語。環境にある実在物の意味や価値は、動物や人間が作り出すのではなく、環境によってaffordされており、同時に動物や人間の行為・反応を直接引き出す。イスは「支える」ことをaffordしている。ハンドルは「つかむ」こと「つかまれる」ことをaffordしている。知覚する側の主観の中に情報があるのではなく、環境の中に情報が実在する(エコロジカル・リアリズム)。主体と客体の間にアフォーダンスは現れる。工業デザイン、パッケージデザインなどの分野でも、アフォーダンスはデザインの指針として注目されている。


○エージェント:環境と相互作用して自律的に行動する主体を、ロボット、ソフトウェアだけでなく人間もふくめて、エージェントと総称する。工学であつかわれるエージェントには、コンピュータネットワークを環境として自律的に情報を収集するweb探索プログラム、秘書機能をそなえたインタフェースエージェント、ペットロボットなどの擬人化エージェント、複数の個体が相互作用するマルチエージェントなど、様々なタイプのものがある。エージェントというときには、内的な情報処理の各段階そのものに直接焦点をあてるのではなく、環境との相互作用する主体という位置づけに焦点がおかれ、それとの関連でエージェントの意図や表象などの内的状態が問題とされる。(トピック:「ロボットは心を持つか」参照)


○心の理論:「チンパンジーは心の理論を持つか」という論文で、プリマックたちが唱えた。他者の持つ表象などは直接には観察できず、行動の観察から推測するしかない。ここには理論といってよい推測の仕組みがあるとして、これを心の理論とした。具体的には、心の理論は、他者が事実と異なる表象をもつことが理解できるかを誤信課題などによって調べる。誤信課題は、表象についての表象(2次表象)がないと解けない。健常児は、誤信課題を四才位で解けるようになるが、自閉症児は知能が健常児と同じでも誤信課題の成績が悪い。自閉症児では、他者の表象についての理解、共同注意など、社会的な関係の理解能力が弱く、これが言葉の発達の遅れの原因だと考えられている。(トピック:「動物は言葉を理解するか」参照)


○ギブソン(1904-1979) アメリカの知覚心理学者。空軍のパイロットの空間知覚研究から空間知覚における地面の役割の重要性を認識し、これまでの空間知覚理論は、宙にういた対象でもなりたつ要因しかあつかっていない空中理論だと批判し空間知覚の地面理論を言った。後年には、地面の肌理の勾配、移動する観察者にあたえられる環境からの光の配列の組織的移動パターン、これらの環境からの情報のパターンを注意深く分析すれば視覚的認知が解明できるとして、生態光学を唱えた。アフォーダンスもギブソンの造語。移動する観察者にたいする環境からの情報のパターンの詳細な分析を行ったことはギブソンの重要な貢献だったが、人間がそれをどう認識しているかについては、高次の普遍情報をピックアップする、共鳴するなどと言うだけで、説明理論は提供できなかった。


参考文献

「アフォーダンスの心理学--生態心理学への道-」 リード 

「誰のためのデザイン-認知科学者のデザイン原論-」 ノーマン 1988 新曜社

「知の創成--身体性認知科学への招待--」 ファイファー・シャイアー 1999 共立出版

「自閉症とマインド・ブラインドネス」 サイモン・バロン=コーエン 1995 青土社



(2)感情研究と認知療法

特徴:感情は、身体や認知、社会関係とも関連した多面的で複雑な現象である。認知心理学における情報処理の枠組みを感情研究にも適用しようとする試みが1980年代になると盛んになってきた。感情の認知的評価理論はその成果の一例である。また、心理療法の領域でも、抑鬱や不安、強迫などについて、エリスが不合理な信念とよんでいたものが、ベックなどにより認知心理学的に研究されるようになり、認知療法が成立した。現在、感情については、脳科学と心理学が連携し、それに認知療法が関係して学際的に研究が進展中である。


○感情の認知的評価理論:人間の感情を自動的におこなわれる出来事の認知的評価(Cognitive Appraisal)の結果としてとらえようとする理論。ここでの認知的評価は、狭い意味の意識的認知ではなく、出来事の感覚的な印象から、社会的な評価まで、人間の情報処理過程の色々なレベルでの評価が含められる。認知的評価の基準は、理論家によって違いもあるが、出来事を正か負の評価はもっとも基本的評価次元である。下にRosemanの感情の認知的評価理論における感情の分類の例を示す。Rosemanの分類は、自己と他者への帰属など対人感情も含めている。Schererなどは、出来事の正か負の評価を、感覚的なレベルでの正負、自己の目的への合致度、社会的な基準との合致度の三レベルに分けている。



 図1.ローズマンらによる感情構造の図解(Roseman,I,J. ,Antoniou,A,A., and Jose,P,E. 1996)

