認知革命


重要事項  図式、メンタルローテーション、トップダウン処理とボトムアップ処理、プロダクションシステム、逆光学、生態学的妥当性

重要人物  ピアジェ、サイモン、チョムスキー、マー、ナイサー


(1)知的背景

 心理学:ゲシュタルト心理学、新行動主義、発達心理学などにおける認知研究の進展と蓄積

 科学技術:汎用記号処理機械としてのコンピュータの発明と情報通信技術の発展


(2)重要人物  

○ピアジェ(1896-1980) スイスの発達心理学者。子供に種々の独創的な課題を課し、保存(見かけが変わっても対象の数や量は変わらないという認識)や対象概念(物理的対象はある時点で一つの場所に存在し物陰に隠されても存在し続けるという対象の永続性についての認識)、児童の自己中心性(他者の視点を自己の視点から区別して認知できないこと)など、人間の思考発達について多くの事実を明らかにした。ピアジェは人間の認識がシェマ(図式)とよぶ枠組みによっており、これが環境との相互作用を通じて発達すると考えた。外界からの刺激はその枠組みに合わせて認識される(同化)。しかしそのシェマを変化させないと認識できない刺激に対したときはシェマを変化させる(調節)。ピアジェは幼児では同化と調節を繰り返しながら安定した外界の認識を次の段階のさらに安定した認識に発達させる(均衡化)と考えた。ピアジェは、人間の認知が、感覚運動期から、表象による思考の前操作期、保存課題が解決できる具体的操作期を経て、抽象的な対象に対しても論理的な思考ができる形式的操作期の段階で発達すると考えた。


○サイモン(1916-2001) アメリカの社会科学者。人工知能研究の草分けでもあり、人間の問題解決行動にたいして幅広く取り組んだ。共同研究者のニューウェルらとともにプロダクションシステムを開発し、1956年のダートマス会議(ここで初めて人工知能という言葉が用いられた)で発表した。人間の問題解決行動については、逐次的記号操作により、初期状態から目的状態へ問題空間を移動するという古典的立場をとった。経済学の領域では、新古典派の最適化の考えににかわる満足化原理と限定合理性の提唱や、地理経済学における自己組織化現象の研究など先駆的な研究を行った。1975年にプロダクションシステムの開発にたいし人工知能研究のチューリング賞を、1978年に組織における問題解決の研究に対してノーベル経済学賞を受賞した。


○チョムスキー(1928-)アメリカの言語学者。個別言語の音韻や文法の精密な記述を中心にした構造言語学にたいして、言語の普遍的な生成の仕組みの解明を定式化しようとする生成文法を唱え言語学に革命を起こした。チョムスキーは、個々の人間の言語は、他の認知能力から独立した人類に固有の生得的な言語能力に基づいて習得されるとした。この立場からスキナーの言語論を激しく批判した。チョムスキーの研究の中心は文法的に正しい文のみを無限に生成できる仕組みの定式化である。チョムスキーは、この仕組みは"Colorless green ideas sleeps furiously."の例文に示されるように意味とは無関係だと主張した。そしてその仕組みを定式化しようと理論を何回も大幅に改訂してきた。近年、チョムスキーとは対照的に人間の言語能力を他の認知能力との関係もふまえて定式化しようとする認知言語学が盛んになってきた。認知言語学の立場からすると、チョムスキー理論の頻繁な改訂は、文法を意味や他の認知能力との関連なしに定式化しようとする試みの無理のあらわれである。


○ナイサー(1928-)ドイツ生まれのアメリカの心理学者。1967年に「認知心理学(Cognitive Psychology)」を著し、能動的な情報処理という観点からパターン認知、記憶、思考などの問題を総合的に扱えることを示した。この本は新しく蓄積されつつあった情報処理モデルにもとづく諸研究を、心理学の枠組みの中に位置づけようとしたものである。この後、ギブソンの影響もあって、1976年には「認知の構図(Cognition and Reality)」を著し、情報処理モデルにもとづく研究が、入力情報の一方向的処理の実験室的研究のみを扱っていることを批判し、研究の生態学的妥当性の必要を訴え、環境との相互作用について知覚循環説を唱えた。知覚循環説はその後発展させられなかったが、生態学的妥当性をふまえた1982年の「観察された記憶(Memory Observed)」は、日常記憶研究に影響を与えた。また、1980年代後半からは、心理学が諸モジュールの研究に解体しようとしているとの問題意識から、自己(Self)の研究を唱道した。


