フロイトと精神分析について

          (http://pii-desu.hp.infoseek.co.jp//huroitotoseisinbunseki.htmより)


                     


1.精神分析前史

■メスメリズムと動物磁気

  フランツ・アントン・メスメルFranz Anton Mesmer  1734〜1815。スイスとドイツの国境近くで生まれた.動物磁気による治療法であるメスメリズムの創始者.初め、神学を学び、後に、ウィーン大学に入って医学を学び、ウィーンで医者となる.(学位論文のタイトル-「人体の疾患に及ぼす惑星の影響について」)メスメルは医者を開業し、金持ち未亡人と結婚し、大きな屋敷をかまえた.星が人間の運命を支配するという占星術の原理を磁石の力によって説明しようとして、磁石を用いて人間の体をたたいたりなでたりしているうちに、催眠状態を起こすことを発見した.そして、動物や人間にも磁石の働きに似た作用を持つ「動物磁気」があると考えるようになる.しかしこの考え方は、ウィーンで反対され、1778年パリに行った.(一説に、「動物磁気療法」がセクハラ疑惑をかけられそれがスキャンダルとなった」とも、、)「科学ブーム」に浮かれていたパリでは、高級住宅地の真ん中に診療所を開き、彼の「革命的新医術は」は大当たり、貴族やブルジョワが列を成して押しかけた.一人ひとりを治療している暇のなくなったメスメルはバケ(大きなカシの桶)を使った集団治療を始めた.水の入ったバケの中や周りにガラスや石、鉄の付属品をつけておく.桶の横からは20本ほどの鉄棒が出ていて、患者たちはそれを握る.病人(ヒステリー患者等)たちを、紐で結び合わせ、電気回路のようなものをつくる.その回路を動物磁気が流れる、というものだった.音楽や照明、鏡などの調度品、彼自身の奇妙な服装(教祖のような)や態度などによって、患者は発作を起こす、そしてその発作がおさまると症状が消えているのだった.(このように人工的に発作を起こし症状を消滅させる治療法を「分利法」という.)フランス政府は、学者などからなる特別の調査機関を設けて調べた結果、暗示による催眠状態の存在は認められたが、金属磁気と同じような作用を持つ動物磁気の存在は否定され「ペテン」の烙印を押された.彼のほうから積極的に動物磁気の存在を立証できなかったため、次第に不評判になり、スイスに帰って亡くなった.暗示療法の創始者とされる.

  メスメルは、同業者がに磁石を使って効果をあげた話を聞いて自分でも磁石に取り入れたわけであるが、治療効果をもたらすのは磁気ではなく、東洋で言う「気」のようなものだろうと考え、それを「動物磁気」と名づけた。「動物磁気は宇宙を満たしていて、それが人間・地球・宇宙を、そして人間どうしを媒介としており、人体内部にある流体の分布が不均衡になると病気になる。したがって、動物磁気療法によって、磁気流体の均衡を回復すれば病気は治る」のである。

  このような仮想流体が心を動かしているという発想は、フロイトのリビドーの概念へと継承される。

■メスメリズムから催眠術へ

 メスメルは明確にはしなかったが、「人間が人間を治す」という精神療法の前提がこの時代に認識され始めた。

          仮想流体=「動物磁気」 「磁気力」=感化・影響

          ∴磁気力の強い人だけが治療できる

 メスメルの発見は、その弟子ピュイゼギュール伯爵が受け継いだ.

  ピュイゼギュールは、呼吸疾患に悩んでいた青年に磁気療法をほどこした。すると青年は奇妙な睡眠状態に陥った。「眠ったような」、「覚醒しているような」、「別の人格」があらわれたのを確認した。そしてその状態にいるときは、伯爵の「命じるままに」行動し、その状態から覚めると、「磁気睡眠」状態にいたときの記憶は一切なかった。

 伯爵はこの磁気睡眠状態を「人口夢遊病」と命名した。

 (後に、イギリスの医師ブレイドはこれを「催眠 hypnotism」と命名.)

■シャルコーとヒステリー

 パリのサルペトリエール病院(フロイトが留学した病院)は、女性専門の精神病院であると同時に、ホームレス収容所でもあった。当時、4千人以上の女性が収容されており、患者500人につき医師一人、治癒率は10%以下、年に200人〜300人の精神病患者が亡くなっていた。

 そこの院長ジャン・マルタン・シャルコーは、多発性硬化症や筋萎縮性側索硬化症(シャルコー病)の研究などで多くの業績を残した人であるが、同時に催眠療法の大家であり、ヒステリーの専門家でもあった。


                  

シャルコー Jean Martin Chrcot 1825〜93年 フランスの精神医学者 ヒステリーおよび催眠術に関する講義によって世界的に知られた.彼は、震顫麻痺(体が震える病気で彼自身もそれにかかり始めていた)の発見、多発性硬化症、シャルコー病(シャルコーは脳脊髄硬化症とよんだ=筋萎縮性側索硬化症)(脊髄を中心に、脳皮質から筋肉にいたる運動神経路の変性がある病気)等の、症状を発見.

シャルコーいわく「医療において医師が、すでにわかっているものだけに注目するのはいかがなものか」、「新事実、つまり新しい病気(といっても実際は人類同様に古いものだが)に眼を向けるということはすばらしい」

精神病理学、心理療法、精神分析などに大きな影響を与えた.彼の門下には、ビネー、フロイト、ジャネー等がいる.


2.催眠術から精神分析へ  

 留学から帰ったフロイトは、アパートメントを借りて開業、催眠術を用いて治療にあたった。(患者はほとんどが金持ちの女性であった。)しかし、催眠術はかかりやすい人とかかりにくい人がいる。これはフロイトにとってかなり重要な問題であった.(催眠術で治療にあたる医師にとって、催眠術にかからない人がいて、それが噂になると致命的打撃をうける.)かくしてフロイトはしだいに催眠術から遠ざかり、精神分析療法が誕生するにいたった。フロイト「精神分析の成立史のなかで催眠現象が果たした役割は、どんなに高く評価しても評価しすぎることはないであろう。精神分析は、理論面でも治療面でも、催眠現象から継承した遺産を駆使しているのである」

■アンナ・O (ベルタ・ボッペンハイム)とブロイアー

 精神分析史上、最も有名な患者は、アンナ・Oである。

              

           アンナ.O(ベルタ・パッペンハイム)

フロイトの友人ブロイアーの患者.

ブロイアーによるアンナ

「知能が高い」・「記憶力抜群」・「人並みはずれた教養と才能の持ち主」・「心優しい慈善家」

「驚くほど鋭い知性と鋭い直観力があり、そのために彼女をだまそうとしても必ず失敗する」

「単調な生活のために知的欲求不満に陥り、白昼夢に耽る傾向があった」

「彼女のヒステリーを促進させたのは父親が不治の病にかかったこと」

「献身的な看病の結果、食欲減退し衰弱、神経性の咳が始まった。」

「その他、斜視、頭痛、視覚障害、感覚喪失、局部麻痺、意識が途切れる」

「また黒い蛇の幻覚を見る、言語障害、人格分裂がはじまり、父の死後さらに悪化」」

後に、ベルタ・パッペンハイムという先駆的なソーシャル・ワーカーとなる.