「図1.の左右の対比が肯定的感情か、否定的感情かである。肯定的感情のAppetitiveはプラスがあたえられた場合、Aversiveはマイナスが除去された場合である。否定的感情のAppetitiveはマイナスがあたえられた場合、Aversiveはプラスが除去された場合である。縦方向は、おおきく、対事態的、対他的、対自的の三領域に分類されている。それぞれのなかは、不確実-確実、制御容易-制御困難の二次元でさらにわかれている。驚き(Suprise)は、肯定的でも、否定的でもない、予期されない出来事がしょうじたときの反応である。肯定・否定の評価をともなわないので、驚きを感情にふくめない論者もいる。一見して、否定的感情のほうが種類がおおいことがわかる。たとえば、肯定的な対他的感情は好意(Liking)のみだが、否定的感情のほうは、制御困難だとかんずると嫌い(Dislike)、マイナスがあたえられて制御容易だとかんずると怒り(Anger)、プラスが除去されて制御容易だとかんずると軽蔑(Contempt)がしょうずるとしている。」(雨宮俊彦「エージェント・環境モデルとソシオン理論(1)ー荷重関係のモデル化のこころみー」より。http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~ame/socion/index.html )


○ABC図式:アルバート・エリスによって唱えられた考え方。ABC理論とも呼ばれる。Activating events(A:出来事)がEmotional Consequences(C:感情的結論)を直接導くのではなく、その出来事をどう受けとるか(B:beliefs)により感情は左右されるという考え方。受けとりかたが歪んでいると、不快な感情が導かれる。問題の中心は不合理な信念(Irrational Beliefs)にあり、これを是正することが療法につながるという考え方。不合理な信念には、失敗したら自分は無価値な人間だ、自分は誰からも好かれなくてはならない、他の人はすべて公平であるべきだ、など種々の「ねばならない」という信念がある。エリスは論争(D:Dispute)によって、非合理な信念を見直すことにより、不快な感情による悩みがコントロールできるとした。


○エリス(1913-)アメリカの心理学者。論理療法(Rational therapy)の創始者。ABC図式を唱え、出来事の不合理な認知が不快な感情による悩みの原因であるとし、不合理な認知の修正と必要な行動の強化を通じた実施による心理療法の方法を確立した(Rational therapyの名称は、Rational Emotive therapyへ、最終的にはRational Emotive Behavior therapyなどと改称された)。認知行動療法の祖父と言われる。


参考文献

「感情心理学への招待」 濱・鈴木・濱 2001  サイエンス社

「どんなことがあっても自分をみじめにしないためには--論理療法のすすめ-」 エリス 1988 川島書店

「エビデンス臨床心理学-認知行動理論の最前線-」 丹野 2001 日本評論社



(3)進化心理学

特徴:社会生物学の成立、霊長類学の進歩など、動物の社会行動の研究の進展をうけて、人間行動を進化という巨視的観点からとらえようとするアプローチが、1980年代以降、心理学にも導入されるようになった。人間への進化的アプローチの適用の有効性については、激しい論争がなされてきている。問題の焦点は人間における文化の役割の位置づけである。


○利己的遺伝子:進化で問題になるのは、遺伝子が次の世代にどう伝わるかだけである。多くの動物は生殖を終え、遺伝子を次の世代に無事つたえると死を迎える。個体は食物獲得、補食の危険の回避などによって、生存競争に勝利しても遺伝子をつぎの世代につたえられないなら、進化的には無意味である。生殖にかかわらない個体は、生物進化の流れは形成しない。ここでは、主役は個々の個体ではなく、遺伝子であり、個々の個体は遺伝子をはこぶ器とみることもできる。これがド−キンズのとなえる利己的遺伝子の考えである。個々の遺伝子が次世代に伝わるためには、そのコピ−が伝わっても同じことになるので、その個体の適応上の成功に寄与しないでも血縁者の適応上の成功をもたらすような遺伝子なら、つぎの世代に伝えられうることになる。たとえば、同胞とは1/4の遺伝子が共通なので、遺伝子の伝達という点からみると、5人の同胞を救うためなら自らの生命を犠牲にするよう行動するようにプログラムした遺伝子なら、そうでない遺伝子よりも、つぎの世代につたえられやすいことになる。これが血縁淘汰をふくんだ包括的適応度である。働き蜂や鳥のヘルパ−など、動物の利他行為は、血縁淘汰による利他行動の例と考えられている。


○美の平均仮説:鳥や昆虫などは性行動の対象として左右対称性が高い個体を好む事が知られている。人間の顔でも左右対称性が高い方が好まれる傾向にある。この左右対称性への好みは、個体における左右対称性は、発達が寄生虫や不適当な遺伝子などによって妨げられず進んだ事の指標になるので、健康で不適当な遺伝子を持たない個体を選択する適応的な行動であるとの説明がなされている。また人間の顔では、平均的な顔の方が、特定の特徴を強くもった顔よりも美しいとして好まれる傾向にある。これも、平均的な顔の方が不適当な遺伝子がない妨げられない健康な生育の指標となりうるからだという解釈がある。これを美の平均仮説という。ただし、平均的な顔は一般に好まれるが、女性の場合は平均より眼が大きくアゴが小さいなどの特徴を持った顔の方が美しいとされるなど、最も美しいとされる顔ではない。


