精神分析の要点


「フロイトはかつて、正常な人間として人が健全に行なわなければならないことは何かと問われたときに、即座に「愛することと働くこと Lieben und Arbeiten」と答えたという。」(小此木啓吾『現代精神分析II』誠信書房、1972年、p170)       


重要事項  イド・自我・超自我、防衛機制、エリクソンの発達段階説、マズローの欲求段階説

重要人物  フロイト、ユング、エリクソン、マズロー


(1)知的背景 医学:フランス(シャルコーなど)やドイツ(クレペリンなど)の精神医学

        科学:力学や電磁気学における力の概念、エネルギー保存説

        思想:ショーペンハウアー、ニーチェ、ハルトマンなどの人間の非合理性や無意識を論じた哲学者


(2)重要人物  

○フロイト(1856〜1939)オーストリアの精神科医。精神分析の創始者。ヒステリー患者の根本的治療を模索する開業生活の中で催眠の限界を感じ、リラックスさせた中で自由に心の葛藤を語ってもらう「自由連想法」からなる「精神分析療法」を開発する。神経症患者の談話療法を通じ、エディプスコンプレックス、幼児性欲論にもとづいた発達段階説、イド・自我・超自我からなる心の構成など多くの理論を提唱した。著書としては「夢判断」(1900)の他 、 「精神分析入門」(1917)、 「続精神分析入門」 (1933)、「精神分析概説」 (執筆 1938、刊行 1940) などがある。後年は、精神分析を芸術や宗教、文化にも適用を試みた。彼の理論は、精神医学の領域のみならず、今世紀の芸術・思想・文化に影響を与えた。


○ユング(1875〜1961)スイスの心理学者。精神病、主に分裂病の患者の研究から出発し、言語連想実験によりコンプレックスの概念に到達した。一時フロイトと協力したが、1913年フロイトから離れ分析的心理学を樹立。ユングは心(プシュケ)を意識と無意識に分け、さらに無意識を個人的無意識と集合的(普遍的)無意識の二領域に区分した。この集合的無意識から意識へ取り出される象徴の基礎である元型(アーキタイプ)を仮定し、その代表的なものは、ペルソナ・影・アニマ・アニムス・グレートマザー・老賢者・セルフなどである。ユングによる心的成長の目標は、集合的無意識をも含めて統合された個人になることであり、その過程を個性化過程・自己過程・自己実現過程と呼んでいる。また内向―外向の概念による性格類型論も有名である。 


○エリクソン(1902-1994)デンマーク人の父とドイツ人の母親の間に生まれ、フロイトの娘で幼児心理学者のアンナ・フロイトに師事。第二次大戦が始まって、アメリカに亡命。フロイトの理論を継承しながら、フロイトの幼児性欲論にもとづいた発達段階説を発達課題としてとらえなおし、文化社会的文脈・生涯発達へと拡張した。ルターやガンジーなどの歴史的な重要人物について、個人の心理的発達と歴史との関連をとらえた評伝も著している。自我同一性(アイデンティティー)は思春期の発達課題としてエリクソンが導入した概念である。


○マズロー(1908〜70)アメリカの人間主義的性格心理学者。多くの心理学者が人間の行動原理について、苦痛からの逃避・欠乏の充足のような暗い側面を強調したのに対し、幸福や喜びの追求のような明るい側面を強調する。彼によれば、人間は遺伝的に決定された要求・能力・可能性をもつ。これらのかくれた本性は訓練や教育によって手なずけられるべきものではなく、生長に伴いそれらがおのずと“自己実現”されるとき、健康な人格が生まれる。また、この実現が環境によって妨げられることが精神病理的症状を生む。具体的には、人間の生得的な要求は強さ・優先性に関して階層をなし、それは、飢えや渇きのような生理的要求、安全への要求、所属と愛への要求、自尊への要求、自己実現への要求、知識のような認知への要求、美への要求の順である。ある段階の要求が満足されたときに、はじめて次の段階の要求が人間の行動原理となるとされる。


(3)基本的立場 心の障害や悩みの原因は無意識に埋もれた幼児期の経験や葛藤にあり、これを明らかにすることによって心の障害や悩みを解決することができる


(4)基本テーマと方法 心の障害や悩みの解決が基本テーマ、相談者と治療者の談話が基本的方法


(5)発展 フロイトによって創始された精神分析運動は、教育分析などの学派固定の試みにもかかわらず、理論や手法、人間観の違いにより、つぎつぎと分派を生み出した。アドラー、ユング、ライヒ、新フロイト派、実存分析、等々。これは、精神分析が対象としている心の障害や悩みの解決がそれだけ複雑な側面をもっていることのあらわれでもあるが、もう一方では、精神分析が違った考えや手法を客観的に比較する方法を持ち合わせないために教祖を輩出しやすい傾向があるためでもある。