婦人参政権運動の闘士であった.

 アンナは毎夕、ブロイアーの往診受けた。診察の時間になるとアンナは自ら催眠状態に陥り、自由に話をした。

 ブロイアーは、話をすると症状が軽くなっているアンナを発見した。アンナは自分が発明したこの方法を「談話療法」(ふざけて「煙突掃除」)と呼んだ。これが、言葉を唯一の治療手段とする精神分析療法の芽生えである。

■アンナの症状と談話治療

         −どんなにのどが渇いても水を飲むことができない−

  アンナの談話の要約

  −アンナの家にイギリス人家庭教師が住み込んでいた(アンナの話し相手として)。アンナはその女性が嫌いだった。ある日、その女性がアンナの飼っている犬にコップで水を飲ませるのを目撃し、激しい嫌悪感をおぼえた。水が飲めなくなったのはそれから。−

 ∴アンナはその話をするまで、忘れていたのだが、思い出して話したとたん、水が飲めるようになった。

         −音楽を聴くと咳が出る−

 −アンナは、父親の看病をしている最中に隣からダンス音楽が聞こえてきたとき、「いいなぁ、私は一日中父親の看病をしているというのに、みんなは楽しくやっている」と思った。が、次の瞬間、「そんなことを考えてはいけない」という罪悪感に襲われた。それ以来音楽を聴くと咳が出るようになった。それは、あのとき他人を羨んだ罰なのだ。−

 ∴こうしてアンナは次から次へと症状を「話して消した」。

 しかし、アンナはブロイアーによって、スイスのサナトリウムに送られた。

 −すべての症状が落ち着いたかのように見えたある晩、ブロイラーはアンナに呼びだされた。行って見ると、アンナは下腹部を痙攣させて「先生の子が生まれる」と叫んでいた。想像妊娠であった。ブロイラーは動転し、怖くなり、アンナの治療を放棄してしまった。彼女はサナトリウムでも症状が再発した。−

■抑圧と自由連想法

 フロイトは、パリ留学前に、アンナの話をブロイラーから聞いて非常に興味を持った。シャルコーにも話したが、彼は興味を示さなかった。フロイトも、「談話療法」を治療に取り入れた。

 「ヒステリー患者は記憶(無意識的記憶)に苦しめられている」−『ヒステリー研究』1895(ブロイアーとの共著)

 「嫌な体験」は、無意識の中へ「抑圧」される。抑圧されたものは意識から忘れ去られる。しかしそれ(嫌な体験)は、無意識の中に留まり、後になって症状を引き起こす。患者がその抑圧された記憶を思い出すことによって症状が消える。この「抑圧」の概念が精神分析の出発点となり、「話すと症状が消える」という「浄化法」あるいは「カタルシス法」が精神分析の基本である。

■抑圧 repression

精神分析における最も重要な概念.抑圧とは意識することに耐えられないもので、“衝動を代理しているもの”“衝動を表す言葉”を意識から追放し、排除することを意味する.これをフロイトは「意識から遠ざけること」という.ヒステリー、神経症に最も典型的に認められる防衛機構とみなされる.意識から追放されたものが無意識的なものであるが、一度だけ意識から追放すれば、それは無意識的なものになってしまい、再び意識に現れないと言う意味ではない.いくら払いのけても衝動のある限り、抑圧によって衝動は抹殺されてしまうわけではないから、耐えられるものは意識に現れてくる.だから絶えず抑圧のためにエネルギーを消費することになり、疲労せざるを得ない.この不経済なエネルギーを消費しなくてもすむように抑圧を完成するためにはさまざまな心的過程を仮定する必要がある.例えば、検閲という過程によって耐えられないものは、許容しうるものに変えられてしまうというものである.こうした抑圧の考え方の中で最も重要なものは原抑圧である.これは、意識的に耐えられないものを排除する抑圧より以前に既に原抑圧が起きており、無意識的なものがつくられ、その無意識的なものが耐えられないものをひきつけようとすることを意味している.この意味でふつうに抑圧とよばれるものは、後抑圧とよばれる.原抑圧というものがどんなものか、フロイトは必ずしも明白ではない.ラカンは「象徴的なものをつくりあげる端緒」とみなし、原抑圧が起きる以前に意識から排除しなければならない経験をすることから精神病が理解される.いずれにしても、抑圧がどんな心的過程であるかは、抑圧が完成されず、無意識的なものが意識に現れるときである.抑圧されたものが症状として現れるだけでなく、日常生活においても、言い間違い、思い違い、過ち、夢などに現れることをフロイトは示している.

■自由連想 free association

フロイトによって始められた心理療法の技術.(手法自体はゴルトンが最初に報告している)フロイトは、最初催眠による治療を試みたが、期待したほどの効果を得られず、催眠に代るものとして自由連想を始めた.すなわち、催眠中に与えられた暗示を被催眠者はすべて思い出すことができるが、それらが催眠中に与えられた暗示であることを知らない.こうした事実を基にしてフロイトは患者に心に浮かぶことを、どんなつまらないことでも、言いにくいことでも残らず思い出すようにさせた.こうして自由に思い出させると、その中に症状の元になっている心理的葛藤に行き当たることを見つけた.しかし、経験を積むにつれて、自由に思い出すことは非常に困難で、自由に思い出すことを妨げている諸条件こそが明確にされるべきものと考え、精神分析という用語が使われるようになった.しかしこれは自由連想が技法として無価値であるということではない.

■ヒステリーと幼児期の性的虐待とエディプス(オイディプス)・コンプレックス

 フロイトはブロイアーの患者アンナの症状は、性欲と関わりがあることをはっきり見抜いた。まず、「水が飲めない症状」の原因を疑った。意識に現れた原因「犬がコップから水を飲んだ」ことの他に原因があるのではないかと考えたのである。原因を遡れば真の原因に辿り着くと考えた。

 まずフロイトは、複数の女性患者が同じ告白をすることを発見しそれに注目した。

 フロイト「分析によって明らかにされる連想記憶の連鎖をたどっていくと、、、、、最後には必ず性的体験の領域に到達する。その性的体験とは、『早すぎる性的経験』である。」−父親もしくは身近な男性からの性的虐待

 しかし、フロイトは次第に患者の告白を疑り始めた。そしてそれまでの主張「ヒステリーの原因は幼児期の性的虐待である」という「誘惑理論」を放棄するにいたった。−性的虐待は患者の空想である

 「その空想をどうして患者たちは抱くのか」⇒「異性の親への愛情」⇒「その愛情は普遍的なものである」

 こうしてまとめたのがフロイトのエディプス(オイディプス)・コンプレックスの理論である。

  −幼児が同性の親を亡くして、異性の親と結ばれたいという欲望とこの欲望をめぐる心の葛藤−

 男の子の場合−男の子は母親と結ばれたいと思うが、女児にペニスがないことを発見し、去勢されたに違いないと推測する。そして、母親を愛すると自分も去勢されるかもしれないという不安に駆られる(去勢不安)。したがって、母親への愛情を断念する。また実際にマスターベーションを親に見つかって『そんなことをしていると、おちんちンを切るよ』といわれ、去勢不安を募らせる。父親から罰せられるかもしれないという恐怖心は、やがて超自我となり彼の心に住み続ける。

