書斎で思索にふける管理人

 

5月1日 続刊希望

 すこし余裕があったので、ちくま文庫からでた「ニーチェ第1部」(西尾幹二)をよんだ。時代背景がきっちりしらべてあって、ものすごく面白い。ニーチェの特異性と状況のなかのふつうのところが、見事におさえてある。面白かったので、「ニーチェ第2部」の文庫版がでるのがまてずに、図書館から中央公論社のハードカバーをかりて全部よんでしまった。「ニーチェ第2部」で、悲劇の誕生の出版とその反響までだ。この調子では、完結には、あと三冊は、必要だろうが、とりあえず、「ニーチェ第3部」がよめたらうれしい。

 西尾氏のニーチェの見事な評伝をよんで、数年前に中沢新一氏の「森のバロック」(せりか書房)をよんだときのことをおもいだした。南方熊楠のうろんな評伝だ。南方熊楠を知のグルとしてあつかって、フランスの現代思想とむすびつけた、いかにも中沢氏らしい語りくちというか、エキゾチックジャパン、エキゾチックオリエントを商品にフランスの香水をまぶしてうろうという、輸入業者の新趣向といったところ。西尾氏のニーチェが、ヨーロッパの学者とおなじ土俵で仕事をしようとしているのにたいし、よさそうな商品を、「すごい」、「最新式」、「これをしらなきゃおくれてる」などのレッテルをはって、対象の批判的な吟味なしに、輸入業者よろしくあつかっている。あつかう対象は、西尾氏がニーチェ、中沢氏が南方熊楠だけど、言説のスタンスは、西尾氏が探求者、中沢氏が輸入業者だ。中沢氏は輸入業者としては、新趣向のひとでトリッキーなところがあって、うけるひとにはうけるが、言説の品質管理はしごくあまい。そのへんは、宮崎哲弥が「いいかげんにしてよ中沢さん」(「正義の見方」洋泉社)で指摘しているとおりだ。一生かけてウェーバー研究といった実直なタイプの輸入業者ではなく、どっちかという密輸業者タイプ。まあ、密輸業者といっても、「虹の階梯」(中公文庫)などのホラに、ここではないどこかをさがしていたオウム信者あたりはのって、その旅路の果てに、とちぐるった信者はサリンまでつくるんだから、なかなかの密輸業者だが。南方熊楠の評伝では、「南方熊楠一切智の夢」松居竜五(朝日選書)は、こぶりな本だが、まともな仕事をしている。西尾氏のニーチェとおなじく、時代のなかで南方熊楠を位置づけて、とらえようとしている。時代の知的状況や南方熊楠の特異性の把握が、西尾氏のニーチェにくらべると、だいぶよわいけど。それでも、密輸業者、コピーライターとはちがって、探求者の仕事だ。だから、あとで、綾部恒雄編「文化人類学の名著50」(平凡社)で、編者が中沢氏の「森のバロック」を、この本にはまにあわなかったが、名著だとか評しているのをよんで、のけぞってしまった。梅棹忠夫とか川田順造とか、文化人類学者を知的に尊敬してきたけど、認識をあらためなくてはとおもった。

 続刊希望ということでいうと、あとつづきをよみたいのは飯田氏の「言語哲学大全」(勁草書房)だ。3冊まででているが、フレーゲの指示の仕事がなぜ重要なのか、クリプキの様相論理学が何をねらっているのか、この本をよんではじめてわかった。(社会学あたりで、クリプキの様相論理学についていろいろいっているひとがいるが、対象を腑分けする道具としてではなく、呪術の道具として、「天才クリプキ」の「すごい」論理学に言及しているんではないだろうか。ついでにいえば、社会学・思想系には、ウィトゲンシュタインあたりをアイドルあつかいしているのや、ニーチェについても、意味に依存しない生き方だの、強度だの、ピーチクやっていて、じつに五月蝿い。密輸業者だの、コピーライターだの、脅迫的宣伝屋などにくらべると、実直な輸入業者のほうがはるかにいい。)この分野は、まあ、輸入代理店をやっても、一般うけはしないし、力のある勉強家が篤実にがっちりまとめたら、すごくいい本ができたという感じ。あと、言語行為論や会話の公準まで、はなしをおなじ調子で展開してくれると、分析哲学の門外漢としてはうれしい。