○ダーウィン(1809-1882) イギリスの生物学者。進化論と進化論的心理学の祖。進化の自然選択説を提唱した「種の起源」を1959年に発表。後に、「人類の由来」で性淘汰の問題をあつかい、「動物および人間の表情について」では音声を伴う表情による感情の伝達についての先駆的な研究をした。


参考文献

「進化と人間行動」 長谷川・長谷川 2000 東京大学出版

「心の仕組み 上・中・下」 ピンカー 1997 NHKブックス

「愛の解剖学」 グラマー 1993 紀伊國屋書店

http://homepage1.nifty.com/NewSphere/EP/index.html (進化心理学・進化と社会)



(4)心の文化的足場理論

特徴:1980年代に、ヴィゴツキールネサンスがおこり、人間の認知における文化の役割について定式化したヴィゴツキーの心理学の枠組みの先進性があらためて着目されることになった。 Clark ( 1997)は、ヴィゴツキーの構想をうけて、心の文化的足場理論を提案している。


○ヴィゴツキー(1896-1934)ロシアの発達心理学者。ピアジェは幼児の独り言を幼児の認知的自己中心性の現れだとしたが、ヴィゴツキーは独り言が内言化し大人の思考になるとした。ヴィゴツキーは、人間の高次な認知(自動的注意に対する随意的注意など)が、人間が自らの反応を誘導するための刺激を作り出すことによっていることを主張した。この人工的に作られた刺激は、種々の記号や道具などの認知的人工物である。このようにヴィゴツキーは人間の認知を外的なコミュニケーションや認知的人工物との相互作用との関連でとらえた。


参考文献

「ヴィゴーツキーの発達論 : 文化-歴史的理論の形成と展開」 中村 1998 東京大学出版

「心の声--媒介された行為への社会文化的アプローチ-」 ワーチ 1991 福村出版

"Being There:Putting Brain,Body, and Mind Together Again" Clark 1997 MIT Press. 



参考資料1

「論理療法」について(http://www.pat.hi-ho.ne.jp/soyama/gakusyuukai/siryou/7-2ronriryouhou.htmから抜粋)

1.論理療法とは何か(「森を語る」)

・一言で言うと「考え方次第で悩みは消える」,「人間の悩みは出来事や状況に由来するものではなく,そういう出来事をどう受け取るかという受け取り方に左右される」ということを教えるものである。

(1)エリスの面接

・公衆の中から,「Any body?」とクライエントを募る。実際に面接場面を見せ,その後「Any questions?」と公衆に尋ねる。「本に書いてあることと先生の言っていることが違うように思うが?」に対しては,「あの瞬間はそうは思わなかった」,「何々の方法があると思うが?」に対しては,「あの場面では考えつかなかった」のように,指導者が失敗して何が悪いんだという雰囲気が感じられた。

(2)論理療法という名称

・國分Tは,元々は精神分析から入ったが,それに論理療法が加わって核になっている。

・1955年にRational therapy(RT)をエリスが提唱。これを國分が「論理療法」と訳した。

・1966年,Rational Emotive therapy(RET)

・1995年,Rational Emotive Behavior therapy(REBT)

・エリスの来日の折,名前が3度も変わっていて,それを正確に訳して伝えていくと日本では混乱するので,最初の「論理療法」で通していいかと確認したら,「君が日本で普及してくれるなら,君の思うとおりにやってくれ」と言われ,以後も「論理療法」で通している。

(3)エリスの評価

・アメリカに於ける評価の基準は「論文に引用される頻度数」がある。この中では,フロイト,ロジャーズ,エリスがベスト3。

・現在のアメリカにおいて一番人気は「認知行動療法」。エリスは,この認知行動療法の祖父と言われている。

(4)なぜ,「論理療法」の評価が高いのか

・簡便法(ブリーフセラピイ)を取り得るから。現代のアメリカ社会は,保険会社が面接料を負担する時代。精神分析のように長期に渡る治療では保険負担されない。クライエントが「5回でなおしてほしい」というような要求をする時代。それに応えうるのが論理療法である。それは,精神分析の「カタルシス」と取り入れなかったり,自己理論の「受容」をそれほど大切に受け止めなかったから。「何が悩みなのか言ってくれ」,「どんな思いがあるの?(ビリーフを知る)」,「ビリーフを粉砕する」というのが面接の流れである。


2.論理療法とは何か(「木を語る」)

・エリスのやり方をそっくり真似て「木」を語る。

・論理療法は「ABC理論」とも呼ばれる。

  A:Activating event(出来事)

  B:Belief(信念,固定観念)     A→B→C

  C:Consequence(結果)

・普通は,「出来事があるから悩む」と思う。しかし,Beliefが悩みのもとであると考える。たとえば,「A:ドアがバタンと閉まる音」→「C:不快な気持ちになる」,しかし,これは「B:ドアは静かに閉めるべきである」というBeliefがあるからである。その証拠にドアがバタンと閉まるたびに千円を配ってみればいい。5,6回もやれば,千円をもらえるのを心待ちするようになる。つまり,「B:ドアがバタンと鳴ったら千円がもらえる」というように心の中の文章記述を変えたから,Aが同じでも,Cが変わったということ。(不快→楽しみに)