 女の子の場合−女の子は既に自分が去勢されてしまっていることを発見する。それはペニス羨望を抱かせる。そして、自分をそのような「不完全な」形に産んだ母親を恨む。母親も同じだと築いた女の子は、父親に愛情を向けても、母親を恐れはしない。やがて思春期には、母親と和解し、父親離れをする。すなわち男性との結合の観念を受け入れるようになる。

■無意識と多重人格

 フロイトが催眠術から学んだのは「人間の心の中には自分でも知らない部分がある」ということ、すなわち「無意識」である。その中には別の人格(自我)が潜んでいる場合もある。それが表面に現われた場合を多重人格という。

 「フロイトにとって無意識を仮定することは必然的であった。なぜならわれわれが日常的に経験する動機の不明瞭な思いつき、途中の経過が不明瞭な思考の結果(ひらめき)、ちょっとしたいい間違い、書き違い、夢、神経症の症状、これらはすべて、『意識に上らない他の作用を前提としない限り説明がつかない』のであり、『無意識をそこに挿入してみると、これらの意識されたはたらきは、はっきりした関連のもとに秩序づけることができる』のである。」

 フロイト「無意識に直接アクセスすることは不可能だ」

■無意識 unconscious(Ucs)

無意識的という形容詞としての用法は、意味が広い.自動的、機械的で意識されないこと、注意の範囲を超えているために気づくことのできないこと、思い出すことのできないことを意味する.意識されないものをすべて無意識的という.フロイトの場所論(topographical viewpoint)によると、心的装置は、意識系、前意識系、無意識系のそれぞれの系からなり、名詞的に使われる.無意識の内容をなすものは、意識に入り、とどまることのできない抑圧された観念である.この意味では、無意識は抑圧されたものと同義になる.しかし、抑圧は系統発生的に考えられるところからいえば、抑圧されたものと言い切れないところもある.後年になって、心的装置は、イド、自我、超自我の系として考えられるようになるが、ほぼ無意識はイドに対応する.しかし、自我、超自我は前意識、意識に対応するものではない.無意識は現実に対する配慮を欠き、快‐不快の原則にしたがう系として考えられ、抑圧された観念は相互に自由に置き換えられ、圧縮されたりするし、時間を持たず、破壊されるものでもなく、一次的過程としての特質を持っている。これを比喩的にいえば、抑圧された観念の結合によってつくりあげられる空想的小説の筋書きとしての骨子をつくりあげているものである.ユンクにおいては、個人的無意識と集合的無意識が区別され、無意識は

創造的活動の母胎をなしていると考えられる.いうまでもなく、無意識は直接に観察されるものではなく、症状や夢を手がかりとして構成されたものである.その意味で夢は無意識を知るための王道であるといわれる.

■夢、夢の仕事、夢の分析

 夢に対する関心は古代からあり、夢のカタログも古代からあった。

 「洞窟や器は女性の象徴である」−アルテミドロス『夢の書』

 フロイトは、夢のカタログを作ることよりも、「夢の潜在内容」を「無意識的欲望」と結びつけて、「夢判断」をした。夢の解釈は、夢を出発点とした自由連想によっておこなわれる.フロイトは、「夢を生産するのは、無意識的欲望である」といっていたが、すべての夢が欲望充足の夢であるはずもなく、後年、「夢理論」を修正し「反復強迫」の概念を導入した。 『夢判断』公刊(1900年)以来、フロイトの夢分析の研究は、精神分析の基礎的資料として使われるようになった.基本的には抑圧された願望を充足させ、覚醒によって睡眠を中断させないようにする機能をもつものと考えられた.これに対して、1953年以来、クライトマンの指導する睡眠の研究によりREMSの発見以来、夢の実験的研究が行われるようになり、夢の研究は大きな飛躍をしてきた.ふつうわれわれが夢とよんでいる視覚的表象はREMSにおいて見るものであり、入眠時、あるいは覚醒時に見る視覚的表象、あるいはNREMに見る夢とは区別されている.こうした研究からいえば、フロイトの夢の理論はそのまま実験的に確証しうるものとは考えられない.

■夢の仕事 dream work

無意識的な思考法は、フロイトのいう一次的過程で、現実での合理的・意識的な思考様式とはかなり異なる.

さまざまな思想内容が圧縮されたり、置き換えられたりする.

例えば、

A,B,Cの3人の特徴がAに凝縮され、A

はBのような着物をつけ、Cのような言葉遣いをしたりするようなものである.こうした一次的思考様式は漫画などにも使われている.置き換えは、父を憎んでいるときに、父親の洋服を汚すというように、部分的表現によって全体を暗示しようとするものである.さらに潜在内容は、以上のような夢の仕事によって視覚的、あるいは聴覚的イメージに変容されるが、それらのイメージは個々ばらばらで統一性をもっていない.これをまとめ、一つの物語につくりあげるのが、二次的加工(改訂)(secondary elaboration)である.

■夢の分析 analysis of dreams

精神分析においては、自由連想の分析と同時に夢の分析が行なわれる.思い出された夢の順序に従い、個々の内容について自由連想をしていき、夢全体の統一的な解釈が行われる.しばしば象徴的解釈が利用される.

例えば、

ナイフ、鉛筆などのように尖ったものは、男性性器を象徴することから、.そこから夢の解釈は容易になる.しかし、常にとがったものが男性性器を象徴するとはかぎらない.個人の過去経験のいかんによって、その象徴的意味も異なるので自由連想によって意味は明らかにされる.

■性欲の変遷

 フロイトのいう「幼児性欲」の概念は、非常に顰蹙を買った。なぜなら、それまでは思春期以前の子どもは無垢で、性的なこととは無縁と考えられていたから。

 フロイト「そのような非難は、『性的』と『性器的』の混同に基づいている。思春期以前と以後では同じ性欲でも意味が違う。けれど、幼児が性欲を抱くことは変わりない。幼児は多形倒錯的である。性感はまだ性器に集中しておらず、性感帯は体中に拡散している。それがまず口唇周辺に集中する。母親の乳房を吸っている段階である。ついで肛門に集中する。これはトイレットトレーニングの時期に重なるが、この磁気に自我が形成され、サディズムはこの時期に起源がある。男根期にいたると、男根の有無が重要な意味をもってくる。それまで母親との双数関係にあった子どもは、父-母-子という三角関係の中に自分を位置づけ、女児は自分の持っていない(失った)男根を持っている父親に欲望を向け、男児は母親を自分のものにしたいと願い、父を敵視する。かくしてエディプス・コンプレックス状況が生まれる。去勢不安によって、エディプス・コンプレックスは外見上は解消され、潜伏期に入る、やがて性器期にいたって、性欲は性器の優位のもとに統合される。」