  分派形成による発展のなかでとくに重要な傾向が、ユングや実存分析などにみられる、単なる障害の治療から、心の成長、自己実現への目的の変更である。これは、のちのロジャーズやマズローなどによるヒューマニスティックアプローチ(精神分析とは(3)基本的立場を共有しないが、(4)基本テーマと方法は重なっているので、精神分析を広義にとり、ここであつかう)でより明確になる。

  治療目的の拡張とともに、治療の方法も談話だけではなく、集団での討論、ドラマ、芸術活動など様々な活動へと大きく拡張した。診断でも、ロールシャッハテストや描画、TAT などの種々の投影法が用いられるようになった。

  精神分析の理論は当初は、無意識のしくみや心の発達についての心理学理論が中心だったが、フロイトが社会や芸術の解釈へと拡張し、ユングはよりひろく文化シンボル解釈の枠組みを提供した。

  結局、精神分析は、以下のような側面をもつにいたった。

A.無意識のしくみや心の発達についての心理学理論の側面

B.ヒステリーや恐怖症などの心の障害についての治療法

C.悩みを越えて心の成長、自己実現、自己超越を目指す代替宗教的運動

D.種々の文化事象や象徴などについての解釈の枠組み


(6)成果  

C.の側面については、精神分析は、宗教なき時代の日常に不全感をもち自分さがしをする人々の心をとらえるのに成功した。D.の側面については、精神分析は、文化事象や象徴の解釈にそれまでなかった視点からの幅を与えることはできた。B.については、具体的な障害の治療ができたか否かにかぎって言えば、フロイト自身の成果も芳しくなかったが、その後の効果研究の成果も芳しくない。投影法も診断法としてだけみると全体として評価は高くない。A.で、ユングの内向、外向研究や、フロイトの心の構成説など、後の性格研究や心を複数の部分の相互作用としてみる考えにつながった研究もあるが、今日まで残る成果といえるものは、防衛機制やエリクソンの発達段階説など、あまり多くはない。


○イド・自我・超自我:イドと超自我は無意識の部分である。ちなみに、イドは「id」と書き、英語の「identity(アイデンティティ)」だの「identification(身分証明書)」のもととなる言葉である。イドには口が開いていて、そこから「あれがしたい」「これがしたい」という欲求がやってくる。そしてその欲求を満足させるために、イドは現実をとりあえず無視して、その場にあるものを手に入れようとする快感原則に従う。「隣の人から物を奪ったって手に入れようとする」など。このイドでは本能、性、攻撃といった衝動、そのすべてが起きる。このため、そのためのエネルギー貯蔵庫と考えることが出来る。また、このイドには抑圧されたものを多く含んでいるとされる。フロイトはこの中でも特に性衝動について取り上げ、それを「リビドー」と名づけていろいろな考えに活用していった。ヒステリー患者の多くが性的な外傷体験を持つことに着目したのもそこにベースがある。さて、このイドの上に存在し、無意識、前意識、意識すべてに関わるのが「自我 ego」である。自我はイドからの欲求を現実に合った形に直す役割(現実原則に従うといいます)や、その欲求をかなえるために必要な行動(たとえば、プランを練るとか)を現実に則して作り上げたりする。自我はこれらの防衛機制(あるいは適応機制)を使っていろいろな場面を乗り越えるわけだが、この上にはさらに「超自我 super ego」が働いている。超自我はいわば相談役であり、法律家で、禁止をさせる役割がある。自我は計画を立てて満足を延期させたわけだが、超自我はそれ自体を否定し、禁止する。自我がこれに従わなければ、超自我が自我と対立することになり、自我に罪悪感が生じる。フロイトはこの超自我を発達によって獲得するものとし、これは自分の両親や社会的ルールなどを自分の中に取り入れることによって出来上がるんだ、とした。



○防衛機制:自我は防衛をコントロールする。防衛にはさまざまな手段があり、それを一般には「防衛機制」と呼ぶ。この防衛機制は危険が迫ったときに行われるが、そのきっかけとなるのが「不安」である。ですから、防衛といっても現場にあわせるという適応の面も含まれる。以下に、主な防衛機制を列挙する。