○マー(1945-1980)イギリスのコンピュータ科学者。24才の博士論文で小脳の運動学習機構をパーセプトロンによって説明するモデルを提出した。遺作の「ビジョン(Vision)」では、網膜像から三次元立体認知までの情報処理過程のシナリオを、計算理論、心理学実験、脳科学の三方向からの研究の統合を目指して提示した。基本的発想は、視知覚を網膜像から三次元立体を復元する逆光学として位置づけ、人間の視覚系はこれを制約条件を前提とした計算によって解いているとするものである。マーのビジョンは、これまで個別の現象の記述と無意識的推論やプレグナンツ、普遍項のピックアップなどの漠然とした説明しかなかった、パターン認知、三次元立体認知について、計算理論、心理学実験、脳科学を統合した情報処理モデルにもとづく真の説明理論の可能性をしめしたものである。その後の視知覚や運動行為の認知科学的研究は、マーのヴィジョンの方向で研究が進展している。


(3)基本的立場  人間の情報処理を逐次的な記号処理過程としてとらえ、処理過程のモデルを種々のデータ(正当率、反応時間、被験者のプロトコルなど)によって検証する 


(4)基本テーマと方法 記憶、注意、思考などの認知現象が中心テーマ、実験室における仮説検証的実験が基本的方法


(5)発展 前提とするモデル、研究領域、もちいるデータの拡大。

モデル:中枢の逐次的な記号処理過程に限らず、よりミクロなあるいは感覚・運動レベルの並列的分散処理過程のモデル化もおこなう。

研究領域:知覚や運動といった基礎的な領域や、意識、感情、社会的相互作用などのより複雑な領域への情報処理モデルの適用が試みられる。

データ:実験室を越えて、日常生活での記憶現象や、脳損傷患者、臨床心理学などにおける診断と治療などにおける研究がなされるようになった。


(6)成果 コンピュータメタファーと反応時間や被験者のプロトコルなどの複数の指標を利用することにより、構成主義による内観、ゲシュタルト心理学における漠然とした場の理論、行動主義における媒介過程などの限界を越えて、心的な処理過程の本格的なモデル化の作業にとりくむことが可能になった。情報処理過程として人間の認知をとらえることは、当初、単なるコンピュータメタファーだったが、情報処理過程のモデルは次第に洗練されていき、脳科学との関連も持つようになり、人間の認知についての真の説明理論を提供しつつある。1960年代の認知革命と引き続いて生じた1980年代後半からの第二次認知革命によって、心理学は学派の時代を終えて、真に科学的で学際的な心理学への離陸の時期を迎えたといえる。(科学性、学際性の達成度は、問題領域によって様々だが。)


○図式:英語ではスキーマ、フランス後ではシェマである。古くは、バートレットが1930年代に記憶の変容実験で、記憶の変容の方向は、頭の中の認知の図式(スキーマ)に一致した方向へ生ずるとした。ピアジェは、環境との相互作用を基本としたので、行為の基本単位として、把握の図式(シェマ)なども含めている。図式(スキーマ)が一般的に使われるようになったのは、情報処理モデルにもとづく認知心理学においてで、人間の情報処理において用いられる一般化された知識のまとまりをさす。スキーマには顔などの視知覚におけるもの、問題解決におけるパターンとしてのスキーマなど、様々なものがある。日常に経験する事象のつながりに対するスクリプト、物語のきまったパターンに対応する物語文法などもスキーマの例である。人工知能で用いられるフレームもほぼスキーマと同義である。認知療法などでは、抑鬱スキーマなどという使い方もされる。図式(スキーマ)は知識に先導された情報処理過程であるトップダウン処理において中心的な役割を果たす。


○メンタル・ローテーション:角度が異なって提示された図形の鏡映像弁別の課題で、被験者の反応時間が両図形の角度の差に比例してふえる現象をシェパードらが1971年に発見し、イメージを頭の中で回転しているという被験者の内観もふまえてメンタル・ローテーションと名づけた。行動主義において禁忌とされた心的イメージを、反応時間の課題に応じた変化という客観的指標によって研究の対象とした点が注目された。