■性的倒錯 sexual pervesion 

幼児は性的に分化していないため、性的欲望は不定で多面的であり、特定の対象と特定の目的をもたない性的関係が結ばれるとみなされ、成長してもこの傾向が保たれていることを性的倒錯という。性的倒錯は、この幼児的願望を満たそうとするものであるのに対して、神経症はその願望を退けようとするものであるとフロイトは解した。性的倒錯とみなされるものは、相手に攻撃を加えて苦しめることによって満足をえ得ようとする加虐性愛、自分を苦しめることによって満足を得ようとする被虐性、同性愛、口唇と性器の接触を求める口腔性交、肛門による性行為、動物との性行為、子どもとの性行為によって性的満足を求める愛童症、動物愛玩症などがある。

■自我とエス

 人間の心がどんな構造をしているのか、フロイトは考えた。その初期においてフロイトは、意識と無意識を考えた。次に提唱したのが「自我」と「エス」の「二元論」である。エスとはニーチェに由来する概念で、「自分のなかにはあるが、自分とは考えられず、『それ』としか考えられない部分」である。フロイトのいうところのエスは「もろもろの欲望から来るエネルギーで充満しているが、いかなる組織ももたず、いかなる全体的意志も示さず、快感原則の厳守のもとにただ欲動欲求を満足させようという動きしかもっていず、エスは混沌であり、沸き立つ興奮に満ちた釜」である 自我はエスと闘い、妥協し、あるときは優勢に立ってエスを従属させ、あるときはエスに振り回される。「自我のエスに対する関係は、奔馬を統御する騎手」みたいなもの。但し、自我はそれを意識的にするわけではない。自我は自分のしていることを知らない。例えば、抑圧。自我はそれを意識すると苦痛や罪悪感をおぼえるような観念や記憶を抑圧してしまうが、自分では抑圧したことを知らない。抑圧の他、否認(知覚した現実を現実として認めない)、分離、反動形成、取り消し、同一化、投影などの「防衛メカニズム」を駆使しながら(繰り返すが、あくまでもむ無自覚的に)、自分の身を守って生きていく。(フロイトの死後末娘アンナはこの自我の防衛メカニズムの研究を進めた-自我心理学)

■自我 ego

自我という概念は、最も広範囲にわたる意義を持ち、根本的には、人間とは何かという問題に答えようとするときの中心的な概念である.したがって、自我をどのように考えるかが、心理学の理論の基本となる.生物学的、行動主義的な研究者は、自我という概念はあまり用いず、個体とか人という概念を使い、人間を社会的存在としてみようとするときは、役割、態度という概念を重視する.精神分析的、哲学的な理論を組み立てようとする人たちは、好んで自我という概念を使う傾向がある.しかし、自我の概念は一様ではない.もっともあいまいなのは自我と自己の概念である.もっとも一般的には、自我は主体とみなされ、自己は客体とみなされる.これは、見る自分と見られる自分、反省する自分と反省される対象となっている自分を区別するものである.経験される対象となっている自己のことを現象的自己という.この意味で経験する主体としてのは超越的自我といわれる.自己については感じ、知ることができるが、自我については知ることができないことを意味している.しかし、自己と自我がいつもこのように区別されているとは限らない.同じ研究者でも、自我を全く違った意味で使うことがある.フロイトの場合、自我衝動というときの自我は生物的個体の意味をもち、自我リビドーというときは客体に対する主体の意が強い.しかし、場所論で超自我とエスに対する意味で自我という用語を使うときには心理的機能のことを示している.自我の形成、発達についてもあいまいである.あるときにはエスが発達的に分化して自我が考えられるかと思うと、同一視によって自我が形成されるとも考えられる.レヴィンにおいては生活空間があたかも自我であるかのようにみなされるが、その上に自我が追加され、理論的には不明確な概念となってきている.このような混乱が起きてくる根拠は、基本的に主体と客体とを分けて考えようとするところにある.そこでもともと主体と客体の区別はなく、主体は客体であり、客体は主体であるという考え方がつくられる.ラカンの鏡像段階の概念はこうした考え方を端的に示すものであり、フロイトの同一視の考え方を展開したものといえる.自我はイデオロギーの産物に過ぎない幻影とみなされる.(幼児期や思春期にはイドの衝動が強く、自我はあまり強くなっていないので、イドや超自我との間に葛藤が生じてくる.アンナ・フロイトは特に自我の防衛機能について論じ、フェレンツィは自我の発達について詳細な記述を試みている.ハルトマンはフロイトが不明確なままに残していた自我機能を明確にしている.すなわち、フロイトは前述の自我の意識的機能については初期に簡単に触れただけで−夢の分析−それ以後あまり普及しなかった.そのため、自我はもっぱら不満や葛藤から形成されると考えられやすかったが、葛藤とは関係なく自立的機能を持っていることを強調している.この考えは、ピアジェなどの知的発達の考えと軌を一にするものである.

■エス(Es独) イド(id=it)

グローデックによって導入された精神分析の用語.外国語の三人称の代名詞には、雨が降るというとき it rain というように、雨を降らせる主体の意味がある.考えると言うとき es denkt in mir のようにエスが考える主体として使われる.こうしたことから、sん認証の代名詞(ラテン語でイド)は行動を起こさせるものを意味するようになった.フロイトは人の全体構造を考えるとき、それを三つの部分、すなわち

イド、自我、超自我

に区別し、

イドは全く無意識的な心的エネルギーの源泉と考えた.本能的衝動と呼ばれるものは、このイドの重要な部分である.

このほか幼児期の体験から作られてきた願望も総べて含まれる.

■トーテムとタブー

 フロイトは個人の心理から集団の心理へ、さらには人類全体の心理学へとその理論を広げた.

 「原初、人類は一人の独裁的な家長に支配される小さな部族単位で生活していた。部族内の女性はすべて家長が独占していた.ある日、息子たちが団結して反乱を起こし、父親を殺して食べてしまった。だが彼等は父親を憎むとともに愛してもいたので、その後、罪悪感に苛まれ、トーテムを殺すことを禁じ、自由の身になった女たちを自分のものにすることを自ら禁じた。かくしてタブーが出来上がった。タブーの裏には父親殺しと母親の征服という二つの根元的願望がある。

 この原父殺し」は、人類最初の犯罪として人類の歴史にぬぐいがたい痕跡を残し、あらゆる文化に浸透している。この原父殺しは文明の基礎であり、人類はこの犯罪から出発してあらゆる文明をつくりあげた。」

 ※フロイトのこの仮説は、現在では空想小説とみなされている。

タブー  taboo

禁忌の意.語源はポリネシア、ミクロネシア、メラネシアの言語にあり、探検家クックが英語に導入したといわれる.

語源的には禁じられたもの、触れることのできないものを意味する.トーテミズムの社会に見られる風習で、特定の人、動物を避けること、事物や場所に近寄らないこと、特殊な行為を避け、特定の言葉を使わないようにすること、これらは総べての人に適用されることもあるし、特定の個人にのみ適用されることもある.常時守らなければならないものもあるし、特定のときのみ守らなければならないタブーもある.これを守らないと、災い、危険がその人や社会起きると信じられている.タブーに触れると清めの式が必要となる.文明社会においても類似の現象が見られる.

タブーに基づく真理的葛藤のため神経症が起きる.タブーは触れることのできないという意味で神聖なものを意味することもある.