抑圧:受け入れがたい観念やそれに伴う情動を意識から追い出し、無意識にとどめておくこと。ただし、抑圧されたものは再び現れようとするから、そのために抑圧が強化されたり、ほかの防衛機制が使われることがある。

否認:受け入れがたい現実を知覚しないよう拒絶すること。これにより知覚の空白が生まれ、その間は願望充足的な知覚が埋めることが多い。例えば、恋をしていた女性がふられたのにもかかわらず、前と同じように彼がいてくれるなんていう夢物語の中で生きているときなんかがこれ。

投射:受け入れがたい自分の衝動や情動を、他人の中に認めること。内にあるものを外に出すという機制で、妄想形成などによく用いられる。例えば、激しい憎しみを抱いているのに、その他者が憎しみを持っていて、それが自分に向けられているんだ、なんて考えるときがこれ。これは嫉妬妄想につながる。

同一化:投射の反対。外にあるものを内に入れる考えで、他者の人格特性などを自分のものとして獲得することを指す。自分にとって大切な人を失ったとき、その人のもっていた何かを身につけることによって安心する、なんてのがこれ。

置き換え:衝動の対象やその充足方法をほかに向けること。例えば、母親を憎んでいる人が、それに似た権威の象徴である自分の上司を憎む、なんて場合がこれ。これは精神分析療法を実施しているときに起こる転移とは別物。


○エリクソンの発達段階説: フロイトはリビドーという性的欲求に注目しました。このリビドーに基づく欲求と充足のあり方、個人の生活歴により自我の形成がなされると考え次のような段階区分を提示しました。

         口唇期  (出生から1年あまりの時期) 

      肛門期  (3歳頃まで)

      男根期  (5歳ころまで)

 上記の段階のいずれにおいても、リビドーの充足が十分になされないとその子どもは次の段階へ進めず、その結果大人になっても固着した段階に独特の未熟な人格特徴を示すという。例えば、肛門期の時期に固着すると自分にも他人にも厳しい完全無欠で潔癖であるといった傾向を示すというのです。彼の考え方は生得的なものと環境的なものとがダイナミックに関わり合って心の発達が進むという点では評価されていますが、性的発達に力点が置かれており、知的発達や社会的発達への説明がなされていません。

 フロイトの欲求充足機能の持つ意味を、心理・社会的様態における機能として拡大発展させたのがエリクソンでした。エリクソンの特色はライフサイクルを問題とし成人期を発達段階として分けたことにあります。ゆえに、生涯発達心理学の先駆者といわれています。

 エリクソンは、全体を8つの段階に分け、1つの段階から次の段階へ進むごとに、人はいろいろな心理社会的危機に直面するという。その危機をどのように解決していくかがそれ以後の段階における危機の対処法を決定するとしました。下の表では、その段階の課題が達成されたときは左側、達成されなかったときは右側の状態に陥りやすいということを表しています。

1.  口唇・感覚期(乳児期)  (基本的)信頼vs不信 0〜1歳

2.  筋肉・肛門期(早期児童期)   自律性vs恥・疑惑    1〜3歳

3..  運動・性器期(遊戯期)   積極性vs罪悪感    3〜6歳

4.  潜在期         (勤勉性(生産性)vs 劣等感   7〜11歳

5.  思春期    同一性(アイデンティティ)vs同一性拡散   12〜20歳

6.  初期成人期    親密vs孤独     20〜30歳

7.  成人期    生殖性vs停滞    30〜65歳

8.  成熟期    (自我)統合性vs絶望    65歳〜

 例えば5.ではこの段階(思春期)で「自分はなんなのか」「自分はこれからどうなっていくのか」などの問いに、自分なりの答えが出せた場合は安定し、社会会に適応した生活(同一性)ができるが、問いに答えられないと悩んだり苦しんだりするわけで、それが同一性拡散ということになるのです。


○マズローの欲求段階説:マズローは、彼が唱えた欲求段階説の中で、人間の欲求は、5段階のピラミッドのようになっていて、底辺から始まって、1段階目の欲求が満たされると、1段階上の欲求を志すとした。人間の欲求の段階は、生理的欲求、安全の欲求、親和の欲求、自我の欲求、自己実現の欲求となる。生理的欲求と安全の欲求は、人間が生きる上での衣食住等の根源的な欲求、親和の欲求とは、他人と関りたい、他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求で、自我の欲求とは、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める認知欲求のこと、そして、自己実現の欲求とは、自分の能力、可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求である。マズローは自己実現の欲求を重視し、自己実現はヒューマニスティック心理学(精神分析でも行動主義でもない第三の勢力と自認した)のモットーとなった。