・Belief が変われば悩みはすべて消えると断言はしない。悩みが軽減する程度のこともある。上司からの評価が低い社員が「上司ににらまれたら世も末である」というBeliefのために落ち込んでいたとする。「上司ににらまれても首になるわけではない」と考えれば気が楽になる。しかし,もっと良い方法は上司に好かれるようにすることである。

 論理療法では,Bを変えた後,Aが変えられるものならAを変えるように工夫することが大切である。さらに,Aの認識そのものの修正も大切である。「みんなが僕を嘲笑した」というのは客観的事実(A)のように見えるが,「クラス全員のことか?」と聞くと「3人だ」という。「嘲笑したのか?」と聞くと「嘲笑したように思ったけど」という。Aがあやふやなときには,これを明確にするだけでCが変わることもあり得る。

・エリスは,いかなる状況に置かれても,それをどう受け止めるかによって,ノイローゼになったり,首をくくったりするかが決まる。ノイローゼになる人は考え方が足りない。悩める人は自分のBeliefの検討が足りないと結論づけている。

・人を不幸にする悪玉Belief のことを「イラショナル・ビリーフ(iB)」という。iBの特徴は次の4点である。

 @目標に近づけない考え方。例:夫婦で仲良くしたい(目標)と思っていても,「男は台所に立つべきではない」というBeliefの夫では,目標達成しにくい。

 A人生の事実をふまえていない考え方。例:「すべての人に好かれねばならない」というBeliefを持っていると,誰かに冷たくされると,自分はダメ人間と思いこむ。しかし,自分自身,苦手な人がいるように,自分のことを苦手に思う人もいるだろう。これが人生の事実である。したがって,「すべての人に好かれるにこしたことはないが,価値観等が異なり,嫌われる場合もあるだろう。一人の人に嫌われても人生終わりではない」という考え方がラショナル・ビリーフである。「完全でなければならない。失敗すべきではない」というBeliefも人生の事実に即していない。」落ち込む人は,「ザ・ベスト」を求めすぎ,「マイ・ベスト」を尽くせばいい。

 B論理性が乏しい考え方。どうしてもそう考えざるを得ない必然性が乏しい考え方のこと。例:「私はカウンセラーである。それゆえに離婚できない」というBeliefに論理性はあるか。「離婚できない法律や職業倫理があるわけではない」ので,論理性はない。「私は失業者だから,人生は終わりだ」。「失業したが,失業保険がある」,「失業したので,しばらく配偶者に養ってもらおう」というようにいろいろな文章記述がある。「人生は終わりだ」と考える人は,任意に選んだに過ぎない文章記述で自分を不幸にしているだけ。

 C柔軟性のない断定的な考え方。他にも考え方があり得るという前提を持たない考え方。「バラの花は赤い」と言い切るのは,その他の事実を無視している。言い切ってしまうと,「バラの花は永遠に赤いとか,赤くないものはバラではないと主張する」柔軟性のない人になってしまう。

・イラショナル・ビリーフの典型例

 @ねばならないBelief

 A悲観的Belief:「世も末」,「絶望的」等の言葉を含む文章記述。エリスは「この人生に八方ふさがりということはない。ただ不便なだけだ。」と言っている。絶望的であると受け取るから,その受け取り方に即した言動をとる。

 B非難・卑下的Belief:「自分はダメ人間だ」,「あなたはダメ人間だ」という表現方法をとる。

 C欲求不満低耐性Belief:「我慢できない」,「耐えられない」という表現方法をとる。

・イラショナル・ビリーフは必ず粉砕するものではない。「神が共にいる,神様お助けください。」その考え方によって君はハッピーなのか? 周りの人もハッピーなのか? そうであれば粉砕する必要はない。論理療法とは考えのあるところに人間は成長する。悩むのは考えが足りないからである。思考が変われば感情が変わる,感情が変われば行動が変わる。保護者から文句言われつつ,いろいろなことを教わったら感情が変わった,感情そのものに揺さぶりかけたら,行動が変わった,行動に揺さぶりかけたら,感情が変わった………etc。順序を決める理屈は定まっていない。どこからかかってもいい。三位一体論。

・ラショナルビリーフは様々である。ラショナルとイラショナルを見極める観点は,「事実によるか」「論理性があるか」



参考資料2

遺伝子・文化複合と適応(雨宮2003未発表)


1.遺伝子と適応

(1)自然選択説と淘汰圧

ダ−ウィンの自然選択説は、遺伝的突然変異×自然選択によって、生存に有利な形質をうみだす遺伝子が選択され、その累積によって、生物の進化が生じたとするものである。キリンの首を例にとると、遺伝子に起因する首の長さの個体差があり、長い首の個体が生存に有利な形質として選択され、その蓄積でキリンの首は長くなったと考える。これに対して、ラマルクは、食料が枯渇した時期に樹木の高いところの葉を食べようと首をのばす行為がキリンの首をのばし、この獲得された形質が子孫につたわって、それが蓄積されキリンの首は長くなったと考える。今日の遺伝学からすると、獲得形質は子孫には遺伝しないので、ラマルクの説は誤りである。ネズミの尻尾を何世代にもわたって切っても尻尾の長さに影響がないことをしらべた実験もある。ただ、動物の行動の選択が進化に関係がないとする考えに疑問をもつひとがいて、獲得形質の遺伝はやっぱりあるということを示そうとした研究はたびたび試みられたが(ケストラ−が紹介されたカンメラ−の研究やピアジェによる巻き貝の形質の遺伝の研究など)、獲得形質は遺伝しないという定説はゆらがなかった。