トーテミズム  totemisim

トーテムの信仰のことを言う.トーテミズムは宗教的信仰を具現するものであったり、魂の危機を救うものと考えられる.あるいは単純に氏族を区別するための記号に過ぎないこともある.

トーテム totem

アルゴンキアン族(北米の土着インディアン)の語で守護神の意味をもつ.彼等の信仰によると、トーテムと呼ばれる動物、植物、自然物(石など)は、自分たちと近親の関係を持っていると考えたり、トーテムを自分たちの先祖とみなしている.ある部族では思春期に薬物による幻想や夢の中に現れるものを個々人のトーテムとみなしている.オーストラリアやアフリカでは氏族のトーテムがあり、それを殺して食べることは禁じられている.氏族の名前や紋章としても使われる。このような信仰はヨーロッパ、アジアでも認められる.頭が動物をかたどった神がそれである.

■幻想の未来

 「幻想」とは宗教−キリスト教(フロイトはユダヤ人だが徹底した無神論者)をさす。フロイト「宗教は幼児期の『よるべなさ』から生まれる。幼児は父親に頼ろうとするが、その父親の代理が宗教」

■欲動とその運命

 欲動=人間を動かすエネルギー

 動物は本能にしたがて生きている。本能とはその種のすべての固体に共通する行動様式である。動物は何も考えなくても生きていける。動物の本能は生まれたときすでに遺伝子に書き込まれている。人間は本能が壊れてしまった。原因は不明。直立歩行をはじめた人間の大脳は爆発的進化した。そのせいかもしれない、はたまた、ネオテニーのせいかもしれない。とにかく本能が壊れてしまった、というのがフロイト考え。フロイトは人間における本能に似たものを「欲動」とよび、動物の本能と区別した。欲動をフロイトは、二つに分けた。

 〔@「性の欲動」&「A自己保存欲動」〕←後に、ナルシシズムの概念を導入

 ∴性欲動には対象に向かう欲動と、自己自身に向かう欲動とがある。しかし最終的には、性の欲望(エロス)と死の欲動(タナトス)の二元論を提唱。

 (死の欲動は新宗教の集団自決や無差別殺人など現代のさまざまな現象を解明する重要な概念である。)

■ナルシシズム narcissism(自己愛)

エコーの愛を拒絶して水面に移った自分の姿に見とれ思いを寄せたナルシスを語源にした造語.リビドーが外の対象に向けられず、自分自身の姿に向けられるもの.同性愛では異性の愛を拒絶し、同姓の愛を求めるが、この同性は自分自身の姿に似たものであるという意味で自己愛に基づく対象選択である.誇大妄想を持つ精神病では、外の対象に向けられていた対象リビドーは、自分に向けられる自我リビドーとなる.もともとは自我リビドーが根源的なもので、

ちょうど下等動物が偽足を出して外の対象と接触し、必要に応じて偽足を体内にしまいこむのと同様に考えられる.

そのため、対象リビドーを内にしまいこんだものを二次的自己愛といい、根源的な自我リビドーにもとづくものを一次的自己愛という.発達的には、自体愛に特別な心的作用が加わり、自己愛に発展すると考えられる.

この特別な心的作用は同一視とみなされる.自体愛においては自我が成立していないが、他者との同一視によって自我が成立することによって、自分の身体でなく自分の自我を愛するようになる.ラカンの発達的段階としての鏡像段階は、この同一視を考慮しようとするものである.自己愛は自分のことだけに関心を示し、他人に対する配慮を欠くてんでは利己主義と似ている.自己愛を傷つけられると激しく怒り、あまり自己愛が強いと羞恥心が強くなる.発達的には、自己愛を喪失することにより、その代理として自我理想がつくられれてくる.

■自我リビドー ego libido

フロイトの用語

神経症の治療から精神病の治療に眼が向けられるとき、精神分析に自己愛の考え方が導入され、リビドー自我リビドーと対象リビドーに分けられる.自己愛においては、まずリビドーは自我に付着しているものと考えられる.これを一次的自己愛とよぶ.すなわち、リビドーはまず自我に付着しており、後になって対象に向けられる.これを対象リビドーという.対象に付着していたリビドーが再び自我に向け変えられたときは、二次的自己愛が起きると考えられる.

これは精神病の誇大妄想、ヒポコンデリーなどに顕著に見られるものである.

自我リビドーが大になれば、それだけ対象リビドーは小さくなる.

対象リビドーが大きくなれば、それだけ自我リビドーは小さくなる.

フロイトの理論構成から言えば、字がリビドーと自我衝動は全く異なるものであるが、自我という概念の曖昧さから、混同される危険性がある.自我がリビドーの貯蔵庫であるかのように述べられることもあるが、さまざまな誤解の元にもなる.

■エロス eros

ヘシオドスによって最初に記載された最古の最も強大な神.無秩序の中から調和のとれた秩序を作り出す.その後、性的な愛の神とみなされ、献身的、非性的な愛アガペー(Agape)あるいはカリタス(Cartas)に対立するものとみなされる.フロイトの後期の衝動論では、エロスは死の衝動に対立するもので、性的衝動よりも包括的で自己保存の衝動をも含めた意味で考えられる.


フロイトの患者たち

■ドーラ

 ドーラは当時18歳(フロイト44歳)の女性で、フロイトに分析治療を受けたが途中治療をやめた患者である。

 ドーラはブルジョアの娘で両親と兄と暮らしており、家と親しくしていた。彼女の症状は16歳のときから始まった。いわゆるヒステリー性の“咳”であった。咳が直ると“声が出なくなり”“鬱状態”に陥り“自殺願望”まで抱くようになった。ドーラはK氏からセクハラを受けており、ドーラの父親はKの妻と不倫関係にあった。ドーラ。『父がK婦人との関係を続けるために、自分をK氏に差し出したのだ』と考えていた。フロイトはドーラのヒステリー症状を“Kしへの淡い恋心”“父親への近親相姦的愛情”“K婦人への同性愛感情”などから分析した。しかし、3ヶ月足らずでドーラが一方的に分析をやめてしまった。フロイトは『私の解釈を受け入れない憎らしい娘め』と書いている この頃のフロイトはまだ、精神分析家としては未熟で、転移、逆転移を理論化する以前だった。ドーラの分析の失敗を通じ、分析治療の技法を確立していったということである。

■小さなハンス

 ハンスの分析は、彼の父親(マックス・グラーフ,音楽学者)を通して行なわれた。

 ハンスは5歳のとき、『馬に噛まれるから』と言い、外に出るのを恐がるようになった(馬恐怖症)。また荷馬車を引いている馬が倒れるという恐怖も抱いていた。精神分析の信奉者である父親は、「ハンスは大きなペニスを恐がっているのだ」と解釈したが、フロイトは「ハンスは自分のペニスを失うのを恐れている」と解釈した(去勢恐怖)。『馬に噛まれる』という少年の恐怖は、父親から罰せられることへの恐怖が転換されたもの(その父は髭をたくわえており、馬に似ているとフロイトは思った)である。どうして父親に罰せられるのか。それは少年が母親に対して性愛感情を抱いているからで、『馬が倒れる』というのは父親の死に対する願望のあらわれである。