cf.フランクルによる自己実現批判とトランスパーソナル心理学への展開

Frankl(1979)は自己実現に対して、次のように批判している。

「自己実現は人間の究極の目的ではない。もし自己実現が目標にされるとすれば、人間存在の自己超越性と矛盾することになる。人生には必ず実現すべき価値・意味があり、人間は心のもっとも深いところでは、快楽や幸福を目指す存在ではなく、意味を目指すべき存在である。そして、人間の存在は、意味に向かって自己を超越するものである。生命は、自分に与えられた人生の意味を実現するという使命のためにあり、自己目的化した自己実現は単なるエゴイズムに過ぎない。」

 Maslow自身、晩年には、自己実現を超える発達、つまり人間の成長の極限として「自己超越」を想定するようになった。これが、「第4の勢力 トランスパーソナル心理学」へと発展することになる。このように、Maslowのいう自己超越への欲求とは、これまでの、あるいは現在の自己の状態を超えるような何かに変身しようとする欲求である。これまでの自己概念を根本から変えるような行動に走ったり、既成の自分の人格そのものを改革してより一層自己を成長させようとする欲求と言い換えることもできるであろう。また、「至高体験」がこの、自己超越と深く関わってくるとされている。


(7)限界

  精神分析における二人の天才的語り手、フロイトとユングが提供した、社会事象や文化シンボル解釈の枠組みは、人文社会科学に多大な影響を与えた。フロイトの考古学的探偵物語はときにゴシックホラーの様相をおびるが、その奇矯さゆえにひかれるファンも多い。ユングは投影法と組み合わせた神話利用とバランスの教えで、文化シンボル解釈を最大限に活用した。また、精神分析は膨大な分派を生み、代替宗教運動としては、めざましい成功をおさめた。しかし、精神分析は、個々の障害の治療方法として、また科学理論としては、非常に厳しい評価をうけている。例として、Skeptic Dictionary日本語版「精神分析とジークムント・フロイト」から一部を抜粋して引用する。

 「精神分析は疑似科学の心理療法すべての祖父であり、心や精神医学や精神病にかんする誤謬と誤解に満ちた主張をひろめてまわる王者として、サイエントロジーに次ぐ第2の地位を占めている。たとえば、精神分析では精神分裂病とうつ病は神経化学的疾患ではなく、自己陶酔による疾患とされている。自閉症やその他の脳疾患は脳の化学的問題ではなく、育児の問題とされる。彼らには“会話”療法だけが必要とされる。神経性食欲不振やトゥーレット症候群についても同様な立場がとられる。(ハインズ,82)こうした精神疾患とその処方にかんする精神分析学的見解には、どのような根拠があるのだろうか?何もない。

 フロイトは、精神分裂病の本質を理解したと考えた。この病気は脳の障害ではなく、解決されない同性愛傾向によって起きる無意識の障害なのだ。だが彼は、精神分裂病の患者はセラピストの洞察を無視するし、治療にたいして反抗的になるため、精神分析は精神分裂病には効果がないだろうと主張した(Dolnick, 40)。後の精神分析医は、精神分裂病は抑圧的な育児によって起こる、と同じぐらい確かで同じぐらい科学的根拠に欠けた主張をおこなった。たとえば、1948年にフリーダ・フロム・ライヒマンは、劣悪な育児によって子供を精神分裂病にする母親という意味の、“精神分裂の原因となる母親(schizophrenogenic mother)”なる語を産み出した(Dolnick, 94)。彼女の先達となる精神分析家たちは逸話や講義でこうした思いつきを裏づけていたし、その後20年以上にわたって、もっと多くの後進たちが彼女の誤った導きに従うことになった。

  多くの場合、精神分析療法はおそらく存在しないもの(抑圧された幼時の記憶)の探索と、おそらく間違っている仮定(幼時体験が患者の問題を起こしている)、そして、およそ正しいとは思えない治療理論(抑圧記憶を意識へ引っぱり出すことこそ治療の根本である)にもとづいているのだ。」


参考文献

ピーター・ゲイ 1988 「フロイト」 みすず書房

ユング他 1964「人間と象徴 : 無意識の世界」河出書房新社

グリュンバウム 1984 「精神分析の基礎-科学哲学からの批判-」 産業図書

アイゼンク 1988 「精神分析に別れを告げよう」 批評社

デーケン 2000 「フロイト先生のウソ」 文春文庫