しかし、行動は遺伝子へ直接影響することはないにしても、進化にまったく影響しないわけではない。自然選択の淘汰圧のかかりかたへの影響を通じて、間接的に進化によって選択される遺伝子に影響をあたえることができる。たとえば、キリンは食料の枯渇の時期に首を伸ばして高いところの葉をたべるという適応の選択肢のほかに、ジャンプして樹木の高いところの葉を食べる、樹木に登る、低木に葉のある場所まで移動する、葉以外の木の皮などを栄養として利用する、食物不足の時期に備えて脂肪組織を蓄える、などの適応の選択肢もありえた。どの選択肢を選ぶかは、遺伝的にきまった形質と環境条件による部分がおおきいが、行動的な選択の余地もないわけではない。個々の動物の行動の選択や動物の集団につたえられる行動様式が、淘汰圧がどこにかかるかに影響し、間接的に進化をつうじて選択される遺伝子を左右しうる。人間の場合は、行動様式は文化によって固定され集団的に伝達されるので、行動様式の選択を通じた、淘汰圧への影響は非常に大きなものとなる。「遺伝子->行動->文化形成」のル−トに加え、「文化->行動様式->淘汰圧->遺伝子の選択」のル−トも無視できない。人間の行動は、遺伝子情報と文化情報の両方の接点にある。


(2)進化における形質と遺伝子のダイナミズム

ダ−ウィンの自然選択説は、遺伝子レベルの小さな偶然的な変化の積み重ねによる進化を主張している。これにたいしては、眼のような複雑で精密な器官がたんなる偶然の突然変異の産物で生じうるものだろうかという疑問や、陸上生活への移行や二足歩行への移行などの大進化は体の器官の多くの部分の変化を必要とするがこれらの変化に対応する突然変異が一挙に生じたとは考えにくい、言語の発生などの種の行動様式の変化は個々の個体が変化しただけでは無意味で一定数の個体が同時に変化する必要があるが突然変異が同時に複数の個体に生ずることがあるだろうかなどの疑問が提起されている。複雑な器官の進化、大進化、集団の同時進化、これらは進化論にとっての難題で、何種類もの説明が試みられてきた。これらはどれかひとつで問題をとけるというものではないが、それぞれに一定の妥当性はもっている。以下、簡単に紹介する。

まず基本となるのが、遺伝子と形質の関係は、一対一の単純なものではないということである。生物の遺伝子には、進化の過程で蓄積されたが実際は読まれない遺伝子が相当な部分をしめる。そして、遺伝子のどこを読むかを指令する遺伝子もある。読みとりを指示する遺伝子の場合、一カ所変化しただけで、それまで読みとらなかった遺伝子を読むことになり、広汎な形質変化の原因となりうる。また、遺伝子には、成長を制御する遺伝子など、ひとつの遺伝子変化で一連の形質の変化に影響をあたえうる遺伝子がある。サルからヒトへの進化では、成長制御遺伝子の変化により、幼形進化(Neoteny)が生じ、成長期間と寿命の延長、頭蓋の形状と頸骨の位置の変化、二足歩行の容易化、体毛の消失、好奇心の長期持続などの一連の形質の変化が生じたとする説が有力である。こうした制御遺伝子のなかには、トランスポゾン(動く遺伝子)といって、染色体の間を移動する遺伝子もしられている。また環形動物からヒトに至るまで、ホメオボックスという体節構造を制御する遺伝子があることも知られている。遺伝子と形質との関連は、まだまだ、わかっていないところがおおいが、両者の関係は一対一の単純なものではなく、読まれていない遺伝子も多い。読みとりや成長、体の構成を指示する遺伝子については、ひとつの突然変異が一連の形質の変化を生じさせうる。

前適応や外適応とよばれる現象もある。ある目的のために進化的に獲得された形質の他の目的への変化や転用である。たとえば、陸生動物の脚は魚類の鰭として進化した器官を基本に、陸上での身体の保持と移動の目的のために変化した前適応の例である。鳥の羽は進化の初期においては体温を保持するための断熱材だったが、後に飛ぶための組織としても転用されることになる。これは外適応の例である。前適応は目的の変化で、外適応は転用という点がことなる。最初から複数の目的に適応して進化した器官もある。例えば、脊椎動物の骨は体を支持するために進化した組織だが、同時にカルシウム代謝においてカルシウムの貯蔵庫としてもつかわれている。人間は、文化的な人工物によって変化させた環境のなかで、進化の結果獲得した身体的心理的機能を本来の目的とはことなる目的で大規模に用いている。物を操作するために進化した眼と手の協応を転用した文字の読み書き、環境をモニタ−するために進化した視覚的パタ−ン認知能力のグラフや図解、メディア理解への転用、などなど人間の高次の認知とよばれるものは、ほとんどが文化的人工物を介した外適応の例といえる。