 こうして、エディプス・コンプレックスの理論ができあがっていく。

■ねずみ男

 ねずみ男の分析は、治療が成功した唯一の事例といわれている。

 彼は治ったものの、第一次大戦で戦死した。

 ねずみ男とよばれる(フロイトが呼んだ)強迫神経症患者は、当時29歳の法律家で、自分の父親と自分の愛する女性の身に恐ろしいことがおきそうだという恐怖におびえていた。また誰かを殺したいという衝動と、剃刀で自分ののどを書ききりたいという衝動に苦しめられていた。さらに、小額の借金を返すべきかどうかという問題をめぐって死ぬほど悩んでいた。彼は性的には早熟で、6歳のときすでに、女性の裸を見たいという欲求を抱くと父親に不幸が降りかかるという強迫観念に苦しめられていた。29歳になってもその強迫観念に苦しめられていたのだが、そのとき父親はすでに亡くなっていた。

 “ねずみ男”とフロイトが呼んだひとつの理由は、『鼠刑のはなし』が頭から離れないという患者の訴えから。(鼠刑とは、在任の尻の上に鼠の入った鉢をかぶせるというもので、鼠は出繰りを探して肛門を食い破って内臓の中に入り込むという。)彼の強迫観念の核はこの鼠という象徴であったことをフロイトは指摘する。

 フロイトは、父親の身を案ずる気持ちが実は父への愛情だけでなく、実は父親の死を願う気持ちのあらわれれであることを明らかにした。∴ねずみ男は治ったのである。

■シュレーバー

 パラノイア患者シュレーバーは『ある神経病患者の回想録』(妄想)を出版した。主レーバーは神から世界を救うという任務を与えられたが、その任務を遂行するには女性に転換することが必要であった。

 フロイトはこの妄想を分析した。

整形外科医であり著述家、教育改革者を父に持つシュレーバーは、幼い頃より厳格な父に厳しく育てられた。彼は最高裁判所の判事にまでなったが、精神病院で10年以上も過ごした人物である。回想録の中で重要な意味をもつのは太陽、その太陽は父親の象徴である。フロイトはシュレーバーの妄想の根に父親に対するアンビヴァレンツと、女性になって男性を愛しまた男性から愛されたいという“同性愛”感情があることを突き止め、この回想録が「回復・再建の企て」であることを明らかにした。

■狼男

 ロシア人貴族のセルゲイ・パンケーエフで、1909年末にフロイトのもとへやってきた。

 彼の分析は4年以上続いたが、フロイトによって打ち切られた。彼は結婚できるほどに回復したが、完治はしなかった。彼はロシア革命ですべての財産を失い、第一次大戦後にまたフロイトのもとを訪れ経済的援助をうけた。彼は生涯フロイトを敬愛した。彼はフロイトの患者であることが自慢であった。

 狼男と呼ばれるのは、彼の夢による。−3歳のパンケーエフは窓際で寝ていた。窓がひとりでに開いたのでおそるおそる外を見ると、大きな木の枝に6,7匹の狼が座っていた。彼は食べられてしまうのではないかという恐怖に駆られ、悲鳴を上げて目を覚ました。

 この幼児期の一件から、彼は神経的な性行動−後背位性交を好み、ヒップの大きな女性を好み、身分の低い女性を求める−に走った。フロイトは狼の夢の背後に、衝撃的事実があることを確信し、彼は1歳半のときに両親の性交を目撃したに違いないと解釈した。そして両親は3回続けて性交し、うち1回は後背位で交わったと結論した。

 1920年代半ばに、パラノイア的な症状を呈し、ブルンズヴィックの分析を受けている。

■考古学と精神分析

 フロイトが古代遺物の蒐集を始めたのは父親の死後だった.

リン・ガムウェイ-研究者曰く

 「フロイトはエジプトやギリシャに自分の父=祖先=ルーツを求めた?!」

 「フロイトが蒐集を始めたのは、フロイトが同業者たちから最も阻害されていた時代で、彼は彫像たちを並べて自 分の(沈黙セル)聴衆に見立てて、自らの心を慰めていたのではないか」

 フロイトはつぎのようにいっている.

 「『ヒステリー研究』のなかのR嬢の事例は、私が手がけた最初の完全なヒステリー分析であったが、これによって私は一つの処置を発見した.私は後にそれを〔精神分析治療という〕ひとつの治療法まで高め、目的意識をもってそれを駆使するようになった.その処置とは、病因となる心的素材を順次に層ごとに取り出して処理する方法で、われわれは好んでそれを古代の埋没都市の発掘技術にたとえたものだ.」

 「精神分析家と言うものは、発掘に取り組む考古学者と同じく、一番深いところにある最も貴重な宝物に到達するには、患者の心の層を一つ一つ掘り起こしていかなければならないのだ」と狼男に語った

 ※精神分析の考えでは、神経症の原因は全て幼児期の体験にある.したがって精神分析治療とは、現在の状態、すなわち症状から出発して、考古学者がいくつもの地層を掘り起こしていくように、心の層をひとつひとつ掘り起こしていって、症状の原因である幼児期の体験を探り当てる作業なのである.

■転移(感情)sference

心理治療が進み、患者が治療者に対して自分の不安や希望などを自由に話すようになってくると、患者は幼児期に親などに対して抱いていた無意識的な感情や葛藤を治療者に移すようになってくる.すなわち、患者は幼児期の葛藤を治療者との関係で現実的に再経験することになる.心理治療が成功するか否かは、こうした関係がつくられるか否かにかかっている.この転移的関係が起きたとき、患者は転移神経症になっているといわれる.患者が治療者に感情・態度などを転移するとき、正の転移と、負の転移が起きる.正の転移は患者が治療者に行為や愛情を抱くときである.

このとき、患者は自由に話し、信頼を示し、治療者により沿うように近寄り、夢の中に治療者が現れたことを報告し、身だしなみを良くするようになり、他の患者に嫉妬を抱いたり、症状が急になくなったりする.負の転移が起きるときには、患者は治療者に敵意を示し、治療が伸展しないことをこぼしたり、治療者を非難したり、不誠実だといってなじる.自由に話すことができず、夢を思い出して話すことも少ない.時には治療を中止せざるを得ない状態にもなる.このような負の転移が起きるのは、治療者が性急に、患者にとって非常に苦痛な事件などに言及したり、それを話させようとするからである.治療者は、最初、患者に対して好意を持っていても、治療が進むにつれて、好意が次第に薄れ、敵意が増大し、患者と面接するのが嫌になってくることがある.これは反対転移とよばれるものである.これらの転移的感情は、治療場面のみで起きるとは限らない.日常生活においても起きている.

■転移神経症

フロイトが最初に転移神経症という用語を使ったときには、精神分析によって治療できる神経症(ヒステリー、不安ヒステリー、強迫神経症)を総括した意味をもっていた.現在では治療中に患者が分析者に感情を転移するときのことをいう.