○トップダウン処理とボトムアップ処理:トップダウン型処理は、概念駆動型処理とも呼ばれる。知覚情報に基づいた低次元レベルの処理を行う前に、文脈による期待や知覚の構えが作られて、その期待や構えに即したデータを捜して処理する様式のこと。ボトムアップ型処理は、データ駆動型処理とも呼ばれる。低次レベルでの感覚情報にもとづいた部分処理がまず行われ、より高次なレベルへと処理が進んで行く方式である。例えば、文字を認識する時、個々の線の組み合わせとして文字を認識するのがボトムアップ処理で、「TДE CДT」の前半のДをHに、後半のДをA に読むなどはトップダウン型処理の例である。実際の認知では双方の過程が互いに補うようにして生じている。


○プロダクションシステム:プロダクションシステム(production system)とは、 if-then形式のルールを用いて問題解決を行うシステムのことである。 if-then形式のルールとは「もし〜ならば〜を行う」という判断を行うための基本形式のことで、 プロダクションシステムではこれを「条件-行動」という情報として表現しており、これをプロダクションルール(production rule)という。プロダクションシステムは、このプロダクションルールと外部から与えられた事実を元に推論を行うシステムのことである。 サイモンらは、if-then形式のルールを用いた手段目的分析が、人間の問題解決において中心的役割を持つと主張した。これにたいしては、アナアロジーや直感、発見的方法の役割のほうが基本的だとする批判がある。人工知能におけるエキスパートシステムは、プロダクションシステムを中心として専門家が行うような問題解決に適用したものである。


○逆光学:三次元対象から二次元の網膜へ映像が光学的に投射される。視知覚に課された問題は、こうして与えられた二次元の網膜像から対象の三次元情報を復元することである。視知覚に課された逆光学問題は、そのままでは、一義的に解の定まらない不良設定問題である。マーは、視覚系は、この逆光学問題を、制約条件の導入によって解いていると考え、両眼視や透明視などの一連の処理過程について、どんな計算をどんな制約条件のもとで行っているのか定式化をこころみた。例えば、ランダムドットステレオグラムは、形の知覚の前に両眼視における奥行き知覚がされていなくてはならないことを示す。しかし、左右の網膜のドットの対応は一義的には決まらない。ここで、視覚系は、対応において、一つの点は一つの点にだけ対応する、奥行きのある点による面は連続的に移行するなどの一般的制約条件を前提として、左右の網膜のドットの対応問題を解いているとマーは考え、具体的な計算方法を提案した。運動奥行き現象における剛体性の過程も視覚系が用いている制約条件の例である。


○生態学的妥当性:感覚器官に与えられる近刺激は、環境の事象である遠刺激を認識する手掛かりとなるが、その有効性については、大きく異なる。知覚心理学者のブルンスウィックは、近刺激が遠刺激到達のための手掛かりとしてどの程度有効かを近刺激の生態学的妥当性といった。また、ブルンスウィックは、実験室における実験は、日常生活に似た近刺激の手掛かりを用いて研究すべきであるとした。ナイサーによる情報処理モデルに基づいた研究が生態学的妥当性を欠いているという批判は、このブルンスウィックの考えを踏襲したものである。生態学的妥当性を欠くというのは、実験室的研究の不自然さを批判する際によく用いられる言い方である。


(7)限界 内的処理過程を問題としているために、複数のモデルの妥当性を心理学的実験データのみによっては決めがたくなる場合もでてくる。脳科学の知見に依拠せざるをえなくなるが、脳科学の知見も十分でない場合も多い。また、環境からの情報の処理から認知の成立へという一方向的な流れを問題にしており、環境との相互作用の位置づけが十分ではない。とくに記号や文化による高次の認知は、環境への集団的働きかけによる改変もふくめたモデル化が必要である。ただ認知革命の結果生じた研究の流れは、1980年代以降多岐にわたる展開をしめしており、認知脳科学や認知人工物研究、メリリンドナルドやディーコンなどによる外的記号の役割をふくめた処理モデルへの試みなど、上述の限界を越えようとする方向での研究もみられる。


参考文献

ガードナー(佐伯・海保監訳) 1985「認知革命-知の科学の誕生と展開-」 産業図書

ラックマン他(箱田・鈴木監訳)1979「認知心理学と人間の情報処理I、II、III」サイエンス社

ナイサー (古崎訳)1976「認知の構図--人間は現実をどのようにとらえるか-」サイエンス社

マー (乾・安藤訳) 1982 「ビジョン --視覚の計算理論と脳内表現--」産業図書

サイモン (高宮他訳)1981 「システムの科学」 パーソナルメディア