三つめが寄生やウィルス感染による遺伝子の水平的な移動である。通常、遺伝子は、親の生殖細胞から子へと垂直的につたえられる。これにたいし、寄生やウィルスの生殖細胞への感染による遺伝子の水平的な移動もある。たとえば、ミトコンドリアは母から子へと伝達されるが、核のDNAとは異なった独自のDNA構成をしており、原核生物が真核生物に進化する過程で、藍藻類などの原核生物が細胞内器官として寄生し、とりこまれた結果だったと考えられている。最近の遺伝子工学では、遺伝子の断片をベクタ−とよばれるウィルスなどに運ばせ、その遺伝子を対象とする細胞の核DNAに組み込む。こうしたウィルス感染による遺伝子の組み込みは自然界でも生じており、これが体細胞でだけはなく、生殖細胞に対しても生じれば、まとまった遺伝子の変化が生ずることになる。ウィルス感染による進化は、ひとまとまりの遺伝子を集団的に導入できるという点に特徴があり、大進化や集団的な形質の一挙の変化の原因として有力視されている。


(3)利己的遺伝子

寄生やウィルス感染による進化は、宿主が外から導入したDNAにより適応をはかったとも言えるし、逆に寄生する生物のDNAが宿主を利用して適応をはかったともいえる。これは、進化の主体は何かという問題である。進化で問題になるのは、遺伝子が次の世代にどう伝わるかだけである。多くの動物は生殖を終え、遺伝子を次の世代に無事つたえると死を迎える。個体は食物獲得、補食の危険の回避などによって、生存競争に勝利しても遺伝子をつぎの世代につたえられないなら、進化的には無意味である。生殖にかかわらない個体は、生物進化の流れは形成しない。ここでは、主役は個々の個体ではなく、遺伝子であり、個々の個体は遺伝子をはこぶ器とみることもできる。これがド−キンズのとなえる利己的遺伝子の考えである。

利己的遺伝子の考えは、つづめていうと、世代を通じて伝えられる遺伝子のみが残り、そうでない遺伝子は残らないというト−トロジ−になってしまう。ただし、遺伝子は器としての個体や集団の成功を通じてしか、自らを次の世代にはこべない。遺伝子が自らをつぎの世代に首尾よくつたえるためは、遺伝子は個体の生殖とそれまでの生存な確保できるような適応の成功をもたらすことに寄与するものでなくてはならない。個々の遺伝子と適応上の成功の間には、(1)、(2)で述べたような、かなり複雑な関係が介在してくる。また、個々の遺伝子が次世代に伝わるためには、そのコピ−が伝わっても同じことになるので、その個体の適応上の成功に寄与しないでも血縁者の適応上の成功をもたらすような遺伝子なら、つぎの世代に伝えられうることになる。たとえば、同胞とは1/4の遺伝子が共通なので、遺伝子の伝達という点からみると、5人の同胞を救うためなら自らの生命を犠牲にするよう行動するようにプログラムした遺伝子なら、そうでない遺伝子よりも、つぎの世代につたえられやすいことになる。これが血縁淘汰をふくんだ包括的適応度である。働き蜂や鳥のヘルパ−など、動物の利他行為は、血縁淘汰による利他行動の例と考えられている。


2.文化と適応

(1)文化と行動

動物の行動は、遺伝子情報が決める行動のレパ−トリ−から、あたえられた環境によって選択されたものが発現する。これにたいし人間の行動は、複雑な行動のプログラム自身が文化的に与えられることもあるし、環境も文化によって作り替えられている。人間の場合も、生身の人間の行動の可能性の範囲は遺伝子情報が規定している。しかし、人間の行動においては、文化情報もおおきな役割を果たしており、道具や機械、記号などの人工物は生身の裸のヒトには可能でないような行動や高次の認知を可能にしている。人間の行動と認知は文化情報なしには理解できない。

遺伝情報はすべて細胞内の核のDNAに書き込まれている。これにたいし文化情報はより分散して書き込まれている。まず行動の習慣がある。これは模倣によって世代から世代に伝えられるもので、文化人類学では身体技法とかハビタスなどとよばれている。これらはソフトウェアとして身体に書き込まれ、模倣により、世代を越えて伝達される文化情報である。 これらを身体文化情報とよぶことにする。身体文化情報にたいして、人工物がになう文化情報もある。人工物文化情報には、環境系文化情報、操作系文化情報、それに記号系文化情報の三種類がある。

環境系文化情報は、衣服、家具、建物、集落など自然環境にかわって人間の環境を形成する。建物や集落などその形態や配置におうじたアフォ−ダンスをあたえることによって人間の空間行動を制御する役割をもつ。対人関係や集団関係も、住居や集落の形態によって誘導され、一定の秩序をあたえられる。