■転移抵抗

分析を受けている患者が点意中に現れようとする感情や衝動のあるものを抑圧しておこうとする傾向のこと.患者は、例えば、親に対する以前の感情を分析者に転移しているが、その転移感情の中には、今でも受け入れがたいものがあるから、それは抑圧されなければならない.例えば、女性の患者が男性の分析者に対してやきもちをやくのは、彼女の中に父親に対するエディプス・コンプレックスがあって、性的な関心をあらわに表出し得ないからである.

■精神病 psychosis

一般に精神障害を大別して、神経症と精神病に分ける.神経症は障害の程度が軽いが、精神病は、その程度の重いことをいう.神経症と精神病の教会を診断的に明確にすることは必ずしも容易ではない.幻覚や妄想があるから精神病(分裂病)であるというように、単一な症状からは診断できない.精神病は、器質的障害によるものと機能的障害によるものとに大別される.前者は梅毒性の進行麻痺、脳腫瘍、動脈硬化症などに付随して起こる精神病である.後者は、感情的障害を主とする躁鬱病、思考様式に障害のある分裂病、妄想症などである.一般に機能障害は体質的・心理的要因によって起こるとされているが、遺伝や神経内分泌などの影響についてもさまざまな研究が行われている.

フロイトは神経層と精神病の違いを次のように理解した.

「神経症」

衝動(イド)が抑圧されるとき、抑圧された衝動は意識に浮かび上がろうとする.このとき自我はその衝動が元のままの姿で意識に浮かび上がらないように歪曲し、防衛をする.これが症状となって現れるとき神経症となる.

「精神病」

現実との接触が遮断され自己愛に留まっているが、失われた現実を取り戻そうとするとき、衝動があまりに強大で自我の防衛を圧倒してしまい、衝動と現実が衝突し、現実を歪曲するか空想的に破壊するよりほかになくなっているものと考えている.

■神経症 neurosis

神経症は精神神経症と現実神経症に区別される.

精神神経症−恐怖症、強迫神経症、ヒステリーなど

現実神経症−不安神経症、神経衰弱など

もともと神経症は現実神経症のことを意味し、生理的な機能障害(自律神経、神経内分泌)に由来するものと考えられていたが、今日では神経症と精神神経症は、ほとんど同じ意味で用いられる.

■パラノイアparanoia(妄想症)

語源的には理性からはずれているの意.

1863年カールバームが被害妄想や誇大妄想などを記述するとき使用した用語.

妄想症は徐々に発展し、強固に組み立てられ、変えることのできない論理的に体系化された妄想を持つ重い精神障害である.妄想的な信念を持っているほかは、一般には顕著な異常はないが、その妄想のため思考様式は大きな障害を受けている.しかし妄想症と診断される患者はまれで、妄想症に類似の妄想性反応を示すものが多い.病因としては、心理的に高い野心を持ちながら失敗するため、罪悪感を持ったりする場合、例えば、親があまりに高い望みをかけ、権威主義的で厳格な場合など、その子は妄想症的傾向を発展させていく.また、異性の親を過度に同一視した子どもなどが、この傾向を示すようになる.この防衛機制はフロイトによって示されているように、投映が中心をなしている.

■妄想 delusion

事実に即さない誤った信念.ある程度までは誰でも妄想を持つことによって人格的な安定を得ている.不安に対して自分が強大な力を持っているような妄想は、英雄物語やおとぎ話などに一般に見られる.これらは自分の願望を満たすように事実を歪曲して情緒的安定を得ようとするものである.であるから、妄想は理性的思考によって支配されているのではなく感情によって支配されている.妄想症は体系的に汲み上げられた妄想を持っているが、これは論理的ではなく、感情に支配された防衛である.一般に欲見られる妄想は、誇大妄想、被害妄想、関係妄想などである.これらの妄想は外の世界に対して攻撃的であるが、自分自身に対して攻撃的になると、抑うつ的妄想が起きる.例えば、自責、罪、貧困などの妄想である.

■妄想的人格 paranoid personality

この人格の顕著な特性は、頑固で嫉妬深く、他人に対し疑い深く不審の念を持ち、挑戦的・攻撃的で、妥協を知らない.成功心が強く、自分の能力を超えた目標を追求する.批判を受け入れないか、他人を批判し、軽蔑する.自分の優れたところを顕示しようとする.権力の座につけば専制的になる.防衛機構としては投映を利用しやすい.例えば、

わたしは彼が憎らしい、という代わりに、彼はわたしを憎んでいるから、たしが彼を攻撃するのは正当であるというように、自分の敵意や攻撃を他人にかぶせる.こうした人格的特性は、これ以上に発展しない限り、病的とはいえない.が、抑圧された同性愛などがもとで精神病にも発展する.また、科学や芸術などで貢献するような仕事をしうることもある.

■フロイトとユング

深層心理学のパイオニアであるユングは、1875年貧しい牧師の息子としてスイスに生まれた.幼い頃から空想に耽り、白昼夢も見ることがあったらしい.ユングは心霊現象の研究で学位を取得し、1900年にチューリッヒの精神病院に勤めた.そこで院長をしていたのが、分裂病の研究で知られるオイゲン・ブロイラーであった.(精神分裂病、アンビヴァレンツ-相反感情併存、自閉症などは彼の造語)ブロイラーにフロイトの『夢判断』を読んで他の医師に説明するように命じられたユングは、深い感銘を受け、他の論文も読み漁り、フロイトの考えを自分の研究に取り入れた.『早発性痴呆の心理学』(1906年)ではフロイトを引用し、賛辞している.1906年ユングは自分が執筆・編集した論文集『診断学的連想研究』をフロイトに送った.この本は、フロイトの自由連想方を実証的に裏付けるもので、フロイトはユングに礼状を送った.同年、フロイトは神経症理論に関する論文集をユングに送った.その礼状の中でユングは「わたしはフロイトの擁護者であり精神分析の伝道者です」と宣言した.こうして二人の交友は始まった.翌年ユングはフロイトを訪ねている.(そのとき、二人は13時間も話し続けたらしい.)ユングはフロイトを父親のようにしたい、フロイトはユングを息子のように可愛がった.フロイトはユングを精神分析運動の後継者にするつもりでいた.しかし、ウィーンにはすでにフロイトの信奉者たちのグループができており、1910年に国際精神分析学協会が設立されたとき、フロイトはユングを初代会長に就任させたものだから、ウィーン派とチューリッヒ派の対立は激化し、ユングは協会から脱退してしまった.

=1909年のエピソード=

この年、フロイトとユングはアメリカのクラーク大学から講演依頼を受けた.(フロイトは聴衆からもマスコミからも大歓迎を受け、将来、精神分析がアメリカで栄えることを予感させた.)

出発の前日、一緒に食事をしたとき、

ユング「北ドイツの泥炭地帯で先史時代の人が発掘された」

フロイト「どうして君は、死体にそんなに興味を持つのですか?」と気絶、、、「君があの話題にこだわるは私の死を望んでいるからだ」

この旅行の間中フロイトとユングは毎日行動をともにし互いの夢を分析しあった.

ある夜ユングは次のような夢を見た.