 

4月7日

 知り合いの原垂水さんから、筆でしたためた手紙がきた。風流なのか、鬼畜なのか、よくわからない。

「水辺にいったら、芦原に白鳥が巣をつくっていた。巣にはメスがいて。オスが岸辺にいる。オスは、巣をおそう敵を警戒しているのか、やけに気がたっている。ちかづくと、体をふくらませて、突進してくる。体をふくらませるのは、猫がおこったときに毛をさかだてたりするのとおなじく、自分をつよくみせるためだ。どんな声をだすのか興味があったので、足をだしたら、ガーガーいう雑音をだしながら、くちばしでかみついてきた。ふつう相手を威嚇するときには、低い音をだす。怯えると高い音になる。これは、体がおおきいと音声の共鳴する長さがながく低い音がで、逆にちいさいと高い音がでるためだ。一般に、雑音は、体のおおきさを知られないためにだす。とすると、ガーガーいう雑音は、小さい動物の必死の威嚇音だったことになる。いくら研究のためとはいえ、かわいそうなことをしてしまった。白鳥さんごめんなさい。

    巣籠りを まもる白鳥 水ぬるむ   」

 

4月6日

 4月1日に虫食文化研究会の講演会のメールをくれた、天宮寿彦さんから、今日、つぎのようなメールがきた。エイプリルフールの冗談だったらしい。ずいぶん人を食ったはなしだ。もっとも、スウィフトの「卑見」をあげているくらいの人だから、しかたないか。

「 4月1日におだしした虫食文化研究会の講演会の案内は、エイプリルフールのいたずらでした。「ありはすっぱくてピリッとしますよ。」とか、「当日はザザンムシ(残念ながら缶詰ですが)を持参します。」とか、「この私も虫食歴64ヶ月を突破いたしました。」(64でムシ)などと、返し技で、返事をくれた人もいます。

 ただ、虫食のはなしは、理論的には、やや、まじめにかんがえている部分はあります。人口爆発と食料問題がこれからの大問題であることは事実です。また、レヴィ・ストロースの論文は、中央公論の4月号にのっています。リフキンの「脱牛肉文明」という本もあります。「虫食はともかく、肉食はエネルギー的に不経済で、今後の食料不足の到来を考えると止めるべきですね。鯨食の前に止めるべき事柄です。日経サイエンスの4月号では地球的な水不足が2025年に到来すると予測していました。」などと応答してくれたひともいます。また、「妹に例の4月馬鹿の論文を送ったところ感動しちゃって、あの考えこそがこれからの日本で自給自足で生き残る道だと言っています。まさにタイムリーな思想でここから実際に何かが始まる予感さえ感じられるではありませんか。」というような、はげましのメールをいただいて、感無量でした。だけど、もしかしたら、これは、かつがれてるのかなともおもい、やっぱり人をかつぐのはよくないな、などと反省しております。4月1日におおくりしたメールを、まともにとってしまったひとには、おわびします。すみませんでした。

 文章の趣向としては、スウィフトの「アイルランドの貧児をして両親ならびに国家の負担から免れしめ、かつ国家に有用たらしめんとする卑見」におけるブラックユーモアとか、宮澤賢治の「ベジテリアン大祭」というすてきにポレミカルでおもしろい童話あたりが、したじきになっています。