操作系文化情報は、道具や機械類である。環境系人工物が自然環境を作り替えるのにたいし、操作系人工物は身体の機能を延長し対象に働きかけることを可能にする。操作系人工物を通じての行動において人間が適応すべき課題は、対象との接触面から、道具や機械と人間との接触面に変化する。道具での適応課題は手の操作の感覚運動的コントロ−ルで、これがうまくできないと不器用である。一方、機械の場合の適応課題は、操作の認知的把握で、これがうまくできないと機械音痴である。道具や機械は、人間と対象の間に介在し、人間の行動の可能性の範囲を動物になかったやり方で大きく広げると同時に、人間にとっての適応課題を変化させた。

記号系の人工物の代表は言葉である。言葉は10万年から20万年前に進化し、人間のコミュニケ−ションと認知能力を飛躍的に発展させた。人間にみられる複雑な社会や高次の認知は言葉なしにはありえない。言葉を理解し使う能力は、通常左半球の側頭葉のウェルニケ中枢とブロカ中枢に局在し、この脳の分化を可能にする遺伝的基盤も存在する。この意味で言葉は、遺伝情報に依存しているが、一方で言語を獲得するためには、言語共同体で身体文化情報として世代を越えて伝達される言語活動への接触も不可欠である。言語は脳に内在するものではなく個体に感染しつつ言語共同体に保持されていくものである。言語は、チョムスキ−が唱えたようなたんなる遺伝的な身体的能力ではなく、人間に感染し脳の変化を生じさせるある種のウィルスとの類比でとらえたほうがよい。ウィルスの感染症状の発現には遺伝情報にもとづいた身体的基盤が必要だが、ウィルス自体は身体の外から感染する。

絵、文字、数字、図解、グラフなどの記号は、言葉によって可能になった集団的な対象指示能力を基盤に、進化的に形成された環境知覚能力に寄生する人工物として成立した。絵、文字、数字、図解、グラフなどを理解するための認知的なモジュ−ルが進化的に形成されたわけではなく、環境知覚能力が外適応としてこれらの記号にも援用された。言葉の場合は、10万年から20万年前に生じた遺伝子・文化共進化により、言語能力を担う遺伝子と共同体に保有される言語の進化が相互作用しながら生じている。

記号系の人工物は意味を担い人間に認知されてはじめて働きをもつ認知的人工物である。ヴィゴツキ−が指摘したように、人間に特有の認知や問題解決能力は、たんなる脳の発達によるのではなく、脳の発達が可能にした認知的人工物の利用によっている。リテラシ−研究がしめしているように、分析的、論理的な思考は、紀元5000年以降の文字の文化によってはじめて可能になった。人間の数を扱う能力も数の表記法におおいに依存している。人間の認知能力は、人間集団が提供する認知的人工物の足場の上にたって展開される。人間の認知の範囲は、生身の人間の脳の能力だけではなく、文化的な足場も含めてのものである。

個々の人間を遺伝子情報の運び手とみるのと同様に個々の人間を文化情報の運び手としてみることもできる。ド−キンズは、遺伝子geneと模倣のギリシア語mimemeを組み合わせてmeme(文化伝達子などと訳されるがたんにミ−ムの場合のほうがおおい)という言葉をつくった。たしかに、遺伝情報も文化情報も、世代を越えて伝達され、選択され、変化が蓄積されというように、複製と変異、淘汰をつうじて進化していく。また、遺伝情報は個々の個体を宿主するウィルスや寄生虫などによって伝搬することがあるが、文化情報も宗教や流行などある種の感染現象としてとらえることができる。(宗教を疫病モデルでとらえる視点をもっとも早い時期に提示したのが梅棹忠夫である。)ミ−ムの造語にもとづいたミ−ム学なるものがあるが、単なる造語とアナロジ−では、文化情報が人間の行動と認知にあたえる影響をまともに理解することはむつかしい。言語進化論、ヴィゴツキ−の心の文化・歴知理論、リテラシ−研究などの歴史心理学、文化人類学、人間工学などの知見をふまえての総合的なアプロ−チが必要である。スペルベルは、文化人類学の立場から文化の感染モデルにもとづく展望を試みている。


(2)文化と適応

文化は人間集団の環境への適応を媒介する機能を持っているので、二重の選択にさらされることになる。ひとつが人間集団に首尾良く感染できるかで、もうひとつは感染の結果その集団が生き延びていけるかである。この二点はウィルスなどの感染と同じである。まずウィルスは感染力をもたなくてはいけない。しかし宿主を直ちに殺してしまうほど毒性が強いとウィルスは残らない。細菌の中には腸内細菌などのように宿主に利益をもたらすものもある。これらはよい文化とおなじく、宿主の生存を助ける。しかし、利益をあたえる細菌や文化であっても、感染力がよわいとやはり残らない。