「彼は古い家の二階にいた.その部屋には見事な家具があり、すばらしい絵が壁にかかっていた.下へ降りていくと、もっと古い家具があった.彼は家中を探検してみようと思った.床を調べてみると石でできていた.ある一枚の石板に環がついていてそれを引くと医師板が持ち上がり、階段が見えた.それを降りていくと岩の中にくりぬかれた洞窟があり、そこには骨や壊れた陶器が散らばっていた.原始文化の名残であった.そして人間の頭蓋骨がふたつあった.」

フロイトはこの夢を聞いて、その頭蓋骨が誰のものかということに興味を持った.

フロイト「ユングはその頭蓋骨の持ち主に対して死の願望を抱いているのだ」

ユングはそれは、全くの的外れだと思った.「夢の中に出てきた家は心のイメージであり、二階は私のイ意識、一階は個人的無意識、地下は集合的無意識なのだ.頭蓋骨は人類の祖先のものであり、死の願望とは何の関係も無い」

またフロイトの見た夢について、ユングは、フロイトの私生活のことももっとはなしてほしいと願った.しかし、フロイト「そんなことしたら、私の権威が危うくなってしまう」と、、、

ユング「フロイトは個人的権威を心理よりも上においている.」とフロイトに幻滅、、、

=神秘主義、オカルトについてユングが聞いたとき=

ユング「神秘主義やオカルトについてどう考えるか」

フロイト「戯言だ」

-ユングは自分の横隔膜が真っ赤に焼けた鉄のように感じた.その瞬間、二人の近くにあった本箱の中で大きな爆裂音がした.二人は『びっくりして立ち上がった.

ユング「これがまさに超常現象ですよ」

フロイト「ばかばかしい」

ユング「いいえ、あなたは間違っている.私の言うことが正しいことを証明するために、

しばらくするともう一度さっきと同じ爆裂音がするはずです」

-ユングの言うとおりであった.フロイトは精神分析運動の指導者の地位を奪われることに脅えていた?!

、、、、、のだろう、、、、というのがユングの分析だった、、、

そして二人は決別

ユングは、フロイトの「人間の無意識的欲望は総べて性的なもの」という主張に賛成できなかった.

ユング「心的エネルギーは、もっと広く一般的で『生命力』というべきもので、性欲はその一部にしか過ぎない.

そして、フロイトのいう無意識の下方にはもっと重要な層-『無意識集合的』がある」

フロイトと決別したユングは精神的危機に陥り、そこから抜け出すのに数年かかったそうな.

(フロイトと決別した弟子たちは、ほとんど例外なく精神的危機に陥っている.

ライヒは精神病に、タウスクは自殺した)

=フロイトと文学=

若い頃は、シェークスピア、ゲーテ、をはじめ、ギリシャ・ラテンの古典にいたるまで読み漁った.

が、同時代の文学、特に前衛文学には何の興味も示さなかった.

晩年は、推理小説が好きだった。

 お気に入りはシャーロックホームズやアガサ・クリスティなどで、大抵は一晩で読んでしまった。

 家政婦

「先生はほとんどいつも犯人が誰だかわかっていましたが、もしそれが違っていると、たいそうお腹立ちでした。


■日常生活で、私たちは人の名前をうっかり間違えたり、文章を書き間違えたりする。そんなとき、ほとんどの人が「何故、まちがえたのか」を深く考え込んだりしない。しかし、フロイトはそうした“うっかり”の理由を考えた。

 あるときフロイトは、自分の持っていた宝石を友人にプレゼントすることにし、それに添えるカードを書いた。ところが、fur(ウムラートが出ませんが、・・・・のために)と書くべきところを、bis(・・・まで)と書いてしまったそうな。これについてフロイトは、「furの繰り返しを避けるために別の言葉を用いたのだ。なぜ、bisという全く意味の違う言葉を用いたのかというと、これはドイツ語ではなく、ラテン語のbis(もう一度の意)であり、同じ語を用いてはいけないという意識があった。」この解釈を聞いた娘は「お父さんが避けようとしたのは単語の繰り返しではなくて、行為の繰り返しじゃないの。前に同じ女性に同じものをプレゼントしたことがあるのでは?!」と指摘した。この指摘を受けてフロイトは「私はその宝石が気に入っていて、本当は贈りたくなかったのだ」という結論に達した。

 フロイト流にいえば、ちょっとした失敗も、多くの前提や力動的な決定要因によってなされるのである。


                           


■フロイトはローマが好きでたびたび訪れ、必ず『モーゼ像』を見に行った。フロイトはその虜になってしまい、それほどの魅力はどこからくるのかを明らかにしたのが、『ミケランジェロのモーゼ像』(1914)。彼はそれを応用分析の雑誌『イマーゴ〕に匿名で発表した。あれほどの自信家フロイトもきっと自信がなかったのでしょう。


 フロイト「ミケランジェロは、あえて聖書の記述に逆らって歴史的・伝説的なモーゼより一段上のモーゼをつくりあげたのだ。そうすることによってミケランジェロは、モーゼ像に何か新しいもの、超人間的なものを織り込んだのだ。この石像の巨大な肉体力に満ち溢れた筋肉の全体は・・・・・人間のなしうる最大限の精神的行為を表現している。」


 ※モーゼはエジプトから民を救い出したのですが、その彼等が偶像(黄金の子牛)を崇拝し、いけにえを捧げているのを見て激怒しました。フロイト以前の美術史家たちは「ミケランジェロは、怒りを爆発させる直前のモーゼを描いた」と解釈していたのです。しかし、フロイトは「ミケランジェロは怒りを鎮めようとしているモーゼを表現しようとしたのだ」と解釈しました。


■フロイトは、精神分析という武器を携えて、謎多き人物−レオナルド・ダ・ヴィンチの謎に挑戦した。(〔ダ・ヴィンチの幼児期の記憶』1910−精神分析的伝記)


 −「どうやらわたしは最初から禿鷹に関わる運命にあったようだ。まだ揺りかごの中にいた頃、一羽の禿鷹が舞い降りてきて、尾で私の口を開き、私の唇を何度もその尾で突っついたのだった。」−レオナルド


 ※禿鷹は鳶の誤訳であることが判明している。


 −フロイトは↑を、記憶ではなく後年の空想だと確信した。「尾は男根の象徴であるから、この場面はフェラチオを表している。なぜなら禿鷹は古代エジプトでは「母」を表す象形文字であった。しかも古来、禿鷹には雌しかおらず、風によって解任すると信じられていたので、キリスト教の伝統では処女懐胎の証拠として盛んに引き合いに出された。レオナルドはそれを知っていたに違いない。禿鷹には召すしかいないということは、レオナルドには父親がいなかったことを意味している。そしてレオナルドは、この母親への愛着から同性愛者になった。しかしレオナルドは性的なことにはほとんど興味がなかった。」−


 −一部の同性愛者は、母親と一体化し、その一方で、自分に似た男を愛の対象に選び、かつて母親が自分を愛してくれたように、その男を愛する。−幼児性欲理論


 ※レオナルドは私生児として3年間過ごし、父親の再婚相手に育てられました。

  そして彼の弟子は美しい少年だけだったそうです。


■『モナリザの微笑み』−その微笑みは「レオナルドの中でまどろんでいたもの、遠い記憶を呼び覚ましたからではないか」