 春夏秋之介は信州出身の文学者のあまりできのよくないパロディーです。講演会の報告として、春夏秋之介が講演会をキャンセルした。理由は、虫の居所がよくないとのことだった。かわりに、都立松沢大学の精神医学の泰斗芦原教授による「動物ビスケットの禁止をうったえるー児童精神医学の観点からの考察ー」という感動的な講演があったなどと、かんがえていたのですが、4月1日をすぎての、さらなるわるのりはゆるされることではありません。もうやめます。すみませんでした。」

 

4月1日

 妙なメールがおくられてきた。もともと虫は大好物だし、時間があれば是非出席しようとおもっている。立食パーティーは、バッタ、イナゴ、蜂の子、ザザムシ、蟻、ゲンゴロウ、なにがでるか、今から楽しみだ。

講演会のおしらせ

各位

 21世紀をむかえて、シャロン政権成立にともなうイスラエル・パレスチナの紛争の激化、タリバンによるパーミヤンの石仏の破壊、中国共産党によるチベットの文化破壊、マケドニアの内紛のきざしなど、世界はあいかわらず不安定な様相を呈しています。

 とりわけ、不気味に世界にしのびよっているのが、人口爆発と食料危機です。最近の論文で、レヴィ=ストロースは、ヨーロッパの口蹄疫は、肉食を中心とした、欧米の文化への警鐘だと指摘しています。わたしも、イギリスに留学しているゼミの卒業生から、「こんど研究室にあそびにいくからね」などというメールをうけとり、もし偶数のひずめのある動物にしか感染しないとされている口蹄疫に自分が感染したら、などと、不安な日々をすごしています。

 そうです。21世紀の人類の問題は、なにを食べるかなのです。肉食中心の文化は、見直さなければなりません。レヴィ=ストロースがいうように、肉食中心の文化は、環境的、倫理的に、人類におそるべき危機と退廃をもたらしています。必要カロリーにもみたない何億もの人々の一方で、食用とされる動物の飼育にどれだけの穀物資源がつぎこまれ、牛などのゲップなどからでるメタンなどが地球温暖化をどれだけすすめているのか。また、ほ乳類や鳥類といった、われわれとおなじく、親もいれば、きょうだいもいる、そして、暖かい血のかよう、そうした食用とされる動物たちの悲惨な飼育と屠殺の実態を、そしてそれを組織的に隠蔽するような偽善と、これらがもたらす倫理的感性の麻痺をかんがえてみてください。もちろん魚もいいでしょう。しかし持続可能な海洋資源の利用にはかぎりがあります。菜食主義はどうでしょうか?菜食主義で、十分な蛋白と脂肪、ビタミン、ミネラルを確保するには、ナッツや豆類など、結構贅沢な品揃えが必要になります。また、菜食主義で肉体労働をつづけるのは困難です。ですから、菜食主義は主としてトルストイのような気むずかしがり屋の貴族の選択肢であって、一般の選択肢にはなりにくいものです。ここでクローズアップされるのが、虫食文化の可能性です。動物の肉に比較しエネルギー効率は10倍以上あり、良質の蛋白と脂肪、ビタミン、ミネラルに富んでいます。しかも、適当な容器をつかえば、家庭虫園は、家庭菜園よりもっと簡単です。気味がわるい?それは文化の問題です。アボリジニやアフリカの人々が、かみきり虫の幼虫などを、いかにおいしそうに食べることか。問題は食材の選択と調理の文化です。人類の未来は、虫食文化の普及にかかっているといっても過言ではありません。

 われわれは、以上のような問題意識にもとづき、伊那谷文化振興会とINAXのご協力をえて、財団法人虫食文化研究会を設立いたしました。

 研究会の最初の活動として、つぎの催しを開催いたします。講師による講演のあと、調理の実演と、立食パーティーがひらかれます。参加費は無料です。ふるって、ご参加ください。

 

テーマ    伊那谷の虫食文化について

調理講師   春夏秋之介

場所     関西大学社怪学部真理検査室

日時     2001年4月10日 午後2時から

 

                 2001年4月1日

              虫食文化研究会会長 天宮寿彦