文化の感染力は、多くの要因によっていて複雑である。一般に勢力の強い集団の文化の感染力はつよく周辺の集団に伝搬しやすい。文化の要素間の相互作用や集団がおかれた環境への適合性などの要因もある。しかし、もっとも基本となるのは、遺伝的に決められた人間特性への適合性である。文化は地理的、歴史的にきわめて多様だが、人間特性の基盤をはなれて恣意的に組み立てられるわけではない。人間性は文化によって何でも書き込める白い紙ではない。この点、多くの社会科学者は、文化を恣意的な秩序とかんがえる誤りをおかしている。彼らはこのんで色彩名称の文化差やマ−ガレット・ミ−ドによるサモアにおける思春期やチャンブリ族の男女の役割分担を例にあげる。しかし、これらは後の研究によって、否定されている。

色彩名称については、色の基本的名称が二つしかない文化から、十個以上ある文化までさまざまである。しかし、バ−リンやケイらの研究によれば、基本的色彩名称は恣意的などではない。基本的色彩名称の複雑化(進化)にはすべての文化を通じて一定の順序が存在する。そして、各色彩名称の境界は文化によって異なるが、もっともよく当てはまる焦点色は文化によって変わらない。色彩名称は、遺伝的にきまった人間に共通の色彩知覚の能力を基盤にして、文化ごとに選択されたものである。バ−リンやケイの基本色彩名称の研究は1960年代におこなわれたものである。そのあと何十年にもわたって色彩名称の恣意性を文化の恣意性の例として言い続けてきた社会科学者の不勉強ぶりは驚嘆に値する。

マ−ガレット・ミ−ドのサモアの青春についての研究については、イデオロギ−的な好みのもとで、インフォ−マントのおはなしを都合良く解釈してしまったという事情がのちに暴露された。男女の分業についても、武装解除された特殊な状況での出来事を一般的な現象として解釈したと指摘されている。文化をまったくの恣意的なとりきめによるものとして位置づけたい社会科学者は多いが、その根拠には、このようにあやしいものがおおい。

文化が感染する宿主である人間の特性が白い紙であり、文化は恣意的に構築されうるという考えは誤りである。人間特性には一定の傾向があり、その傾向にそって構築されない文化は感染力をうしない文化として存続できない。しかし、人間特性の傾向にはかなりの幅があり、多様な文化が存在を許容していることも事実である。この意味で種々の文化は人間特性を基盤にした比喩の体系のようなものである。例えば、「雪のような肌」というときに、雪が基盤領域、肌が目的領域であり、比喩は基盤領域のある特性を目的領域の特性に投射する。この場合の特性は、「雪の白さ」である。「淡雪のような思いで」といえば、投射されるのは「すぐにとける淡雪のはかなさ」である。このように雪にはさまざまな属性がありえ、これが対象へ選択的に投射される。文化も基盤としての人間特性からの選択的投射としてとらえられる。選択的投射なので自由度と多様性はあるが、基盤と無関係に恣意的に組み立てられているわけではない。

文化選択のもうひとつの基準が感染した集団が生き延びるかである。たとえば、食物禁忌という現象がある。われわれは通常人肉は食べないが、かつてアステカやマヤでは人肉はごちそうだった。イスラム教とは豚肉を食べない。ヒンズ−教徒は牛肉をたべない。これらの食物禁忌の文化差は、文化が食事のような生理的な領域にもおよんだ恣意的な秩序であることをしめすかっこうの例として社会科学者によくとりあげられる。マ−ヴィン・ハリスは、これらの一見奇妙に見える食物禁忌には、集団としての環境への適応をはかる目的があることをしめしている。アステカやマヤにおけるタンパク質不足、乾燥地域で水を多量に必要とする豚への嗜好が生ずることの危険、インドにおける牛の乳製品、労働、糞の燃料利用という多角的利用と飢饉時に食用にし牛資源が枯渇することの集団へのコストなどである。

人間の文化が多様で自由度のおおきいものであることは事実である。しかし、文化は恣意的な秩序ではない。文化は二重の制約のもとにある。一つ目の制約が、人間に感染できるか否かの人間特性への適合である。人間の特徴は幼型進化の説で主張されているように可塑性と学習能力にある。しかし、人間特性を文化によってなんでも書き込める白紙だと考えるのは大きな誤りである。二つ目の制約が、文化が感染した集団の適応能力と文化の繁殖力である。遺伝子の乗り物は個体で、遺伝子の淘汰は個体の適応と繁殖を通じて行われる。これに対して、文化の乗り物は、集団であり、文化の淘汰は、長期的な集団の適応と、文化の他集団への感染拡大による。遺伝子淘汰における個体の適応が文化淘汰における集団の適応に、繁殖による遺伝子の伝搬が文化の感染拡大に相当する。文化は一般に、勢力の強い集団から感染伝搬することがおおいが、これは強い個体の遺伝子が繁殖において選択されやすいしくみとにている。文化の感染拡大は、動物の性淘汰と同様に、なんらかの適応力という基準での選択がなされることがおおいが、同時に、ヘラジカの角のようなある種の暴走(runaway)も生じうる。優秀な遺伝子を選択するためのハンディキャップは、性淘汰における有用な原理であるが、いきすぎると個体だけではなく種の生存への負担となってしまう。人間の文化の場合、関連する要因が多く複雑だが、動物の場合と同様に長期的な集団の適応の枠内で感染拡大の能力の差異がある。


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